その場所は世界でもっとも安全な場所であるはずだった。
その場所はごく限られた人間だけに立ち入りを許される聖域であるはずだった。
しかし、今その場所にはその部屋の主が招いた覚えのない人物が佇んでいた。
「はじめましてと言うべきか、それとも久しぶりだねと言うべきか」
部屋の主はその訪問者に声をかける。
その人物は一見初老の紳士に見えた。身につけているのは仕立ての良さそうな落ち着いた紳士服、白い口髭と顎髭を生やし、長く垂れ下がった白い眉毛が目元を覆い隠している。
彼は記憶の引き出しの中から一つの名称とそれに付随した記憶を引っ張りだす。
それは、それまでの歴代大統領にのみ絶対の秘密厳守と引き換えに公開される機密情報、場合によってはアメリカが保有する核ミサイルの発射コードに相当するとさえ言外に示す国家存亡クラスの機密。
「えぇ、我々のことを知るこちらの方々はみなそう呼んでいらっしゃいますね」
「そうか、失礼にならなくて良かった」
世界の超大国と自他ともに認める国、その最高権力者の執務室にセキュリティーをまったく無視し、今の今まで気配を感じさせることなく侵入できる存在が普通であるわけがない、紳士と対する彼は静かに、相手に悟られぬように喉を鳴らした。
「今日は一つ忠告に参りました」
「忠告?脅しの間違いではないのかね?」
彼は老紳士の言葉にやや不快感を示す。彼の閲覧した情報にはこれまでに何度もこの老紳士の介入によってアメリカが行おうとした対異世界政策が中止に追い込まれた経緯が記載されていたからだ。
「脅すなどとんでもない。我々とあなたがたの国はともに歩むべき存在です。だからこそ、そう、だからこそこれは親しき友人からのこれは忠告です」
そう言って老紳士は言葉を続ける。
「顎と腕の話には耳を貸さないほうがいい」
顎と腕、その単語に彼の表情が一瞬歪む。
「おかしな話だ、彼らもあなたと同じ存在ではないのかな?」
「たしかに。彼らと我々は同じ場所に集う存在です。しかし、彼らと我々とでは考え方が異なる。そして、彼らの考えはこの国にもやがて害となる。そう判断しました」
老紳士はそう言ってゆっくりと左腕を動かす。するとズルリとその袖口から何かが、まるで獣の吐しゃ物のように吐きだされる。
その瞬間、部屋の中に一気に嗅ぎ慣れない異臭が充満する。
「!?」
老紳士の袖口から出て来たそれは二つの物体だった。
次の瞬間、それが何か理解した彼は悲鳴を上げそうになるが、その悲鳴は喉元あたりでかろうじてせき止められ、彼の顔はひきつり恐怖の感情があらわになる。
「御手を煩わせると思い、顎と腕のメッセンジャーはこちらで処分しました。これでしばらく彼らはこちら側での影響力を行使することはできないでしょう」
老紳士はまるで何事もなかったかのように、あるいは「ちょっとしたサービスですよ」とでもいうかのように、今はかろうじて人間だったとわかる程度の原型しかとどめていないモノの傍らで言葉を続ける。
「しかし、あなた方が判断を誤れば次はこうはいかなくなるでしょう。私もこれだけでは済まなくなる。そのことを今回はお伝えに参りました」
「こ、これのどこが忠告だ!やはり脅しではないか!」
そこで彼の胆力は限界を迎えた。あらゆる面で他国の追随を許さぬ大国の指導者というプライドをこうも傷つける慇懃無礼な態度に怒りの感情をあらわにする。
「誤解なさらないでください。我々とあなた方はパートナーだ。我々もあなた方を頼り、そしてあなた方も我々を頼ってくれれば良い。ただし、頼る相手をくれぐれも間違わないようにということです」
彼は言葉は続かなかった。老紳士の口調は終始実に穏やかなもの、その傍らに凄惨極まりないモノが横たわっているとは思えないほどに、まるでかわいい孫にでも昔の話を語り聞かせるかのような穏やかな口調、しかし、それに対して彼はまるで全身を巨人の手で押さえつけられているかのような圧力を感じ、目の前の存在に対して言ってやろうとした言葉が欠片も出て来ない。
「それでは今回の用件はこれだけです。こんな夜分にもうしわけありまでんでした」
老紳士がそう言った次の瞬間、それまで彼が感じていた圧力は何の前触れもなく消え失せ、彼が再び目の前に意識を向けた時には老紳士は二つの物体と共にまるで最初からそんなものはこの場に存在さえしていなかったかのようにカーペットに僅かな血の痕跡さえ残すことなく忽然とその場から姿を消していた。
翌日、大統領執務室には二名の政府要人が忽然と姿を消したという案件が秘書管の手によってもたらされた。
軍高官と、
ゲート管理の統括責任者、両者との直接の面識はなかったが、彼には昨夜の2つの物体が彼らのなれの果てだとすぐに理解することができた。
「現在テロの可能性も考慮して極秘に捜査を開始しています」
「あぁ、わかった」
秘書管の報告に口ではそう言いながら「おそらく彼らは永遠にその足取りを見つけることはできないだろう」と彼は確信していた。
彼ら二人は甘言に乗せられ悪魔と取引をし、そして死神にその代償を支払うことになったのだと。
- 地球では大きく力が制限される異世界の者が重用されるってしっかり利害の輪とかができてないと難しいよね -- (名無しさん) 2015-07-18 02:21:04
- 忠告や脅しと言われているが現状ではそれに従うことで上手くことが収まってきているのだと何かしら人間への愛めいたものを感じた -- (名無しさん) 2015-07-21 03:43:50
最終更新:2015年07月18日 02:19