砂漠の国
ラ・ムール。その王都はマカダキ・ラ・ムールと言うそうだ。私は異世界文字などは読むこと叶わぬ非才の身であるので、本途の事は知らない。独自設定項に書いてあったためこの名で正しいと勝手に思い込んでいるが、鵜呑みにすると現地人から笑いものにされることもしばしある。情報の消化には注意警戒が必要だ。誰が騙しにかかってくるかわからぬこの浮世、信じられるのは己のみである。
前置きが長くては詰まらない。兎角ここでは、私がひねくれている人間であるということだけ読者の皆々様に理解いただければ良い。それでは、本編へと取っかかるとしよう。
ラ・ムールは砂と試練の国である。善人悪人問わず太陽神ラーの試練が振りかかるこの街では、多くの国民が気楽に人生を楽しもうと生きている。しかし哀しいかな砂漠の国。娯楽も枯れているのが現状だ。だからこそラー神の試練を心待ちにしている者たちも居るようで、破綻の様子が中々に面白い国である。
そんな国の商業区ムンタ・カ・デジャルリアにアオダマ屋という店がある。私と同郷の地球人が起業した店である。その店の主人:五月咲左凛と窮旧知の仲である私は現在、彼の世話になっているわけである。
アオダマ屋の扱う主な商品は店名そのままアオダマだが、これが異世界の者たちには物珍しいようで、人気を博している。煙とは違う快楽が味わえるから、だそうだ。ラ・ムール国の娯楽の一つとして根強く楽しまれてきた煙は、安さの割には深く効く。未だにコレを信仰している商人たちもいる。私からすれば馬鹿の極みである。学の無い私には良くわからんが、恐らくあれはアルカロイド系であろう。我らの世界と同系の煙よりさらに、こちらの世界のものは中毒性が高い。私と共に異世界にやって来た商人の内のいくらかも、中毒してしまった。
私は煙も錠剤も滅多にやらないが、異文化交流として勧められ一度こちらの煙をやってみたことがある。
あれは非常に良くない。先ず効きが遅い。体の方にクスリの蓄積があるのなら幾分かは効きが早まるのだろうが、覚醒するには次から次へ煙を吸わねばならぬ。であるからすぐに中毒する。
「精霊の仕事だからじわじわ効くもんさ。そのかわりクればトぶもんだ」
など言う。確かに効いて後の様は地球では味わえぬ幸福感と覚醒であった。“焼けるような”静かな幸福感に包まれる。ダウン系ともアップ系とも違う快楽である。が、抜けた後の気だるさも逸している。火の精霊たちと同一化したような、まるで人間では無くなったかのような感覚である。燃えるような痛みが体を襲うのだ。それさえも楽しめるようになれば一人前だというが、端から見ればただの廃人である。そのような様を生きているといえるだろうか。
対してアオダマ屋が売買する薬はいわいる催眠導入剤の改良品である。青玉の改悪品であるからアオダマという。酒と合わせて飲めば、いとも簡単に酔っ払えると好評だ。さらにその後は健忘という記憶障害に堕ちること多々なので、睡眠剤や堕女剤としても重宝されている。娼婦の数の少なくないこの国では、もはや必需品とも言える初級薬として知られている。私たちの世界では、不純物などもっての他であったが、こちらの世界ではそうでない。ただの青玉を渡すと、アオダマを渡せと激怒する客も居るのだと五月咲は言う。アオダマ屋の主人とすればこれは吉報で、なにせ薄めるだけ薄めて売って商売になる。良心の呵責も亜人相手では微塵も起きぬ。金の成る木を育てているようなものだ。
お陰かアオダマ屋は創業から僅か五年にして、私兵武装団を持つほどの新たな信仰となっている。私もそのおこぼれで、こうして気ままに異世界の様を徒然と記す際の宿代わりとして居候している。物書きの端くれとして、こちらの世界のありのままを残そうという志が最初にあった。しかし、今では納期に合わせて急かせかと筆を走らせる使いの身である。物を書くときは長時間覚醒している必要があるので、私はもっぱら元いた世界の錠剤を使用している。こちらの強い酒で流しこめば腹の中に蓄積することもないとの噂だ。
こちらの酒は腹中に残ったものを溶解排泄してくれるのに適していて、お陰か私は未だ錠剤で中毒したことはない。仕事の道具として、パートナーとして節操のある付き合いをしているわけである。私は錠剤の覚醒薬に危険を感じたことはない。
しかしアオダマはそうはいかない。私はアオダマを服用してひどく中毒したことがあった。
最近なかなか寝付けぬ夜が続いている。とアオダマ屋の主人:五月咲左凛に相談したことにはじまり、睡眠導入剤として渡された青玉は一風変わったものだった。あちらの世界の青玉に精霊のノウハウ使ったという。胡散臭い「精霊」の二文字を疑りもしたが、なにせ脛をかじっている身なので否とは言えぬ。男は度胸と信じ込み、ウイスキーで喉へ押し入れた。青玉は酒と一緒に服用すると軽い記憶障害を起こす代物であり、私もその例に漏れることは無かったようで、翌朝はもうろう状態となった。さらに中毒が止まぬ。これは不味いと思って五月咲に相談すると普通の青玉を寄越してくれた。在庫があるのなら初めから普通のものを渡しておけ。
その晩は酒を飲まずに青玉を服用したのだが、今度は中々寝付けぬ症状に陥った。やはり酒かと思い立ち、微睡みの中愛用のウイスキーを探すと、窓の外から声がする。平時なら放っておくのだが、その日の声はやたらとしつこく私を呼んだ。
「おいで。おいで。こちらにおいで」
あまりにしつこい声に苛立つ。もう睡眠に入っているはずであるから余計に腹が立ったと記憶している。睡眠導入剤を飲んだにも関わらず、覚醒してきている天邪鬼な脳内で、戯れに一つ事が思いついた。
「声の主を探しだして、懲らしめてやるか」
声は女のものであり、その姿が妖艶であることは想像に難くない。猫の女も抱き心地は悪くない。友好の証に青玉とお酒を一杯奢れば、あとはどうとでもなるだろう。睡眠姦は趣味ではないが、アオダマ屋の若い衆にはそういった趣味の者もいる。仮に女が私の好みでなくとも、服を剥いて道端に寝かせておけばよい。ドコかの物好きが代わりに成敗を下すであろう。
声は月の方に在るようだった。完全には覚醒せぬ頭で丸い月へと歩く。王都の商業区ムンタ・カ・デジャーリアと言ってもすぐそこは砂漠の海である。昼は熱く、夜は寒い。寝間着のまま出てきたことに対する後悔も、女への怒りとなって体を前へと進めた。未だ声は止まぬ。月の方から私を呼んでおる。異世界に来てからこっち、娼婦を呼ぶことはあっても女から呼ばれることは無かった。久しぶりの感覚に、高揚を感じる。アオダマのせいかも知れぬ。五月咲から渡された青玉は実はアオダマではなかったかと疑心した。鵜呑みにして催眠薬を貰った私が馬鹿であった。一度目の精霊入りだという青玉も私に不純物入りのアオダマを飲ませるための陰謀であったのかも知れぬ。五月咲に対する憎悪が浮かぶ。月はいつの間にか頭上にある。どうやら大分歩いたようだ。
猫の女は寒い砂の上、一人で火を焚いていた。焚き火の炎は青。初めは炎色反応かとも思った。その色は魔法のようであった。一般に異世界の火起こしには精霊が使われるから、言葉通り魔法であったのかも知れぬ。ようは幻想的であったのだ。女の右目は黒曜のように黒く、左目は金色に輝いており、その瞳に映される青炎が眩しい。一目惚れなど若造の病だと馬鹿にしておったが、いかんともしがたい。年甲斐もなく女を前にして何を話せば良いか不明になった。種族を超えた綺麗を感じたわけだから、これは間違いない恋だと考えた。
「となり、空いておるかな」
返事を待たずに隣に座る。女は音も無くこちらに振り返ると「お待ちしておりました」と云った。そういえば私は、おいでと呼ばれて此処へ訪れたのだ。愛の糸だの信じるつもりはないが、なるほど運命とは良きものである。
「眠れなくてな。話相手を探していた。君のようなべっぴんが担ってくれたら、ありがたい」
消え入るように笑った女は、試練の砂漠にふさわしくない線の細い風貌であった。懲らしめる気は失せていた。代わりに気を引こう私は喋り通していた。女は多くを話さんかった。私が何を話せど女は笑うばかりであった。透明を連想させるましろ色の笑顔には、少しの寂しさが見えることに気がついた。訳を聞き出そうとするも、女は自分の話題になりそうになると、のらりくらりと話を反らす。私は女と一緒に青い焚き火に揺られているだけで満足であったので、それ以上追求しようとは思わなかった。
どれくらい女と話していただろうか。ふと強烈な眠気に襲われる。青玉を服用していたことを忘れていた。早く帰って毛布の中で寝なければ。別れを告げようと立ち上がると、今まで顔しか動かさなかった女が初めて体を動かした。立ち上がった私の袖を掴み「もう帰るのですか」と問いた。袖を掴む力なき腕に名残を感じたものの、眠くて頭が回らない。このまま女の隣で眠りについて良さそうであったが、夜の砂漠で寝間着と焚き火だけで夜を過ごすのは危険である。きっと、そう考えて、アオダマ屋まで戻って来たのだ。帰り道は覚えていない。青玉特有の健忘の症状のせいであろう。
翌朝も結局中毒に襲われた。催眠薬の害を体感した。酒のあるなしは関係なかった。錠剤ならばいくらかウイスキーの瓶を開ければ蓄積など消えるが、青玉の場合はいくら飲んでも孤独感が消えぬ。催眠薬の厄介さというのは抜けた後に孤独感が襲うことである。まるで全てを悟ったかのような心象になり、自分などはこれから先も独りではないか、とどうしても生きられぬ思いになる。情けないと思うかも知れないが、人間は独りでは死ぬ物だ。結局その思いから逃れようと五月咲に青玉をせがんだ。精霊入りだという胡散臭い青玉を寄こした五月咲に不満を抱きつつも、無いよりましかと堪えることにした。
とはいえ、いくら私でも日中から青玉を含み眠るわけにもいかず、手持ち無沙汰となる。何かをせねば孤独に押し潰されそうになるが、何をしようにも中毒で集中できぬ。いっそ服用すれば楽かと考えた。その所で「おいで」、と呼ぶ声を思い出す。あの女と一緒ならば孤独感が消える気がした。善は急げと砂漠に向かう。なぜだか昨日の足跡が残っていたので、すんなりと女の元に着くことができた。女は昨日と変わらず「お待ちしておりました」と云った。太陽の下に在るが、まるで月灯りに照らされている佇まいである。昨夜と同じく青色の炎が隣で揺れていた。
「アオダマにな、中毒してしまったのだ。たった二回の服用でだ。五月咲の奴、粗悪品を渡しおった。でなければこんなに早く中毒を起こすわけがない」
「そうですか」
「中毒から抜けるには自分の意思で薬をやめねば意味が無い。しかし、夜眠れんのは辛くてな。孤独を押し付けられる」
「そうですか」
「薬が抜けた今も孤独感に潰されそうになっとるわけだから、どちらも一緒かも知れんな。今も青玉を飲むか、迷っている」
「それならば、私がお預かり致しましょうか」
女からの提案は初めてであったから、これを断れば男が廃ると、下心でその申し出を受け入れた。
「そうだな。ではこれを君に預けよう。これで、君に会いに来る口実もできた」
「初めにお呼びしたのはこちらの方ですから。お気になさらず」
砂漠の女に薬を預かって貰い青玉屋に帰ると、ピタッと中毒が収まった。これは愛の力に違いなくて、彼女に預かってもらった成果であることは間違いなかった。年甲斐にもなく嬉しくて、明日会う日を楽しみにとその日は眠りい付いた。
翌日目が覚めて、彼女に会いに行こうとそそくさと支度をしているときになって、青玉屋の異変に気がついた。どうにも騒がしい。盛況繁盛の賑やかではない。商人たちが慌ただしく走りまわっているようだ。
店長の五月咲は冷静沈着の切れ者だから、こういうことは珍しい。不慮の事態になってものらりくらりどうにかしてしまう男なのだ。今回も結局五月咲の機転でどうにかなるのだろう。だから、私には関係ないとして、店を後にする。
店の出入り口には五月咲が立っていた。いつもは私の行動を微塵も気にとめないのだが、今日は違った。
「おい、蒼紫よ。青玉を知らないか」
聞くところによると、店で扱っていた精霊付きの青玉が全て無くなったらしい。私を疑っている様子では無かったが、これから取引先への納入を控えているため慌てているようだった。五月咲の動揺も納得のもので、以前から精霊へは手を出すなという現地の腹心の反対を押し切って調製した精霊付きの代物だったから、天罰が怖いのだろう。神など居ない向こうの世界ならば、天罰などは知ったことかの知らんぷりを決め込めるが、こちらの世界には正真正銘の神たちがいるため、無視できない。
「何か手掛かりがあれば、すぐに連絡を寄こせ」
五月咲の用件も最もだが、私はそれどころではなかった。砂漠の月下美人の元へと向わねばならないという使命感に燃えていた。
はやる足を抑えて向かった先で、女は変わらず青色焚火を前に佇んでいた。今にも枯れそうな趣がまた、良い。
「中毒も無事収まった。君のおかげだろうな」
「そうですか」
「・・・愛の力かも知れんな」
冗談半分本気半分。甲斐性無しの風来坊である私に愛の告白など似合わなかったせいか。女は下唇を噛みしめるような、苦い顔をした。困り顔のように見える。恋眼鏡のせいかも知れぬ。どうやら考え足らずだったようで、ア、しまったと思ったが後の祭りだ。
「青玉に囚われた同族を救うため、アナタに近寄ったのです」
女の告白に霹靂するも、合点がいった。どうやらこの女は生ものではないらしい。ここらの精霊たちの長か何かなのだろう。五月咲に下ったのは天罰ではなく精罰だったようだ。納得できん憤りを感じたが、ここで酷い眠気に誘われ体が動かなくなった。
「愛など、ありません」
そこで私の意識は途切れてしまった。最後に見えた女の顔は、相変わらず美しかった。
■■■
目を覚ましたのはいつも通り五月咲の客間であった。日はとうに沈んでいた。私が町で酔っ払って記憶が途切れたときなどは、大抵ここで目を覚ます。普段なら五月咲の呆れ顔がイの一番に飛び込むものだが、今回はそうでなかった。
朦朧とした頭で自分の部屋へと戻る。最中、五月咲と顔を合わせた。
「精霊付きの青玉は見つかったのか」
「精霊付き?なんだそれは?」
精霊付きの青玉に関して問うも、答えは要領を得ない。店にいる他の衆に聞いても似たような返事が返ってくるばかりであった。狐に抓まれる思いだ。しかし、女の言葉を思い出して、喉の閊えが取れた。
ここ二、三日のことはどうやら夢だったようだ。そう済ます他にない。異世界ではよくあることである。
どうせ夢だというのなら、あの月下美人を犯しておけばよかったと落胆するばかりである。
- アンダーグラウンドで思わぬ発見から思わぬ成長を成し遂げたのは幸か不幸か。異世界は毒も薬も効果以外の何に結びつくか分からないのが面白くもあり恐くもありますね。少しメルヘンな後半とどっとはらいな締め方がよかったです -- (名無しさん) 2014-09-21 18:09:20
最終更新:2014年09月21日 17:54