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たんぽぽ娘

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 春一番が吹く頃、高良みゆきの心には一輪のタンポポのイメージが浮かぶ。
 それは夢見がちな思春期の少女が思い浮かべ、大人になるにつれ忘れ去ってしまうロマンティックな想像の産物なのかもしれない。
 時にそうしたイメージは生み出した少女自身に実在を錯覚させてしまうものだ(博識なみゆき自身、このタンポポをそのようなものだと分析していた)――しかしこのタンポポはそうした気まぐれなイメージの多くとは異なり、現実と遜色ない明確なディテールをもっていた。

 みゆきはいつでも、タンポポの細部までつぶさに思い描く事が出来る。
 それは春風と共に咲き、夏の到来を待たずに散る小さなカントウタンポポ。
 頭花は夕凪の海のように黄金色で、土壌から伸びる茎はグルリと身を捻りながらお辞儀をしている。
 少し虫食いのある葉の縁はノコギリのようにギザギザで、雨の日に裏側を覗くとたまにナミテントウが一休みしていたり。
 ちっぽけに見えるけれども、実は枯れ草やカブトムシの幼虫の眠る土壌にどっしりと根を張り巡らせていて、台風にだって負けないのだ。
 それは四六時中みゆきの心を占領し続けるわけではないけれど、ふとした瞬間ににひょっこりと頭を出し視界の隅にちらつくのだった。



 このタンポポのイメージのルーツを辿る時、みゆきはひとつの他愛ない想い出に行き当たる。



 高良みゆきがいつから知識を愛するようになったのかは、彼女自身も憶えていない。ふと気付けばなんでも本を読み齧り、ひとつひとつ知識を吸収する事に喜びを覚える女の子だった。
 最古の記憶は祖母に買ってもらった『21世紀こども百科』だ。その分厚い事典のページを捲るごとに、それまでバラバラだった世界がまるでジグゾーパズルのように脳裏に組みあがって、ひとつの知識を構築していく。
 その都度に小さなみゆきは完成した図柄の精巧さに感嘆の吐息をもらし、その喜びを少しでも分かち合おうと両親や友人に早速新たな知識を披露するのだった。

 しかしその日、11歳のみゆきは悲嘆に暮れていた。唐突に、真実に気付いてしまったのだ。
 放課後まっすぐに家に帰ってきたみゆきは母親、高良ゆかりに「もう図書館へは行かない」と宣言した。
 喉から込み上げてくるなにかで言葉を詰まらせながらも、みゆきはつっかえつっかえ力説した。
 物知りな女の子はクラスメイトたちに一目置かれはするけれど、けっして仲良くはなれないのだ。
 休み時間に人だかりをつくる人気者は、本なんて全く読まないけれど、漫画や芸能人の事にはとても詳しくて、恋愛の話題に聡い、大人っぽいお化粧をした可愛い女の子。
 みんなが話してて楽しいと思うのは昨日のテレビ番組や隣のクラスの誰がカッコイイかという話題であって、『ドリトル先生』も『長靴下のピッピ』も、日常に隠れた意外な物理法則や歴史も全く興味なしなのだ。
 だから自分も今日から市立図書館に通う生活をやめ、少女漫画誌を読み、流行のドラマやバラエティー番組を欠かさずチェックし、ほんのちょっぴり背伸びしてファッション誌を覗いたりもする。
 いくら物知りになろうと、そんな事は誰にも喜ばれないし、何にも役に立たないムダな事なのだ。

「ムダじゃないわ」

 幼いみゆきが腹立たしく感じるくらいニコニコと話を聞いていたゆかりは、唐突に話を遮った。驚いて母を見上げたみゆきの顔は涙でくしゃくしゃで、可愛らしい鼻はサンタのトナカイみたいに真っ赤だった。
 ゆかりは全く気負った様子もなくみゆきを抱き寄せると、赤ん坊をあやすようにみゆきの頭をポンポンと叩いた。

「みゆきが学んだ知識は、決してムダにはならないわ。たとえ年をとって忘れてしまったとしても、それはいつかみゆきを幸せにするのよ」
「……本をいっぱい読めば幸せになれるの?」
「本だけじゃないわ。喜びも悲しみも、人が得たものにはなにひとつ、ムダなものなんてないの。
 たとえばこう考えてみて。みゆき、あなたがまだ小さい頃庭から摘んできたタンポポの綿毛を吸い込んで大騒ぎした事があったでしょう? 
 あの時の種は芽吹いて、今あなたの心の中には一輪のタンポポが咲いているわ。
 アスファルトでなく心で咲いたタンポポはちょっと特別で、その綿毛は幸せを運ぶようになるの。
 そして一生懸命に生きたタンポポはそれだけたくさんの幸せの種を実らせて一陣の春風を待つ。
 そうそんなふうに、みゆきが今感じている寂しさも、いつか幸せに変わるわ」

 最後に母に抱きしめてもらったのはもっと小さな頃からだったから、なんだか気恥ずかしくて、でも暖かかった。
 ゆかりのやわらかな吐息を耳朶に感じつつ、みゆきは鼻水を啜りながら「ん」と小さく返事をした。
 思えばそれからみゆきは母の前で二度と泣かなかったし、ゆかりが母親らしい態度を見せたのもそれが最後だった。
 後になって、あの母が本当にそんな事を言ったのかと記憶を疑う事も何度かあったが、リビングのソファに寝そべりテレビを指差して一喜一憂している母を見ているとなんだかどうでもよくなってしまった。



 それからいろいろな事があって今、みゆきは高校二年生だ。
 カレンダーは2006年の六月を伝えていて、毎朝の通学路ではたくさんの生徒達の革靴によって桜の花びらが道路一面にスタンプされる。新入生と共に到来したはじまりの季節はそろそろ梅雨前線に呑み込まれようとしていた。 
 昼休みになると、いつもの四人組はそのうちのひとりであるみゆきの机へと弁当を持ち寄っていた。彼女たちは高校に入って出来た新しい友人で、堅苦しい授業の合間の一時をいつも一緒に過ごすのだ。
 みゆきはといえば、この騒がしい友人達の隅っこにちょこんと同席し、その楽しい空気をお裾分けしてもらうのだった。

「アスファルトに咲ぁく、花のよぉにぃ♪」

 今日も皆が思い思いに食事を進めていると、突然頭上の癖ッ毛を怪しくゆらめかすこなたが、コブシを効かせて歌いだした。即座にかがみがツッコミを入れる。

「唐突になによ」
「いやこの季節になるとタンポポってあちこちで見かけるけどさ」

 微笑みながら友人たちのやりとりを聞いていたみゆきの心臓が、ドキリと飛び跳ねた。そっと視線をやるとにぎやかな教室の隅でみゆきにしか見えない一輪のタンポポが揺れている。
 カントウタンポポの開花時期は夏の訪れを待たずに通り過ぎる。花弁はすっかり散って、今では大きな綿毛をつけて重たそうに頭を垂れている。
 最後にゆかりの胸で泣いてからもう5年が経った。様々な本を読んで楽しかった。ひとりで寂しかった時もあったし、やっぱり高校受験はなんだかんだで大変だった。
 あの時芽生えたタンポポは今ではたくさんの幸せの種を抱えて、旅立ちを待っていた。

「あれってさ、栽培して食べられないのかなー」
「え、食べちゃうの?」

 すっとんきょうな声をあげるつかさ。

「あんたには普通に春の空気を楽しもうって気はないのか?」
「まぁまぁかがみん。いつ編集部に見捨てられて収入が途絶えるかわからない作家のうちには、常に自給自足出来る食糧が必須なのだよ」
「……また妙に世知辛い事を。おじさん泣くぞ」
「むぅー。とにかく教えてみゆきさ~ん」
「え、ええとそうですね……」

 突然話を向けられてみゆきの思考はたたらを踏む。けれど三人のまっすぐな期待の視線に晒されて、戸惑いながらもみゆきは話し出した。
 記憶の図書館をゆっくりと散策し、遥か昔に学んだ知識からタンポポに関するものを呼び起こす。
 その時ふわりと春の匂いがした。

「東西問わずタンポポには様々な薬効があると言われています。
 西洋ではタンポポの根はカフェインを含まない、コーヒーの代用品として親しまれてきましたし、若葉はハーブとしてお茶やサラダに用いられる事もあります。
 一説によるとセイヨウタンポポは食用として日本に持ち込まれたそうですよ」

 そうこれは沈丁花……春の先触れを告げる香りだ。誘われるようにタンポポの周囲をキチョウが舞い始める。それは前触れだった。
 あっと内心で声をあげ、みゆきはこれからなにが来るのかを悟った。

「ご存知のようにタンポポはアスファルトでも芽を出す強い植物なので、育てるのも比較的簡単です。土に植えれば一ヶ月程度で開花に至ります。
 日本のタンポポは春から夏にかけてのごく短い期間しか花をつけませんが、セイヨウタンポポは温度さえ適切なら一年中いつでも花を咲かせます」

 南西からのそよ風に煽られて、綿毛いっぱいのタンポポは首を傾げる。穏やかな日光が少しずつ、葉の表面を覆う朝露を払っていく。
 穏やかな風景とは裏腹に、遥か彼方で朧雲がさぁと早瀬のように押し流され、やがて透き通るような青空を暢気なわた雲が覆い始める。

「ちなみに勘違いされがちですが、タンポポの英名“ダンデライオン”とはライオンの歯という意味で、小さな花弁をライオンの牙になぞらえてこう名づけられたそうですよ」
「お~」
「勉強になるわね。てっきりタンポポをライオンの鬣に例えてるのかと思ってたわ」
「さすがゆきちゃんだね」

 説明を終えると皆が口々に感心したように声をあげる。
 そして話の発端になったこなたが、いつも眠そうな瞼でかくれんぼしているそのどんぐり眼をいっぱいに見開いて、みゆきに無邪気に笑いかけた。

「ありがとぉ、みゆきさん」



 その瞬間、みゆきの心に暖かい風が駆け抜け、タンポポの綿毛は一斉に宙を舞った。空高く浮かぶ幸せはみゆきの心の隅々にまでゆっくりと降り注いでいく。
 陽光がキラキラと和毛に反射して、それはまるで真昼に飛び交う蛍のように綺麗だった。そっと着陸し、土壌に根を下ろす。
 これがあの日母の言っていた事だったのだ。
 みゆきは胸いっぱいに幸せを吸い込んだ。そう、今この時のために、私はこの花を大切に育ててきたんだ。残酷な夏の日差しや凍える冬を越えて、ちっぽけなタンポポはこの優しさとついにめぐり合ったのだ。
 彼女たちが春風だったんだ。
 来年の今頃には、みゆきの心は大地いっぱいに広がるタンポポ畑になっているだろう。そのひとつひとつが想い出を積み重ね、幸せを育てていくのだ。

「はい」

 みゆきは満面の笑顔で友達に答えた。
 風に乗った綿毛はかがみやつかさ、こなたの心にふわりと届いた。誰からともなく顔を見合わせると自然と笑みが零れる。



 そして幸せな四人の声は、昼休みが終わるまで途絶える事なく続いたのだった。


 〈 了 〉







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  • ありがとうございます。楽しんでいただければなによりです。
    お察しのとおり、ロバート・F・ヤングの著作からで、雰囲気もヤングをかなり意識しました。
    スタージョンとブラッドベリはあまり読んでいないのですが、ちょっと前に『時間のかかる彫刻』を読んだばかりだったのでひょっとしたら影響があるかもしれません。 -- サンシャイン (2007-11-14 21:25:52)
  • 素晴らしく洗練された筆致だと思います。

    タイトルはもしかしてロバート・F・ヤングですか?
    題材からはスタージョンの『影よ、影よ、影の国』
    を連想しましたが、雰囲気はまるでブラッドベリのよう。
    (頓珍漢なことをいってたらすいません)

    良いものを読ませていただきました。 -- 名無しさん (2007-11-14 20:27:18)

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