閑話1:学生生活における偶然1(100題より、053許可)

 かたんっ

やや硬質の音を立てて、小さな黒い巾着が机の間に落ちた。

「お?これ、誰の?」

講義終了後のチャイムの中、学生たちがノートや筆記用具をしまい移動しようとする。目の前に落ちてきた巾着を通りがかった学生が拾い、周囲を見渡した。
同じ学科の面子が多く、人数も少ない教室のためか、質問した側もそれに返答する側も口調は軽い。

「しらね」
「アタシは違うー」
「誰ー?」
「あ、それ俺!やべっ!壊れた?!」

ん?という顔をして自分の持物を確認した数人の内、一人の青年が慌てて立ち上がった。

首にかかる程度の髪の長さ、太くも細くもない体。服装は今時の若者らしく、シャツから上着までの組み合わせを意識したのだろうという様子である。
それでも垂れがちの目のせいか若者がしばしば持つ刺々しさは薄く、子供や老人も話しかけやすいだろう雰囲気を持っている。しかしその目は今は、焦りでややつりあがっている。
そんな彼は、拾ってもらった袋を受け取りながら慌てて開けて確認する。中から出たものは艶のある朱色。

「自分のか。や、どうやろ。とりあえず踏んではおらんで」
「あああああ大丈夫かなあ。…お、お、お?……ふう、よかった壊れてない」
「よかったな。で、それ何やの?」

両者は友人なのだろう。拾った方の青年が、興味を持って相手に巾着の中身を聞いた。

「盃」
「マイ盃とか?えっらいマニアやなあソレ」
「なになに?何だったの?」
「誰かへのプレゼントか?」
「嫌味か、それは嫌味か?喧嘩売るなら買うぞこの彼女持ちが!」
「逆切れ?!」

周囲の知人らが更に話に加わる。

「盃やて」
「へーそりゃ意外な。漆器か、高そー。」
「何これが君ん家の家紋?」
「違う違う、友人からの貰いものの、うんまあ、お守り兼、友人宅で使う盃」
「なんじゃいそりゃ」
「つまり飲むのはポン酒か。しっぶーぅ」
「こう、お酒入れたら振りながら飲むんだよきっと!」
「いやそれワイングラスやろ」

盃をしげしげ見るものあり、学生とはアンバランスな中身に不思議がる者あり、ボケる者あり。盃を拾った関西訛りの青年は律義にツッコミを入れている。

「こう!こうさ!」
「その小ささでワイングラス見たいに振れないって。ほら返してあげなよ」
「えええええ冷静な批評つまんなーい」
「かーえーせーええええええ」
「ふふふ、返してほしくばっ?!」
「あでっ」

内一人、髪をざっくりとショートカットにした女生徒が悪乗りして持ち主から遠ざかりつつ、高々と盃を持ち上げようとした。しかしその肘が、たまたま後ろを通った学生に当たる。勢いよく当たったわけでもなし、相手の様子からも痛くはなさそうだが、やはり非はぶつかった女生徒の方にある。慌てて彼女は謝罪を口にした。

「あっ、ごめん!」

元々通路を塞いでいたのは女生徒だけでなく全員である。他の面子も女生徒に続き謝る。

「わりっ。」
「大丈夫?」
「あ?お前やったか。すまんなあ。」
「いや。こっちこそ驚いて大げさに声出しちゃっただけだし、ん?」

どうやら関西訛りの青年の知り合いだったようだ。彼もどうやら会話の種になっていた盃を見て興味を持ったようである。

「―――それ、お前の?なんていうか、しぶいね」

やけにじいっとまだ女生徒の手の中にあった盃に視線を注いだ後、そう関西訛りの青年に聞いてきた。
細いフレームの眼鏡に、やはり細めの眉、体。男性のはずだが、どことなく性別がわかりにくい。美形とまではいかはないが癖のない顔、背中でくくっている長めの髪がそれを助長させている。しかし声は確かに男性のものだった。

「へ?いや、ワシのやないて。てかなんでワシのだと思うん」

不思議そうに聞き返す。それもそうだ。女生徒が持っているのだから女生徒のものだと思うのが判断としてはより妥当だろうに、彼は関西訛りの青年に名指しで聞いたのだから。

「違うんだ。てっきり……。お前ならあり得そうだと思ったんでつい」
「あり得そうって?」
「いや、ほら、その」

女生徒がつい尋ねた言葉に眼鏡の青年が言葉を濁したのにピンときたのか、関西弁の青年が眉をしかめつつ言った。

「おんまえぇぇぇ。関西弁しゃべっとるからって関係ないわ!どうしたら盃が漫才に関係するんや!てか第一ワシは漫才もせん!んああうっとおしいわ漫才ブームゥ!」
「あ、ええと、いや、そんなつもりじゃ…………うん、ごめん」

眼鏡の青年は否定しようとしたようだが、そのまま漫才全般に対して吠え始めた相手の勢いに何もそれ以上言わず謝った。周囲も吠えだした青年をなだめようとしたが、その顔にも声にも笑いが滲んでいる。青年自身も実際には本気で怒ったわけではないので、すぐに怒りの表情を消した。
そして、

「コイツのや」
「えっ」

と言って本来の持ち主を親指で指差す。自分の落し物が何やら友人と知らない人物の話の種になっているのをぼんやり見ていた青年は、いきなり自分に振られた会話と視線にビクッとした。つい声が出る。

「へえ、触ってみてもいい?」
「え、え?あ、まあ、いいけど」

眼鏡の青年はそんな持ち主の反応に気にした様子は見せず、許可を貰い、しげしげと上から下からと眺める。その指が器の金箔をゆっくりと撫で、次いで持ち主の顔をやはりゆっくりと見た。しかし、すぐに視線をはずし、盃を返す。

「ふうーん。ん、ありがと。強引に触らせて貰ってごめん。綺麗だったからつい」
「?あ、ああ大丈夫。褒めて貰ってありがと。くれた友人にも教えとくわ。」
「あ、次の講義もう行かないと危ないよー。」
「マジ?!」

持ち主はその視線を不思議に思ったようだが、もう一人の女生徒が携帯電話の時計表示を見ながら言った言葉に、盃を再び巾着にしまい、まだ机の上に出ていた筆箱やノートとともに慌てて鞄にしまう。

「じゃあ行くわ。お前は?」
「ワシは次休講。まだ飯食ってないから食堂行くわ」
「ん、じゃあまた後でなー」

そう言って次の授業も同じなのだろう。会話に入ってた内何人かと一緒に立ち去っていった。他の皆も次の講義などあるのだろう。教室を出て散らばっていく。
そしてそこには関西弁の青年と、眼鏡の青年だけが残った。教室も次は空き時間なのか次の講義に入ってくる学生は見られない。そんな中、関西訛りの青年が眼鏡の青年に話しかけた。

「舘盛(たてもり)があない話しかけるて珍し。」
「俺、そんなに無愛想?」
「無愛想てか、知らん人に積極的に話しかける思わんかった」
「なあなあ、それなんだけどさ。俺、彼の名前覚えて無いんだけど、こっそり聞いていい?」
「んあ?学部違うから知らんでも当然や。ワシはアレらとサークル同じなんよ。って、もしかして知り合いかと思うとったんかい」

彼らの姿に顎をしゃくり、説明した後、関西弁の彼は今度は呆れたように問うた。

「そっかぁ。よかった、お前と親しげだったから、同じクラスだけど顔覚えてないのかと思って焦った」
「ちゃうちゃう、アレは工学部の蓮川っちゅーねん。同級や思てたからかい、あの態度は」
「うん」
「まあそこらへんは自分らしな」
「ふうん、工学部の蓮川、ね」
「……マジで自分が興味持つて違和感やなあ―――あれ(盃)、なんかあるんか?」
「ん?オレああいう類の物品割と好きだよ本気で。実家にもあんなん結構あったし。だからつい目について話しかけたんだけど」
「…………」
「何も『ヤバい物』だなんて思ってないって」
「まあ、『ほなら』とりあえずええけど。ほな、ワシも行くわ」
「うん」

訝しみ、口にした質問をかわされた関西弁の青年だったが、じっと見つめることで相手からそんな苦笑交じりの返事を得て、とりあえず納得を見せる。そうして彼も後ろ頭をばりばりと掻きながら教室から去っていった。
そうして一人残った眼鏡の青年は、腕を組み顎に手を当てさすりながら、誰にともなく呟く。

「盗んだ、とは思いにくい。拾った、にしては盃なんて普通、袋に入れて持ち歩こうなんて思わないし……。アイツも何も感じてないレベルだから、さっきの彼が何か感じているともイマイチ思えない……。それに『くれた友人』、ねえ?やっぱ許可証かな?」

そうしてそのまま教室を出ていく。最後の呟きは次の講義を知らせるチャイムと重なった。

「友達できたのかね?あの人」

教室は誰もいなくなった。
最終更新:2013年11月02日 00:32