焦燥の中で ◆cNVX6DYRQU



罪もない少年少女を手に掛けて宿敵の刀を奪った伊烏義阿は、疲れた身を引きずって再び城下町へと戻って来た。
ただ、先程と同じ入り口には戻らず、そこより少し北にある渡しから町に入る。
疲労した状態でいぞうなる危険人物に行き遭うのを避けた、とは表向きで、真に避けたかったのは白髪の男の方だ。
あの男に再会し、信乃の事を聞かれたら……今の伊烏にとっては、強敵と戦うよりもそちらの方が煩わしかった。
それに、剣鬼蠢くこの地では、いぞう一人を避けたところで危険人物は其処彼処にいるだろう。
例えばそう、今伊烏の前方より現れた血塗れの老人のように。

着衣にべとりと返り血を付けた老人を前にした伊烏だが、その割にはあまり警戒する気にはならなかった。
何故なら、この老人からは、人斬りに特有の陰惨さや狂気が欠片も見られなかったのだ。
それどころか、剣客として一種の悟りの境地にまで達しているのではないかと思わせる程の風格が感じられる。
返り血を浴びているのだから誰かを斬ったのは確かだろうが、それも已むを得ぬ正当防衛だったのではないだろうか。
もしそうなら、相手と同じ状況を装う事によって話を聞き出す事も可能だろう。
そう考えて、伊烏は老人に話し掛けた。
「失礼。武田赤音という、女のように見える男を探しているのだが、御存知ないか?」
「知らぬな。ワシがここで会ったのは男と女のみ」
「……そうか。では、緋村剣心伊東甲子太郎という名に心当たりは?」
伊東甲子太郎の名を聞いた老人の表情が微かに変わるが、それも一瞬。
「随分と探し人が多いようだな。一人では辛かろう。ワシが手伝ってやろう」
「いや……」
老人が見せた親切に、同じく親切だった少女を思い出してまた心を痛める伊烏。
だが、この老人の「親切」の形は、信乃のそれとは大きく異なっていた。

「武田、緋村、伊東だな。その三人にもすぐに後を追わせる故、先に冥土で待て!」
その言葉と共に、今まで毛ほども感じられなかった殺気が老人の身体から噴き出し、伊烏は反射的に剣に手を掛ける。
老人も剣の柄に手をやる……と見えた瞬間、その手が一瞬ぶれ、伊烏は本能に促されるまま抜き打ちを放っていた。
両断されて地に落ちたのは筆。あらかじめ袖の中に隠しておいた筆を、手裏剣代わりに伊烏の眼を狙って打って来たのだ。
それを防ぐ為に構えを崩してしまった伊烏に対し、老人は抜刀術の構えで一気に間合いを詰めてくる。
今の一撃で、伊烏の居合いの端倪すべからざる切れを察し、別の刀で居合いを使う間を与えずに斃そうという心積もりか。
ならば、逆に機先を制してこちらから攻め込むのが上策。
そう判断した伊烏は、老人が間合いに踏み込む直前、飢虎の勢いで一気に間合いを詰め、上段から剣を振り下ろす。
この間合いでは近すぎて居合いは不可能……だが、老人は慌てる事なく、更に半歩進んでより間合いを詰めて来た。
そして、右手を刀から離し、左手で鞘ごと抜きかけると、柄で振り下ろされる刀を斜め上から思い切り叩く。
思いがけない強烈な打撃で剣の軌跡が逸らされたが、この状態では相手も迅速な反撃は不可能。
伊烏は叩き落された剣を、その勢いを利用してくるりと回し、再び上段からの斬り下ろしを放つ。
だが、老人も流れるような動きで一歩退くと、抜き打ちで伊烏の剣を受け止め、二人は刃を噛み合わせたまま動きを止める。

鍔迫り合いの体勢のまま睨み合うこと数瞬、伊烏は己の剣に体重をかけて老人の剣を押さえ付ける。
老人の微妙な仕草から、剣を滑らせて顔面を斬り付けるつもりだと読み、それを封じ込めようとしたのだ。
「ぬん!」「くっ」
だが、その老人の動きは擬態。伊烏の剣を軸にして身体を回転させ、剣の柄で伊烏の鳩尾を突いて来た。
この険呑な攻撃を、咄嗟に後ろに跳んで避けられたのは、伊烏の並外れた運動能力があったからこそであろう。
しかし、傷を受ける事はなくとも、たった数合の闘いで伊烏の疲労は限界近くにまで達していた。

疲労と言っても、肉体的な疲労はまだ大した事はない。その点では、老人よりも若い伊烏の方に分があるだろう。
問題は精神的な疲労。何せ、元々伊烏は今までの戦いと、自身の非道な行いのせいで、精神を極度に消耗していた。
その上、対峙する老人はこちらの僅かな仕草から意図を読み、逆に、些細な動きでこちらの動きを誘導して来る。
彼我の身体の動きを隅々まで完全に把握・制御し続けなければ、たちまち術中に嵌って斬り捨てられるだろう。
常に極度の緊張を強いられるこの戦いは、弱りきった伊烏の精神にとってはあまりにも過酷だった。
このままでは長くは保たない。そう悟った伊烏は一気に勝負を決めようと決意する。
ちょうど間合いが空いたのを奇貨とし、更に大きく後ろに跳んで十分な間を取ると、反転して老人目掛けて走り出す。
剣鬼鵜堂刃衛すらも完璧に打ち破った魔剣・昼の月――その必殺の剣を、伊烏は再び発動させるつもりなのだ。

左手を剣にかけ、老人に向かって疾走する伊烏。
対する老人の方は、こちらを見据えて剣を構えたまま、微動だにしない。
その姿をじっと見つめて意図を図ろうとする伊烏だが、まるで何の意図もないかの如く、心が読み取れなかった。
いや、もしかしたら本当に何も考えてないのか。この老人は無念無想の境地にまでも達しているのではないか。
威厳あふれる老人の立ち姿からそんな考えが頭をよぎるが、ここで怯む訳にはにはいかない。
老人に如何なる返し技があろうとも必ず仕留めてみせる……その決意をもって抜刀術を放とうとした瞬間、
今までぴくりとも動かなかった老人が、何の前触れもなく飛び出し、身を沈めつつ伊烏の足元に跳びこむ。
あと一刹那、一刹那だけでも老人の動き出しが遅ければ、その前に伊烏の変幻自在の抜刀術が放たれていただろう。
逆に、ほんの僅かでも早く老人が動いていれば、伊烏は十分な余裕を持ってその動きに対応できた筈だ。
しかし、老人は伊烏が抜刀しようと力を籠めた正にその瞬間に仕掛けた為、対応が一瞬遅れ、間合いの内に潜り込まれる。
単に間合いの見切りや先読みに優れているだけではこうも完璧なタイミングは絶対に不可能。
天性のものか、それとも経験の賜物か、剣に関する常識外れに鋭い勘によってはじめて可能となる動きであった。

老人はしゃがんだ姿勢から、全身の撥條を使い剣を真上に突き上げて伊烏を串刺しにせんとする。
慌てて跳躍する伊烏だが、下方から真上への突き上げを斜め上への跳躍でかわし切るのは簡単ではない。
刃に追い付かれそうになった伊烏は、已むを得ず刀を抜いて老人の剣を受け止めた。
だが、空中で、抜きざまの刀で突きを受けた伊烏と、大地に立ち両手で柄を握る老人とでは安定性に大きな差がある。
老人が力を入れて刀を振るうと、伊烏としては為す術もなく吹き飛ばされる以外にない。
それでもどうにか足から着地して防御の体勢を整えると、目の前には剣を大上段に構えた老人の姿が。
その姿を見ただけで伊烏は理解する。老人が放とうとしているのは己の昼の月に勝るとも劣らぬ魔剣だと。
だが、ここで死ぬ訳にはいかない。武田赤音を討ち果たすまでは何としても生き延びねば……
必死の思いで守りを固める伊烏だが、何故か老人は動かない。

そのまま、凍り付いたような時間が数秒過ぎるが、老人は魔剣を放とうとはせず、訝る伊烏に声を掛ける。
「武田と言ったか、探す相手を見つけたとして、貴様はどうするつもりだ?」
「討つ!」
死地にある己を奮い立たせる意味も込めて力強く言い切る伊烏。
すると、何を思ったか、老人は刀を鞘に納めると、戸惑う伊烏に背を向けて歩き出しながら言葉を継ぐ。
「ついて参れ」
「何?」
「言ったであろう、貴様の人探しを手伝ってやると」
確かに言った。だが、それは、自分も赤音も殺してあの世で再会させるという意味ではなかったのか。
「但し、首尾よくその男を見つけ出して討った暁には、代償として貴様の命を狙う」
なるほど、要は赤音を伊烏に殺させた上で生きる目的を失った伊烏を討てば手間が掛からないという事か。
確かに、合理的な方法と言えるのかもしれない。
しかし、そんな回りくどい方法は、いきなり自分に切りかかって来たこの好戦的な老人には不似合いな気がする。
この男の言葉は信用できない……そうわかっていながら、伊烏は老人の後に続いた。
何を企んでいるにせよ、優位な状況で自分を殺さなかった老人が、後になって騙し討ちをする意味はなかろう。
また、既に人を斬り、今もいきなり自分に斬りかかって来るような男が、自分が赤音を殺すのを忌避するとも思えない。
ならば、老人が他に何を考えていようと、そんな事はどうでも良いのだ。
武田赤音を見つけ出して殺す。それが伊烏の全てなのだから。

表面上は伊烏を軽くあしらったように見える老人……塚原卜伝だが、その心は焦燥に包まれていた。
(一体、何が起きておるのだ)
卜伝が己の不調を悟ったのは、伊東と川添とかいう男女に襲い掛かった時にまで遡る。
まるで身体に重りを付けているかのように、思い通りに剣を操る事ができない。
そうでなければ、如何に複数の達人を相手にしたとはいえ、ああも簡単に不覚を取る事などなかったであろう。
老いが自分で思っていたよりも進んでいたのか、剣士としての技量を致命的に損なう程に。
そう思って内心不安を感じていた卜伝だが、愛弟子師岡一羽を斬った時、その束縛もまた断ち切られたと思えた。
あの一撃は、己が思い描いた通りの完璧な一撃。
身体はまだ十分に動く。若い頃に比べれば多少は衰えているが、老練の技にはそれを補って余りある冴えがある。
さっきまでの不調は、対手が殺気を向けてこないせいで調子が狂っていただけだろう。そう考えて納得していた。
実際、その直後に出会った伊烏との対戦でも何も問題はなかった……最後の一撃の直前までは。

あの時、卜伝は追い詰めた伊烏に奥義を……一の太刀を放てなかった。決して自ら放たなかったのではない。
伊烏の腕は卜伝が今までに出会った剣士の中でも有数のもの。
今回は魔剣を未発の内に封じて優位に戦いを進められたが、それも相手の消耗と自身の幸運があってこそ。
ここで伊烏を敢えて仕留めない選択など有り得ないにもかかわらず、卜伝はどうしても一の太刀を放てなかった。
舌先三寸で言いくるめはしたが、伊烏が真実に気付いて再戦を挑んで来れば、今度は一の太刀なしで勝つのは難しかろう。
と言って、伊烏に剣を収めさせる為に人探しを手伝うと言った以上、不調を見抜かれる危険を侵しつつ同行せざるを得ない。
(このままではいかぬ)
何としても不調の原因を突き止め、取り除かねば。
暗然たる想いを胸の奥に隠したまま、卜伝は己を貫き得る抜き身の魔剣を帯びて歩み続けるしかなかった。

塚原卜伝の中には神がいる。
と言っても超常的な存在ではない。剣士なら誰もが持っている、本能や直感のようなものの事だ。
神の剣を受け継ぐ一族の者としての遺伝か、それを更に発展させる為に捧げて来た人生の賜物か、
卜伝の本能は、他の一流の剣士達とすら一線を画する、内なる神と呼んでも大袈裟でない域にまで高められていた。
これまでの人生で、その本能の導きが幾度卜伝の危機を救ってきたか、数え切れない程である。
もっとも、卜伝のあまりに優れた本能が、高弟達の横死や、後の新当流の衰微を招いたという側面もあるかもしれない。
剣術を教える事はできても、卜伝の命を守った最も大きな要素である本能だけは、余人に伝えられないのだから。
それを悟った卜伝が、弟子達に危険を避ける事の大切さをどれだけ口を酸っぱくして説いたところで、
卜伝自身がいざとなると本能に任せて危険に踏み込んで行くのを知る高弟達が本気にしないのも無理ないだろう。
そんな訳で、卜伝に利益ばかりをもたらした訳ではないこの「神」だが、今回は卜伝自身をも害しかねない働きをしていた。

この御前試合の開始直後から卜伝の後を尾け、その剣を盗み取ろうとしている男。
巧みに隠れ、卜伝の意識が気付けずにいる、その恐るべき剣士の存在をも、彼の無意識は察知していた。
そして、その男がどれだけ奸智に長け、彼に手筋を、特に一の太刀を見られるのがどれだけ危険な事なのかも。
故に、卜伝の中の神は、尾行者を御前試合最大の脅威と位置付け、奥義を盗まれぬ為に卜伝の剣を抑えようとしている。
だが、普段ならいざ知らず、剣鬼蠢くこの島で、果たしてそんな手法が通用するか。
卜伝に奥義を使わせない事で一人の強敵は防げたとしても、脅威となり得る剣客は他に何十人といるのだ。
見張られたまま、一の太刀を使わなければ命を拾えない状況になったなら卜伝は、そしてその本能はどう動くのか。
それ次第では、卜伝は今まで己を加護して来た神の手で屍を晒す事になるかもしれない。

【ほノ参 城下町 一日目 早朝】

【塚原卜伝@史実】
【状態】左側頭部と喉に強い打撲
【装備】七丁念仏@シグルイ
【所持品】支給品一式(筆なし)
【思考】
1:自分の不調の原因を探る
2:伊烏義阿を警戒しつつ人探しを手伝う
3:この兵法勝負で己の強さを示す
4:勝つためにはどんな手も使う
【備考】
※人別帖を見ていません。
宮本武蔵の尾行を本能的に察知し、奥義の使用に心理的抵抗を感じるようになっています

【伊烏義阿@刃鳴散らす】
【状態】健康、罪悪感、精神的疲労(大)
【装備】妙法村正@史実、井上真改@史実
【所持品】支給品一式×4、藤原一輪光秋「かぜ」@刃鳴散らす
【思考】基本:武田赤音を見つけ出し、今度こそ復讐を遂げる。
一:どこかで着替えを調達する。
二:武田赤音探しの援けになる限り、塚原卜伝と同行する。
三:もし存在するなら、藤原一輪光秋二尺四寸一分「はな」を手にしたい。
四:己(と武田赤音との相剋)にとって障害になるようなら、それは老若男女問わず斬る。
五:とりあえずの間は、自ら積極的にこの“御前試合”に乗ることは決してしない。
六:人斬り抜刀斎(緋村剣心)か伊藤甲子太郎に出会ったら、鵜堂刃衛の事を伝える。
※本編トゥルーエンド後の蘇生した状態からの参戦です。
※自分以外にも、過去の死から蘇った者が多数参加している事を確信しました。
※着物の全身に返り血が付着しています。

(何故斬らぬ!)
宮本武蔵は必死になって苛立ちを鎮めようとしていた。
今の立ち合い、武蔵にとってはかなり収穫が大きかったと言えるだろう。
前回と違って相手も老人を殺す気で戦ったからか、老人の入神の技をかなり見ることが出来た。
しかし、未だ全てではない。もっと根本的な、奥義に類する技を、何故かあの老人は披露してくれない。
その上、どんな話をしたのか、今まで戦っていた若者と同行するつもりのようだ。
老人が若者を盾として使って自ら戦うのを避けるようになれば、その技を見る機会は大きく減ずるだろう。
また、尾行する相手が二人になれば、監視しつつその視線を避けるのは飛躍的に難しくなる。
状況は良くない……しかし、武蔵は心中に生じた焦燥と迷いを強いて打ち消した。
多くの剣士を、心理戦で揺さぶる事で打ち倒してきた武蔵は、焦りが剣士にとってどれほど致命的か良く知っている。
例え今の流れが悪くとも、待っていればいつか必ず己の勝利へと続く分岐点が現れるものだ。
ならば、必要なのはその機会を決して見逃さず、即座に行動に移る為の冷静な判断力のみ。
決意を固めた武蔵は、老人と若者の観測に再び全神経を集中させた。
老人が秘匿する奥義を己の物とし、真に天下無双の兵法者となる為に。

【ほノ参 城下町 一日目 早朝】

【宮本武蔵@史実】
【状態】健康、塚原卜伝を追跡中
【装備】打刀
【所持品】不明
【思考】
最強を示す
1:老人(塚原卜伝)を倒す
2:その為に、老人(塚原卜伝)を追跡し、 太刀筋を見切る。
【備考】
※人別帖を見ていません。


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頑張る女達/師匠と弟子/盟友の誓い 塚原卜伝 過失なき死
頑張る女達/師匠と弟子/盟友の誓い 宮本武蔵 過失なき死
悪鬼迷走 伊烏義阿 過失なき死

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最終更新:2010年06月22日 22:25