お正月。誰もが楽しみにしていただろうこの期間は今日から始まった。私だってお正月を楽しみにしていなかった訳じゃない。むしろ、学校も休みなのだから待ち遠しくて仕方がなかったくらいだ。それでも、その思いとは打って変わって私の現在の心境は限りなくブルー。それこそ、天に広がる冬の青空なんかよりももっと濃い紺色みたいな、そんな感じの、言うまでもなく良い気分ではない。
はあ、と意図せずに口から溜息が零れ落ちる。それは外気に冷やされて白い吐息となり、霧散して消えていく。悴んだ手はとっくのとうにコートのポケットの中へと吸い込まれている。顔は成す術もなく、冷たい空気に冷やされてはいるけれどその所為で寒くなっているのは身体だけじゃなかった。
ありきたり、そう言われても仕方ないほどに使い古された言葉ではあるけれど、私が一番凍えていたのは、『心』だった。
朝の、静寂に満ち満ちた住宅街の通りはなんだか寂しげで。でも、時刻が八時を回っている為なのか、軒並み立つ異色同音の家々からは楽しげな声が聞こえて来ている。それもそうだ。今はお正月であって、新年を祝い、楽しげな正月番組を家族で見て笑い、お年玉を貰って喜ぶ、私達の世代にとってはそんな時期なのだ。
だから余計に、何故だかも分からずに私は孤独感に襲われていた。冬の寒気の所為で、やたらと痛く、寒い。それは裸になって極寒の地に一人で佇んで身を焼くような寒さに凍えているようで。誰一人通らない住宅街の通りは何処までも寂しかった。
空は雲一つ無い快晴。周りに建つ家々からは他人の楽しそうな笑い声。世界の中で、一人隔絶されているみたいな疎外感。否、これは私の意志だ。私は私の意志でこうやって慣れない早起きをして、これまた慣れない朝の散歩なんぞをしている。
家に帰れば暖かく迎えてくれる人がいるのにそうしていないのだから、これは間違いなく私の意志なのだ。
だから、思ってはいけない。
だから、考えてはいけない。
だってそれは、単なる責任転嫁だから。
だってそれは、一番近しい人を裏切る事だから。
はあ、と意図せずに口から溜息が零れ落ちる。それは外気に冷やされて白い吐息となり、霧散して消えていく。悴んだ手はとっくのとうにコートのポケットの中へと吸い込まれている。顔は成す術もなく、冷たい空気に冷やされてはいるけれどその所為で寒くなっているのは身体だけじゃなかった。
ありきたり、そう言われても仕方ないほどに使い古された言葉ではあるけれど、私が一番凍えていたのは、『心』だった。
朝の、静寂に満ち満ちた住宅街の通りはなんだか寂しげで。でも、時刻が八時を回っている為なのか、軒並み立つ異色同音の家々からは楽しげな声が聞こえて来ている。それもそうだ。今はお正月であって、新年を祝い、楽しげな正月番組を家族で見て笑い、お年玉を貰って喜ぶ、私達の世代にとってはそんな時期なのだ。
だから余計に、何故だかも分からずに私は孤独感に襲われていた。冬の寒気の所為で、やたらと痛く、寒い。それは裸になって極寒の地に一人で佇んで身を焼くような寒さに凍えているようで。誰一人通らない住宅街の通りは何処までも寂しかった。
空は雲一つ無い快晴。周りに建つ家々からは他人の楽しそうな笑い声。世界の中で、一人隔絶されているみたいな疎外感。否、これは私の意志だ。私は私の意志でこうやって慣れない早起きをして、これまた慣れない朝の散歩なんぞをしている。
家に帰れば暖かく迎えてくれる人がいるのにそうしていないのだから、これは間違いなく私の意志なのだ。
だから、思ってはいけない。
だから、考えてはいけない。
だってそれは、単なる責任転嫁だから。
だってそれは、一番近しい人を裏切る事だから。
――羨ましい、だなんて。
寂しい、だなんて。
寂しい、だなんて。
ポケットに入れていた手は、暖まりなんてせず、相変わらずひんやりと冷たいままで、空は相変わらず快晴で、相変わらず笑い声は耳に付いて離れない。
私は、意味も無く道路に転がっていた小石を思い切り蹴り飛ばした。
私は、意味も無く道路に転がっていた小石を思い切り蹴り飛ばした。
凍えた手に温もりを
当たり前のように過ぎる時に、疑問を持った事が私のこれまでの人生で果たしてあっただろうか。冷たい風も、耳を通り抜ける笑い声も、当たり前のように時間に踊らされている。今、私が行動している事でさえ、時間の経過を私に感じさせる事に他ならない。
今までは、それに疑問を持った事なんて無かった。時間の流れを忘れるくらいに毎日が楽しくて仕方がなかったから。むしろ、夜が私を迎える度に次の朝が待ち遠しくなった事さえある。
それは、ひとえにいい友人に恵まれたからでもあり、それが私の中の寂しさという感情を燻ぶらせていたのだろう。
でも、今は。
今だけは違う。時の流れは残酷に私に圧し掛かり、私を潰そうとその重量を段々と増していくようで、それに耐えられるほどに今の私は強く居る事なんて出来なかった。理由なんて知らない。他でもない私が一番良く分かっているはずなのに、私にはそれが分からない。分かりたくなかったのかもしれないけれど、それもファイナルアンサーって聞かれれば答えに迷ってしまう。
ただ、寂しい。閑静な住宅街が映し出す灰色の風景は孤独で、青い空はキャンバスに描いたように鮮やかな色彩で。けれど私の気分をいい方向に向かわせてはくれない。早い話、この綺麗な青空でさえも孤独に見えていた。誰に寄りかかる事も出来ず、今は慰みの雲も無い。そんな光景がどうしようもなく孤独に見えた。
今までは、それに疑問を持った事なんて無かった。時間の流れを忘れるくらいに毎日が楽しくて仕方がなかったから。むしろ、夜が私を迎える度に次の朝が待ち遠しくなった事さえある。
それは、ひとえにいい友人に恵まれたからでもあり、それが私の中の寂しさという感情を燻ぶらせていたのだろう。
でも、今は。
今だけは違う。時の流れは残酷に私に圧し掛かり、私を潰そうとその重量を段々と増していくようで、それに耐えられるほどに今の私は強く居る事なんて出来なかった。理由なんて知らない。他でもない私が一番良く分かっているはずなのに、私にはそれが分からない。分かりたくなかったのかもしれないけれど、それもファイナルアンサーって聞かれれば答えに迷ってしまう。
ただ、寂しい。閑静な住宅街が映し出す灰色の風景は孤独で、青い空はキャンバスに描いたように鮮やかな色彩で。けれど私の気分をいい方向に向かわせてはくれない。早い話、この綺麗な青空でさえも孤独に見えていた。誰に寄りかかる事も出来ず、今は慰みの雲も無い。そんな光景がどうしようもなく孤独に見えた。
――あはははは。
――お母さん!
――お母さん!
笑い声と共に聞こえて来るのは自身の親を求める幼い子供の声。足を止めて、私の背よりも少し高いくらいの鉄柵の間から、何処にでもあるような家を覗き見る。
錆びた鉄柵は私が掴んだだけでギシリと軋んだけど、そう簡単には壊れない。小さな庭園に置かれる植木鉢やら何やらで視界は決して良くはないけれど、何とか中の様子は窺えた。
中に見えたのは小学生だろうか、それぐらいの男の子が嬉しそうな声を上げながら傍にいる女性の人にしがみ付いては離れ、を繰り返している。母親だろうその女性は騒いじゃ駄目よ、と注意を促しているけれど、顔には優しげな笑みが浮かんでいた。
そう、母親が子に向ける優しい笑顔。それはこの家庭も例外に漏れずに同じだった。羨ましいくらいに幸せそうで、憎いくらいに嬉しそうで。
私はそこから目を離す事が出来なくなっていた。
微笑ましい家族の光景を、私は見つめ続ける。
親子の傍には木でできた臼、その傍らに横たわるのは重量感溢れるハンマーみたいな、そんな物。何を行おうとしているのかなんて一目で分かる。その内に縁側の窓からは顔中皺だらけのお婆ちゃんが出て来て、手に持っている大きな器からはホカホカと湯気が立っていた。
私が今まで経験出来なかった事を、この家族は実行しようとしているのだ。
ぼーっと準備が進められていく様を私はまだ見続けている。自分が惨めに見えようと、周りからは変人だと見られようと、そんな事には構わずにそこから目を離さない。
涙が出そうなくらいに微笑ましいその光景から。
庭には何時からか父親らしき人が出て来ていて、子供の明るい声援を受けながらその期待に応えようと長袖のシャツをこの寒さにも関わらず巻くっていた。
手にハンマーを持って、もち米が入れられた臼を真剣な眼差しで見つめる父親。やがて、渾身の力を込めてそれを臼の中に向けて振り下ろす。ペタン、という音と共に上がる明るい歓声。子供は凄い凄いと言いながらはしゃいでいた。
もう一度、父親は誇らしげにハンマーを振りかぶる。それが臼の中へと到着すると同時、
錆びた鉄柵は私が掴んだだけでギシリと軋んだけど、そう簡単には壊れない。小さな庭園に置かれる植木鉢やら何やらで視界は決して良くはないけれど、何とか中の様子は窺えた。
中に見えたのは小学生だろうか、それぐらいの男の子が嬉しそうな声を上げながら傍にいる女性の人にしがみ付いては離れ、を繰り返している。母親だろうその女性は騒いじゃ駄目よ、と注意を促しているけれど、顔には優しげな笑みが浮かんでいた。
そう、母親が子に向ける優しい笑顔。それはこの家庭も例外に漏れずに同じだった。羨ましいくらいに幸せそうで、憎いくらいに嬉しそうで。
私はそこから目を離す事が出来なくなっていた。
微笑ましい家族の光景を、私は見つめ続ける。
親子の傍には木でできた臼、その傍らに横たわるのは重量感溢れるハンマーみたいな、そんな物。何を行おうとしているのかなんて一目で分かる。その内に縁側の窓からは顔中皺だらけのお婆ちゃんが出て来て、手に持っている大きな器からはホカホカと湯気が立っていた。
私が今まで経験出来なかった事を、この家族は実行しようとしているのだ。
ぼーっと準備が進められていく様を私はまだ見続けている。自分が惨めに見えようと、周りからは変人だと見られようと、そんな事には構わずにそこから目を離さない。
涙が出そうなくらいに微笑ましいその光景から。
庭には何時からか父親らしき人が出て来ていて、子供の明るい声援を受けながらその期待に応えようと長袖のシャツをこの寒さにも関わらず巻くっていた。
手にハンマーを持って、もち米が入れられた臼を真剣な眼差しで見つめる父親。やがて、渾身の力を込めてそれを臼の中に向けて振り下ろす。ペタン、という音と共に上がる明るい歓声。子供は凄い凄いと言いながらはしゃいでいた。
もう一度、父親は誇らしげにハンマーを振りかぶる。それが臼の中へと到着すると同時、
「人の家の中覗いて、何やってんの」
見知った声が聞こえた。呆れたような感じを漂わせる声に振り返ると、そこには半目で腕を組みながら私を見ているツインテールの少女が立っていた。
吐く溜息を外気に晒し、白くしている少女――かがみは何も答えず、呆然とした様子で立ち尽くす私を見て、もう一度深い溜息を吐いた。
吐く溜息を外気に晒し、白くしている少女――かがみは何も答えず、呆然とした様子で立ち尽くす私を見て、もう一度深い溜息を吐いた。
「どうしたのよ、こんな朝早くからさ」
かがみは今度は心配したような色を言葉に含んでもう一度問いかけて来る。私はそれで漸く我に返って、慌てて言葉を紡いだ。
「あ、いや、ちょっと眠気覚ましに朝の散歩をと思って」
真っ赤なウソ。そんな理由でこんな事をしている訳じゃない。朝の散歩なんて、私の柄じゃないし、到底やらない事だった。それなのにこんなウソを吐いてしまうのは、何時もの私じゃない私を見られたくなかったから。
依然聞こえる楽しげな喧噪を見て何を思っていたのかなんて、誰にも知られたくない。
依然聞こえる楽しげな喧噪を見て何を思っていたのかなんて、誰にも知られたくない。
「……目が濡れてるのは私の気のせいかしらね?」
ふうん、なんて明らかに私を疑っているような相槌を打って、かがみは言った。そんな自覚が私にある訳が無かったから、私は慌てて眼を擦る。
かがみの言う通り眼を擦った手の甲は僅かに濡れている。何時の間に涙腺が決壊しかけていたなんて、この時になるまで気付きもしなかった。
かがみの言う通り眼を擦った手の甲は僅かに濡れている。何時の間に涙腺が決壊しかけていたなんて、この時になるまで気付きもしなかった。
「これは――ホラ、眼にゴミが入っちゃって。その時に丁度かがみんが来たんだよ」
我ながら苦しい言い訳だったと自身の口を塞ぎたくなったけど、墓穴を掘ってはまずいと思って、私はかがみの疑惑の視線を避けていた。鳴り止まないペタン、という擬音は私達の間に流れる静寂に馴染むようにして流れて行く。新年を迎えた雀たちの囀りがそれを楽しそうに彩っていた。
「ウソ」
「う……」
かがみの目はまるでウソなんて全部見破っているような光を称えていて、それどころか私の心の中を全部見透かしているような気さえして。
たった一言の真実に私の言葉は詰まる。次に続ける言葉が何も思い浮かばず、頭の中で蔓延している思考はどうしよう、とかどう誤魔化そうとか、そんな何の解決にもならない物ばかり。
たった一言の真実に私の言葉は詰まる。次に続ける言葉が何も思い浮かばず、頭の中で蔓延している思考はどうしよう、とかどう誤魔化そうとか、そんな何の解決にもならない物ばかり。
「ウソじゃ、ないよ」
私は馬鹿だ。私を気に掛けてくれている人にも本当の事を言えずに分かり切ったウソを吐いている。何でも話せる親友の、かがみにさえ。素直になれないのはかがみの役回りなのに。そんな場違いな事を考えてしまう自分が、本当に馬鹿だと思った。
真摯な眼差しで私を捉えるかがみの目は透き通っていて、その向こうに締まりのつかない顔をした私が見えた。とても弱そうで、寂しそうな顔をした私が。
かがみは再び呆れた感じの溜息を吐きだして、私に一歩詰め寄る。細く綺麗な形の眉を八の字に曲げて、何処か怒っている表情で。
後退なんて出来るはずもなく、私はそのままその場に立ち尽くす。ただ、何を言われるのかが怖かった。
真摯な眼差しで私を捉えるかがみの目は透き通っていて、その向こうに締まりのつかない顔をした私が見えた。とても弱そうで、寂しそうな顔をした私が。
かがみは再び呆れた感じの溜息を吐きだして、私に一歩詰め寄る。細く綺麗な形の眉を八の字に曲げて、何処か怒っている表情で。
後退なんて出来るはずもなく、私はそのままその場に立ち尽くす。ただ、何を言われるのかが怖かった。
「じゃあ何でそんな顔してるのよ」
一瞬、かがみが何を言っているのか分からなかった。私はもう何時も通りの自分に戻れていると思っていたし、顔面の筋肉に違和感を覚えている訳でもない。でも、表情には出ない感情をかがみは読み取ったのかもしれない、そう思うと私はきっと酷い顔をしているのだろう、とウソみたいに納得出来る。
「……」
私は何も言う事が出来ずに黙りこくる。かがみは私の答えを待っているのか、何も言わずに私を見つめ続けていた。真っ直ぐな目は、ウソを吐く事を許さないような厳格さを秘めて私に突き刺さる。何分経っただろう、ペタンという音が聞こえなくなっているほどに長い時間が経過していた。
とうとう、私は沈黙に耐えきれずに言葉を発した。
とうとう、私は沈黙に耐えきれずに言葉を発した。
「……寂しかった、のかも」
曖昧ではっきりしない答え。私に言えたのはこれが限界だった。明確に私の感情を言ってしまったら、今もギリギリのラインを保っている涙腺がすぐにでも決壊してしまいそうだったから。自分でも、なんでこうなっているのか分からない。手の冷たさが余計に冷たく感じる。きっと、それは私の弱さを少しだけ露呈したからなのだろう。
心を外に晒した所為で、私の裸の心は寒さに喘いでいるのだ。苦しみの悲鳴を上げる事もせず、誰かに助けを求める事もせず、たった一人で壊れそうになっている世界と戦っている。そう考えた時、私の感情を堰き止めるダムを破壊しようと襲いかかる負の感情の濁流の量が一気に増した気がした。
頬の内側を奥歯で噛み締める。泣いてはいけない。現実を知った幼い私はそう決めたはず。心配は掛けてはいけないから、同情もされたくないから。
それなのに――親友を前にして私はどうしようもなく弱くなっている。今まで積み重ねて来た自分との契りが今にもちぎれそうになっている。
震える唇を悟られまいと、私は頬を噛む力を一層強くした。口の中に広がる血の味がその力強さを物語っている。痛みは感じない。一番敏感であるはずの痛覚も心の痛みに負けて麻痺しているようだった。
心を外に晒した所為で、私の裸の心は寒さに喘いでいるのだ。苦しみの悲鳴を上げる事もせず、誰かに助けを求める事もせず、たった一人で壊れそうになっている世界と戦っている。そう考えた時、私の感情を堰き止めるダムを破壊しようと襲いかかる負の感情の濁流の量が一気に増した気がした。
頬の内側を奥歯で噛み締める。泣いてはいけない。現実を知った幼い私はそう決めたはず。心配は掛けてはいけないから、同情もされたくないから。
それなのに――親友を前にして私はどうしようもなく弱くなっている。今まで積み重ねて来た自分との契りが今にもちぎれそうになっている。
震える唇を悟られまいと、私は頬を噛む力を一層強くした。口の中に広がる血の味がその力強さを物語っている。痛みは感じない。一番敏感であるはずの痛覚も心の痛みに負けて麻痺しているようだった。
「……」
かがみは何も言わない。その眼差しに同情の色を見るのが怖くて、私は眼を伏せた。ポケットの中に納まる手は何時になく固められていて、寒さによる凍えだとか、そういうのも一切感じない。強がれば強がるほど、それは色濃くなっていた。
閑静な住宅街に流れる沈黙はこの世界全体を包み込んだかのようになっている。私の呼吸とかがみの呼吸、私の鼓膜を震わせているのはそれだけしかない、そう思えるほどの静寂。今にでも走り出したい衝動を私は理性で必死に抑え付けていた。
閑静な住宅街に流れる沈黙はこの世界全体を包み込んだかのようになっている。私の呼吸とかがみの呼吸、私の鼓膜を震わせているのはそれだけしかない、そう思えるほどの静寂。今にでも走り出したい衝動を私は理性で必死に抑え付けていた。
「お母さんが、居ないから?」
やがて、永遠とも感じられる沈黙の後、静かな口調でかがみは尋ねた。その声からは同情だとか、そう言ったものは感じない。そのお陰で幾らか楽になったのと、かがみが発した単語によって私に襲いかかる痛みとは拮抗しているようで後者が圧倒的に勝っていた。
結局、それに耐えかねた私はかがみの問いに沈黙を返す事しか出来ない。けれど、それは得てして肯定の意を伴っていた。それが痛いくらいに分かる空気は重く、切ない。
今、かがみはどんな事を考えているんだろうとか、私はどうしたいのだろうとか、考えている事は山ほどあったけど、それを私が口に出す事はなかった。
結局、それに耐えかねた私はかがみの問いに沈黙を返す事しか出来ない。けれど、それは得てして肯定の意を伴っていた。それが痛いくらいに分かる空気は重く、切ない。
今、かがみはどんな事を考えているんだろうとか、私はどうしたいのだろうとか、考えている事は山ほどあったけど、それを私が口に出す事はなかった。
「いっつも、そうだった?」
かがみは問いに答えなかった私を責める事なく次の質問をぶつけて来る。やはり、それは図星に他ならなくて、私は握りしめた手を開放して、今度は腰の辺りの皮膚をポケットの中で抓った。刺さるような痛みが背骨から這い上がって来る。
けど、今はそれが唯一の救いに思えた。痛みで感情を押し殺す、その方法が。
けど、今はそれが唯一の救いに思えた。痛みで感情を押し殺す、その方法が。
「……ばか」
ともすれば罵声にも成り得るその言葉が私に届き、その意味を理解しようとした私の脳味噌は突然切り替わった視界と、体に感じる暖かな温もりとで止まるしかなかった。
見えるのは静かな住宅街に伸びる道路。さっきかがみが居たはずの場所には何も無く、その代わりに私の目前で薄紫色の細く繊細な髪の毛がチラついていた。くすぐったいようなもどかしい感覚が、髪の毛が鼻に当たる度に感じられる。
何をされているのかなんて考える余地もない。かがみが私を抱きしめている、そう理解したのは遠くに見えた犬の散歩をしている人が曲がり角に消えた後だった。
見えるのは静かな住宅街に伸びる道路。さっきかがみが居たはずの場所には何も無く、その代わりに私の目前で薄紫色の細く繊細な髪の毛がチラついていた。くすぐったいようなもどかしい感覚が、髪の毛が鼻に当たる度に感じられる。
何をされているのかなんて考える余地もない。かがみが私を抱きしめている、そう理解したのは遠くに見えた犬の散歩をしている人が曲がり角に消えた後だった。
「かが……み……?」
途切れ途切れの声しか出す事が出来ない。何でこんな事をするのか、聞こうと思っていたのに、まるっきり私の頭はその行為を拒絶していて、結局言えたのは名前だけ。背中に何か固い物が当たっている違和感を覚えながら、私はそこに呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。
「なんでよ」
私の肩に乗ったかがみの頭。そこから怒ったような、けれど静かな声が聞こえた。何も言えない私はピクリとも動けなくて、そんな私にかがみはさっきよりも簡潔な内容になった問いをぶつけた。心なしか、優しさが際立った、そんな声で。
「なんで、ずっと黙ってたのよ。相談出来る人はここにも居るし、つかさも、みゆきも居た。それなのに、何で」
自分の名前を出さないのがかがみらしい。そんな抜けた事を考えつつ、私は漸く動けるようになった唇で幼児みたいに、たどたどしく言葉を紡ぐ。何時、人が通ってもおかしくないような路上で何をやっているんだろう、という浅はかな疑問も、今は忘却の彼方へと飛び去っていた。
「そうしないと、みんなに、心配、かけるから」
そう言った私は一層抱きしめられる強さが増すのを感じた。
分かってる。こんな事を言ったらかがみは怒るのだろうって。親友なら、どんな事も包み隠さず相談しなさいよって、そう言うのも分かっていたのに、私は本当の事を伝えた。
同時に湧き上がる自分に対しての嫌悪感。これではまるで、同情して欲しいと言っているのと同義な気がした。
分かってる。こんな事を言ったらかがみは怒るのだろうって。親友なら、どんな事も包み隠さず相談しなさいよって、そう言うのも分かっていたのに、私は本当の事を伝えた。
同時に湧き上がる自分に対しての嫌悪感。これではまるで、同情して欲しいと言っているのと同義な気がした。
「……ばか」
それなのに――かがみは私の予想とは掛け離れた言葉を静かに私に告げた。その言葉は全然そんなのじゃないのに、けれど、母親が子に向けるような、そんな優しさを秘めて私の心の中に広く、深く、ゆっくりと浸透していった。
だから、私は。
不可抗力だと自分に言い聞かせながら、とうとうさっきまで感情の濁流を堰き止める事に奮闘してくれていたダムを自らの意志で崩壊させた。溢れるような感情の波は、私の目尻から落ちる涙という形になって流れる。冬の寒さに冷たくなりそうなそれも、何故だかとても暖かかった。
だから、私は。
不可抗力だと自分に言い聞かせながら、とうとうさっきまで感情の濁流を堰き止める事に奮闘してくれていたダムを自らの意志で崩壊させた。溢れるような感情の波は、私の目尻から落ちる涙という形になって流れる。冬の寒さに冷たくなりそうなそれも、何故だかとても暖かかった。
「そんな心配しなくてもいいの。あんたが私達に相談してくれれば、それだけで嬉しいし、迷惑な事なんて何もない。むしろ、自分だけで溜め込んでる方が私には迷惑」
かがみは優しい。だって、そう言ったかがみの言葉は虚言になんて微塵も感じられなかったから。紛れもない、かがみの本心でそう言ってくれた。それが嬉しくて、嬉しすぎて、私の目からは止まる事を忘れたように涙が溢れ出す。
しゃくりあげるばかりで何も言えない私に、かがみは更に優しくなった声音で言葉を続ける。気付けば、かがみの背中に手を回している自分がいて。もう濡れすぎて使い物にならなくなった視界を閉ざし、私は腕に力を込める。
しゃくりあげるばかりで何も言えない私に、かがみは更に優しくなった声音で言葉を続ける。気付けば、かがみの背中に手を回している自分がいて。もう濡れすぎて使い物にならなくなった視界を閉ざし、私は腕に力を込める。
「だから、もう溜め込まないで。辛くなったら私が傍に居てあげる。お母さんの代わりなんて出来ないけど、私は『柊かがみ』としてあんたの傍にいるから」
同情なんてしていなかった。憐れんでなんて、いなかった。かがみはかがみとして私を支えてくれている。それが堪らなく嬉しくて、もう悲しみの涙なのか嬉しさによる涙なのか、流れる雫からは判別出来ない。
声を出そうと思っても、出るのは押し殺したような嗚咽だけで、私はかがみにも分かるようコクコクと首を縦に振った。かがみは、優しく私の背中を摩ってくれていた。
声を出そうと思っても、出るのは押し殺したような嗚咽だけで、私はかがみにも分かるようコクコクと首を縦に振った。かがみは、優しく私の背中を摩ってくれていた。
「もう大丈夫。ありがと」
それからどれぐらいの時間が経ったのかは定かではないけれど、とにかく長い時間が過ぎ去って、私は落ち着いた頃にかがみの背中に回していた腕を解いた。かがみも、それを聞いて「ん」と小さく言って腕を解いた。
改めてかがみと向き合って、私は今になってある事に気付いた。涙やら鼻水やらで濡れてしまった顔をコートの袖で拭いながら私はそれを尋ねる事にした。
改めてかがみと向き合って、私は今になってある事に気付いた。涙やら鼻水やらで濡れてしまった顔をコートの袖で拭いながら私はそれを尋ねる事にした。
「かがみ、家の手伝いは?」
毎年、柊家の年明けは忙しいはずだ。神社の参拝にくる人の為に、まだ高校生のかがみ達も家の手伝いを行っている。それなら、今、この時間にかがみがここに居るはずがなかった。見ているだけで汗をかきそうな、それぐらいの忙しさの仕事だから。
おまけに、かがみの手には結構大きめで重量がありそうな立方体の物が風呂敷に包まれて持たれている。わざわざこんな重そうな物を持って、仕事をほったらかしにするような性格ではなかったはずだ、かがみは。
おまけに、かがみの手には結構大きめで重量がありそうな立方体の物が風呂敷に包まれて持たれている。わざわざこんな重そうな物を持って、仕事をほったらかしにするような性格ではなかったはずだ、かがみは。
「あー、何とかお願いして、今日の午前中だけ自由にして貰ったのよ。つかさや姉さん達には申し訳ないんだけどね」
あはは、と苦笑混じりに言ったかがみは明らかに何かを言おうとして戸惑っていた。見れば、私の視線が釘付けになっている事を悟ったのか、体の前に持っていた風呂敷包みの物を後ろ手に持ち替えて、隠していた。
「なんの為に?」
「えーと、それは……」
「さっき持ってたのは?」
「う……」
全部言われてしまったのか、かがみは言葉に詰まる。そして。観念したようにポツリポツリと話し始めた。頬を朱に染めて、もじもじしながら視線を下に向けて。
その時点で私はかがみの目的が薄々分かったけど、それは敢えて言わなかった。
その時点で私はかがみの目的が薄々分かったけど、それは敢えて言わなかった。
「その、あんた前にさ、おせちなんて食べた事無いって言ってたでしょ? だから――その、私が作ったので良かったらお父さんと一緒に食べるかなって」
半ばヤケクソ気味に言い切って、かがみは眼を堅く瞑ったまま中に重箱がはいっているだろう包みを私に差し出した。それはもう、絵に書いたようなツンデレっぷりで。相変わらず素直になれない所が、かがみの可愛い所なんだ、と改めて実感した。
「――うん、喜んで食べるよ。お父さんも、きっと泣いて喜ぶから。だから、かがみも来ない? 時間、まだあるでしょ?」
私はかがみから風呂敷を受け取って、そう提案した。手に感じる重みを幸せの重さに置き換えて、自分で思うのもあれだけど、きっと満面の笑みで。
かがみはふい、と目を逸らしながらも「味の保証なんてしないからね」とぼそっと言って私よりも先に歩き出した。思わず笑みが零れてしまう光景に、私は少し遅れてかがみの後を小走りで追いかけた。
かがみはふい、と目を逸らしながらも「味の保証なんてしないからね」とぼそっと言って私よりも先に歩き出した。思わず笑みが零れてしまう光景に、私は少し遅れてかがみの後を小走りで追いかけた。
――お母さんが居なくても大丈夫。
天国から私を見守ってくれているお母さんに、心の中で力強く告げて。
さっきまでは凍るようだった手も今は暖かい。こんなにも人の温もりは偉大な物だったんだ――そう感歎しつつ、私はかがみの隣でかがみの事ををからかうのだった。
さっきまでは凍るようだった手も今は暖かい。こんなにも人の温もりは偉大な物だったんだ――そう感歎しつつ、私はかがみの隣でかがみの事ををからかうのだった。
――end.
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- やはり、こなたの伴侶はかがみ
に決定ですね! -- チャムチロ (2012-09-06 12:55:38) - えぇ話や‥‥‥‥炅 -- フウリ (2008-04-02 23:10:20)
- 涙が止まらないんだが -- 名無しさん (2008-02-13 02:58:22)
- GJ -- 名無しさん (2008-02-03 00:41:48)
- GJ… -- 名無しさん (2008-02-02 03:34:55)