以上はほんのちょっとした一例だ。僕は温厚な人間だが、許せないものもある。とかく権威を嵩にきてやりたい放題やる連中はその一つだ。全く、神の使いだからってやっていいことと悪いことがあるのではなかろうか? やるにことかいてただ食いとは! しかも僕に無理やり片棒担がせる狡猾さというおまけまでついているとくればなおさらだ。許せない。パチャテクは絶対に許さない。
長くなってしまったが、僕の気持ちはお分かりいただけただろう。とにかくパチャテクに思い知らせてやる機会を逃すつもりは毛頭なかったことも納得いただけるだろう。
誰かは誰かだった。そこから先に進もうとすると脳が仕事を拒んだ。僕の脳はけっしてワーカーホリックではないが、今回のサボタージュはちょっと尋常ならざる事情がありそうだった。見えているのに分からないのだ。とにかく誰かがそこにいて、僕のことを見ている。それしか分からない。
「……?……!」
よく分からないが、向こうもなにやら驚いているようすが伝わってきた。目を擦り、ズボンで念入りに顔を拭いてから見直すと、よく分からない何かは女の子に形を変えていた。ここ最近見慣れた感のある
オルニトの鳥人ではなくて、地球人に似た、しかしどこか異なる姿だった。ひどくおとなしそうな空気をまとった女の子は相変わらず目を白黒させていた。まあ僕だって向こうからみたらうろたえているように見えただろう。実際うろたえていた。何しろここは宇宙だ。こんないかにもいたいけそうな女の子がうろうろしていい場所ではない。それにしても、さっきまで僕一人しかいなかったというのに、この子は突然出現したように思え「無視するな、ワシもおったわ」ご先祖様はいい加減に帰ってくださいよ!
それにしても、と僕はため息をついた。考えれば考えるほどにシンパシーが湧き上がってくる。かわいそうに、きっとこの子も僕と同じような成り行きで宇宙にさらわれたのに違いない。まったく異世界というのは恐るべき場所ではないだろうか? いつの間にか知らない土地に投げ出され、言葉も分からなくさせられ、使わされた案内人は頼りにならず、挙句の果てにはちょっと胡坐を組もうとしただけで宇宙に連れて行かれるのだから。僕は歯軋りした。全く、この世界ときたら!
「あの……」
女の子がしゃべった。なんと言うことだろう、宇宙なのに声が聞こえるなんてさすが異世界、音を伝えるのに空気なんかいらないのだ。「空気はありますよ。だって空気がなかったらあなた窒息死しとるはずでしょ」いや全くご先祖様のおっしゃるとおりだが、何も今言わなくてもいいのではないだろうか。僕は今猛烈に感動しているのだから邪魔をしないでいただきたい。
「その……」
大体空気がなければ死ぬとか、空気を読まずに出てきた死人の分際で何を言うのだろうか? ぽっと出てきた幻覚のはずなのにけっこうな存在感で居座り続けているのも腹立たしい。そもそもこいつは本当に僕のご先祖様なのだろうか? こんないかにもアマゾン川で産湯を使ったみたいな格好してるくせに「いや実際インディオでしたが」ほらみろ! 僕は日本人ですよーだバーカ「いやでもあなたの母さんはイギリス人でしょ」言われてみればそうだった。母さんは髪の毛は黒いし年中割烹着だし得意料理はひじきの煮物だしで外人という感じが全然しないけれどそういえばイギリス人だった。何てこった、母さんがこんな髭もじゃの子孫だなんて。いや待てよ、イギリス人の先祖にインディオがいるっておかしいでしょうが! どういうことなのか説明してもらおうじゃないか! コトと次第によっては「いや構いませんが、それより先に相手すべきひとがいるんじゃないですか」
その一言で、僕は祖先との対話から現実世界に戻ってきた。女の子はとても居心地悪そうにしていた。気持ちは分かる。僕だって話しかけようと思っていた相手が祖先の幻影と対話しはじめたところに気さくに割り込むような度胸はないし、もっと言えば半径十メートル以内に近づくのだって遠慮したい。相手がズボンを脱いで鼻をかんでいるとなればなおさらだ。僕は深く反省した。伯母さんにどうして伯父さんと結婚なんかしちゃったのと聞いたときの事が思い出される。伯母さんはなんとも答えにくそうにした末に「一目ぼれかなあ」と頬を染めながら言い放ち、僕はスク水をゆでていた伯父さんの顔を思い出してこの世の不可思議さに首をひねったものだった。あんな伯父さんですら初対面は失敗しなかったというのに僕ときたら。このまま異世界宇宙で二人旅しようかという相手なのに。ああ、できることならやり直したいがそれはかなわぬ話、僕と彼女はもつれ合った関係のまま漂いもがくしかないのだ。全く、人の運命という奴はこんがらがらずにはいられないのか! 僕はいつまで迷える子羊をやっていればいいのか!
「……よかった、迷ってるのね」
女の子がぼそりと言った。
「そうなんですよ」
僕の代わりにご先祖様が返事をした。女の子はうなずき返すと、僕のほうに視線をもどした。彼女も僕と同じ幻覚が見えているのか? こんな若い身空で幻覚に悩まされるとはなんと哀れなんだろう。お嬢さん大丈夫ですよ、僕がついてますからね。
僕の同情を知ってか知らずか、女の子は安堵したように肩の力を抜いた。
「急にここまで上がってくるし……ちょっと声を掛けようと思っただけなのに……」
「すみませんね突然お邪魔して。ホントお騒がせして申し訳ない」
またご先祖様が割り込んだ。女の子はご先祖様を見ると首をかしげた。
「あなた《メッセンジャー》でしょ……? あなたが彼をここに導いたんじゃないの……?」
「違います。こいつが勝手にやりました」
「そんな事できるの……? 定命の者がここまで上がってきたことなんか数えるほどしかないのに……それもこんな裸一貫で……」
「現に出来てますからなんとも。服装に関してはすみません。ドレスコードってものを知らないんですよこいつは」
「ううん、いいの。ただちょっとびっくりして」
「いやー若干申し訳ない。おいお前、ぼんやりしてないで謝らんか!」
僕はすばやく行動した。彼女の視線をしっかり捉え、誠心誠意をこめて頭を下げる。何故謝るのかはよく理解できなかったが、目の前で女の子が当惑しているのだからやるべきことは一つしかない。こと女の子に謝る場合は巧遅拙速にしかず。俺の何が悪いんだよなどとふてくされているようではダメなのだ。まず頭を下げ、然る後土下座、そこで踏んでもらえれば許し完成、あとは平和条約にサインするばかりというわけだ。
「こんな格好で申し訳ありませんでした!!」
「……あの、その、別に気にしてないからいいです」
僕は土下座に移行するのを中止した。女の子は僕をしげしげと観察していた。気持ちは分かる。僕だって半裸の見知らぬ人間が突然目の前で土下座を始めたら観察する。女の子は僕とご先祖様をしばらく眺めた末、とてもすまなそうに言葉を発した。
「本当はあなたを導いてあげたいけれど、それはできないの、ごめんなさい。あなたは嵐にとらわれているから」
「いいんですよお嬢さん、よく分かりませんけど、僕なら大丈夫ですから」
「せめてもといた場所に戻してあげたいんだけれど……」と女の子は下に視線をやると首を振った。
「もう何も見えなくなっているわ。ごめんなさい」
僕も釣られて下を見た。青い地球ならぬ異世界でも拝めるかと思ったが、見えたのは空きチャンネルに合わせたテレビの画面のような有様だった。あのたまーに意味深な模様が連続で浮かび上がったり、立体視で見るタイプの番組らしきものが配信されたりしているあれだ。ところで僕がこういうとみな変な顔をするのだが一体なぜなのだろう。
「……あの、どこか行きたいところはありませんか」
「というと?」
「いつまでもここにいてもらってもわたしは構わないけど、あなたはどこかに行く途中だったんじゃないかなと思って」
前半部分の破壊力によって僕の心は電気ショックに見舞われた――素敵な女の子に時間無制限で一緒にいたいと言われたことがあるか、あるいはコンセントにシャープペンシルの芯を突っ込んだ経験をお持ちの方なら、僕の感じたショックがどれほどのものかお分かりいただけるだろう――が、自分を失うまでには至らなかった。そう、危うく忘れかかっていたが、僕は行きたいところがあるのだった。
「そうなんですよ! 実は今回お邪魔したのもあなた様のお力をお借りしたくて!」
ご先祖様がまた僕の代わりに返事した。
「さっきと言ってること違う……」
「そうでしたっけ? まあいいじゃないですか。我々はですね、会いたいものがいるのです。で、あなた様にお導きを願いたいのですよ」
ご先祖様は快活そのものに言ってのけると、バリバリと音を立てて体を脱ぎ捨てた。髭もじゃの中南米男は頭から二つに断ち割れ、中から飛び出したくちばしは埃に塗れていた。パチャテクが体をゆするとご先祖様の被り物はするりと落ち、解けるように消えうせた。僕はショックで口も利けぬ有様だった。なんてことだろう。パチャテクが僕のご先祖様だったなんて。
茫然自失する僕をよそに、ご先祖様改めパチャテクは雄弁にまくし立てた。
「いかにも、この男の運命は我が神の巻き起こす渦にとらわれています。ですが、それが却って功を奏することもあるのです。暴れ狂う風は船を沈めもしますが、ゆくてをさえぎる大岩を吹き飛ばして道を作ることもあるでしょう。それと同じです。今、あなた様は一隻の船をご存知のはず。天空を渡り、未知なる世界を切り開かんとする空前絶後の船のことを。そして、その行く先に立ちはだかる死の大河のことも」
「……知っているわ。警告したけれど間に合わなかった。もう彼らは……」
「ただの人があれに敵うことはありません。死が乗り越えられぬのと同じことです。しかし、時には条理が折れることもある。特に、全てを打ち倒して巻き上げる嵐の渦中ともなれば」
「それじゃ」
「そうです。で、 さんにお会いしたいんですよ。にわとり号に乗ってる女性です。そうですよね、アンダーソンくん?」
ここでちょっと補足しておきたいことがある。僕がこれまで「姪っ子さん」と呼んで来た人物の名前についてだ。彼女のおば、僕がマダムと呼んでいる女性もそうだが、僕は彼女たちの名前を知らない。正確には、紹介されたけども聞こえなかったのだ。明らかに可聴域の外に属する音だけで構成されているに違いなく、だから僕は姪っ子さんとか呼ぶことを余儀なくされている。紹介状も貰ったのだが、いかんせん読めない。パチャテクも翻訳してくれたがやっぱり読めなかった。今だってパチャテクの口から出た音はさっぱり聞こえなかったのだが、大体何がいいたいのかは分かっていた。
そう、僕は姪っ子さんに会いたいのだ。空飛ぶ船でオルニトの浮遊島から地上に降ろしてもらうために。
自力で大気圏に到達できた今、別に空飛ぶ船にこだわらなくてもいい気もする。だがいままで漏れ聞いた話によると、なにやら姪っ子さんたちはのっぴきならない状況にあるらしい。そんなところに訊ねていっても邪魔になるばかりかもしれない。だが、力にだってなれるかもしれないではないか? 僕は紳士だ。少なくともそうでありたいと願っている。誰かが困っているのなら、助け措くことあたわざるのだ。
僕はうなずいた。パチャテクに促されて、僕は女の子の前に進み出て膝をついた。女の子は小さくため息をつくと、遠くに向かって視線を投げた。その瞳がすぼまり、かと思うと内側から燃えるような輝きを発し始めた。パチャテクが僕の耳元に囁きかけ、僕は言われるままに声を張り上げた。
「「《導きの星》よ! あまねく世界を見守る光よ! 我らに道を示したまえ! いかな暗雲とてさえぎることあたわざる輝きよ、我らが行く末を照らし出し、決して曇ることのない希望を与えたまえ!!」」
女の子が両手を広げた。輝きはいまや、女の子の全身から発していた。すっと伸ばされた指先が下を指し、生じた爆発的な光はやがて一本に収束した。もう片方の手が僕たちを指差し、こちらからは柔らかな光が流れ出て僕たちを包んだ。女の子が僕たちに微笑みかけた。全人類のお母さんが微笑んだとすればこんな感じになるだろう。
「あなたは……そういえば、名前を聞かなかったわね」
僕は名乗った。普段使っている省略形ではなくて、完全なほうだ。名乗るだけでけっこうな時間を食うのだけれど、そうするべきだという感じがしたのだ。この頃には、僕の目にしている女の子はタダの女子ではないということは飲み込めていた。僕の名乗りを女の子はいやな顔一つせず聞いてくれた。横であくびしていたパチャテクとはえらい違いだった。名乗り終わると、女の子はうなずいた
「いつかはあなたを覆う嵐が晴れて、目的地にたどり着けますように」
輝きが強まり、目を開けていられないほどになった。それでも、彼女が僕たちを見送ってくれているのははっきり見て取れた。そうして、僕とパチャテクはその場から消えうせた。
もう語るべきことはあまりない。次に気がついたら僕たちはにわとり号に乗っていたし、乗っていたというか投げこまれていたし、そこからの経緯は少々込み入っているので次回に譲る。今回の件で少々心残りな点があるとすれば、それは女の子の名前を聞きそびれたというところだろう。まあでも、あまり気にしてもしょうがないのかもしれない。理想的な初対面とはいいかねたし、どうせ可聴域外のお名前だったりするのだろう。異世界は大体そういうところがある。