「………………………」
無言でゆっくりとミレイの顔を見ると、黙ってわたしの頬を指さされる。
拭うと赤い色素が私の指に付着していた。色といいぬるりとした感触といい、少なくともその2つの要素から判断すると血糊でしかない。
そうしていると次々に他の金網に並んだ血糊貝もその貝殻を開いていった。弾けるさまは景気良く、吹き出す血潮は人間の喀血である。明らかに致命傷。ご臨終。
そこまで来てわたしはようやく理解した。
「これ、アカガイのオバケだ………」
「アカガイというのが何なのかは知らないが、こんな調子なものだから
ミズハミシマにもこの貝が苦手なやつはごまんといる。
逸話も山とあるぞ。あちらで戦勝の縁起物として扱われたかと思えば、こちらでは厄物として戦の前には食べるのを控えられたり。
美味いんだけどな。親父、血糊貝をふたつくれ。……ああ、今ここで食べる」
ミレイが懐から取り出した小銭を投げると、焼き加減を調整するのと同じ俊敏さで受け取った老人がいい具合に焼けた血糊貝を鉄箸で金網の上から拾う。
黙って布切れに乗せわたしたちに差し出した老人は、また萎びた様子に戻って火精霊に炭を焚べた。色落ちした半纏がまた絶妙な加減で疲れた翁といった雰囲気を醸し出していた。
両手に血糊貝をひとつずつ乗せたミレイは、そのうちのひとつを一気に呷る。毒味とばかりに。
軽く咀嚼してつるんと飲み込んだミレイの口の端から溢れた“血糊”が垂れている。
………駄目だ。どう見ても生き血を啜っているようにしか見えない。今ミレイがそれに気づいて手の甲で拭き取った。
「うん。やっぱり美味いよ。
この辺の血糊貝は名産だけあっていい味してるな。たくさん穫れるから安く売られちゃいるが、これ龍神への献上品なんだぜ。
さっきも言った通り幸を呼ぶんだか不幸を呼ぶんだか地方によって分からない扱いを受けてるから、味の如何に関わらず絶対に食わないというやつも多いけどな。
うちだと鰐が駄目だったか。あいつは何かと縁起をかつぐからなぁ」
「鰐?」
「私の同僚。それより、ほら」
ずいと差し出されたのはもう片方の焼けた血糊貝。
貝殻の中に溢れかえる真っ赤な血液がひたすらに食欲を減衰させてくる。これを飲み干せというのか。ゲテモノ食いをさせられている気分だ。
アカガイどころではないボリュームあるサイズの身までグロテスクに赤く、それがまた人間の内臓を思わせてよろしくない。事実内臓ではあるのだが。貝の。
さあ、食うべきか。食わざるべきか。何やら度胸を試されているような気もする。
我が国ではこう決まっている。食わず嫌いとは悪なのだと。その教えに従えば、ここでぐぐいといかねばわたしは大の大人にも関わらず情けない女との烙印を押されることとなる。
こうも決まっている。女は度胸も愛嬌も兼ね備えて然るべきなのだと。
私は―――祖国、日本国の女である。なればこそそれらの旧態然とした古き良き教えに従った。
ミレイの(おそらく好奇の)視線を浴びながら貝の中身を一気に口の中に放り込む。
感想は、そう。雑味こそあるが、確かに美味いの一言である。
かの血の色とは思えぬ、汁の潮風を感じさせる香り高き味。
噛みしめるごとに実感する、肉厚な身の牡蠣に似た濃厚な味わい。
それらが一体となった時に顕現する、潔さすら感じる喉越し。
龍神への献上品ということは祖国で言えば皇室献上品ということになるのか。それだけの格調高さを感じるには十分な逸品であった。
これでわたしは血糊貝、いやアプニ貝と言うべきか。この貝に対する偏見を取り払えた。はずだった。
ミレイがあんなことをしなければ。
全力で忌避感を騙していたわたしは耳元に顔を寄せていたミレイに気づかなかったのだ。
背がわたしよりも低い分、キュートに軽く背伸びをしていたミレイの顔がわたしの顔へ間近に迫っているのにようやく気づく。
わたしが意図を読めずにどぎまぎする中、ミレイは耳打ちするように呟いた。
「生き血を啜るとは、地球人も大胆なことをするな」
ミレイと同じようにわたしも口の端から“血糊”を垂らしていたのに気づいたのはその時である。忌避感が蘇り、盛大にむせた。
表情筋こそ全く動かさないものの、吐く息すら感じるほど近くにあったミレイの顔つきはいやによく覚えている。
氷の美貌。と、言うには。案外瞳は垂れ目で可愛らしいんだな、とか。