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【星の草】

 天からの恵み、という言葉がある。
 素直にその意味を捉えるなら天から降り注ぐ太陽の光と雨、そしてそれらによって生育するさまざまな動植物が糧となるという意味であるだろう。
 しかし、地球の神話や伝承には天から直接人の糧となる物が降ってきたというものもある。旧約聖書の一節『出エジプト記』にある約束の地を求めて荒涼たる大地をさまよい歩くイスラエルの民に天から与えられたマナと呼ばれる乳と蜜の味のするモノが最も有名だろう。
 そして、そうした神話や伝承は地球だけではなく異世界にも多数存在する。地球では神話や伝説にしかその姿を確認できない神が実際に時折その姿を顕現させ、奇跡を見せることもあるこの世界では、そうした伝説や伝承は過去に実際に起きた現象であろうと私は考えている。
 そして、現在進行形でそうした出来事が起きている土地が存在する。それがイストモスである。
 イストモスは異世界における既知世界の中でも広大な地域であるが、その半分は東イストモスと呼ばれその大部分は極端な乾季と雨季で構成された気候であり、そこに暮らす人々の多くは定住を諦め氏族や部族単位で家畜と共に遊牧する暮らしを古くから営んでいる。
 遊牧生活を続ける彼らは雨雲を追いかけるようにして家畜と共に氏族や部族単位で定められた順路を辿って東部イストモスを巡回する。乾燥した土地にひと時雨雲が発生し雨を降らせると、その雨の降った一帯はまるで別世界のように緑が芽吹き茶色に染まった世界の一角に緑色の世界が生み出され、そこを目指して大急ぎで彼らは足を速め、たどり着くと家畜を一帯に放して芽吹いたばかりの柔らかい若芽を食べさせる。
 乾きの大地である東部イストモスでは緑というものは東部に点在するオアシスの付近でしか滅多に見かけることはない、そこ以外でとなると気まぐれに生

まれた雨雲が雨を降らせた後か、夜空に流星の尾が走った後くらいだろう。
 さて、話を戻そう。イストモスでは今も天からの恵みという奇跡をこの目で見ることができる。それが夜空に流星の尾が走った後、流星が大地に落ちた後だ。

『地の子を見守る天に座する星神の慈愛に感謝いたします』

 この言葉は私が同行したアバトゥ氏族の古老の言葉である。彼は天に向かって両の手を広げて祈りの星句を捧げ、そして大地にその老いてもたくましさの衰えぬ四脚を跪かせて体全体で感謝を表現していたのが印象的だ。
 イストモスの乾いた大地に流星が落ちると、その一帯が不思議な光で浮かび上がる。そして瞬く間に乾いた大地に青々とした若草が芽吹く、これをこの地の人々は「星の草」と呼ぶ。
 星の草は家畜の餌となるだけではなくこの地の人々にとっても貴重な栄養源であり、薬ともなると言う。また星草は乾燥させてもその栄養価が損なわれることがなく星草の繁茂する場所に出会うと彼らは家畜に食べさせる傍らでこれらを収穫する。しかし、すべてを刈り取ることはなく、かならず半分程度はその場に残すのだという、彼らの信奉する星神は独占を望まない。神の望まぬことをすれば必ずその報いを受けると彼らは口にする。
 彼ら遊牧の民のそれぞれの遊牧ルートは古くから長から次の長へと脈々と受け継がれてきたものであるが、このルートを辿れば一巡する中で必ず一度は流星とめぐり合い星草の繁茂する場に立ち会うことができるのだと言う。
 東部イストモスの赤茶けた乾いた大地でたくましく家畜と共に生きる人々にとって星神の恩恵である星草との出会いは自分たち一族の命と家畜という財産を永らえさせてくれる掛け替えのない天からの恵みであるのだ。
 しかし、遊牧民たちがその長い遊牧の旅路の中でそう多く出会うことができないという星草、その星草が常に茂る場所、ラタという特別な場所がある。
 現在はラタ城砦市領と呼ばれ、地球と異世界をつなげるゲートのある場所として地球では有名だが、こちらの世界でのラタはそれとは別な意味で古くから有名である。
 ラタという地名はイストモスの歴史では比較的新しい呼び名であり、それ以前のこの土地はカルザン丘と呼ばれていた。イストモスの古語で『星が降る』という意味を持つこの場所は丘の周囲に星草が常に繁茂するという特殊な場所であった。
 星草は滋養のある食べ物であり、そして少々の怪我や病ならこの星草を煎じて飲んだりすり潰してその汁を傷口に塗れば快癒するという良質な薬の原材料となるものであり、それが労せず手に入るということで古くからいくつもの氏族がこの場所を独占しようと争いを繰り広げてきた場所である。
 カルゼン丘の周囲に星草が常にあると言っても、その場所は常に一定ではない、星草は流れ星が降ってから3日ほどで忽然とその姿を消す。そしてまたその晩に別の場所に流れ星が降ってくるという繰り返しである。

『カルゼン丘を我等の手に!星神の恵みは我等に与えられたものである!』

 この言葉は今から400年ほど昔、それまでの星草をめぐる争いの末、複数の氏族がそれぞれの場所を自分たちの縄張りとし、その近くに星草が現れればそのいくらかを優先的に自分たちの取り分とし、それ以外は近隣に縄張りを持つ士族に分配するという形で折り合いをつけていた関係を打ち破り、自分たちがそれらを全て独占する権利があると主張し、武力をもって他の氏族をカルゼン丘の周囲から追い出そうとした当時周辺でもっとも大きな氏族だったヘルデン氏族の長であり、氏族の戦士をまとめる大戦士であったグリースンの言葉である。
 ヘルデン氏族はカルゼン丘の東に広大な支配領地を持つ大きな氏族ではあったがカルゼン丘に縄張りをもっていない氏族であった。そして、折り悪く彼らの土地でヒトと家畜を死に至らしめる疫病が流行り、彼らはカルゼン丘の星草に救いを求め、そしてカルゼン丘で星草を得る氏族に拒絶されたのである。
 なぜヘルデン氏族が丘に縄張りを持つ氏族たちに拒絶されたかは諸説あるが、有力なのは同じくカルゼン丘周辺でも疫病が流行し、また旱魃も重なって星草をヘルデン氏族に分け与えることができなかったのではと言われている。しかし、どのような理由であれ拒絶がもたらしたのはヘルデン氏族の武力によるカルゼン丘への侵攻であり、これにカルゼン丘で星草を得る権利を持つ氏族達も彼らの中でもっとも大きなオルタイ氏族を旗頭として迎え撃つこととなり、カルゼン丘は大規模な戦場へと変貌したのである。
 カルゼン丘をめぐる争いはそれから20年間続いた。ヘルデン氏族とカルゼン丘の氏族連合の争いはやがて長らく沈静化していた東西イストモスどちらが星王イストモスの正統なる継承かという長年の争いまで再燃させ、東西イストモスを巻き込む戦いへと変貌し、カルゼン丘には多くの血が流れた。
かくしてカルゼン丘をめぐる争いに終止符が打たれるのはラタという名の一人の少女の出現を待たねばならなかった。

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最終更新:2018年05月26日 16:48