張汎(あるいは
張氾)は、後漢後期の人物。南陽郡宛県の
富賈(富豪の商人)。大
桓帝の乳母の外親(女系の親族)であり、
朝廷の
中官に賄賂を贈って法を畏れぬ振る舞いをしたが、太守の成瑨、及び郡吏の岑晊・張牧によって捕えられた。大赦があった宗族賓客もろともに誅された。
中常侍の
侯覽の手引きで張汎の妻が冤罪を上書し、成瑨は徴されて
棄市となり、岑晊・張牧は逃亡した。
情報
張汎 |
姓氏 |
張 |
名 |
汎(氾) |
字 |
子禁 |
本貫地 |
南陽郡宛県? |
家柄 |
富賈 |
評 |
大猾 |
死去 |
岑晊と李牧は成瑨に勧めて張汎らを収捕し、既に而して赦に遇うも、岑晊は竟にこれを誅す。 |
事跡
桓帝の乳母で
美人(
貴人ともいう)の外親であった。
雕鏤玩好の物の製作が巧みで、
中官に頗る賄賂を贈り、これによって顕位を得て、その伎巧を恃みにして権勢をほしいままにし、法を犯したため、南陽郡の
大猾として有名だった。
延熹八年(165)?、
功曹の
岑晊、
賊曹史の
張牧の勧めを受けた南陽太守の成瑨に収捕された。
張汎は
赦に遇った&footnote(大赦の時期に巡り合わせた?)が、これを無視した岑晊によって誅され、併せてその
宗族賓客が収監されて二百余人が殺された。
事は全てが終わってから
朝廷に奏聞された。
中常侍の
侯覽が張汎の妻に上書させてその冤罪を訟えさせた。桓帝は大いに震怒し、成瑨は徴された。
陳蕃・
劉矩・
劉茂が共に諫めたが桓帝は悦ばなかった。
成瑨は棄市となり。岑晊と李牧は
斉・
魯間&footnote(漢代の徐州・青州・兗州・豫州の狭間。泰山の辺りか。)に亡匿した。
年表
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関連項目・人物
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最終更新:2016年04月01日 06:24