劉岱は、後漢後期の人物。劉繇の兄。
 侍御史の時、霊帝が田地に税を課して銅人を鋳造するのを諫めて大不敬の罪に問われた陸康の裁きを(つかさど)り、その罪を(ゆる)す上表をした。陸康はこのために免官のみで済んだ。
 初平元年(190)、兗州刺史として、誅董卓の起兵に参加した。後に東郡太守の橋瑁(にく)んで殺した。
 初平三年(192)、青州黄巾の侵攻によって殺された。このことが曹操が兗州を掌握する契機となった。

 曹操の長史を務めた劉岱(沛国)とは別人。


情報

劉岱
公山
本貫地 東莱郡牟平県
家柄 牟平劉氏
劉輿
官歴 侍御史 侍中 兗州刺史
岱、繇、皆雋才を有す。 孝悌仁恕、以って己を虚しくし人を受ける。
死去 (青州黄巾と戦うことを鮑信が諫めたが)岱は従わず、遂に与に戦い、果して殺される所と為った。


事跡




年表




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最終更新:2016年04月15日 01:13