「全員そこから動くな!」
手狭なライヴ会場に、胡乱な男の声が響いた。
決して、ライヴを盛り上げるために発せられた言葉ではない。そもそもライヴは始まってもいないのだ。
声の主は志村 一賢。無職(35)である。
彼を知る人は、物足りないが普通の人である。と口を揃えて語るであろう。
だが、彼は常にコンプレックスに苛まれていた。人は大なり小なりそういう物を抱えているものではある。ところが、その対象が些か特異であった。
コンプレックスの対象は異世界である。
世界にコンプレックスとは少々遠大のようだが、それほど複雑なものではない。
かつて彼は単に異世界に呼ばれて勇者などの主人公になるような事を夢想する少年であった。そしてまさに思春期真っ盛りの時、
ゲートは開いた。彼は歓喜した。
きっと俺も異世界でギャギィーン、ズギャギャ! うふ~んウハウハ。な人生が送れるに違いない! まだ見ぬ異世界の恋人たちよ! 待っていてくれ! おいおいソフィア~、ダメだよそんなところ~……
などとつらつら思い、
無職(35)
ゆっくりした結果がこのざまだよ!
反動である。
彼を突き動かすものは反動なのである。
逆噴射ともいうが、可愛さ余って憎さ百倍。これだけ異世界へ恋焦がれていたのに、裏切られた! と勝手に岡惚れして、勝手に妬んでいるだけのさもしい男である。
これ以上、彼を言及してもなんかこっちの胸が痛くなるような気がするのでそろそろこのあたりはそっとして置こう。
とにかく、彼は情念に突き動かされ、トライアングルビーターの一団を率いてライヴ会場を占拠したのだ。
右手には銃。左手には爆弾。
型にハマった強襲スタイルである。
実際のところ会場にはウーススやアニー、シテと直接戦闘にむいたものが多くいる。しかし、ビーターの狙いは肉の壁である。
腕に覚えがある異世界人でも、地球人がまぎれたライヴ会場では存分に力が振るえない事を見越しているのだ。人類至上主義を掲げながら、人類を盾にする。
下劣という他ないが、効果はある。
シテやアニーは同行者を気にかけて行動を起こせない。
ウーススとて役人である以上、無関係な人たちを巻き込むわけにはいかない。
事態は硬直するかに思われた。
ジャジャジャイインとギターがかき鳴らされる。
「へーい! みんなぁ。彼らだってライヴチケット購入してくれてるんだ。歓迎しようぜ」
ポツンと舞台の上に現れた沢村が、マイクをつかってそう会場に呼びかけた。
わずかであるが、会場の……特にビーターたちの注意が沢村へと一瞬向けられた。
この隙に動けるものは動いた。
確実に数人の異世界人がポジションを取る中……。
「あーはっはっはっはっ! 愚かなり人間共よ!」
会場の人たちは天井を仰いだ。
パンツ丸見えでサーベルを抜き放ったアニーが、照明器具の点検橋に乗って高笑いを上げていた。
「たかが豆鉄砲でこのアニー様を討ち取ろうなどと笑止千万! 全員、このサーベルの錆びにして差し上げるわ! そこになおれ!」
何とも勇ましい事だが、殺したら大問題である。
「必殺ジェノサ……」
ビリッ! 「アギャ!」 バツン!
アニーのサーベルが照明のケーブルを断ち切り、会場は暗闇に包まれた。
こうなると夜目や他の感覚器官の効く異世界人の独壇場である。
「ど、どうする!」「何も見えないぞ!」「志村! うしろー!」「う、撃て、誰に当たっても構わん」
時折銃声が聞こえるが、あちこちでビーターの悲鳴が上がる。沢村が一瞬の隙をつくり、そのあと想定されないが効果的に暗闇を作り出したアニーの功績だ。
照明に明かりが灯ると、十数人いたビーターたちは全て取り押さえられていた。ウーススなどは毛皮に食い込んだ銃弾を手で払っている。
ディリゲントは足元で燻るアニーに声をかけた。
「なかなか既知に富んだ陽動だったぞ」
「……あんた、力つかったでしょ」
「買いかぶるな。貴卿と人間の争いに私が介在してないのに、力を挟み込むことなど出来んよ。キミの実力だ」
「ガク……」
ショックを受けたらしい。項垂れるアニーの元へと、コロコロと爆弾が転がってきた。
「こうなったら全員巻き込んでやる! こんなこともあろうかと起爆装置は口の中だ!」
壁に取り押さえられていた志村が、やけくそ気味に叫んだ。
轟音が一つ。
立ちこもる煙の中、よろめく人影たち。
アニーとディリゲントの近くにいた誰もがアフロヘアとなり、口からケホッと煙を吐く。
「ダメダコリャ……。ふ、一度行ってみたかったんだよ」
「最悪……。ほんとあんたが絡むとろくな事ないわ」
しかし、その不協和音男爵の力があったからこそ、最悪の事態を避けることが出来たのだ。なんとも便利な力である。
地球人も彼の力の恩恵を受け、見るも残念な姿となっているが、見るも無残な姿になるよりは遥かにマシに違いない。感謝はすれ、アニーの様に悪態をつくような事ではない。
アニーとて分かっているのだ。誰のおかげで自分が助かったかを。だが、相手が相手なだけに素直に感謝など出来ない。これは彼女の矜持といえる。貴族ならば致し方ない事だ。
「あー、こりゃ今日のライヴは中止だなぁ」
控え室から出てきたメガネの男は、携帯電話で警察へと連絡を始めた。
ACCTVのヤマダである。
彼はライヴ会場の運営者と友人であり、それもあって取材とライヴの手伝いをしていたのだ。
不協和音男爵の力によって、緊張感から開放されたライヴの客たちは、一斉にトイレや階上のレストランへと移動し始めた。
アニーの近くにいた者はもちろん、離れたところにいた人たちも衣服が汚れ乱れているのだ。
トイレで顔くらい洗いたいのだろう。
あとは警察を待つだけ。そんな時、階上でやけに気の抜けた炸裂音が響いた。
誰もがまだ襲撃者がいたのかと驚いたが、音はそれだけであった。何事もなかったのかと思い始めた頃、一人の男子学生がライヴ会場へ飛び込んできた。
「た、大変だ! シ、シテさん! シテさんはいますか!」
盗撮総督その人である。
「い、いかがした? そなたは?」
「自分のことなどいいのです! あなたの妹さんが攫われました!」
続く言葉にシテは唇を噛み締める。
「六義の奴だ! あいつはとんでもない奴だ! セリオツちゃんを守ろうとした蜂人を……バラバラにして……」
総督はメガネを外して、土下座をすると床に頭を叩きつけた。
「じ、自分は何もせずに六義の奴を見送りました! な、にもしませんでした! すみません! すみません! 声の一つも挙げられませんでした! 本当にすみません!」
シテは巨体をよろめかせた。
やはり、奴はそうだったのだ。
六義は血と武器を纏う男だったのだ。
- トライアングルビーターの人選は理に叶っているような叶っていないような微妙なラインで特に成功例を見ないことには彼らの謎の資金源についての謎は深まるばかり。動くべき者が動いて一件落着と思ったらついに動きましたね -- (名無しさん) 2013-08-04 19:26:38
最終更新:2013年08月05日 00:12