大延国大都にある緑碧市街の通りに騒音が鳴り響く。
その日は早朝から、主が出かけているはずの犬塚飯店から
ナベカマを引っ繰り返すような音や、パチパチと算箱を弾く音が響いていた。
主のいない厨房で派手な音を鳴らしているのは、調理師見習いの狸人娘、マオだ。
犬塚勇人とファンナが明日明後日には帰ってくる予定なので、
店を再開させるための調理器具のメンテや料理の下準備に追われているのだ。
無数に並ぶ寸胴鍋や丸底鍋を、もの凄い勢いで洗い磨きしている。
並行して、包丁の研ぎ出しやコンロの手入れも行なっているのだ。
ちょっとばかりうるさくても仕方ない。そうマオは考えている。
一方、算箱を鳴らして帳面整理に追われているのは、狐人の娘である桜蘭(ローラン)だ。
マオの親友というか腐れ縁でずっと付き合いが続いている。
かつて程ではないが、狐人と狸人は仲が良くないというのが定説である。
価値観の違う二人が長く友でいられるのも、マオが狸人にしてはしっかり者だったという事と、
ローランが狐人にしては性格が丸かったのが幸いしているのだろう。
ただし、それゆえにローランは巻き込まれ体質である。
今日もたまたま遊びに来ただけなのに、マオの開店準備を手伝わされているのだ。
聞くと、店主に「帰ってくるまでに店を開ける準備だけはしておいてくれ」と言われていたようなのだが、
自分の調理の腕を磨くのに夢中で片付けもロクにしないままだったのだ。
しかもついでにお願いされていた帳面整理も一切していなかったと言うのだ。
「ローランごめんねー!
旦那さんがお帰りになったら、すっごく美味しいものを作ってもらうから!」
寸胴鍋4つのコゲ落としを終わらせ、もの凄い勢いで次の鍋を磨きながらマオが言う。
「絶対にアンタは悪いと思ってないの。
まったくもう・・・あああ、ここも間違ってますの。
何でこんなに適当な記載なんですの。
算箱を持ってきて正解だったんですの」
ちなみに算箱というのは、大きさは両手で抱えるくらいの木の箱で、歯車とバネ仕掛けと計算尺によって、
8桁の四則演算をこなす事が出来る超スグレモノの発明品である。
ただ、使い勝手が特殊すぎるので、慣れていないと意味不明なのが難点であり、
ぶっちゃけた話、電卓の方が高性能という、異世界ならではの悲話も持ち合わせている。
ローランがさらに力強く算箱をバチバチと弾いていると、ポコポコと戸を叩く音が鳴った。
玄関先には大きな風呂敷を抱えた子狸がやってきていた。
「こんにちはです。お邪魔しますです。
メッサー・メッサー・シュヌルバルト様が研いだ包丁を持ってきましたです。
いつもの事ながら賑やかなお店ですね」
ドワーフの研ぎ師、メッサー・メッサー・シュヌルバルトの弟子の子狸クズリだ。
「ええぇ・・・まだ会計処理してないものがあるの?
包丁は奥の厨房にいる騒音タヌキに渡してね。
請求書はわたしに下さいなの」
眼鏡をしきりに上げ下げしながら帳面を見て、算箱をバチバチと叩きつつローランは言った。
クズリはその鬼気迫る様子に気圧されながら請求書を渡し、そそくさと奥の部屋へ向かった。
「ええぇ!?包丁10丁!?しかも何この値段!?
南蛮具足が買えるじゃないですの。
冗談じゃないですの・・・このお店、絶対に会計役が必要よぅ」
南蛮具足とは、いまだに大延国の南方より迫り来る、正体不明の外敵と戦うために考案された装備一式の事である。
現代地球人の感覚で言えば、高級車1台を余裕で買える位の額を、包丁10丁に使ったという話だ。
信じがたい金銭感覚をまざまざと見せつけられて、ローランはこの店の金銭一式を取り締まる決意を固めていた。
「頼まれていた品を持ってきましたです。
あれ?ユーノジさんにタヌ子さんもいらっしゃらないですか?」
ポコポコと戸を叩いてクズリが厨房に顔を出した時、マオは鍋のコゲつきをこそぎ落としていた。
「旦那さんも姐さんも婚前旅行中だよ。
明日か明後日には帰ってくるって言ってた。
請求書は帳場にいるメガネ狐に渡してね。そりゃあ!」
マオが磨きあげた鍋は、彼女の手元からヒョイと投げられ、天井高く積み重なった鍋の塔の天辺にスポリと収まった。
「えぇと、とりあえず包丁を置いていくです。
使い方はこの説明書に書いてあるので、よく目を通していただけると良いのです」
マオは「料理人に包丁の使い方を説くなど100年早い」と内心思いつつも、クズリから説明書を受け取った。
「なになに・・・って、こんなの本当に作れたの?」
そこに書かれていたトンデモない説明文に、マオは驚愕した。
「当然です。メッサー・メッサー・シュヌルバルト様に作れないものなど無いのです。
材料と時間さえあれば、伝説の『鋼鉄の家政婦』だって作れるとおっしゃっているのです」
自分が作ったわけでもなかろうに、クズリはえっへんと胸を張って自慢げに話した。
しかしそれも当然だろう。この包丁は前代未聞の作りだ。
それにしても、とマオは思う。
旦那さんは、『こんな代物』が必要になるような調理があると確信しているのか、と。
そして、これが必要になるような場面とは、間違いなく大祭『食神祭』が関係しているだろうという事も。
場所は変わって、大都西京緑釉館。
贅に贅をこらしたその巨大な館の一室で、2人の狸人が密談をしていた。
一人はこの屋敷の主である西京令ハンキョウ。
もう一人は大都緑碧市の長であるアオイナンである。
彼らには年頃の狐人の娘が艶かしく寄り添っている。
「それではハンキョウ殿。
今年も緑碧市の『食神祭』予選は、わたくしの自由にして良いという事で、よろしいですかな」
グフグフと下卑た笑いを漏らしつつ、アオイナンは言った。
「まあ、お前には随分と世話になっておるからの。
この気品溢れる緑釉館の美しさを保てるのも、お前が毎年この時期に献上してくれる『お菓子』があればこそ。
今年も山のように積まれた『お菓子』が来るのを待っておるぞ。
それともよもや、今宵のこの狐どもを『犯し』で終わるのではあるまいね」
ゲヒゲヒと薄汚い笑いを漏らしつつ、ハンキョウは言った。
「滅相もございません。
延国出身の狸人料理人という、まっとうな者を本選に出場させるのがわたくしめの役目にございます。
そのために、ほんのちょっと料理人たちから心遣いを預かっているだけの事でして。
その心遣いから、ハンキョウ様への『お菓子』をお渡し出来るのは、本当に嬉しい事ですよ。
それに何せ、今年はどうにも気に入らぬ輩もおりますゆえ」
狐人の娘の頭を鷲掴みにし、唇に吸い付きながらアオイナンが言う。
「まったく・・・今宵のそなたの尾は、また随分と緑色だのう。
どうせ例のチキュウジンであろう。
無理難題押し付けて、予選で潰す気満々ではないか」
狐人の娘の唇を無理やりにむしゃぶりながら、ハンキョウが言う。
「いえいえ。ハンキョウ様の尾の緑さ具合には届きますまい」
グフグフ、ゲヘゲヘ、笑いは館中に木霊する。
「よッ!帰ったぜー!」
犬塚勇人と、狸人の娘のファンナが大都に帰ったのは、例の片付け騒動から2日が経っての事であった。
「おお、店ン中ピッカピカだなおい。
厨房機器もバッチリだな。
やっぱマオに頼んでおいて正解だったぜ。
特別ボーナスでもあげようかね」
勇人がニコニコ笑顔で厨房を物色していると、帳場の方から大声が響いた。
「そのボーナスってのがよくわかりませんけど、お給金の事だったら許容できませんの!
このお店をもっともっと大きくしたいんだったら、是非わたしを雇用しなさいですの!」
何かと思い帳場の様子を見ると、そこには速攻で土産物を広げてくつろぐファンナとマオの姿があり、
その奥に見慣れない狐人の娘が座っていた。
「誰?」
キョトンとする勇人に火糖茶を出しながら、ファンナが普段通りの甘ったるい声で返事をした。
「狐人のローランちゃん。マオちゃんの子供の頃からの友達なんやって。
帳簿を全部なおしてくれたみたいやよ。この娘、すっごい優秀やわ。
ユーノジも少しは見習ったらええわ。帳簿、間違ってばっかりやったで。
ウチの買い物帳面は大丈夫やったけどな」
甘帝廟の土産物の飴人形を食べながら、ニヤニヤとしている。
「まあ、そンだけ優秀なら雇用してもいいかもなぁ。
これから一層忙しくなるから、帳簿まで手ェ回らねェしな」
勇人も飴人形を食べながら、懐をガサゴソとあさり出す。
「あった。これこれ。いよいよだぜ
『大都緑碧市食神祭予選』!
くーッ!何かこう、燃えてくるモンがあるな!」
「燃えるのは結構ですが、結局わたしは採用という事で良いんですの?
それと、そこの騒音タヌキが言うには、手伝った報酬であなたの料理を食べられると聞いたのですが」
「それより、旦那さんと姐さんの婚前旅行の話を聞きたいです!」
「こ・・・婚前やないよ!
ていうかマオちゃん、そないな事こんな大勢の前で言うたらあかんて!」
「え?だって予選申し込み用紙に・・・モゴモゴ」
「ンモー、うるさいなぁ
人がせっかく気合入れてるってのによ。
ぃよっしゃ!じゃあ今から予選用の料理を1品試作してみっか!
あ、ローランは採用な。帳簿頼むぜ」
「・・・やっぱりいい加減ですの」
- hうdあnnhあ -- (名無しさん) 2014-02-16 18:29:59
- 普段は脇にいるキャラが表に立ってというのが楽しい。異世界道具やお使いでやってくる人もそのジャンルや異世界にあっていて面白い。腐れ縁っていいですね -- (名無しさん) 2014-02-16 18:34:49
最終更新:2014年08月31日 01:42