クルスベルグからグーテンターク
ドイツ新聞Berliner Morgenpost
クルスベルグ駐在記者 ヨハン・ゲーレン発
第11回 『鍛冶神祭に行こう』
「新しい鍋と包丁がほしいわ」
私と同じく所帯ある読者の方もおられると思いますが、愛する妻にこう言われたら皆さんはどうしますか?
おそらく近くの調理用品などを置いている店に行くのが普通でしょうね
我が家の場合は祭に出かけます。
鍋と包丁がほしくなったらなんで祭に行くことになるのか?その答えは簡単!クルスベルグ最大の祭、鍛冶神祭の季節だからです。
だからどうして鍋と包丁がほしくなったら祭の季節なのかですか?私の妻がそう言い出すのは「家族を連れて祭に行こう」という私には拒否権の欠片も存在しないイベントを意味するからです。
鍛冶神祭とはクルスベルグの主神であり、鍛冶と創造を司り職人に加護を与えるとされる
セダル・ヌダを七日七夜祀る行事です。
この期間ホーンベルグはクルスベルグだけでなく他国からもたくさんの人が集まって一年でもっとも賑やかになります。
かつてはセダル・ヌダに捧げる宝物を選ぶために、名匠達が鍛えた武具を用いた武闘大会などが開かれ、お互いの武具を破壊し合い最後まで破壊されなかった武具が鍛冶神への奉げ物となったということもあったそうです。
革命後のクルスベルグでは鍛冶神祭も相当様変わりしたそうで、鍛冶神への奉げ物を選ぶということは今でも変わらず行われている鍛冶神祭最大のイベントですが、現在は選ばれた職人たちの投票でというかなり平和的なものとなっています。
鍛冶神祭はそのほかにも各地から集まってきた様々な職人たちのこの期間だけの市が催されたり、様々な興行が行われたり目玉となるイベントが目白押しです。
この期間はホーンベルグにあらゆる人と物が集まるので、この期間でないと中々手に入らない物がたくさんあり、だからこそ最初の妻の言葉のようにこの祭の期間に痛んだりした物の修繕を依頼したり新しいものを新調しようという人もたくさんいるというわけです。
義理の母と妻が職人市でアレコレと買い物している間、私は二人の娘たちに振り回されながら興行見物をするのですが、娘たちは毎年カラクリ人形のパレードを楽しみにしていて、私を盾にして見物客の海の中に突入し、私が他の見物客に罵られようがなじられようが引っ叩かれようが関係ないとズンズンと私を背後から押してパレード見物の最前線へと突き進みます。
そして、私の多大な犠牲の上に最も見晴らしのよい場所でのパレード見物に満足すると、今度はアレが食べたいコレが食べたいと私に出店の食べ物を買えと催促し、体力的に弱った私を今度は財政的に痛めつけてくるわけです。
まぁ、娘たちが何か食べている間は私は体を椅子に預けて僅かばかりの体力回復が図れるわけですから当然のようにその不条理な要求に応じます。
パレードの行われる大通り沿いに知り合いの家でもあれば、そこでゆっくり見物することもできるのになぁと毎年考えますが、未だにそういった知り合いとの人脈を作ることには成功していません。
そして帰りはズッシリと妻と義理の母の購入した重い荷物を背負ってヘトヘトになって家路へとつく
これが毎年の鍛冶神祭の我が家の風景です。
たしか日本にはこんな諺があったと鍛冶神祭の季節になると思い出す言葉があります。
「行楽とは死ぬことと見つけたり」
意味としては日本のお父さん達も行楽の季節になると体力的に相当な覚悟を迫られるというものだです。
それでは今回はザックリと鍛冶神祭についてお話しましたが、また機会があれば詳しくお話できるかもしれません。
それでは皆さんまた次回
Berliner Morgenpost ネット配信版 20011年9月3日号より
- いいお父さんぶりに和みました。女の子でもクルスベルグに住んでいると趣味もお国柄にそっていくものなのですね -- (名無しさん) 2014-04-06 18:13:47
最終更新:2014年04月02日 14:52