逃げたり諦めたりは誰でも、僅かばかりの時間があればできる。
だから、前に進むことを止めない人がいる。
誰にでも出来ることだけに価値を見いだす人はいないから。自分にしかできないことに価値を見いだす人がいるから。
しかし、顧みず、走り続けるだけでは暴走列車。
走り続けることだけが役目で、止まるに止まれない。終着点を見つけられないまま。

ディアボロも、そうかもしれない。
ディアボロ一人で抱えるには、死人の遺志は重くなりすぎた。
重みを増していくにつれ、立ち止まったり、振り向いたり、他に思いを巡らせる余裕は次第に薄れていく。
襲撃者を迎え討つことに、理屈や戦略上の正しさはあるかもしれない。
では、そこに彼の意志があっただろうか。彼の選択が反映されただろうか。
遺志を継ぐというには、死人の願いに引きずられ過ぎていやしないか。
ディアボロ本人はそれらの懸念を気にも留めず、ひたむきに駆ける。
思考は、鏡のスタンドの本体、居場所を突きとめようとするだけで手いっぱい。

スタンドと視覚を共有しているのなら、外を放浪する必要はない。
自動操縦型にしては、あまりパワーがなかった。
このことから、ディオの言う通り、ある程度遠方で引き籠っていると見るのが妥当だ。
だが、南下していくたび、無数にある建造物は嫌でも目に入る。
その中でも特に悪目立ちする家屋に、ディアボロは注目した。

(民家の中……?)

野球ボールが直撃したかのように、バリバリに割られた窓。
ガラスが内部で散乱し、能力を行使するのにはうってつけのロケーション。

(いや、さすがに単純すぎる。狭い場所はスタンド能力としては有利だが、自衛が難しい。
 本体はもっと安全な場所にいたいはず)

だが、狭いということは、自分も逃げ場がなくなるということだ。
爆発物でも投げ込まれれば、それこそ袋に入ったネズミ。
もともとサンドマンと連携し、しかも本体が前に出ないとなれば自衛力に不安を持っているのは明らか。
そして本拠地に罠を仕掛けるなら、探すのに手間がかかるぐらいの場所の方が良い。

「特別懲罰房……」

広い施設となると、ここぐらい。
意表突き、裏の裏を行くという策は、地力がないとただの考えなし。
そして、本体とスタンド間の距離が縮まった分、敵の一閃は鋭さを増す。
内部には既に、迎え撃つための包囲網がしっかり張られていることだろう。

「傷だらけになってでも突破する――」

――バゴォン

「――までもなかったな。よくもまあ、これだけ撒いたものだ」

ドアを足蹴にし、絨毯みたいにして上に乗るディアボロ。
いくら地面が磨かれていようと、ガラス張りであろうと、これなら先手を取られることはない。
そして、予想はおおむね正解だった。
床には、踏まないように歩いてみろと言わんばかりに、びっしりと敷き詰められたガラス。
ディアボロは考えなしに踏みこんでいたらどうなっていたか、と胸をなでおろすようなことはなかった。
それどころか、敷き詰められた隙間の無さに、感嘆するばかり。
地面のガラスに映らないよう、ディアボロは縮こまる。

(壁面に鏡を置いていない……と言うより、ほとんど置けないんだろうな)

所詮は平面的な支配、簡単に攻略できる。
時間と回収効率を考えれば当たり前だが、包囲できるほどの鏡は調達できなかったようだ。
広い施設を根城にする上でのウィークポイント。

「その距離じゃあ、大した傷も付けられまい」

鏡面を境に構えを見せるスタンドに、余裕の表情で応えるディアボロ。
ガラスに映るディアボロは鏡に比べおぼろ過ぎて、捉えられないようだ。
とは言えディアボロも、これと言った次手が浮かばぬまま座り込むだけ。
敵はこれを、罠が功を奏したと見るべきか、罠に縛られ動けないと見るべきか。
このまま、互いに動けぬまま千日手となる未来もある。

――左方より、四重の銃撃音。

「くっ」

その場から動けないからと言って、防ぐ手立てがないわけではない。
全て同方向から射出されたのなら、もはやそれは一発と同じ。
腕で軌道を修正するように弾いていき、4発が4発とも四方に散った。
小気味いい破砕音が鳴り響く。

「わざわざ場所を教えてくれるとは、マヌケだな」

スタンドで決着つかないから凶弾で撃ち貫こう、とは安直な考えだ。
サンドマンと共謀したように、懲罰房にガラスを撒いたように、鏡のスタンドは本体を叩けないからこそ有利だった。
手がなくなったからと言って、狙撃は追い詰められたあがきでしかない。
パワー型なら銃弾の対処は簡単。しかも方角から、おおよその位置は把握できてしまう。

「俺がマヌケだから気にならねえのかい? わざわざ、弾丸を弾いた理由を」

スタンドが、その意はともかく侮蔑し返す。
確かにそうだ。
壁面に立てかけられたガラスを全部割ってしまえば、もう攻撃は出来ないだろうと見積もってしたこと。
なのに、壁のガラスは割れていない。
ガラスを割るだけでは、相手にダメージが届かないことは先の戦闘で明らか。
鏡を割られたところで移動すればいいだけなのに、必死になって弾くこともない。
それでも、4回割れる音がしたのに。

頭部から背筋にかけて通る通る寒気。
嫌な予感、というわけでなくあくまで体感的なものだが、間違っていなかったらしい。
背中を通り抜けたのは夜風。
見上げれば、雹の様に降りかかる、ガラス。

「天窓が、散らばって……!」

特別懲罰房の天窓は硬質ガラスであり、並大抵のスタンドや弾丸ではヒビを入れるのがせいぜい。
だからこそ、『キング・クリムゾン』のパワーを利用し、その勢いを保ったまま天井に弾を向かわせたのだ。
夜闇を背にしたガラスは、優秀な鏡。降りかかる間もスタンドは高速移動を続け、鏡面に姿を残さない。
頭頂部ほどの位置に達すれば、喉を掻っ切られるのは必至。
スタンドでガラス片をなぎ払えば、と手をかざすディアボロ。

影も煙も出やしない。
手のひらを見直しても、そのままだった。

「何故だ、何故出ない!」

ここ一番の大事な時に、スタンドが浮き出ない。
精神性の変化故、時を飛ばせなくなる可能性は懸念としてあった。
しかし、時飛ばしだけならまだしも、ヴィジョンが丸ごと消失してしまうとは。
これが、未熟から生まれ出る力の行く末か。

「……まだだ!」

しかしディアボロは、表面に空条承太郎が描かれたDISCを持っている。
あれが仮に人型のスタンドDISCなら、大した質量の無い物でも弾ける。
ヴィジョンの無い物であっても、能力次第で凌げるだろう。何もしないよりましだ。
まだ間に合うと自分に言い聞かせ、盤を装填するも。


――空条家…いや、ジョースター家には伝統的な戦いの発想法があってな……

――観察しろというのは……見るんじゃあなくて観ることだ…聞くんじゃあなく聴くことだ

――今年になってわかったのだ…スピードワゴン財団の調査で…DIOに子供がいる可能性がな……


「記憶DISCだと!?」

長きに渡る因縁断ち切った男の英雄譚も、今は用無し。
か細い藁に縋ることもできない。

「マヌケはテメエだったなァァァァァッ!」

狂人は歓喜する。
ディアボロが目を瞑り、眉間にしわ寄せ念じるは、最後の抵抗、悪あがき。
もしくは辞世の句と揶揄されてもいいような、語り。

(聞こえているんだろう!? 分かっているんだろう!?)

ひたすらに語りかける。

(俺は、俺の弱さを認める! だが、弱さにすがり力を振るうのは御免だ!)

己が未熟に語りかける。

(俺はもう、孤独ではない! 王宮と言う名の殻が邪魔なら、抜け出してしまえばいい!)

何度も。

(俺は気付いた。真の帝王とは何なのかを。だが、お前がいなければ駄目だった! お前がいたから分かり得た!)

何度も。

(『キング・クリムゾン』……深紅の王よ! お前が、仮初にも王の名を持つのなら、俺に味方しろ!)

何度でも。

(お前が『スタンド』と、『並び立つ者』と名状される存在なら、今すぐ側に現れ、出でろ!)

今までやってきたことならば。
出来て当然と思えるならば。

スタンドは持ち主の精神力。
そこに一切の例外なし。

(並び立つ人と一緒に未来を、進むべき道を選ぶことが出来る――それが)

忌み嫌った力とて。

「帝王だッ!」


  ★


『全て』を敢えて差し出したものが、最後には真の『全て』を得る。

『黄金の精神』と『漆黒の意志』。
光と闇、白と黒の様に、相容れないとさえ思われる両概念。

『黄金の精神』は受け継ぐ概念。
正義の中にある輝きが、希望を伝えていく。
しかし、亡き者の遺志を継ぐことが大切でも、死者を生きる動機とするのは前向きでありながら、余りにも後ろ向きだ。

『漆黒の意志』は奪う概念。
卑劣さの無い純粋な意志が、個人を高めていく。
しかし、自らの意志で掴み取る姿勢は素晴らしくても、人間関係を希薄にすれば、孤独は避けられない。

正しいだけで結果が伴わなければ、その行為に意味はない。
矜持を失えば、自らが行動を起こす必然性はない。
更に言うなら、意志だけでは絶対にまかり通らない境遇というものも、どうしようもなく存在する。

矛盾するかのような両概念は、揃って初めて形となる。
清濁、明暗、白と黒。伴えば、その力はどこへ向かう?


  ★


「どの方向から来るのか分からないのなら、一点に集中させればいい」

再び、顕在するスタンド。
『キング・クリムゾン』は、未来を見ようとしない未熟な精神性が形となった物。
過去を否定しても、自分を否定しない限り、力は背後霊のように付きまとう。
他人の影響があっても、自分は自分だ。力を己がものとして振るうなら、自分を蔑ろにすることは許されない。
他人を気に留めるばかりで、自身を蔑ろにするようでは。
ディアボロは、真に自分を優先した。『キング・クリムゾン』と共に歩む道を選んだ。
上ではなく、下向きな考え方。

『上』ではなく、『下』へ。
『キング・クリムゾン』で地面を穿てば、周囲など気に留めずとも。

「血の、眼つぶしだ」

穴を落ちるガラスはごく狭い範囲に限られ、一ヶ所に集中する。
宙より迫るわずかの破片、表面に移るスタンドが、ディアボロに切りかかろうとするも。
血の雫が、吊られた男を開放する。

「反射面を覆えば、スタンドは移動せざるをえなくなる。だがその動きは常に直線的だった。
 ならば次に移動するのは、俺の瞳!」

手刀を、扇を描くように振り下ろす。

「捉えるのは……容易い!」

『キング・クリムゾン』の右腕が雲耀の速さで振るわれる。
手ごたえあり。

「ぎぃやあぁぁぁぁあぁあぁ!」

鏡のスタンドが攻撃を行うのは、鏡面に移っている時のみだった。
常に移動し続ければ無敵なものの、そうしなかった。
移動中は、無防備にして無干渉。そう結論付けるには充分。

「ご対面、だな」

命懸けのかくれんぼもこれで終い。

上階を訪れると、顔から胸にかけて、一筋の切れ目が入った男がいた。
確認するまでもなく、スタンドの本体だ。
男の周辺にガラスは存在しない。叩き潰すには絶好のロケーション。

逆だ。
ディアボロのスタンドは近距離型ゆえ、近づかねばならない。
それが仇となる。

「勝った! とっておきの奥の手だッ!」

『吊られた男』は、反射面を媒介として存在するスタンド。
ペットボトル、懐中電灯、ベアリング弾……反射物なんて、いくらでもある。
ばらまいてしまえば、舞踏は再び開演する。
背中に放っていたデイパックを開け――

パキッ
パリ パリッ パリンッ

「……はっ?」

――ようと、ファスナーを摘んだ右手が、陶器が割れるような音を立て千切れた。

「サンドマン! あのヤロオオオオオオオオオ!」

一足早い断末魔。
『キング・クリムゾン』が、狂人の脳天をかち割る。
天罰の一撃の前にもう一言何かを発するには、遅かった。

「『王宮下の世界(キング・クリムゾン・ザ・ワールド)』」

光と闇、白と黒。
伴うは――王宮抜けた先は、世界。

「今、名付けた」

ヴィジョンも、もたらすパワーも、何ら変わっていない。
しかしディアボロは、名付けずにはいられなかった。新しい誕生として。
それは奇しくも――最強を、無敵を冠したスタンドと、同一名称の。

「両右手……そうか、こいつが」

奇妙な左手、いや、両手と言うべきか。
空条承太郎の記憶の中で、僅かに話題に上ったJ・ガイル
事後になって、ディアボロはようやく知る。

「仇は取った、ということになるのか」

名前しか聞かされていなかったし、ロクでもない人物であることを考えると当然だが、立姿を知る者もいなかった。
仇討ちという使命感はどこにもないまま、裁きを下したディアボロ。
偶然とはいえ、大いに喜ぶべきであろう。
だが。

「この力で俺は――俺のために、生きている者のために戦う」

前向きに、後ろ向きな理由を語る。
ポルナレフの遺志を継ぐことは重要だ。
だが、戦う動機が死人のためだとしたら、生きている人間はどうなってしまう。
ディアボロは生きている。生きているということは、死人との間に絶対的な壁があるとも言える。
死人にこだわれば、過去に縛られ未来に生きられなくなってしまう。それこそ、復讐を優先していた頃のポルナレフのように。
真に遺志を引き継ぐというのは、そういうことだ。遺志をもたらした者、本人になってはいけない。
生きている者として、死人になってはいけない。

結果としてポルナレフの遺志を遂げたディアボロだが、それでも彼は自分のために戦った。
そして、これからも。



悪魔の魂は目覚め、世界を手にする。



【J・ガイル 死亡】

【残り 8(9)名】


  ★


直撃すればひとたまりもないというのは間違いだ。
当たらなければ、どうということはない。

「ウリィア!」

『ホワイトスネイク』が畳を返すようにタイルを剥がす、剥がす、剥がす。
掬いあげ、その勢いのまま投げつける。
サンドマンの攻撃と相殺していくが、あくまでこれは防御手段。
『イン・ア・サイレント・ウェイ』によって強化された石の雨を難なく防ぐ。

しかしそれで全てではない。
時間差攻撃、第二波をどうかわす。

「オラァ!」

『ストーン・フリー』を鞭のように撓らせ、手ごろなタイルの欠片をはたく徐倫。
浅く当り、音を立て、砂ほどの粒に細かく割れていく。
補充する間も与えずこの繰り返しが続けば、打つ手なしだろう。
無駄玉を抑えたいためか、背を向け走りだすサンドマン。
それにしては、普段の彼からは考えられない、追えと言わんばかりのスピード。

「待て!」

ディオとて、時間は掛けたくない。
ディアボロの戦況も気がかりだし、何より残りの参加者は二人だけではない。
多くて8人を纏め上げ、あるいは始末する必要がある。
目眩がするほどの作業量、本当に待って欲しいぐらいだ。

要望叶ったかどうかはともかくとして、サンドマンは動きを止める。

(深追いしたのは、まずかったかもしれないな)

建造物が密集する閉所に誘い込まれたと見るべきか。
サンドマンの能力を以てすれば、コンクリートを崩すことなど、湯豆腐を潰すより造作もないだろう。
近距離型とは言え、圧殺を狙われたら厄介だ。
接近戦には分があるが、ディオは徐倫の存在が気がかりだった。
まさか後ろから狙い打たれることはないだろうが、背中を預ける気にはとてもなれない。

――オォォォォ……――

風が一陣通り抜ける。

「……やめだ」

そこでサンドマンは、白旗上げた。
ディオが眉をひそめようと、事も無げに諸手を開き、残弾全てを地面に落とす。
ご丁寧にデイパックさえも。

「首輪を外せるのなら、荒木に用はない」

ディオを見れば、分かり切っているその事実。
誰にでも出来ることなのかという疑問も、邂逅時にディアボロも居合せていたはずなので持ち得ない。
しかし元々それが目的だったとしたら、今までの抗戦は回りくどすぎる。
故にディオにも徐倫にも、その言葉は詭弁にしか聞こえない。
不利になったら尻尾を振る、生き残る方が大切なのだから、としか取れない。

「方法はどうあれ、生きて祖国に帰らなければ、何の意味もない」

あっさりと勝ち馬に鞍替える。
長い物に巻かれ、大樹の陰に寄りかかる。
その割には謝ったり、媚びへつらったりしない。

「何が言いたい。それは『外せ』という命令か?」
「既にお前たちは俺に借りがある」

サンドマンにとってこれは、下手に出る和平交渉ではなかった。
交渉とは、歩み寄り、落とし所を見つけていく作業。
祖国の土地を金で買い取ろうとするぐらいに、サンドマンはこの世のルールに則る。

「音の反響が聞こえた。相棒がやられたようだが……決め手となったのは俺の能力だ。
 信用ならなかったからな、保険を掛けておいた」

まるで天上人。
俯瞰し、見抜いたように振る舞い、そして指図する。
もともと、相方がやられるのも想定内だったのだろう。
わざわざ証拠を見せようと、特別懲罰房に近づくよう誘導しながら。

「……だが、首輪を外すには命を賭けてもらう必要があるぞ」
「何も急ぐことはない。それこそ、事が済んでからだ」

ディオとしては面白くない。
ディオからすればサンドマンは、状況に応じて都合のいい顔をする節操のない男にしか映らない。
風が吹けば、首を垂れる対象が変わるだけ。
『元いた場所に帰る』と言う一点は、基本的に誰にだってある願望。
その場その場で態度を変えるようでは、信念なんて持ち合わせちゃいないし、情熱もない。故に度し難い。
植物のように生きる男、吉良吉影に感じたのと同じような不快感。
苦境に立たされれば容易に造反するだろう。足手まといより足を引っ張りかねない。

(調子づきやがって……!)

サンドマンは、故郷に帰ることを優先した。一先ず生きて帰ることを優先した。
妥協に次ぐ妥協。賢明な判断に次ぐ賢明な判断。
柔軟過ぎるその思考ゆえ、立ち位置を変えすぎる。
実に受け身の対応者。切迫した状況に置かれて、後手を打つようになってしまった。
サンドマンの欲は、結局のところ保身に集約される。

空条徐倫も度し難いが、悩んだことを見るにまだマシだ。
 しかし、こいつは絶対に協調しないだろう……DISCを挿す隙を作らせないほどに!
 今後邪魔になるくらいなら、取る道は……)

『理』を超えた『超常』の世界。
スタンドを内在させる者が、定石が通用しないことをとやかく言うことなど出来まい。
後手に回るのなら、なおさら。


――ズガン


  ★


「ハァッ……ハァッ……!」

リゾットの呼気が荒れる。吸気が乱れる。
フーゴとの戦闘の際、指を切断したのをほったらかしにしているのもそうだが、そのために鉄分を失ったのが致命的だった。
血を補うこともままならない。

「大丈夫ですか!?」

背後から長身の学生に――花京院に心配されようと、お構いなし。
リゾットは聞き入れようとしない。

「ひどい傷だ……。止血しないと!」

『メタリカ』で鉄分を補給しても、噴き出す血液を完全に塞ぐことが出来ないまま垂れ流す。
股釘を打って縫い合わせるのは見た目にも痛々しいし、身体への負担が大きい。
包帯のように衣服を巻くのも、片腕では難儀する。
ならば他人を頼ればいいものを、リゾットは聞き入れようとしない。
見えざる手に突かれるように、歩みを止めず。

「止まってください! その傷で歩き続けるのは無茶だ!」

医学に精通していない花京院にも分かるほどの外傷。
涙が出るほどありがたい忠告だ。
だがそれが何だというのか。

「お前の理屈を、押しつけるな」
「!」
「やらなきゃならん。無茶でも何でも」

身勝手だ、わがままだ。ついでに言うなら馬鹿丸出しだ。
だが、花京院に言い返す術があろうか。
花京院だって、リゾットからすれば身勝手でわがままで、更に付け加えれば視野が狭い。

ブローノ・ブチャラティと言う男がいた」

足を動かしたまま、独り言のように語り始める。
かつての、忌むべき宿敵の話を。

「しがらみに縛られて、自分も、他人も助けられなかった、哀れな奴だ」

ひどい言いようとは、言えたものではない。
元来にして敵対関係、一時休戦を取り持った仲は、縁が切れればこんなもの。
しかし哀れな奴とは、どこか、自分にも言い聞かせているみたいで。

「あいつは死に瀕して、何もしなかった。勝手に思い込んで、納得して、その実、考えるのをやめたんだよ」

何を言っても全て過去。
だが前に進むには、時に過去を顧みて、道を確認することも必要だ。
絶望するのは勝手だが、リゾットは絶望するがまま諦めたりはしない。
チームを再び失い、振り出しに戻ったと揶揄されようと。

「今のお前も、そうなんじゃあないか? それが最善だって自分に言い聞かせて、抱えて、自分も他人も無視して」

リゾットとて、説教をする柄ではない。
しかし、体裁も整えていない暴言で当たり散らさずにはいられなかった。
生きてるだけで幸せと言うのは、紛れもなくチームに対する侮辱。
命を散らせた彼らの行動が無駄であるとは言わせない。生きることさえ出来なかったとは考えない。
何より、今の自分が生きているだけで終わっては、駄犬がのたれ死ぬより惨めではないか、と。

「そんな死に方は、御免だ。俺は、貫く」

リゾットは一片も譲る気がない。
梃子でも動かぬ頑固な姿勢。

「ありがとうございます」
「……何がだ?」

だが、花京院にも足を止めさせることは出来たようだ。
不可解な陳謝にリゾットが振り向くも、理解に達する前に花京院がリゾットの肩を担ぎ、歩き出す。
そこには、自分だけではなく、他人の意志を尊重する形が現れていた。

「分かったんです。やっと、ティムさんの真意が」

リゾットが正しいかは分からない。
最終的に勝利しなければ駄々でしかないし、どの道、御高説に傷を癒す効能はない。
それでも、花京院にとっては、啓蒙的な意見だった。

「誰だって抱えるのはつらい。だったら――」


  ★





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最終更新:2011年11月26日 19:28