【白ノ郷の人々】

【白角の里】

【白鬼の従者メルカの朝】

 夜を照らした妖しき月が地平へと沈み、それを見計らって陽光が反対の地平より上ってくる。
 日の出を待てぬ気の早い朝鳴き鳥が大きく一鳴き、これを目覚めの合図にメルカはパチリと目を覚ます。
 寝覚めの良い彼女は寝床から起き上がるとまずは身支度、寝ている間に乱れたうなじのあたりで切り揃えた黒髪に櫛を通して整え、洗面用具をもって外へ、しばらくしてスッキリとした表情で部屋へと戻ってくると寝間着を脱いで就寝前に枕元に畳んでおいた従者服に袖を通す。

「昨晩は先に休めとハクテン様はおっしゃいましたが、はてさて、どんな有様になっているでしょうか……」

 服の着付けを手馴れた様子でこなしながらメルカは昨晩のことを思い出す。

「私を追い出してからも相当飲まれたのは間違いないとして……」

 メルカの仕える主人はハクテンという白鬼の長である。昨晩は旧知の仲である黒鬼の長ダイコクが訪れ夕刻から夜更けまでの飲めや歌えのドンチャン騒ぎ、メルカも途までは同席していたのだが『もう夜も遅い!メルカは寝床に入ってよいぞ!』と宴の席から半ば追い出されるようにして自室へ、それから眠りに落ちるまで主人とダイコクの歌声やら騒ぎ声が聞こえていたが、いったいいつまで二人が酒宴を繰り広げていたかはわからない。

「後片付けが大変でないことを願いしましょうか……あら?」

 軽いため息まじりにメルカはあまり望めそうもない希望を呟きながら自らの服を着付けているとある部分に違和感を感じる。

「……また大きくなってる」

 違和感の正体、それは胸の部分の窮屈感、普段どおりに着付けていると胸の部分への締め付けの具合がどうにも息苦しさを感じてしまう、複雑な表情で同族同年代同性の標準をはるかに超えていると明らかにわかる自分の胸をしばらくの間見つめるメルカ。

「ハクテン様が揉むたびに大きくなって、いますよね」

 メルカは元から胸が大きかったわけではない、彼女の母も極めて標準的であったし、古くからの盟約に基づいてハクテンの従者奉公に来た時にはメルカも実に慎ましく、また何かと動くには都合のいい大きさであったことを覚えている。
 それがいつからだろうか、ハクテンが酔ってメルカに絡む度にメルカの胸が大きくなり、最近では明らかに大きくなったメルカの胸を酔ったハクテンが親の敵がごとくさらに揉みまくり、気がつくとさらに大きくなっているという負の連鎖が発生している。

「……暇が出来た時にまたつくろい直しましょう」

 このまま揉まれ続ければどうなってしまうのかなど、ついつい考えてしまいそうになるが、ここでこれ以上物思いに耽っても何の解決にもならないとメルカはこの問題を思案することを切り上げる。

「さぁ、お二人を起こしにまいりましょうか」

そんな朝から複雑な気分になった己に気合を入れるように腰帯をキュッときつく締る。そうして身支度を済ませた彼女は自室から出て惨状を呈しているであろう客間へと赴く。



「あぁ、やっぱり」

 戸をあけてまずメルカの目に飛び込んできたのは醜態を晒して眠る二人の鬼人の姿。
 客間の床に散乱する飲み干された酒瓶や酒樽、さすがにこれは飲み干せまいと思っていた奉納品の極上酒が詰まった酒樽は見事に空になっており、横倒しになった酒樽の中に身体半分突っ込んで、衣服の裾が盛大にめくれ上がって丸出しになった尻を晒してメルカの主人がムニャムニャと脈絡のない寝言を酒樽の内側に響かせながら寝ている。

「まったく、お二人そろって……」

 さらに別のところに目を移せば、メルカが一日がかりでこさえた料理が山と盛られていた皿がきれいサッパリと空になってそこらじゅうに散乱し、その中でも一番の大皿は地鳴りのようなイビキをかく黒鬼の巨漢の腹の上に乗っている。

「ハクテン様、もう朝ですよ」

 メルカは散乱する酒瓶や皿を避けつつ部屋の中へと踏み入ると、まずは自分の主人の醜態をなんとしようと行動を開始るする。
 メルカの主人の姿は相当に酷いもので、衣服はもはやほとんど身体に引っかかっているだけというほどに着崩れ、どれだけ酔えばこうなれるのかとメルカは内心で呆れながら、半分解けかけた腰帯に手をかけ、そのままズルッと酒樽の中から主人の身体を引っ張り出し、さらに腕一つでヒョイと持ち上げてみせる。
 メルカは白鬼ではあるが角は短く、メルカの主人のような神通力をほとんど宿してはいない、そのかわりに黒鬼や赤鬼ほどではないものの小柄な主人の身体を腕一本で吊り上げる程度のことは苦もなくやってみせることができる。

「・・・んあ?もう朝か?」

 腰帯だけで宙吊りにされたメルカの主であるハクテンがボンヤリと薄目をあけて、やや焦点の定まらぬ目を向けて彼女に問うてくる。

「そうですよハクテン様、昨晩はいつまで?まれていたのですか?」
「んむぅ・・・覚えとらんのぉ・・・」

 いつものことではあるが、この主人のだらしのなさに思わずメルカは大きなため息を漏らす。

「ここを片付けますので、ハクテン様は顔を洗ってきてください」

 寝起きのハクテンをとりあえず立たせ、手早く着崩れた衣服を簡単に着付け直しながらメルカはフラフラと未だに半分眠っているような様子の主人を促すように言う。

「あいわかった。しかし、どうにもまだ酒が残っているようで頭が痛いのぉ、メルカや、迎え酒を一杯」
「ダメです」

 二日酔いをどうにかするためと酒を要求するハクテン、それを半ばでメルカはピシャリと断り、そのまま部屋の外へとイタズラをした猫にそうするかのようにポイと放り出してしまう。

「かわいげの無い奴じゃ、昔はああではなかったのに、そういえば乳もあんなに大きくはなかったの、イチチ、おぉ、頭が痛い・・・顔を洗う前にまずは小便じゃ・・・」

ハクテンは部屋の外でメルカにわざと聞こえるように大きく愚痴をこぼすと、そのままトテトテと足音を鳴らして去っていく。

「・・・台所へは、行っていませんね」

 主人の去っていく方向を足音で確認してメルカはホッと息を吐く。飲酒に関して極めて自制心の乏しい主人はいくら咎めても聞く耳を持つことがない、過去にはメルカが少し目を離した隙に何度も調理のための酒まで飲みつくしてしまうほどの節操の無さである。

「傍仕えも大変だのぉ」
「・・・大変とお思いなら、少しは年相応にお控えになってくださいまし」

 ふいに背後からかけられた野太い声、しかしメルカは驚くこともなくそう言葉を発しながら振り返る。そこには胡坐をかいて大あくびをする巨漢の黒鬼、黒鬼の長ダイコクの姿があった。

「お二人とも良いお年なのですから」
「それは無理と言うもんよ、ワシもアイツも根っこは騒ぐのが何より好きな子供のまま、性根は死ぬまでどうにもならん」

ダイコクはそう言ってガハハと豪快に笑い、メルカは「そうですか・・・」とため息を吐く。


【医者のシュゼン】

 白の郷、あるいはハクテン村と呼ばれる場所には医者が一人暮らしている。
 その者は昔は船乗りであった。しかし、ある海難事故で偶然近くを通りがかった船に助けられたことが縁となり、彼は自らの命を助けた医療に心酔、十数年かけてその技術を習得してドニーへと戻ってきたが、彼の医療行為はドニーでは受け入れられることがなかった。
 結果、謂れの無い誹謗中傷を投げつけられ彼は故郷を去るしかなくなり、流れ流れて何の因果か彼はハクテンが長をしている場所に安住の地を見出すこととなった。

『オイ、シュゼン、起キロ、患者ダゾ』
「んご?」

 キィキィと耳障りな響きの声に呼び起こされ、随分と頭髪が後退して広くなった額に二本の赤い角を生やし、頭髪同様に赤茶け癖の強い髭を生やしたやや痩せ気味な体格の赤鬼が寝床にしているハンモックからノッソリ起き上がる。

「なんだぁ?……患者?患者だと!?」

 前半はやや頭が回っていないのかボンヤリと、しかし後半は眼を見開いて叫ぶ。

『もう眼ト鼻ノ先マデ来テル』
「こうしちゃおれん!」

 赤鬼はハンモックから飛び降り、そのまま近くに引っ掛けていたお世辞にも綺麗とは言えぬ術衣を引っ掴んで階下へと降りていく。



「先生!シュゼン先生はいるか!?」

 赤鬼が階下へと降りてきたのとちょうど同じタイミング、閂などされていない両開きの戸が勢いよく開け放たれ、鬼気迫る様子の数人の男達が戸板を担いで雪崩れ込んでくる。
 そこは集落で唯一、いやその島唯一の診療所。しかし、室内には中央に簡素な手術台があるほかは壁という壁一面に作りつけられた棚や地面に大小無数の壷が置かれているだけ、さらにこうした医療施設にある独特の薬臭さとは異なる独特の香りが充満している。

「あぁ、いるぞ!患者だな!どんな状況だ?」
「木こりのダーフが偶然森で木の枝にひっ掛かってるのを見つけたんだが、かなりひどい。正直虫の息だ」
「おぉ、こりゃたしかにひどいな」

 彼らが口々に言うように、戸板の上に寝かされた者の姿はひどいものだった。手足は何箇所も折れ曲がり、そのいくつかは肉が裂けて砕け折れた骨が外に飛び出している始末、他にも体中に大小無数の裂傷や打撲が見受けられる、意識がわずかにあるのか痛みから呻いてはいるがその声は小さく呼吸も浅い。

「しかし、見慣れん姿をしているな?エルフにしては耳が短いし、それに何よりなんだこの服は?」

 患者の様子を観察し、その後の処置に移るために手馴れた手つきで怪我人の身に着けたボロボロの衣服を小刀で切り裂きながら、シュゼンと皆に呼ばれる赤鬼は妙なものでも見るように見たことも触ったこともない独特の質感の衣服の切れ端にいぶかしむ。

「先生、ソイツはたぶん門の向こうから来たのだと思いますよ」
「前に王都でコイツによく似た連中を見たことがある。ソイツらはコイツより顔の彫りが深くて図体も俺らくらいあったけどな、コイツはたぶんまだガキだな」
「ガキなら助かってほしいなぁ……」

 戸板を担ぎ込んだ者達が口々に戸板の上に乗せられた者の素性について己の考えを口にし、お互いに言葉を交わす。

「ほぉ、門の向こうの異郷の民か。それは治療のし甲斐がある!」

 気合十分という感じのシュゼンを期待して見る者半分、これから行われることを想像して戸板の上の者に哀れむような視線を送る者半分。

「それでは、これより術式を開始するので、皆は外に出ておれ」
「先生、よろしく頼みますよ」
「助けてやってください」
「がんばれよ坊主!先生の治療は恐ろしいけど腕はたしかだからな!」
「誰が恐ろしいだ!事は一刻を争う!はよ出てゆけ!」

 そんな言葉がわずかな間に交わされ、男達は屋外へと出て行く。

「それではこれより術式を開始する。まずは患者の診断から。ミルギ、頼むぞ」
『任セロ』

 一人手術台の上に寝かされた怪我人を前にしてシュゼンがそう言って右腕を患者の上に翳す。すると、シュゼンの赤銅色の肌とは異なる黄土色の色合いに硬質な質感の、一見すると変わった意匠の手甲かと思うそれの至るところがビキリとヒビ割れたように亀裂が走り、無数の虫の足のようなものが広がり、手の甲に当たる部分にはめ込まれていた紅玉がニョキリと起き上がって辺りをキョロキョロと見回すような動作をし、五本の指がおおよそ人の動きとは思えない動きで蠢きはじめる。

『コレは酷イ。思ワズ通常の回復手段ヲ放棄シテ回復繭ニ放リ込ムノガ妥当ダト言イタクナル』

 時間にして数十秒、シュゼンの片腕であった部位は今や巨大なムカデのような形となって手術台の上に横たわった怪我人の身体を這うようにしてその無数の足で何かを行い、それが済んだとばかりに忙しなかった動きを止めるとキィキィと耳障りな声を出す。
 この怪異な存在の名はミルギ、シュゼンの2つの意味での片腕を成す寄生性質の蟲である。

「回復繭なんてものはここにはない、いいから状況だけ教えろ」
『ワカッタ。ワカッタ。口頭デ報告スルニハ損傷箇所ガアマリニ多スギル、シュゼン、オ前ノ頭ノ中ニ直接送ルゾ』

 ミルギと呼ばれた巨大ムカデのような蟲が耳障りな声でそう言った次の瞬間、シュゼンは小さく呻いて眉間に深い皺を寄せる。

『ドウダ?ワカッタカ?』
「これはたしかにひどいな。生きてるのが不思議なくらいの重症だ。しかし、術式の流れもわかった。さっそくやるぞミルギ」

 そう言ってシュゼンは手術台の周囲に置かれた壷のいくつかの蓋をあける。ほどなくして壷の中からゾロゾロと這い出してきたのは巨大な蟲達、その手のものが苦手な者がその光景を眼にすれば卒倒するだろうという光景が広がりはじめる。

「まずは鎮静と呼吸の確保だ。よしよし、カワイイやつだ」

 シュゼンが蓋をあけた壷の中からまず姿を現したのはヌラリとした生白い蜘蛛のような蟲、その頭部と思しき部位をシュゼンが撫でるとまるで甘える子犬か子猫のようにその腕に擦りついてくる。

「よぉし、それじゃ頼んだぞ?」

 シュゼンは生白い巨大蜘蛛を両手で抱き上げ、それを手術台の上に乗せる、するとあろうことか怪我人の顔の上へと覆いかぶさり、そのままガッチリと全ての足で顔面を掴み、そのまま自らの身体と怪我人の口と鼻を含む顔半分を密着させる。さながらその光景は有名SF映画の某宇宙寄生生物の幼体に寄生された犠牲者のソレである。

「よし、これで鎮静と呼吸の確保はできた」

 そうシュゼンが言うように、見た目こそおぞましいが巨大蜘蛛が覆いかぶさった怪我人はそれまでの浅く乱れた呼吸は落ち着き、痛みから苦悶の表情を浮かべていたものが今はこころなしか安らかなものになりつつある。

「さて、それではこれより術式を開始する」

 シュゼンがそう告げた次の瞬間、手術台の周囲の壷から這い出してきた大小無数の蟲が一斉に手術台へと群がった。




 瀕死の怪我人が運び込まれてから数日後、手術は大した問題もなく終了し、シュゼンはいまだ意識が回復しない怪我人の看病をしつついつも通りの毎日を過ごしていた。

「シュゼン、おるか~?」

 聞きなれた声が診療所の中に響いたのはシュゼンが遅めの昼飯を食べている最中、急ぎ診療所に降りてみれば顔馴染みの姿がそこにあった。

「これはハクテン様、今日はどうされました?」
「なぁに、ワシはこれでも村長じゃからの、見回りじゃ。ところで例の奴はもう目を覚ましたか?」

 そう言ってハクテンはキョロキョロと診療所の中を見回す。

「あぁ、例の者は奥の部屋で寝ておりますよ、治療はしましたが体力は相当に失っておりましたからな、まだ意識は戻っておりません」
「そうか、少し覗いても良いか?」
「えぇ、どうぞこちらに」

 そう言って二人は診療室の奥、しばらくの経過観察が必要な患者を数日宿泊治療するための部屋へと向う。

「相変わらずこの中は変な匂いがするのぉ」
「蟲達を落ち着かせるための香ですよ、我々が嗅いでもそう不快なものではないでしょ?」
「まぁ、多少不思議な匂いではあるがの」

 そんな会話をしていればもうすでに二人は目的の場所、簡素な寝台の上には体中包帯でグルグル巻きにされてミイラのようになった若者が横たわっている。

「ほぉ、息はしとるの」
「死んではいませんからね」

 寝台の上で眠る若者の顔を覗き込みながらハクテンのあまり物を考えていなさそうな言葉、それにシュゼンは微苦笑しながら答える。

「ん……」

 その時だった。寝台に横たわって寝息をたてていた若者の表情が変わり、閉じられていた眼が僅かに開かれたのは。

「……どこだここ?…天国?」
「ワシの村じゃ、たわけ!」

 生死の境から生還した者にいきなりそれはと思いつつ、もうこれで大丈夫だろうとシュゼンは安堵の息を吐いたのだった。 

 ハクテンの村に一人の医者が暮らしている。
 その者はマセ・バズークで蟲を使った医療を修めて戻ってきたドニーでは稀なる蟲医者である。
 しかし、そのあまりに奇異な治療行為は見慣れぬ者に多くの誤解をもたらし、結果彼は故郷を追われるように出て行かざるを得なくなった。
 されど、その腕は間違いなく、結果、彼はハクテンの村にて医者の仕事をすることとなる。
 村の者に時に恐れられ、されど頼りにされながら彼は今日も蟲を愛でつつ蟲と共に人の命を救っている。

以下随時追加


  • なんて楽しそうなハクテン屋敷。ダイコクはきっとハクテンが飲み過ぎないように自分が飲みきる!という気持ちで飲んでたんだよ -- (名無しさん) 2015-10-18 02:16:16
  • 怖がられても一度治療してもらえば納得できるんだろうけど最初のハードルが高いんだろね -- (名無しさん) 2015-10-25 22:03:44
  • これは鶴の恩返し的に施術の現場を秘匿するのが無難だw -- (名無しさん) 2015-10-26 09:05:56
  • 必要そうなものはほとんど揃ってそうな村。ハクテン様の年齢が気になる -- (名無しさん) 2016-02-24 06:05:38
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最終更新:2015年10月25日 20:59