【CRUEL】

 ――どうして島は浮いているのか。
 幼い頃、父にそう問うたことが、私の乗るべき気流を定めたように思う。
 ――ハピカトル様のご加護だ。
 そんな切り口上で話を終わらせようとした父に、私は執拗に追いすがった。なぜ島を浮かべてくれるのか、具体的にはどのような加護で浮いているのか、風精がモノを浮き上がらせるのと具体的には何が違うのか、云々。
 他愛のない子供の繰言と何も違わない。あるいは、あまりに鬱陶しかった私に父が腹を立て、すこしばかりお灸をすえるつもりだったのかもしれない。理由はとにかくとして、あるとき父は聞き流すことをやめ、私を神官の元へ連れて行くと言い出した。どうして神官に会わねばならないのかと駄々をこねたことを覚えている。分からないからはぐらかそうとしているのかとなじる私に拳骨をくれたあと、父は半ば強制的に、私を神官の住まう寺社へと引きずっていった。
 年老いた鷹人の神官は両目ともが潰れていた。引き合わされておびえる私に向かってしわくちゃの手を伸ばし、ひとしきり撫で回すと父を呼び寄せた。何事か囁かれた父は驚き、私に恐れと悲しみの混ざった視線を向けた。神官が兵士を呼び寄せ、父はそのまま兵士に引きずられるようにして姿を消した。それが父との別れとなった。
 私が涙ながらにどういうことかと問い詰めると、老神官は物も言わず私を打ち据えた。悲鳴を上げて頭を庇うと、老神官は兵士から杖を受け取り、露出した腹や脚を執拗に打ちつづけた。今まで受けたことのない激しい暴力の嵐に、私は痛みよりも先に深い困惑を覚えていた。
 しばらくすると殴打は止んだ。恐る恐る盗み見た老神官の顔は、予想したものと違っていた。老神官の顔には何の感情も浮かんでいなかった。
 ――なぜこんな目にあわされるとおもう?
 何も分からず震える私に、老神官はそう問いかけた。分からなかった。言葉に詰まっていると、老神官は自ら手を貸して助け起こしてくれた。
 ――いずれ分かるようになればよいがな。
 老神官の言葉は、幼い私には理解できない感情が満ちていた。今にして思えば、それは怒りと絶望であったと思う。


 その日から、私は神官たちによって教育を受けることになった。
 教育と言っても、ただひたすら雑用係として追い使われていただけだった。神官たちはことあるごとに私を棒で打った。打たれる理由が明かされることはほとんどなく、はじめのうちはとにかく神官たちの姿を目に止まらぬよう振舞っていた。だがそれも限界があり、やがて私は隠れることをやめ、打たれている間はただ何も考えぬことを覚えた。理不尽極まりない暴力に対して、幼い子供が出来ることなど何もないと思ったからだった。
 それからしばらくすると、神官たちは私を打つのを止めた。
 打つのを止めたその次の日に、私は生贄としてハピカトル様にささげられることになった。
 生贄の儀式でナイフを執ることになったのは、父と訪れたときに会った老神官だった。あれから三年の月日が経っていた。老神官は脚が萎え、羽も抜け落ち、生きていることが不思議なほど老いさばらえていた。老神官が震える手でナイフを握り、もう片方の手で心臓の位置を探している間、私の心は杖で打たれていたときと同じように空っぽになっていた。ナイフが肉を切り裂いたときも、心臓が高々と差し上げられてから投げ捨てられたときも、まるで他人事のようにしか感じられなくなっていた。意識が途切れる瞬間に轟音が聞こえたが、その正体を確かめる暇も、そうしようという意思もなかった。


 死ぬ直前まで完全に無感動になっていた私も、再び目を開くことができたときはさすがに驚いた。胸を見下ろすとそこには穴が開いており、乾いた血がこびりついた胸郭はどこまでも虚ろだった。
 そして穴の向こうにひろがる青空には、ハピカトルがいた。
 暴風が荒れ狂っていた。打ち付ける烈風は容赦なく私の体を振り回し、走る紫電がそばを掠めて羽を焦がした。だがそれ以上のことはなかった。落ちることもなかった。私はただその場にあって、嵐の神に見据えられていた。神の存在感に縫いとめられて、私は息をすることもできなかった。
 呆然としていると、視界の隅を何かがよぎった。どこか見覚えのある、懐かしい何かだった。それが私の住んでいた浮島の、見る影もなくなった残骸だと知ったとき、私ははじめて声を上げた。島はまるで巨人の腕にでも叩き潰されたかのようにひしゃげ、粉々になって落下していた。私を打ち据えつづけた神官たちも、別れた家族も、名も顔も知らぬ人々も、そこに暮らしていたものは誰も生き残っていなかった。
 そこには何の意志も感じられなかった。島はただ破壊されていた。
 私の心を塗りこめていた無関心の殻に、その時初めてひびが入った。
 私は慟哭した。自分の胸に腕を差込み、まだ残っていた中身を引きずり出して投げ捨てた。血と粘液に塗れた腕を突き上げて、生贄ならここにいると声を限りにして叫んだ。怒りが私を支配していた。生贄とは神の暴威をなだめるためのものではなかったのか。ならば神はそれを受け取るべきではないのか。島は何故死ななくてはならなかったのか。我らが何をしたというのか。何をすべきだったというのか。なぜだ、なぜだ、なぜだ。
 耳をつんざく雷鳴にかき消されぬよう、はるか彼方でぼんやりと漂う神の目に留まるよう、私は全身全霊で怒りをぶちまけ続けた。この世の終わりまででもそうしていられただろう。だがハピカトルは何の予兆もなく不意に姿を消し、同時に私の意識も暗転した。


 私を発見したのは、住んでいた島からはるかはなれたところにある島の猟師だった。小さな浮き岩に引っかかっていた私の体を見つけた猟師はそのままわたしを村へと運び、目を覚ました私は、こちらをのぞきこんでいた村人たちをだれかれとなく打ち据えた。ひとのよさそうな村人たちはおびえ、ただひたすら平伏した。最前で震える老婦の頭を蹴飛ばし、血を流して震える相手に静かに問いかけた。
 ――なぜこんな目にあわされると思う?
 答えはなかった。さらなる暴力を加えようとしていた私を、どこからともなく現れた鴉人の二人組みが制した。
 彼らは《メッセンジャー》だった。私と同じように、ハピカトルにまみえて、しかも生き延びたものたちだ。


 彼らに伴われて、私は大図書館を訪れた。怒りの収まらぬ私に、《メッセンジャー》たちは本を与えた。怒りは質量を保ったまま好奇心へと変わった。虚ろになって餓える心を埋めるために、ひたすらハピカトルの記録を調べ続けた。いくつもの事実をつなぎ合わせ、仮説を立ててハピカトルの行動を理解しようとした。どんな些細な事柄も無関係とは思えなかった。ハピカトルが撒き散らす理不尽な破壊の記録は私の心に何層にもわたって積み重なり、目を閉じれば精密にイメージできるほどになった。大図書館の静寂の中で、私の耳は嘆きと恨みとを聞き取っていた。
 陰鬱な記録に心を浸しつづけたある日、理解が閃いた。
 しばらくして訪れた《メッセンジャー》たちに、私は自らの予測するハピカトルの進路を語った。《メッセンジャー》たちはただ黙って私の話を聞いていた。一週間ほどたってから、《メッセンジャー》たちは戻ってきた。予想が外れたという知らせを携えていた。私は彼らを殺した。


 何が足りないのか。その答えを求めて、私はさらに史料に没頭した。明快な真理に思われた結論をひねり出しても、すぐさま見つかる反例によって否定された。まるですべての予想される理論に対して、反証する事実があらかじめ用意されているかのようだった。出口の見つからない迷宮は無限に枝分かれし、その全てが悪質などん詰まりにつながっていた。私は苦し紛れにその場しのぎの理論を連発し、定期的に訪れる《メッセンジャー》たちに披露した。《メッセンジャー》たちは私の予想を外に持ち帰り、戻ってきては間違いだったと告げた。
 手詰まりだった。自らの敗北を受け入れたつもりになり、それでも諦められずにのたうちまわり、無力感に苛まれながらも問いかけずにはいられなかった。どだい楽になる方法などないのだ。本質からは逃げられないのだ。島の浮かぶ空に疑問を抱いてしまったあの時の私から何一つ変わることもできず、全てに背を向けて死という終わりに逃げ込むことも許されない。もがくしかないのだ。
 狂気に身をゆだねるという選択肢もあっただろう。そうすれば楽になれただろう。だが出来なかった。狂気には理由がない。因果関係がない。わけもなく撒き散らされる混沌とは、つまり私の憎むハピカトルそのものだ。


 どれほどの月日が過ぎたのか分からなくなった頃、私は史料を読むことを止めた。その代わりに、史料を作り出すようになったのだ。はじめのうちは既存の切り貼りだった。だがやがて、それでは満足できなくなった。曖昧で一面的な記録も、互いに付き合わせれば別の事実が浮かび上がる。没頭した。狂喜した。心酔した。史料を透かしてみる世界はとても美しかった。何もかもが筋の通った秩序の中にあった。なるほどハピカトルだけは理不尽そのものだ。だがその周囲では理が生きているではないか。平面を塗りつぶす事で浮かび上がる輪郭があるように、この世の全てを理解すればハピカトルすらも理解できるのではないだろうか。そんな希望が、温度をなくした心をわずかに暖めた。
 私はただ真理を求めつづけた。
 そうして長い月日をかけて、ようやく真理にたどり着いた。
 真理などなかったのだ、という真理に。


 国を出ることはいともたやすかった。私の体はすでに腐り落ちて消え去っていた。ただ意識だけが、風に巻き上げられた埃のように空を渡っていた。誰にも見咎められることなく地上に降り、影と闇とを伝って音もなく歩んだ。
 目指すのはラ・ムール。熱砂と太陽の支配する地だ。
 大図書館で目にした資料によれば、かつて彼の地では、神を殺すための剣が振るわれたことがあるという。単なる神話に過ぎないかもしれない。だが試す価値はある。どのみち、私には失うような時間さえ奪われている。
 理不尽の体現たるハピカトルを剣などで断つことができるだろうか? できるだろう。できなくてはならないのだ。「何故? どうして?」と問うことが出来ない神など存在してはならないのだ。
 それこそが正しい世界のあり方というものではないか?



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  • 理不尽~という感想で興味を持って読んでみたのですが 冒頭から漂うサイレントホラーのようなおどろおどろしさに背筋がゾゾっとなる場面多し! -- (名無しさん) 2012-06-08 01:11:52
  • 聖騎士シリーズという冠SSに目が行きがちな新天地だけれど、オルニトを見直すことで新たな一面が見えてくるんじゃないか?と考え、オルニトの始まり(オルニトのイメージを確固たるものにしたという意味で)の一本を振り返る。作品としての狂い方からオルニト神官たちの狂気がひしひしと伝わる。ハピカトルの真理を求めた神官が、自ら偽りの真理(本当に偽りなのかさえもわからない)を作り出し、最後に到達した真理とは・・・。いやー、やっぱりこのSS面白いわ。 -- (名無しさん) 2013-02-14 19:51:51
  • 生贄をもって神を祭った文明は理解できない面や不条理があったりしますがこの話の中でもそれらを感じました。生贄とハピカトルの邂逅も壮大な混沌の中で神としての姿を感じました。超越した者になった後の行動にはそれなりの理由があったようですが全ての根元には島を家族を墜落させたハピカトルへの強い憎悪があったのではとラ・ムールへ向かう風で自分なりに確信しました -- (名無しさん) 2013-06-19 17:54:46
  • 初めて読んだ。作品と作者に底知れない凄みを感じた。 -- (名無しさん) 2017-06-01 21:16:32
  • 流されて受け入れて風になって -- (名無しさん) 2017-06-01 23:00:37
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最終更新:2013年03月30日 13:10