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 韓胤は、後漢後期の人物。袁術帝号を称したことを告げる使者として、呂布の許に赴いた。しかし捕えられて献帝を擁する曹操の許へ送られ、斬られた。


情報

韓胤
死去 (かせ)して送られ、市にて梟首


事跡

 建安二年(197)、袁術は帝号を称した。
 韓胤は袁術に派遣され、呂布にこの事を告げ、それによって呂布の(むすめ)を(袁術の子の)婦として迎えることを求めた。
 呂布は袁胤に随わせて女を遣わそうとした。相の陳珪は恐 袁術が呂布に報いて成婚すれば、徐州と楊州が合従して国難が()まないことを恐れ、往って呂布に説いて曰く、
「曹公(曹操)は天使を奉迎し、国政を輔賛して、威霊は世を命し、まさに四海を征せんとしております。将軍は宜しく策謀を協同し、大計を共存して、太山の安を図るべべきです。今、袁術と結姻すれば、必ずや天下に不義の名を受けるでしょう。まさに累卵の危きに有るものです」
 呂布もまた、自分が洛陽から落ち延びた時に袁術が受けいれなかったことを怨んでいたので、女はすでに(みち)にあったが、追って還して婚を絶った。
 袁胤は(とらえ)られて(かせ)して許都に送られ、許市にて梟首となった。



年表




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関連項目・人物

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最終更新:2016年03月23日 23:08