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【鯨都 -4品目・石火蟹のフリット-】

これに関しては間違いなく絶品を約束する、とミレイが太鼓判を押すので期待したところ、やってきた屋台は尋常ならざる怪音をカウンターの奥から発していた。
振り返って後ろに控えているミレイの顔をまじまじと見る。
「騙した?」
「大丈夫だ。何も心配するな。
 価格と質のバランスに関してこいつに敵うものは鯨都にはない。間違いなく特級で美味い」
いやに自信たっぷりに深々と頷く。どうにも不安だ。
きっと冗談ではないのだろう。店の前で立ち止まるなり、ッシャーイ!と威勢よく吠えた店番はいかにも硬派な魚人の漁師といった様子だし、ミレイもこればかりは真剣な眼差しである。
だが店の奥の生け簀から聞こえてくるざわめきはなんだ。かちかちと火花の散るような硬質で不気味な響き、少なくとも(地球人の常識における)魚が出す音ではない。
この国の海棲人たちが使う生け簀といえば金網がメジャーだが、石造りとやけに堅牢なのも気になる。
わたしが顔を閉口して顔をひきつらせていると、意気揚々と前に出て店主と二言三言交わしたミレイがそのまま貨幣を渡して注文してしまった。
こうなればもはや後は野になれ山になれである。例え生け簀の中に潜むものがUMA的グロテスク極まる化生であったとしても一口までなら口に入れてやろう。
武人の均整の取れた肉体ではない、いかにも粗食を毎日腹いっぱい詰め込んで作り上げたような図体の店主が代金を受け取って然と頷く。
多分あの扁平とした顔つき、エイの魚人なのだろうが筋肉と脂肪がつきすぎていてどうにも確証が持てない。
店主は石造りの生け簀の蓋を慎重にずらし、手慣れた素早い動きで蠢く『それ』を掴み取った。思わず息を呑む。
店主の分厚い手のひらの上でわさわさと脚を動かし、大きな鋏を元気よく振り上げ、硬い殻で全身を覆ったその生き物。
「蟹ですか」
「うん、蟹。ア・ザイという名前で、ここよりもっと南の方に伝わる昔の言葉で『鋭い石つぶて』という意味がある。
 このあたりじゃ石火蟹と呼ばれることが多い。ここに連れてきたのは是非この屋台の調理法を見てもらいたいというのがあった。
 地球人はみんな驚く。ま、楽しんでくれ」
と言うので、海の中を漂いながら店前で見物を決め込んだ。
ミレイはそう言うが、わたしにとってはミズハミシマの海の中は潜るたびに新鮮な驚きに満ち溢れている。
この鯨都の喧騒に満ちた海は尚更だ。海中に屹立する小島を思わせる、輪郭がぼやけるほど巨大な鎧鯨の周囲をてんででたらめに色とりどりな屋台たちが取り囲んでいる。
海面、海底という『平地』がある上層、下層とは違い、海中に高さという窮屈な制約はない。寄り添って屋台たちがぷかぷかと浮いている様は地球にいたら一生お目にかかれない光景だろう。
どういう仕組なのか潮の流れに流されていかないのは水精霊の力によるものなのか。あるいは中心に聳え立っている鎧鯨という超質量のお陰で海流が滞っているのかもしれない。
光精霊により海の底まで差し込む陽光は今ばかりは幻想的な光景の演出にはならず、お祭りの活気を支えるのみである。これが夜になるとまた違ってくるのかもしれない。
さて、屋台である。蟹である。
わたしたちふたりの視線を受け若干張り切っているようにも見える店主はまず調理台に備え付けられていた壺の蓋を開けた。
飾り気など一切ない、どこまでも実用一点張りといった見た目の大きな壺から水ではない何かがごぼりと溢れ出してくる。
水に溶けぬ水。琥珀色の粘性ある液体。本来ならば乳化剤を投入してかき混ぜられたりでもしない限り水面へと浮かんでいくだろう物質。
不定形なるもののうねりを伴いながらおよそ球体として纏まり調理台の上で停滞していた。
「油?」
「油。水精霊の力を借りて四方八方に行かないよう留めてるのさ。
 だが、ただの油じゃないんだな」
なにがと問おうとしてふと気づく。
肌が熱を感じている。屋台の側から投射されている熱の熱源を目で追い、そしてそれが店主の真剣な視線を注がれる油から発せられていることに気づいた。
この油、温度を放っている。それもかなりの高温だ。油の周りの海水が陽炎をあげていた。熱源はないはずなのに、何故。
「あの油の中には火精霊が潜んでいる。言っておくがかなりとんでもないことをしてるんだぜ。
 息のあった火妖精から熱だけいただけなきゃあっという間に燃えちまう。そもそも水の中を嫌う火精霊を海の中に連れてくるのがひと苦労だ。
 海中務めのミズハミシマの料理人はこれらの作業を水精霊と火精霊、両方の協力を得ることで出来て初めて一人前だ。
 ………というより、『一人前と認められるには出来なければならなくなった』というのが適切かな」
何やら意味深な言い方をしたミレイの目の前で油の球体の中に下ごしらえされた蟹が突っ込まれていった。手のひらほどのサイズの石火蟹が次々に揚がっていく。
黒々としていた蟹の甲羅があっという間に鮮やかな紅色に染まっていった。蟹や海老などが加熱されると赤くなるのはアスタキサンチンの遊離による作用だが、どうやらそこは異世界でも変わらないようだ。
ここでようやく理解した。ここはどうやら蟹のフリットの屋台だったらしい。
「ミズハミシマの料理というのは歪な歴史でな。もともとここに国がまだ無かった頃は飲み物って文化すら無かったんだ。
 海中には海中なりの料理というものがあるにはあったらしいが、喉を潤す、加熱調理で味をつける、なんて無駄な発想は厳しい生活の中ではそもそも存在しなかったんだよ。
 でも国がまともに成立して、少しは日々の愉しみってものに目が向く余裕が出来ると皆陸の上の多彩な料理を味わいたくなった。
 陸に住んでるやつらはいいが、海の中じゃまともにはいかない。でも知ってしまった以上食べたい、どうしても食べたい。
 結果、こうなった。よくもまぁこんなめんど……」
店主が睨んだ。ぎろりと。
「……多彩な手段を思いつくものだと感心しないか?人の欲というのは大したものだ」
ミレイの問いかけに頷く。手際よく蟹が調理されていくのを見ながら。
曰く食べ方はそのまま齧るのだという。歯が砕けそうな話だが、この蟹は加熱することで噛み砕けるほどの硬さになるのだそうだ。
ただひとつ疑問が残っている。わたしは兼ねてからのその不可解をミレイにぶつけることにした。
「それにしても、妙に頑丈な生け簀ですよね」
「まぁね。石火蟹の漁には許可証が要るんだ、何故だか分かるか?」
「数が少ないとか?」
許可証の要る海産物と言えばまず思い浮かぶのは河豚だが、これは調理に関する許可証である。
漁をするために必要な許可証と問われればやはりそういう帰結になる。地球の常識ではあるが、生息数が少ないなら漁獲制限はかかって然るべしだ。
「いや漁場にはうじゃうじゃいる。
 そう、うじゃうじゃいるのが問題なんだな」
「なら何で」
「死人が出るから」
死っ。
ミレイが腕組みをして左手で右肘を支えた。右人差し指を顔の前に掲げて講義開始のポーズ。ああ、どうやらミレイの喋りたがりが発動したらしい。
出会ってまだ数日の付き合いだが、わたしはどうやらこの常に無表情な同行人の感情を察するのに長けてきているようだった。
このミレイという女は悟らせないようにしている部分はまるで読み取れないが、逆にそういう意識のない部分は驚くほど分かりやすい。
「石火蟹、ア・ザイはミズハミシマでもかなり南の方の潮間帯に生息する。
 潮間帯…分かるか?一日のうちに陸になったり海になったりする土地だ。どこぞの薬屋で話したモー・ウアの木もそういうところに生えてる。もっともあの木とは生息域が違うがな。
 この蟹はそういうところの樹木の上に普段はいる。こいつらのせいでその一帯は立入禁止なんだ。
 こいつらの狩りの仕方はこうだ。樹の上に何匹も束になって潜み、じっと獲物が近くを通りかかるのを待つ。
 迂闊にも通りかかった憐れで愚かな獲物に対し、奴らは無感情な瞳を向けて狙いを定める。強靭に発達した一番後ろの脚をたわめて―――」
じゅうじゅうぱちぱちと小気味よい音を立てて挙がる石火蟹の、太く伸びた脚を指差した。
「飛ぶ」
飛っ。
臨場感たっぷりにミレイは手真似で表現する。右手で現した蟹が左手で現した獲物へ勢い良く突き刺さった。
「正確には脚の間にある膜を広げて滑空するんだ。目にも留まらぬ素早さでな。
 こいつらは中までぎっちり肉が詰まってるから見た目よりも重い。ちょっとした石ころ並だ。そいつらが飛びかかり、次々に獲物の肉を打ち据える。
 そうして自分よりも遥かに大きな獲物を仕留め、このでかい鋏で肉をちぎって集団で食い荒らす。そんなわけで、人食い蟹と未だに呼ぶやつもいる」
呆然としてしまう。なんて恐ろしい生き物だ。
ひょっとして今から食べる蟹も人肉を食らった怪物なのではあるまいか。話を聞くとつい先程まで愛嬌すら感じられた間延びした蟹の顔から若干の忌避感すら感じる。
表情から思考を読み取ったのかミレイが鼻息をついた。ごぼりと気泡が海面へ浮かんでいく。この鼻息は笑ったときのサインである。
「安心しろ、今じゃ石火蟹の生息域は結構厳しく取り締まられてるから人を食っちゃいないよ…何も知らずに迷い込んだ阿呆がいなければ、だが。
 で、昔のやつらは思った。食って美味いのは知った。だが危険だ。しかし森に分け入らねばたくさん取れないし、罠をしかけても怪力でこじ開けられちまう。
 ここで登場したのがスィナン・アルハンドラー・リュユーという面白い阿呆だ。鎧すらひん曲げてくるような石火蟹をどうにか仕留められないかとそいつは考え、修行に修業を重ねた。
 やがて老齢の域に達した時やつは悟りを開いた。『石火蟹という剛を制するは柔。六大精霊全ての力を借り受け、円の動きで彼奴らの動きを制すれば良い』と。
 小舟に乗って石火蟹の生息域へ乗り出すスィナンを周りの人間半分は止め、半分はせせら笑った。それでもスィナンは石火蟹に挑んだ。
 やってきた愚昧なる獲物に石火蟹は襲いかかる。だがスィナンの長年の修行は無駄ではなかった。無駄ではなかったのだ。
 地精霊、水精霊、火精霊、風精霊、光精霊、闇精霊。全ての大いなる精霊が彼に力を貸し、スィナンは石火蟹の気配をつぶさに感じ取ることが出来た。
 円の動きによって力を受け流され、小舟に山積みになっていく石火蟹。スィナンが港へ帰ってきた時、人々は驚きを持ってこれを迎え入れ讃えたという。
 そしてスィナンはこの技術を己だけのものとしないよう流派を開いた。それこそが今日まで連綿と続く由緒正しき道場、『水心円舞流』である――――!」
ミレイが握りこぶしを作って力感たっぷりに言った。
わたしは熱のこもっていない適当な拍手をした。
店主は石火蟹のフリットを包みながらものすごく何か言いたげな顔で見つめていた。
一瞬の静寂が、あたりを包んだ。無論祭りの喧騒は十分に満ちていたのだが、ただひたすらに寂しい静けさがあった。
ミレイが咳払いをして取り繕った。こころなしか頬が赤く染まっている気がする。こころなし。
「と、いう話が本当だったら馬鹿らしくて面白いなと昔調べてみたんだがな。
 どうも半分くらいは本当らしい。スィナン・アルハンドラー・リュユーという人物はおそらく創作なんだが、石火蟹の漁師の多くが当時武道水心円舞流を修めていたのは確かなようだ。
 水心円舞流というのは今でもある武道の流派だが、精霊との繋がりを通して大地神明の声を聞くというのを修行の第一原則にしているからな。
 現在でも多くの精霊と通じる熟達した漁師でないと石火蟹狩猟の認可は下りない。今じゃ技術も発達してちゃんとした防具を着込んでりゃ石火蟹の突撃なんて屁でもないんだが、危険なことに変わりはない。
 話をまとめると、多くの人間の屍の上に石火蟹の味わいがあるのは間違いないことなのでちゃんと味わって食べるように」
言い切ったミレイが店主から受け取った包みから熱々の石火蟹のフリットを取り出して私に突きつける。
若干早口だった。照れ隠しなのか。こうしていると何かと隙があって結構可愛げのある女である。
指を焼きながらかりかりに揚がった石火蟹を受け取り、恐る恐る頬張る。予想に反して殻は唐揚げの衣のように簡単に噛み切れた。水中なのに水っぽくないのは水精霊が都合よくしてくれているのか。
そして鎧の中にぎっちりと詰めて蟹が隠し持っていた、白いビロードの肉。溢れる脂味の芳醇さ。繊細にして重厚なる小味の美麗さ。蟹味噌の複雑怪奇な旨味。輝ける命の味わい。
「美味しいですね、とんでもなく」
「だろう?」
それからしばらく無言になった。ただひたすら蟹を貪るわたしたちを見る無骨な店主の目がどことなく嬉しそうだった。
どんな人間でも、美味い蟹を食べる時は目の色も性格も変えて無言となるものだ。
身をほじくる苦労がそれに拍車をかけないだけ、まだまし。



  • 分厚いはんぺんみたいな店主を想像してわむ。綺麗で楽しくてわくわくする異世界の海中表現も素晴らしい -- (名無しさん) 2016-10-22 16:05:26
  • 水中の油とか色々上手いなー。ミレイさんは終始ノリいいよね読んでて楽しい -- (名無しさん) 2016-10-23 20:45:54
  • 危険な食材に初挑戦した人って偉大だよなって思ったが危険な思いしたから食うんだよ!なスピリッツなんか -- (名無しさん) 2016-12-23 00:12:31
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最終更新:2016年10月21日 03:36