異世界人が多数暮らす街だけあって、トゥーロも学校で仲の良い友達をさほど問題なく作ることができたようだ。
話題をあわせるためか、最近はTV番組などにも興味を持つようになってきた。
ある時、晴れの日にレインコートを着て出かけるから何をしているのかと聞くと、TVの特撮番組にそうした格好で正体を隠す怪人のヒロインがいるのだそうで、つまりは友達と遊ぶためのちょっとしたコスプレのようだった。
それはいいのだが、楽しく遊んで帰宅したはずのトゥーロがどうもこそこそしていると思ったら、物置からズタズタになったレインコートが出てきて驚いた。
一瞬いじめの類かと疑ったが、泣きべそをかいている様子も暗く沈んだ様子もない。不可解なので少しそのヒロインについて調べると、正体を現す時はレインコートを派手にズタズタにするとわかった。なるほどこれか…。
ほっとしたが、レインコートを駄目にしたトゥーロにはきっちりお説教をした。
物を大切にする精神を養うため、トゥーロに裁縫を教えることにした。
学校の家庭科の授業で裁縫を習うのはまだ少し先らしいのだが、すでに箸の正しい使い方をマスターし、工作の授業では親の贔屓目抜きでもなかなかの秀作を作る器用さを発揮しているこの子であれば、何も早すぎるということはあるまい。
花嫁修業にもなるぞと私が冗談めかして口にすると、「上手にできたらオトーサンのお嫁さんになれる?」と返され思わずむせた。咳がようやく落ち着いたところで、心配そうに見ているトゥーロに「少なくとも私より上手にならなきゃな」と返すのが精一杯であった。ああ驚いた。
衝撃の発言はともかく、トゥーロはまじめに裁縫の練習に取り組み、飲み込みもよさそうだった。
ただ気になった点は、指先も甲殻に覆われているおかげで、針が指に刺さる心配よりも針先が曲がる心配をしなくてはならない点か。そんなに硬くて触覚はどうなんだと一瞬思ったが、そういえば触覚は体表面に生えた産毛のように細かな毛によって感じているんだったか。
トゥーロたち蟲人は、音も体毛や手足から伝わってくる震動で感知しているらしい。触覚と聴覚が不可分なわけで、そんなこの子に私の声はどう感じられているんだろうか。
晩御飯の時間、トゥーロがはじめて「好き嫌い」を口にした。
我々と同じ雑食性であることは旅の中ですでに確認していたので、おそらく食べ物があわないということではなく、単純な偏食である。飽食の地球文明社会に毒されてしまったと嘆くのも一つの考え方だが、私はむしろ喜びをおぼえた。
嗚呼、つまりは、トゥーロは私に対して「わがまま」を言えるほど打ち解けたということなのだ!
家族としてこんなに喜ばしいことがあろうか。
しかし、仮にも「オトーサン」と呼ばれる立場である以上、私は手心を加えるわけにはいかないのだ。
さあほら、オトーサンも自分が苦手な魚を食べられるようがんばってるんだから、トゥーロもがんばんなさい……なんて、勿論口には出せないけれど。平気な顔で食べて手本を示すのが大人の役目なのだ。
十津那の授業参観は、大体予想通りというべきか父兄席はかなりのカオス具合であった。
地球人は当然として、猫人に鱗人に
エルフ…普通に親子だろうと推測できる取り合わせもあれば、どうみても屍人が普通の生きた子どもに手を振っていたり、予想のつかないケースも混じっている。
無論、地球人であるのに蟲人のトゥーロの保護者である私に言えた筋合いではまったくないわけだが。
団体で押しかけた
オークが廊下から「お嬢ー、がんばれー!」と騒がしくエールを送り先生に注意されるなど、まるでお祭り騒ぎだ。先生も大変だな…。
あ、トゥーロが先生に当てられた。がんばれ!
神社の境内を埋める初詣客の賑わいは、ポートアイランド特有の雑多な種族構成のおかげでどこかあの旅先の喧騒を思わせ、なんだか懐かしさを感じてしまった。
手を引いているだけではあっさりはぐれてしまいそうだったので、こちらも暫くぶりにトゥーロを肩の上にのせることにした。といっても肩車だけれど。
トゥーロはひさびさの定位置にはしゃいでいる。蟲人は寒さに弱そうなイメージだったが、そのへんは人並みということなのかもしれない。かくいう私も寒さにそう強い方でもないが、もこもこに着脹れたトゥーロに頭を抱えられて耳あていらずのぬくぬくである。
今度街歩きする時はまたこうして肩車してみようかとも思ったが、ようやく賽銭箱に辿り着いたあたりで腰への負担という現実を知ることになった。最近座り仕事も多かったし、姿勢悪くなったかな…。
ともあれ、今年もいい年になりますように。
何の気なしにネットを眺めていたら『偏食は家庭のメシマズが作り上げる』という記事が目に飛び込んだ。
そういえば、かぼちゃが嫌いだという知人は甘く柔らかい煮物を食べたことがなく、母親の作る火の通ってない堅い天ぷらの印象が強かったと言っていた。
つまり、トゥーロが好き嫌いを言い出したのは私の料理のせいということになる。
なんてことだ! わがまま言われる仲になったと無邪気に喜んでいる場合ではなかった!
泡を食って料理本を買い込み、料理教室の広告を探す私に、トゥーロは怪訝な顔をしていた。
「オトーサン、チョコ作ってくれるの?」
ああ、そんな時期だったっけ。せっかくだからそれも挑戦してみようか。
「自転車に乗りたい」
学校から帰ってくるなりそう言われ、思わず畳んでいた洗濯物を取り落とした。
ついに来てしまったか、この時が…。
準備していなかったわけではないが、出来れば来ないでほしいと思っていた瞬間だった。
自転車というものは、少年期において比類なき機動力を子どもに与える、いわば翼である。
やろうと思えばこれ一台でどこにでも行けるという事実は、少年少女に世界の広がりというものを真に理解させ、自宅とご近所だけの閉じられた箱庭からの自立心を促す。いわば「家出促進装置」といえる。
そして、行動範囲の大幅な拡大は同時に事故発生率の急増を意味する。子どもがぱっと探しにいけないほどの距離に離れやすくなり、事件・事故に巻き込まれるリスクも上昇する…これほど親にとってありがたくないアイテムもそうないだろう。
だが、そう…「自立」である。いずれは親から離れ自立せねばならない子ども達の、その大事な契機となるイベントなのだ。であるならば、トゥーロの親代わりを自認する私も、それを笑って受け入れなければ……笑って…笑って…。
「…オトーサン、そんな辛そうな顔するほどお財布が厳しいなら、私まだ我慢するよ」
苦悩する私の姿をなにかあさっての方向に心配されてしまった。
人聞きの悪い、うちの家計はそこまで冷え込んじゃいないよ。
よし、今度の土曜は自転車買いに行くぞ。いま決めたすぐ決めた。
自転車から補助輪が外れ、転んで甲殻に擦り傷を作る回数も減ってきた頃、こちらに帰ってきて初めての脱皮が始まった。
また一つ大きくなるのを祝うためケーキを買いに出かけたりしていたほんの三時間少々で、もうトゥーロは真新しい甲殻を乾かしながらTVを観ていた。前回や前々回のことを考えるとかなり早い仕上がりである。
一応ちょっとだけ背も伸びているようだけれど、あまり大きな変化は…。
「オトーサン、私お風呂に入れるようになったよ」
飛躍的な変化が起こっていた。
「これで今年の夏は水泳の授業を見学せずに済むね」
なるほど、それが理由か。
大学の研究室にいる知人に頼んでトゥーロの水泳用潜水服を作らせていたのだが、いつぞやの手袋に続きこちらもお蔵入りが決定した。まあ、他の蟲人児童に役立ててもらえば無駄にはなるまい。
初等部も高学年になってそろそろ中等部の準備を考えようかという頃、トゥーロがまた脱皮をした。
最初に思ったのは、大きくなったという以上に、かなり女性的なラインをおびたという印象だった。これまでのどちらかというと平坦な体型に比べると明らかに異なっている。思春期の到来だ。
そして、彼女はもうひとつ大きな変化を迎えていた。
「オトーサン、前が見えない」
脱皮直後、急におかしなことを言い出したので何事かと思ってよく見ると、トゥーロの目をなにか蓋のようなものが覆っていた。
抜け殻の一部が残っているのかと濡れタオルで丁寧に拭いていくうちに、その正体がわかった。瞼だ。
目に負担をかけないよう慎重に開いてあげると、ようやくその存在を認識したらしくしきりにぱちくりと瞼を瞬かす。
「オトーサン、これ面白いね」
そういって“目を細める”仕草で、私はこの一面無用にも思える器官の意味を知った。彼女はこれで、人と話す時に表情を作れるようになったのだ。
「うんうん、おおむね順調に“架橋型”として成長してるんじゃない? それにしてはちょっと背が高すぎる気がするけど」
白衣を着た童顔の女性が、カルテをぺらぺらとめくりながら言う。
大学病院でトゥーロの各種検査をしてくれている大和紅准教授には、トゥーロの成長過程に関する相談もさせてもらっている。
「背丈にコンプレックスでもあるのか、それとも…ああ、単純に“オトーサン”みたいになりたいってだけかもしれないわね。いじましい親娘愛ねぇー。ダメよ、血は繋がってないとはいえいきなりヤッちゃうとか。相手が架橋型でも食べられちゃうケースって案外多いのよ」
勘弁してくださいよ、“先輩”。
「あはははっ。本当、オオキくんが急に異世界人を養子にしたいがどうすればいいかって相談してきた時には、ついにどっかおかしくなっちゃったかと思ったものだけれど。ちゃんとオトーサンしてるみたいで安心したわ」
溜め息をついて、けらけら笑う大和先輩から顔を背ける。正直、異世界人研究の先駆者でもなければこんな相談をしたい相手ではない。
「まあ、思春期の女の子のお世話は大変よ? 今から覚悟しとくことね」
とりあえず、へんな彼氏を連れてきた時に追っ払えるよう鍛え直す覚悟はしていますと答えると、大和先輩は笑い顔のまま私の肩をぽんぽんと叩いた。
- 色んな種族が混ざってるけど和む学校風景だなぁ -- (としあき) 2012-12-16 20:23:22
- 今が幸せ過ぎるとその後にやってくるであろう色んなことのハードルがぐんぐん上がって生きそうだ… -- (とっしー) 2013-02-14 01:00:15
- スレには張り付いてるはずだったけれど意外と読んだことのないSSもあった。擬似家族ものには泣かされてきた俺。トゥーロちゃんの一歩一歩の成長がいい。 -- (名無しさん) 2013-02-14 20:25:56
- 言葉を話せるようになる前と後との様子や行動を見ると、言葉での会話ができるようになったというのはかなり大きな転換期だったのかなと -- (名無しさん) 2013-05-24 14:36:49
- けっこう読んでないエピソードがあった。新キャラ登場やシェアもあって終わるどころか広がっていくのが楽しい -- (とっしー) 2013-10-28 22:38:32
- 脱皮で成長というのは面白い設定だけど急に見た目が変わるとおおきサンもびっくりだ -- (名無しさん) 2013-10-30 23:51:02
- 言葉が話せるようになるって大きいよね。感受性ってどの種族も子供の頃は多感なんかな -- (名無しさん) 2014-11-18 22:08:40
- 学園の授業参観風景は多種多様色取り取りなんでしょうね。トゥーロの心の成長が体よりも目立ってきているのが面白いです。キャラも増えたりと二人を囲む環境の変化も興味がわいてきます -- (名無しさん) 2015-04-19 17:59:49
- 叱ること教えること褒めること驚くこと。一つの命を育てることの何と感動の多きことか -- (名無しさん) 2016-11-08 00:42:08
- 微笑ましい。思った以上に蟲人のありようが出てきて興味深い。裁縫が得意というのもおどろき -- (名無しさん) 2017-03-18 18:01:03
最終更新:2013年10月28日 00:04