「そういえば名前を聞いてなかったね、君の名を教えてくれないか?」

無言

「さっきから言ってるヴォルペって人は君の友人なのかい?」

無言

「体調が悪い様に見えるんだけど本当に大丈夫なのかい?」

無言




育朗がいくら話しかけようと、ビットリオは反応もせずにただフラフラと歩き続けるだけ。
朝日が照らし出す街の中、二人の影が一定のペースで同じ動きを繰り返すだけ。
ヴォルペの名を呟きながらコツリコツリと靴が石畳とぶつかる音を立てるだけ。
顔色が蒼白であり、明らかに健康体とは思えない足取りのビットリオを育朗は気にかけるも、呼びかけど呼びかけど彼からの反応はなし。
道の両脇に林立している民家で休もうと提案するも、それすらも無視して歩き続ける。
どうしたものかと困った育朗が多少強引に肩を掴むと、訳の分からぬ奇声を発しながら狂ったようにナイフを振り回す。
人よりも弁舌に秀でているわけでもない育朗はここでどうすれば良いのか分からず、思わず押し黙ってしまう。
しかし、彼のことを置いていけるかといえば否。
育朗からすれば傍らにいる少年は仲間を喪ってしまい心神喪失状態に陥ってしまったものであるとしか考えられない。
ビットリオに起きている身体的な病気だとしか思えない様な症状も心的な負担によって引き起こされてしまっているのだと、
言ってしまえばビットリオを殺し合いの被害者であると思っているのだ。
彼の本性を知らぬ育朗はただビットリオの心配をしながら彼の傍らについて歩くことしか出来ない。
目的もなく彷徨い続ける幽鬼が二人。
正確に言えば育朗にはこの殺し合いを破壊するという目的がある。
だが、それでも、ビットリオに行き先を委ねて歩いているこの状況は何もしていないに同じ。
他者との接触を図りたいと考えている育朗にとって歩きまわるという選択自体は悪くない。
その事は理解できているのだが、明確な目的地もない移動に焦りが生じ始めるのも無理は無いだろう。
なんせ彼はバトルロワイアルが始まって8時間近く経過した今でも、たった一人を除いて主催に反抗の意を示した参加者に出会えていないのだから。
歯がゆい現実に眉を僅かに潜めつつ、前を歩くビットリオの後を追い続ける。

そして歩くこと幾ばくか、ビットリオが突然足を止めた。

「どうしたんだい?」

何かあったのではないだろうか?
ビットリオの身を案じた育朗が肩に手を置いて軽く声をかける。
相変わらずの無反応であったが、今までのように暴れだすこともない。
しかし、育朗は今までとは違った挙動を取っている事に気がつく。
首の据わらぬ赤子のようにふらふらと動いていた頭が急に固定されたかの如く不動のものとなっていた事に。
もしや何かを凝視しているのではないだろうか。そう考えた育朗が彼の目線の先を追うと―――。

「もしかして……あそこに行きたいのか?」

そこにあったのは泉。
地図にあったトレビの泉かトリトーネの泉のどちらかであるだろうと育朗は判断した。
が、ビットリオが泉などに関心を寄せる理由が一切理解できない。
再度少年の目線の先を追ってみると、泉の側に通路のようなものがあることが分かった。
そしてその奥にあるのは恐らく地下へと続いているであろう階段。
育朗の言葉に反応したかどうかは定かではないが、ビットリオは肩に置かれた手を振り払って前に前にと進む。
こうなっては止める術もない。置いて行けるはずのない育朗は危なっかしく階段を降りるビットリオに内心ヒヤヒヤしながら付き従うのであった。
余談ではあるがバイクは階段を通すには狭すぎるため育朗が背負うかのような形で運んでいる。
未来の話であるが、両腕の力のみで軽々とバイクを持ち上げた彼にとってはこの程度容易い話なのだ。



☆  ★  ☆




「地下にこんな空間があったのか……」

長い階段を下った先にあった広々とした地下世界。
辺りを見回した後、頭上へと視線を向けた育朗が僅かな驚きを込めて呟く。
数車線分はあるであろう広い道。路面は多少荒れているがバイクでの走行が可能な程度には整っている。
多少薄暗くはなっているものの、天井にある光源が照らしだしてくれていることもあり視界が効かなくなるということはない。
地図に載っていない場所の登場に面食らったものの、気を取り直してビットリオへと視線を向ける。
彼も辺りをキョロキョロと見回していたが、この地下風景に特に心惹かれるモノがなかったのか、すぐにフラフラと歩き出すことを再開していた。
育朗も特に慌てること無く今まで背負っていたバイクを下ろし、それを押しながらビットリオの傍らに付く。

地下という新たなフィールドを見つけたものの、目的が無いということは変わらない。
再びあてどない歩みを続けることしばし、育朗は遥か前方に久方ぶりの人影を発見した。
そして育朗が気がつくと同時、相手方も警戒したかのような動作を見せる。
おかしい。
育朗は瞬時に警戒態勢へと入る。
見つけたのはバオーの力を借りてようやく見つけることが出来たような小さなシルエット。
なのに両者が互いの存在に気がついたのはほぼ同時。
ここから導き出される結論は単純。
視覚、嗅覚、聴覚、空気の振動、気配察知。もしくはそれ以外のいずれか。
とにかく相手も常人を越える何かを持っているということだ。
止まることは出来ない。
ビットリオが暴れだしてしまえば並行して戦闘を行うのが困難になるから。
かと言って彼を気絶させるなど手荒な方法で止めることもできない。
自分に万が一のことがあった場合、彼の死が確定してしまうから。

共に歩み寄る。
その中で育朗は強く願った。
相手が殺し合いにのっていない人間であることを。

距離が近づく。
相手の姿が明確となっていく。
育朗は瞬間凍りついた。
似ている。
カーズに、廃ホテルで戦った怪物に。
警戒を更に強める。
少年を巻き込まぬように早足で彼の先を進む。
バオーの力を完全に引き出す一歩手前。
男は構わずに歩み寄る。
育朗の脳裏にトラウマとも呼べる記憶が過ぎる。
友の血で濡れた両腕の紅さと生暖かさ、そして濡れた感触。
傍らの少年も自身の手で殺したらどうなるか。
思わず固く目を瞑る。
しまったと思うも後悔先立たず。
慌てて目を開く。
男との距離は僅かであったが縮まっていた。
額に浮き上がる冷や汗。
覚悟を決めかねる。
せめてのも虚勢で拳を力いっぱい握る。
男との距離は残り数メートル。






「止まりな」


だからかもしれない。
男からかけられた言葉に、少なくとも問答無用で襲ってくることはないと安堵したのは。
半ば殺気に近い威圧感を放ってはいるものの、それが殺意とはまた別な物であると気がついたのは。

「すまない、同行者の都合でそれはできないんだ」

そう言って後ろをノロノロと歩いて徐々に育朗の背に追いつきつつあるビットリオを指さす。
男は見るからに異常な様子のビットリオをしげしげと眺め一言。

「なるほど、薬中のガキを抱えてるってわけか」

ぶつぶつと訳の分からぬことを呟き、おぼつかない足取りで歩く死んだ目をした少年。
裏社会に身を置いていた経験が即座に答えを導き出す。
今までに見飽きるほどの人数の患者と出会ってきた彼だから一発で理解できた。
逆に育朗は驚愕に目を見開く。
超常の世界に巻き込まれてしまって幾つもの死線を掻い潜ってきた彼にとっても、クスリというのはまた別の意味で違った世界の話。
想像もしていなかった事態に思わず後ろを振り返るも男は構わぬ様子で言葉を吐く。

「で、てめぇはどっちの側なんだ? 殺して回ってんのか? それともスティールとやらに反抗すんのか?」

実のところ、男はこの質問に意味は無いと考えていた。
殺し合いに乗ってる人間は正直に答えないだとかそんな理由ではない。
ヤク中で自分の意識があるのかすら分からない様な少年を保護し、連れて歩いているお人好し。
ビットリオがヤク中であることを知らなかったという反応から、同行していたのが元々仲間であったからという理由は消える。
そのリアクション自体が演技である場合もなくはないのだが、あまりにも育朗の驚き方が自然であったために男は無意識でその可能性を排除していた。
つまるところ男が質問をしたのは、姿を現しておきながら何もせずに立ち去るという行為に抵抗があったという小さな意地。

「僕はこの殺し合いを壊したい。そう考えている」

だからかもしれない。
自分を正面から見据え、堂々と答えた育朗の双眸が眩しすぎると感じたのは。
育朗の瞳に輝く意志の光に思わず不意をうたれたのは。
気圧されてしまいそうになったのは。
ヤク中であると知ってしまったビットリオに今まで以上に心配気な目線を送ったため、目と目が合う時間は短かった。
しかし、それでも男は心中で何かがささくれ出す感覚を味わう羽目になる。
だからかもしれない。徐々に明確になっていった少年の呟きを聞き逃したのは。
















「死ね、化物」













突如手に持ったナイフを振りかざし踊りだす少年。
今までの力ない動きは何処に行ったのか、機敏な、手慣れた動作で男へと跳びかかった。
……しかし、男の反応速度からすればその動きはあまりにも愚鈍であり、焦りの欠片すら見せずに男は考える。

出会った当初はヤク中の少年をどうするか決めかねていた。
足手まといになるのは確実であるが、白か黒かは不明。
そんな人間を問答無用で殺してもいいのか、そんな悩みが男にはあった。
だが、錯乱し他者に襲いかからならば、仲間に危害を与える恐れがあるならば。
排除せねばならない。
クスリのせいで錯乱してるだとか、自身の外見が明らかに危険人物のモノであるなどは関係ない。
この判断力の欠如が今後何処かで邪魔になるのは確実なのだから殺す。

そこまで考えたところでもナイフの切っ先が自身に突き刺さる気配は一切ない。
心臓を狙って突き出そうと構えているのがチラリと見えた。
だから、迎撃する。
右腕を小さく引き、前へと突き出す。
あまりにも単純で無造作な一撃。
それでも只の人間であればそれだけで容易に胴を貫くことができる一撃。
が、彼の腕に肉の手応えはなく、ただ宙を切った感覚が残るだけ。

「おい、そいつを寄越しな」
「彼は自分が何をやってるか分かってないだけなんだ。許してはくれないか?」

男はビットリオのフードを右手に掴んだ育朗を睨む。
要求に対する育朗の答えは当然ながら否。
だからこそ男も育朗の願いを汲んでやる気など微塵もない。

「駄目だな」
「クッ、君、逃げるんだ!」

懐柔できる要素など微塵もない。
冷徹に告げられた死刑宣言を聞き育朗は即座に理解した。
だからこそ逃さねばならない。
抵抗すら許さぬ力の差を感じ取ったのかその場から動けずにいるビットリオ。
乱暴であるのは分かっていた。
それでもこれしか方法はない。
力を込めて少年を放り投げる育朗。
彼は見たのだ。
クスリで心を壊されていようとも、仲間の死を悼んで泣き叫ぶ少年の姿を。
だからこそ死なせる訳にはいかない。
男が跳ぶ。
育朗も咄嗟に動き巨大な肉体を止めようと立ちはだかる。
刹那の判断。
二人の体はぶつかり合う事なく、両者は互いの手を掴みながら組み合う形となった。

「どきな!」
「行かせは……しない!」


ビットリオがこちらから離れていくのを育朗は気配で感じ取った。
自身の思惑通り逃げてくれたことに安堵し、育朗は男との力比べに専念する。
といったものの柱の男と変身前の育朗ではパワーが段違い。
体勢が徐々に崩されてゆくのを自覚しつつ、それでも時間を稼がんと粘る。

「もう一度言うぜ、どきやがれこの糞ガキが」
「断る!」

男が腕に込める力がさらに増した。
負荷の限界が近くなった育朗の腕が、脚が大きく震えだす。
けれども内に潜む化物の力は引き出さない、引き出せない。
確かに男には殺意がある。
初めて感じる様な謎の"におい”がある。
しかし、邪悪な気配を一切纏っていないという事は分かる。
今まで戦ってきた相手と、人の死を弄ぶ外道とは違うことが分かる。
故に変身しない。命を奪う真似をしたくはない。

「僕が彼に殺人などさせない。約束する!
 だから、どうか、どうか今回は見逃してくれないだろうか!?」
「しつこいぜ。俺は既にノーって言ってんだよ」

苛立ち混じりに放たれた蹴りが育朗の胴に直撃する。
全力ではないが、少なくとも死んでも構わないという意志のもとで放たれた一撃。
男が組み合っていた手を離すと、育朗は派手に吹き飛び岩壁に叩きつけられる。
常人ならば即死、バオー適合者である力を以ってしも大ダメージは免れぬ衝撃。
それでも、それでも育朗は立ち上がり、立ちはだかる。
口の端から血を流しながらも、足が僅かに震えていても。

「分からねぇなら教えてやるがな、俺は見逃してやるって言ってるんだぜ?」
「彼を見逃すとは言っていない」

手の甲で口からわずかに漏れた血を拭う。
痛手を負った内臓も動きに支障がない程度には回復。
だが、動きに支障がないとはいえ痛みがないわけではない。
襲い来る鈍い痛みに抗いながら、意志の力で育朗は男の前へと立ちはだかる。

「死ぬ気か?」
「死んでも……通さない!」

不意に男が高く跳び上がる。
半ば天井に張り付くような大跳躍で育朗の頭上を通り超えようとする男。
しかし、育朗も壁を蹴って宙へと飛びその両腕に男の胴を捕らえた。
バランスを崩し地面に叩きつけられる二人。
互いにほぼ無傷。
先に立ち上がった男が駆け抜けようとするも、左足を掴まれて盛大に転ぶ。
大して労することも無く起き上がった男であったが、これ以上の進行を諦めた。
本来ならば柱の男の力をもってすれば育朗の体を引きずって進むことも可能。
だが育朗を無視して無防備になれば何をするか分からない。

「分かったぜ。よく分かったよ」


左足を掴む育朗の両腕を自由な右足で踏み抜く。
パキリと妙に軽快な音が地下道に響き渡る。
砕けた両腕の痛みに顔が苦痛に歪む。
それでも育朗は力を緩めない。手を離さない。

「進むためにはてめぇを潰して行かなくてはいけないってことがよ。
 再起不能ですませてやってもいいが、死んでも恨むんじゃねぇぞ」

無造作に振られた左脚の動きに合わせて吹き飛んでゆく育朗。
大地へと派手に叩きつけられ数回バウンド。
それでも彼は立ち上がる。
再生が追いつかず垂れ下がった両腕。切れてしまった額から流れ出る血。
重傷であるのは間違いないはずなのに。
動かずに寝ていれば回復能力によって痛みも傷もすぐに癒すことができるのに。
元よりそんなものが無かったのかのごとく彼は立ち上がる。

「頼む、止まってくれ。貴方が悪人じゃないことは分かっている。だから―――」

言い切る前に鳩尾へと叩きこまれた拳。
ややアッパーカット気味に放たれた一撃が育朗の体を浮かせた。
彼の体が一瞬だけ天井に張り付き、数秒後には地面にぶつかる。
先程よりも更に派手に血を吐き出した育朗。

「悪人じゃない? 知ってるさ。俺は怪物なんだからな」

育朗の耳にすら届かぬ程の小さな声で怪物が呟く。

歩み寄る男。
立ち上がる育朗。
もはや小枝よりも頼りなくなった足に力を込めて彼は立ち上がる。

「終わりか?」
「まだだ、まだ―――」

返事を聞かずに放たれた蹴りが右足に直撃。
穴の開いたジーンズから白いものが覗く。
片足をやられた育朗がバランスを崩す。
それでも彼は倒れない。




男が殴る。

育朗が立ち上がる。

男が蹴る。

育朗が立ち上がる。

男が投げる。

育朗が立ち上がる。

男が薙ぐ。

育朗が立ち上がる。

男が締める。

育朗が立ち上がる。

男が突く。

育朗が立ち上がる。

男が折る。

育朗が立ち上がる。





骨を折られようと、皮膚が切れようと、血が流れようと。

育朗は立ちはだかる。

だが、男が本気でなかったとはいえ、育朗に常人を遥かに凌駕する再生力があったとはいえ。
未だに立ち上がり、立ち塞ぎ、立ちはだかろうとする彼の体に着々と迫る限界。
傷がない部位を探すほうが難しいほど傷にまみれ、血に濡れた体が紅く染まる。


そして――――意地と気力のみで立っていた体にもついに終わりが訪れた。



立ち上がれない。
足にいくら力を込めようとしても、腕にいくら力を込めようとしても。
体が心に応えてれない、動かない。

そんな様子を見て男の唇がニィと動いた。
本来、この男はそこまで気の長い性格ではない。
しかし、今、とうにキレていても可笑しくない状況で男は余裕を見せる。
本気を出せばバオーの力を完全に引き出せていない育朗を気絶させるなど容易いのに、それを行わない。
見ていて滑稽だったのだ。
育朗の姿があまりにも。
■■なのに必死になる育朗が。

「ククッ」

男が小さく笑いを漏らす。
男はとうに確信していた。
直接触れ、"食った”感覚はあるのに次から次へと新たな皮膚が生まれ来る感覚。
初撃で判明した生身の人間にあるまじきパワーとタフネス。
そして、人間の"におい”に紛れながらも明確に感じられる人のものとは異なった"におい”。
だからこそ男は嘲りの言葉を投げかけざるを得なかった。
言わずにはいられなかった。







「博愛精神に目覚めて人間気取りってか? 笑わせちまうな、おい。
 いくら人間のふりをしてても分かっちまうもんなんだよ、この"怪物”が」







――――同士へと。














☆  ★  ☆




ビットリオ・カタルディはある意味では幸運な少年であった。

熟練のスタンド使い二人が存在している学校において、両者が離れていた隙に片割れを殺せた。
後少し離脱のタイミングが遅ければ、参入のタイミングが早ければ、
彼は強敵二人、もしくは自身のスタンド能力を事前に知った猛者一人と戦うことになっていただろう。

ジョージ・ジョースターを、アイリン・ラポーナを、サンダー・マックイィーンを殺害できたことも幸運によるものが大きかった。
最大戦力であるアイリンを最初に無力化出来たこと、マックイィーンの能力で死にかけていたところをジョージの"狂気”に救われたこと。
この二つによって彼は足に少しの傷を負った程度で正面から3人を圧倒することが出来た。

二人のツェペリを相手にして不意を打てたのもそうだ。
いや、この場合は怒れる柱の男を相手にして無事逃げ切れたことを幸運だというべきか?
とにかく支給品に恵まれていたおかげで彼は命を落とすどころか五体満足のままでいられたのである。

ここまで幸運が続いているビットリオ。
麻薬が切れてしまったことによる禁断症状が殺し合いの場で発症したという事は確かに不幸である。
だが、積極的に殺害をしようとしている人物に見つかっていないどころか、力強いボディーガードまで隣に侍らせているのだからその程度の不利さは相殺できる。
更に思考力を一時的に鈍らせたということは、
先刻知ってしまった仲間の喪失について考えるということを奪う結果にも繋がっていた。
仲間の死を直視しない、できない。
人によっては不幸であると思うだろう。不憫であると思うだろう。
しかし、だ。この少年にとっては、ビットリオ・カタルディにとってはそれが幸せなのだ。
すべての責任を他者に求めてしまうという性を持って生まれてしまったこの少年にとっては。
死を受け止めることもなく、ただただ他者に怒りを振りまくよりは何もせずにぼんやりと歩きつづけることの方が。


そして、彼にとっての最大の幸運。
それは隣を歩く青年、橋沢育朗と出会った時期がベストなタイミングで会ったこと。

もしも育朗と放送直前に出会っていなっかったら、嬉々として人を殺して回っていた時期に出会ったら。
彼の持つ邪悪の気は橋沢育朗にとってのトリガー。秘められた力を引き出すためのスイッチ。
仲間を喪った怒りと悲しみのみで攻撃を加えたからこそ、育朗も激情に燃えるビットリオに対して説得を行おうとしたのだ。
邪悪な気配が混ざっていなかったからこそ、橋沢育朗はバオーに変身して戦うことを選択しなかったのだ。
麻薬の禁断症状により思考を奪われたこともプラスに作用している。
考えることができなくなってしまえば、さしものバオーであっても本質を見ぬくことは不可能なのだから。
バオーと万が一戦う事態になってしまった場合、断言できる。
彼の命はなかったと。
『ドリー・ダガー』の弱点は複数あるが、バオーとの相性は最悪と言っても良い程のものである。
足がもがれようとも容易く癒着させるような回復力を持った相手に対し、自身の負ったダメージの7割を転嫁する程度のことが如何に不毛であるのかは想像に難くない。
だからこそ、本性がバレる前に彼の側から逃げ出せたというのは幸運であったという他無いだろう。

ところで、だ。
幸運は幸運を引き寄せる、そう感じた事のある者も多いと思う。
当然、無限に続く豪運などという夢物語を信じるものは少ないだろう。
しかし、今のビットリオはまさにこの状況。
続いている幸運によって4人もの参加者を殺害しながらも、状況は一向に悪くなることがない。
ならば彼が怪物から逃げ去る際、無意識に手にしていた育朗のディバッグの中、エニグマの紙に収められていた支給品の中に彼の最も望むものが入っていてもおかしくはないだろう。
そう、人を狂わす禁断の白い粉末が入っていようとも。


だが、何時まで続くかも分からぬ幸運しか持たぬこの少年は、誇りすらも持つことが出来ないこの少年は勝者たりえるのだろうか?
ビットリオ・カタルディは、果たして何かを掴み取ることが出来るのだろうか?
幸運にまみれているはずの彼はある意味では最も不幸な人間なのかもしれない―――――。




【C-5 地下/ 1日目 午前】

【ビットリオ・カタルディ】
[スタンド]:『ドリー・ダガー』
[時間軸]:追手の存在に気付いた直後(恥知らず 第二章『塔を立てよう』の終わりから)
[状態]:全身ダメージ(ほぼ回復)、肉体疲労(中~大)、精神疲労(中)、麻薬切れ
[装備]:ドリー・ダガー
[道具]:基本支給品、ランダム支給品0~1(確認済)、マッシモ・ヴォルペの麻薬
[思考・状況]
基本行動方針:とにかく殺し合いゲームを楽しむ
0:ヤクが切れているのでまともな思考が出来ない。目的地も不明瞭
1:兎にも角にもヴォルペに会いたい。=麻薬がほしい
2:チームのメンバーの仇を討つ、真犯人が誰だかなんて関係ない、全員犯人だ!
[参考]
1:彼の支給品はバイクとともに置いていかれました。
  現在持っているのは橋沢育朗のディバッグに入っていたものです
2:名簿を確認しましたが、自分に支給されたものは持ってきていません
3:行動の目的地は特に決めていません。というよりも考えられません






☆  ★  ☆







「博愛精神に目覚めて人間気取りってか? 笑わせちまうな、おい。
 いくら人間のふりをしてても分かっちまうもんなんだよこの"怪物”が」


常人を遥かに超えた筋力を持つ自分の更に上を行く剛力。
古代の拳闘士が現代にやってきたかのような装い。
敵意とも殺意とも違うもう一つの『におい』が気になったが、それは置いておく。
僕は確信した。
眼の前に立つ相手はカーズ達の同類であるのだと。
そして彼は言った。
「怪物」と。
そう言った。僕のことをそう呼んだ。
違う。
否定せねばならない。
これだけは認める訳にはいかない。
友のことを思い出す。
それだけで不思議と体に力が湧いた。
震える腕で体を起こす。
ろくに動かぬ足でゆっくりと立ち上がる。
男が驚愕に目を見開いた。
構いはしない。
そんなことは関係ない。
僕がやらねばならぬことはたった一つだけ。



確信を込めて、力いっぱい育朗は叫ぶ。




「違う、僕は……人間だ!」





育朗がまだ動けたことに僅かに驚いた男も、彼の言葉を聞くと同時に口の端を皮肉げに歪めた。
逃したヤク中の少年など即座に頭から飛んでいく。

「諦めな、てめぇは既に怪物なんだからな。
 気持ちはわかるぜ? 人間であることに縋りたいってのはな。
 だがもう一度言うぜ、諦めな。もう無理なんだからよ」

今から彼が行うことに意味など無い。
言うならば只の憂さ晴らし。
吐き出す相手の居なかった苛立ちを晴らすための行動。
同じ立場で諦めていない青年を無性に壊したくなった、ただそれだけ。
だが、それでも彼は抗う。

「なんどでも言ってやる! 僕は人間だ!」
「ほぅ、根拠もないのにか? 誰に聞いても今のテメェは化物って言うぜ?」

男の笑みが更に広がる。

「根拠なら、ある」
「ほぅ、強がりかどうかしらねぇが言ってみろよ」

育朗が強く拳を握り締める。
思い出すのはあの感触。
強く握りしめられた掌の温もり。
拳を顔の前に突き出し、育朗は言葉を紡ぐ。


「友が……いや、ダチが僕を人間だと言ったんだ」


二カッと笑みを浮かべたダチの姿が目の前に浮かぶ。
彼の、虹村億泰にかけられた言葉が一字一句違わずに耳から聞こえる。
『だからお前も人間だ。 頭がワリーから上手く言えないけど俺はそう思ってる』
育朗の心に勇気が満ちる、なおもふらつく体に力が滾る。
この言葉を嘘にはしない。
たとえ絶大な力を持った男を前にしたとしても。

「それだけか?」
「ああ、それだけだ。たった一つの言葉でしか無い。
 だが億泰君は笑いながらお前は人間だと言ってくれた。
 同情でも哀れみでもなく心の底から僕を人間と呼んでくれた。
 それだけで十分だ」

数時間も行動にしていない人間のたった一つの言葉。
ただそれだけ。
ただそれだけのことだというのは育朗自身も理解している。
しかし、それがなんだというのだろうか。
育朗の瞳は確かに前を向く。
黄金の煌きをたたえながら。



「気に食わねぇ」



育朗の耳にギリギリで届くか届かないかの呟き。
ここに来て男が初めて苛立ちを見せた。

「てめぇのダチみたいな物好きがどんだけいると思ってんだ?
 他の連中はきっと皆が皆てめぇを化け物だって呼ぶぜ」
「それでも、誰に化け物と言われようと僕は、僕と億泰君だけは僕が人間だと信じ続ける!
 億泰君が信じた僕が僕を信じる、だから僕は人間なんだ!」

なおも本心を抑え嘲るような態度を崩さない男。
なおも男の言葉に抵抗を続ける育朗。
頑として譲ろうとはせぬ二人のにらみ合いが続く。
が、男の堪忍袋の緒がついに切れる。
クソと小さく毒づくと同時、全身に血管が浮かび上がった。

「だからてめぇのその根拠もクソもねぇ考えが一体なんだって言ってんだよ!」

嵐のような咆哮が地下道の大気を大きく震わせた。
常人ならそれだけで殺せそうな威圧感という名の暴風を浴びながらも育朗はなお男を睨む。

「てめぇも億泰ってやつ正気か? お前みたいなのが本当に人として生きていけると思うか?
 断言してやるぜ、怪物の体はいつか誰かを殺しちまうな、ああ断言してやるよ。
 甘ったれなてめぇは知らないかもしれないがな、手加減しても人の体なんて簡単に崩れちまうんだぜ怪物の力ならな。
 ああそうさ、どうやってもあっけなく死ぬんだよ人間なんてな。だったら怪物として生きるしか無い、違うか?」

感情をすべて吐き出すような、すべてを叩きつけるようなそんな叫び。
だが、育朗は男の叫びに違和感を感じた。
それはまるで自分自身の体験かのようで、自分自身に言い聞かせてるかのようで。
男から感じていた謎のにおいの正体。その片鱗を理解した。

「もう一度言ってやるよ。俺たちはもう戻れないところまで来ちまったんだ。
 どうしようもねぇんだよ、ああ、クソッタレ!」

"俺たちは”
決定的な言葉。
育朗の浮かべていた表情が険しいものからハッとしたものへと転じる。
男が苦々し気な表情で舌を打つ。

「チッ、余計なことを言っちまったか」
「あなたも……なんですね」

目の前に立つ男が抱えている闇。
それはこの殺し合いに呼ばれた直後の育朗が抱えていたものと同様のもの。
理解した。理解することができた。

「ああ、下らねぇ話もここで終わりだ。最終通告だ、どきな。
 さもなくば……殺すぞ」

今までの物とは質が違う殺意が育朗を襲う。
一瞬も怯むこと無く重厚なそれを正面から受け止め、彼は考えた。

目の前で荒ぶる彼は億泰君に出会えなかった僕なのだと。
行く先のない迷いや苦悩を諦めることで片付けてしまったのだと。
だから、そう、だから。

「あなたに人を殺させるわけには……いかない!
 ここで僕が、止めてやる!」

僕の言葉と同時に飛んできた豪腕。
屈むことによって辛うじて避けることが出来た。
そして続けざまに襲い来る顔面を狙う蹴り。
横に転がることでこれも回避。
頬が切れ血が流れるもその程度は気にしていられない。

圧倒的な身体能力の差。
躱すだけでは勝てない、いや、躱し続けることすら出来るかわからない。
どうすれば、いや、分かっている。


彼を止めるためには僕も変身しなければならない。


だが、意図的にコントロール出来ないこの力では。
制御のきかないこの力では。
……彼を殺してしまうかもしれない。

それでは駄目なんだ。
殺すんじゃない、それに止めるんじゃない、彼を……救わなければならない。

『恐怖をわがものとせよッ 怪物よッ!』

突如脳裏に過ぎった重低音。
ホテルで戦った男からの忠告。

『恐怖をわがものとせよッ 怪物よッ!
 今のお前は何物にも成れん、哀れな生き物でしかない。
 何のために戦うのだ? 誰のために戦うのだ? 誇りを持たぬ戦いなんぞ、犬のクソに劣っておるわッ』


誰のため、何のために戦うのか。
僕はまだ決めかねていた。
この殺し合いを止めるため? 人々を助けるため。
そうだ、それも大事だ。
けど、けど今僕がやらねばならぬのは、僕の戦う目的は。



「僕が、僕があなたを人間だと信じる! だから……」




眼の前にいる男を止めることだッ!彼の手を差し伸べることだッ!
何があっても彼の手を握ってみせる。
逃げようとも暴れようとも彼の手を握りしめて絶対に離してなんかやるものか。
ダチが教えてくれたこと、今度は僕が彼に教えるんだ。
僕の力はこのためにあるッ!



だから……。



僕は僕の中の怪物を制御してみせる。
僕は人間なのだから。
僕のことを信じてくれた人間がいるのだから。
そのために恐怖を克服してやるッ!
怪物を克服してやるッ!





「あなたも自分が人間だと信じてくれ」





さぁ、僕に力を―――――貸せ!!!









バル
      バル      バル

  バル       バル

     バル   バル     バル

    バル         バル
        バル





体が作り変えられていく感覚の中、スミレと億泰君が笑っていた。
「よく言ったわ育朗」「よく言ったじゃねぇか育朗」二人してそう言って笑った。
そんな気がした。




億泰君、スミレ……ありがとう







バルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバル
バルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバル
バルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバル
バルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバル
バルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバル
バルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバル





バオーは、いや、橋沢育朗は思った。

目の前の男から発せられている嫌なにおいを消してやるッ!
強く感じられるこの"悲しみのにおい”を消してやるッ!






【D-5 地下/ 1日目 午前】

【橋沢育朗】
[能力]:寄生虫『バオー』適正者
[時間軸]:JC2巻 六助じいさんの家を旅立った直後
[状態]:バオー変身中。全身ダメージ大(急速に回復中)、肉体疲労(大)
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考・状況]
基本行動方針:バトルロワイアルを破壊
0:億泰君、ありがとう。スミレ、ごめん。僕は僕の生きる意味を知りたい
1:眼の前にいる男の悲しみのニオイを消す
2:それが終わったら少年(ビットリオ)を追う
[備考]
1:『更に』変身せずに、バオーの力を引き出せるようになりました
2:名簿を確認しましたが、育朗が知っている名前は殆どありません(※バオーが戦っていた敵=意識のない育朗は名前を記憶できない)
3:自身のディバッグはビットリオに取られましたが、バイクの荷台に積んであったビットリオの支給品はそのままです
  ワルサーP99(04/20)、予備弾薬40発、基本支給品、ゾンビ馬(消費:小)、打ち上げ花火、手榴弾セット(閃光弾・催涙弾・黒煙弾×2)
4:バイクは適当な位置に放置されています


レオーネ・アバッキオ
[スタンド]:『ムーディー・ブルース』
[時間軸]:JC59巻、サルディニア島でボスの過去を再生している途中
[状態]:健康
[装備]:エシディシの肉体
[道具]:基本支給品一式、ランダム支給品1~2、地下地図
[思考・状況]
基本行動方針:護衛チームのために、汚い仕事は自分が引き受ける。
1.目の前の男を倒す?殺す?
2.殺し合いにのった連中を全滅させる。護衛チームの連中の手を可能な限り、汚させたくない。
3.全てを成し遂げた後、自殺する。
【備考】
※肉体的特性(太陽・波紋に弱い)も残っています。 吸収などはコツを掴むまで『加減』はできません。







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111:境遇 ビットリオ・カタルディ 152:新・戦闘潮流

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最終更新:2014年04月01日 01:45