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【ある神官の恋】

窓を厳重に締め切られた、薄暗い廊下を進む。
彼方からかすかに「雛鳥」の囁くような歌声が聴こえたような気がして、ぶるっと首を振る。
幻聴だ。「雛鳥」たちはここよりはるか下層、歌声が届くはずがない。
神官として長く勤めていても、大図書館の夜闇は暗く深い。
私はなぜ夜警など引き受けてしまったのか。

不意に突風が吹き、風防があるはずのカンテラの灯りが揺らぐ。
戸締りは先刻確認したはずだ。あり得ない風に思わず振り向いてしまった。

開け放たれた窓から注ぐ月明かりを浴び、あり得ないものがそこにいた。
その顔には覚えがある、下層で厳重に「保護」されているはずの「雛鳥」の一人に間違いない。
逃げなくてはと思う足が、しかし縫い付けられたように動かなかった。
混乱と恐怖は勿論あった。だがそれ以上に、月明かりに照らされ茫とたたずむ彼女は…美しかった。
美しかったのだ。



  朔月(クス)



「よせ、目を覚ますんだハウラ!」
椅子に縛り付けられたかつての同僚が叫ぶ。怯えた目は私の手のシリンジから離れない。
筒の中には血液を思わせる赤黒い液体が満ちている。が、勿論これは血液などではない。
私の下腹部に顔を埋め一心不乱に舐めまわしていた愛しの雛鳥が、私の手にある液体に気づき「あー」と胡乱な声をあげて手を伸ばす。
雛鳥たちの口に出来る唯一の飲食物であることから、「ハピカトルの血」あるいは「神の血酒」と呼ばれる液体である。
「もう少し待ってくれ、マハ」
これには興味深い特性がある。ハピカトルの影響下にあると思われる雛鳥やメッセンジャー以外の常人が摂取すると、摂取した者をも血酒に変えてしまうのだ。
大図書館出奔の際にそれなりの量の血酒をくすねていた私だが、さすがに酒樽を荷馬車一杯にというわけにはいかなかった以上、そろそろ限界が見えてきていたところだった。
「追うのならば風上から狙うべきだったな、何の対策もせずセオリー通り風下に立ったのがお前の不運だ」
拘束しているとはいえ、抵抗の意思のあるものに口から飲ませるなど困難であり、一滴であれ貴重な血酒を無駄にしかねない。
要は体内に入ればいいのだ、それならほんの一刺しで済む。
「よせっ、よせええぇぇぇぇっ!」
椅子の足をがたがたと鳴らし無駄な抵抗をする獲物に、すばやくシリンジの中身を注入する。
血酒を飲めず残念そうにうなだれるマハを抱き寄せ、心配ないよと口付ける。
これでまた少しの間旅を続けられるだろう。
かつての同僚がびくびくと痙攣しながら敷物の上に血酒を撒き散らすのを確認し、私は微笑んだ。



  弓張月(ニーア)



オルニトを離れ、道中の狩りの獲物が残した金品で私とマハは交易船の乗客に紛れ込むことに成功した。
船上は人の増減にみな神経質になるので、これまでのような狩りは難しい。
そこで私は、旅の中である方法をひそかに試していた。血酒と犠牲者の血液の混交である。
少量のサンプルで何度か試した結果、血液だけであっても数滴の血酒と反応してマハの飲める血酒に変わることが確認された。
ならば、船旅の間なんとかマハの食事を調達する方法はある。私の血だ。
自分とマハに割り当てられた食事を(どうせマハは口にできぬのだから)全て私が食べて、彼女の血酒に変えるのだ。
身を切る痛みが何ほどのものであろう。それが彼女を生かすのであれば、痛みもまたいとおしいのだ。



  望月(セェレ)



のしかかる闇の中、男たちの下卑た声が遠く聞こえる。
霞む私の目に、愛する人の肢体が野盗の腰を叩きつけられゆさゆさと揺れる姿が焼き付く。
なんだ酒じゃねえのかと無造作に投げつけられた瓶が砕け散り、私と犠牲者の身を削って作った血酒が虚しく地に吸われていく。
ああ、このままでは彼女が飢えてしまう。どうにかして血酒を作らなくては。
私の血…駄目だ、私の血も刻々と流れ出し失われている。
寒い。目が霞む。もはや選択の余地はない。
私は残った力を振り絞って舌をいっぱいに伸ばし、泥に混じりながらもわずかに地面に残る血酒を啜り上げた。
野太い悲鳴と肉と骨の砕ける音。顔に熱い飛沫がかかって見上げると、野盗はおらず血の泉ができていた。
よかった、これだけの血酒があればマハはしばらく食べていけるだろう。
私は安堵とともに目を閉じた。

「ハウラ、あいしてる」

そのとき、信じられぬマハの声に目が開いた。
じくじくとカラダの溶ける異形の感覚の中、月明かりに照らされた血みどろのマハはたしかに私に微笑んでいた。
今際の幻であろうとかまわない。ああ、私も愛している、わがいとしの…


  • 破滅への旅路…!徹底しているどうしようもなさなんやな -- (名無しさん) 2013-01-18 22:01:54
  • 途中からの落とし方といい、よく思いついたもんだと逆に感心したけどやっぱりきついわぁ -- (とっしー) 2013-01-18 23:23:07
  • オルニトは深くかかわればかかわるほど悲劇しかないように思えますが本人達がそれを悲劇と受け取らなければまたちがったものになるのでしょうか -- (名無しさん) 2013-12-01 17:12:16
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最終更新:2013年08月05日 00:55