ウースス・アスカーニエン・賈荘は役人である。
熊人であり彼は鼻が良く効くため、失せ物の捜索や調査に駆り出される事が多い。
だからライブ会場から出ようとする地球人の男が引くトランクケースの中から、鬼族の匂いを察知したときには思わず声をかけてしまった。
「すまねーが、そいつの中身はないでい?」と、役人気質から詰問してしまう。
それが良かったのか悪かったのか分からないが、異世界人拉致事件が大幅に進展するきっかけであったことは間違いない。
地球人の男は懐から銃を取り出し、ウーススの顔面へと向ける。咄嗟にウーススはそれを打ち払い、男の腕を捻り上げて床に打ち付けた。銃は幸い暴発せず、床へと転がりマヌなんとかが回収する。
ドミヌラはすかさずトランクケースの鍵を壊して中身を確認した。
≪正解。鬼族の女児だ≫
トランクケースに納められていた鬼族の少女を抱き起こそうとしたが、少し重いのでドミヌラは前肢と中肢の四つを伸ばした。
カシャンカシャン……。
動作音とともに輪ゴムが飛来し、ドミヌラの前肢が吹き飛んだ。ドミヌラは直撃した輪ゴムと脱落した前肢を見下ろす。冷気と僅かに蒸気のような気体が白く広がった。
突如の事で冷静なドミヌラも判断を迷い、襲撃者捜索のため身を止めてしまった。
「ばーろう! 止まるんじゃねぇ」
ウーススは男を解放して素早く襲撃者とドミヌラの間に割って入った。ウーススの身体に輪ゴムが命中し、やはり冷気と白い気体が煙のように立ち上る。
「ぐ……。なんでい、こいつは?」
単に輪ゴムが当たったとは思えない痛み。
まるで冷たい針が突き刺さり、身体の中で砕ける感覚。毛皮と脂肪が厚いウーススでなければ、内臓や腹膜に傷が達したことだろう。
ライブ会場の入口に、栗毛色の髪をした地球人の少年が立っていた。
彼が輪ゴムを放った襲撃者である。
取り押さえられながらも逃れた男は、腕を庇いながら少年の背後に回り二言三言何かを伝えて会場外に引き下がる。
無言で少年はウーススを見据えると、右手の肘を曲げて向けてきた。ウーススは攻撃がくると思い、ドミヌラと鬼族の少女を庇うため、その場に踏み止まる。「次の攻撃は痛ーんだろうな」と思いながらウーススは踏ん張った。
だが今度はドミヌラが割って入った。
少年の腕で連続した作動音が鳴り響く。次の瞬間、ドミヌラの身体が白い蒸気と共に爆散した。
ウーススは役人である。
有事に状況判断を確実に行える軍人や武人ではない。
だが、襲撃者である少年は荒事に慣れた様子であった。狼狽するウーススの脇をすり抜け、鬼族の少女が収まったままのトランクケースを奪うとライブ会場正面玄関へ突き転がした。
トランクケースのキャスターがガラガラと鳴り響き、会場を飛び出して先ほどの男が回収してしまう。そのまま止めてあった車に積み込むと、男は早くこいと少年に顎で指示した。
少年は両手から輪ゴムを打ち出しながらウーススを牽制しつつ、会場外へと撤退していってしまった。
武人ではないウーススからすると、あっというまの出来事であった。
まったく対応ができなかった。
自慢の毛皮は穴だらけ。ドミヌラの胸部から下は四散して文字通り虫の息。
「ちくしょう、なんてこった!」
ドミヌラの頭を抱え上げ、ウーススは咆哮を上げた。
熊と蜂は相容れない。
「なんで蜂公のテメーが俺っちなんざを庇う! なんのつもりでなんて様だ! この蜂公!」
蜂人のドミヌラは少々の事で死ぬことはない。即死は間逃れはいるが、そう長くないことは分かる。
≪私には代えがある。だが君にはない。それだけの話だ≫
盗撮総督こと、土佐宗徳は事がここにいたって腹を据えた。
シテに一頻り誤ると、生まれ変わったような眼で携帯電話を操作して四方八方に手を尽くす。
まず今林 六義のストーカーである人物に連絡を取り、彼が京都付近で出入りしてる施設を聞き出す。続いて京都にいるネットの友人たちに総当たりで連絡をし協力を取り付ける。
変態コミュニティの人たちだが、一大事であることを理解して一気に協力者たちが方々に連絡を取り合いすぐさま多くの情報が集まり始めた。
「行きましょう。シテさん。このままだと警察が来て全員足止めされます。私は対した戦力になりませんが、セリオツさんを助けるなら今、動かないといけません」
シテは答えない。
無言で鉄扇を握りしめ歯を食いしばる。
その横顔を見上げながら武井 リリも責任を感じていた。彼女はトライアングルビーターの襲撃で過呼吸を起こし、シテに介抱されていた。そのせいでセリオツからシテの注意が逸れてしまい、結果さらわれてしまったのだと。
「お願いです。誰かセリオツさんを助けるためシテさんに協力してください!」
リリは周囲の異世界人に頼み込む。
顔を見合わせる人たちが多いなか、意外にも快諾する声があった。
「よし、このアニー様に任せなさい」
「おいおい、待て待て。私たち異世界人が騒ぎを起こしたらことだぞ。まして法的根拠の無い襲撃だ。強制送還後に
スラヴィアでどんな罰を喰らうか想像もできんぞ? 比較的良好な関係である日本政府側との軋轢だって生まれる」
アニーは快諾して一歩前に出たが、渋い顔のディリゲントが肩を掴んで止める。
他の異世界人たちも、それぞれ思いも表情もまちまちだが協力を申し出ようという雰囲気ではない。
シテも無理を言える状況ではなかった。一個人の妹の為に立場も命も危うくしてくれなどとは言えない。
「お、お願いです! セリオツちゃんを助けて上げてください」
微妙な立場のシテに代わり、リリが弱い懇願の声を上げる。
それを見た宗徳も、再び土下座をして頼み込んだ。
「隠れていた私がいうことではありませんが、力を貸してください。かつて、わが校にいた伝説の彼はセンター試験当日に急病の人を抱えて言いました。『どこかの誰かの命とこれからの自分の人生を心の中の天秤にかけてみろ。どっちに傾いた? 俺はどこかの誰かの命に傾いた』と……。独善的で頭の悪い理論だと思います。でも、今俺の心の天秤もセリオツさんの命に傾いてます!」
それを見たディリゲントは両肩の力を抜いて一息ついた。
「理屈と理屈を屁理屈の秤にかけるか。面白い思考方法だな。ふむ。まあいいだろう。どうせ死んでる身だ。仮にあの気まぐれな神の不況を買い、力を奪われたとしても死人に戻るだけの話だしな」
水を向けるようにディリゲントは異世界人を見渡した。
ぼつぼつと協力を申し出てる者が表れ始める。だがその士気は高く、仕方なくといった様子はない。
「わらわは妹を救いに行く。誰にも頼まぬ。だが拒まぬ。礼の一つを言うのが関の山。それでもよいか? 皆の衆」
「いいにきまってるではないか! 力ありながら黙って見送ってはスラヴィアンの恥!」
アニーは元気良く従いて参れとサーベルを振り上げた。
「あー、じゃあ警察には適当に言っておくよ。それとロケバスを一台出す。全員乗れるだろ」
山田は呆れ顔で協力を申し出る。
「感謝する。えーと……そなたは?」
シテは山田に礼を言おうとして名を訪ねた。
「山田」
「山田殿感謝する」
シテとアニーは先陣をきってライブ会場を後にした。
立ち去った有志たちを見送り、沢村はボベボベとギターの調子を確かめながら、
「ヤマダって、そんな恥ずかしい事マジで言ったの?」
「俺そんな事言ったかなぁ……。言ったなぁ……」
山田 総一郎。彼こそ10年前、十津那学園で幾多の伝説を築き上げた青年である。
残念ながら変態ではあるが。
玄関ホールでウーススと合流し、情報を交換しあいシテたちはロケバスに乗り込んだ。
ウーススたちはもともと行方不明者の情報を集めるためこの世界に来ている。救出作戦は予想外だが、犯人たちの居場所に乗り込むというならそれも一つの手だと同行を申し出た。
ドミヌラは頭部と胸部の一部だけという姿になりながら、ウーススに抱きかかえられてシテたちに助言を告げる。
総勢二十名の異世界人混合チームは、蜂人の最後の言葉に耳を傾ける。
≪あの地球人は高圧で固めた二酸化炭素を射出している。おそらくアモルファス・カーボニアと呼ばれる物質だ≫
虫人たちは擦過音で会話するため、腹や胸部の一部を失っても支障無く会話できる。しかし、それが今となっては体力を奪う。
二酸化炭素と言われてもウーススは分からない。
「ドライアイスですか? 脆いと思いますけど?」
マヌなんとかが小首を傾げる。
≪アモルファス・カーボニアは二酸化炭素を高気圧で固めた通常では存在しない物質だ。一気圧では自然に砕ける性質がある。十分に距離を取れば崩壊するので危険性は低くなる。だが有効射程内では進行方向から崩れていくため、角が取れて先鋭化する。鋭く硬い針だ。気をつけろ≫
「なるほど。ビーターたちの殺害現場から凶器が見つからなかった理由は気体となってしまうからですか」
マヌなんとかは眠い人が船を漕ぐような仕草でうなづいて見せる。
≪肘から放たれた攻撃は質量の大きいアモルファス・カーボニアの発射初速を高めたものだと考えられる。恐らく一発限りの大砲だ。しかし砕ける性質は変わらない。適当な物質を盾にすれば問題はない≫
適当な物質……。自らを盾としたドミヌラが言うと寒気すら感じる。
ドミヌラは主にウーススに対していくつもの助言を告げる。黙って聞くウーススの肩には覇気がない。
一通りの助言を告げるとドミヌラの放つ声のトーンががらりと変わる。
≪残念な事はこれらの情報やウースス……、君がいかに良い熊人であるかを仲間と共有できないことだ。願わくば我が同胞たちとも良しなに付き合って欲しい≫
ウーススは何も答えない。代わりに唸り声と歯ぎしりを立てる。
≪また我が同胞の一人として会おう。ウースス≫
「……死ぬまえにやたらと饒舌じゃぁねぃか。まったく蜂公はウンチクが好きな奴らだ」
蜂人を抱きかかえながら、ウーススは減らず口を叩く。
≪そういう君は子供の前では、ふ゜ーさんそのものだな≫
ふとドミヌラの複眼が放つ光彩が弱まる。角膜生成層が活動を止めた印しだ。
「死ぬ前に冗談いうなんざぁ、百年早ぇぞ……この蜂公が……」
≪……ナードが途切れる……。声が……≫
胸部の気門が狭まりドミヌラの呼吸が弱まる。体液圧を調整する体節間膜が失われたドミヌラの意識はゆっくりと失われていく。
苦しむ様子が無いのがせめての救いだが、長く生きながらえる姿はウーススにひどく堪える。
「とっととくたばり……やがれってんだ! この蜂公が!」
思わず心にも無いこと口走り、ウーススは苛立ちの咆哮を一つ上げた。
「これだから虫野郎どもは気に入らねぇ! まったくのこっちの気持ちを分かってる様子がねぇ! 畜生! こっちもてめーらのことが分からねーぞ! こら! 聞いてんのか!」
ドミヌラの反応はない。
亡骸を抱えたまま、ウーススは誰に向けるともない唸り声を上げた。
「あのガキ……。ただじゃおかねぇぞ……」
ウーススはドミヌラの形見を握りしめて決意する。
地球人を一人、殺すと。
- 攻撃を受けたのが蜂人だということでクッションはありますけど命の取り合いに覚悟を持った者同士の中にシテとその他大勢が近づいていくのがちょっと怖くなってきました。ウーススとの決着の行方も気になります -- (名無しさん) 2013-09-23 17:47:48
最終更新:2013年09月23日 17:40