クルスベルグからグーテンターク
ドイツ新聞Berliner Morgenpost
クルスベルグ駐在記者 ヨハン・ゲーレン発
第2回 『クルスベルグってどんなとこ?こんなとこ2』
皆さんこんにちは。
今回は前回に引き続いてクルスベルグの簡単な歴史についてお話しようと思います。
前回、現在のクルスベルグは限定的な議会制民主主義だと紹介しましたが、かつてのクルスベルグは絶対王政が敷かれていました。
その時代のクルスベルグは神聖クルスベルグ帝国と呼ばれ、冠王と呼ばれる皇帝が絶対的な権力を持つ時代が長く続いてきました。
しかし、長過ぎた支配はやがて政治の腐敗や人心の荒廃を招き、ついには民衆の蜂起が起こりました。
現在クルスベルグの国のシンボルとなっている王冠を砕く金槌の意匠は、その時蜂起した革命軍のシンボルがそのまま国旗となったものです。
民衆を武力を用い弾圧する帝国に、数と力で劣る革命軍は次第に追い詰められ、現在ではクルスベルグの議会が置かれているアインヘフベルグでの最後の抵抗に臨みました。
その時の革命軍と帝国軍の戦力比は1対100とも1対1000とも言われていますが、どちらにしても絶望的な戦いでした。
そんな絶望的な戦いに革命軍を奇跡的な勝利を収め、そこから反転攻勢をしかけていきます。
革命軍の奇跡的な勝利とその後の快進撃はクルスベルグ全土に響き、各地で賛同する有志達が立ち上がったことで、長き皇帝による支配は終止符が打たれることとなりました。
その後クルスベルグは
ドワーフや
ノームの職人達を中心とした互選によって各街の代表者が選ばれ、革命軍奇跡の大勝利の舞台であり革命の聖地となったアインヘフベルグで開かれるクルスベルグ中央議会で代表者たちが民主的な手続きのもとで政治を動かすという形となりました。
地球の先進諸国の民主主義と比較すればまだまだ幼いと思える部分も多いですが、王政が圧倒的多数を占める
異世界国家の中ではクルスベルグは先進的な政治システムの国家と言えると思います。
とまぁ、ここまで少し固めな話をしましたが、前回が思いのほか好評だったようで編集長から『しばらく続けてもいいぞ』とのお許しをいただきました。
なので次回はクルスベルグの住宅事情についてお話してみようかと考えています。
それではみなさんまた次回
Berliner Morgenpost ネット配信版 20011年7月2日号より
- タイタン関連をすっきりまとめていてクルスベルグに住む人々に生きるという強い意思があったのを感じました。バックナンバー記事というのも面白い演出です -- (名無しさん) 2013-09-16 17:52:14
最終更新:2014年04月02日 13:35