0284:女の戦い





ガサッ――木々の隙間を縫って影が飛ぶ。
枝から枝。一つの枝が揺れたかと思えば、影は既に次の枝に移っている。
制服に身を包んだ少女。一見、普通の女子高生。
けれど、彼女は人間には在らず。人間を超越した存在――血を吸う悪鬼。吸血鬼なのだ。

真中淳平の死。変わる事のない現実。暗闇の中を往く少女の瞳は、何も見てはいなかった。
喉から漏れるのは人の物とは思えぬ声。獣の咆哮。人獣(ケモノ)の彷徨。



名古屋市街。
煌びやかな灯に照らされている筈の都市は、今はただ閑散とした暗闇に包まれている。
無人の森に取り残されるのは寂しいだろう。大昔の人間はそうだった。故に火を生み出した。
人間の文明は炎の歴史だ。或いは、光の歴史だろうか。
闇を光で薙ぎ払い、追い払っていくことで人間は今の隆盛を勝ち取ることが出来た。
――人が暗闇を怖がるのは、当然だ。西野つかさは思った。
獣のも、寒さも、飢えも、恐ろしいものを全部、暗闇の中に押し退けてきたのだから。
怖いものを放り込んだ「ゴミ箱」の中をわざわざ好き好んで覗き込もうという人間は居ないだろう。
炎の暖かさ。光のまばゆさ。やがて育まれた、人の温かさ。闇を取り払った人間が、求めたもの全て。
――この世界には、失われてるのかな。
立ち並ぶビルは、電気の失われたガランドウのオブジェ。
自分達の他には、人の息遣いも、獣の息遣いも、何も聞こえることのない静寂。
人の名残を残す都会は、森での獣とはまた違った、生理的な恐怖を感じさせ――

「……動くな」

突然、後ろから羽交い絞めにされる。足音さえも、感じなかった。
耳元に注がれる荒く乱れた息遣い。襲撃者の腕は、首元からやがて胸元へと降り……

「……もうっ!冗談は止めて下さいよ、マァムさん。
 リサリサさんに言いつけますよ!」
「あはは。ばれちゃった?」

怒鳴りたい衝動を抑えながら振り向いた先に居たのは、長い髪をうなじで結った一人の女性。
中華服というか、チャイナ服というか、酷く動き易そうな服を身に着けている。
女性――マァムは小さく舌を出しながら、西野の前にそそっと移動した。

「ぼぅっとしていたように見えたから。まだ元気ないのかなあ、って思っちゃった。
 ……真中君のこと」
「…………何とも思わないって言ったら、嘘になりますけれど」

静かな問い掛けに、長い息を吐きながら西野は応じる。
先程の放送で呼ばれた死亡者には、真中淳平の名が含まれていた。
真実、真中の死を知った瞬間の西野の取り乱し方は尋常ではなかった。
もう二度と、彼女の笑顔は見ることが出来ないと感じるぐらいに――

リサリサマァムも、誰かの死を覚悟している人間だ。
倒すべき強大な敵が存在し、常に死と隣り合わせで生きている。
けれど、西野は違う。一日前までは、極普通の女子高生。現実の死など、テレビの中の話だけだと思っていた。
真中と西野の関係がどのようなものであったかを、マァムは知らない。
だが、唯の友達と呼ぶには親密過ぎる関係――自分とポップのように――であるような予感はあった。
女の直感というヤツである。そして今回に限り、その直感は正解だったようだ。
依然、晴れない表情の西野を気遣いながら、マァムは言葉を選ぶ。直ぐには良い言葉は、浮かんでこない。
意外にも、先に口を開いたのは西野だった。

「ははっ、気にしないでくださいね。
 確かに、真中君のこと、北大路さんのことは……その……っ……哀しいことだけれど。
 私…………泣いてばっかりじゃあ、駄目だって思いましたから。
 もっともっと、強くならないと…………駄目……だからっ」

途切れ途切れに紡がれる気丈な言葉。後半は、掠れ消えそうになりながらも少女は涙を見せなかった。
俯いたままで、頬を濡らすものを拭い去る。マァムに見せた顔は、可哀想なまでの、笑顔だった。

「つかさ……」
「私は、大丈夫。マァムさんも、リサリサさんも頑張ってくれてるんです。
 私だけ、泣いてるわけにもいかないじゃないですか」

西野は知っている。マァムの顔に残った火傷のことを。
回復魔法(ベホイミ)で身体の火傷は、ある程度治療出来た。けれど、完全ではなかった。
今後の戦いに支障がない程度の回復――マァム自身の魔法力の温存。
女としての命である顔より、今後の皆の負傷をと考えてくれたことを、西野は知っている。
リサリサも自分らのために、今も危険な巡回を引き受けてくれている。
闘ってるのは、西野だけではなかった。寧ろ護られてばかりいるのは、西野だけだった。だから――

「……無理しなくていいのに、ね?
 大丈夫、貴方の事は私達が、きっと守るから……」

少女の嗚咽を隠すように、マァムは西野を両腕で包み込んだ。
母のように。愛し子を抱きしめるように。

―――其の時。
「……誰!!?」
抱きしめた西野を背後に回し、マァムが声を上げる。
鬼気迫る眼差しは、ビルの谷間、都会の暗がりに容赦なく注がれ、闇に潜む何者かの姿を射抜かんとする。
身が震える程の邪悪な気配だ。避けられぬ戦闘の予感に、握り締めた拳に力が篭る。
――だが。

「…………西野、さん……?」
「…………東城……綾さん? 綾さんなの!?」

暗闇からの襲撃者が漏らした言葉は。
守るべき少女が発した言葉は。
離れ離れにされた友人同士が出会った時の、驚きと喜びの混じりあう響き。



「彼女が……綾さん、なの?」
張り詰めた緊張はそのままに、マァムは背後の少女に問い掛ける。
なるほど、闇に浮かぶ綾という少女は一見、西野と同じ年頃の普通の女の子に見える。
長く伸ばした黒髪。華奢でいてふくよかな肢体。
何よりも見たところ武器も持たない徒手空拳だ。恐れることは何もないように思える。
――けれど。

「西野さん、生きていてくれて、私、嬉しい。
 真中君も北大路さんも、皆……ねえ、西野さん、私、不安で……」
「綾さん……」
「……行っちゃ駄目、つかさ!」

友人の元へ向かいかける西野の腕を掴み、強引に引き止める。
「どうして!見て、綾さん……怪我してる!
 きっと悪い奴にやられたのよ。マァムさんの魔法で治してあげて……くれないの」
西野の言うように、東城の片腕は削り取られたように失われていた。
けれど、東城の片腕を見てマァムが思ったのは西野とは全く別のことだ。

「私のベホイミでは、千切れた腕までは治せない。
 それに……不自然なの。右腕が千切れてるっていうのに、あの子」
腕を掴んだ少女を、無理にでも後ろに回せば、腰を落とし戦闘の構えを取る――流派・武神流。
「……止血もせずに、どうして生きているのかしら。血まみれの服を着たままで!」
言葉と同時に勢いよく武道家は地面を蹴る。西野が何か喚いているけれど、気にする暇はない。
――アレは間違いなく、人ではないものだ。邪悪。異質。元僧侶であったマァムには、疑う理由がある。
「であああああああああっ!!!」
一呼吸で距離を詰め、次の一呼吸で拳を叩き込む。
万が一、自分の勘違いだった場合を考慮して多少の手加減はしていた。
それでも本当に彼女が普通の人間の女の子だったら、気を失わずにはいられぬ一撃――!

「……危ない!」
――本当に、小さな虫でも払うかのような静かな仕草。
全力ではないとはいえ、岩をも砕くマァムの拳を受け止めるのに綾が行った動作は、実に静かなものだ。
否、受け止めただけではない。少女が枝のような腕をそっと振り払っただけで、攻撃を仕掛けたマァムの方が吹き飛ばされている!
西野から聞いたままの東城綾ならば、マァムの拳を受け止める事など、ましてやそのまま吹き飛ばすなど、不可能な筈。
疑惑は確信に変わった。
「やっぱり……貴方、人間を!!」

「やめてしまったようね。彼女は」
ビルに衝突する寸前、マァムの身体は柔らかな何者かによって受け止められる。
闇夜に映える黒髪の女性。切れ長の眼差しは、何時如何なるときも冷静さを失うこともなく――
「「リサリサさん!」」
重なる西野とマァムの声に、長身の女性――リサリサは小さく頷いた。
マァムを抱えたまま、トッ、と重力を感じさせぬ軽やかさで地面に着地する。

「"DIO"の他にも"仮面"を被った人間が、このゲームに参加しているとは思わなかったわ」

シューッ。両側に開いたリサリサの拳と拳の間に、極細の光が伸びる。支給された三味線糸。
其れも唯の三味線糸ではない。最高級品の絹製。生体組織である絹がリサリサの波紋を良く通すことは、昼の間に確かめてある。
くるり、リサリサが自身の身を潜らせるように躍らせれば、糸に走る生命のエネルギーは仄かな光を放ち、夜の闇を晴らすようにさえ思われた。
ビンッ。剣を抜くように三味線糸を張り巡らせ、射抜くような視線は、一直線に少女を睨み据える。
マァムの拳を受け止めた反応、吹き飛ばしたパワー。
リサリサの知る限りにおいて、唯の人間だった筈の東城綾を、斯様な化け物に変化させる方法は"一つしか"なかった。
「"吸血鬼"を生かしたままにしておくことは出来ないわ。残念ね、貴方はもう、終わり」
養豚場の豚を見るような冷たい眼差し。殺意を隠すつもりもないリサリサの瞳に、東城はおろか、他の二人さえ息を呑む。

「違うの……私は、何も……い、今のだって少し、腕を払おうとしたら、急に……」
「言い訳は必要ないの。貴方に必要なのは、安らかで、静かな眠りだけ。さようなら」

シュンッ!
弁解を試みる東城に、リサリサは一片の慈悲も見せなかった。
風を裂いて唸る三味線糸は、狙いを違えず吸血姫の右腕に辿り着く。左腕を狙った筈なのに。咄嗟に庇われた。
けれど、戸惑いも躊躇もなかった。瞬間、三味線糸を光の波が駆け抜ける!

「あ、あああああああああああああああああああああ!!!!」

――生命のエネルギー、波紋!
人間の呼吸が生み出した太陽のエネルギー。人類を超越した吸血鬼に唯一、対抗出来る技術。
迸る輝きに抵抗するように東城は暴れ、叫び声を上げ、けれど逃れられなくて、身体を焦がしていく。
少女が踊る激痛のダンスは、見るに絶えぬ光景だった。先程拳を交わしたばかりのマァムでさえも、思わず目を逸らしかける。
ならば、友人であった西野つかさは――

「止めて……もう止めて!東城さんを、虐めないで!」

ドンッ。
東城の惨状を直視し続けることも出来ずに、抱きつくようにリサリサへと身体をぶつける。
西野には理解出来なかった。綾が人間を超越したことも。吸血鬼という存在も。リサリサが吸血鬼を根絶する使命を帯びていることも。
唯、東城の、漸く出会えた、唯一残された旧知の友人の苦しみ悶える姿に耐えられなくて――
「……つかさ! ……くッ」
波紋の達人であるリサリサは、本来、この程度のことで集中を乱したりはしない。
けれど――練り上げた強力な波紋が、万が一にも波紋の取り扱いを知らぬつかさに流れてしまったら。
リサリサが「人間」であるからこそ生じた「優しさ」は、吸血鬼である綾にとって最後のチャンスだった。
ざバンッ!
響き渡ったのは、三味線糸の巻きついた右腕を自ら切り落とした音。
何故そんなことをしてしまったのかは判らなかったけれど、東城はその方法こそがベストであると感じた。

「待って、東城さん……!」
「行けない、止まりなさい、つかさ!」
黒焦げの腕を残し、暗闇へと消えていく東城綾。咄嗟に、西野つかさは走り出していた。
傷ついた友人を追うために。マァムの制止の声も振り切って。我武者羅に走り出した西野はそのまま直ぐに、闇の中に消えてしまう。

「くッ……追わなきゃ!」
東城綾の皮を纏った怪物は、未だ生きている。
幾ら旧友とはいえ、あそこまで邪悪なオーラを纏った者が、無防備な西野つかさに手を出さないとは考えられなかった。
マァムの脳裏に最悪の光景が浮かび上がる。東城綾の手刀によって腹部を貫かれた西野つかさ――即座に、悪いイメージを振り払う。
追いかけなきゃ。追いかけなきゃ――つかさは、私が護ると決めたんだもの!
「待ちなさい」
つかさの身を案じ、走り出しかけたマァムを、引き止める腕がある。リサリサ、なんて、冷たい掌――
リサリサさん……でもっっ! 追わせて下さい!」
事態は一刻を争っている。自分達が少しでも遅れれば、西野の命はないだろう。
焦燥のあまり唾を飛ばしながら、其れでも自分の腕を握り締めて離さないリサリサを睨みつける。
「つかさを追わなき……ッ……あっ!!!」

              ゴ ウ ウウウウウウ!!!!

非難に声を荒げ、腕を振り切って走り出そうとしたマァムの目の前を、凄まじい炎が埋め尽くす。
忘れる筈のない、忘れる事の出来る筈のない炎の光景――昼間の、流川楓を、マァム自身を焼き払った、炎!

マァム……勘違いしないで。
 『追わせない』んじゃなくて『追えない』の……襲撃者は『一人』じゃなかった」

冷静を装った言葉にも混じる、緊張の色。
指摘されて初めて、自分が冷静さを失っていた事をマァムは悟る。"吸血鬼"に意識を囚われ過ぎていたことを。
リサリサの視線の先――月夜に浮かび上がる黒のメタルボディ。マァムもリサリサも、彼の姿には見覚えがあった。

「貴方……昼間の……!」
コーホー。コーホー。
黒いヘルメットに、悪魔の笑みを浮かべたマスク。屈強な肉体――流川楓を殺害した殺人鬼。
戦闘機械(ファイティング・コンピュータ)ウォーズマン。
半壊したスピーカーはまともに音を拾わず、カメラに移る生き物の姿は、全て「獲物」として判断される。
最早彼は、人を愛し、人を護ろうとした正義超人ウォーズマンではなかった。
人類から生まれ、人類を超越し、何れは人類を支配する真の悪魔に、「氷の精神」を植え込まれた殺人機械。
「……説得は不可能ね。援護を頼むわ。ヤツを倒さない限り、つかさ達を追う事は出来ない!」
第二の刺客の状態を分析し、リサリサは即座に排除の決断を下す。既に手繰り寄せられた三味線糸は、今も彼女の頼るべき武器。
けれど、マァムは静かに首を横に振った。
「……なら、アイツは私が相手をします。リサリサさんは、つかさ達を」
マァム……けれど」
「いいえ。つかさの友達……の事は、リサリサさんの方が詳しいんでしょう。だから……お願いします。
 それに私には、返さなくちゃいけない借りもありますから……!」
昼間、目前の相手に刻まれた顔の火傷が、ちくりと、疼く。
マァムの瞳に宿った固い覚悟。
「そう。けれど、約束して、マァム
 きっとまたこの場所で、生きて再会するって」
無言で頷きながら、マァムは静かに手袋を外した。それを見届ければ、リサリサは風のように闇の中に、走る。

戦闘を長引かせるわけにはいかない。早く西野を追わねば、最悪――愛しい者の死体が一つ、増えることになる。
「手加減は出来ないからね……ッ、覚悟なさい!!!」

ダッ!
そうして戦闘の火蓋は、切って落とされたのだ。



「綾さん……綾さん!」

友人の名を叫びながら、西野つかさは走り続ける。
東城綾は人間をやめてしまった』リサリサは確かにそう言った。
短い間の付き合いだけれど、西野には確信がある。彼女は嘘をつく人間ではないこと。
実際に、東城綾が腕を振るえば、人間一人が宙を舞った。普通の女子高生ならば在り得ないことだ。
「……違う、何か、違うの!」
理性が認めざる得ない事実を、感情が否定する。首を振り回し、腕を振り回し、西野は駆け続ける。
真中も死んだ。北大路も死んだ。流川も、他の沢山の人達も。
リサリサも、マァムも、自分に良くしてくれる。とても、優しい人達だ。
けれど、自分とは――違う。
殺人鬼とも闘える術を持った人。悪夢のゲームに放り込まれても、希望を失わずにいられる人。
――私だけが弱い。弱くて弱くて弱くて弱くて、情けなくなるぐらいに弱くて、弱い。
「はあ、はあ、綾さん……綾さん!!!」
――私と同じなのは、多分、彼女だけなの。
同じ女子高生。同じ学校に通ってた。何より、同じ――真中淳平の死を、分かち合う事の出来る、最後の人。
東城綾リサリサたちの言う"化け物"でも構わなかった。唯、話したかった。彼女と、自分と同じ、彼女と!

「……綾さん!」

西野つかさは、けれど知らなかった。
彼女の友人、東城綾は、変わり果ててしまったことを。
マァムに、リサリサに、そして西野に見せた健気な表情の全てが、偽りであったことを――



ゴウ ゴオオオオ!
立ち込める熱気の渦。
襲撃者の武器――燃焼砲から放たれる火炎の渦に巻き込まれないように、マァムは走る。
「てあああああああ!」
裂帛の気合を、張り上げた声と共に放ち、右に、左に、ジグザグに襲撃者へと迫る!
縦横無尽にアスファルトの上を駆け巡るマァムを目掛け、炎は辺り一面を焼き尽くしていく。
罪を焼き尽くすかのような煉獄の業火、傍らに佇むは悪魔の面、其れは真の地獄絵図。
ビルも標識も、全てが焔に飲み込まれていく。
――唯一人、羽のように舞う、武道家を除いては。
走る走る、駆ける駆ける、迫り来る炎の追撃を振り切っては、遂には壁に辿り着き、
「たりゃああっ!」
「……ッ!」

だガッ

壁を大地に見立て、反動を利用した鋭い蹴りの一撃が、流星の如く降る。
正確無比に放たれた武道家の爪先が狙ったのは、襲撃者の腕、武器を握る腕。
「…………ッァア!!」
突然の衝撃に緩む握り手。クルクルと道路の上を回転しながら遠ざかる燃焼砲。
格闘に優れたマァムから見れば、値千金の一撃。けれど一撃では終わらない!
「はぁあああああっ!」
拳、拳、拳。立て続けにウォーズマンのボディに拳を叩き込み、
「りゃぁっ!」
一瞬身を低く屈めれば、襲撃者の視界からマァムの姿が一瞬失われ、
次の瞬間、瞳のカメラが捉えたのは、闇夜に映える長く白い脚――襲撃者のこめかみに回し蹴りが炸裂する!


――――筈だった。

「な……ッ……きゃッ!」
                グ ガアアアアア ン!!

速度、タイミング、全てが完璧だった筈の必殺の一撃を。
正確に、堅固に。キックの勢いを殺された挙句、蹴りつけた脚を握られ、投げ飛ばされていた。
反射的に受身を取り、壁に叩きつけられたダメージを最小限に抑えはしたが、それもマァムの卓越した格闘センスがあってこそ。
並の人間ならば、反応する間も与えられずに頭を割られてもおかしくはない……!
(この男……ただの殺人鬼じゃない!)
身を起こしながら、炎の中に佇む無表情な仮面の男を改めて見据えれば、確信出来る。
無骨なヘルメットや、悪魔の笑みを浮かべた仮面に思わず目を奪われてしまったが、
真に警戒すべきだったのは、その鍛え上げられた鋼の肉体、大きな拳。紛れもない『格闘家』の身体。
「私の拳も、蹴りも……咄嗟に急所を逸らしたってわけね。
 でもそれでこそ……倒し甲斐があるってものよ!」
「コーホー… コーホー……」
女は立ち上がり、派手に啖呵を切る。襲撃者の身のこなし、容易に倒させてくれる相手ではないことは、理解した。
耳障りな呼吸音をマスクの下から響かせる襲撃者の表情は、全く窺うことさえ出来ない。
だが、厄介な武器――燃焼砲を手放させた今、勝負は五分と五分――
「コーホー…… コーホー…… ィィィィィィィィ!!!」
「……!!!」
女には構えを取る間も与えられぬ。金切り声を上げて漆黒の襲撃者が跳躍する。
定石ならば、武器を失った相手は距離を詰めてくる筈――然し、ウォーズマンが飛んだのは、逆側!
―――――ダンッ
後方のビルの壁が蹴られる音、刹那、

――――ギュルルルルルルルルルルルルルルルッッッ!

削岩機の音だ、と其れを知ってる者は思っただろう。
残虐なる貫通力!慈悲なき破壊力!圧倒的な粉砕力!必殺スクリュードライバー!
空気さえも巻き込みながら突き進む悪夢の螺旋が、実は唯一名の超人によって生み出された『技』であることに、
流石のマァムも即座には思い至ることは出来なかった。
今、あるのは恐怖――『あれ』を『受けること』は避けなければならない!

               ド ぐしゃああアアアッッッッ!

「あ ああ……あああッッ!!」
命からがら横に転がったマァムの瞳が見たのは、立っていた場所の壁が粉々に粉砕される光景。
そして、コンクリートの瓦礫の山に佇む、悪魔の仮面を持つ男――
「う……らぁっ!」
恐怖と焦燥を振り払うように、男の脚に狙いをつけて蹴りを放つ。
立ちっ放しの襲撃者は、武道家に脚を払われればバランスを崩し、地面に倒れ――

                が ごっ

全体重の乗った肘が屈んだままのマァムのうなじに落とされる。強引に絞り出される呼気。
意識ごと刈り取られそうな一撃の中――武道家としての本能が、中心線への追撃を防御する為に腕を交差させる。
けれど、慈悲は、微塵も与えられない。凍てつく氷の、優しさを忘れた、機械の精神。

                がッ

                     がッ

                            がスッ

                                グ ガアアアアア ン!!


拳を、肘を、膝を。
容赦なく武道家の身体に打ち込んだ後、顔面を掴み、再度壁に向かって投げつける。
衝突の衝撃で皹の走るコンクリートブロック。寄りかかったまま伸びきった手足、項垂れたマァムの姿。
燃え広がる炎が。ボロボロの街並みが。戦闘の終焉を、告げていた。



――――けれど。
「……まだ、終わりじゃあ、ない、わ」

襤褸雑巾のごとく痛めつけれた身体を引きずりながらも、マァムは立ち上がる。
女の身体から飛散する柔らかく暖かな、ベホイミの輝きは、煌々と立ち上る炎の眩さに掻き消された。
恐らくは最後のベホイミ。悪魔を粉砕する一撃分の力を、与えてくれればそれでいいと、マァムは思った。
――――残る全ての魔法力を、次の一撃に、込める。
死体同然であった武道家が立ち上がってくるのを予測していたかのように、襲撃者も立ち向かう。

――――拳を固めたファイティング・ポーズ。
或いは、狂気に侵されたウォーズマンに残された、戦士の誇りだったのかも知れぬ。
対するは流派・武神流。二人の格闘家は、今、炎の舞台に、巡り合わされたのだった。
視線と視線。拳と拳。最早、言葉は必要とされぬ世界。精神だけが、唯、研ぎ澄まされていく。


「あああアアアアアアアアアアアアアア!!!」
「はああああああああああああああああ!!!」


呼応し高め合う二つの気と気。
仮面の悪魔は、再度跳躍し、二倍の力で壁を蹴る。
煉獄を舞う蝶は、来るべき一瞬を待ち構え、両の拳に必殺の余力を蓄える。
互いに一撃必殺の拳を持つ者同士。決着は瞬く程の間。

――――ギュルルルルルルルルルルルルルルルッッッ!

暗闇を裂きながら突き進む閃光。回転、回転、回転、回転、回転、回転!
近寄るごとに回転を増せば、彼こそが必殺の螺旋、今、ウォーズマンの身体は一つの光となった。
突き出した拳が幾度も旋回を繰り返しながら、絶対の殺意を秘めて、マァムの身体を打ち貫く!


――――だが、二人が交差するこの刹那こそが、武道家が待ち望んだ、逆転の瞬間。


「武神流奥義!
          閃  華  裂  光  拳  !!!!」


マァムの頬を掠って走るウォーズマンの拳先。一筋の血液が、鮮やかに舞い散る。
身体を捻ると同時に放たれた武道家の拳は、生命の輝きを伴って、襲撃者の悪魔の仮面に叩き込まれる。
衝撃、衝撃、衝撃――ぴき ぴき ぴき と仮面に縦に走る亀裂。

武神流奥義・閃華裂光拳。
マァムの師、ブロキーナが回復魔法による過剰回復を応用して開発したこの奥義の真髄は、破壊による破壊に在らず。
生命を内部から破壊し、自滅させる。僧侶戦士であったマァムのみ伝授を許された、最終奥義!
如何な超生物であろうと屠ってきたこの一撃を、受けて五体満足でいられる者は存在しない――

――――相手が生物ならば。
「な……そん」
一度は完全に動きを止め、地に落ちたウォーズマンの身体が、腕が、マァムの身体に伸びる。
不意を撃たれたマァムは、ワケの分からぬままに、背後を取られ、気がつけば――"固め"られていた。
背中側に大きく引き絞られた腕。絡められた足によって封じられた脚。超高度な関節技(サブミッション)。
或いは天使のように。或いは羽をもがれる寸前の蝶のように。
捕獲した獲物が足掻けば足掻くほどに苦しみを与える、悪魔のフェイバリット・ホールド、
――――パロ・スペシャル。

「あ、ああ、あああああああああああああ!!!!」

引き絞られる腕に走る痛みは、マァムの喉を、其の意思とは別に掻き鳴らした。
響き渡る絶叫に、掻き消されるように小さな音――割れた仮面が落ちる音。
生物相手には絶対の威力を誇る閃華裂光拳が、効かなかった理由。
ギリギリの勝利を拾う筈だったマァムが、死神の鎌から逃れることが出来なかった理由。
――――仮面の奥に覗く闇を、女は、見た。

悪魔が仮面の中に隠し続けた、機械の素顔を。

                   ご きゃり

―――――――――――――――最後にマァムが見たのは、醜い笑顔。





コーホー。コーホー。
割れた仮面を拾い上げ、燃焼砲を回収する。
悪魔の仮面に走る斜めの亀裂。武道家だった彼女が残した傷痕。

――――カラン。
「……ッ」
確りと握り締めた筈の燃焼砲が、手の中から零れ落ちる。
武道家の一撃一撃は、確実にウォーズマンから体力を奪っていた。
勝敗を分けたのは、紙一重の差。それほどに実力は拮抗していた。

――――生贄だったな。そう言えば。
目的は果たした。DIOと約束した場所に、帰らなければ。
空虚な気持ちを抱えたまま、ウォーズマンは静かに、炎の中を歩き出した。

ずり ずり ずり ずり

腕を失った女の身体を、ひきずりながら。





【愛知県の外れ/1日目・夜】
【東城綾@いちご100%】
 [状態]:吸血鬼化、右腕なし、波紋を受けたため半身がドロドロに溶けた
 [装備]:特になし
 [道具]:荷物一式
 [思考]:西野と一緒に死ぬ

※綾は血を吸うこと以外の吸血鬼の能力をまだ知りません。

【西野つかさ@いちご100%】
 [状態]ショック状態、移動による疲労
 [装備]天候棒(クリマタクト)@ONE PIECE
 [道具]荷物一式、核鉄@武装錬金(ナンバーは不明、流川の支給品)
 [思考]1:ショック状態
    2:綾を探す

【リサリサ@ジョジョの奇妙な冒険】
 [状態]健康
 [装備]三味線糸
 [道具]荷物一式
 [思考]1:西野を探す
    2:吸血鬼を根絶する
    3:協力者との合流

※三人は近くに居ますが、それぞれ別の場所に居ます。


【愛知県名古屋/夜】
【ウォーズマン@キン肉マン】
 [状態]精神不安定、体力消耗
 [装備]燃焼砲(バーンバズーカ)@ONE PIECE
 [道具]荷物一式(マァムのもの)
 [思考]1:DIOのため、人間を捕獲したのでDIOの元へ。
    2:DIOに対する恐怖/氷の精神
    3:DIOに従う。

【マァム@ダイの大冒険】
 [状態]顔半分に残る火傷、MP0、全身打撲、両腕を根元から折られる、意識不明
 [装備]アバンのしるし@ダイの大冒険
 [道具]なし
 [思考]1:気絶中
    2:リサリサ、西野と合流
    3:協力者との合流(ダイ・ポップを優先)



時系列順で読む


投下順で読む



279:吸血姫AYA~日の差さない世界~ 東条綾 0286一方的に届いた思い、一方的に始まる悲劇
233:宿命と血統 西野つかさ 286:一方的に届いた思い、一方的に始まる悲劇
233:宿命と血統 リサリサ 296:白夜特急青森行き
263:悪魔始動 ウォーズマン 290:DIOの世界~予兆~
233:宿命と血統 マァム 290:DIOの世界~予兆~

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2024年05月02日 14:04