【塞王】

 大延国で塀を立てようとすれば、それはちょっとした騒ぎになる。
 まず、役所に届出が必要である。届けぬまま工事に掛かれば、かかわったものたちには重大な刑罰が待っている。その罪は殺人に匹敵するものとみなされている。といっても、罪になるのはある程度手の掛かった塀に限られる。竹で編んだ柵や、土地の境を示す簡素な土塀などは含まれない。石やレンガを積み上げて漆喰を塗ったもののみが、大延国の法における塀であり、そうでないものは見逃される。
 届出が行われると、役所は審査を行う。
 そもそも塀を立てるのは、それなりに財力のあるものに限られる。手間と暇を掛けて、塀を維持していけるかどうかが、審査における焦点となる。施工主の財力や人間性なども評価の対象となり、だから塀を許可されるということは、お上に信頼できる人間だと認められることを意味する。だから貴族や豪農、大商人など、上流階級を持って自任するものたちは、みな競って塀を立てたがる。審査が下るまでにはさまざまな手管が駆使されることもあるが、ここでは触れない。
 審査が通ると、施工主は二方面に声を掛ける。一方は、塀の建築を行う職人たちであり、もう一方は学者である。
 良い塀は施工主の名誉であり、世代を超えて語り継がれるたからである。だから、建築を手がける職人たちは下へも置かれぬ扱いを受けることになる。道具や材料はもちろん、豪勢な食事を用意し、居心地のよい寝所もあつらえ、もちろん金も惜しまない。塀の工事を行うために工房を建ててしまうことすらあるほどだ。また塀というものは、およそ土地の境に立てられるものであるから、その境を隔てた相手への配慮も欠かせない。土地に踏み入り、工事の許しを得るため、施工主は大いに心を砕かねばならない。こうした配慮はほとんどの場合贈り物によって表され、だからひとたび塀が立てば、周囲も大いに潤うものとされている。大金を得た周囲の地主や職人たちが金をばら撒くため、工事期間中は周囲がお祭り騒ぎのようになることもまれではない。
 こうして大騒ぎしながら工事が進むその裏では、学者たちが頭をひねっている。考えるのは、塀の名である。
 名を持たぬ塀は塀でない。よい名を持たぬ塀は、よい塀でない。大延国において真名と、それをあらわす躍字は特別な意味をもつものだが、それは人に限った話ではない。塀もまた真名を持っている。むしろ、塀に限って必ず持たなくてはならないとされているのである。先に述べた塀建築における規定の中には、名づけることが必須であると書かれている。故に学者は知恵を絞り、これから立てられる塀にふさわしい名前をつけようとする。怠れば厳罰、成し遂げれば大金の謝礼が待っているものであるから、学者は励み、ついにはこれぞという名をしぼりだす。
 その頃には工事もあらかた終わり、漆喰も乾ききっている。施工主はお披露目のために大宴を催し、貴顕を招待して塀の完成を祝い、できばえを誇示する。その席における圧巻となるのは、塀に対する官位の授与式典である。そう、大延国の塀は法的な地位を与えられるのだ。身分を保証された塀は施工主を保証人として二つの任務を与えられる。一つは自らが囲う土地の守護、そしてもう一つは、『塞王』のもとで大延国そのものを防衛することである。
 さて、『塞王』という言葉が出てきた。これこそは、これまで述べてきた大延国における奇妙といってよい風習の根幹を成すものである。官位を与えられ、手間と暇をかけて塀が立てられるのは、すべてこの『塞王』という仕組みを支えるためといって差し支えない。賽とは砦を意味する言葉だが、ここでいう『塞』とは別のものを指している。
 すなわち、大延国南方にそびえる長城である。



 延が位置する大陸を横断するほど巨大な壁は、異世界における最も巨大な構造物とみなしてほぼ間違いない。大延国南端の国境をなし、その向こうに割拠する蛮族や異類の侵入を長年にわたって食い止めてきたこの壁は、ある一人の皇帝によって打ち立てられたものである。
 皇帝の名はコウヒ
 長ずるまで、コウヒの名が皇位継承者として挙がることはなかった。コウヒは生まれてこの方ほとんど口を利かず、精霊の後見を受ける様子もなかった。大延国における皇帝の資質とは、精霊をたらす魅力でもって計られる。その徳でもって精霊たちを従え、自在に操ることができねば、国を治めることも叶わないとみなされている。この点において、コウヒは大いに劣っているように見えた。なにしろ魔法一つ使えぬのである。魔法に限った話ではない。ただ座り込み、地面や虚空を眺めて一日を過ごす。読めはするが、書くことはしない。聞きはしているようだが、声を発することはない。万事この調子であった。
 平時であったとしても、コウヒの肩身は狭いものであったろう。まして、当時の世相は厳しいものであった。南蛮の度重なる侵入によって、大延国は大いに脅かされていたのである。各所で同時多発的に発生した南蛮勢力は妖術と電撃的奇襲戦術を駆使して歴州や包州といった南部の穀倉地帯を荒らしまわり、その影響は全土に及んでいた。食糧供給の動揺、戦乱を避けて北上する難民たちが起こす軋轢によって国は疲弊し、官軍の度重なる敗北がそれに追い討ちをかけた。世相は大いに乱れ、皇帝に対する信頼が揺らいでいた。
 無論、皇帝も成り行きを座して眺めていたわけではない。自らの子らに次々と征夷の任を与え、敗北を重ねるほどにそれは皇太子とその妹であるハクアとレイサンが出陣するにまで至った。およそ大延国の皇帝とは最高権力者であると同時に、大延国最強の精霊使いでもある。当然その血を引き継ぐ公子たちも皆優れた術師であり、なかでもハクアとレイサンはともに土功を窮め、破山と裂砂の異名をとるほどであった。万民の期待を背負って南方に赴いた二人はしかし、侵攻の被害をわずかに減らすのみにとどまった。皇帝は大いに落胆し、ついには自ら軍を率いるべく立ち上がろうとした。
 コウヒが謁見を求めたのは、まさにこのときである。
 公子たちのほとんどが戦線に投入されても、コウヒはなお都に留め置かれていた。戦力にならぬとみなされていたためである。無駄飯ぐらいとして冷遇されるコウヒが謁見を求めても聞き入れられることはなかったが、コウヒは辛抱強く求め続けた。ついに根負けして謁見を許した皇帝の前で、コウヒは南蛮を退ける策があると語り、自分を工部尚書の位につけるよう要求した。
 唐突な要求である。工部とは帝国における公共事業をつかさどる部局であり、戦乱にはいかにも関係のない。困惑した皇帝はこれを退けようとしたが、コウヒは常にない剣幕でこれをつよく主張した。老境にさしかかって久しかった工部尚書が話を聞きつけ、自ら引退を申し出ると、皇帝もコウヒの要求を入れざるを得なかった。
 尚書の位につくやいなや、コウヒは全国の塀を調査し、その全てを記載した名簿を作るよう命じた。名簿が出来上がると皇帝に提出し、ここに載る塀に官位を授ける許しを求めた。前代未聞の要求であるが、毒を喰らわばとばかりに皇帝はのんだ。宮中では授与式典が華々しく行われ、うろたえる参列者たちを尻目に、コウヒが読み上げる塀たちには次々と位が与えられた。位階はこのために創設された形式的な代物でしかなかったが、コウヒは気に病む様子はなく、式典が終わるや、いち早く南方へと旅立った。
 そうして最前線に程近い砦に到着するや、コウヒはそのまま現地の司令官を務めるハクアとレイサンに面会した。
 南蛮を退ける策がある。ついては、この砦を放棄してほしい。コウヒはそう告げた。
 ここを落とされれば南蛮を阻むものは何もない――砦はそうした地点に位置していた。故に、ハクアとレイサンは激高した。二人はもとより強大な魔法を操り、才気にあふれ、それに見合って気位も高い。二人はコウヒを打ち据え、剣一本のみを持たせて砦から放り出した。
 南蛮が出現したのは、まさにこのときである。
 当時の文献を紐解くほどに、目に付くのは南蛮の神出鬼没ぶりである。「いつのまにか」や「まるで幻のように」という言葉は、南蛮の襲撃における枕詞であるかのように用いられている。今日でも南方においては、都合の悪い出来事が突然襲ってくる様を形容する言葉として、当時の南蛮指揮官であったとされる『尺取』なる妖怪の名を用いるほどである。実際には、卓越した擬装技術と徹底した事前の情報収集によって行われていたと思われるこうした奇襲は、大延国の民の肝を大いに寒からしめていた。「かくも突然現れるのは神力によって瞬間移動しているためであり、だから南蛮には何かしらの神が味方しているに違いない」という噂が南方に蔓延していたと『蝗記』には記されている。こうした噂は南蛮の工作であった可能性もあるが、ここでは議論しない。
 このときもまた、南蛮は突然現れた。
 砦を整備するに当たり、ハクアとレイサンは隣接する領域を平らにならしていた。土精の力を借りるための下準備でもあり、隠密に優れる南蛮にひそかに接近させぬ為の処置でもあったが、このときには裏目に出ていた。押し寄せる南蛮とコウヒとを隔てるものはなにもなかった。フラフラと戦場に彷徨い出ていたコウヒに、南蛮が放った矢やつぶてが雨のように降り注いだ。コウヒはそうしたつぶての一つを受け、地面に倒れ臥した。責任を感じたハクアは砦を飛び出し、土精たちに訴えかけて時間を稼がせ、自らはコウヒを収容して砦に戻ろうとした。その時ハクアが目にしたのは、異様な光景であった。
 倒れ臥したコウヒは剣を握り締め、地面に何かを刻み込んでいた。眼前に迫る南蛮には目もくれず、懐中から取り出した巻物に書かれた何かを丹念に地面に写していく。最後の仕上げとばかりにコウヒが工部尚書として自らの名を刻んだとき、変化が起こった。
 大地が鳴動したという。
 コウヒが刻んだ小さなひびは、瞬く間に巨大な地割れとなって大地を走った。地面が大きく隆起するとともに、いくつもの躍字がそこに浮かび上がった。いずれもコウヒが位を与えた塀の名であった。それらの名は順序良く整列し、より大きな構造の一部に加わって新たな躍字を描いた。そうして生まれた新たな文字は、更なる巨大な躍字の一部となって拡大を続けた。
 こうした自己補完的な挙動は、躍字に特有なものである。
 躍字は自らを補う。書き手が点を打ち損じればみずから打ち、ハネの向きを間違えればみずから翻る。込み入ったな構造を持つ躍字ほどこの傾向は強くなる。高度に発達した神経組織が意識を宿すように、極まった躍字は、あるときからただの文字であることをやめる。
 そしてこのときコウヒが書いた文字は、これまでに書かれた躍字の中でも最高の複雑さを具えていた。
 『塞王』――それは大延国全ての塀と障壁を従える壁の中の壁であり、同時に大延国が全ての塀を守り続ける限りいかなる侵略をも跳ね除けることを約束する契約文書でもあった。『難攻不落の障壁』という抽象的な存在が、躍字として書かれる事で実体を獲得したのである。これを平たく言えば、『塞王』の署名は大陸を横断するほど巨大であるということになろうか。
 隆起は止まることなく、ついには地平線の向こうにまで伸びて視界から消えた。壁の向こうに取り残された南蛮はそれ以上の動きを見せず、呆然と立ちつくすハクアに対してコウヒはただ一言、やはり砦は放棄しなくても良かったとだけ述べて押し黙ったそうである。
 コウヒと討伐軍は都へ戻り、南方に巨大な壁が出現したという報告を受けていた皇帝は直ちにコウヒを玄王の位につけようとした。コウヒははじめ断ったが、ハクアとレイサンの二人が強く後押ししたことでようやく受け入れた。
 後に帝位を受け継いだコウヒは政務をハクアとレイサンの二人を摂政としてこれらに任せ、自らはほとんど何もすることはなかったという。金羅にその理由を問われて「大地はむやみに動かぬもの」と答えたという逸話が伝わっているが、正式な記録に残されたものではない。



 コウヒのうち立てた『塞王』は、その後も南蛮の侵略を阻み続けている。
 ここで注意すべきは、『塞王』の守護は完全ではないということである。『塞王』は巨大な躍字であり、その意味するところは大延国における塀の王ということになる。王としての権威が揺らげば、それは長城そのものが揺らぐことにつながる。塀が軽んじられ、こぼたれたまま打ち捨てられるとなれば、南方の守りもまた崩れるのである。実際に、南蛮の侵略を許した例は二回ほどあり、そのいずれも世の乱れ著しい時代として記録されている。
 だからこそ、延の人々は塀に官位を与え、大切に守ろうとするのである。


 おわり

 但し書き
 文中における誤りは全て筆者に責任があります。
 独自設定についてはこちらからご覧ください。

  • 相変わらずのクオリティーの高さと世界観の濃密さに脱帽 -- (名無しさん) 2012-01-11 21:10:07
  • 時々スレで話題になる塞王が気になって拝見。躍字による大地の隆起なのかなと思ったら国中の塀からの元気玉みたいなもの(と思った)で驚いた。皇族のドラマやラストで大地が割れてからなどとってもスペクタクルで壮大 -- (名無しさん) 2013-03-09 01:54:24
  • 風水や龍脈と精霊の印象が近かった。でも物理的影響が地球と異世界とでは段違いだった。でも便利だからといってまかせっきりだと危うそう -- (名無しさん) 2013-07-16 23:44:36
  • 精霊と密に繋がっているのがよく分かる内容でした。躍字との根源での違いが気になります。コウヒの意外性と南蛮への考え方がいいですね -- (名無しさん) 2013-10-27 18:17:32
  • 塞王を乗り越えるんじゃなくて塞王と同じ規模の躍塀をぶつける戦法を南蛮が仕掛けてきたらどうなるんだろう? -- (名無しさん) 2014-06-16 14:16:17
  • 場所によっては観光は許可されているのかな?駄目と言われても遠くからでも一目見てみたいとか評判が起こりそう -- (名無しさん) 2014-10-21 23:42:32
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最終更新:2012年01月11日 17:49