「白ノ郷のガイドブックみたいなものを作りたいのですが、よろしいですか?」
突拍子もない申し出であったが、里の最高意思決定者である長のハクテンは二つ返事で首を縦に振る。
驚く者もいれば、呆れ顔で溜め息をつく者もいる。当のハクテンというと、口の周りに泡を蓄え上機嫌である。
─── 事の起こりはその日の昼
異世界各地を春の一団が巡る時期でも寒風吹くドニーの空の頂に太陽神が昇る頃。
日向射す縁側、空の大徳利を抱えたまま仰向けに鼾をかいているのは、非対称長短の角を持つ白鬼人。
顔に吹き付けられる生暖かい風に違和感を感じたのか、ゆっくりと体を起こして瞼を開く。
「ハクテンさまおきたー」「ばばさま、もうおひるだよ」「おさけくさーい」
頭上から響く子供らの声の方を見上げると、子供達を乗せた屈強な青肌銀毛の六脚水馬が鼻穴を大小と開閉していた。
「なんじゃなんじゃ!」
「あ、起きられました?ハクテン様。お久しぶりです」
水馬の傍らに野菜籠を背負い立つ後ろおさげの人間、姫代。よく見ると水馬にも籠が提げられており、畑で収穫したであろう野菜が詰まっている。
「うむむ?…おぉ、ぬしは確か花見酒の時に来ておった人間の娘じゃな? んん?今日里に誰かが来るとは聞いとらんぞ?」
白鬼人の中でも特に異質であり強大な力を持つハクテンが座する里は苛烈な環境に囲まれた孤島にあり、そこに辿り着くにはドニーにて働いている里の出の鬼人にアポイントメントを取るなりして
島と里の周囲に張られた結界を抜けることが出来る特殊な船便に乗らなければいけないのだが…
「荒波と捻雨に濃霧の結界を船に乗らずに抜けてきたのか?」
「波も雨も霧も海を駆けていたら水精霊が案内してくれましたよ?」
「なん、じゃと。うーん、確かに一度里に来ておるからのぅ、危険視されてないのは分かるんじゃが…水精霊を多く使った結界は失敗じゃのう、セイメイ」
子持ちの女性で里の子らに教鞭を振るいながら、鬼人式術式と精霊加護など様々な要素を組み合わせた結界を模索し実行する結界衆の長、青鬼人セイメイ。
自然現象と巧みに取り入れた水結界が、旅行がてらに海上を進む馬と人にすぅーっと抜けられた事実は相当大きなショックだったようで、
学び舎の授業もほっぽり出してすぐさま緊急用の代替結界を張った後に結界衆屋敷に次の結界製作に籠ってしまったという。
「して、何用で来たのじゃ?大げぇと祭でもない今だと移動も手間じゃったろう」
「あっはい、それについてなのですが…」
姫代は語る。
今、日本ではコロナウイルスの発生により様々なことが規制や中止などを受け、バイト先であった居酒屋も無期限の休業に入ってしまった。
大学の授業も多くが中止となり学課履修は課題の提出などが主になったのだという。
そこで姫代が思いついたのが、隠れ里と言いながらネットの異世界噂界隈で有名な白ノ郷を取材しまとめ課題提出した上で冊子にして即売会で販売しようというものである。
「いやいや、隠れ里の内情を外に表す者とかおらんじゃろ」
「あくまで里の中だけで周囲や島の外には触れないということで。勿論、販売の売り上げの多くは里への贈答品に充てますが…どうでしょうか?」
「う~む、しかしのぅ、こんなことは前例も何もないからのぅ」
「あ、これ渡界フェリー乗り場で売ってる異世界向け土産の地球産酒類詰め合わせです。お納め下さい」
「許す」
即答したハクテンは目にも止まらぬ速さで包みを開き最初の一本に缶ビールをあけてぐびっと一献。
「白ノ郷のガイドブックみたいなものを作りたいのですが、よろしいですか?つきましては里の皆様にも少しばかり協力をしてもらいたいな、と」
「あわわあわあわ。うむ、好きにせぃ!」
かくして里の住民を巻き込んでの里の紹介・案内を作ることになったのであった。
- 善き -- (名無しさん) 2020-06-01 11:50:25
最終更新:2020年05月27日 01:17