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*鬼滅の刃考察 鬼滅の刃の考察等適当にまとめ。 ---- #contents(fromhere) ---- **時代設定 「大正時代」の日本が舞台となっている。 さらに詳しく考察するなら、 ① あらすじでは1話の時点で「時は大正時代」と明記してある。 ② 2年後の手鬼「47年前は江戸時代慶応だった」との発言。 両方の条件が成り立つ年を逆算すると、 作中は1話時点で大正元年~3年(西暦1912~1914年)辺り、2年後の選抜試験が西暦1914~1916年辺りと推察される。((第一次世界大戦が1914~1918年、日本は第2次大隈重信内閣ぐらいの頃である。世界と日本の関わりで言うなら所謂21ヶ条の要求を中華民国の袁世凱に突きつけた頃である。)) ③ さらに年号改変日から詳しく考察すると、より具体的な時期が見えてくる。 ・竈門家襲撃直前に、炭治郎が「正月ぐらいは腹いっぱい食わせてやりたい」と発言している事から、第1話は旧正月前((※大正時代はまだ旧正月を祝う事が一般的。かつ第2話の時点で下山すると雪がほとんど融けているため、12月とは考えにくい。))の2月上旬ごろ。 ・大正元年は1912年7月30日始まりなので、第一話の時点での最短は1913年2月。 ・慶応年間のおしまい(=明治開始)は、公式には1868年1月だが、この年の9月に、1/1に遡って明治にするように交付されたため、年号鬼が慶応年間と認識しうるのは、1865年5月~1868年9月の範囲となる。従って狭霧山の隊士選抜試験は1912年5月~1915年9月が範囲となる。1話時点ですでに大正時代なのだとすると、竈門家襲撃は1913年2月と確定する。((1914年以降であると、2年後が1916年になってしまい、年号鬼が47年前に捕まったという事実と矛盾してしまうため)) ・隊士選抜最終試験では、「藤の花が咲く季節じゃないのに」と炭治郎が発言していることから、藤の花が本来咲く時期である4~5月を除外する。すると選抜試験は1915年6月~1915年9月に行われたと断定できる。 ・上記の考察が正しいとすると、年号鬼が鱗滝に捕まったのは1868年。((本人の認識はともあれ、実際には明治期につかまったことになる。 ※47年前と具体的に覚えているならば明治何年かを聞く必要はなかったのでは……)) 年号鬼が捕まった時期についての具体的な年表 ※明治6年までは太陰暦なので、大正時代とは1か月弱ほどズレる ---------------------------------------- ×1865/05/01 慶応開始だが、47年後がまだ明治になってしまうので排除 〇1865/07/30 慶応年間かつ47年前の最短 〇1868/01/01 明治適用だが、遡って適用されたため、「慶応年間に捕まった」との認識とは矛盾しない 〇1868/09/08 明治発表 ×1868/10/23 実際の明治適用だが、1/1に遡って適用されることがすでに9/8に公布されているため「慶応年間に捕まった」とは言いがたい 隊士選抜試験の時期についての具体的な年表 ------------------------------------- ×1912/05/01 慶応から47年後の最短だが大正以前につき除去 〇1912/07/30 大正開始 〇1915/01/01 明治適用から数えて47年後 〇1915/09/08 明治発表から数えて47年後 ×1915/10/23 慶応から47年後の最長だが慶応年間と矛盾するため除去 竈門家襲撃の時期についての具体的な年表 ------------------------------------- ×1912/07/30 大正開始だがまだ夏 〇1913/02ごろ 1913年の旧正月が、2月6日なのでその直前か ×1914/02ごろ 季節的には問題ないが、2年後が1916年になってしまう。 ただし、大正後期のモダンガール服装等も登場しているので、 &bold(){&color(blue){厳密には史実に合わせた設定ではなく、あくまでパラレルの大正時代っぽい世界観だと思われる。}} &bold(){&color(blue){いわゆる大正ロマン表現。}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **政府と鬼殺隊の関係 鬼殺隊は「政府から正式に認められていない組織」と明記されているが、 ① 公務員ではない鬼殺隊が帯刀しているのにスルーしているように見える。しかし、54話にて警官に帯刀をしているため警戒されていた ことから政府のごく一部の人のみが知っている可能性が高い。 ② 鬼殺隊への給金の資金提供の謎。(実は政府からこっそり援助?) ③ 読み切りの設定では鬼殺隊のことを警官も知っていたので政府が裏で公認していた。 読み切り時の設定から大きく変化していなければ政府が裏で援助している可能性が高い。 というか鬼が各地に多数存在している=各地で大量に人が死んでいると考えられるので、 政府に全く情報が入っていないほうが不自然。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **竈門家の場所 本編では「山奥で雪深い場所」「でかいツキノワグマ((最大で180センチを越す個体も存在する))が出る」ぐらいしか手がかりがなかったが、冨岡義勇外伝において、「マタギ文化を有する山村の隣山」という手がかりが増えた。順当に考えれば秋田県で、禰豆子は色白の秋田美人という事になる。((※一応、マタギ文化の南端は新潟県)) とはいえ、外伝は冨岡義勇の「柱としての心構え」という本編とは完全に矛盾した発言((実際に本編中でも伊黒から「柱としての自覚が足りない」と指摘されているが、これは彼が「最終試験で何もできず、ただ生き残った自分には柱たる資格がない」と考えていたからである。そんな彼が説教がましく「柱としての心構え」を他の柱に説くのは完全に矛盾している))から読者からの受けが悪く、これを公式設定とするのは問題がありそうである。 まぁしのぶさんは可愛いけど。 追記: 竈門家の場所は東京府 奥多摩郡 雲取山(現:西多摩郡 雲取山)に確定。((さすがに奥多摩にマタギは……そして北の宿場町とはいったい……)) なお、当時から既に多摩には青海線が開通しており、少し街に出れば汽車を見る事は可能である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **狭霧山の場所 竈門家との位置関係は明らかになっていないものの、1話であれほど雪深かったにもかかわらず、 下山後には全く雪が見えなかったことを考えると、竈門家からは徒歩((13歳の少年が幼児程度の荷物を籠で背負って、である))で1か月以上の道のりがあるほど遠いと推測される。 現実で考えれば高地トレーニング可能で、しかも霧が濃い山地といえば、長野県の「御嶽山」あたりか。 霧のほうに重点を置くならばその近くの「霧ヶ峰」も候補かもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **藤襲山の場所 藤襲山の場所は明らかになっていないが、最終試験合格後の炭治郎が「筋肉痛が癒えないうちに」狭霧山の鱗滝宅に到着していることから、狭霧山からは徒歩で半日~2日ほどの場所にあると想定される。また「日輪刀が出来上がるまで10~15日」かかるとされる中で、「玉鋼を鍛冶の里まで運ぶ」「完成した日輪刀を狭霧山の鱗滝宅に運ぶ」の期間を含めても、炭治郎が鱗滝宅到着から15日後に日輪刀が届いていることから、鍛冶の里からも決してそう遠く離れているわけではない事が推測される。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鱗滝左近治の出身地 ・鱗滝が常に天狗の面を身に着けている ・「日輪刀を折ればお前の骨を折る」と言うほど日輪刀を大事にしている((鬼との戦いで日輪刀が破損するのはよくある事、であるにも関わらずである)) ・鉄鋼塚と親交が深そう((相変わらず人の話を聞かん男だな、と発言している)) ・藤襲山から鍛冶の里までそれほど遠く離れていない 以上の根拠から、鱗滝は鍛冶の里の出身ではないかと推測される。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **少女が消える北西の街の場所 炭治郎の最初の任務の場所であるが、狭霧山からから見て北西の街だという事は明らかになっているものの、距離が不明である。しかし次の任務が東京府浅草であり、しかも炭治郎はこの街を深夜に出発((任務遂行時は深夜であり、鎹烏は任務完了後即座に出発するようにせかしている))してから2日後に到着していることから、この街は北関東のどこかと思われる。 追記:アニメではこの街に電線がかなり普及していることが表現されていた。史実では大正時代前半は、雨後の筍のごとく電線製造所が創立された時期である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鼓屋敷の場所 鼓屋敷は浅草から南南東の箇所にある山間の屋敷である。浅草から南南東の場所に実際にあるのは浦安((しかし浦安には埋立地で山がなく、山間部は存在しない))あたりか。東京湾を迂回し、房総半島の山間部((房総半島は平野部ばかりで山といえるものはほぼないのだが、強いて候補を挙げれば400メートル級の愛宕山だろうか?))に向かうルートであれば、鎹烏は「南南東」とは言わないだろう。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **那田蜘蛛山の場所 鼓屋敷での激闘を終え、藤の家で骨折が完治((2か月ほどだろうか))するころに、緊急指令として向かうように指示されたことから、やはり鼓屋敷からそれほど離れていない場所だと推測される。 浅草から南南東の箇所から最も山地に近いのは房総半島の愛宕山だろうか。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼舞辻無惨が竈門家を襲った理由 鬼舞辻無惨と竈門一族に因縁がある為、まるで竈門家を狙って襲撃したように見えるが、 ①浅草で炭治郎の耳飾りを見て、初めて「過去に鬼舞辻無惨を追い詰めた剣士の末裔」だと認識。 ②浅草で部下に指示を出す際に炭治郎の名前を知らなかった。 よって、竈門家の情報を予め知っていたわけではなく、偶然立ち寄った可能性が高い。 とはいえ、理由も無く山中の竈門家に偶然立ち寄ったという事も考えにくい為、 追っ手を巻く為に鬼を創った可能性も考えられる。たまたま逃走ルートに竈門家があったのかも? あるいは本当に竈門家を狙って襲撃したが、家族構成までは把握していなかったので、外出中の炭治郎の存在を知らずに一族全員を根絶やしにできたと思い込んだ可能性もある。 また鬼舞辻無惨は、「太陽を克服した鬼を作り出し、取り込むため」と「青い彼岸花を捜索させる」の二つの目的((それを阻む鬼殺隊および柱を誅殺する、というのはこの二つの目的を達成するための「手段」であり、副次的になものであって主たる目的ではない))で増やしたくもない同類を増やしていることが判明した。 いずれの目的も人を喰らう鬼の存在が世間に露呈しては都合が悪く、また作り出した鬼がすぐに討伐されても意味がない。 そして悲鳴嶼の出身地のように「夜は鬼が入ってこないように対策する」事が当たり前になっているところでは鬼も活動しにくい。 このため鬼舞辻無惨は必然的に「鬼の存在が知られておらず、しかも殺人事件がすぐには露呈しないような人里離れた場所」に新しい鬼((ある程度人を喰い、偽装可能な血鬼術を身に着けた鬼は人里で活動することが可能になる))を配置することになる。 ((実際に冨岡義勇が来なければ竈門家は炭治郎を含めて全滅していたはずであり、そしてうまくいけば禰豆子は様子を見に来た数人を喰らう事も出来たであろう。)) さらに「青い彼岸花」の捜索範囲を広げるというメリットもあるため、鬼舞辻無惨が「鬼の伝承のない辺鄙な場所の、人里離れた一軒家」を狙うのは自然なことと言える。 まぁどちらにせよ、現時点ではどの説も推測の域を出ないのだが。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼舞辻無惨は何故禰豆子だけ鬼にしたのか 鬼に変貌した直後は極度の飢餓状態になるので、食糧(人間)が必要となる。 よって、適当に1人だけ鬼にして、残りの家族を食糧用としてあえて鬼にしていないと考えられる。 他の鬼の回想から見ても、鬼にされた者は一番初めに家族を喰べている描写が多々ある。 実は鬼舞辻無惨が家族同士で食人させたいだけの悪趣味な遊びかもしれない。 あるいは、日の呼吸の協力者だった竈門一族の最後の一人を鬼にすることで、一族を貶めて憂さを晴らしたという線もあり得る。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼舞辻無惨が浅草にいた理由 設定上、鬼舞辻無惨自ら鬼を造る必要があるので、 全国に鬼が存在するならば、鬼舞辻無惨は全国を行脚していると考えるのが妥当である。 よって、浅草に住んでいるのではなく、行脚中にたまたま浅草に寄った可能性が高い。 家族には商談と説明しているシーンがあるので、商談行脚に装っていると推察される。 けしからん輩や観光客に紛れる事で鬼狩りから身を隠すことが可能((しかし当の無惨様はプライドが許さないためか、上流階級や富裕層に溶け込むことを好むため、このメリットは薄い))であり、 しかも堕姫を配置した吉原にも程近いため、情報収集に適した場所でもある。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **浅草の鬼舞辻無惨と累回想の鬼舞辻無惨が別人に見える件について 浅草の鬼舞辻無惨と累回想の鬼舞辻無惨では明らかに髪質が違う為、別人のように見える。 よって、本物の「月彦(人間)」を殺害し、月彦の姿に擬態して成り代わっているのではないかと推察されている。 追記:第51話では女性の姿に擬態していたことから、月彦の姿も擬態していた可能性が濃厚となった。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **冨岡義勇の「傷口に鬼の血を浴びたから鬼になった」発言 まるで「その辺の鬼の血を浴びたら鬼になってしまう」的な発言だが、 実際は鬼にできるのは「鬼舞辻無惨」の血液のみ。(一部例外有り) 一見、義勇さんの説明が間違っているような印象を受けるが、 鬼の存在を初めて知ったばかりの人間に 「傷口に"鬼舞辻無惨"の血を浴びたから鬼になった」と説明してもピンと来ないはず。 さらに珠世様の研究によれば、鬼には鬼舞辻無惨の血液が量の大小を問わず必ず含まれているため、一般人が鬼から血液を浴びた際に、その血液中に運悪く鬼舞辻無惨の血液が含まれてた場合には鬼化してしまう可能性は十分にある。((実際に不死川玄弥はこの特性を利用して鬼化していると思われる)) このため鬼の関して無知な一般人にも解り易く説明するなら 作中通り「傷口に鬼の血を浴びたから鬼になった」が妥当ということですね。"わかるよ" &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **冨岡義勇は本当に遅刻キャラなのか 「あと半日早く来ていれば(略)」との描写がある為、一見任務に遅刻して無惨を獲り逃したように見える。 しかし、元々の目的地が竈門家もしくは鬼舞辻無惨を追っていたとは明言していない。 仮に目的が竈門家の警護だったと仮定すると、生き残りの炭治郎を保護するはずなので、おそらく違う。 また、鬼舞辻無惨を追っていたのなら、のんびり炭治郎が起きるのを待つのもおかしいので、これもおそらく違う。 よって、別の任務の帰り道だった、もしくは鱗滝さんに挨拶をしてきた帰り道等に「偶然」炭治郎と遭遇しただけの可能性がある。 つまり「あと半日早く来ていれば(略)」=「あと半日早く(ここを偶然通って)いれば(略)」なのかもしれない。 さらに言えば、本当に無惨を追っていたとしてもそもそも発見報告そのものが遅かった可能性もある。 %%炭治郎と禰豆子を迎えに来た鱗滝さんも、到着があと数時間早ければ惨殺された家族を救えたのも内緒。%% 結論として、&bold(){&color(blue){「義勇さんは遅刻してない!」}}←結局これが言いたかった為に理屈をこねたのです。"わかるよ" &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **冨岡義勇の手紙の違和感 鱗滝に宛てた手紙に''「鬼殺の剣士になりたいという少年をそちらに向かわせました」''の一文があるが、 1話時点では、 ①「鬼」なら禰豆子を元に戻す方法を知っているかもしれない。 ② 弱いままでは「鬼」から情報を得られない。 ③ 狭霧山の鱗滝左近次に会え。(会う理由は伝えず) 以上、3点しか炭治郎に伝えていません。 実際に「鬼」から情報を得る為には鬼よりも強くなる必要があるので「鬼殺の剣士」になるべきという論理は正しいが、 炭治郎は1話時点では「鬼殺の剣士以外だと鬼を殺せない」ことを知らないので、「鬼殺の剣士になりたい」とは義勇に一言も伝えていない。 この時点では義勇は炭治郎の心情を知り得ないはずので、この手紙の一文は齟齬をきたしている。 ※読者視点では炭治郎が「なんらかの方法で強くなる決意をした」描写はあるが、具体的に「鬼殺の剣士を目指す」ことを伝えた描写はない。 ※炭治郎視点では「鱗滝左近次という人物の正体は不明だが、とりあえず助言に従ってみる」形になる。 しかし、3話に登場した鱗滝さんの「鬼殺の剣士の適正を試す」発言に炭治郎が疑問を持たず従っている。 読者視点ではここで初めて炭治郎が1話最後の時点で「鬼殺の剣士」を目指す決意をしていたことを知ることになるので、 炭治郎が「鬼殺の剣士」を目指したい心情と義勇さんの「鬼殺の剣士」への推薦が偶然噛み合っただけ=結果オーライという現象になっている。 結果論では手紙の内容は正解だったが、義勇さんはどのようにして炭治郎の心情を知り得たのか。 この部分の展開のズレを整合させる為に考察するなら、 &bold(){&color(blue){説①:義勇さんが炭治郎や善逸のように心情が読める能力持ちで『炭治郎が鬼殺の剣士になりたい』感情を読み取った。(これなら一切問題無し)}} &bold(){&color(blue){説②:手紙は義勇さんの先走りだが、炭治郎の嗅覚で『鬼殺の剣士を勧める匂いがした!』(炭治郎の嗅覚パネェ論)}} &bold(){&color(blue){説③:手紙は義勇さんの先走りだが、炭治郎の希望と偶然合っていた。(運命論)}} &bold(){&color(blue){説④:義勇さんが「炭治郎に直接鬼殺の剣士を勧める話をした」と思い込んでいた。(うっかりです、てへ論)}} &bold(){&color(blue){説⑤:吾峠先生は天然だから。(ド本命)}} 以上のどれかの説で解決。 また炭治郎も「俺が誰も傷つけさせない」「家族を殺した奴も見つけ出すから」「俺が全部ちゃんとするから」と全面的に責任を取る旨の発言をしており、 特に「俺が全部ちゃんとするから」の発言を義勇さん目線で拡大解釈すれば、炭治郎の発言は実質的に「何でもしますから」と同義である。 安易に「俺が全部ちゃんとするから」とか言っちゃダメなのである。 え?フォローが苦しい?"わかるよ" 余談:単行本5~6巻あたりの描写では義勇さんがかなり天然っぽいので、説④が本命の可能性が濃厚に?"わかるよ" &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **『錆兎を斬ったと思ったら岩が斬れていた』描写のモデル 奈良県天石立神社:&bold(){&color(blue){『一刀石』の伝説}}がモデルになっていると思われる。 #blockquote(){&bold(){柳生新陰流の始祖・石舟斎(柳生宗厳)が戸岩谷(といわだに)の山で三年間、天狗を相手に剣術修行を重ねる。&br()最後に天狗と試合をし、一刀のもとに斬り捨てたと思いきや、天狗の姿が消えて2つに割れた巨石が残ったという逸話。}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **『厄除の面』は『厄寄せ』の面だったのか 皮肉にも『厄除の面』が手鬼のターゲット目印となっていたので、逆に厄を呼び寄せているように見える。 しかし、炭治郎も手鬼に狙われたが、初撃を受けた際に『厄除の面』が割れていることから、 本来なら即死のところを『厄除の面』が身代わりになってくれたのかもしれない。 ※初撃で&bold(){&color(red){「顔面を抉る攻撃」と「ボディーブロー」の二点同時攻撃}}を喰らっており、   『厄除の面』と同箇所に痕が残る程の深い傷を負っているので&bold(){&color(red){『厄除の面』がなければ即死していた可能性が高い。}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **第6話最終選別開始時のクール系強キャラに見える善逸 開始前から顔を怪我しており、一見歴戦の猛者に見える。 しかし、善逸の性格が判明した現在では どう考えても最終選別の参加を渋って育手のじいちゃんに顔をゴチンゴチンされたとしか思えない。 追記:アニメの大正コソコソ話でこの説が事実と確定した。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **第9話にて禰豆子が鱗滝さんの玄関戸を蹴り飛ばした理由 鬼になってから頭の働きが鈍っているとはいえ、他にも原因があるのかもしれない。 説①:炭治郎が帰ってきた気配を感じてテンションが上がった。 説②:建付けが悪くて中々開かなかったのでイラッとして蹴り飛ばした。 説③:人間だった頃も意外と足癖が悪くて障子とか足で開けていた。   (よく六太をおんぶして両手が塞がっていたので) &bold(){&color(blue){結論、扉を蹴り飛ばす禰豆子がお転婆可愛いからどうでも良い。}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **何故鎹鴉は人語を話すのか 一切謎。品種改良した鴉とか?鬼殺隊当主:産屋敷耀哉の術とか? 実際に人語を話す鴉は存在するが、このような鴉の共通点は人に保護されていることである。 これは人の環境に適応するためと考えられており、この条件を満たすような鴉を話せるように 教育することは可能である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **何故善逸の鎹鴉のみ雀なのか 一切謎。まあ善逸だしね… 追記:あえて「善逸に鎹雀が割り当てられた理由」を推測してみると…… 「聴力に優れており、音によって感情を推測することが可能な善逸ならば、チュン太郎の言葉を理解できるはず」という期待の元、チュン太郎が割り当てられたのかもしれない。((あるいは歴代の雷柱、鳴柱、音柱にそれができた実績があったのかもしれない)) しかし本編の描写を見る限り、善逸は音によって相手の強さや状態を測る事は得意であるものの、感情の読み取りはあまり得意ではなく((しのぶさんの音を「規則性がなくてちょっとこわい」と表現しており、しのぶさんの内に秘めた怒りを見いだせなかった))、むしろ嗅覚に秀でた炭治郎のほうが長けている((これは嗅覚のほうが聴覚よりも感情を探るのに優れているというよりは、善逸の精神が他人の気持ちを慮れるほど成熟していないことが原因か。))。 結果論だが、鎹雀はむしろ炭治郎に割り当てられるべきであった。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **何故チュン太郎((アニメの大正コソコソ噂話で「うこぎ」が本名であることが判明した。チュン太郎は善逸が付けた名前のようである))の鳥語が炭治郎のみ理解できるのか 聴覚特化なのに善逸が鳥語を理解できず、嗅覚特化の炭治郎が鳥語を理解できる理由は一切謎。 5巻オマケページでは、柱であるしのぶさんにすら鳥語が通じてない為、炭治郎だけが特別に鳥語を理解出来る模様。 長男すごい。 追記:前述の通り、善逸は他者の感情を音で読み取るのが下手であり、むしろ炭治郎のほうが的確に感情を読み取ることが出来ることから、炭治郎が鳥語を理解するのは当然と言えるかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **珠世様の年齢について 鬼化の研究に200年以上掛かったとの発言から、 少なくとも&bold(){&color(red){《この先の文章は浅草のYさんによって目隠しされました》}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **珠世様と鬼舞辻無惨の関係について 珠世様は鬼舞辻無惨の呪いを解除に成功する程に「鬼舞辻無惨に対しての理解」が深い。 また、鬼舞辻無惨の性格を熟知している発言、鬼舞辻陣営からは「逃れ者」と呼ばれていることから、 元々は鬼舞辻無惨に近しい関係だった可能性がある。 具体的に言えば元十二鬼月とか鬼舞辻無惨の血縁者とか元妻とか元恋&bold(){&color(red){《この先の文章は浅草のYさんによってズンッされました》}} また、メタ的な考察として2巻表紙と表紙カバー下の同ポーズの対比が挙げられる。 2巻表紙の炭治郎は表紙カバー下では禰豆子に、 表紙の鬼舞辻無惨は表紙カバー下では珠世様にそれぞれ差し替わっている。 この部分が作者の隠しメッセージだと仮定すると、 &bold(){表紙:炭治郎&bold(){&color(blue){(兄)}}→表紙カバー下:禰豆子&bold(){&color(red){(妹)}}なので、} &bold(){同様に表紙:鬼舞辻無惨=&bold(){&color(blue){(兄)}}→表紙カバー下:珠世様=&bold(){&color(red){(妹)}}で&bold(){&color(red){兄妹}}の可能性があるという説。} まあ、ただ単に表紙が男同士だったから表紙カバー下を女同士にしただけで深い意図はないかもしれないけれども。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんの持つ鬼殺しの毒について しのぶさんの持つ鬼殺しの毒は、本来なら「日輪刀で頸を斬らない限り絶対に死なない鬼」を、頸を斬る力のない人間でも殺せるようになるという代物。これが本当ならば、この毒を鬼殺隊の全隊員に配布すれば、鬼の頸を斬るだけの力はなくとも俊敏で体術に長けたものでも即戦力になるはずである。%%しかし、現段階でこの毒を使っているのはしのぶさんただ一人である。%% 説①:「蟲の呼吸」を使えなければ扱えない毒であり、「蟲の呼吸」を習得していなければ使用者に副作用が起こる。 説②:非常に希少、または作るのに手間がかかるため柱であるしのぶさんの使用分ほどしか確保できない。 説③:思惑があってしのぶさんが製造方法を秘密にしている。 追記: 宇髄天元の嫁のひとりである雛鶴さんが、藤の花から抽出された毒をクナイに塗って射出武器として運用している。 明言こそされていないものの、鬼殺の剣士以外の非戦闘員用武器として、しのぶさんの鬼殺しの毒が実用化されている可能性がある。 また緊急出動が当たり前である鬼殺の剣士は、頻繁な補給を見込めないため、消耗品に頼る事は好ましくないのかもしれない。 さらに藤の花にはマメ科特有の毒性物質であるレクチン((ちなみに鬼が嫌うものといえば一般的には『魔滅(まめ)』の言葉に掛けた大豆である。マメ科植物特有のレクチンが鬼の弱点である可能性は高い))などの有毒成分が含まれており、非加熱で高濃度に抽出した場合、人体に悪影響を及ぼす可能性がある。 このため、元忍や野生児のように対毒耐性の高い隊士以外は使用しないほうが安全である。 再追記: 上弦の弐、童麿は那田蜘蛛山でしのぶさんが使った毒の情報を収集済み((彼女の毒で倒された鬼は肉体が崩壊しないため、情報収集が可能だった))であり、その毒効も把握していていた。 しのぶさんはその状況を「やはり」と評し、しかも「毒は諸刃の剣」とまで言っていることから、毒の対策がなされてしまう事を案じていたと思われる。 鬼殺隊が毒の優位性を保ち、さらに標的の童麿を倒すための作戦を実行するためには、他の隊士にとって非情ながらもこの状況は已む無しだったと思われる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **カナヲが毒使いではない件について カナヲはしのぶの継子だが禰豆子を倒そうとした際に普通の日輪刀で頸を斬ろうとした。理由として、以下 説①:カナヲの場合、頸を斬れるだけの力があったため。(しのぶは呼吸を教えるだけなのか) 説②:毒を扱うのはしのぶの実験的なものである。 説③:わざとしのぶが呼吸法しか教えていない(剣術はあった、実戦での調達の考慮等) 追記: カナヲは蟲の呼吸ではなく、花の呼吸の使い手であることが判明した。蟲の呼吸が花の呼吸の派生であり、しのぶさんが修行中に呼吸を派生させたのであれば、カナヲが花の呼吸の修行をしていたのも不自然ではない。 また自然界において毒は蟲の専売特許というわけではなく、たとえば蛇の呼吸の使い手が毒を扱う可能性もある。 再追記: しのぶさんが毒を使うようになったのは、姉の仇「童麿(上弦の弐)」を倒す事を目的としていたことが判明した。 敵討ちに際しては「自らの犠牲を顧みず、藤の毒に侵された状態で仇に喰われる」事を前提としていたため、未来あるカナヲを毒使いにするのは躊躇われたのかもしれない。 また、しのぶさんは非力を補うために毒使いになったという経緯があり、身体能力に長けているカナヲ((負傷上がりとはいえ、炭治郎・善逸・伊之助の三人が追いかけっこで敵わない))には少々ミスマッチな呼吸である。 むしろカナエ姉さん((しのぶさんよりは上背があり、力もあった))の呼吸法である花の呼吸を修めさせることにより、後を継いでほしかったのかもしれない。 調合作業は蝶屋敷のアオイ達に任せてもよい作業であるにも関わらず、そういった描写が無いことから、調合作業には藤の花の毒に侵される健康リスクがある可能性がある。 そして悲しい事に、それは自身の体を藤の花の毒で満たす事を目的とする彼女にとって都合がよかったのである。 再々追記: 胡蝶カナエは不死川実弥が柱になるよりも前から花柱であったことが確定した。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **カナヲの名前の由来について 引き取り人の「胡蝶カナエ」から名前の一部を貰っていると推察されるが、何故&bold(){&color(blue){「ヲ」}}の文字を選択したのか? 一部のファンの間ではこのように推察されている。 &bold(){&color(blue){【カナエ→カナヲ】⇒【「エがヲ」になる】⇒【「笑顔」になる】}}から。 流石にこじつけが過ぎるって?カナヲは可愛いから大丈夫!(正義!!) &del(){ワニ先生「あ、確かに」} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼殺隊の隊服は雑魚鬼の牙と爪では傷が付かない設定なのに列車運転手の千枚通しが刺さったのは何故? 一見矛盾しているように見えますが、実は全く矛盾していません。 現実で実際に販売されている薄型の防刃服も引っ掻きには強いですが、繊維の隙間を通る&bold(){&color(blue){針状の刺突には耐性が無いのが普通}}です。 &bold(){&color(blue){そもそも布に針と糸が通らなければ服として加工出来ませんので、針状のものは貫通するのは当然です。}} 隊服に厚みがないので、厚みのある防刃ベストのように繊維の内側に金属板などを埋めていないと推察されます。 さらに単行本7巻のオマケページにて、魘夢が人間に持たせた千枚通し(錐)は特別製で、持ち手は魘夢の骨、切っ先は魘夢の牙で出来ている&十二鬼月クラスの牙は隊服では防げないと補足説明有り。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **第85話で炭治郎と過去の葵枝が歌っていた『子守唄』について 実在する佐賀の子守唄&bold(){&color(blue){『小山の子うさぎ』}}が元ネタ。 https://www.youtube.com/watch?v=1E8JKf_AXeU #blockquote(){&bold(){こんこん小山の子うさぎは&br()なぁぜにお耳が長うござる&br()小さい時に母様(かあさま)が&br()長い木の葉を食べたゆえ&br()そーれでお耳が長うござる&br()&br()こんこん小山の子うさぎは&br()なぁぜにお目目が赤うござる&br()小さい時に母様が&br()赤い木の実を食べたゆえ&br()そーれでお目目が赤うござる}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **煉獄父が自分の才能に絶望した理由 本編では煉獄父は長男の杏寿郎と自らを「大して才能がない」と断言しているが、その根拠には特に触れていない。 しかし日の呼吸の使い手および痣についての説明がなされた今、「自らにも杏寿郎にも痣が現れなかったことに絶望した」と推測することが可能である。 実際に産屋敷あまねが「痣が発言しない為、思いつめてしまう方が随分いらっしゃいました」と発言していることから、煉獄父はこれに絶望した可能性が高い。 杏寿郎およびその後継にそういった絶望を与えないために、代々伝わる歴史書を破損させたと思われる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **十二鬼月が組織された時期について 猗窩座 (あかざ)が鬼にされた際に、無惨様が「強い鬼を十二体ほど造ろうと思う」と発言していることから、猗窩座は十二鬼月の初期メンバーと思われる。 江戸を追放された先で花火が毎年行われていることから、猗窩座がスカウトされたのは17世紀後半以降(=1648年に江戸で花火禁止令((意外にも江戸において花火はかなり初期から行われている。しかし17世紀後半には江戸においては花火禁止令が出され、花火は地方都市に移っていった。)))の地方都市と思われる。 これより後に鬼になった童磨については、新興宗教の教祖(一族)という描写から、黒住教、金光教、天理教あたりがモデルの可能性が高い。 これらも江戸時代後期(=1814年に黒住教は成立)にルーツを持つことから、19世紀初頭((1916~1917年から数えて113年前、すなわち1803~1804年ごろに上弦の鬼の集合がかけられていることから、その頃には鬼であったと思われる。これは自身の回想の「100年以上生きた」という発言とも一致する))ごろの地方都市((岡山や奈良のように江戸から遠い場所))と思われる。 堕姫および妓夫太郎については、羅生門河岸((羅生門河岸は、いわゆる新吉原移転(1656年)後))出身であり、また童磨によって鬼にされていることから、やはり19世紀初頭ごろに鬼になったと思われる。 当道座((世界に類を見ない盲人の互助組織である当道座は、江戸時代以前から存在する。なお江戸時代以降は当道座の官位は金で買えるようになったため、江戸時代は金に汚い盲人が増えた時期とも言える。当道座には自治権があったものの、殺人等の重罪については幕府側に裁断権があったため、半天狗の裁判描写は史実どおりのリアルである。殺された盲人が「奉行所に行く」と言っていたのはおかしいが、それほど教養高かったわけではない盲人が当道座の司法権に無知であることは不思議なことではない))に属していたと思われる半天狗は、時代の断定が難しい。 奉行の髷の形が時代劇でお馴染みの大銀杏であることから、江戸時代後期と思われるが、時代を断定する根拠に乏しいからである。 玉壷が固執する壷は、陶器ではなく磁器のように見える。日本において磁器が伝来したのは1610年代とされている。((また左右対称(シンメトリー)に拘り、自然の理に反することを好むのは大陸の美意識のように思える。)) 黒死牟については、戦国時代の鬼殺の剣士((顔に浮き出た痣、赤く色変わりした刀、鬼になるまで3日かかったほどに強い剣士であることから、もはや確定と言ってもよい))が鬼に堕ちた可能性が高い。他の上弦は少なくとも江戸時代以降に鬼になっている((花火、磁器、新興宗教、吉原羅生門など江戸時代以降でしか存在しえないメンバーは多い))ことから、十二鬼月の結成以前から鬼であった唯一のメンバーである。 追記: 彼の人間時代の本名は「継国厳勝(つぎくにみちかつ)」であり、月の呼吸の使い手であることが判明した。さらに最低でも300年以上生きていることが判明した。 安土桃山時代(織豊政権)に生まれ、鬼狩りをしていたのではないかと推測できる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **お館様の病状と柱が入隊した順番 お館様の病状の変化は、柱が入隊した時の回想および本編中の描写によってある程度分かる。((病巣は左側が進行していることもあれば、右側に寄っていることもあるため、体調によってある程度変わるのかもしれないが。)) ・悲鳴嶼:顔はキレイなまま ・宇随:左目周辺のみに病巣あり ・不死川:額全体に病巣あるも右目に到達していない(目は左目のみ白濁) ・甘露寺:額全体に病巣あるも左目((この時期に限り、左目に病巣がない。時期によって病巣が移動しているように見える。あるいはただの作画ミスか))に到達していない(目は両方とも白濁) ・時透:病巣が完全に両目を覆い、右目下の病巣は頬に到達 ・塁撃破時:病巣が完全に両目を覆い、目は白濁し失明 ・魘夢撃破時:病巣が左頬および首の左側に到達 ・堕姫撃破時:病巣が頬を覆い、吐血 ・柱稽古時:病巣が首に到達し、寝たきり 時透は11歳で刀を握り、そのまま2か月で柱になったことと、さらに炭治郎よりも年下であることから、現在11~14歳と思われる。 甘露寺の入隊が「2年前」と明示されており、病巣が時透の時よりも小さい事を考慮すると、13歳未満とするのが妥当か。((作中、小柄で上背が足りないと描写されるしのぶさんとほぼ同じ身長に描かれている)) 時透家の悲劇および甘露寺の入隊は炭治郎が鱗滝の元で修行していた時期という事がわかる。 追記:ファンブックおよび黒死牟の発言により、時透の年齢は14歳で確定。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正時代の科学技術知識 本作には時代に合わせた科学技術および知識が登場する。 ・蒸気機関車→明治初期に品川横浜間で開業 ・遺伝→メンデルの遺伝の法則は1865年((「遺伝子」の概念は1909年))に発見される ・養蜂→明治末にセイヨウミツバチによる養蜂は本格化し、大正時代には全国に普及済み ・点滴→点滴の歴史は古く、17世紀には行われていた資料がある。しかし感染症等のリスクが高く、パスツールによる細菌学が確立するまでは普及していなかった。日本には明治初期に伝来した。 ・輸血→珠代様が募っているのは「輸血」ではなく「献血」であり、さらに言えば「売血」である。日本で輸血が始まったのは1919年であり、珠代様の医学知識は当時の日本人の科学水準を超えていることになる((とはいえ、提供者の血液型を調べる必要がなく、輸血行為そのものも行わないため、それほど高度な医療技術と言うわけでもない)) ・稀血→RHマイナス型などの珍しい血液型を差す医療用語。発生確率1%未満の血液型を差す言葉であり、多くの場合、遺伝とは関係なく発生する。この中でもさらに珍しい血液型も存在し、例えばボンベイ型の場合の発生確率は1/1,000,000 であるという。 ・体温計→明治時代に医療施設に普及した。((当時の日本は体温計の輸入をドイツに頼っていた。しかし第一次世界大戦が起こったことで供給が長く途絶えた。まさに本編中の話である。このため、この時期の体温計は貴重品であった)) ・カステラ→大正時代の高級スイーツ((卵と砂糖がふんだんに使われているため原価も高く、生菓子であるため消費期限が10日程度であるため庶民が気軽に食べられるものではない))であり、見舞いの品((結核などの消耗性疾患に対する一種の栄養剤という側面があった))には十分である ・電球→不死川兄弟の回想で、不死川母が天井の電球を破壊するシーンあり。明治末期から大正にかけては電球の普及期であり、都市では電気化が進められていた。((アニメでは街に電線が普及している描写あり)) ・栄養→古来からその概念そのものはあったものの、用語が統一されておらず、当時は東洋医学用語の「滋養」の方がよく使われた。また「営養」の文字も同じくよく使われた。これが「栄養」に統一されるのは大正後期から戦後にかけてである。また「栄養価」の概念はビタミンBの発見後となるため、この時点では使われていない可能性が高い。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **獪岳の生涯について 岩柱・悲鳴嶼の回想では、保身のために他の子どもを売って生き延びた子供が一人いたが、その子供には勾玉の首飾りがあったため、獪岳ではないかと推測されている。 その後、泥水を啜るような孤児生活を経て元・鳴柱である「じいちゃん」の元で修行を重ねる。 この時の善逸とのやり取りでも勾玉の首飾りがあることから、よほど大事なものだったのであろう。 善逸に先んじて鬼殺の隊士となるものの、上弦の壱・黒死牟に惨敗し、命乞いをして鬼に堕ちた。 その結果、雷の呼吸の使い手から鬼を出したことの責任を取って、師である「じいちゃん」は責任を取って腹を切り死亡。 ほどなくして無限城で善逸と再開し、善逸のオリジナルの型に敗れて首を斬られた。 首の崩壊が始まっていたことから、上弦の鬼特有の「首を切られても大丈夫」なギミックは発生していなかったと思われる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **青い彼岸花の正体についての考察 名前のみで実在すら確定していない「青い彼岸花」であるが、「彼岸花」自体は本編中に3度、登場している。 ・第39話「走馬燈の中」の回で炭治郎の走馬灯 ・第146話「誇り」の回で善逸の三途の河原でのじいちゃんとの会話 ・第163話「心あふれる」の回でしのぶさんとカナエ姉さんを迎えに来た両親の足元 いずれもとも色が明示されていないのだが、炭治郎の回想以外は普通の赤い彼岸花であった((不思議な表現であるが、ジャンプのダウンロード版に限り、特定の作品のカラー版を読むことができる。しかし着色作業は外注しているようなので、その信ぴょう性は怪しい)) この描写から、青い彼岸花は実在の世界ではなく、死の淵に立たされた人間が見る精神世界にのみ存在する可能性がある。 なお、アニメ第1期の1クール目のEDでは赤い彼岸花が序盤に登場する。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼滅の刃におけるオマージュ考察一覧 作者が影響をうけた作品は”「ジョジョの奇妙な冒険」「NARUTO」「BLEACH」を筆頭に多数”と作品紹介ページ等で作者コメントしている。 ここではそれに加えて、関係のありそうな多作品を羅列する。 ・鬼と呼吸法→もちろんジョジョの吸血鬼((そもそも日本の鬼伝説では陽光が弱点ということはなく、鬼が鬼を増やすという伝承もない))と波紋((波紋の戦士とは異なり、鬼滅の剣士は鬼に堕ちても呼吸を使う事が出来る)) ・柱→主人公の所属する組織の精鋭の原型は聖闘士星矢の黄金聖闘士((黄道十二宮をモデルとする黄金聖闘士は88の星座の頂点に位置する12人))やブリーチの護廷十三隊((13の部隊がそれぞれ隊長と副長、さらにはヒラ隊員までいるため、少年誌の組織としては珍しく大隊~連隊ほどの人数が所属する組織である。「特に護廷十三隊の話題が打ち合わせ中によく出て来ていた」と高野編集証言有り。))か ・十二鬼月→Hunter×Hunterの幻影旅団やブリーチの十刃など、敵組織の幹部は様々な作品で描かれる。((ただし物語が間延びすることを嫌ってか、敵幹部の数が10を超える作品はあまり多くない。ラスボスに粛清されるのはお約束だが、全体の1/3の数がラスボスに粛清された作品は皆無だろう)) ・十二鬼月の目に通番→Hunter×Hunterの幻影旅団は体に蜘蛛の刺青があり、そこには通番が振られている。 ・柱の腕相撲ランキング→Hunter×Hunterの幻影旅団も同様に腕相撲のランキングがあった。 ・隊士選別最終試験→ナルトの中忍試験((若手忍者の出世試験))やHunter×Hunterにおけるハンター試験((組織への所属を掛けた登竜門と言う意味ではこちらの方が近いか)) ・色変わりの刀→ブリーチの斬魄刀((持ち手の個性によって刀の形状や特性が変わる))とHunter×Hunterの水見式((コップを水を入れて葉っぱを浮かべて念(発)を使うと、属性に合わせた変化が発生する)) ・呼吸による属性→陰陽五行説と相性が良いため、東洋風ファンタジーでは定番であったが、ナルト等でも使われる ・異形の肉親を人間に戻す旅→鋼の錬金術師((主人公のエドは、鎧だけの体になってしまった弟アルを人間に戻す目的で旅をしている)) ・キメツ学園→進撃の巨人の「進撃のスクールカースト」((進撃の巨人の巻末オマケ漫画。オマケ漫画という点でも設定が酷似している)) ・サイコロステーキ先輩→映画バイオハザードのレーザートラップ ・爆血刀→るろうに剣心の無限刀((志々雄が持つこの刀は伊之助と同じく意図的に刀を刃こぼれさせており、火産霊神(カグヅチ)という技名は、鬼滅の刃のタイトル案の一つでもある。大型甲鉄艦の艦名が「煉獄」なのも関係あるかもしれない。)) ・玄弥の鬼喰い→テラフォーマーズ((火星で繁殖したゴキブリを退治するために人間が多種多様な生物の能力を取り込み、さらにゴキブリ側もその能力を取り込んで戦うため、玄弥の設定のモデルになっていると言ってよい))で同じく消化力に長けたジョセフ((ただし作中でジョセフは能力を取り込む目的で捕食したわけではなく、単純にその消化力を活かして栄養補給をしたものと思われる))。 ・甘露寺の刀→るろうに剣心の「薄刃乃太刀」か、ベルセルクの「ウルミン」 ・甘露寺の制服の着こなし方→ブリーチの松本乱菊か((和風ファンタジー日本刀持ちの巨乳女性はおっぱいを強調するのはある意味読者サービス的お約束といえる)) ・甘露寺の捌倍娘設定→アクマゲームと嘘喰いと喧嘩稼業にてミオスタチン関連筋肉肥大((筋肉成長抑制ホルモンの異常により、筋肉が高密度で発達する病気))は取り上げられている((フィクションでは常人と変わらない体格に高密度な筋肉と描かれることが多いが、現実では「筋肉が制限なく付く」という病気であり、甘露寺と同じように大量のカロリー摂取を必要とする)) ・狛冶の素手による人体破壊→シグルイにおいて、虎眼流の使い手は素手による人体破壊を頻繁に行い、また大量惨殺も珍しくない。 ・不死川実弥は胸元を大きく開けるスケベ→ゴールデンカムイの谷垣。((不死川と同様に胸元を大きく開いており、作中ではスケベマタギと呼ばれている)) ・お館様は死んだ隊士の名前をすべて覚えている→ガンダムWのトレーズ・クリシュナーダの「聞きたいかね? 昨日までの時点では、99,822人だ」 ・痣が発現した剣士は25歳で死ぬ→進撃の巨人((巨人の能力を受け継いだ者はその時点から13年後に死ぬ))やHunter×Hunterのクラピカ((寿命を削って能力を使う))が近いが、残りの寿命ではなく絶対的な享年で寿命が決まる設定は他に見当たらないかもしれない。また寿命を削る設定は確かに恐怖を煽るものの、実際にそれが原因で命を落とす例は多くない。((強いて言うならば、天津飯の気功砲ぐらいだろうか?)) ・悲鳴嶋は盲目を反響定位((エコーロケーション。動物が自分が発した音が何かにぶつかって返ってきたもの(反響)を受信し、その方向と遅れによってぶつかってきたものの位置を知ることである。各方向からの反響を受信すれば、周囲のものと自分の距離および位置関係を知ることができる))で補っている→ゴールデンカムイの都丹庵士 ・伊之助の関節外しによる狭所通過→ジョジョ二部((柱の男・サンタナが披露した))およびゴールデンカムイの白石((特異体質で関節を自由に外すことができる。脱獄王)) ・肺を凍らせる血鬼術→ジョジョ一部においてディオ・ブランドーが披露している。 ・指を眉間に刺して脳をグリグリ→ジョジョ三部におけるDioの「最高にハイってやつだ!」 ・伊之助の伸・うねり裂き→関節外しによるリーチ延長はジョジョ一部((ジョナサンによるズームパンチ))を始め、数多くの作品で見られる((ただしカナヲが驚いていた通り、現実には関節外しは我慢できないレベルの痛みが伴う)) 上記は近年の少年漫画では王道展開・オマージュ((某サイトから「根拠もなくオマージュ判定をするな」という指摘を受けましたが、本来のこの考察の題は『鬼滅の刃における「どこかで見たことある」既視感の正体』です。ここでの考察の命題は「読者視点において鬼滅の刃の設定が目新しいものではないと感じる根拠」であるため、当方はオマージュと判定することを目的としていません。このため「薄刃乃太刀」の元ネタであるインド武術用具「ウルミ」や、ジョジョ3部の元ネタであるエジプト9柱等の「元ネタの元ネタ」には言及していません。また当方は作品考察においては「作者の意図や作者自身の知識」を考慮しません。原則的に作品の内容こそが考察対象の全てです。次いで史実・科学・作者の後書き・ファンブックの順番で考察対象とします。作中の設定同士に矛盾があれば指摘しますし、不必要に史実や科学事実に反する描写があれば、作者サイドの無知・無理解にも言及します。))と呼べるものであり、作品を貶める理由にはならない事を念のため。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんの毒の致死量について しのぶさんの毒は、あの刀で「せいぜい50ミリ」の毒を打ち込むことが可能であり、「37キロ((しのぶさんの体重は大正時代の本来の表記ならばほぼ10貫))は上弦の鬼の致死量のおよそ70倍」であることが判明している。 しのぶさんの体重は37キログラムなので、70分の1(=0.52キログラム=520グラム)という数値が上弦の鬼の致死量と見積もっていたことになる。 しかし上記の場合、しのぶさんの体重はほぼ100パーセント藤の花で構成されることになってしまう。 血液、内臓、爪の先に至るまで高濃度に藤の花の毒が回っているとはいえ、生体が藤の花だけで構成されるというのは現実的ではないため、いろいろと考察してみようと思う。 まず問題なのは、「50ミリ」が「50ミリグラム」と「50ミリリットル」のどちらを示しているのかという点である。 水(液体)の場合、1ml=1g=1000mgなので、50ミリリットルは50グラム(=50000ミリグラム((おおよそ小さめの鶏卵程度)))を差す単位である。 50ミリリットルはしのぶさんの刀で打ち込む液体の総量としては難しそうな量であるが、複数の切り付け((那田蜘蛛山の姉鬼に対しては4~5回ほど切りつけている))で到達しそうな量であるため、これはそれほどおかしな量ではない。 もしこの50ミリリットルが一般的な鬼の致死量であるとするならば、しのぶさんの見立てでは、童魔の致死量は3.5キログラムになる。これは刀で打ち込むのは厳しい量である。 次に、50ミリ=50ミリグラム説を検証する。 この50ミリグラムを致死量と捉えた場合、50ミリグラムという数値はまぁまぁ優秀な数値((青酸カリの致死量は経口摂取ではあるが、成人男性で150~300ミリグラム。))であると言える。 この場合、しのぶさんの刀で打ち込む液体は、ほんの僅かで足りる。しのぶさんの刀のように毒を打ち込むのに特化した特殊な形状ではないクナイランチャーですら下弦の鬼の自由を奪うほどの毒性を持つ事を考えれば、こちらの方が有力か。 この場合、しのぶさんの体には3500ミリグラム((50ミリグラムの70倍))の毒が蓄積されていたことになる。 人間の体重に占める血液の割合は1/13であるため、しのぶさんの血液量は2.8kgである。((そして人体における出血許容量は1/3程度なので、彼女の出血致死量はおおよそ0.9kgとなる。)) 毒がすべて血液にのみ蓄積されていたとすると、彼女の血液中における毒濃度は12.5mg/dLほどになる。 血中異物の濃度という点で考えた場合、痛風の尿酸値が参考になる。常人の血中尿酸値濃度は男女ともにこの値が3.0~7.0mg/dLまでが基準値内である。8.0mgを超えると痛風((体内で生成された尿酸の結晶が地獄の痛みを引き起こす。風が吹いただけでも痛い事が語源とされている))のリスクが高まるとされている。 常人の血液中の藤の毒は0mg/dLであることを考えると、この数値は「高濃度の藤の花の毒が回っている状態」というのに十分である。 また、37キロというのは毒物を蓄積させることが可能な水分量の数値である可能性もある。仮にそれが全体重の7割程度((人間の水分量は成人でだいたい60~65%。成長期では70%。成人前の彼女の水分量は7割程度と仮定))程度だとすれば、彼女の元の体重は52.8キロと、非常に現実味のある数値となる。 カ ナ ヲ &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正乙女の体格について:しのぶ編 しのぶさんの体重は37キログラムと判明したが、これは現代基準では明らかに軽く、彼女の豊満な胸部と相まって、詐称疑惑が出ている。 ただし彼女は1年以上にわたって藤の花の毒((藤の花は天ぷら等で食用されることも多いが、レクチン等の毒性があり、多量に摂取すると吐き気、嘔吐、眩暈、下痢、胃痛などを起こす。これが長期間続けば食欲どころではない))を摂取し続けており、毒の副作用によって体重が激減した可能性もある。 ここで日本人の平均身長と平均体重についての資料を。 https://honkawa2.sakura.ne.jp/2182a.html これによると、明治末期から大正前半までの日本人女性の平均身長は145~150センチほどであり、平均体重は45~50キログラムほどである。 人間の体格は遺伝によって決まるが、すべてが遺伝によって決定するわけではなく、特に幼少期の栄養状態が大きく作用する。 特に本作のヒロインたちの幼少期は日露戦争((当時の日本としては莫大な費用を投じた戦争である。内外あわせて18億円にもおよぶ公債を発行したため、国内の経済は破綻寸前にまで陥った。この状況が改善するのは第一次世界大戦の特需であり、まさに鬼滅の刃の本編中のことである。なお、この莫大な借金は昭和末期になってようやく払い終えた))前後の時期にあたるため、栄養状態も良くなかったであろう。((もちろん甘露寺家のように裕福であればその限りではない)) しのぶさんの身長は本編中で明示されていないものの、姉や妹に比べて小柄であるという描写がなされている。 なお、人買いよりも明らかに頭一つ分以上は身長が低かった。((この時はカナエ姉さんと比べると胸の凹凸が全く確認できないため、成長期前だった可能性がある。)) また煉獄や冨岡に比べて頭一つ半程度小さく、成長期が来ていないと思われる時透と同程度の身長であったことから、彼女は当時の日本人女性の平均身長を大きく下回ると思われる。 彼女の身長が145センチに届かないのだとすれば、体重37キロは妥当な数値といえる。 ちなみに現代日本女性の平均体重が37キロ周辺となるのは11歳ごろであり、彼女たちの平均身長は145センチほどである。 参考: https://graphic-data.com/page/sport/001.html 追記: ファンブックで彼女の公式身長は151センチと確定した。 BMIは低体重基準の18を大幅に下回る16.23である。 %%しのぶ「いや、別に実戦は腕力じゃないですから。ねぇ?」%% %%伊黒「そうだその通り。技とは腕力ではない」%% &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正乙女の体格について:みつり編 常人の8倍の筋肉量((常識の範疇において、密度=質量÷体積となる。体積が常人と変わらないのであれば、密度が高い=質量が多い、ということになるため、ここでは筋肉量が8倍になると想定した。万が一ファンブック通り彼女の質量が常人並である場合、彼女の筋肉量は2.5kg程度となってしまう。これでは乳児並となってしまうため、考慮から外した))を持つ甘露寺蜜璃の筋肉量と体重がどれぐらいなのかを考察してみる。まず資料の提示。 https://smartlog.jp/151071 まず前提として、成人女性の平均筋肉量を17kgとし、見た目通りであれば本来の彼女の筋肉量はこの程度であると仮定する。 この場合、彼女の筋肉量は136kgになる。 これに骨や内臓等が30kgほど追加されると、彼女の体重は166kg((この体重を担げる隠しは居たのだろうか?))になる。 これは2018年の大相撲幕内力士の平均体重とほぼ同等である。 https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/12/27/kiji/20181227s00005000004000c.html なお余談であるが…… フィクションで好まれる「ミオスタチン関連筋肥大症」であるが、現実には「体に脂肪がつかず、すべて筋肉になってしまう病気」と言い換えてもよい。 このため持久力に乏しく、また筋肉の成長のために多大なカロリーを摂取し続ける必要がある。 彼女の胸部にある脂肪は、現実離れした描写であるが、上弦の鬼を相手に一晩中動き回れたことから、エネルギー貯蔵庫としての役割を果たしているのかもしれない((フタコブラクダのようなものであろうか?)) 追記: ファンブックで彼女の公式身長は167cmセンチ・56キログラムと確定した。BMIは標準体重内の20.08。((捌倍娘設定とはいったい……)) なお、戦前に活躍した女子アスリートの人見絹枝((各種陸上競技で世界記録を連発した。詳しくは「いだてん」参照。))の身長は17歳時点で五尺六寸(約170cm)、体重は十五貫(約56kg)。これはおおよそ甘露寺の体格と同じであるが、彼女と同じく「化け物」等の心無い言葉を掛けられたという。((ちなみにオリンピック出場を決めていた人見の実家には「人前で太ももをさらすなど日本女性にはあってはならない」「日本女性の個性を破壊する」などといった文面の書簡が送られて来ていたという。)) %%伊黒「甘露寺(の体重)に触れるな塵ども」%% ---- **柱の身長ランキング 柱合会議では、しのぶさんは煉獄・冨岡よりも頭一つ半ほど小さく、時透と同じぐらいの大きさに描かれて((本作は頭身のデフォルメがキツイ時があり、複数人が一緒のコマで描かれる場合を除いて身長の描写は信用できない。特に蝶屋敷の復帰訓練では、しのぶさんは善逸や伊之助とほぼ同じ目線であった時もある。))おり、甘露寺はその中間ぐらいである。 しのぶ≦時透<甘露寺<冨岡≦煉獄<宇髄<悲鳴嶼 不死川はこの並びにいなかったため不明だが、跪いた際の頭の高さから、煉獄や冨岡と同じぐらいの並びにありそうである。 伊黒もこの並びにおらず、また柱稽古でも身長を確認できる描写がないため不明であるが、このランキングは作中の腕相撲ランキングと一致しており、これに照らし合わせれば、伊黒の身長はしのぶさんと時透の間ぐらいとなる。 追記: ファンブックで隊士の身長・体重が確定 大正時代前半の平均身長は、男子162センチ・女子151センチである。まだ背が伸びる余地のある同期組ですら全員が成人平均身長に達している。 作中で小柄とされたしのぶさんですら平均身長に達している。 特に柱に至っては、当時としては相当なフィジカルエリート((徴兵検査なら文句なしで甲種合格))である。 |竈門炭治郎|165センチ|61キロ| |竈門禰豆子|153センチ|45キロ| |我妻善逸|164.5センチ|58キロ| |嘴平伊之助|164センチ|63キロ| |不死川玄弥|180センチ|76キロ| |栗花落カナヲ|156センチ|46キロ| |冨岡義勇|176センチ|69キロ| |煉獄杏寿郎|177センチ|72キロ| |宇髄天元|198センチ|95キロ| |時透無一郎|160センチ|56キロ| |胡蝶しのぶ|151センチ|37キロ| |甘露寺蜜璃|167センチ|56キロ| |伊黒小芭内|162センチ|53キロ| |不死川実弥|179センチ|75キロ| |悲鳴嶼行冥|220センチ|130キロ| %%伊黒「俺は信じない」%% &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正時代の正しい単位呼称 作中では、炭治郎が憎珀天から距離を取るために「66尺」という単位を使っているが、これは少々おかしい。 尺貫法では距離を表す場合、6尺は1間に繰り上がるため、11間と呼ぶのが正しい。((もっと言えば、メートル法ではちょうど20メートルであるためキリがよい)) あるいは長さ((ここでは木の竜の長さを示すのも間違いではないため、どちらでも正解である))を表す場合は10尺で1丈に繰り上がる。この場合は6丈6尺、あるいは6丈半と少し、とでも呼ぶのが正しい。 とはいえ、生家が農家でも大工でもない炭治郎が、尺貫法の単位を知らなくても不自然ではないし、回避するために精密な距離計測が必要であった可能性もある。 また高さを表す場合に限り、尺のまま使われる((「アルプス一万尺」や「身長六尺」などは好例))こともあるため、大きく間違っているわけではない。 なお、 悲鳴嶋の柱稽古では大岩を1町動かす訓練があったが、これはおよそ110メートルほどである。山の中で動かすには木々が邪魔になる距離である。 続いてしのぶさんが自分の体重をキログラムでカナヲに伝えていたが、これはおそらく蝶屋敷外の一般人には通じないだろう。 日本においてメートル・グラム法が一般化するのは戦後の事であり、それまではやはり尺貫法が使われた。 重さとしての「貫」は3.75キログラムを示す単位であるため、彼女の体重は10貫弱という事になる。当時の体重計は尺貫法で記載されているため、おそらくは貫表示の体重計((当時の農家では米の重さをはかるために重量計は非常に重要である))で図った結果なのだろう。 ただししのぶさんは医学および薬学に精通しており、医学においては早い段階でメートル・グラム法が一般化していたため、蝶屋敷に常駐しているカナヲへの説明にはこれでよかったものと思われる。 あとこれは単行本でも修正されなかったので単なる間違いではなく何か意味があるのかもしれないが…… 「(百十三は)割り切れぬ数字」→1と自分の数以外で割り切れないのは奇数ではなく素数 「(百十三は)不吉な丁。奇数!!」→奇数は丁ではなく半((ただし、これは彼の名前の「半天狗」に掛かった彼流のセンスなのかもしれない。)) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんの毒?珠代様の毒? お館様の見立てでは「服毒した胡蝶しのぶを喰わせても上弦の鬼を倒すのは難しい」であったにも関わらず、実際には上弦の鬼を崩壊寸前にまで追い込んだことから、やはり珠代様の毒こそが決め手になったと言っていいだろう。 しのぶさんの服毒は一年前から始まっていたが、童魔との最後の会話では「珠代さんが協力して作ってくれたもの」という描写があった。 しかし珠代様と鬼殺隊の関係は、少なくとも産屋敷輝哉が動けなくなってから始まったものであるため、これは矛盾している。 これを解決する案は下記の通り ①「動けなくなった」は外出するのは無理(=失明した)になったという意味で、実際に烏が珠代様の家に到達したのは炭治郎と禰豆子と会ってから引っ越しした直後のことであった。このため珠代様とお館様はおよそ一年前から協力関係にあった。このため彼女の体内の毒は、珠代様ブレンドの毒のみで構成されている。 ただしこの場合、お館様の見立ては一年以上前のことになってしまうため、柱稽古直後にしのぶさんが怒っていた理由を説明できなくなってしまう。 ②柱稽古開始以降にしのぶさんが刀に仕込んだ毒こそが珠代様の毒で、藤の花の毒に対して鈍感にさせる幻惑作用((惑血の一種?))があった。これなしでは、しのぶ毒が童魔に排出されてしまうだろうとお館様は予測していた。このためしのぶさんの体内の毒は、しのぶオリジナルのみで構成されている。 ③柱稽古開始以降にしのぶさんは服毒を、しのぶブレンドから珠代様ブレンドに切り替えた。このため、しのぶさんの体内の毒は9割以上がオリジナルブレンドであり、珠代様ブレンドのおかげでお館様の予測を上回る事ができた。 追記:よく考えてみると鬼を屠る毒の調合は、珠世様にとって非常に危険な行為であり、これを研究していたとは少々考え難い。 鬼の彼女は、藤の花には触れたくもないはずだからである。 このため、説②による惑血の応用毒という方が現実的かもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんの怒りの理由 柱稽古開始直後、しのぶさんはカナエ姉さんの位牌を拝んで感情を制御するのが必要なほど怒りを抱えていた。 この理由はおそらく、お館様から「しのぶブレンドの毒では上弦の鬼を倒せない」と宣告されたからではないだろうか? あるいはその後、「鬼の珠代さん((童魔との会話から、彼女が鬼であることを、しのぶさんは認識していたはず))と協力して上弦の鬼を倒す毒を作れ」と命じられたことが原因かもしれない。 「鬼と仲良くする」というカナエ姉さんとの約束がありつつも、彼女の中には鬼に対する怒りが燃え上がっている状態であったため、この命令はしのぶさんにとって非常に辛いものであったのだろう。 柱稽古に不参加だったのは、怒りもあるだろうが、むしろ新しい毒を服毒することで体調に影響が出て、稽古どころではなくなってしまう事が想定されたからではないだろうか。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **アニメ版キメツ学園しのぶさんがキツメに見える理由 アニメ版キメツ学園において、しのぶさんは18歳にはとても見えないような大人びた制服姿((「ケバい」「うわキツ」「キツメ学園」等の散々な言われようであった))を見せた。 これは作画の問題としては、下記の要素が挙げられる ・彼女の最大の特徴である複眼のように描かれた瞳が表現できていない ・原作では他キャラより強調されているまつ毛の長さが目立っていない ・同じく、二重まぶたも目立っていない ・原作よりも髪のウェーブが強調されており、パーマをかけたように見えてしまっている さて作画もさることながら、彼女の古めかしい髪型((おそらくは肩までぐらいある髪を後頭部において蝶の髪留めで纏めている))と、髪の毛先のみが紫の髪色であること((紫染めは現代日本において年配の女性に好まれる))、そして化粧((彼女は6巻の表紙において口紅をつけていることが分かる。))をしていることにも原因があるのではないかと思われる。 キメツ学園において、生徒側のキャラで化粧をしているのは彼女一人であるため、彼女だけが年齢不相応に大人びて見えたのではないかという予測が成り立つ。 そしてこれはストーリー的には、藤の花の服毒と合致するのである。((カナエ姉さんの存命時には化粧をしている感じがしないので、藤の花を摂取し続けて血色が悪くなっていくのを隠す目的で化粧をしていたのかもしれない。またこの世界は甘露寺を見る限り、食性によって髪の色が変わりうる世界感である)) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **甘露寺の担当範囲が刀鍛冶の里に近かった理由 初登場時、柱は9人いたが、これは全国各地に配置された鬼を滅するには少ない数である。 柱稽古では、柱が一般隊士に稽古をつけない理由は、「警備担当範囲((冨岡義勇が炭治郎を救ったのは、竈門家が彼の担当区域だったのが原因だろう))が広大で、単純に忙しいから」とされていたため、これは深刻な問題である。 この中で甘露寺は刀鍛冶の里の近くに警備担当範囲を割り振られている。これは彼女も知らなかったことから彼女の希望ではなく、お館様の意向によるものだろう。 甘露寺は常人では考えられないぐらいの食事を必要とするため、頻繁な補給が必要である。 %%恋柱「そうかな?今日はそんなに食べてないけど」%% しかしそこは鬼殺隊の柱とはいえ女の子。 幼少時((相撲取りに並んで屋台で爆食する姿が描かれていた))ならいざしらず、年頃の女性が外食ですさまじい食欲を見られるのは恥ずかしいに違いない。 お館様はこの事情を察して、彼女の警備担当範囲を刀鍛冶の里の近くにしたのだと思われる。 彼女の正体と実績を知っている里の中であれば、好きなだけ食事を取れる上に、鬼殺隊としても街の外食よりは食費を安く済ませることができるメリットがあるのも見過ごせない。 大正時代前半は、誰にでも白米が好きなだけ食べられる時代ではないのだから。((アニメ版オリジナルの描写であるが炭治郎の隊士選抜最終試験へのはなむけに、鱗滝が普段より豪勢であろう鍋を用意してくれていたが、ここに白米はなく、根菜や魚がメインであった)) 追記: ファンブックでほぼ全員が東京府出身と確定したが、刀鍛冶の里も都内近郊なのだろうか? &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正時代の食事事情 ・1巻で炭治郎は三郎爺さん((傘貼りをしており、かつ独り身であることから、多少の現金収入があると思われる))の家で食事をご馳走になっている。シイタケ・人参・大根の煮物とみそ汁と沢庵、そして白米と茶。 ・アニメ版で藤襲山に最終選別試験に向かう炭治郎に鱗滝が焼き魚と鍋を用意してくれた。中身はシメジ・シイタケ・ネギ・青菜・豆腐(あるいは鶏肉?)であり、白米こそなかったが、炭治郎が「あんなごちそうは久しぶりでした」と言っていることから、ハレの日の特別な食事であった。 ・浅草で屋台((関東大震災によって東京の外食需要が壊滅したことで屋台が地方に散るまで、屋台は東京固有の文化であった。))の山かけうどん((アニメでは1杯目を落としてしまったため2杯目と3杯目を注文した))を炭治郎が食べた。メニューは「たぬき」「きつね」「山かけ」「天ぷら」「しっぽく((玉子焼き、かまぼこ、しいたけ、くわいの類をのせたもの))」「あんぺい((しっぽくに葛醤油をかけたもの))」。メニューの最後はアニメでは炭治郎で隠れて確認できないが、おそらく「けいらん((卵とじ))」と思われる。 ・アニメ版の鼓屋敷の任務直前のオリジナルエピソードに、炭治郎は善逸に海苔を巻いた握り飯を渡しており、善逸はもらった握り飯を半分にして炭治郎に返している。((善逸の「半分やるよ」に対して炭治郎は「え?いいのか?」と反応しているが、もともとは炭治郎の握り飯である。炭治郎の人の良さと善逸の優しさが表現されているのだが、妙に引っかかる描写であった。)) ・鼓屋敷の任務後に訪れた藤の家紋の家では炭治郎・善逸・伊之助の3人分の食事が用意された。描写上は煮物と白米が確認できる。ここで屋敷の婆さんは三人に天ぷらを振舞ったようである。特に天ぷら初体験は伊之助にとって強烈だったらしく、「反復動作」の条件に用いるほどである。 ・蝶屋敷での機能回復訓練で、かんたん三姉妹がそれぞれ「キャラメル」「あんぱん」「からからせんべい((江戸時代に山形県で生まれたせんべい生地で民芸玩具を包んで焼いたもの。昭和に普及したオマケつきの菓子の原型である。))」を炭治郎に手渡していた。 ・蝶屋敷では炭治郎はおにぎりを食べながらかんたん三姉妹と会話をしていた。 ・無限列車では、煉獄が「うまい!」を連呼しながら箱入り駅弁((箱入り駅弁は明治末期には普及していたが、もちろん庶民にはなかなか手が届かない贅沢品であり、おにぎりのみの駅弁が精々である))を11個平らげていた。 ・無限列車での炭治郎の夢の中で、茂(三男)と花子(次女)が籠にさつまいもと思われるものを抱えていた。また食事は各人の膳に椀が2つと小皿((茂が炭治郎のたくわんを奪おうとしていたことから、おそらくたくわんと思われる))が1つ。禰豆子は山菜((ふきのとう?))を収穫し、竹雄(次男)がすり鉢で何かをすっていた。((雪深い頃であり、ふきのとうが採れる時期なので、味噌づくりのために茹でた大豆をすりつぶしていたのかもしれない))この描写から竈門家は炭焼きの現金収入のほか、少しの畑と山菜である程度自給自足していたものと思われる。 ・煉獄屋敷では千寿郎が炭治郎に茶と菓子を振舞った。 ・吉原遊郭のときと屋では、鯉夏が炭治郎にお菓子(おそらく飴玉)をあげていた。荻本屋では、まきをの部屋にうどんが置かれていた。 ・蝶屋敷では意識不明の炭治郎に、"隠し"の後藤が見舞いにカステラを持ってきていた。かんたん三姉妹からは再びあんぱんが見舞われた。その後、かんたん三姉妹はそろってかぶき揚げをボリボリ食べていた。 ・刀鍛冶の里では、炭治郎はマツタケご飯、みそ汁、たくわん、焼き魚、あと何かのおかずを食べていた。炭治郎は握り飯を玄弥に持っていこうとしていた。そして甘露寺は丼だけで24杯、大皿だけで9枚、ついでに大型のヤカン((ヤカンの形が少々現代的だが、少なくとも明治時代の軍隊では近い形で使われている))。 ・炭治郎は飲まず食わずの訓練直後、小鉄少年におにぎりと梅干しと玉露を要求していた。訓練後、玄弥と話すときにはせんべいとお茶を持って行った。 ・半天狗との戦いにおいて、炭治郎の遺伝記憶が描写された。この時、炭吉の妻すやこ((当時、女子の名前に「子」を使うのは皇室や公家などの貴人に限られていた。明治時代になり、庶民の間で「~子」が流行する。))が籠に入れたサトイモとサツマイモ((ただし、サツマイモの伝来は江戸時代以降であり、しかも南方の温暖な気候を好むため、寒冷地方にあると思われる竈門家では栽培が難しい))を持っていた。 ・甘露寺の回想では、幼少時に最低でも丼15杯の何かを屋台で平らげていた。空の丼が隣の相撲取り((当時、東京相撲協会と大阪相撲協会があった。甘露寺姓は京都にルーツを持つ名家であり、政府側の軍歌であるトコトンヤレ節を好んでいる事から京都出身かもしれない。ただし甘露寺家は明治に伯爵に叙されてから関東に移り住んでいる。追記:彼女の出身地は東京府 麻布區 飯倉(現:港区 麻布台)で確定))のものでなければさらに9杯、合計で24杯を平らげている。相撲取りの3倍食べるということは、彼らは5~8杯ほど食べている計算になる。 ・甘露寺と伊黒が、おそらく蕎麦屋と思われる店で食事をしているシーンでは、蕎麦8枚、天丼11杯、その他煮物・みそ汁・箸休めの小皿などがあった。小食な伊黒の前には茶のみであった。 ・再び蝶屋敷で入院中の炭治郎は握り飯を二つ食べていたが、後藤から「そんなに食べて大丈夫か」と心配されていることから、これ以上にもっと食べていたのかもしれない。 ・同じく蝶屋敷で入院中の玄弥は、アオイとかんたん三姉妹の介護を受けながら白米・煮物・玉子焼きを食べていた。 ・柱稽古開始時に宇髄の嫁3人が握り飯を作っていた。((飯盒炊爨のようにも見えるが、飯盒はあれだけの量の握り飯を作るのに向いていない。またアルミニウム製の飯盒は常用するとすぐに穴が開き、かつ高価であるため、陸軍では非常時以外には火にかけて使わないとされている)) ・冨岡義勇の回想で、膳をひっくり返すシーンがある。白米・茶・みそ汁・稲荷寿司状の何か。 ・冨岡義勇と和解((実際にはこの時点で義勇は錆兎との約束を思い出し、錆兎や姉から託されたものを次代に繋げていくという使命に目覚めたタイミングであったため、義勇にしてみればこの炭治郎の提案は「なんで?」と疑問に思うレベルの提案だった))する目的で炭治郎はざるそば早食い対決をけしかけた。 ・悲鳴嶼の柱稽古では、炭治郎が焼き魚と炊飯を担当していたようである。 ・悲鳴嶼の回想では、白米・みそ汁・たくわん 程度の貧相な食事で子供たちを養っていた((おそらくは僧侶であろう悲鳴嶼は、近隣の檀家からの寄付で子供たちを養っていたと思われるが、檀家からの寄付は現金ではなく、米だったのかもしれない))ようである。 ・不死川実弥はおはぎ((たんぱく質・炭水化物の手ごろな補給手段としておはぎを好むアスリートは多い))大好き。 ・善逸の回想では、じいちゃんと獪岳に飯をよそっていたシーンがあった。3人の膳には白米のほかに漬物と焼いた鮭の切り身があった。 上記の通り、全体的に白米・みそ汁・たくわん・焼き魚((全体的に川魚、あるいは鮭が多い。一般に裏日本では糸魚川を境として鰤文化と鮭文化に別れる。冨岡の好物が鰤ではなく鮭であることから、彼は糸魚川よりも北部で生まれ育ったものと思われる。追記:彼は東京府 豊多摩郡 野方村(現:中野区 野方)出身が確定))・煮物((根菜を醤油で煮しめた伝統的な日本料理))が多い。これは現代基準では貧相な食事((おかずは今とは比較にならないぐらい貧相であり、特にタンパク質の補給はままならない。))に見えるが、当時の基準では決してそうではない。日本人((昭和まで、日本人は米食悲願民族と言われるほど米を愛したが、これは逆説的に「毎日米を食べる事が出来なかった」ということでもある。この状況が変わり、米を常食するのが夢ではなくなった1918年に米騒動が発生する))全員が米の飯を食べられるようになったのは戦後の事である。それまでは「かて飯」と呼ばれる他の雑穀を混ぜた飯、あるいは雑穀のみを炊いたものがメインの食事であった。あるいは鱗滝のように汁物だけで食事としていた家も沢山あった。((本編から10年ほど前の時代を扱った作品ゴールデンカムイでも白米は贅沢品として描かれている)) 白米を多く食べられているということは、当時の基準では豊かであるということである。おそらく彼らは食事が貧相だとは思っていないだろう。それだけ白米食は贅沢だったということである。 本編中((1916~17年と思われるが、第一次世界大戦バブルで国が潤い、庶民にも白米常食が浸透し始める時期である))においては、食事事情が豊かなのは刀鍛冶の里であり、次いで蝶屋敷((医療施設でもあるため、ある程度特別扱いなのかもしれないが))である。 竈門家は少々貧しい食事である。大正前期は薪や炭から石炭への変換期であり、炭の需要はどんどん減っていったために生活が苦しかったのかもしれない。ある程度自給自足が可能だとはいえ、病弱な父親の薬代もかさんでいた可能性もある。 そしてやはり何よりも圧巻なのは甘露寺の食欲である。 当時の食事事情からすると破格の食費が掛かっているだろう。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **柱合会議で炭治郎と禰豆子が認められなかった理由 柱合会議では中立派((甘露寺・時透・胡蝶))、擁護派((冨岡))、反対派((伊黒・不死川・煉獄・宇髄・悲鳴嶼))に立場が分かれたが、物語が進んだことで彼らの意見がこのように分かれた理由がある程度説明できる。 中立派: ・甘露寺→鬼に対する憎しみはあまりなく、特にこだわりがない ・時透→「どうせ忘れるから興味がない」 ・胡蝶→「鬼と仲良くする」という姉との約束 擁護派: ・冨岡→炭治郎と禰豆子は自らが鱗滝に紹介した責任あり 反対派: ・伊黒→そもそも猜疑心の塊のような性格 ・不死川→禰豆子の存在は、最愛の母を殺さなくて済んだ可能性と等しい((そしてそれは後に、弟の特異体質発現によって現実味を帯びてしまう))ため、柱の中でも強く反発した。 ・煉獄→隊律と人命を優先する立場 ・宇髄→「処分したほうが派手で楽しそう」レベル ・悲鳴嶼→「子供はすぐ嘘をつき残酷なことをする我欲の塊」 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **ほとんどの隊士が東京府出身の理由 ファンブックによって、柱および炭治郎の同期たちの出身地が公式に明らかになった。 出身地が「不明」とされる宇髄を除いて、ほぼ全員が東京府の出身であることが確定した。 例)竈門家((竈門家は代々の炭焼き小屋であり、引っ越しによって他所に移り住んだとは考えにくい))は奥多摩の雲取山 あまりにも不自然なまでに東京府出身者で占められている理由を考察してみよう。 そもそも鬼殺隊の目的は、「鬼から人を守る」である。すなわち鬼が出現する場所以外で活動する必要はないことになる。 このことから鬼舞辻無残は、東京のみに鬼を配置しているという事になる。 これはつまり、鬼の存在を知りうるのは東京在住者に限るという事である。 ではなぜ鬼舞辻無残は都内限定で活動していたのか? その理由はおそらく「青い彼岸花」の捜索にある。 例の善良な医者は、武蔵国((東京・埼玉・神奈川の一部))で活動していた医者((あるいは祈祷師・陰陽師も医療行為を行っていた))だったのであろう。 鬼舞辻無残は医者を呼べるような身分であり、そしていつもの癇癪によってこの医者を殺害したわけだが、そのような蛮行を黙認されるのは中央から派遣された国司およびその親族ぐらいであろう。 このことから鬼舞辻無残は武蔵国の在庁官人の家系だったのだと推測できる。 当時の医者が活動できる範囲((貴人のための薬の原料とはいえ、当時の未熟な物流で、未知の薬が遠い場所から運び込まれたとは思えないと無残は判断したのだろう))を、鬼舞辻無残はこの範囲((当時の武蔵国の国府は今の調布市にあり、これは東京のほぼど真ん中に位置する))に絞りこんだのである。 このため、西は奥多摩、東は葛飾区・台東区までを捜索範囲とし、この範囲に鬼を配置しているのである。 追記: と、無理やり理由を取って付けたものの、明らかに中部地方から東北地方の豪雪地帯にあると思われる竈門家が奥多摩にあるというのはやはり無理がある。 甘露寺のトコトンヤレ節も、公家風の苗字と相まって京都出身なのかと思わせる演出かと思われたが、まさか当時から大使館ひしめくビジネス街((麻布は戦前からの高級住宅地である))の出身とは。 日本中で青い彼岸花を探しているという無残様の設定もこれでは台無しである。 これなら浅草で貿易商になど化ける必要はないし、わざわざ江戸払いを受けた猗窩座をスカウトしに江戸を出たのも謎である。 宇髄の「この国は広いんだぜ」から他の柱の才能を語るシーンも、出身者が東京府内に限定されるのでは説得力がない。 なぜこんな不自然な設定が公式化したのか? これはおそらく、たびたび鬼滅の刃の広告((「これは、日本一慈(やさ)しい鬼退治。」「重ねた罪にも、抱擁を。」「非情な結末にも、救済を。」などの名キャッチコピーを生み出した。これを生み出したコピーライターにはジャンプ本編において人気投票が集まった))が話題になるJR東日本のスタンプラリー企画((キン肉マンやドラゴンボールなどで何度か実施済み))とのコラボのために編集部がゴリ推したものだろう。 もし都内でスタンプラリー企画をしたいのだとしても、例えば、これらを「出身地」ではなく「修行地or選抜試験地((狭霧山や藤襲山が都内とはさすがに思えないが。。。))」にしていれば、これほど矛盾はなかったであろう。 というよりも今までに実施されたイベントの傾向((例えばキン肉マンはキン肉星の王子と言う設定から、王子駅にスタンプが置かれる、という程度))として、スタンプラリーは必ずしも各キャラクターにゆかりのある地である必要はないのだが…… 冨岡義勇外伝での「俺たちは柱」発言といい、甘露寺の体重((捌倍娘設定が何も反映されていない))といい、柱合会議の身長描写((ワニ先生はかなり丁寧に描写していたはずである。しのぶさんと時透の身長をほぼ同等に描いていたのに、10センチ近くも時透のほうが大きいのはおかしい。時透の背が伸びたならば、禰豆子と同じくそう書くべきである))との矛盾といい、しのぶさんの体格との矛盾((当時としては平均身長なので小柄とは言えない))といい、鬼滅の刃については集英社編集部の無知((ついでに言えば、外伝で女マタギを描いていたが、これは明らかにマタギ文化に対する無知である。マタギ信仰において山の神は嫉妬深い醜女であるため、女性が入山することを嫌う、というのはマタギ文化を10分も調べれば分かることである。同時代を描いた人気作品のゴールデンカムイに着想したのかもしれないが、あまりにも浅慮で不勉強である。たとえば「女がマタギはダメ」→「あたしは醜女だから大丈夫」等のやり取りがあればまだ理解できたが。。。))や不理解があまりにも目立つ。 今後最終話までに何度かあるであろう外伝作品が、まともであることを祈るばかりである。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **隊士の出身地を非公式に妄想してみる 公式に隊士の出身地が東京府内に限定されたが、あまり納得できないという人のために、「どこだったら納得できるのか?」を妄想してみようと思う。 判断基準は、作中の描写とそれに見合う歴史・文化的な背景とした。自治体が特定できそうな場合はそこまで記述する。 もちろん公式とは矛盾するのであくまで妄想でしかない事に留意されたし。 なお、大正時代の旧自治体名ではピンとこない地名も多いため、現代の自治体に合わせている。 ・竈門家:秋田県北秋田市。雪深い山地に囲まれ、マタギの里として有名な阿仁((ゴールデンカムイの谷垣の出身地。))を有する。色白な美人が多い事でも有名。ただし、佐賀県の民謡を子供に謡う母・葵枝は佐賀県から嫁いできた可能性あり。蕎麦文化の東京で、わざわざ炭治郎がうどんを注文するのは稲庭うどん((秋田県南部名産うどん。日本三大うどんに数えられる。ただし、秋田県は南北文化格差が激しく、北秋田で常食されるものではない))が懐かしかったのかもしれない。 ・我妻善逸:群馬県前橋市。群馬県は養蚕が盛んであったため、生産物の輸送のために早くから鉄道が敷かれた。善逸はかまぼこ隊では唯一、汽車についての知識があり、花街を理解していたことから、都会化された地方都市の出身と推測される。さらに北関東は雷銀座と呼ばれるほど雷が多いことで有名な地域((しかし統計上で一番というわけではなく、雷は日本海側北陸のほうが多いらしい))であることもポイント。 ・嘴平伊之助:奈良県天理市。教祖を神とする極楽教のモデルが天理教((自治体に非常に密着した新興宗教である。しかし特にカルト教団というわけではなく、土着の穏やかな宗派であるし、歴代の教祖が女狂いだったという事実もない))とするならば、伊之助の母が保護されうるのは天理市とその周辺の自治体か。奈良県には山も多いため、もちろん猪も出現する。 ・不死川家:石川県金沢市。不死川実弥の独特な口調である「ねェ」や「がァ」などの語尾を伸ばす方言として有名なのは金沢弁である ・宇髄天元:三重県伊賀市。忍者の里として有名なのは伊賀と甲賀である。このうち幼少時から厳しい訓練を行う事が有名なのは伊賀忍者である。 ・時透無一郎:和歌山県熊野市。紀伊の材木産業は江戸時代から続いている。一族が代々杣人をしているという描写から判断。 ・胡蝶家:富山県富山市。薬学に強い地域といえば、富山の薬売りである。生家は売薬で財を成した裕福な家なのかもしれない。富山県は大正時代にチューリップの生産を産業化したため、花の呼吸とも相性がいいかも。 ・冨岡義勇:新潟県村上市。江戸時代から鮭の増殖に成功したことから鮭が名産である。本編中で一度、外伝中で一度、任務を共にしていることから、胡蝶しのぶと出身地・担当地区が近い可能性が高い。 ・甘露寺蜜璃:京都府京都市。いかにも公家風の苗字に、新政府軍を称える「トコトンヤレ節」を好んで歌うことから、京都出身と考察。「トコトンヤレ節」は民間でも好まれた軍歌であるが、賊軍地域出身であれば好んでは歌わないだろう。 ・伊黒小芭内:沖縄県本島。蛇が有名なのは沖縄のハブである。しかしネチネチした性格はあまり沖縄という感じがしないので微妙か。 ・悲鳴嶼行冥:鳥取県伯耆町。鬼の伝説を持つ自治体は数あるが、人食い鬼として最古の歴史を持つのは伯耆町の鬼住山である。 ・煉獄杏寿郎:鬼殺隊本部の近く。煉獄杏寿郎の夢の中で伊之助が「おいどん」という一人称を使っており、さつまいもを好み、また煉獄父が本格麦焼酎を好んで呑んでいたことから九州南部か?しかし鬼殺隊の本部が九州地方南部にあるというのもいまいちピンとこない。産屋敷邸では娘二人が関東地方で歌われる数え歌((上総山や吉原が出てくる歌詞である))で毬遊びをしたいた。 ・栗花落カナヲ:東北の農家。すさまじい虐待を受けていたカナヲの生家を判断するヒントはなかった。しかし凶作時に娘の身売りが問題になるのは東北地方の農家である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **猗窩座の名前の由来について 猗窩座の漢字それぞれの意味を調べると 「猗」=去勢された犬 「窩」=穴倉とか空っぽ、うろ 「座」=座る となり、初登場時点から「猗窩座=役立たずの狛犬(第155話サブタイトル)」の伏線設定となっている可能性有り。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **猗窩座の技名と戦闘スタイル 猗窩座は作中では唯一、徒手空拳で格闘を行う鬼である。 彼が無限城編で見せた技名には明確な命名規則がある ・冠先割(かむろさきわり) ・流閃群光(りゅうせんぐんこう) ・飛遊星千輪(ひゅうせいせんりん) ・万葉閃柳(まんようせんやなぎ) ・青銀乱残光(あおぎんらんざんこう これらは花火の玉名(ぎょくめい)、またはその一部の名称である。 これは彼が人間であったころに、元気になった恋雪と一緒に花火を見に行った記憶から取られたのだろうか。 また彼が構えを取る際に、雪の結晶のような模様が浮かび上がるが、これも恋雪の名前である「雪」が無意識に発現しているのかもしれない。 さらに彼の体には主に3本ずつの直線的な青い模様があるが、これも彼が罪人として入れられた刺青か。 いずれも猗窩座が忘れていた人間のころの悲しい記憶や後悔の象徴である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **彼らはどうやって徴兵を回避したのか? 盲目の悲鳴嶋や、体重が足りなさそうな伊黒、20歳未満の時透や炭治郎同期組((伊之助については戸籍があるのかすら怪しい))などはいざ知らず、不死川、煉獄、冨岡、宇髄などはどう見ても健康で、甲種合格間違いなしのフィジカルエリートである。 大正時代の徴兵検査において、彼らが徴兵からどうやって逃れたのかについて考えてみよう。 大日本帝国憲法下において、徴兵検査((当時の法令としては明治22年徴兵令が根拠となり、この時点では国民皆兵が徹底されており、徴兵忌避は難しくなっている))は20歳の男子の義務であり、原則的にこれを断る事はできない。 徴兵からすぐに入営する必要がない、あるいは不適格と認められるのは身長145cm未満の短身者、視力色覚異常、あるいは身体の欠損等が認められたものに限るが、これでは鬼殺隊の任務をこなせない。 あとは念入りに行われた性病検査であるが、当時は基本的に治せる保証もない性病検査にひっかかって落ちるのは論外である。 ではどうするべきか? 鬼殺隊らしい手段としては、呼吸法による肺病偽装はどうだろうか? 当時、結核は不治の病であり、またあまり高くはないとはいえ伝染性があるため、徴兵検査では不合格になった。 あるいは心拍数や体温を上げて体調不良を装ってもよい。 これならばそれほど恥ずかしくなく、社会的地位を守って徴兵を逃れる事が出来る。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **半天狗は本当に盲目偽装をしていたのか? 本編中では、既に鬼になっていたことで盲目ではなくなっていたように見える半天狗であるが、実は人間時代から盲目を装っていたのではないかと、お白州で奉行に指摘されている。 これは、本編中の描写でも確認できる。 その根拠は、半天狗の人間時代の回想である。 この回想シーンは、半天狗による主観が大半を占めているのだが、これは本来おかしい。 彼は盲目なので、本来は人間時代の映像記憶があってはならないはずだからである。 これは奉行の言う通り、彼が人間時代に盲人を装っていた事が反映されている描写である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼殺隊の隊服の仕様 鬼殺隊の隊服は、いわゆる詰襟((動脈が集中する首筋への噛みつき攻撃は、失血多量と呼吸阻害を容易に招く。鬼殺の剣士にとって首筋は最大の弱点とも言える。隊士全員の隊服に詰襟があるのは、これを防護する目的と思われる))であり、男女ともに右前((着ている側としては左手側、すなわち左見頃が前に来る))の仕様である。 上半身は原則的にほぼ全員同じであるが、不死川実弥と甘露寺蜜璃の二人だけは胸元が大きく開かれている。 不死川実弥はおそらく、稀血体質((稀血のなかでもさらに特殊であり、鬼を酩酊させる作用がある。))を活かすためと推測される。 甘露寺のほうは、これは縫製担当の前田((ゲスメガネ))の嗜好の所為であることが判明している。 なおコミック裏では時透に「さっき横から見えてましたよ((朱砂丸のようにサラシを巻けばよいのではないでしょうか……))」と指摘されている。 %%前田「いやドンピシャです。完璧な状態ですね。それが。」%% このほか、時透は詰襟風ではあるが、他の隊士とは異なり手元は絞られていない。 ゆったりとした和装のように見える。 さて、画一的であるべき隊服において個性豊かなのは下半身である。 ズボン、袴、スカートと比較的自由に選べるようで、それぞれ腰にベルトを当てて固定している。また時透のように普通の袴を装着している者もおり、甘露寺とカナヲに至ってはスカートである。 足元は裁っ着け袴((袴のすそを絞ることで歩きやすくしたもの。忍者の足元のイメージ))を基本としているが、その固定方法には個性があり、炭治郎や冨岡は足の裏側に恐竜のヒレのような形で布を余らせている。((もしかすると脛当てが固定されているのかもしれない。)) 不死川実弥はこれを複数のベルトで固定している。((脱ぎにくそう……)) しのぶさんや煉獄は布ではなく脛当てを当てているように見える。 悲鳴嶋は足袋を履かずに草履のみ、また足元は布を巻いて絞っている。 その他、甘露寺だけは草履ではなく草鞋(わらじ)を採用している。 これは伊黒からもらった縞々の靴下との兼ね合いもあるのかもしれないが、飛んで跳ねて戦う甘露寺のスタイルでは、足首をきちんと固定できて軽量な草鞋のほうが向いているのかもしれない。 そしてカナヲはスカートにブーツという非常に先進的な出で立ちである。 さて、このように隊服に個性がある理由であるが、これは素材に伸縮性がない事が原因なのではないだろうか。 鬼の引っ掻き程度であればビクともしない素材で作られたこの生地は、普通に作れば背広のように窮屈で、運動には向いていないという可能性があるのだ。 特に下半身の窮屈さは足の可動域を損なってしまう((特にこれを武器にしている甘露寺にとっては致命的である))ため、全体的にゆったりと作り、必要な個所を自分の好みの手段((あるいは育手の方針))で固定しているのだと思われる。 これは、まだ成長の余地のある時透のみがゆったりとした和装を採用している理由とも整合性がつく。 上記が正しい場合、甘露寺の隊服がゲスいのも違った理由が見えてくるのかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **不死川実弥が傷だらけで胸をさらけだしている理由 作中で、「その血は鬼を酩酊させる((柱合会議で禰豆子に対して自らの血で誘惑しようとしていた。禰豆子も正気を失いそうにななっており、非常に残酷な行為であった。しかし逆説的にこれは「禰豆子は人を食べない」事の証明としてこれ以上ない行為でもある))」ということが判明した不死川であるが、これは彼が常に隊服の前を開け放っている理由を説明できる。 それは、「不死川実弥の体臭は鬼を酩酊させうる」からである。 人体において、汗は血液から作られるため、血液型を判定する事すらできる。 彼は常に隊服の前を開けることで、鬼を呼び寄せているのかもしれない。 あるいは禰豆子に対してそうしたように、自傷して血をまき散らすことで自分にとって有利な状況を作り出していたのかもしれない。 過去回想では、時透や悲鳴嶋と同様に一般人でありながら鬼となった母を殺した((亡骸が崩壊していなかったため、夜明け前に殺したものと思われる))不死川実弥であるが、この体質に気づくきっかけが、鬼になった実の母親だったのかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **炭治郎の慈(やさ)しさの源泉 作中、「君は心が綺麗ですね」としのぶさんに褒められて、その深層心理は「なんという美しさ。どこまでも広い。温かい」と評される炭治郎であるが、その軌跡は一歩間違えれば鬼に堕ちていてもおかしくない程度に悲しい。 それこそ禰豆子も含めて家族が全滅させられていれば、彼は鬼に対する憎しみで鬼殺隊に入っていたかもしれない((しのぶさんや不死川実弥のケースを見るに、それは珍しい事ではない))し、生まれがもっと悲惨な面々((カナヲや妓夫太郎兄妹や猗窩座など))に比べれば、それなりに恵まれている家庭環境である。 例としては…… ・一家全滅→胡蝶しのぶ((表面上のにこやかさと矛盾する心のうちの強い怒りを抱えていた。本人も「少し疲れました」と炭治郎にこぼすなど、相当のストレスがたまっていたと思われる))、不死川実弥((「鬼と化した人間は絶対に救う事はできないので、慈悲もなくすべて滅ぼすべき」という発想に炭治郎が行き着いていてもおかしくない))、、猗窩座((もし素流道場を襲ったのが鬼であったならば、彼は鬼殺隊に入っていてもおかしくなかった。彼の悲劇は憎しみの対象が人間そのものであったという点にある))のように、心のよりどころである家族をすべて失ってしまっていれば、炭治郎は今よりも性格に陰を落としていたであろう。 ・「自分が煉獄さんの代わりに死ねばよかった」という罪の意識((サバイバーズギルド))→冨岡義勇((自分よりも強く正義感があった錆兎や、祝言を控えていた蔦子姉さんに庇ってもらって生きながらえているという意識は、彼の努力の源泉であった。同時に自己評価の低さは、深刻なコミュニケーション能力不足を招いた))のように、自らの力不足((冨岡とは異なり、炭治郎には現時点で柱としての強さはない))を嘆いて陰々とした性格になってしまっていたかもしれない。 ・この世でたった二人だけの兄妹→妓夫太郎と堕姫((捨て子同然に二人だけで生きている姿は、妹と二人だけになった炭治郎の被るものがあった))、時透兄弟((禰豆子か炭治郎のどちらかが父の死を否定的に捉えていたならば、有一郎のように歪んでしまっていてもおかしくない))、不死川兄弟((もし鬼化しなかった禰豆子が一家全滅の責任を炭治郎に求めていたら、この兄弟のように不仲になっていた未来もある))、のように誤解や勘違いから協力し合えなかった可能性もある。 ・自分の無力さに打ちひしがれる→神崎アオイ((鬼殺隊に入隊しながらも、前線で戦う事が出来なくなり、後方支援に回ったが、これは後に自らの無力さを痛感する炭治郎にとっては他人事ではなかった。))、煉獄千寿郎((煉獄杏寿郎に守られ、助けられ、無力を痛感していた炭治郎にとって、同じく無力を痛感していた彼は、まさにもう一人の自分そのものである))のように、どこかいじけたような性格になってしまっていたかもしれない。 炭治郎の「一歩間違えれば」は、まさに鬼に堕ちかねない綱渡りそのものであり、彼の他者への共感と同情を感じる源泉なのかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **ワニ先生と炭治郎 炭治郎は努力や修行の描写がたっぷりとされているにも関わらず、その基礎戦闘能力は他の柱に劣り続けている。 これは最終決戦とされる無限城編((冨岡義勇の能力を高く評価しており、自分には真似できないというような発言がある))に至っても変わる事のない描写である。 柱稽古での描写を見る限り、炭治郎の鬼殺隊内での評価は「新入りでありながら中堅並みの実力があり、勢いのある若手」程度((奇しくもそれは、週刊少年ジャンプにおける本作の立ち位置に等しい))でしかなく、上弦複数を撃破しているにもかかわらず、柱に抜擢される気配すら見られない。 このように鬼滅の刃において、主人公補正の利きが悪い((その血統やヒノカミ神楽や爆血連携など、主人公独自の要素がたっぷりあるにもかかわらず、他の柱に比べて圧倒的に強いという事は全くない。強いて言うならば感情の激高に由来する爆発力があるが、これも本編中で「怒りだけで鬼を倒せるならばもうこの世に鬼はいない」と否定されている))とされるのは、ワニ先生の独特の人生観によるものと思われる。 『人生とは基本的に努力をしても報われません。報われた時は奇跡が起きているんだと思います。今の奇跡は応援してくださる皆さんのおかげです。皆さんありがとう、ありがとう。』((似たような言として、シグルイにおける若先生こと山口貴由先生の有名な発言がある。「善なる者が、報われない、一生懸命努力した人が報われない、とか、そう云う世界である事が「残酷」だな、と思います。」)) この名言は、まさしく努力に努力を重ねても柱に届かない炭治郎の姿そのものである。 また上弦を撃破しながらも決して奢ることなく「いつだって誰かが助けてくれて俺は、結果間違わずに済んでいるだけです」と謙虚かつポジティブに努力を重ねる炭治郎の姿は、ワニ先生の理想とする人間像なのかもしれない。 時として、「冷血動物」「ワニじゃなくて鬼」「人の心を持たない((16巻の裏表紙では、「姉二人と共に幸せそうに左側に歩く父母」に対して、「悲しみに暮れる右を向いた輝利哉」という非常に残酷な構図を生み出した。また無限城編では敵味方の区別なく、残酷としか表現できないほどに非情な物語や結末をいくつも生み出した。サブタイトルにも酷いものがあり、特に「役立たずの狛犬」などは、もはや読者からネタにされる事すら憚られるレベルの無情さであった))」とすら表現されるワニ先生の「なんという美しさ。どこまでも広い。温かい」な深層心理を見出してしまう、というのは言い過ぎだろうか? &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **桑島慈悟郎が雷柱ではなく鳴柱である理由 雷の呼吸の育手である「じいちゃん」こと桑島慈悟郎は、作中で元柱であることが記されており、 各所の考察では「雷柱」であると表現されることが多かったが、ファンブックにおいて「鳴柱(なりばしら)」であることが判明した。 あえて「雷柱」ではなかった理由としては、下記が考えられる。 ・かみなりばしら、の文字数が多すぎるため。((しかし霞柱(かすみばしら)の例もあり、3文字まではokなのかも)) ・らいばしら、では一聴して何のことだか分かり難いため((しかし炎柱(えんばしら)の例もある)) ・いかずちばしら((当時は「いかづちばしら」、かもしれない。))、とも読めてしまうため混乱を避けた。 ・じいちゃんは雷の呼吸の中でも、音の呼吸寄りであったため、鳴の字を好んだ。 ・雷の呼吸の始祖が偉大すぎるため、「雷柱」は欠番((実際に、本編中で雷柱の語は登場しない))となった。 ・桑島慈悟郎の在位期間中、先任の雷柱が居た。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **ここが変だよ鬼滅の刃 本作は連載がそれなりに長期になったため、多少なりとも序盤の設定の粗が発生している。 また本作は大正時代と戦国時代と江戸時代を描く都合上、時代考証がやっかいな作品でもあるため、時代考証にそぐわない事もある。 もちろん、多少の粗が出てくるのはどの作品でも起こり得る話ではあり、フォローできる箇所は上記までの考察で補っているのだが、考察でフォロー出来ないレベルのものをここに列挙していく。 ・隊士選抜最終試験はブラック過ぎ。合格率25%未満で、不合格者は全員死亡というのはあまりにも人道に背く。隊士候補生に再試験の道があってもよいのでは? あと手鬼はエンカウント即死レベルで難易度が高すぎる。育手はもちろん多数いるのだろうが、合格率を考えると村一つ消滅する程度に犠牲((柱稽古では最低でも数十人の隊士が確認できる。))が出ているはずである。注意:「藤の花が狂い咲く麓まで逃げれば生き残れるが不合格」、等のリタイアに関する説明は本編中にはなく、試験の目的も明らかにされておらず、隊士候補生には「この中で七日間生き抜く」以外の合格条件も語られていない。 ・隊士選抜最終試験の評価基準が不公平。炭治郎や錆兎のように他者を助けようと自ら動いた者と、アオイや冨岡同期のように何もできないまま生き残った者の評価が同じなのはおかしい。藤襲山でのエンカウント率には個人差があるため、たまたま鬼と遭遇しなかったまま合格した者がいるのは仕方がないが、明らかに頭一つ抜けて手柄を立てた炭治郎の階級が癸スタートなのは理不尽。 ・炭治郎が浅草で骨折していたにも関わらず、次の任務を与えるのは非人道的。新人隊士の実力が足りないなら足りないで、OJTとして先輩隊士について修行する等の配慮があってもいいはず。元・十二鬼月を含む3鬼に対して新人癸隊士3名というのはあまりにも可哀想なのでは? ・善逸の実質的な任務拒否や敵前逃亡、そして伊之助の同士討ち行為((冨岡のしのぶさんへのヘッドロックは、炭治郎退席後に議題にあがったのだろうか?))にペナルティがないのは組織としてダメ。 ・階級昇進の基準が謎。柱昇進は十二鬼月を倒すか50体の鬼((および4体倒すたびに階級が1つあがる計算。あるいは3対ずつに1つ階級があがり、甲になってから10体以上鬼を倒すことで柱に昇進できるのかも。このケースでは、2週間に1鬼を倒し続ければ2年で柱になれる。1か月に1鬼の場合は4年ちょい。))を倒す事が条件のはずだが、下弦1体((塁))の討伐補助・下弦1体((厭夢))の実質討伐・上弦1体((妓夫太郎))の討伐補助・上弦1体((半天狗))の実質討伐と華々しい実績を上げているにもかかわらず、炭治郎がいまだに柱になれていないのは信賞必罰が歪と言わざるを得ない。時透が剣を握ってから2か月で柱になったという設定に違和感を感じてしまう。追記:柱が絡んでいる場合は昇進評価の基準外になってしまうという意見がある((もしそれが正しい場合、隊士たちは柱のいない危険な任務にモチベーションを感じ、また柱が応援に来た時点でその任務を放棄しても文句は言われないであろう))。%%ただしその場合でも炭治郎が厭夢撃破に際して煉獄の手を借りたとは言い難い。無限列車の乗客の大半を守ったのは確かに煉獄であるが、厭夢討伐そのものにはほとんど絡んでいないからである。%% 追記:「乗客を喰うことで自ら強化する」という厭夢の戦略を根本から破壊したのは煉獄であるため、彼の討伐貢献度はかなり高い。 ・桜餅を食べて甘露寺の髪色が変わるのはともかくとしても、それでもピンクと緑の比率がおかしい。人間の髪は部位によって伸びる速さに差はないはずなので、彼女のように「腰まである長い後ろ髪も、10cm程度の短い前髪ももみあげも、いずれも先端から2割程度の長さの色が異なる((同様の事は鬼化によって毛先だけ赤く変わったと思われる禰豆子や、服毒を続けたことによって毛先だけが紫になっているしのぶさん、さらに言えば覚醒後に毛先が赤髪になった炭治郎も似たような状況なのだが。))」というのはありえない。またザリガニの体色のように食物によって髪色が変わるのだとすると、緑髪が生えていた期間には彼女は桜餅ではなく桜の葉を食べまくっていた事になってしまう。どちらかというと生物学的な説明よりも桜餅の呪い、というほうが納得できそうな設定である。 ・時代考証が少々雑。戦国時代にさつまいも((もっとも、同様の間違いはシグルイにもあったりするのだが))があったり、炭吉の妻すやこが公家風の名前であったり((~子は平安以降、貴人の娘に付ける名前である。当時のルールでいえば「すや」のほうがしっくりくる。ただし、家が畳敷きでそこそこ広い家であることから、彼女が公家出身である伏線である可能性もゼロではない))、炭吉が痣のある鬼狩りに急須((日本独自の横手急須は18世紀に上方で発明された))でお茶((江戸時代前期までは贅沢品扱いであり、気軽に庶民が飲めるものではない))を提供していたり、江戸時代の町人の髷が例外なく後期の型((時代劇でおなじみの銀杏髷は、本来江戸時代後期のスタイルであり、江戸時代初期と思われる狛治の回想に出てくるのはおかしい))だったりと、細かい穴がいくつもある。ただし大正時代の時代描写については比較的まとも。((特にアニメ版はうどんのメニューや電信柱などの細かい描写が多く、歴史に長けたに有能なスタッフがついているものと思われる。)) ・獪岳は刀を背中に背負っているが、あの背負い方では刀を引き出す事が出来ない。右利きである彼が背中から刀を抜くためには、刀の柄が左側にくるように背負わなければならないからである。追記:ただし刀が忍者刀のように短く直刀である場合はその限りではなく、右手で引き抜く事が出来る。獪岳の刀は普通の湾曲のある打刀なので関係ないが。。。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **「鈴蘭のような柴犬」は誰の事か? 作中で炭治郎は好みの女性のタイプを「鈴蘭のような柴犬」と弟妹に述べている。((子供にも分かり易く、という配慮であったが、結果的に弟妹からは「お兄ちゃんが犬と結婚するって言ってる!」と解釈されてしまった)) まずはこの「鈴蘭のような柴犬」について考えてみよう。 「鈴蘭」とは、小さなベル型の花が連なり、下向きに咲く草花で、可憐な姿が愛らしく、世界中で愛されている。 また比較的強い毒性を持つことでも有名である。 花言葉は『幸福の再来((春の時期に花を咲かせる事から))』『純粋・純潔((欧州圏では聖母マリアの象徴でもあり、結婚式のブーケにも用いられる))』『謙遜((花弁の大きさが控え目であり、頭を垂れて花を咲かせることから))』。 「刺繍」の題材としても用いられやすい事も相まって、「家庭的((商店街の名前にも用いられることが多い。同一の道に並ぶ多くの商店を「家族同然」と捉えているのかもしれない))」や「結婚」のようなイメージを持つ人もいるかもしれない。 次に「柴犬」であるが、これは日本固有の小型犬種である。 柴犬は信頼できる飼い主にだけ心を寄せるとされる。 家族に対して強い忠義心を持ち、家族を脅かす者には勇敢に立ち向かっていくことから番犬として扱われている。 両方に共通するイメージとしては、「家庭的」「謙虚・ひかえめ」と言ったところか。 鈴蘭の「毒」と柴犬の「勇敢さ」は共に、「家族を脅かす者には容赦しない」というニュアンスもあるかもしれない。 纏めると、「純粋で家庭的で謙虚でありながらも、家族の敵に対しては容赦なく戦える強い人((この人物像は容赦なく熊を惨殺した父・炭十郎にも、頭突きでイノシシを撃退したとされる母・葵枝にも当てはまる))」というような感じだろうか? 「毒」に重点を置けばしのぶさんが候補だが、「家族の敵に対して」のほうを重視すればカナヲが候補だろうか。 もしかして:妹((繕い物が得意で、下の弟妹の面倒を良く見る家庭的な少女である。また家族をとても大事にし、弟から「人のために怒る人は自分の身を顧みない所がある」と評されることから、家族や弱者を守るために戦えるのは鬼になる以前からの気質なのだろう。)) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **「飛車のような人」は誰の事か? 作中で禰豆子は好みの男性のタイプを「飛車((作中では「縦と横に何マスも動ける。敵の陣地に入ると竜王になる」という解説がされている))のみたいな人」と弟に述べている。 これに当てはまる人物について考えてみよう。 ・猪突猛進の伊之助は飛車というよりも「香車((前にしか進めないが、代わりに何マスでも移動することができる))」 ・善逸は電光石火の霹靂一閃のイメージから飛車に近いかもしれないが、「それしかできない」のイメージに合致するのはどちらかというと「桂馬((トリッキーな動きで思わぬ活躍をする駒。))」 ・不死川玄弥は普段の戦闘能力は低いが、敵陣地に入ることで覚醒するという点で「歩((前方1マスにしか移動できない代わりに数が多く、また同一縦軸に1枚しか置けないことから特殊な駒でもある))」 ・移動力という点では申し分ないのが宇髄天元((音柱の名に恥じぬ移動速度をかまぼこ隊に見せた。既婚者))と煉獄杏寿郎((列車内を縦横無尽に動き回り、一般乗客に犠牲を出さなかった。技も大威力広範囲の技が多く、竜王のイメージには合う。故人))か。 ・独特の緩急で動き、油断した敵に一撃を食らわせる時透は、移動力という点では同等の働きを見せる「角行((斜めにしか移動できないが、何マスでも移動することができる))」か。 もしかして:兄((伊之助と同様の移動力を持つが、仲間の為に一歩引いたり、駆け付けたりする事が出来る。修行属性外の流儀や痣覚醒することで、ほんのすこしだけ斜め上の行動ができるのも竜王の特徴かもしれない。)) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **不死川実弥の口調 作中、不死川実弥は非常に口汚いヤンキー口調で話している事が多い。 他の柱の前、あるいは柱稽古での訓練中においてもそれは変わる事はなかった。 しかしお館様との会話((炭治郎曰く、「知性も理性も全く無さそうだったのに、すごいきちんと喋り出したぞ」と評されている))、あるいは悲鳴嶋に助太刀された際((「はい、すいません」としおらしい返事をしている))を見る限り、本質的には素直で真面目な人格なのではないかという分析がある。 幼少時代の人格を見るに、このヤンキー口調は鬼殺隊に入隊後に身に着けたものではないかと推測できる。 ではなぜヤンキー口調が必要だったのか? それは人間の感覚で「泥酔しているときに口汚い言葉で挑発される」という状況を作りやすいからではないだろうか? まず彼の稀血体質((その血は鬼を酩酊させることができる))は、鬼を挑発するのに都合がよく、また鬼にとっては十全の力を発揮できなくなる。 この判断力を失った状態で、あのような挑発を受ければ腹も立つだろうし、頭に血が上るだろう。((特に塁や玉壺のような煽り耐性の弱い鬼には効果が高い)) この状態異常を作り出すために、ヤンキー口調を始めたのではないだろうか? 追記:%%ファンブックによると、担当範囲がスラム街であったため、このような口調になったと説明されている。上記の狙いを込めて担当範囲を決めたのだとすれば、お館様の名采配である。%% 再追記:彼がスラム街を過ごしたのは鬼殺隊入隊以前の話なので、上記の考察は間違い。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼殺隊隊士は恐怖とどのように戦っているのか? ボクシングやプロレス、K1選手などの格闘家は試合前に口汚い言葉で相手を罵る事がある。 あるいは試合直前に気が立ってセコンドやファンに対して攻撃的になる選手もいる。 これは本質的に闘争心の高い人格という側面もあるが、これは「相手が怖い」からこそ行われる行為である。 「相手から傷つけられるかもしれない」「大きなダメージを負うかもしれない」「負けてすべてを失うかもしれない」という恐怖は本能的なものであり、これは誰もが持ちうる感覚である。 この恐怖を抑える方法は、選手によってそれぞれであるという。 ・ある選手は、敵を罵る事で恐怖に打ち勝とうとする。((不死川実弥のほか、時透や伊之助、玄弥がこれに当てはまる)) ・またある選手は、十字架に祈りを捧げて神の加護を願うという。((炭治郎、冨岡、しのぶさん、カナヲはこれに近い。亡くなった家族の姿を想像し、自らを鼓舞することの本質は信仰と同じである)) ・あるいは試合直前まで恐怖に震える事を隠さない選手もいるだろう。((善逸にとって「気を失うほどに恐怖を口にする」ことは恐怖に打ち勝つトリガーである。また甘露寺のように劣勢時に弱音を吐くのも同様である)) さて、これらの虚勢はいかにも情けない行為のように思えるが、彼らは決して臆病者というわけではない。 なぜならば最終的に彼らは逃げる事無く、敵選手に立ち向かっていくのだから。((善逸に関しては少々首をかしげるが……)) そしてもちろん、平常心で臨む者もいる。((煉獄や宇髄、悲鳴嶋などは人格が完成されており、恐怖を感じたとしても若輩者のように取り乱したりしていない)) この恐怖を克服し、正々堂々と敵に立ち向かう姿こそが格闘技の本質である。 同様に自らの寿命を削り、命を懸けて人々を守ろうとする鬼殺隊隊士は、恐怖に打ち克つ手段を持っているのである。 この覚悟を持たず、身を潜めて安全に無抵抗の人々を食い物にする無残様は、「臆病者」と言われるに相応しいだろう。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **無残様が取るべきだった作戦 鬼舞辻無残は本来、青い彼岸花の捜索のために日本全国に鬼を配置していたため、鬼殺隊は戦力を分散させられていた。 柱は9人しかおらず、またそれに匹敵する隊士の存在も確認されていないことから、普段の柱は日本全国に散らばっていると推測される。 おそらく冨岡義勇の警備担当範囲は炭治郎の故郷を含んでおり、それゆえ炭治郎は救われたわけだが、冨岡本人が言う通り、あと半日早ければ竈門家を救えたのも事実である。 さて、このような悲劇が起こった理由は、鬼殺隊の人員不足、あるいは適材不足である。 すなわち、上弦の鬼とまでいかなくとも、下弦の鬼クラスを簡単に対峙できる人材が足りないために、柱が広大な範囲をカバーする必要があるのである。 それゆえに柱はその業務をこなす事でいっぱいいっぱいになってしまう。 柱が後進の育成に注力できないのはこれが原因であることが本編中で描かれている。 さて鬼舞辻無惨は、この状況の中で陽光を克服した禰豆子を手に入れるためにどうすればよかったのかを考えてみよう。 まず前提として、本編中の無惨様の行動は「最悪手」と言ってよい。 人命を優先する柱は、全国に散らしたほうが都合がよかったはずである。 下弦の鬼クラスを量産できることが判明している以上、日本全国にその鬼を散らすことは鬼殺隊の戦力分散および柱稽古の妨害という大きなメリットが見込めるからである。 であるにもかかわらず、無残様は柱全員を無限城に引きずり込み、正面から全軍と戦う事を選んでしまった。((しかもこの選択は無残様にとって、驚くほどメリットがない。どれだけ考えてみても髪の毛一本ほどのメリットもない。特に、お館様を急襲する必要は全くなかった。)) 本来は、南樺太((日露戦争の結果、日本領になった))から台湾((清国との戦争の結果、日本領となった))、なんなら満州((中国北東部。現在の遼寧省、吉林省、黒竜江省の3省と、内モンゴル自治区の東部を範囲とする。日露戦争の結果、日本の経済圏に組み込まれた))や朝鮮半島((1910年に日本領に編入))まで僻地ほど強力な鬼を配置し、鳴女の監視によって柱の分散が確認できたタイミングで禰豆子を奪うべきであった。((しつこく書くが、死の淵にあるお館様は無視しておいてよかった。作中でお館様から言及されているように、無惨様の行動は「本来ならば眠っていたはずの虎や龍を君は起こした」でしかなく、1ミリのメリットもない。代替わりの混乱を狙っていたのかもしれないが、それは産屋敷サイドとしては既に想定済みであり、その狙いは外れている)) これはタイミング的に難しかったが、無限城に誘い込むにしても鳴女と相性がよい半天狗((本体を安全な場所に避難させさえすれば無敵))や響凱((重力反転や瞬間移動は無限城と最高に相性が良い))、塁((並の隊士では歯が立たないレベルの鬼を生み出すことができるため、遅滞戦向き))は残すべきだった。 あるいは狙いを禰豆子に絞り込み、上弦戦闘部隊を送り込んでもよい。 とにかく無惨様は鬼殺隊の柱および炭治郎を遠さげた上で、禰豆子を確保する事こそが戦略目標であり、それ以外の余計な行動をとるべきではなったのである。 というよりも、そもそも鬼殺隊の存在目的は「鬼の滅殺」であり、民間人の安全保全である。 そして無惨様の最終目的は「陽光の克服」であり、鬼を量産することは副次的な手段でしかなく、無惨様にとっては嫌々やっている行為でしかないのだから、このお互いの主目的はそれほど反発し合わないのである。 ここに無惨様の誤謬がある。 無惨様の食事についての問題が残るが、年号鬼の描写を見る限り、47年間に50人しか食ってなくてもどうにかなるのだから、通常の殺人事件に見せかける事は決して難しい事ではない。 このように無惨様が鬼を増やさない以上、鬼殺隊は活動規模を縮小を迫られることになるのだから。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **十二鬼月の討伐結果 |上弦の壱:黒死牟(こくしぼう)|討伐者:格闘中 |討伐補助:| |上弦の弐:童磨(どうま)|討伐者:伊之助・カナヲ(しのぶ毒による強力なデバフが掛かっていたため、実質的には討伐補助である)|討伐補助:しのぶさん(柱三人に匹敵すると言われる上弦を、実質的にたった一人の犠牲で討伐した。無限城編において、現状での勲一等の功績である)| |上弦の参:猗窩座(あかざ)|討伐者:炭治郎(2対1であるものの、堂々たる討伐と言って良い)|討伐補助:冨岡| |上弦の肆半天狗(はんてんぐ)|討伐者:炭治郎|討伐補助:甘露寺(敵戦力を分散させ、遅滞戦を見事に勝ち抜いた)、玄弥(力及ばなかったものの、上弦をかなり追い詰めた)、禰豆子(最も被害が重く、また決死の覚悟を見せた)| |新・上弦の肆:鳴女(なきめ)|討伐者:格闘中|討伐補助:| |上弦の伍:玉壺:(ぎょっこ)|討伐者:時透(作中で初となる、上弦の鬼を単独撃破を達成した)|討伐補助:なし| |上弦の陸:妓夫太郎(ぎゅうたろう)&堕姫(だき)|討伐者:炭治郎・伊之助・善逸(同時撃破が必須であるため、息を合わせて三人で撃破した)|討伐補助:宇随(実質的に負けに等しいものの、戦力を削る事に貢献した)| |新・上弦の陸:獪岳(かいがく)|討伐者:善逸(作中、二人目となる上弦の単独撃破。ただし獪岳が鬼として経験不足であったため、他の上弦に比べれば戦績は劣る)|討伐補助:なし| |下弦の壱:魘夢(えんむ)|討伐者:炭治郎・伊之助(実質的には実力による勝利というよりも、二人の幻惑耐性が高かったことが勝因)|討伐補助:煉獄(無間列車を縦横無尽に駆け回り、一人の犠牲も出さなかった)、禰豆子(炭治郎の覚醒のきっかけとなった)、善逸(目立った活躍こそないものの、一般人の安全を見事に守った)| |下弦の弐:轆轤(ろくろ)|討伐者:鬼舞辻無残|討伐補助:| |下弦の参:病葉(わくらば)|討伐者:鬼舞辻無残|討伐補助:| |下弦の肆:零余子(むかご)|討伐者:鬼舞辻無残|討伐補助:| |下弦の伍:塁(るい)|討伐者:冨岡(実質的な単独撃破である)|討伐補助:炭治郎・善逸・伊之助・しのぶさん(いずれも結果的には塁撃破の露払い)| |下弦の陸:釜鵺(かまぬえ)|討伐者:鬼舞辻無残|討伐補助:| &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼滅の刃世界における切腹観 鬼滅の刃において、「切腹」について言及されたのは3度ある。 一度目は鬼になった禰豆子を連れた炭治郎に対して、鱗滝がその覚悟を説くシーン。((ここでは、「禰豆子が人を喰った場合に、炭治郎は速やかに責任を取って自害すべし」という旨の警告がなされた。)) 二度目は禰豆子と炭治郎の処遇を話し合う柱合会議である。((鱗滝の手紙において、「禰豆子が人を喰った場合に、炭治郎だけでなく鱗滝左近次および冨岡義勇が腹を切ってお詫びします」という覚悟が記されていた)) 三度目は善逸の師・桑島慈悟郎の自害。((雷の呼吸の継承者である獪岳が鬼に堕ちたことの責任を取り、介錯もつけずに腹を切って自害した。介錯とは切腹した者の首を断ち切る行為、あるいはそれを行う者を指す言葉であり、自害する者が苦しまず、かつ首が飛んでいかないように首の皮一枚を残す技量が求められた。)) 上記において共通するのは、鱗滝左近次と桑島慈悟郎という、いずれも60歳を超えているであろう二人の発言・行為であるという点である。 本編中、鬼殺隊サイドで江戸時代((いわゆる幕末である。江戸時代では殉死思想が蔓延した初期を除いて、それほど切腹行為は盛んではなかった。特に中後期において武士は完全に官僚階級と化し、軍人としての意識は毛ほども残っていなかった。この意識が変わるのはまさに鱗滝が鬼狩りとして活躍した慶応年間前後である))の空気を知っている二人が切腹について言及していることになる。 しかし鬼殺隊の現役隊士から切腹について言及されることはなかった。 それどころか不死川実弥からは「切腹するから何だというのだ。死にたいなら勝手に死に腐れよ」とその価値を認めない発言をお館様にする始末であり、煉獄もその発言に同意している。((煉獄は代々続く鬼狩りの一族の出身であるが、その彼ですら切腹の価値を高く見ていない。)) これはこの時代における世代間のジェネレーションギャップである。 人命を尊び、また人命を守るために自らの命を投げうつ現役隊士たちにとって、「死んで責任を取る((そもそも切腹とは本来、名誉ある行為である。汚名を返上しつつ家名を高める事を目的とした行為である。本当に重罪であれば切腹すら許されず「打ち首」となり、お家は断絶する。それに比べれば切腹はお家にとっては慈悲深い刑罰と言えなくもない。))」というのは受け入れられない価値観なのである。 これはおそらく、産屋敷耀哉の思想と関係がある。 産屋敷耀哉は自らの権威を高める事よりも、人命を尊重する事を何よりの目標に掲げて隊士たちの心を掴んでいたため、「自らの瑕疵で人命を失っても自分が責任を取って死ねば許される」という考えは理解できないのである。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **黒死牟の刀は刺突刀? その刀は自らの肉から作られている黒死牟の刀であるが、七支刀のように刃を増やすことができることが判明した。 しかしその刀の刃の向きは、いわゆる逆刃刀のように本身とは逆についている。 この刀の向きでは、黒死牟はこの刀を刺突にしか使う事ができない。 通常通りの刀の振り方をする場合、敵に当たるのは刃のない側になってしまうからである。 またその刀身は明らかに4尺を超えており、大太刀または野太刀に分類される長刀((「なぎなた」ではなく「ちょうとう」。長刀はそのリーチの長さから遠隔から敵や馬を狙う事が出来るものの、近接戦闘には不向きとされる。))である。 この形状であればおそらく本来の使い方は、刺又((サスマタ。相手に怪我を負わせずに動きを封じ込める事を目的としたY字型の槍の一種))の要領で複数の敵を制圧・刺突する事と思われる。 連携攻撃を仕掛ける鬼殺隊の両方に遠距離から刺突を加えるために作り上げられた武器と言っていいだろう。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **霹靂一閃が雷の呼吸の中で特殊な理由 作中、善逸は雷の呼吸法のうち、壱の型「霹靂一閃」のみしか習得していない。 獪岳が弐~陸までの型を5つ、習得しているのと対照的であるが、この理由を考えてみよう。 まず二人の刀の鞘であるが、善逸は腰に刀を差している。いわゆる「帯刀」であり、多くの剣士がこれを採用している。 しかし作中、獪岳は忍者のように刀を背中に背負っている。((「この背負い方では刀を抜けない」という誤解がよくあるがそれは謝りである。左肩に差した刀は、右手で引き抜くことで簡単に抜くことができる。ただしこれは鞘の尻側を固定しないことが条件である。これを採用しているのは二刀流の使い手である伊之助と宇髄の二人だけであるが、二人は納刀せずにサラシで巻いているだけである)) 獪岳は弐~陸までの型を習得するにあたり、背中から刀を抜いて修練を重ねていたのではないだろうか。 このため、獪岳は抜刀術である壱の型「霹靂一閃」を学ぶことができなくなった 合理的な獪岳は、その他の型の邪魔になる壱の型「霹靂一閃」を捨てることで、その他の型をすべて短時間で学ぶことができたのではないかと想像できる。((抜刀術である霹靂一閃は、都度腰に納刀しないといけないため、修行効率が悪いと考えたのかもしれない。)) それはさながら、大変な割に点数に結びつかない科目を捨てる学生の姿そのものであり、他者からの賞賛のみを追い求め続ける獪岳の象徴的な行動原理と言えるだろう。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **産屋敷家97代の歴史について アニメ23話の大正コソコソ噂話において、産屋敷輝哉は97代当主であることが判明した。 産屋敷家の97代前はいつ((前述の通り、柱合会議時点での西暦は1916年ごろと推測される))だったのかを想像してみよう。 前提として平安時代((およそ9世紀から12世紀の日本を表す歴史区分。在位中に何度も遷都を繰り返した聖武天皇による京都遷都に始まる。中期ごろまでには強力な政治力を持つようになった藤原家が全盛を迎え、天皇の権力は相対的に下がった。後期にはこれに対抗する目的で始められた「院政」による天皇の多重権威化が発生する。その隙を突いた軍人のクーデターによってその時代は幕を閉じた。この流れは1930年代の軍部の暴走に類似する))において、鬼舞辻無惨は20歳になる以前((794年に平安時代が開始のため、このシーンは最早で794年。最遅の場合は1192年である。※鎌倉幕府成立は現在基準では1185年であるが、大正時代当時の史学基準では1192年である。))に、善良な医者を病が治らない癇癪((このため、塁のような病弱な富裕層の子に対して思い入れが強いようである))から殺害している。 このことから鬼舞辻無惨の生年は774年~1172年の間のいずれかになる。 鬼殺隊はこの時期の前後に成立したことになる。((お館様の「この千年」という発言を厳密に信用するのであれば、鬼殺隊の結成は916年の前後が正しくなる。)) そしてその場合、産屋敷家の歴代当主の平均在位期間は7年から11年といったところである。 これは歴代の当主は30歳足らずで亡くなるという設定と合致する。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **継国家のお家事情 作中で、兄弟であることが判明した黒死牟こと継国厳勝(つぎくにみちかつ)と継国縁壱(つぎくによりいち)であるが、この名前に少し違和感がある。 それは弟であるはずの縁壱に「壱(いち)」の字が入っているという事である。 日本の男子命名規約として、「一郎、二郎、三郎」のように長男から順番に1からの数値を割り当てるのが普通であるが、しかしこのケースでは縁壱にのみ、嫡男であることを表す「壱(いち)」の文字が含まれている。 もちろんイチロー((言わずと知れた世界で最も名の知れた野球選手である。名前に反して兄がいる))や安倍晋三((2019年現在の内閣総理大臣。やはり名前に反して次男である))の例もある事から極端に珍しいケースと言うわけではない。 しかしこれが不自然でないケースがこの時代にはあり得る。 第一のケースは、縁壱のみが正妻の子であり、厳勝が妾の子であるというケースである。 この場合、生まれた年月日に関わらず正妻の子に相続権があり、妾の子には一切の財産は残されない。 江戸時代であれば厳勝はいわゆる「部屋住み」であり、運が良ければ他の家に婿養子に行ける程度でしかない身分である。 第二のケースは、彼らの名が元服後に与えられたというケースである。 この場合、明らかに出来の良い弟に「壱」の文字を託すことで、継承順位を明らかにしたという事になる。 長子相続((武家の長子相続は江戸時代に一般化する))が一般化される以前の時代には、このようなことがあったのかもしれない。 いずれもこれらは、作中で厳勝が縁壱に「骨まで焼き尽くすほどの嫉妬心」を抱かせる理由の一つとして納得できる設定である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **継国兄弟のそれぞれの誤謬(ごびゅう) 作中で厳勝は縁壱に対して「このままでは呼吸術が途絶えてしまう」という危機感を語っていた。 実際に炎柱である煉獄の先祖の足元に及ばないほどに、彼らの呼吸術は群を抜いており、しかも炭吉によると縁壱にはその技を継ぐ者がいない事が明らかになっている。 厳勝は継国家に血を残してきたと明言しており、実際に時透がその子孫であることから、その遺伝子を残す事には成功している。しかし25歳で寿命を迎えるという痣の剣士の都合上、自らが技を教えるという事も現実的ではない。 さて、ここでは彼らがどのような認識間違い(誤謬=ごびゅう)を犯したかについて考えてみよう。 まず前提として、鬼殺隊(=鬼狩り)の目的は人命救助および鬼舞辻無惨の討伐にある。 であるにも関わらず、厳勝は「技を極め後世に残すこと」にこだわり、鬼舞辻無惨に降るという本末転倒((その技は本来、鬼舞辻無惨の討伐の為にこそ存在するべきであり、鬼舞辻無惨の味方になるというのは手段と目的の逆転である))を見せた。ここに厳勝の誤謬がある。 その技は弱き者を助けるためにこそあるべきであった。 であるにもかかわらず、人命を軽んじ、自らの餌とする鬼サイドの片棒を担いだ彼は、もはや人間だったころの記憶を忘れた悪鬼以外の何物でもない。 縁壱についてはもっと酷い。彼は「道を究めた者が辿り着く場所はいつも同じだ((これはおそらく、先天的な痣を持たないはずの炭治郎が後天的に火傷という形で痣を得たことや、赫刀に至っていない炭治郎が禰豆子の血鬼術を通じて疑似的な赫刀を得た事などが該当する))」という独自の理論のもと、60年以上もの時間があったにも関わらず後進を育てる事をせず((本当に育てていないのかは明言されていないが、少なくとも熱心に教育してはいなかっただろう))、また鬼舞辻や鬼堕ちした兄を結果的に長期間放置する事となってしまった。((鬼舞辻は巧妙に身を隠し、上弦も柱とはなかなか遭遇しないという事情もあるが、鬼舞辻経由で縁壱の情報が一切入ってこなかったことから、縁壱は鬼狩りとしての活動を停止していた可能性もある)) これは誤謬を超えて、本当に度が越えた楽観論((あまりにも技の継承についての悲観論に徹する兄に反抗していたという可能性もある))としか言いようがない。 結論として継国兄弟は、 ・兄は人命を守るという目的を忘れて鬼堕ちしてしまった((その主たる原因は弟への嫉妬である)) ・弟はあまりにも非現実的な楽観論((このふわふわした考え方は胡蝶カナエに似ている))に終始した結果、400年もの期間に渡って鬼舞辻を野放しにしてしまった という悲劇的な結果を迎えてしまった。 さらに厳勝は「縁一が死んだ以上、誉れ高き死が訪れる事はない。鬼狩りの長き歴史で最も優れた剣士が死んだ今、私は負けるわけにはいかない。醜い姿になってまで勝ち続けることを自分は選んだ」という発言をしている。このことから、彼のもともとの生存目的は「全盛期の呼吸術による技の保存」であったはずなのに、「(縁一以上の剣士による)誉れ高き死」を望むようになったと思われる。 これはすなわち、彼の本来の目的が「縁一を超える剣士になる」事だったことを示していると言って良いだろう。 追記:この兄弟を例えるならば、「"誰がやっても一緒"と政治・選挙に関心を示さない弟と、政治に入れ込みすぎて政治家になるも、所属政党がとんでもない兄」と言ったところだろうか。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんは本当に姉エミュをしているのか? 作中、カナエ姉さんの存命中は怒りやすく、やや攻撃的な言動が目立ったしのぶさん((どちらかと言うとアオイの性格に近いが、いずれもガミガミとヒステリックにやかましく正論を振るう様は「口うるさい看護婦長」といった感じである))であるが、これはカナエ姉さんの死後に激変することとなる。((柱になって比較的日が浅いと思われる甘露寺に「しのぶちゃん怒っているみたい。珍しいわね。カッコイイわ」と思われている所からすると、普段から例の柔和な表情と態度を崩さなかったものと思われる)) 本作の考察・意見交流の場においてなぜかこれは「姉エミュ((エミュレート。emulate。すなわち本物を真似てその動作をトレースし、真似ること。))」と呼ばれているが、本編中にそのような描写はない。 本編中で説明があるのは、「姉の想いを継ぐ((故人の想いを継いでいく、という描写は本作の隠れたテーマである「人間の儚さ・美しさ」を補完する描写と言える))」「姉が好きだと言ってくれた笑顔を絶やすことなく」という二つのしのぶさんの発言である。 ここにカナエ姉さんを外面的にエミュレートする意思は感じられない。 特に理性で会話するしのぶさん((象徴的なのはカナヲの危うい性質をカナエ姉さんが楽観的に捉えた際の「理屈になってない!」である))と感情で物事を考えるカナエ姉さん((カナヲの危うさを「カナヲは可愛いもの!」で片づけようとするこの発言は、さすがにマズいと思われたのか、アニメ版において「まぁそうなんだけどね」と一言添えられた。))は性格的に正反対と言ってよく、単にしのぶさんの表情と態度が柔和になっただけと言ってよい。 では、なぜこれが「姉エミュ」と捉えられるようになったのか。 それは本編中で家族をエミュレートする例があったからではないだろうか。 ・時透無一郎→「記憶のない時の僕は、兄に似ていた」と有一郎をエミュレートしていたかのような発言 ・宇髄天元の弟→「親父の複写」と言われており、意思と性格は完全にエミュレートされている。 ・冨岡義勇→回想からは本来はもっと柔和な人間性であったと思われるが、最終試験後に錆兎の性格をエミュレートしたような物言いになったと思われる。((冨岡の物言いは炭治郎を鍛える錆兎の発言とよく似ていることから)) このほかにも、兄に追いつこうと必死になった結果、追いつめられて兄と同様に粗暴な行動が目立つようになった玄弥の例もあり、この「エミュレート」あるいは「兄弟姉妹が似た行動をとる」のは本編中で頻出する描写である。 このため、「しのぶさんはカナエ姉さんをエミュレートしている」という誤解が生じたものと思われる。 追記:「鬼を心のなかでは全然許せてないのに無理矢理許そうとするからあんな笑顔でサイコなことを言い出す歪なことになる」という考察が存在する。 本来のしのぶさんの天性を無視して姉の遺志を継ごうとした結果、結果的に彼女は歪んでしまった。((そもそも「復讐」という後ろ向きな行動そのものに人の心を歪めてしまう要素があると言ってもよい。そしてこれは冨岡の性格が歪んでしまった経緯とよく似ている。)) そしてこれは本来の天性とは大きくかけ離れた歪みを持つに至った冨岡の経緯とよく似ている。((いずれのケースも、故人の「残された者に幸せになってほしい」という遺志とは掛け離れてしまっている。そしていずれも「残されたものが故人の遺志を継ぐために多大な努力を重ねた」という点でも共通する。)) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **黒死牟こと継国厳勝(つぎくにみちかつ)の人生 彼について判明していることは下記の通り。 ・1916年((本編を前述の考察に乗っ取り、1916年と仮定する。))→最終決戦 ・1916年((最終決戦から一年以内))→獪岳に鬼無辻無惨の血を分け与える ・1813年((半天狗の発言))→前回の上弦招集会議 ・1616年((300年以上前との発言あり))→鬼喰いをしていた剣士の胴を割り、絶命させる ・1516年((400年ぶりとの発言あり))→縁一との最後の切り合い。縁一絶命 ・1456年((縁一絶命の60年以上前))→厳勝が鬼無辻無惨に降り、血を得て3日間の後に鬼になる ・1432年((痣者である厳勝は鬼化時点で25歳未満。戦国時代当時は数え年なので満年齢では24歳未満))→厳勝誕生。双子ならば縁一も同日誕生。 さて、上記は全体的に「~年以上前」が多いが、ここでは最も短いケースで考えるものとする。 この最短の場合でも継国兄弟の活躍時期は15世紀中盤となり、戦国時代((室町幕府の権威失墜に伴い、戦争が爆発的に増えた15世紀後半~16世紀末を表す日本の歴史区分。一般には1467年に始まる応仁の乱を戦国時代の幕開けとし、秀吉または家康による天下統一によって終了したとされる。))とは言い難い。 ただし舞台となる関東地方はそれ以前の享徳3年(1454年)から関東管領と鎌倉公方による内乱状態であったともされ、この地方の戦国時代はそれより早く始まったとする学説もある。 その学説に則るのであれば、継国兄弟は15世紀中盤の戦国時代草創期に関東地方で鬼狩りをしていたという説が成り立つ。 この時期に縁一を含む鬼狩りたちによって深手を負った鬼無辻無惨は、戦中の混乱に乗じて人を喰らい、体力を回復させていたのかもしれない。((戦地で散った腐肉を漁る鬼無辻無惨の姿は、負け犬そのものである。)) そしてその場合、全国で散発的に始まる戦に紛れた鬼無辻無惨を鬼狩り達が見つけるのは非常に困難である。((戦国時代草創期だったからこそ、鬼無辻無惨を特定できたのかもしれない。)) 戦乱がひと段落し、治安が良くなった16世紀以降に十二鬼月を組織したのは、自らの食事を警察行政に悟られないようにするための欺瞞工作だった可能性もでてくる。 上記が正しい場合、やはり珠代様の言う通り、彼の性質は「臆病者」そのものである。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **継国兄弟の最後の決戦地 継国兄弟の最後の決戦地には、赤い月とともに七重塔があった。 日本において五重塔は現存するものも含めて珍しくないが、七重塔((多くは聖武天皇によって全国各地に作られた「国分寺」とセットで建設された。神奈川県海老名市には駅前に七重塔の1/3レプリカが復元されている。))はかなり珍しい。 少なくとも近世以前に建立された七重塔は現存しないという。 では作中で、継国兄弟の最後の手合わせが行われた時期((15世紀中盤以前))においては存在したのか?について調べてみたところ、ほとんどのすべての七重塔は当時、既に焼失((特に落雷による火災が多い))したり戦乱に巻き込まれていたりという。 しかしその中の唯一の例外が、足利義満によって応永6年(1399年)に建てられた京都相国寺の七重大塔である。 この塔は二度の焼失したがその都度再建され、文明2年(1470年)に三度焼失するまでの間、存在し続けたという。 先述の考察では、継国兄弟の最後の手合わせを1516年と仮定したが、これが50年弱ほど前にズラせば、相国寺七重大塔が存在した時期と一致する。 というよりも、この時期に存在した七重大塔は相国寺七重大塔のみである。((もし15世紀前後に存在した七重塔をご存じの方がいればコメントください)) このため、継国兄弟の最後の決戦地は京都である事が確定する。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **このページは考察ではなく妄想なのか?についての反論 題名の内容を某サイトに指摘されたため、ここに反論を記述します。 下記は大抵の方にとっては見苦しいネットバトルでしかないため、一定期間後に削除する予定です。 また該当人物からの再反論があれば、コメント欄にご意見をよろしくお願いします。 以下、具体的な反論を行います。 ・「考察」というものは、「事実」に基づいた推論のことです。 違います。それは「帰納法による仮説」です。 考察とは字のごとく、「(今ある"材料"の中から)考えて(答えを)察する」という行為であり、 必ずしも「事実」から始まる必要はありません。 考察において必要なのは「論拠」であり、必ずしも「事実」だけが採用されるわけではないからです。 先に仮説を立てて、論拠を材料の中から探し当てる行為(=演繹法による研究)を「考察」と呼ばないのであれば、 古代生物学や史学・量子力学の論文には「考察」が存在してはいけないことになってしまいます。 また、ここでいう「事実」をどこに定義するのかは考察者のスタンスに拠ります。 ・アオイさんの名字は、「キメツ学園」では「神崎」となっていますが、本編では未登場ですので、本編のアオイさんは名字不明とするしかありませんでした。しかし、この度、公式ファンブックによって「神崎アオイ」であることが確定しました。このように、「考察」を行うにあたっては、まず「事実」認定から始めなくてはなりません。 当方では、「作中に言及された設定」を第一級資料とし、次いで「史実((例えば、「この世界において日露戦争や第一次世界大戦等の史実が起こったとは限らない」という考えは想定から外します。本編中で否定されれば別ですが、それを想定してしまうとこの世界は「大正日本」ではなくなってしまうからです。))」、「科学的事実((とはいえ、空想科学読本のような「科学的に考えてありえない」という結論は出来るだけ禁忌としています。それを言い出すと「そもそも鬼なんて非科学的」「人間があんなにジャンプできるわけがない」という元も子もない結論に至るからです。))」を論拠とし、最後に作者の言やファンブック((公式の出身地に関してのスタンスは、「隊士の出身地を非公式に妄想してみる」の追記を参照))を引用します。 第一級資料同士に齟齬があれば言及します((例「しのぶさんの毒?珠代様の毒?」))が、史実・科学的事実との矛盾は可能な限り作中設定に寄せて考察しています。((例「彼らはどうやって徴兵を回避したのか?」や「しのぶさんの毒の致死量について」や「黒死牟こと継国厳勝(つぎくにみちかつ)の人生」)) 当方は集英社の鬼滅スタッフに不信((「ほとんどの隊士が東京府出身の理由」の追記に理由を記述しています))を抱いており、ファンブックの内容は必ずしも重視しません。((人名や趣味などの、本編中の描写と競合しないものについては基本的に採用します。)) このように各人が何を重視するのかによって、「事実」という概念すら共有できないのです。 あなたの言う「事実認定」は主観性の強い概念であり、その主張は考察スタンスの多様性の否定に他なりません。 相手のスタンスを尊重することなく、自らのスタンスを押し付ける行為こそが、言論の禁忌ではないでしょうか? ・そのテクニックとして、一例を挙げるなら、「~と思われる」という書き方は要注意です。これには、二通りの意味があるからです。ひとつは、「他者はどうかわからないものの、私には、~と思われる」という意味です。もうひとつは、「多くの人が、~と思うだろうことは、確実性が高い」という意味です。 「~と思われる((「る/らる」は自発・可能・受身・尊敬の意味を持つ助動詞で、「思う」に対しては4種類ともありえる))」は考察においては「自発」を意味する論文で頻出する言い回しであり、「可能」を意味しながらその主体をボカすような意味で捉える人はいません。 この言及はあなた個人の思い込みによる「言葉狩り」に他なりません。 ・「事実」に反しておらず、破綻もない推論が、「正解」かと言えば、そうとは限りません。そのような推論が複数存在する可能性を見落としてはなりません。 ・「妄想」を「正解」と思いたい誘惑は、強いものです。 ・すべてを知ることは不可能なのです。 本考察中で、「正解」を断定することは当方の目的ではありません。 また当方は「事実以外を基にした考察はすべて妄想」とする唯物論を受け入れることはできません。 言論において、「事実が確定したことで考えを支持する人がいなくなる」事は十分にありえますが、それを「妄想」や「無意味」で片付けるのは、愚かです。 一級資料が更新されれば、その考察は「過去の考察」になるだけです。考察が無意味になるわけではないのです。 また常に他の説に配慮しろというのであれば、それは考察どころか言論とすら呼べません。 そもそもの問題として、「自分の説が間違っている可能性がある」のは大前提でしょう。 論議に対しては、「今ある材料の中で、論敵の主張を否定する」以外のことは出来ません。 論敵の考察スタンスに対する攻撃は、誹謗中傷以外の何者でもないことを理解してください。 さらに「あなたの主張には今のところ穴がないが、将来はどうなるのか分からないので評価しない」は、大抵の科学的事実にも適応できる「詭弁」です。 「間違いが確定したのに、自分の説を取り下げない」のであれば非難の対象なのでしょうが、自らの説を発表すること自体を「妄想」と断言されることには強い違和感を覚えます。 あなたの主張は当方に対する「間違っているかもしれないのに偉そうに考察するな」でしかないので、言及する価値がないと判断します。 以上から、あなたの主張は明らかに客観性と科学性を欠いており、当方としては「一個人の偏見」と判断します。 あなたと唯一意気投合できるのはこの意見です。 ・この渦に巻き込まれると、論争・批判・中傷といった攻撃性を発揮し、自他に不快な思いを味わわせることになります。注意されたし。 これについては100%同意します。どうかお互いにこれ以上係わり合いを持たずに済むことを望みます。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- //公共wikiでは視認性重視で説番号は漢数字ではなくアラビア数字を使用願います。(大正風で表現したい気持ちは分かりますがご遠慮願います) ---- *コメント 最新の20件を表示しています。 #comment_num2(noname,size=75,num=20)
*鬼滅の刃考察 鬼滅の刃の考察等適当にまとめ。 ---- #contents(fromhere) ---- **時代設定 「大正時代」の日本が舞台となっている。 さらに詳しく考察するなら、 ① あらすじでは1話の時点で「時は大正時代」と明記してある。 ② 2年後の手鬼「47年前は江戸時代慶応だった」との発言。 両方の条件が成り立つ年を逆算すると、 作中は1話時点で大正元年~3年(西暦1912~1914年)辺り、2年後の選抜試験が西暦1914~1916年辺りと推察される。((第一次世界大戦が1914~1918年、日本は第2次大隈重信内閣ぐらいの頃である。世界と日本の関わりで言うなら所謂21ヶ条の要求を中華民国の袁世凱に突きつけた頃である。)) ③ さらに年号改変日から詳しく考察すると、より具体的な時期が見えてくる。 ・竈門家襲撃直前に、炭治郎が「正月ぐらいは腹いっぱい食わせてやりたい」と発言している事から、第1話は旧正月前((※大正時代はまだ旧正月を祝う事が一般的。かつ第2話の時点で下山すると雪がほとんど融けているため、12月とは考えにくい。))の2月上旬ごろ。 ・大正元年は1912年7月30日始まりなので、第一話の時点での最短は1913年2月。 ・慶応年間のおしまい(=明治開始)は、公式には1868年1月だが、この年の9月に、1/1に遡って明治にするように交付されたため、年号鬼が慶応年間と認識しうるのは、1865年5月~1868年9月の範囲となる。従って狭霧山の隊士選抜試験は1912年5月~1915年9月が範囲となる。1話時点ですでに大正時代なのだとすると、竈門家襲撃は1913年2月と確定する。((1914年以降であると、2年後が1916年になってしまい、年号鬼が47年前に捕まったという事実と矛盾してしまうため)) ・隊士選抜最終試験では、「藤の花が咲く季節じゃないのに」と炭治郎が発言していることから、藤の花が本来咲く時期である4~5月を除外する。すると選抜試験は1915年6月~1915年9月に行われたと断定できる。 ・上記の考察が正しいとすると、年号鬼が鱗滝に捕まったのは1868年。((本人の認識はともあれ、実際には明治期につかまったことになる。 ※47年前と具体的に覚えているならば明治何年かを聞く必要はなかったのでは……)) 年号鬼が捕まった時期についての具体的な年表 ※明治6年までは太陰暦なので、大正時代とは1か月弱ほどズレる ---------------------------------------- ×1865/05/01 慶応開始だが、47年後がまだ明治になってしまうので排除 〇1865/07/30 慶応年間かつ47年前の最短 〇1868/01/01 明治適用だが、遡って適用されたため、「慶応年間に捕まった」との認識とは矛盾しない 〇1868/09/08 明治発表 ×1868/10/23 実際の明治適用だが、1/1に遡って適用されることがすでに9/8に公布されているため「慶応年間に捕まった」とは言いがたい 隊士選抜試験の時期についての具体的な年表 ------------------------------------- ×1912/05/01 慶応から47年後の最短だが大正以前につき除去 〇1912/07/30 大正開始 〇1915/01/01 明治適用から数えて47年後 〇1915/09/08 明治発表から数えて47年後 ×1915/10/23 慶応から47年後の最長だが慶応年間と矛盾するため除去 竈門家襲撃の時期についての具体的な年表 ------------------------------------- ×1912/07/30 大正開始だがまだ夏 〇1913/02ごろ 1913年の旧正月が、2月6日なのでその直前か ×1914/02ごろ 季節的には問題ないが、2年後が1916年になってしまう。 ただし、大正後期のモダンガール服装等も登場しているので、 &bold(){&color(blue){厳密には史実に合わせた設定ではなく、あくまでパラレルの大正時代っぽい世界観だと思われる。}} &bold(){&color(blue){いわゆる大正ロマン表現。}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **政府と鬼殺隊の関係 鬼殺隊は「政府から正式に認められていない組織」と明記されているが、 ① 公務員ではない鬼殺隊が帯刀しているのにスルーしているように見える。しかし、54話にて警官に帯刀をしているため警戒されていた ことから政府のごく一部の人のみが知っている可能性が高い。 ② 鬼殺隊への給金の資金提供の謎。(実は政府からこっそり援助?) ③ 読み切りの設定では鬼殺隊のことを警官も知っていたので政府が裏で公認していた。 読み切り時の設定から大きく変化していなければ政府が裏で援助している可能性が高い。 というか鬼が各地に多数存在している=各地で大量に人が死んでいると考えられるので、 政府に全く情報が入っていないほうが不自然。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **竈門家の場所 本編では「山奥で雪深い場所」「でかいツキノワグマ((最大で180センチを越す個体も存在する))が出る」ぐらいしか手がかりがなかったが、冨岡義勇外伝において、「マタギ文化を有する山村の隣山」という手がかりが増えた。順当に考えれば秋田県で、禰豆子は色白の秋田美人という事になる。((※一応、マタギ文化の南端は新潟県)) とはいえ、外伝は冨岡義勇の「柱としての心構え」という本編とは完全に矛盾した発言((実際に本編中でも伊黒から「柱としての自覚が足りない」と指摘されているが、これは彼が「最終試験で何もできず、ただ生き残った自分には柱たる資格がない」と考えていたからである。そんな彼が説教がましく「柱としての心構え」を他の柱に説くのは完全に矛盾している))から読者からの受けが悪く、これを公式設定とするのは問題がありそうである。 まぁしのぶさんは可愛いけど。 追記: 竈門家の場所は東京府 奥多摩郡 雲取山(現:西多摩郡 雲取山)に確定。((さすがに奥多摩にマタギは……そして北の宿場町とはいったい……)) なお、当時から既に多摩には青海線が開通しており、少し街に出れば汽車を見る事は可能である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **狭霧山の場所 竈門家との位置関係は明らかになっていないものの、1話であれほど雪深かったにもかかわらず、 下山後には全く雪が見えなかったことを考えると、竈門家からは徒歩((13歳の少年が幼児程度の荷物を籠で背負って、である))で1か月以上の道のりがあるほど遠いと推測される。 現実で考えれば高地トレーニング可能で、しかも霧が濃い山地といえば、長野県の「御嶽山」あたりか。 霧のほうに重点を置くならばその近くの「霧ヶ峰」も候補かもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **藤襲山の場所 藤襲山の場所は明らかになっていないが、最終試験合格後の炭治郎が「筋肉痛が癒えないうちに」狭霧山の鱗滝宅に到着していることから、狭霧山からは徒歩で半日~2日ほどの場所にあると想定される。また「日輪刀が出来上がるまで10~15日」かかるとされる中で、「玉鋼を鍛冶の里まで運ぶ」「完成した日輪刀を狭霧山の鱗滝宅に運ぶ」の期間を含めても、炭治郎が鱗滝宅到着から15日後に日輪刀が届いていることから、鍛冶の里からも決してそう遠く離れているわけではない事が推測される。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鱗滝左近治の出身地 ・鱗滝が常に天狗の面を身に着けている ・「日輪刀を折ればお前の骨を折る」と言うほど日輪刀を大事にしている((鬼との戦いで日輪刀が破損するのはよくある事、であるにも関わらずである)) ・鉄鋼塚と親交が深そう((相変わらず人の話を聞かん男だな、と発言している)) ・藤襲山から鍛冶の里までそれほど遠く離れていない 以上の根拠から、鱗滝は鍛冶の里の出身ではないかと推測される。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **少女が消える北西の街の場所 炭治郎の最初の任務の場所であるが、狭霧山からから見て北西の街だという事は明らかになっているものの、距離が不明である。しかし次の任務が東京府浅草であり、しかも炭治郎はこの街を深夜に出発((任務遂行時は深夜であり、鎹烏は任務完了後即座に出発するようにせかしている))してから2日後に到着していることから、この街は北関東のどこかと思われる。 追記:アニメではこの街に電線がかなり普及していることが表現されていた。史実では大正時代前半は、雨後の筍のごとく電線製造所が創立された時期である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鼓屋敷の場所 鼓屋敷は浅草から南南東の箇所にある山間の屋敷である。浅草から南南東の場所に実際にあるのは浦安((しかし浦安には埋立地で山がなく、山間部は存在しない))あたりか。東京湾を迂回し、房総半島の山間部((房総半島は平野部ばかりで山といえるものはほぼないのだが、強いて候補を挙げれば400メートル級の愛宕山だろうか?))に向かうルートであれば、鎹烏は「南南東」とは言わないだろう。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **那田蜘蛛山の場所 鼓屋敷での激闘を終え、藤の家で骨折が完治((2か月ほどだろうか))するころに、緊急指令として向かうように指示されたことから、やはり鼓屋敷からそれほど離れていない場所だと推測される。 浅草から南南東の箇所から最も山地に近いのは房総半島の愛宕山だろうか。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼舞辻無惨が竈門家を襲った理由 鬼舞辻無惨と竈門一族に因縁がある為、まるで竈門家を狙って襲撃したように見えるが、 ①浅草で炭治郎の耳飾りを見て、初めて「過去に鬼舞辻無惨を追い詰めた剣士の末裔」だと認識。 ②浅草で部下に指示を出す際に炭治郎の名前を知らなかった。 よって、竈門家の情報を予め知っていたわけではなく、偶然立ち寄った可能性が高い。 とはいえ、理由も無く山中の竈門家に偶然立ち寄ったという事も考えにくい為、 追っ手を巻く為に鬼を創った可能性も考えられる。たまたま逃走ルートに竈門家があったのかも? あるいは本当に竈門家を狙って襲撃したが、家族構成までは把握していなかったので、外出中の炭治郎の存在を知らずに一族全員を根絶やしにできたと思い込んだ可能性もある。 また鬼舞辻無惨は、「太陽を克服した鬼を作り出し、取り込むため」と「青い彼岸花を捜索させる」の二つの目的((それを阻む鬼殺隊および柱を誅殺する、というのはこの二つの目的を達成するための「手段」であり、副次的になものであって主たる目的ではない))で増やしたくもない同類を増やしていることが判明した。 いずれの目的も人を喰らう鬼の存在が世間に露呈しては都合が悪く、また作り出した鬼がすぐに討伐されても意味がない。 そして悲鳴嶼の出身地のように「夜は鬼が入ってこないように対策する」事が当たり前になっているところでは鬼も活動しにくい。 このため鬼舞辻無惨は必然的に「鬼の存在が知られておらず、しかも殺人事件がすぐには露呈しないような人里離れた場所」に新しい鬼((ある程度人を喰い、偽装可能な血鬼術を身に着けた鬼は人里で活動することが可能になる))を配置することになる。 ((実際に冨岡義勇が来なければ竈門家は炭治郎を含めて全滅していたはずであり、そしてうまくいけば禰豆子は様子を見に来た数人を喰らう事も出来たであろう。)) さらに「青い彼岸花」の捜索範囲を広げるというメリットもあるため、鬼舞辻無惨が「鬼の伝承のない辺鄙な場所の、人里離れた一軒家」を狙うのは自然なことと言える。 まぁどちらにせよ、現時点ではどの説も推測の域を出ないのだが。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼舞辻無惨は何故禰豆子だけ鬼にしたのか 鬼に変貌した直後は極度の飢餓状態になるので、食糧(人間)が必要となる。 よって、適当に1人だけ鬼にして、残りの家族を食糧用としてあえて鬼にしていないと考えられる。 他の鬼の回想から見ても、鬼にされた者は一番初めに家族を喰べている描写が多々ある。 実は鬼舞辻無惨が家族同士で食人させたいだけの悪趣味な遊びかもしれない。 あるいは、日の呼吸の協力者だった竈門一族の最後の一人を鬼にすることで、一族を貶めて憂さを晴らしたという線もあり得る。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼舞辻無惨が浅草にいた理由 設定上、鬼舞辻無惨自ら鬼を造る必要があるので、 全国に鬼が存在するならば、鬼舞辻無惨は全国を行脚していると考えるのが妥当である。 よって、浅草に住んでいるのではなく、行脚中にたまたま浅草に寄った可能性が高い。 家族には商談と説明しているシーンがあるので、商談行脚に装っていると推察される。 けしからん輩や観光客に紛れる事で鬼狩りから身を隠すことが可能((しかし当の無惨様はプライドが許さないためか、上流階級や富裕層に溶け込むことを好むため、このメリットは薄い))であり、 しかも堕姫を配置した吉原にも程近いため、情報収集に適した場所でもある。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **浅草の鬼舞辻無惨と累回想の鬼舞辻無惨が別人に見える件について 浅草の鬼舞辻無惨と累回想の鬼舞辻無惨では明らかに髪質が違う為、別人のように見える。 よって、本物の「月彦(人間)」を殺害し、月彦の姿に擬態して成り代わっているのではないかと推察されている。 追記:第51話では女性の姿に擬態していたことから、月彦の姿も擬態していた可能性が濃厚となった。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **冨岡義勇の「傷口に鬼の血を浴びたから鬼になった」発言 まるで「その辺の鬼の血を浴びたら鬼になってしまう」的な発言だが、 実際は鬼にできるのは「鬼舞辻無惨」の血液のみ。(一部例外有り) 一見、義勇さんの説明が間違っているような印象を受けるが、 鬼の存在を初めて知ったばかりの人間に 「傷口に"鬼舞辻無惨"の血を浴びたから鬼になった」と説明してもピンと来ないはず。 さらに珠世様の研究によれば、鬼には鬼舞辻無惨の血液が量の大小を問わず必ず含まれているため、一般人が鬼から血液を浴びた際に、その血液中に運悪く鬼舞辻無惨の血液が含まれてた場合には鬼化してしまう可能性は十分にある。((実際に不死川玄弥はこの特性を利用して鬼化していると思われる)) このため鬼の関して無知な一般人にも解り易く説明するなら 作中通り「傷口に鬼の血を浴びたから鬼になった」が妥当ということですね。"わかるよ" &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **冨岡義勇は本当に遅刻キャラなのか 「あと半日早く来ていれば(略)」との描写がある為、一見任務に遅刻して無惨を獲り逃したように見える。 しかし、元々の目的地が竈門家もしくは鬼舞辻無惨を追っていたとは明言していない。 仮に目的が竈門家の警護だったと仮定すると、生き残りの炭治郎を保護するはずなので、おそらく違う。 また、鬼舞辻無惨を追っていたのなら、のんびり炭治郎が起きるのを待つのもおかしいので、これもおそらく違う。 よって、別の任務の帰り道だった、もしくは鱗滝さんに挨拶をしてきた帰り道等に「偶然」炭治郎と遭遇しただけの可能性がある。 つまり「あと半日早く来ていれば(略)」=「あと半日早く(ここを偶然通って)いれば(略)」なのかもしれない。 さらに言えば、本当に無惨を追っていたとしてもそもそも発見報告そのものが遅かった可能性もある。 %%炭治郎と禰豆子を迎えに来た鱗滝さんも、到着があと数時間早ければ惨殺された家族を救えたのも内緒。%% 結論として、&bold(){&color(blue){「義勇さんは遅刻してない!」}}←結局これが言いたかった為に理屈をこねたのです。"わかるよ" &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **冨岡義勇の手紙の違和感 鱗滝に宛てた手紙に''「鬼殺の剣士になりたいという少年をそちらに向かわせました」''の一文があるが、 1話時点では、 ①「鬼」なら禰豆子を元に戻す方法を知っているかもしれない。 ② 弱いままでは「鬼」から情報を得られない。 ③ 狭霧山の鱗滝左近次に会え。(会う理由は伝えず) 以上、3点しか炭治郎に伝えていません。 実際に「鬼」から情報を得る為には鬼よりも強くなる必要があるので「鬼殺の剣士」になるべきという論理は正しいが、 炭治郎は1話時点では「鬼殺の剣士以外だと鬼を殺せない」ことを知らないので、「鬼殺の剣士になりたい」とは義勇に一言も伝えていない。 この時点では義勇は炭治郎の心情を知り得ないはずので、この手紙の一文は齟齬をきたしている。 ※読者視点では炭治郎が「なんらかの方法で強くなる決意をした」描写はあるが、具体的に「鬼殺の剣士を目指す」ことを伝えた描写はない。 ※炭治郎視点では「鱗滝左近次という人物の正体は不明だが、とりあえず助言に従ってみる」形になる。 しかし、3話に登場した鱗滝さんの「鬼殺の剣士の適正を試す」発言に炭治郎が疑問を持たず従っている。 読者視点ではここで初めて炭治郎が1話最後の時点で「鬼殺の剣士」を目指す決意をしていたことを知ることになるので、 炭治郎が「鬼殺の剣士」を目指したい心情と義勇さんの「鬼殺の剣士」への推薦が偶然噛み合っただけ=結果オーライという現象になっている。 結果論では手紙の内容は正解だったが、義勇さんはどのようにして炭治郎の心情を知り得たのか。 この部分の展開のズレを整合させる為に考察するなら、 &bold(){&color(blue){説①:義勇さんが炭治郎や善逸のように心情が読める能力持ちで『炭治郎が鬼殺の剣士になりたい』感情を読み取った。(これなら一切問題無し)}} &bold(){&color(blue){説②:手紙は義勇さんの先走りだが、炭治郎の嗅覚で『鬼殺の剣士を勧める匂いがした!』(炭治郎の嗅覚パネェ論)}} &bold(){&color(blue){説③:手紙は義勇さんの先走りだが、炭治郎の希望と偶然合っていた。(運命論)}} &bold(){&color(blue){説④:義勇さんが「炭治郎に直接鬼殺の剣士を勧める話をした」と思い込んでいた。(うっかりです、てへ論)}} &bold(){&color(blue){説⑤:吾峠先生は天然だから。(ド本命)}} 以上のどれかの説で解決。 また炭治郎も「俺が誰も傷つけさせない」「家族を殺した奴も見つけ出すから」「俺が全部ちゃんとするから」と全面的に責任を取る旨の発言をしており、 特に「俺が全部ちゃんとするから」の発言を義勇さん目線で拡大解釈すれば、炭治郎の発言は実質的に「何でもしますから」と同義である。 安易に「俺が全部ちゃんとするから」とか言っちゃダメなのである。 え?フォローが苦しい?"わかるよ" 余談:単行本5~6巻あたりの描写では義勇さんがかなり天然っぽいので、説④が本命の可能性が濃厚に?"わかるよ" &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **『錆兎を斬ったと思ったら岩が斬れていた』描写のモデル 奈良県天石立神社:&bold(){&color(blue){『一刀石』の伝説}}がモデルになっていると思われる。 #blockquote(){&bold(){柳生新陰流の始祖・石舟斎(柳生宗厳)が戸岩谷(といわだに)の山で三年間、天狗を相手に剣術修行を重ねる。&br()最後に天狗と試合をし、一刀のもとに斬り捨てたと思いきや、天狗の姿が消えて2つに割れた巨石が残ったという逸話。}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **『厄除の面』は『厄寄せ』の面だったのか 皮肉にも『厄除の面』が手鬼のターゲット目印となっていたので、逆に厄を呼び寄せているように見える。 しかし、炭治郎も手鬼に狙われたが、初撃を受けた際に『厄除の面』が割れていることから、 本来なら即死のところを『厄除の面』が身代わりになってくれたのかもしれない。 ※初撃で&bold(){&color(red){「顔面を抉る攻撃」と「ボディーブロー」の二点同時攻撃}}を喰らっており、   『厄除の面』と同箇所に痕が残る程の深い傷を負っているので&bold(){&color(red){『厄除の面』がなければ即死していた可能性が高い。}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **第6話最終選別開始時のクール系強キャラに見える善逸 開始前から顔を怪我しており、一見歴戦の猛者に見える。 しかし、善逸の性格が判明した現在では どう考えても最終選別の参加を渋って育手のじいちゃんに顔をゴチンゴチンされたとしか思えない。 追記:アニメの大正コソコソ話でこの説が事実と確定した。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **第9話にて禰豆子が鱗滝さんの玄関戸を蹴り飛ばした理由 鬼になってから頭の働きが鈍っているとはいえ、他にも原因があるのかもしれない。 説①:炭治郎が帰ってきた気配を感じてテンションが上がった。 説②:建付けが悪くて中々開かなかったのでイラッとして蹴り飛ばした。 説③:人間だった頃も意外と足癖が悪くて障子とか足で開けていた。   (よく六太をおんぶして両手が塞がっていたので) &bold(){&color(blue){結論、扉を蹴り飛ばす禰豆子がお転婆可愛いからどうでも良い。}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **何故鎹鴉は人語を話すのか 一切謎。品種改良した鴉とか?鬼殺隊当主:産屋敷耀哉の術とか? 実際に人語を話す鴉は存在するが、このような鴉の共通点は人に保護されていることである。 これは人の環境に適応するためと考えられており、この条件を満たすような鴉を話せるように 教育することは可能である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **何故善逸の鎹鴉のみ雀なのか 一切謎。まあ善逸だしね… 追記:あえて「善逸に鎹雀が割り当てられた理由」を推測してみると…… 「聴力に優れており、音によって感情を推測することが可能な善逸ならば、チュン太郎の言葉を理解できるはず」という期待の元、チュン太郎が割り当てられたのかもしれない。((あるいは歴代の雷柱、鳴柱、音柱にそれができた実績があったのかもしれない)) しかし本編の描写を見る限り、善逸は音によって相手の強さや状態を測る事は得意であるものの、感情の読み取りはあまり得意ではなく((しのぶさんの音を「規則性がなくてちょっとこわい」と表現しており、しのぶさんの内に秘めた怒りを見いだせなかった))、むしろ嗅覚に秀でた炭治郎のほうが長けている((これは嗅覚のほうが聴覚よりも感情を探るのに優れているというよりは、善逸の精神が他人の気持ちを慮れるほど成熟していないことが原因か。))。 結果論だが、鎹雀はむしろ炭治郎に割り当てられるべきであった。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **何故チュン太郎((アニメの大正コソコソ噂話で「うこぎ」が本名であることが判明した。チュン太郎は善逸が付けた名前のようである))の鳥語が炭治郎のみ理解できるのか 聴覚特化なのに善逸が鳥語を理解できず、嗅覚特化の炭治郎が鳥語を理解できる理由は一切謎。 5巻オマケページでは、柱であるしのぶさんにすら鳥語が通じてない為、炭治郎だけが特別に鳥語を理解出来る模様。 長男すごい。 追記:前述の通り、善逸は他者の感情を音で読み取るのが下手であり、むしろ炭治郎のほうが的確に感情を読み取ることが出来ることから、炭治郎が鳥語を理解するのは当然と言えるかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **珠世様の年齢について 鬼化の研究に200年以上掛かったとの発言から、 少なくとも&bold(){&color(red){《この先の文章は浅草のYさんによって目隠しされました》}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **珠世様と鬼舞辻無惨の関係について 珠世様は鬼舞辻無惨の呪いを解除に成功する程に「鬼舞辻無惨に対しての理解」が深い。 また、鬼舞辻無惨の性格を熟知している発言、鬼舞辻陣営からは「逃れ者」と呼ばれていることから、 元々は鬼舞辻無惨に近しい関係だった可能性がある。 具体的に言えば元十二鬼月とか鬼舞辻無惨の血縁者とか元妻とか元恋&bold(){&color(red){《この先の文章は浅草のYさんによってズンッされました》}} また、メタ的な考察として2巻表紙と表紙カバー下の同ポーズの対比が挙げられる。 2巻表紙の炭治郎は表紙カバー下では禰豆子に、 表紙の鬼舞辻無惨は表紙カバー下では珠世様にそれぞれ差し替わっている。 この部分が作者の隠しメッセージだと仮定すると、 &bold(){表紙:炭治郎&bold(){&color(blue){(兄)}}→表紙カバー下:禰豆子&bold(){&color(red){(妹)}}なので、} &bold(){同様に表紙:鬼舞辻無惨=&bold(){&color(blue){(兄)}}→表紙カバー下:珠世様=&bold(){&color(red){(妹)}}で&bold(){&color(red){兄妹}}の可能性があるという説。} まあ、ただ単に表紙が男同士だったから表紙カバー下を女同士にしただけで深い意図はないかもしれないけれども。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんの持つ鬼殺しの毒について しのぶさんの持つ鬼殺しの毒は、本来なら「日輪刀で頸を斬らない限り絶対に死なない鬼」を、頸を斬る力のない人間でも殺せるようになるという代物。これが本当ならば、この毒を鬼殺隊の全隊員に配布すれば、鬼の頸を斬るだけの力はなくとも俊敏で体術に長けたものでも即戦力になるはずである。%%しかし、現段階でこの毒を使っているのはしのぶさんただ一人である。%% 説①:「蟲の呼吸」を使えなければ扱えない毒であり、「蟲の呼吸」を習得していなければ使用者に副作用が起こる。 説②:非常に希少、または作るのに手間がかかるため柱であるしのぶさんの使用分ほどしか確保できない。 説③:思惑があってしのぶさんが製造方法を秘密にしている。 追記: 宇髄天元の嫁のひとりである雛鶴さんが、藤の花から抽出された毒をクナイに塗って射出武器として運用している。 明言こそされていないものの、鬼殺の剣士以外の非戦闘員用武器として、しのぶさんの鬼殺しの毒が実用化されている可能性がある。 また緊急出動が当たり前である鬼殺の剣士は、頻繁な補給を見込めないため、消耗品に頼る事は好ましくないのかもしれない。 さらに藤の花にはマメ科特有の毒性物質であるレクチン((ちなみに鬼が嫌うものといえば一般的には『魔滅(まめ)』の言葉に掛けた大豆である。マメ科植物特有のレクチンが鬼の弱点である可能性は高い))などの有毒成分が含まれており、非加熱で高濃度に抽出した場合、人体に悪影響を及ぼす可能性がある。 このため、元忍や野生児のように対毒耐性の高い隊士以外は使用しないほうが安全である。 再追記: 上弦の弐、童麿は那田蜘蛛山でしのぶさんが使った毒の情報を収集済み((彼女の毒で倒された鬼は肉体が崩壊しないため、情報収集が可能だった))であり、その毒効も把握していていた。 しのぶさんはその状況を「やはり」と評し、しかも「毒は諸刃の剣」とまで言っていることから、毒の対策がなされてしまう事を案じていたと思われる。 鬼殺隊が毒の優位性を保ち、さらに標的の童麿を倒すための作戦を実行するためには、他の隊士にとって非情ながらもこの状況は已む無しだったと思われる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **カナヲが毒使いではない件について カナヲはしのぶの継子だが禰豆子を倒そうとした際に普通の日輪刀で頸を斬ろうとした。理由として、以下 説①:カナヲの場合、頸を斬れるだけの力があったため。(しのぶは呼吸を教えるだけなのか) 説②:毒を扱うのはしのぶの実験的なものである。 説③:わざとしのぶが呼吸法しか教えていない(剣術はあった、実戦での調達の考慮等) 追記: カナヲは蟲の呼吸ではなく、花の呼吸の使い手であることが判明した。蟲の呼吸が花の呼吸の派生であり、しのぶさんが修行中に呼吸を派生させたのであれば、カナヲが花の呼吸の修行をしていたのも不自然ではない。 また自然界において毒は蟲の専売特許というわけではなく、たとえば蛇の呼吸の使い手が毒を扱う可能性もある。 再追記: しのぶさんが毒を使うようになったのは、姉の仇「童麿(上弦の弐)」を倒す事を目的としていたことが判明した。 敵討ちに際しては「自らの犠牲を顧みず、藤の毒に侵された状態で仇に喰われる」事を前提としていたため、未来あるカナヲを毒使いにするのは躊躇われたのかもしれない。 また、しのぶさんは非力を補うために毒使いになったという経緯があり、身体能力に長けているカナヲ((負傷上がりとはいえ、炭治郎・善逸・伊之助の三人が追いかけっこで敵わない))には少々ミスマッチな呼吸である。 むしろカナエ姉さん((しのぶさんよりは上背があり、力もあった))の呼吸法である花の呼吸を修めさせることにより、後を継いでほしかったのかもしれない。 調合作業は蝶屋敷のアオイ達に任せてもよい作業であるにも関わらず、そういった描写が無いことから、調合作業には藤の花の毒に侵される健康リスクがある可能性がある。 そして悲しい事に、それは自身の体を藤の花の毒で満たす事を目的とする彼女にとって都合がよかったのである。 再々追記: 胡蝶カナエは不死川実弥が柱になるよりも前から花柱であったことが確定した。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **カナヲの名前の由来について 引き取り人の「胡蝶カナエ」から名前の一部を貰っていると推察されるが、何故&bold(){&color(blue){「ヲ」}}の文字を選択したのか? 一部のファンの間ではこのように推察されている。 &bold(){&color(blue){【カナエ→カナヲ】⇒【「エがヲ」になる】⇒【「笑顔」になる】}}から。 流石にこじつけが過ぎるって?カナヲは可愛いから大丈夫!(正義!!) &del(){ワニ先生「あ、確かに」} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼殺隊の隊服は雑魚鬼の牙と爪では傷が付かない設定なのに列車運転手の千枚通しが刺さったのは何故? 一見矛盾しているように見えますが、実は全く矛盾していません。 現実で実際に販売されている薄型の防刃服も引っ掻きには強いですが、繊維の隙間を通る&bold(){&color(blue){針状の刺突には耐性が無いのが普通}}です。 &bold(){&color(blue){そもそも布に針と糸が通らなければ服として加工出来ませんので、針状のものは貫通するのは当然です。}} 隊服に厚みがないので、厚みのある防刃ベストのように繊維の内側に金属板などを埋めていないと推察されます。 さらに単行本7巻のオマケページにて、魘夢が人間に持たせた千枚通し(錐)は特別製で、持ち手は魘夢の骨、切っ先は魘夢の牙で出来ている&十二鬼月クラスの牙は隊服では防げないと補足説明有り。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **第85話で炭治郎と過去の葵枝が歌っていた『子守唄』について 実在する佐賀の子守唄&bold(){&color(blue){『小山の子うさぎ』}}が元ネタ。 https://www.youtube.com/watch?v=1E8JKf_AXeU #blockquote(){&bold(){こんこん小山の子うさぎは&br()なぁぜにお耳が長うござる&br()小さい時に母様(かあさま)が&br()長い木の葉を食べたゆえ&br()そーれでお耳が長うござる&br()&br()こんこん小山の子うさぎは&br()なぁぜにお目目が赤うござる&br()小さい時に母様が&br()赤い木の実を食べたゆえ&br()そーれでお目目が赤うござる}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **煉獄父が自分の才能に絶望した理由 本編では煉獄父は長男の杏寿郎と自らを「大して才能がない」と断言しているが、その根拠には特に触れていない。 しかし日の呼吸の使い手および痣についての説明がなされた今、「自らにも杏寿郎にも痣が現れなかったことに絶望した」と推測することが可能である。 実際に産屋敷あまねが「痣が発言しない為、思いつめてしまう方が随分いらっしゃいました」と発言していることから、煉獄父はこれに絶望した可能性が高い。 杏寿郎およびその後継にそういった絶望を与えないために、代々伝わる歴史書を破損させたと思われる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **十二鬼月が組織された時期について 猗窩座 (あかざ)が鬼にされた際に、無惨様が「強い鬼を十二体ほど造ろうと思う」と発言していることから、猗窩座は十二鬼月の初期メンバーと思われる。 江戸を追放された先で花火が毎年行われていることから、猗窩座がスカウトされたのは17世紀後半以降(=1648年に江戸で花火禁止令((意外にも江戸において花火はかなり初期から行われている。しかし17世紀後半には江戸においては花火禁止令が出され、花火は地方都市に移っていった。)))の地方都市と思われる。 これより後に鬼になった童磨については、新興宗教の教祖(一族)という描写から、黒住教、金光教、天理教あたりがモデルの可能性が高い。 これらも江戸時代後期(=1814年に黒住教は成立)にルーツを持つことから、19世紀初頭((1916~1917年から数えて113年前、すなわち1803~1804年ごろに上弦の鬼の集合がかけられていることから、その頃には鬼であったと思われる。これは自身の回想の「100年以上生きた」という発言とも一致する))ごろの地方都市((岡山や奈良のように江戸から遠い場所))と思われる。 堕姫および妓夫太郎については、羅生門河岸((羅生門河岸は、いわゆる新吉原移転(1656年)後))出身であり、また童磨によって鬼にされていることから、やはり19世紀初頭ごろに鬼になったと思われる。 当道座((世界に類を見ない盲人の互助組織である当道座は、江戸時代以前から存在する。なお江戸時代以降は当道座の官位は金で買えるようになったため、江戸時代は金に汚い盲人が増えた時期とも言える。当道座には自治権があったものの、殺人等の重罪については幕府側に裁断権があったため、半天狗の裁判描写は史実どおりのリアルである。殺された盲人が「奉行所に行く」と言っていたのはおかしいが、それほど教養高かったわけではない盲人が当道座の司法権に無知であることは不思議なことではない))に属していたと思われる半天狗は、時代の断定が難しい。 奉行の髷の形が時代劇でお馴染みの大銀杏であることから、江戸時代後期と思われるが、時代を断定する根拠に乏しいからである。 玉壷が固執する壷は、陶器ではなく磁器のように見える。日本において磁器が伝来したのは1610年代とされている。((また左右対称(シンメトリー)に拘り、自然の理に反することを好むのは大陸の美意識のように思える。)) 黒死牟については、戦国時代の鬼殺の剣士((顔に浮き出た痣、赤く色変わりした刀、鬼になるまで3日かかったほどに強い剣士であることから、もはや確定と言ってもよい))が鬼に堕ちた可能性が高い。他の上弦は少なくとも江戸時代以降に鬼になっている((花火、磁器、新興宗教、吉原羅生門など江戸時代以降でしか存在しえないメンバーは多い))ことから、十二鬼月の結成以前から鬼であった唯一のメンバーである。 追記: 彼の人間時代の本名は「継国厳勝(つぎくにみちかつ)」であり、月の呼吸の使い手であることが判明した。さらに最低でも300年以上生きていることが判明した。 安土桃山時代(織豊政権)に生まれ、鬼狩りをしていたのではないかと推測できる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **お館様の病状と柱が入隊した順番 お館様の病状の変化は、柱が入隊した時の回想および本編中の描写によってある程度分かる。((病巣は左側が進行していることもあれば、右側に寄っていることもあるため、体調によってある程度変わるのかもしれないが。)) ・悲鳴嶼:顔はキレイなまま ・宇随:左目周辺のみに病巣あり ・不死川:額全体に病巣あるも右目に到達していない(目は左目のみ白濁) ・甘露寺:額全体に病巣あるも左目((この時期に限り、左目に病巣がない。時期によって病巣が移動しているように見える。あるいはただの作画ミスか))に到達していない(目は両方とも白濁) ・時透:病巣が完全に両目を覆い、右目下の病巣は頬に到達 ・塁撃破時:病巣が完全に両目を覆い、目は白濁し失明 ・魘夢撃破時:病巣が左頬および首の左側に到達 ・堕姫撃破時:病巣が頬を覆い、吐血 ・柱稽古時:病巣が首に到達し、寝たきり 時透は11歳で刀を握り、そのまま2か月で柱になったことと、さらに炭治郎よりも年下であることから、現在11~14歳と思われる。 甘露寺の入隊が「2年前」と明示されており、病巣が時透の時よりも小さい事を考慮すると、13歳未満とするのが妥当か。((作中、小柄で上背が足りないと描写されるしのぶさんとほぼ同じ身長に描かれている)) 時透家の悲劇および甘露寺の入隊は炭治郎が鱗滝の元で修行していた時期という事がわかる。 追記:ファンブックおよび黒死牟の発言により、時透の年齢は14歳で確定。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正時代の科学技術知識 本作には時代に合わせた科学技術および知識が登場する。 ・蒸気機関車→明治初期に品川横浜間で開業 ・遺伝→メンデルの遺伝の法則は1865年((「遺伝子」の概念は1909年))に発見される ・養蜂→明治末にセイヨウミツバチによる養蜂は本格化し、大正時代には全国に普及済み ・点滴→点滴の歴史は古く、17世紀には行われていた資料がある。しかし感染症等のリスクが高く、パスツールによる細菌学が確立するまでは普及していなかった。日本には明治初期に伝来した。 ・輸血→珠代様が募っているのは「輸血」ではなく「献血」であり、さらに言えば「売血」である。日本で輸血が始まったのは1919年であり、珠代様の医学知識は当時の日本人の科学水準を超えていることになる((とはいえ、提供者の血液型を調べる必要がなく、輸血行為そのものも行わないため、それほど高度な医療技術と言うわけでもない)) ・稀血→RHマイナス型などの珍しい血液型を差す医療用語。発生確率1%未満の血液型を差す言葉であり、多くの場合、遺伝とは関係なく発生する。この中でもさらに珍しい血液型も存在し、例えばボンベイ型の場合の発生確率は1/1,000,000 であるという。 ・体温計→明治時代に医療施設に普及した。((当時の日本は体温計の輸入をドイツに頼っていた。しかし第一次世界大戦が起こったことで供給が長く途絶えた。まさに本編中の話である。このため、この時期の体温計は貴重品であった)) ・カステラ→大正時代の高級スイーツ((卵と砂糖がふんだんに使われているため原価も高く、生菓子であるため消費期限が10日程度であるため庶民が気軽に食べられるものではない))であり、見舞いの品((結核などの消耗性疾患に対する一種の栄養剤という側面があった))には十分である ・電球→不死川兄弟の回想で、不死川母が天井の電球を破壊するシーンあり。明治末期から大正にかけては電球の普及期であり、都市では電気化が進められていた。((アニメでは街に電線が普及している描写あり)) ・栄養→古来からその概念そのものはあったものの、用語が統一されておらず、当時は東洋医学用語の「滋養」の方がよく使われた。また「営養」の文字も同じくよく使われた。これが「栄養」に統一されるのは大正後期から戦後にかけてである。また「栄養価」の概念はビタミンBの発見後となるため、この時点では使われていない可能性が高い。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **獪岳の生涯について 岩柱・悲鳴嶼の回想では、保身のために他の子どもを売って生き延びた子供が一人いたが、その子供には勾玉の首飾りがあったため、獪岳ではないかと推測されている。 その後、泥水を啜るような孤児生活を経て元・鳴柱である「じいちゃん」の元で修行を重ねる。 この時の善逸とのやり取りでも勾玉の首飾りがあることから、よほど大事なものだったのであろう。 善逸に先んじて鬼殺の隊士となるものの、上弦の壱・黒死牟に惨敗し、命乞いをして鬼に堕ちた。 その結果、雷の呼吸の使い手から鬼を出したことの責任を取って、師である「じいちゃん」は責任を取って腹を切り死亡。 ほどなくして無限城で善逸と再開し、善逸のオリジナルの型に敗れて首を斬られた。 首の崩壊が始まっていたことから、上弦の鬼特有の「首を切られても大丈夫」なギミックは発生していなかったと思われる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **青い彼岸花の正体についての考察 名前のみで実在すら確定していない「青い彼岸花」であるが、「彼岸花」自体は本編中に3度、登場している。 ・第39話「走馬燈の中」の回で炭治郎の走馬灯 ・第146話「誇り」の回で善逸の三途の河原でのじいちゃんとの会話 ・第163話「心あふれる」の回でしのぶさんとカナエ姉さんを迎えに来た両親の足元 いずれもとも色が明示されていないのだが、炭治郎の回想以外は普通の赤い彼岸花であった((不思議な表現であるが、ジャンプのダウンロード版に限り、特定の作品のカラー版を読むことができる。しかし着色作業は外注しているようなので、その信ぴょう性は怪しい)) この描写から、青い彼岸花は実在の世界ではなく、死の淵に立たされた人間が見る精神世界にのみ存在する可能性がある。 なお、アニメ第1期の1クール目のEDでは赤い彼岸花が序盤に登場する。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼滅の刃におけるオマージュ考察一覧 作者が影響をうけた作品は”「ジョジョの奇妙な冒険」「NARUTO」「BLEACH」を筆頭に多数”と作品紹介ページ等で作者コメントしている。 ここではそれに加えて、関係のありそうな多作品を羅列する。 ・鬼と呼吸法→もちろんジョジョの吸血鬼((そもそも日本の鬼伝説では陽光が弱点ということはなく、鬼が鬼を増やすという伝承もない))と波紋((波紋の戦士とは異なり、鬼滅の剣士は鬼に堕ちても呼吸を使う事が出来る)) ・柱→主人公の所属する組織の精鋭の原型は聖闘士星矢の黄金聖闘士((黄道十二宮をモデルとする黄金聖闘士は88の星座の頂点に位置する12人))やブリーチの護廷十三隊((13の部隊がそれぞれ隊長と副長、さらにはヒラ隊員までいるため、少年誌の組織としては珍しく大隊~連隊ほどの人数が所属する組織である。「特に護廷十三隊の話題が打ち合わせ中によく出て来ていた」と高野編集証言有り。))か ・十二鬼月→Hunter×Hunterの幻影旅団やブリーチの十刃など、敵組織の幹部は様々な作品で描かれる。((ただし物語が間延びすることを嫌ってか、敵幹部の数が10を超える作品はあまり多くない。ラスボスに粛清されるのはお約束だが、全体の1/3の数がラスボスに粛清された作品は皆無だろう)) ・十二鬼月の目に通番→Hunter×Hunterの幻影旅団は体に蜘蛛の刺青があり、そこには通番が振られている。 ・柱の腕相撲ランキング→Hunter×Hunterの幻影旅団も同様に腕相撲のランキングがあった。 ・隊士選別最終試験→ナルトの中忍試験((若手忍者の出世試験))やHunter×Hunterにおけるハンター試験((組織への所属を掛けた登竜門と言う意味ではこちらの方が近いか)) ・色変わりの刀→ブリーチの斬魄刀((持ち手の個性によって刀の形状や特性が変わる))とHunter×Hunterの水見式((コップを水を入れて葉っぱを浮かべて念(発)を使うと、属性に合わせた変化が発生する)) ・呼吸による属性→陰陽五行説と相性が良いため、東洋風ファンタジーでは定番であったが、ナルト等でも使われる ・異形の肉親を人間に戻す旅→鋼の錬金術師((主人公のエドは、鎧だけの体になってしまった弟アルを人間に戻す目的で旅をしている)) ・キメツ学園→進撃の巨人の「進撃のスクールカースト」((進撃の巨人の巻末オマケ漫画。オマケ漫画という点でも設定が酷似している)) ・サイコロステーキ先輩→映画バイオハザードのレーザートラップ ・爆血刀→るろうに剣心の無限刀((志々雄が持つこの刀は伊之助と同じく意図的に刀を刃こぼれさせており、火産霊神(カグヅチ)という技名は、鬼滅の刃のタイトル案の一つでもある。大型甲鉄艦の艦名が「煉獄」なのも関係あるかもしれない。)) ・玄弥の鬼喰い→テラフォーマーズ((火星で繁殖したゴキブリを退治するために人間が多種多様な生物の能力を取り込み、さらにゴキブリ側もその能力を取り込んで戦うため、玄弥の設定のモデルになっていると言ってよい))で同じく消化力に長けたジョセフ((ただし作中でジョセフは能力を取り込む目的で捕食したわけではなく、単純にその消化力を活かして栄養補給をしたものと思われる))。 ・甘露寺の刀→るろうに剣心の「薄刃乃太刀」か、ベルセルクの「ウルミン」 ・甘露寺の制服の着こなし方→ブリーチの松本乱菊か((和風ファンタジー日本刀持ちの巨乳女性はおっぱいを強調するのはある意味読者サービス的お約束といえる)) ・甘露寺の捌倍娘設定→アクマゲームと嘘喰いと喧嘩稼業にてミオスタチン関連筋肉肥大((筋肉成長抑制ホルモンの異常により、筋肉が高密度で発達する病気))は取り上げられている((フィクションでは常人と変わらない体格に高密度な筋肉と描かれることが多いが、現実では「筋肉が制限なく付く」という病気であり、甘露寺と同じように大量のカロリー摂取を必要とする)) ・狛冶の素手による人体破壊→シグルイにおいて、虎眼流の使い手は素手による人体破壊を頻繁に行い、また大量惨殺も珍しくない。 ・不死川実弥は胸元を大きく開けるスケベ→ゴールデンカムイの谷垣。((不死川と同様に胸元を大きく開いており、作中ではスケベマタギと呼ばれている)) ・お館様は死んだ隊士の名前をすべて覚えている→ガンダムWのトレーズ・クリシュナーダの「聞きたいかね? 昨日までの時点では、99,822人だ」 ・痣が発現した剣士は25歳で死ぬ→進撃の巨人((巨人の能力を受け継いだ者はその時点から13年後に死ぬ))やHunter×Hunterのクラピカ((寿命を削って能力を使う))が近いが、残りの寿命ではなく絶対的な享年で寿命が決まる設定は他に見当たらないかもしれない。また寿命を削る設定は確かに恐怖を煽るものの、実際にそれが原因で命を落とす例は多くない。((強いて言うならば、天津飯の気功砲ぐらいだろうか?)) ・悲鳴嶋は盲目を反響定位((エコーロケーション。動物が自分が発した音が何かにぶつかって返ってきたもの(反響)を受信し、その方向と遅れによってぶつかってきたものの位置を知ることである。各方向からの反響を受信すれば、周囲のものと自分の距離および位置関係を知ることができる))で補っている→ゴールデンカムイの都丹庵士 ・伊之助の関節外しによる狭所通過→ジョジョ二部((柱の男・サンタナが披露した))およびゴールデンカムイの白石((特異体質で関節を自由に外すことができる。脱獄王)) ・肺を凍らせる血鬼術→ジョジョ一部においてディオ・ブランドーが披露している。 ・指を眉間に刺して脳をグリグリ→ジョジョ三部におけるDioの「最高にハイってやつだ!」 ・伊之助の伸・うねり裂き→関節外しによるリーチ延長はジョジョ一部((ジョナサンによるズームパンチ))を始め、数多くの作品で見られる((ただしカナヲが驚いていた通り、現実には関節外しは我慢できないレベルの痛みが伴う)) 上記は近年の少年漫画では王道展開・オマージュ((某サイトから「根拠もなくオマージュ判定をするな」という指摘を受けましたが、本来のこの考察の題は『鬼滅の刃における「どこかで見たことある」既視感の正体』です。ここでの考察の命題は「読者視点において鬼滅の刃の設定が目新しいものではないと感じる根拠」であるため、当方はオマージュと判定することを目的としていません。このため「薄刃乃太刀」の元ネタであるインド武術用具「ウルミ」や、ジョジョ3部の元ネタであるエジプト9柱等の「元ネタの元ネタ」には言及していません。また当方は作品考察においては「作者の意図や作者自身の知識」を考慮しません。原則的に作品の内容こそが考察対象の全てです。次いで史実・科学・作者の後書き・ファンブックの順番で考察対象とします。作中の設定同士に矛盾があれば指摘しますし、不必要に史実や科学事実に反する描写があれば、作者サイドの無知・無理解にも言及します。))と呼べるものであり、作品を貶める理由にはならない事を念のため。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんの毒の致死量について しのぶさんの毒は、あの刀で「せいぜい50ミリ」の毒を打ち込むことが可能であり、「37キロ((しのぶさんの体重は大正時代の本来の表記ならばほぼ10貫))は上弦の鬼の致死量のおよそ70倍」であることが判明している。 しのぶさんの体重は37キログラムなので、70分の1(=0.52キログラム=520グラム)という数値が上弦の鬼の致死量と見積もっていたことになる。 しかし上記の場合、しのぶさんの体重はほぼ100パーセント藤の花で構成されることになってしまう。 血液、内臓、爪の先に至るまで高濃度に藤の花の毒が回っているとはいえ、生体が藤の花だけで構成されるというのは現実的ではないため、いろいろと考察してみようと思う。 まず問題なのは、「50ミリ」が「50ミリグラム」と「50ミリリットル」のどちらを示しているのかという点である。 水(液体)の場合、1ml=1g=1000mgなので、50ミリリットルは50グラム(=50000ミリグラム((おおよそ小さめの鶏卵程度)))を差す単位である。 50ミリリットルはしのぶさんの刀で打ち込む液体の総量としては難しそうな量であるが、複数の切り付け((那田蜘蛛山の姉鬼に対しては4~5回ほど切りつけている))で到達しそうな量であるため、これはそれほどおかしな量ではない。 もしこの50ミリリットルが一般的な鬼の致死量であるとするならば、しのぶさんの見立てでは、童魔の致死量は3.5キログラムになる。これは刀で打ち込むのは厳しい量である。 次に、50ミリ=50ミリグラム説を検証する。 この50ミリグラムを致死量と捉えた場合、50ミリグラムという数値はまぁまぁ優秀な数値((青酸カリの致死量は経口摂取ではあるが、成人男性で150~300ミリグラム。))であると言える。 この場合、しのぶさんの刀で打ち込む液体は、ほんの僅かで足りる。しのぶさんの刀のように毒を打ち込むのに特化した特殊な形状ではないクナイランチャーですら下弦の鬼の自由を奪うほどの毒性を持つ事を考えれば、こちらの方が有力か。 この場合、しのぶさんの体には3500ミリグラム((50ミリグラムの70倍))の毒が蓄積されていたことになる。 人間の体重に占める血液の割合は1/13であるため、しのぶさんの血液量は2.8kgである。((そして人体における出血許容量は1/3程度なので、彼女の出血致死量はおおよそ0.9kgとなる。)) 毒がすべて血液にのみ蓄積されていたとすると、彼女の血液中における毒濃度は12.5mg/dLほどになる。 血中異物の濃度という点で考えた場合、痛風の尿酸値が参考になる。常人の血中尿酸値濃度は男女ともにこの値が3.0~7.0mg/dLまでが基準値内である。8.0mgを超えると痛風((体内で生成された尿酸の結晶が地獄の痛みを引き起こす。風が吹いただけでも痛い事が語源とされている))のリスクが高まるとされている。 常人の血液中の藤の毒は0mg/dLであることを考えると、この数値は「高濃度の藤の花の毒が回っている状態」というのに十分である。 また、37キロというのは毒物を蓄積させることが可能な水分量の数値である可能性もある。仮にそれが全体重の7割程度((人間の水分量は成人でだいたい60~65%。成長期では70%。成人前の彼女の水分量は7割程度と仮定))程度だとすれば、彼女の元の体重は52.8キロと、非常に現実味のある数値となる。 カ ナ ヲ &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正乙女の体格について:しのぶ編 しのぶさんの体重は37キログラムと判明したが、これは現代基準では明らかに軽く、彼女の豊満な胸部と相まって、詐称疑惑が出ている。 ただし彼女は1年以上にわたって藤の花の毒((藤の花は天ぷら等で食用されることも多いが、レクチン等の毒性があり、多量に摂取すると吐き気、嘔吐、眩暈、下痢、胃痛などを起こす。これが長期間続けば食欲どころではない))を摂取し続けており、毒の副作用によって体重が激減した可能性もある。 ここで日本人の平均身長と平均体重についての資料を。 https://honkawa2.sakura.ne.jp/2182a.html これによると、明治末期から大正前半までの日本人女性の平均身長は145~150センチほどであり、平均体重は45~50キログラムほどである。 人間の体格は遺伝によって決まるが、すべてが遺伝によって決定するわけではなく、特に幼少期の栄養状態が大きく作用する。 特に本作のヒロインたちの幼少期は日露戦争((当時の日本としては莫大な費用を投じた戦争である。内外あわせて18億円にもおよぶ公債を発行したため、国内の経済は破綻寸前にまで陥った。この状況が改善するのは第一次世界大戦の特需であり、まさに鬼滅の刃の本編中のことである。なお、この莫大な借金は昭和末期になってようやく払い終えた))前後の時期にあたるため、栄養状態も良くなかったであろう。((もちろん甘露寺家のように裕福であればその限りではない)) しのぶさんの身長は本編中で明示されていないものの、姉や妹に比べて小柄であるという描写がなされている。 なお、人買いよりも明らかに頭一つ分以上は身長が低かった。((この時はカナエ姉さんと比べると胸の凹凸が全く確認できないため、成長期前だった可能性がある。)) また煉獄や冨岡に比べて頭一つ半程度小さく、成長期が来ていないと思われる時透と同程度の身長であったことから、彼女は当時の日本人女性の平均身長を大きく下回ると思われる。 彼女の身長が145センチに届かないのだとすれば、体重37キロは妥当な数値といえる。 ちなみに現代日本女性の平均体重が37キロ周辺となるのは11歳ごろであり、彼女たちの平均身長は145センチほどである。 参考: https://graphic-data.com/page/sport/001.html 追記: ファンブックで彼女の公式身長は151センチと確定した。 BMIは低体重基準の18を大幅に下回る16.23である。 %%しのぶ「いや、別に実戦は腕力じゃないですから。ねぇ?」%% %%伊黒「そうだその通り。技とは腕力ではない」%% &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正乙女の体格について:みつり編 常人の8倍の筋肉量((常識の範疇において、密度=質量÷体積となる。体積が常人と変わらないのであれば、密度が高い=質量が多い、ということになるため、ここでは筋肉量が8倍になると想定した。万が一ファンブック通り彼女の質量が常人並である場合、彼女の筋肉量は2.5kg程度となってしまう。これでは乳児並となってしまうため、考慮から外した))を持つ甘露寺蜜璃の筋肉量と体重がどれぐらいなのかを考察してみる。まず資料の提示。 https://smartlog.jp/151071 まず前提として、成人女性の平均筋肉量を17kgとし、見た目通りであれば本来の彼女の筋肉量はこの程度であると仮定する。 この場合、彼女の筋肉量は136kgになる。 これに骨や内臓等が30kgほど追加されると、彼女の体重は166kg((この体重を担げる隠しは居たのだろうか?))になる。 これは2018年の大相撲幕内力士の平均体重とほぼ同等である。 https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/12/27/kiji/20181227s00005000004000c.html なお余談であるが…… フィクションで好まれる「ミオスタチン関連筋肥大症」であるが、現実には「体に脂肪がつかず、すべて筋肉になってしまう病気」と言い換えてもよい。 このため持久力に乏しく、また筋肉の成長のために多大なカロリーを摂取し続ける必要がある。 彼女の胸部にある脂肪は、現実離れした描写であるが、上弦の鬼を相手に一晩中動き回れたことから、エネルギー貯蔵庫としての役割を果たしているのかもしれない((フタコブラクダのようなものであろうか?)) 追記: ファンブックで彼女の公式身長は167cmセンチ・56キログラムと確定した。BMIは標準体重内の20.08。((捌倍娘設定とはいったい……)) なお、戦前に活躍した女子アスリートの人見絹枝((各種陸上競技で世界記録を連発した。詳しくは「いだてん」参照。))の身長は17歳時点で五尺六寸(約170cm)、体重は十五貫(約56kg)。これはおおよそ甘露寺の体格と同じであるが、彼女と同じく「化け物」等の心無い言葉を掛けられたという。((ちなみにオリンピック出場を決めていた人見の実家には「人前で太ももをさらすなど日本女性にはあってはならない」「日本女性の個性を破壊する」などといった文面の書簡が送られて来ていたという。)) %%伊黒「甘露寺(の体重)に触れるな塵ども」%% ---- **柱の身長ランキング 柱合会議では、しのぶさんは煉獄・冨岡よりも頭一つ半ほど小さく、時透と同じぐらいの大きさに描かれて((本作は頭身のデフォルメがキツイ時があり、複数人が一緒のコマで描かれる場合を除いて身長の描写は信用できない。特に蝶屋敷の復帰訓練では、しのぶさんは善逸や伊之助とほぼ同じ目線であった時もある。))おり、甘露寺はその中間ぐらいである。 しのぶ≦時透<甘露寺<冨岡≦煉獄<宇髄<悲鳴嶼 不死川はこの並びにいなかったため不明だが、跪いた際の頭の高さから、煉獄や冨岡と同じぐらいの並びにありそうである。 伊黒もこの並びにおらず、また柱稽古でも身長を確認できる描写がないため不明であるが、このランキングは作中の腕相撲ランキングと一致しており、これに照らし合わせれば、伊黒の身長はしのぶさんと時透の間ぐらいとなる。 追記: ファンブックで隊士の身長・体重が確定 大正時代前半の平均身長は、男子162センチ・女子151センチである。まだ背が伸びる余地のある同期組ですら全員が成人平均身長に達している。 作中で小柄とされたしのぶさんですら平均身長に達している。 特に柱に至っては、当時としては相当なフィジカルエリート((徴兵検査なら文句なしで甲種合格))である。 |竈門炭治郎|165センチ|61キロ| |竈門禰豆子|153センチ|45キロ| |我妻善逸|164.5センチ|58キロ| |嘴平伊之助|164センチ|63キロ| |不死川玄弥|180センチ|76キロ| |栗花落カナヲ|156センチ|46キロ| |冨岡義勇|176センチ|69キロ| |煉獄杏寿郎|177センチ|72キロ| |宇髄天元|198センチ|95キロ| |時透無一郎|160センチ|56キロ| |胡蝶しのぶ|151センチ|37キロ| |甘露寺蜜璃|167センチ|56キロ| |伊黒小芭内|162センチ|53キロ| |不死川実弥|179センチ|75キロ| |悲鳴嶼行冥|220センチ|130キロ| %%伊黒「俺は信じない」%% &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正時代の正しい単位呼称 作中では、炭治郎が憎珀天から距離を取るために「66尺」という単位を使っているが、これは少々おかしい。 尺貫法では距離を表す場合、6尺は1間に繰り上がるため、11間と呼ぶのが正しい。((もっと言えば、メートル法ではちょうど20メートルであるためキリがよい)) あるいは長さ((ここでは木の竜の長さを示すのも間違いではないため、どちらでも正解である))を表す場合は10尺で1丈に繰り上がる。この場合は6丈6尺、あるいは6丈半と少し、とでも呼ぶのが正しい。 とはいえ、生家が農家でも大工でもない炭治郎が、尺貫法の単位を知らなくても不自然ではないし、回避するために精密な距離計測が必要であった可能性もある。 また高さを表す場合に限り、尺のまま使われる((「アルプス一万尺」や「身長六尺」などは好例))こともあるため、大きく間違っているわけではない。 なお、 悲鳴嶋の柱稽古では大岩を1町動かす訓練があったが、これはおよそ110メートルほどである。山の中で動かすには木々が邪魔になる距離である。 続いてしのぶさんが自分の体重をキログラムでカナヲに伝えていたが、これはおそらく蝶屋敷外の一般人には通じないだろう。 日本においてメートル・グラム法が一般化するのは戦後の事であり、それまではやはり尺貫法が使われた。 重さとしての「貫」は3.75キログラムを示す単位であるため、彼女の体重は10貫弱という事になる。当時の体重計は尺貫法で記載されているため、おそらくは貫表示の体重計((当時の農家では米の重さをはかるために重量計は非常に重要である))で図った結果なのだろう。 ただししのぶさんは医学および薬学に精通しており、医学においては早い段階でメートル・グラム法が一般化していたため、蝶屋敷に常駐しているカナヲへの説明にはこれでよかったものと思われる。 あとこれは単行本でも修正されなかったので単なる間違いではなく何か意味があるのかもしれないが…… 「(百十三は)割り切れぬ数字」→1と自分の数以外で割り切れないのは奇数ではなく素数 「(百十三は)不吉な丁。奇数!!」→奇数は丁ではなく半((ただし、これは彼の名前の「半天狗」に掛かった彼流のセンスなのかもしれない。)) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんの毒?珠代様の毒? お館様の見立てでは「服毒した胡蝶しのぶを喰わせても上弦の鬼を倒すのは難しい」であったにも関わらず、実際には上弦の鬼を崩壊寸前にまで追い込んだことから、やはり珠代様の毒こそが決め手になったと言っていいだろう。 しのぶさんの服毒は一年前から始まっていたが、童魔との最後の会話では「珠代さんが協力して作ってくれたもの」という描写があった。 しかし珠代様と鬼殺隊の関係は、少なくとも産屋敷輝哉が動けなくなってから始まったものであるため、これは矛盾している。 これを解決する案は下記の通り ①「動けなくなった」は外出するのは無理(=失明した)になったという意味で、実際に烏が珠代様の家に到達したのは炭治郎と禰豆子と会ってから引っ越しした直後のことであった。このため珠代様とお館様はおよそ一年前から協力関係にあった。このため彼女の体内の毒は、珠代様ブレンドの毒のみで構成されている。 ただしこの場合、お館様の見立ては一年以上前のことになってしまうため、柱稽古直後にしのぶさんが怒っていた理由を説明できなくなってしまう。 ②柱稽古開始以降にしのぶさんが刀に仕込んだ毒こそが珠代様の毒で、藤の花の毒に対して鈍感にさせる幻惑作用((惑血の一種?))があった。これなしでは、しのぶ毒が童魔に排出されてしまうだろうとお館様は予測していた。このためしのぶさんの体内の毒は、しのぶオリジナルのみで構成されている。 ③柱稽古開始以降にしのぶさんは服毒を、しのぶブレンドから珠代様ブレンドに切り替えた。このため、しのぶさんの体内の毒は9割以上がオリジナルブレンドであり、珠代様ブレンドのおかげでお館様の予測を上回る事ができた。 追記:よく考えてみると鬼を屠る毒の調合は、珠世様にとって非常に危険な行為であり、これを研究していたとは少々考え難い。 鬼の彼女は、藤の花には触れたくもないはずだからである。 このため、説②による惑血の応用毒という方が現実的かもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんの怒りの理由 柱稽古開始直後、しのぶさんはカナエ姉さんの位牌を拝んで感情を制御するのが必要なほど怒りを抱えていた。 この理由はおそらく、お館様から「しのぶブレンドの毒では上弦の鬼を倒せない」と宣告されたからではないだろうか? あるいはその後、「鬼の珠代さん((童魔との会話から、彼女が鬼であることを、しのぶさんは認識していたはず))と協力して上弦の鬼を倒す毒を作れ」と命じられたことが原因かもしれない。 「鬼と仲良くする」というカナエ姉さんとの約束がありつつも、彼女の中には鬼に対する怒りが燃え上がっている状態であったため、この命令はしのぶさんにとって非常に辛いものであったのだろう。 柱稽古に不参加だったのは、怒りもあるだろうが、むしろ新しい毒を服毒することで体調に影響が出て、稽古どころではなくなってしまう事が想定されたからではないだろうか。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **アニメ版キメツ学園しのぶさんがキツメに見える理由 アニメ版キメツ学園において、しのぶさんは18歳にはとても見えないような大人びた制服姿((「ケバい」「うわキツ」「キツメ学園」等の散々な言われようであった))を見せた。 これは作画の問題としては、下記の要素が挙げられる ・彼女の最大の特徴である複眼のように描かれた瞳が表現できていない ・原作では他キャラより強調されているまつ毛の長さが目立っていない ・同じく、二重まぶたも目立っていない ・原作よりも髪のウェーブが強調されており、パーマをかけたように見えてしまっている さて作画もさることながら、彼女の古めかしい髪型((おそらくは肩までぐらいある髪を後頭部において蝶の髪留めで纏めている))と、髪の毛先のみが紫の髪色であること((紫染めは現代日本において年配の女性に好まれる))、そして化粧((彼女は6巻の表紙において口紅をつけていることが分かる。))をしていることにも原因があるのではないかと思われる。 キメツ学園において、生徒側のキャラで化粧をしているのは彼女一人であるため、彼女だけが年齢不相応に大人びて見えたのではないかという予測が成り立つ。 そしてこれはストーリー的には、藤の花の服毒と合致するのである。((カナエ姉さんの存命時には化粧をしている感じがしないので、藤の花を摂取し続けて血色が悪くなっていくのを隠す目的で化粧をしていたのかもしれない。またこの世界は甘露寺を見る限り、食性によって髪の色が変わりうる世界感である)) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **甘露寺の担当範囲が刀鍛冶の里に近かった理由 初登場時、柱は9人いたが、これは全国各地に配置された鬼を滅するには少ない数である。 柱稽古では、柱が一般隊士に稽古をつけない理由は、「警備担当範囲((冨岡義勇が炭治郎を救ったのは、竈門家が彼の担当区域だったのが原因だろう))が広大で、単純に忙しいから」とされていたため、これは深刻な問題である。 この中で甘露寺は刀鍛冶の里の近くに警備担当範囲を割り振られている。これは彼女も知らなかったことから彼女の希望ではなく、お館様の意向によるものだろう。 甘露寺は常人では考えられないぐらいの食事を必要とするため、頻繁な補給が必要である。 %%恋柱「そうかな?今日はそんなに食べてないけど」%% しかしそこは鬼殺隊の柱とはいえ女の子。 幼少時((相撲取りに並んで屋台で爆食する姿が描かれていた))ならいざしらず、年頃の女性が外食ですさまじい食欲を見られるのは恥ずかしいに違いない。 お館様はこの事情を察して、彼女の警備担当範囲を刀鍛冶の里の近くにしたのだと思われる。 彼女の正体と実績を知っている里の中であれば、好きなだけ食事を取れる上に、鬼殺隊としても街の外食よりは食費を安く済ませることができるメリットがあるのも見過ごせない。 大正時代前半は、誰にでも白米が好きなだけ食べられる時代ではないのだから。((アニメ版オリジナルの描写であるが炭治郎の隊士選抜最終試験へのはなむけに、鱗滝が普段より豪勢であろう鍋を用意してくれていたが、ここに白米はなく、根菜や魚がメインであった)) 追記: ファンブックでほぼ全員が東京府出身と確定したが、刀鍛冶の里も都内近郊なのだろうか? &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正時代の食事事情 ・1巻で炭治郎は三郎爺さん((傘貼りをしており、かつ独り身であることから、多少の現金収入があると思われる))の家で食事をご馳走になっている。シイタケ・人参・大根の煮物とみそ汁と沢庵、そして白米と茶。 ・アニメ版で藤襲山に最終選別試験に向かう炭治郎に鱗滝が焼き魚と鍋を用意してくれた。中身はシメジ・シイタケ・ネギ・青菜・豆腐(あるいは鶏肉?)であり、白米こそなかったが、炭治郎が「あんなごちそうは久しぶりでした」と言っていることから、ハレの日の特別な食事であった。 ・浅草で屋台((関東大震災によって東京の外食需要が壊滅したことで屋台が地方に散るまで、屋台は東京固有の文化であった。))の山かけうどん((アニメでは1杯目を落としてしまったため2杯目と3杯目を注文した))を炭治郎が食べた。メニューは「たぬき」「きつね」「山かけ」「天ぷら」「しっぽく((玉子焼き、かまぼこ、しいたけ、くわいの類をのせたもの))」「あんぺい((しっぽくに葛醤油をかけたもの))」。メニューの最後はアニメでは炭治郎で隠れて確認できないが、おそらく「けいらん((卵とじ))」と思われる。 ・アニメ版の鼓屋敷の任務直前のオリジナルエピソードに、炭治郎は善逸に海苔を巻いた握り飯を渡しており、善逸はもらった握り飯を半分にして炭治郎に返している。((善逸の「半分やるよ」に対して炭治郎は「え?いいのか?」と反応しているが、もともとは炭治郎の握り飯である。炭治郎の人の良さと善逸の優しさが表現されているのだが、妙に引っかかる描写であった。)) ・鼓屋敷の任務後に訪れた藤の家紋の家では炭治郎・善逸・伊之助の3人分の食事が用意された。描写上は煮物と白米が確認できる。ここで屋敷の婆さんは三人に天ぷらを振舞ったようである。特に天ぷら初体験は伊之助にとって強烈だったらしく、「反復動作」の条件に用いるほどである。 ・蝶屋敷での機能回復訓練で、かんたん三姉妹がそれぞれ「キャラメル」「あんぱん」「からからせんべい((江戸時代に山形県で生まれたせんべい生地で民芸玩具を包んで焼いたもの。昭和に普及したオマケつきの菓子の原型である。))」を炭治郎に手渡していた。 ・蝶屋敷では炭治郎はおにぎりを食べながらかんたん三姉妹と会話をしていた。 ・無限列車では、煉獄が「うまい!」を連呼しながら箱入り駅弁((箱入り駅弁は明治末期には普及していたが、もちろん庶民にはなかなか手が届かない贅沢品であり、おにぎりのみの駅弁が精々である))を11個平らげていた。 ・無限列車での炭治郎の夢の中で、茂(三男)と花子(次女)が籠にさつまいもと思われるものを抱えていた。また食事は各人の膳に椀が2つと小皿((茂が炭治郎のたくわんを奪おうとしていたことから、おそらくたくわんと思われる))が1つ。禰豆子は山菜((ふきのとう?))を収穫し、竹雄(次男)がすり鉢で何かをすっていた。((雪深い頃であり、ふきのとうが採れる時期なので、味噌づくりのために茹でた大豆をすりつぶしていたのかもしれない))この描写から竈門家は炭焼きの現金収入のほか、少しの畑と山菜である程度自給自足していたものと思われる。 ・煉獄屋敷では千寿郎が炭治郎に茶と菓子を振舞った。 ・吉原遊郭のときと屋では、鯉夏が炭治郎にお菓子(おそらく飴玉)をあげていた。荻本屋では、まきをの部屋にうどんが置かれていた。 ・蝶屋敷では意識不明の炭治郎に、"隠し"の後藤が見舞いにカステラを持ってきていた。かんたん三姉妹からは再びあんぱんが見舞われた。その後、かんたん三姉妹はそろってかぶき揚げをボリボリ食べていた。 ・刀鍛冶の里では、炭治郎はマツタケご飯、みそ汁、たくわん、焼き魚、あと何かのおかずを食べていた。炭治郎は握り飯を玄弥に持っていこうとしていた。そして甘露寺は丼だけで24杯、大皿だけで9枚、ついでに大型のヤカン((ヤカンの形が少々現代的だが、少なくとも明治時代の軍隊では近い形で使われている))。 ・炭治郎は飲まず食わずの訓練直後、小鉄少年におにぎりと梅干しと玉露を要求していた。訓練後、玄弥と話すときにはせんべいとお茶を持って行った。 ・半天狗との戦いにおいて、炭治郎の遺伝記憶が描写された。この時、炭吉の妻すやこ((当時、女子の名前に「子」を使うのは皇室や公家などの貴人に限られていた。明治時代になり、庶民の間で「~子」が流行する。))が籠に入れたサトイモとサツマイモ((ただし、サツマイモの伝来は江戸時代以降であり、しかも南方の温暖な気候を好むため、寒冷地方にあると思われる竈門家では栽培が難しい))を持っていた。 ・甘露寺の回想では、幼少時に最低でも丼15杯の何かを屋台で平らげていた。空の丼が隣の相撲取り((当時、東京相撲協会と大阪相撲協会があった。甘露寺姓は京都にルーツを持つ名家であり、政府側の軍歌であるトコトンヤレ節を好んでいる事から京都出身かもしれない。ただし甘露寺家は明治に伯爵に叙されてから関東に移り住んでいる。追記:彼女の出身地は東京府 麻布區 飯倉(現:港区 麻布台)で確定))のものでなければさらに9杯、合計で24杯を平らげている。相撲取りの3倍食べるということは、彼らは5~8杯ほど食べている計算になる。 ・甘露寺と伊黒が、おそらく蕎麦屋と思われる店で食事をしているシーンでは、蕎麦8枚、天丼11杯、その他煮物・みそ汁・箸休めの小皿などがあった。小食な伊黒の前には茶のみであった。 ・再び蝶屋敷で入院中の炭治郎は握り飯を二つ食べていたが、後藤から「そんなに食べて大丈夫か」と心配されていることから、これ以上にもっと食べていたのかもしれない。 ・同じく蝶屋敷で入院中の玄弥は、アオイとかんたん三姉妹の介護を受けながら白米・煮物・玉子焼きを食べていた。 ・柱稽古開始時に宇髄の嫁3人が握り飯を作っていた。((飯盒炊爨のようにも見えるが、飯盒はあれだけの量の握り飯を作るのに向いていない。またアルミニウム製の飯盒は常用するとすぐに穴が開き、かつ高価であるため、陸軍では非常時以外には火にかけて使わないとされている)) ・冨岡義勇の回想で、膳をひっくり返すシーンがある。白米・茶・みそ汁・稲荷寿司状の何か。 ・冨岡義勇と和解((実際にはこの時点で義勇は錆兎との約束を思い出し、錆兎や姉から託されたものを次代に繋げていくという使命に目覚めたタイミングであったため、義勇にしてみればこの炭治郎の提案は「なんで?」と疑問に思うレベルの提案だった))する目的で炭治郎はざるそば早食い対決をけしかけた。 ・悲鳴嶼の柱稽古では、炭治郎が焼き魚と炊飯を担当していたようである。 ・悲鳴嶼の回想では、白米・みそ汁・たくわん 程度の貧相な食事で子供たちを養っていた((おそらくは僧侶であろう悲鳴嶼は、近隣の檀家からの寄付で子供たちを養っていたと思われるが、檀家からの寄付は現金ではなく、米だったのかもしれない))ようである。 ・不死川実弥はおはぎ((たんぱく質・炭水化物の手ごろな補給手段としておはぎを好むアスリートは多い))大好き。 ・善逸の回想では、じいちゃんと獪岳に飯をよそっていたシーンがあった。3人の膳には白米のほかに漬物と焼いた鮭の切り身があった。 上記の通り、全体的に白米・みそ汁・たくわん・焼き魚((全体的に川魚、あるいは鮭が多い。一般に裏日本では糸魚川を境として鰤文化と鮭文化に別れる。冨岡の好物が鰤ではなく鮭であることから、彼は糸魚川よりも北部で生まれ育ったものと思われる。追記:彼は東京府 豊多摩郡 野方村(現:中野区 野方)出身が確定))・煮物((根菜を醤油で煮しめた伝統的な日本料理))が多い。これは現代基準では貧相な食事((おかずは今とは比較にならないぐらい貧相であり、特にタンパク質の補給はままならない。))に見えるが、当時の基準では決してそうではない。日本人((昭和まで、日本人は米食悲願民族と言われるほど米を愛したが、これは逆説的に「毎日米を食べる事が出来なかった」ということでもある。この状況が変わり、米を常食するのが夢ではなくなった1918年に米騒動が発生する))全員が米の飯を食べられるようになったのは戦後の事である。それまでは「かて飯」と呼ばれる他の雑穀を混ぜた飯、あるいは雑穀のみを炊いたものがメインの食事であった。あるいは鱗滝のように汁物だけで食事としていた家も沢山あった。((本編から10年ほど前の時代を扱った作品ゴールデンカムイでも白米は贅沢品として描かれている)) 白米を多く食べられているということは、当時の基準では豊かであるということである。おそらく彼らは食事が貧相だとは思っていないだろう。それだけ白米食は贅沢だったということである。 本編中((1916~17年と思われるが、第一次世界大戦バブルで国が潤い、庶民にも白米常食が浸透し始める時期である))においては、食事事情が豊かなのは刀鍛冶の里であり、次いで蝶屋敷((医療施設でもあるため、ある程度特別扱いなのかもしれないが))である。 竈門家は少々貧しい食事である。大正前期は薪や炭から石炭への変換期であり、炭の需要はどんどん減っていったために生活が苦しかったのかもしれない。ある程度自給自足が可能だとはいえ、病弱な父親の薬代もかさんでいた可能性もある。 そしてやはり何よりも圧巻なのは甘露寺の食欲である。 当時の食事事情からすると破格の食費が掛かっているだろう。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **柱合会議で炭治郎と禰豆子が認められなかった理由 柱合会議では中立派((甘露寺・時透・胡蝶))、擁護派((冨岡))、反対派((伊黒・不死川・煉獄・宇髄・悲鳴嶼))に立場が分かれたが、物語が進んだことで彼らの意見がこのように分かれた理由がある程度説明できる。 中立派: ・甘露寺→鬼に対する憎しみはあまりなく、特にこだわりがない ・時透→「どうせ忘れるから興味がない」 ・胡蝶→「鬼と仲良くする」という姉との約束 擁護派: ・冨岡→炭治郎と禰豆子は自らが鱗滝に紹介した責任あり 反対派: ・伊黒→そもそも猜疑心の塊のような性格 ・不死川→禰豆子の存在は、最愛の母を殺さなくて済んだ可能性と等しい((そしてそれは後に、弟の特異体質発現によって現実味を帯びてしまう))ため、柱の中でも強く反発した。 ・煉獄→隊律と人命を優先する立場 ・宇髄→「処分したほうが派手で楽しそう」レベル ・悲鳴嶼→「子供はすぐ嘘をつき残酷なことをする我欲の塊」 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **ほとんどの隊士が東京府出身の理由 ファンブックによって、柱および炭治郎の同期たちの出身地が公式に明らかになった。 出身地が「不明」とされる宇髄を除いて、ほぼ全員が東京府の出身であることが確定した。 例)竈門家((竈門家は代々の炭焼き小屋であり、引っ越しによって他所に移り住んだとは考えにくい))は奥多摩の雲取山 あまりにも不自然なまでに東京府出身者で占められている理由を考察してみよう。 そもそも鬼殺隊の目的は、「鬼から人を守る」である。すなわち鬼が出現する場所以外で活動する必要はないことになる。 このことから鬼舞辻無残は、東京のみに鬼を配置しているという事になる。 これはつまり、鬼の存在を知りうるのは東京在住者に限るという事である。 ではなぜ鬼舞辻無残は都内限定で活動していたのか? その理由はおそらく「青い彼岸花」の捜索にある。 例の善良な医者は、武蔵国((東京・埼玉・神奈川の一部))で活動していた医者((あるいは祈祷師・陰陽師も医療行為を行っていた))だったのであろう。 鬼舞辻無残は医者を呼べるような身分であり、そしていつもの癇癪によってこの医者を殺害したわけだが、そのような蛮行を黙認されるのは中央から派遣された国司およびその親族ぐらいであろう。 このことから鬼舞辻無残は武蔵国の在庁官人の家系だったのだと推測できる。 当時の医者が活動できる範囲((貴人のための薬の原料とはいえ、当時の未熟な物流で、未知の薬が遠い場所から運び込まれたとは思えないと無残は判断したのだろう))を、鬼舞辻無残はこの範囲((当時の武蔵国の国府は今の調布市にあり、これは東京のほぼど真ん中に位置する))に絞りこんだのである。 このため、西は奥多摩、東は葛飾区・台東区までを捜索範囲とし、この範囲に鬼を配置しているのである。 追記: と、無理やり理由を取って付けたものの、明らかに中部地方から東北地方の豪雪地帯にあると思われる竈門家が奥多摩にあるというのはやはり無理がある。 甘露寺のトコトンヤレ節も、公家風の苗字と相まって京都出身なのかと思わせる演出かと思われたが、まさか当時から大使館ひしめくビジネス街((麻布は戦前からの高級住宅地である))の出身とは。 日本中で青い彼岸花を探しているという無残様の設定もこれでは台無しである。 これなら浅草で貿易商になど化ける必要はないし、わざわざ江戸払いを受けた猗窩座をスカウトしに江戸を出たのも謎である。 宇髄の「この国は広いんだぜ」から他の柱の才能を語るシーンも、出身者が東京府内に限定されるのでは説得力がない。 なぜこんな不自然な設定が公式化したのか? これはおそらく、たびたび鬼滅の刃の広告((「これは、日本一慈(やさ)しい鬼退治。」「重ねた罪にも、抱擁を。」「非情な結末にも、救済を。」などの名キャッチコピーを生み出した。これを生み出したコピーライターにはジャンプ本編において人気投票が集まった))が話題になるJR東日本のスタンプラリー企画((キン肉マンやドラゴンボールなどで何度か実施済み))とのコラボのために編集部がゴリ推したものだろう。 もし都内でスタンプラリー企画をしたいのだとしても、例えば、これらを「出身地」ではなく「修行地or選抜試験地((狭霧山や藤襲山が都内とはさすがに思えないが。。。))」にしていれば、これほど矛盾はなかったであろう。 というよりも今までに実施されたイベントの傾向((例えばキン肉マンはキン肉星の王子と言う設定から、王子駅にスタンプが置かれる、という程度))として、スタンプラリーは必ずしも各キャラクターにゆかりのある地である必要はないのだが…… 冨岡義勇外伝での「俺たちは柱」発言といい、甘露寺の体重((捌倍娘設定が何も反映されていない))といい、柱合会議の身長描写((ワニ先生はかなり丁寧に描写していたはずである。しのぶさんと時透の身長をほぼ同等に描いていたのに、10センチ近くも時透のほうが大きいのはおかしい。時透の背が伸びたならば、禰豆子と同じくそう書くべきである))との矛盾といい、しのぶさんの体格との矛盾((当時としては平均身長なので小柄とは言えない))といい、鬼滅の刃については集英社編集部の無知((ついでに言えば、外伝で女マタギを描いていたが、これは明らかにマタギ文化に対する無知である。マタギ信仰において山の神は嫉妬深い醜女であるため、女性が入山することを嫌う、というのはマタギ文化を10分も調べれば分かることである。同時代を描いた人気作品のゴールデンカムイに着想したのかもしれないが、あまりにも浅慮で不勉強である。たとえば「女がマタギはダメ」→「あたしは醜女だから大丈夫」等のやり取りがあればまだ理解できたが。。。))や不理解があまりにも目立つ。 今後最終話までに何度かあるであろう外伝作品が、まともであることを祈るばかりである。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **隊士の出身地を非公式に妄想してみる 公式に隊士の出身地が東京府内に限定されたが、あまり納得できないという人のために、「どこだったら納得できるのか?」を妄想してみようと思う。 判断基準は、作中の描写とそれに見合う歴史・文化的な背景とした。自治体が特定できそうな場合はそこまで記述する。 もちろん公式とは矛盾するのであくまで妄想でしかない事に留意されたし。 なお、大正時代の旧自治体名ではピンとこない地名も多いため、現代の自治体に合わせている。 ・竈門家:秋田県北秋田市。雪深い山地に囲まれ、マタギの里として有名な阿仁((ゴールデンカムイの谷垣の出身地。))を有する。色白な美人が多い事でも有名。ただし、佐賀県の民謡を子供に謡う母・葵枝は佐賀県から嫁いできた可能性あり。蕎麦文化の東京で、わざわざ炭治郎がうどんを注文するのは稲庭うどん((秋田県南部名産うどん。日本三大うどんに数えられる。ただし、秋田県は南北文化格差が激しく、北秋田で常食されるものではない))が懐かしかったのかもしれない。 ・我妻善逸:群馬県前橋市。群馬県は養蚕が盛んであったため、生産物の輸送のために早くから鉄道が敷かれた。善逸はかまぼこ隊では唯一、汽車についての知識があり、花街を理解していたことから、都会化された地方都市の出身と推測される。さらに北関東は雷銀座と呼ばれるほど雷が多いことで有名な地域((しかし統計上で一番というわけではなく、雷は日本海側北陸のほうが多いらしい))であることもポイント。 ・嘴平伊之助:奈良県天理市。教祖を神とする極楽教のモデルが天理教((自治体に非常に密着した新興宗教である。しかし特にカルト教団というわけではなく、土着の穏やかな宗派であるし、歴代の教祖が女狂いだったという事実もない))とするならば、伊之助の母が保護されうるのは天理市とその周辺の自治体か。奈良県には山も多いため、もちろん猪も出現する。 ・不死川家:石川県金沢市。不死川実弥の独特な口調である「ねェ」や「がァ」などの語尾を伸ばす方言として有名なのは金沢弁である ・宇髄天元:三重県伊賀市。忍者の里として有名なのは伊賀と甲賀である。このうち幼少時から厳しい訓練を行う事が有名なのは伊賀忍者である。 ・時透無一郎:和歌山県熊野市。紀伊の材木産業は江戸時代から続いている。一族が代々杣人をしているという描写から判断。 ・胡蝶家:富山県富山市。薬学に強い地域といえば、富山の薬売りである。生家は売薬で財を成した裕福な家なのかもしれない。富山県は大正時代にチューリップの生産を産業化したため、花の呼吸とも相性がいいかも。 ・冨岡義勇:新潟県村上市。江戸時代から鮭の増殖に成功したことから鮭が名産である。本編中で一度、外伝中で一度、任務を共にしていることから、胡蝶しのぶと出身地・担当地区が近い可能性が高い。 ・甘露寺蜜璃:京都府京都市。いかにも公家風の苗字に、新政府軍を称える「トコトンヤレ節」を好んで歌うことから、京都出身と考察。「トコトンヤレ節」は民間でも好まれた軍歌であるが、賊軍地域出身であれば好んでは歌わないだろう。 ・伊黒小芭内:沖縄県本島。蛇が有名なのは沖縄のハブである。しかしネチネチした性格はあまり沖縄という感じがしないので微妙か。 ・悲鳴嶼行冥:鳥取県伯耆町。鬼の伝説を持つ自治体は数あるが、人食い鬼として最古の歴史を持つのは伯耆町の鬼住山である。 ・煉獄杏寿郎:鬼殺隊本部の近く。煉獄杏寿郎の夢の中で伊之助が「おいどん」という一人称を使っており、さつまいもを好み、また煉獄父が本格麦焼酎を好んで呑んでいたことから九州南部か?しかし鬼殺隊の本部が九州地方南部にあるというのもいまいちピンとこない。産屋敷邸では娘二人が関東地方で歌われる数え歌((上総山や吉原が出てくる歌詞である))で毬遊びをしたいた。 ・栗花落カナヲ:東北の農家。すさまじい虐待を受けていたカナヲの生家を判断するヒントはなかった。しかし凶作時に娘の身売りが問題になるのは東北地方の農家である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **猗窩座の名前の由来について 猗窩座の漢字それぞれの意味を調べると 「猗」=去勢された犬 「窩」=穴倉とか空っぽ、うろ 「座」=座る となり、初登場時点から「猗窩座=役立たずの狛犬(第155話サブタイトル)」の伏線設定となっている可能性有り。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **猗窩座の技名と戦闘スタイル 猗窩座は作中では唯一、徒手空拳で格闘を行う鬼である。 彼が無限城編で見せた技名には明確な命名規則がある ・冠先割(かむろさきわり) ・流閃群光(りゅうせんぐんこう) ・飛遊星千輪(ひゅうせいせんりん) ・万葉閃柳(まんようせんやなぎ) ・青銀乱残光(あおぎんらんざんこう これらは花火の玉名(ぎょくめい)、またはその一部の名称である。 これは彼が人間であったころに、元気になった恋雪と一緒に花火を見に行った記憶から取られたのだろうか。 また彼が構えを取る際に、雪の結晶のような模様が浮かび上がるが、これも恋雪の名前である「雪」が無意識に発現しているのかもしれない。 さらに彼の体には主に3本ずつの直線的な青い模様があるが、これも彼が罪人として入れられた刺青か。 いずれも猗窩座が忘れていた人間のころの悲しい記憶や後悔の象徴である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **彼らはどうやって徴兵を回避したのか? 盲目の悲鳴嶋や、体重が足りなさそうな伊黒、20歳未満の時透や炭治郎同期組((伊之助については戸籍があるのかすら怪しい))などはいざ知らず、不死川、煉獄、冨岡、宇髄などはどう見ても健康で、甲種合格間違いなしのフィジカルエリートである。 大正時代の徴兵検査において、彼らが徴兵からどうやって逃れたのかについて考えてみよう。 大日本帝国憲法下において、徴兵検査((当時の法令としては明治22年徴兵令が根拠となり、この時点では国民皆兵が徹底されており、徴兵忌避は難しくなっている))は20歳の男子の義務であり、原則的にこれを断る事はできない。 徴兵からすぐに入営する必要がない、あるいは不適格と認められるのは身長145cm未満の短身者、視力色覚異常、あるいは身体の欠損等が認められたものに限るが、これでは鬼殺隊の任務をこなせない。 あとは念入りに行われた性病検査であるが、当時は基本的に治せる保証もない性病検査にひっかかって落ちるのは論外である。 ではどうするべきか? 鬼殺隊らしい手段としては、呼吸法による肺病偽装はどうだろうか? 当時、結核は不治の病であり、またあまり高くはないとはいえ伝染性があるため、徴兵検査では不合格になった。 あるいは心拍数や体温を上げて体調不良を装ってもよい。 これならばそれほど恥ずかしくなく、社会的地位を守って徴兵を逃れる事が出来る。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **半天狗は本当に盲目偽装をしていたのか? 本編中では、既に鬼になっていたことで盲目ではなくなっていたように見える半天狗であるが、実は人間時代から盲目を装っていたのではないかと、お白州で奉行に指摘されている。 これは、本編中の描写でも確認できる。 その根拠は、半天狗の人間時代の回想である。 この回想シーンは、半天狗による主観が大半を占めているのだが、これは本来おかしい。 彼は盲目なので、本来は人間時代の映像記憶があってはならないはずだからである。 これは奉行の言う通り、彼が人間時代に盲人を装っていた事が反映されている描写である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼殺隊の隊服の仕様 鬼殺隊の隊服は、いわゆる詰襟((動脈が集中する首筋への噛みつき攻撃は、失血多量と呼吸阻害を容易に招く。鬼殺の剣士にとって首筋は最大の弱点とも言える。隊士全員の隊服に詰襟があるのは、これを防護する目的と思われる))であり、男女ともに右前((着ている側としては左手側、すなわち左見頃が前に来る))の仕様である。 上半身は原則的にほぼ全員同じであるが、不死川実弥と甘露寺蜜璃の二人だけは胸元が大きく開かれている。 不死川実弥はおそらく、稀血体質((稀血のなかでもさらに特殊であり、鬼を酩酊させる作用がある。))を活かすためと推測される。 甘露寺のほうは、これは縫製担当の前田((ゲスメガネ))の嗜好の所為であることが判明している。 なおコミック裏では時透に「さっき横から見えてましたよ((朱砂丸のようにサラシを巻けばよいのではないでしょうか……))」と指摘されている。 %%前田「いやドンピシャです。完璧な状態ですね。それが。」%% このほか、時透は詰襟風ではあるが、他の隊士とは異なり手元は絞られていない。 ゆったりとした和装のように見える。 さて、画一的であるべき隊服において個性豊かなのは下半身である。 ズボン、袴、スカートと比較的自由に選べるようで、それぞれ腰にベルトを当てて固定している。また時透のように普通の袴を装着している者もおり、甘露寺とカナヲに至ってはスカートである。 足元は裁っ着け袴((袴のすそを絞ることで歩きやすくしたもの。忍者の足元のイメージ))を基本としているが、その固定方法には個性があり、炭治郎や冨岡は足の裏側に恐竜のヒレのような形で布を余らせている。((もしかすると脛当てが固定されているのかもしれない。)) 不死川実弥はこれを複数のベルトで固定している。((脱ぎにくそう……)) しのぶさんや煉獄は布ではなく脛当てを当てているように見える。 悲鳴嶋は足袋を履かずに草履のみ、また足元は布を巻いて絞っている。 その他、甘露寺だけは草履ではなく草鞋(わらじ)を採用している。 これは伊黒からもらった縞々の靴下との兼ね合いもあるのかもしれないが、飛んで跳ねて戦う甘露寺のスタイルでは、足首をきちんと固定できて軽量な草鞋のほうが向いているのかもしれない。 そしてカナヲはスカートにブーツという非常に先進的な出で立ちである。 さて、このように隊服に個性がある理由であるが、これは素材に伸縮性がない事が原因なのではないだろうか。 鬼の引っ掻き程度であればビクともしない素材で作られたこの生地は、普通に作れば背広のように窮屈で、運動には向いていないという可能性があるのだ。 特に下半身の窮屈さは足の可動域を損なってしまう((特にこれを武器にしている甘露寺にとっては致命的である))ため、全体的にゆったりと作り、必要な個所を自分の好みの手段((あるいは育手の方針))で固定しているのだと思われる。 これは、まだ成長の余地のある時透のみがゆったりとした和装を採用している理由とも整合性がつく。 上記が正しい場合、甘露寺の隊服がゲスいのも違った理由が見えてくるのかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **不死川実弥が傷だらけで胸をさらけだしている理由 作中で、「その血は鬼を酩酊させる((柱合会議で禰豆子に対して自らの血で誘惑しようとしていた。禰豆子も正気を失いそうにななっており、非常に残酷な行為であった。しかし逆説的にこれは「禰豆子は人を食べない」事の証明としてこれ以上ない行為でもある))」ということが判明した不死川であるが、これは彼が常に隊服の前を開け放っている理由を説明できる。 それは、「不死川実弥の体臭は鬼を酩酊させうる」からである。 人体において、汗は血液から作られるため、血液型を判定する事すらできる。 彼は常に隊服の前を開けることで、鬼を呼び寄せているのかもしれない。 あるいは禰豆子に対してそうしたように、自傷して血をまき散らすことで自分にとって有利な状況を作り出していたのかもしれない。 過去回想では、時透や悲鳴嶋と同様に一般人でありながら鬼となった母を殺した((亡骸が崩壊していなかったため、夜明け前に殺したものと思われる))不死川実弥であるが、この体質に気づくきっかけが、鬼になった実の母親だったのかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **炭治郎の慈(やさ)しさの源泉 作中、「君は心が綺麗ですね」としのぶさんに褒められて、その深層心理は「なんという美しさ。どこまでも広い。温かい」と評される炭治郎であるが、その軌跡は一歩間違えれば鬼に堕ちていてもおかしくない程度に悲しい。 それこそ禰豆子も含めて家族が全滅させられていれば、彼は鬼に対する憎しみで鬼殺隊に入っていたかもしれない((しのぶさんや不死川実弥のケースを見るに、それは珍しい事ではない))し、生まれがもっと悲惨な面々((カナヲや妓夫太郎兄妹や猗窩座など))に比べれば、それなりに恵まれている家庭環境である。 例としては…… ・一家全滅→胡蝶しのぶ((表面上のにこやかさと矛盾する心のうちの強い怒りを抱えていた。本人も「少し疲れました」と炭治郎にこぼすなど、相当のストレスがたまっていたと思われる))、不死川実弥((「鬼と化した人間は絶対に救う事はできないので、慈悲もなくすべて滅ぼすべき」という発想に炭治郎が行き着いていてもおかしくない))、、猗窩座((もし素流道場を襲ったのが鬼であったならば、彼は鬼殺隊に入っていてもおかしくなかった。彼の悲劇は憎しみの対象が人間そのものであったという点にある))のように、心のよりどころである家族をすべて失ってしまっていれば、炭治郎は今よりも性格に陰を落としていたであろう。 ・「自分が煉獄さんの代わりに死ねばよかった」という罪の意識((サバイバーズギルド))→冨岡義勇((自分よりも強く正義感があった錆兎や、祝言を控えていた蔦子姉さんに庇ってもらって生きながらえているという意識は、彼の努力の源泉であった。同時に自己評価の低さは、深刻なコミュニケーション能力不足を招いた))のように、自らの力不足((冨岡とは異なり、炭治郎には現時点で柱としての強さはない))を嘆いて陰々とした性格になってしまっていたかもしれない。 ・この世でたった二人だけの兄妹→妓夫太郎と堕姫((捨て子同然に二人だけで生きている姿は、妹と二人だけになった炭治郎の被るものがあった))、時透兄弟((禰豆子か炭治郎のどちらかが父の死を否定的に捉えていたならば、有一郎のように歪んでしまっていてもおかしくない))、不死川兄弟((もし鬼化しなかった禰豆子が一家全滅の責任を炭治郎に求めていたら、この兄弟のように不仲になっていた未来もある))、のように誤解や勘違いから協力し合えなかった可能性もある。 ・自分の無力さに打ちひしがれる→神崎アオイ((鬼殺隊に入隊しながらも、前線で戦う事が出来なくなり、後方支援に回ったが、これは後に自らの無力さを痛感する炭治郎にとっては他人事ではなかった。))、煉獄千寿郎((煉獄杏寿郎に守られ、助けられ、無力を痛感していた炭治郎にとって、同じく無力を痛感していた彼は、まさにもう一人の自分そのものである))のように、どこかいじけたような性格になってしまっていたかもしれない。 炭治郎の「一歩間違えれば」は、まさに鬼に堕ちかねない綱渡りそのものであり、彼の他者への共感と同情を感じる源泉なのかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **ワニ先生と炭治郎 炭治郎は努力や修行の描写がたっぷりとされているにも関わらず、その基礎戦闘能力は他の柱に劣り続けている。 これは最終決戦とされる無限城編((冨岡義勇の能力を高く評価しており、自分には真似できないというような発言がある))に至っても変わる事のない描写である。 柱稽古での描写を見る限り、炭治郎の鬼殺隊内での評価は「新入りでありながら中堅並みの実力があり、勢いのある若手」程度((奇しくもそれは、週刊少年ジャンプにおける本作の立ち位置に等しい))でしかなく、上弦複数を撃破しているにもかかわらず、柱に抜擢される気配すら見られない。 このように鬼滅の刃において、主人公補正の利きが悪い((その血統やヒノカミ神楽や爆血連携など、主人公独自の要素がたっぷりあるにもかかわらず、他の柱に比べて圧倒的に強いという事は全くない。強いて言うならば感情の激高に由来する爆発力があるが、これも本編中で「怒りだけで鬼を倒せるならばもうこの世に鬼はいない」と否定されている))とされるのは、ワニ先生の独特の人生観によるものと思われる。 『人生とは基本的に努力をしても報われません。報われた時は奇跡が起きているんだと思います。今の奇跡は応援してくださる皆さんのおかげです。皆さんありがとう、ありがとう。』((似たような言として、シグルイにおける若先生こと山口貴由先生の有名な発言がある。「善なる者が、報われない、一生懸命努力した人が報われない、とか、そう云う世界である事が「残酷」だな、と思います。」)) この名言は、まさしく努力に努力を重ねても柱に届かない炭治郎の姿そのものである。 また上弦を撃破しながらも決して奢ることなく「いつだって誰かが助けてくれて俺は、結果間違わずに済んでいるだけです」と謙虚かつポジティブに努力を重ねる炭治郎の姿は、ワニ先生の理想とする人間像なのかもしれない。 時として、「冷血動物」「ワニじゃなくて鬼」「人の心を持たない((16巻の裏表紙では、「姉二人と共に幸せそうに左側に歩く父母」に対して、「悲しみに暮れる右を向いた輝利哉」という非常に残酷な構図を生み出した。また無限城編では敵味方の区別なく、残酷としか表現できないほどに非情な物語や結末をいくつも生み出した。サブタイトルにも酷いものがあり、特に「役立たずの狛犬」などは、もはや読者からネタにされる事すら憚られるレベルの無情さであった))」とすら表現されるワニ先生の「なんという美しさ。どこまでも広い。温かい」な深層心理を見出してしまう、というのは言い過ぎだろうか? &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **桑島慈悟郎が雷柱ではなく鳴柱である理由 雷の呼吸の育手である「じいちゃん」こと桑島慈悟郎は、作中で元柱であることが記されており、 各所の考察では「雷柱」であると表現されることが多かったが、ファンブックにおいて「鳴柱(なりばしら)」であることが判明した。 あえて「雷柱」ではなかった理由としては、下記が考えられる。 ・かみなりばしら、の文字数が多すぎるため。((しかし霞柱(かすみばしら)の例もあり、3文字まではokなのかも)) ・らいばしら、では一聴して何のことだか分かり難いため((しかし炎柱(えんばしら)の例もある)) ・いかずちばしら((当時は「いかづちばしら」、かもしれない。))、とも読めてしまうため混乱を避けた。 ・じいちゃんは雷の呼吸の中でも、音の呼吸寄りであったため、鳴の字を好んだ。 ・雷の呼吸の始祖が偉大すぎるため、「雷柱」は欠番((実際に、本編中で雷柱の語は登場しない))となった。 ・桑島慈悟郎の在位期間中、先任の雷柱が居た。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **ここが変だよ鬼滅の刃 本作は連載がそれなりに長期になったため、多少なりとも序盤の設定の粗が発生している。 また本作は大正時代と戦国時代と江戸時代を描く都合上、時代考証がやっかいな作品でもあるため、時代考証にそぐわない事もある。 もちろん、多少の粗が出てくるのはどの作品でも起こり得る話ではあり、フォローできる箇所は上記までの考察で補っているのだが、考察でフォロー出来ないレベルのものをここに列挙していく。 ・隊士選抜最終試験はブラック過ぎ。合格率25%未満で、不合格者は全員死亡というのはあまりにも人道に背く。隊士候補生に再試験の道があってもよいのでは? あと手鬼はエンカウント即死レベルで難易度が高すぎる。育手はもちろん多数いるのだろうが、合格率を考えると村一つ消滅する程度に犠牲((柱稽古では最低でも数十人の隊士が確認できる。))が出ているはずである。注意:「藤の花が狂い咲く麓まで逃げれば生き残れるが不合格」、等のリタイアに関する説明は本編中にはなく、試験の目的も明らかにされておらず、隊士候補生には「この中で七日間生き抜く」以外の合格条件も語られていない。 ・隊士選抜最終試験の評価基準が不公平。炭治郎や錆兎のように他者を助けようと自ら動いた者と、アオイや冨岡同期のように何もできないまま生き残った者の評価が同じなのはおかしい。藤襲山でのエンカウント率には個人差があるため、たまたま鬼と遭遇しなかったまま合格した者がいるのは仕方がないが、明らかに頭一つ抜けて手柄を立てた炭治郎の階級が癸スタートなのは理不尽。 ・炭治郎が浅草で骨折していたにも関わらず、次の任務を与えるのは非人道的。新人隊士の実力が足りないなら足りないで、OJTとして先輩隊士について修行する等の配慮があってもいいはず。元・十二鬼月を含む3鬼に対して新人癸隊士3名というのはあまりにも可哀想なのでは? ・善逸の実質的な任務拒否や敵前逃亡、そして伊之助の同士討ち行為((冨岡のしのぶさんへのヘッドロックは、炭治郎退席後に議題にあがったのだろうか?))にペナルティがないのは組織としてダメ。 ・階級昇進の基準が謎。柱昇進は十二鬼月を倒すか50体の鬼((および4体倒すたびに階級が1つあがる計算。あるいは3対ずつに1つ階級があがり、甲になってから10体以上鬼を倒すことで柱に昇進できるのかも。このケースでは、2週間に1鬼を倒し続ければ2年で柱になれる。1か月に1鬼の場合は4年ちょい。))を倒す事が条件のはずだが、下弦1体((塁))の討伐補助・下弦1体((厭夢))の実質討伐・上弦1体((妓夫太郎))の討伐補助・上弦1体((半天狗))の実質討伐と華々しい実績を上げているにもかかわらず、炭治郎がいまだに柱になれていないのは信賞必罰が歪と言わざるを得ない。時透が剣を握ってから2か月で柱になったという設定に違和感を感じてしまう。追記:柱が絡んでいる場合は昇進評価の基準外になってしまうという意見がある((もしそれが正しい場合、隊士たちは柱のいない危険な任務にモチベーションを感じ、また柱が応援に来た時点でその任務を放棄しても文句は言われないであろう))。%%ただしその場合でも炭治郎が厭夢撃破に際して煉獄の手を借りたとは言い難い。無限列車の乗客の大半を守ったのは確かに煉獄であるが、厭夢討伐そのものにはほとんど絡んでいないからである。%% 追記:「乗客を喰うことで自ら強化する」という厭夢の戦略を根本から破壊したのは煉獄であるため、彼の討伐貢献度はかなり高い。 ・桜餅を食べて甘露寺の髪色が変わるのはともかくとしても、それでもピンクと緑の比率がおかしい。人間の髪は部位によって伸びる速さに差はないはずなので、彼女のように「腰まである長い後ろ髪も、10cm程度の短い前髪ももみあげも、いずれも先端から2割程度の長さの色が異なる((同様の事は鬼化によって毛先だけ赤く変わったと思われる禰豆子や、服毒を続けたことによって毛先だけが紫になっているしのぶさん、さらに言えば覚醒後に毛先が赤髪になった炭治郎も似たような状況なのだが。))」というのはありえない。またザリガニの体色のように食物によって髪色が変わるのだとすると、緑髪が生えていた期間には彼女は桜餅ではなく桜の葉を食べまくっていた事になってしまう。どちらかというと生物学的な説明よりも桜餅の呪い、というほうが納得できそうな設定である。 ・時代考証が少々雑。戦国時代にさつまいも((もっとも、同様の間違いはシグルイにもあったりするのだが))があったり、炭吉の妻すやこが公家風の名前であったり((~子は平安以降、貴人の娘に付ける名前である。当時のルールでいえば「すや」のほうがしっくりくる。ただし、家が畳敷きでそこそこ広い家であることから、彼女が公家出身である伏線である可能性もゼロではない))、炭吉が痣のある鬼狩りに急須((日本独自の横手急須は18世紀に上方で発明された))でお茶((江戸時代前期までは贅沢品扱いであり、気軽に庶民が飲めるものではない))を提供していたり、江戸時代の町人の髷が例外なく後期の型((時代劇でおなじみの銀杏髷は、本来江戸時代後期のスタイルであり、江戸時代初期と思われる狛治の回想に出てくるのはおかしい))だったりと、細かい穴がいくつもある。ただし大正時代の時代描写については比較的まとも。((特にアニメ版はうどんのメニューや電信柱などの細かい描写が多く、歴史に長けたに有能なスタッフがついているものと思われる。)) ・獪岳は刀を背中に背負っているが、あの背負い方では刀を引き出す事が出来ない。右利きである彼が背中から刀を抜くためには、刀の柄が左側にくるように背負わなければならないからである。追記:ただし刀が忍者刀のように短く直刀である場合はその限りではなく、右手で引き抜く事が出来る。獪岳の刀は普通の湾曲のある打刀なので関係ないが。。。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **「鈴蘭のような柴犬」は誰の事か? 作中で炭治郎は好みの女性のタイプを「鈴蘭のような柴犬」と弟妹に述べている。((子供にも分かり易く、という配慮であったが、結果的に弟妹からは「お兄ちゃんが犬と結婚するって言ってる!」と解釈されてしまった)) まずはこの「鈴蘭のような柴犬」について考えてみよう。 「鈴蘭」とは、小さなベル型の花が連なり、下向きに咲く草花で、可憐な姿が愛らしく、世界中で愛されている。 また比較的強い毒性を持つことでも有名である。 花言葉は『幸福の再来((春の時期に花を咲かせる事から))』『純粋・純潔((欧州圏では聖母マリアの象徴でもあり、結婚式のブーケにも用いられる))』『謙遜((花弁の大きさが控え目であり、頭を垂れて花を咲かせることから))』。 「刺繍」の題材としても用いられやすい事も相まって、「家庭的((商店街の名前にも用いられることが多い。同一の道に並ぶ多くの商店を「家族同然」と捉えているのかもしれない))」や「結婚」のようなイメージを持つ人もいるかもしれない。 次に「柴犬」であるが、これは日本固有の小型犬種である。 柴犬は信頼できる飼い主にだけ心を寄せるとされる。 家族に対して強い忠義心を持ち、家族を脅かす者には勇敢に立ち向かっていくことから番犬として扱われている。 両方に共通するイメージとしては、「家庭的」「謙虚・ひかえめ」と言ったところか。 鈴蘭の「毒」と柴犬の「勇敢さ」は共に、「家族を脅かす者には容赦しない」というニュアンスもあるかもしれない。 纏めると、「純粋で家庭的で謙虚でありながらも、家族の敵に対しては容赦なく戦える強い人((この人物像は容赦なく熊を惨殺した父・炭十郎にも、頭突きでイノシシを撃退したとされる母・葵枝にも当てはまる))」というような感じだろうか? 「毒」に重点を置けばしのぶさんが候補だが、「家族の敵に対して」のほうを重視すればカナヲが候補だろうか。 もしかして:妹((繕い物が得意で、下の弟妹の面倒を良く見る家庭的な少女である。また家族をとても大事にし、弟から「人のために怒る人は自分の身を顧みない所がある」と評されることから、家族や弱者を守るために戦えるのは鬼になる以前からの気質なのだろう。)) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **「飛車のような人」は誰の事か? 作中で禰豆子は好みの男性のタイプを「飛車((作中では「縦と横に何マスも動ける。敵の陣地に入ると竜王になる」という解説がされている))のみたいな人」と弟に述べている。 これに当てはまる人物について考えてみよう。 ・猪突猛進の伊之助は飛車というよりも「香車((前にしか進めないが、代わりに何マスでも移動することができる))」 ・善逸は電光石火の霹靂一閃のイメージから飛車に近いかもしれないが、「それしかできない」のイメージに合致するのはどちらかというと「桂馬((トリッキーな動きで思わぬ活躍をする駒。))」 ・不死川玄弥は普段の戦闘能力は低いが、敵陣地に入ることで覚醒するという点で「歩((前方1マスにしか移動できない代わりに数が多く、また同一縦軸に1枚しか置けないことから特殊な駒でもある))」 ・移動力という点では申し分ないのが宇髄天元((音柱の名に恥じぬ移動速度をかまぼこ隊に見せた。既婚者))と煉獄杏寿郎((列車内を縦横無尽に動き回り、一般乗客に犠牲を出さなかった。技も大威力広範囲の技が多く、竜王のイメージには合う。故人))か。 ・独特の緩急で動き、油断した敵に一撃を食らわせる時透は、移動力という点では同等の働きを見せる「角行((斜めにしか移動できないが、何マスでも移動することができる))」か。 もしかして:兄((伊之助と同様の移動力を持つが、仲間の為に一歩引いたり、駆け付けたりする事が出来る。修行属性外の流儀や痣覚醒することで、ほんのすこしだけ斜め上の行動ができるのも竜王の特徴かもしれない。)) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **不死川実弥の口調 作中、不死川実弥は非常に口汚いヤンキー口調で話している事が多い。 他の柱の前、あるいは柱稽古での訓練中においてもそれは変わる事はなかった。 しかしお館様との会話((炭治郎曰く、「知性も理性も全く無さそうだったのに、すごいきちんと喋り出したぞ」と評されている))、あるいは悲鳴嶋に助太刀された際((「はい、すいません」としおらしい返事をしている))を見る限り、本質的には素直で真面目な人格なのではないかという分析がある。 幼少時代の人格を見るに、このヤンキー口調は鬼殺隊に入隊後に身に着けたものではないかと推測できる。 ではなぜヤンキー口調が必要だったのか? それは人間の感覚で「泥酔しているときに口汚い言葉で挑発される」という状況を作りやすいからではないだろうか? まず彼の稀血体質((その血は鬼を酩酊させることができる))は、鬼を挑発するのに都合がよく、また鬼にとっては十全の力を発揮できなくなる。 この判断力を失った状態で、あのような挑発を受ければ腹も立つだろうし、頭に血が上るだろう。((特に塁や玉壺のような煽り耐性の弱い鬼には効果が高い)) この状態異常を作り出すために、ヤンキー口調を始めたのではないだろうか? 追記:%%ファンブックによると、担当範囲がスラム街であったため、このような口調になったと説明されている。上記の狙いを込めて担当範囲を決めたのだとすれば、お館様の名采配である。%% 再追記:彼がスラム街を過ごしたのは鬼殺隊入隊以前の話なので、上記の考察は間違い。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼殺隊隊士は恐怖とどのように戦っているのか? ボクシングやプロレス、K1選手などの格闘家は試合前に口汚い言葉で相手を罵る事がある。 あるいは試合直前に気が立ってセコンドやファンに対して攻撃的になる選手もいる。 これは本質的に闘争心の高い人格という側面もあるが、これは「相手が怖い」からこそ行われる行為である。 「相手から傷つけられるかもしれない」「大きなダメージを負うかもしれない」「負けてすべてを失うかもしれない」という恐怖は本能的なものであり、これは誰もが持ちうる感覚である。 この恐怖を抑える方法は、選手によってそれぞれであるという。 ・ある選手は、敵を罵る事で恐怖に打ち勝とうとする。((不死川実弥のほか、時透や伊之助、玄弥がこれに当てはまる)) ・またある選手は、十字架に祈りを捧げて神の加護を願うという。((炭治郎、冨岡、しのぶさん、カナヲはこれに近い。亡くなった家族の姿を想像し、自らを鼓舞することの本質は信仰と同じである)) ・あるいは試合直前まで恐怖に震える事を隠さない選手もいるだろう。((善逸にとって「気を失うほどに恐怖を口にする」ことは恐怖に打ち勝つトリガーである。また甘露寺のように劣勢時に弱音を吐くのも同様である)) さて、これらの虚勢はいかにも情けない行為のように思えるが、彼らは決して臆病者というわけではない。 なぜならば最終的に彼らは逃げる事無く、敵選手に立ち向かっていくのだから。((善逸に関しては少々首をかしげるが……)) そしてもちろん、平常心で臨む者もいる。((煉獄や宇髄、悲鳴嶋などは人格が完成されており、恐怖を感じたとしても若輩者のように取り乱したりしていない)) この恐怖を克服し、正々堂々と敵に立ち向かう姿こそが格闘技の本質である。 同様に自らの寿命を削り、命を懸けて人々を守ろうとする鬼殺隊隊士は、恐怖に打ち克つ手段を持っているのである。 この覚悟を持たず、身を潜めて安全に無抵抗の人々を食い物にする無残様は、「臆病者」と言われるに相応しいだろう。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **無残様が取るべきだった作戦 鬼舞辻無残は本来、青い彼岸花の捜索のために日本全国に鬼を配置していたため、鬼殺隊は戦力を分散させられていた。 柱は9人しかおらず、またそれに匹敵する隊士の存在も確認されていないことから、普段の柱は日本全国に散らばっていると推測される。 おそらく冨岡義勇の警備担当範囲は炭治郎の故郷を含んでおり、それゆえ炭治郎は救われたわけだが、冨岡本人が言う通り、あと半日早ければ竈門家を救えたのも事実である。 さて、このような悲劇が起こった理由は、鬼殺隊の人員不足、あるいは適材不足である。 すなわち、上弦の鬼とまでいかなくとも、下弦の鬼クラスを簡単に対峙できる人材が足りないために、柱が広大な範囲をカバーする必要があるのである。 それゆえに柱はその業務をこなす事でいっぱいいっぱいになってしまう。 柱が後進の育成に注力できないのはこれが原因であることが本編中で描かれている。 さて鬼舞辻無惨は、この状況の中で陽光を克服した禰豆子を手に入れるためにどうすればよかったのかを考えてみよう。 まず前提として、本編中の無惨様の行動は「最悪手」と言ってよい。 人命を優先する柱は、全国に散らしたほうが都合がよかったはずである。 下弦の鬼クラスを量産できることが判明している以上、日本全国にその鬼を散らすことは鬼殺隊の戦力分散および柱稽古の妨害という大きなメリットが見込めるからである。 であるにもかかわらず、無残様は柱全員を無限城に引きずり込み、正面から全軍と戦う事を選んでしまった。((しかもこの選択は無残様にとって、驚くほどメリットがない。どれだけ考えてみても髪の毛一本ほどのメリットもない。特に、お館様を急襲する必要は全くなかった。)) 本来は、南樺太((日露戦争の結果、日本領になった))から台湾((清国との戦争の結果、日本領となった))、なんなら満州((中国北東部。現在の遼寧省、吉林省、黒竜江省の3省と、内モンゴル自治区の東部を範囲とする。日露戦争の結果、日本の経済圏に組み込まれた))や朝鮮半島((1910年に日本領に編入))まで僻地ほど強力な鬼を配置し、鳴女の監視によって柱の分散が確認できたタイミングで禰豆子を奪うべきであった。((しつこく書くが、死の淵にあるお館様は無視しておいてよかった。作中でお館様から言及されているように、無惨様の行動は「本来ならば眠っていたはずの虎や龍を君は起こした」でしかなく、1ミリのメリットもない。代替わりの混乱を狙っていたのかもしれないが、それは産屋敷サイドとしては既に想定済みであり、その狙いは外れている)) これはタイミング的に難しかったが、無限城に誘い込むにしても鳴女と相性がよい半天狗((本体を安全な場所に避難させさえすれば無敵))や響凱((重力反転や瞬間移動は無限城と最高に相性が良い))、塁((並の隊士では歯が立たないレベルの鬼を生み出すことができるため、遅滞戦向き))は残すべきだった。 あるいは狙いを禰豆子に絞り込み、上弦戦闘部隊を送り込んでもよい。 とにかく無惨様は鬼殺隊の柱および炭治郎を遠さげた上で、禰豆子を確保する事こそが戦略目標であり、それ以外の余計な行動をとるべきではなったのである。 というよりも、そもそも鬼殺隊の存在目的は「鬼の滅殺」であり、民間人の安全保全である。 そして無惨様の最終目的は「陽光の克服」であり、鬼を量産することは副次的な手段でしかなく、無惨様にとっては嫌々やっている行為でしかないのだから、このお互いの主目的はそれほど反発し合わないのである。 ここに無惨様の誤謬がある。 無惨様の食事についての問題が残るが、年号鬼の描写を見る限り、47年間に50人しか食ってなくてもどうにかなるのだから、通常の殺人事件に見せかける事は決して難しい事ではない。 このように無惨様が鬼を増やさない以上、鬼殺隊は活動規模を縮小を迫られることになるのだから。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **十二鬼月の討伐結果 |上弦の壱:黒死牟(こくしぼう)|討伐者:格闘中 |討伐補助:| |上弦の弐:童磨(どうま)|討伐者:伊之助・カナヲ(しのぶ毒による強力なデバフが掛かっていたため、実質的には討伐補助である)|討伐補助:しのぶさん(柱三人に匹敵すると言われる上弦を、実質的にたった一人の犠牲で討伐した。無限城編において、現状での勲一等の功績である)| |上弦の参:猗窩座(あかざ)|討伐者:炭治郎(2対1であるものの、堂々たる討伐と言って良い)|討伐補助:冨岡| |上弦の肆半天狗(はんてんぐ)|討伐者:炭治郎|討伐補助:甘露寺(敵戦力を分散させ、遅滞戦を見事に勝ち抜いた)、玄弥(力及ばなかったものの、上弦をかなり追い詰めた)、禰豆子(最も被害が重く、また決死の覚悟を見せた)| |新・上弦の肆:鳴女(なきめ)|討伐者:格闘中|討伐補助:| |上弦の伍:玉壺:(ぎょっこ)|討伐者:時透(作中で初となる、上弦の鬼を単独撃破を達成した)|討伐補助:なし| |上弦の陸:妓夫太郎(ぎゅうたろう)&堕姫(だき)|討伐者:炭治郎・伊之助・善逸(同時撃破が必須であるため、息を合わせて三人で撃破した)|討伐補助:宇随(実質的に負けに等しいものの、戦力を削る事に貢献した)| |新・上弦の陸:獪岳(かいがく)|討伐者:善逸(作中、二人目となる上弦の単独撃破。ただし獪岳が鬼として経験不足であったため、他の上弦に比べれば戦績は劣る)|討伐補助:なし| |下弦の壱:魘夢(えんむ)|討伐者:炭治郎・伊之助(実質的には実力による勝利というよりも、二人の幻惑耐性が高かったことが勝因)|討伐補助:煉獄(無間列車を縦横無尽に駆け回り、一人の犠牲も出さなかった)、禰豆子(炭治郎の覚醒のきっかけとなった)、善逸(目立った活躍こそないものの、一般人の安全を見事に守った)| |下弦の弐:轆轤(ろくろ)|討伐者:鬼舞辻無残|討伐補助:| |下弦の参:病葉(わくらば)|討伐者:鬼舞辻無残|討伐補助:| |下弦の肆:零余子(むかご)|討伐者:鬼舞辻無残|討伐補助:| |下弦の伍:塁(るい)|討伐者:冨岡(実質的な単独撃破である)|討伐補助:炭治郎・善逸・伊之助・しのぶさん(いずれも結果的には塁撃破の露払い)| |下弦の陸:釜鵺(かまぬえ)|討伐者:鬼舞辻無残|討伐補助:| &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼滅の刃世界における切腹観 鬼滅の刃において、「切腹」について言及されたのは3度ある。 一度目は鬼になった禰豆子を連れた炭治郎に対して、鱗滝がその覚悟を説くシーン。((ここでは、「禰豆子が人を喰った場合に、炭治郎は速やかに責任を取って自害すべし」という旨の警告がなされた。)) 二度目は禰豆子と炭治郎の処遇を話し合う柱合会議である。((鱗滝の手紙において、「禰豆子が人を喰った場合に、炭治郎だけでなく鱗滝左近次および冨岡義勇が腹を切ってお詫びします」という覚悟が記されていた)) 三度目は善逸の師・桑島慈悟郎の自害。((雷の呼吸の継承者である獪岳が鬼に堕ちたことの責任を取り、介錯もつけずに腹を切って自害した。介錯とは切腹した者の首を断ち切る行為、あるいはそれを行う者を指す言葉であり、自害する者が苦しまず、かつ首が飛んでいかないように首の皮一枚を残す技量が求められた。)) 上記において共通するのは、鱗滝左近次と桑島慈悟郎という、いずれも60歳を超えているであろう二人の発言・行為であるという点である。 本編中、鬼殺隊サイドで江戸時代((いわゆる幕末である。江戸時代では殉死思想が蔓延した初期を除いて、それほど切腹行為は盛んではなかった。特に中後期において武士は完全に官僚階級と化し、軍人としての意識は毛ほども残っていなかった。この意識が変わるのはまさに鱗滝が鬼狩りとして活躍した慶応年間前後である))の空気を知っている二人が切腹について言及していることになる。 しかし鬼殺隊の現役隊士から切腹について言及されることはなかった。 それどころか不死川実弥からは「切腹するから何だというのだ。死にたいなら勝手に死に腐れよ」とその価値を認めない発言をお館様にする始末であり、煉獄もその発言に同意している。((煉獄は代々続く鬼狩りの一族の出身であるが、その彼ですら切腹の価値を高く見ていない。)) これはこの時代における世代間のジェネレーションギャップである。 人命を尊び、また人命を守るために自らの命を投げうつ現役隊士たちにとって、「死んで責任を取る((そもそも切腹とは本来、名誉ある行為である。汚名を返上しつつ家名を高める事を目的とした行為である。本当に重罪であれば切腹すら許されず「打ち首」となり、お家は断絶する。それに比べれば切腹はお家にとっては慈悲深い刑罰と言えなくもない。))」というのは受け入れられない価値観なのである。 これはおそらく、産屋敷耀哉の思想と関係がある。 産屋敷耀哉は自らの権威を高める事よりも、人命を尊重する事を何よりの目標に掲げて隊士たちの心を掴んでいたため、「自らの瑕疵で人命を失っても自分が責任を取って死ねば許される」という考えは理解できないのである。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **黒死牟の刀は刺突刀? その刀は自らの肉から作られている黒死牟の刀であるが、七支刀のように刃を増やすことができることが判明した。 しかしその刀の刃の向きは、いわゆる逆刃刀のように本身とは逆についている。 この刀の向きでは、黒死牟はこの刀を刺突にしか使う事ができない。 通常通りの刀の振り方をする場合、敵に当たるのは刃のない側になってしまうからである。 またその刀身は明らかに4尺を超えており、大太刀または野太刀に分類される長刀((「なぎなた」ではなく「ちょうとう」。長刀はそのリーチの長さから遠隔から敵や馬を狙う事が出来るものの、近接戦闘には不向きとされる。))である。 この形状であればおそらく本来の使い方は、刺又((サスマタ。相手に怪我を負わせずに動きを封じ込める事を目的としたY字型の槍の一種))の要領で複数の敵を制圧・刺突する事と思われる。 連携攻撃を仕掛ける鬼殺隊の両方に遠距離から刺突を加えるために作り上げられた武器と言っていいだろう。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **霹靂一閃が雷の呼吸の中で特殊な理由 作中、善逸は雷の呼吸法のうち、壱の型「霹靂一閃」のみしか習得していない。 獪岳が弐~陸までの型を5つ、習得しているのと対照的であるが、この理由を考えてみよう。 まず二人の刀の鞘であるが、善逸は腰に刀を差している。いわゆる「帯刀」であり、多くの剣士がこれを採用している。 しかし作中、獪岳は忍者のように刀を背中に背負っている。((「この背負い方では刀を抜けない」という誤解がよくあるがそれは謝りである。左肩に差した刀は、右手で引き抜くことで簡単に抜くことができる。ただしこれは鞘の尻側を固定しないことが条件である。これを採用しているのは二刀流の使い手である伊之助と宇髄の二人だけであるが、二人は納刀せずにサラシで巻いているだけである)) 獪岳は弐~陸までの型を習得するにあたり、背中から刀を抜いて修練を重ねていたのではないだろうか。 このため、獪岳は抜刀術である壱の型「霹靂一閃」を学ぶことができなくなった 合理的な獪岳は、その他の型の邪魔になる壱の型「霹靂一閃」を捨てることで、その他の型をすべて短時間で学ぶことができたのではないかと想像できる。((抜刀術である霹靂一閃は、都度腰に納刀しないといけないため、修行効率が悪いと考えたのかもしれない。)) それはさながら、大変な割に点数に結びつかない科目を捨てる学生の姿そのものであり、他者からの賞賛のみを追い求め続ける獪岳の象徴的な行動原理と言えるだろう。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **産屋敷家97代の歴史について アニメ23話の大正コソコソ噂話において、産屋敷輝哉は97代当主であることが判明した。 産屋敷家の97代前はいつ((前述の通り、柱合会議時点での西暦は1916年ごろと推測される))だったのかを想像してみよう。 前提として平安時代((およそ9世紀から12世紀の日本を表す歴史区分。在位中に何度も遷都を繰り返した聖武天皇による京都遷都に始まる。中期ごろまでには強力な政治力を持つようになった藤原家が全盛を迎え、天皇の権力は相対的に下がった。後期にはこれに対抗する目的で始められた「院政」による天皇の多重権威化が発生する。その隙を突いた軍人のクーデターによってその時代は幕を閉じた。この流れは1930年代の軍部の暴走に類似する))において、鬼舞辻無惨は20歳になる以前((794年に平安時代が開始のため、このシーンは最早で794年。最遅の場合は1192年である。※鎌倉幕府成立は現在基準では1185年であるが、大正時代当時の史学基準では1192年である。))に、善良な医者を病が治らない癇癪((このため、塁のような病弱な富裕層の子に対して思い入れが強いようである))から殺害している。 このことから鬼舞辻無惨の生年は774年~1172年の間のいずれかになる。 鬼殺隊はこの時期の前後に成立したことになる。((お館様の「この千年」という発言を厳密に信用するのであれば、鬼殺隊の結成は916年の前後が正しくなる。)) そしてその場合、産屋敷家の歴代当主の平均在位期間は7年から11年といったところである。 これは歴代の当主は30歳足らずで亡くなるという設定と合致する。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **継国家のお家事情 作中で、兄弟であることが判明した黒死牟こと継国厳勝(つぎくにみちかつ)と継国縁壱(つぎくによりいち)であるが、この名前に少し違和感がある。 それは弟であるはずの縁壱に「壱(いち)」の字が入っているという事である。 日本の男子命名規約として、「一郎、二郎、三郎」のように長男から順番に1からの数値を割り当てるのが普通であるが、しかしこのケースでは縁壱にのみ、嫡男であることを表す「壱(いち)」の文字が含まれている。 もちろんイチロー((言わずと知れた世界で最も名の知れた野球選手である。名前に反して兄がいる))や安倍晋三((2019年現在の内閣総理大臣。やはり名前に反して次男である))の例もある事から極端に珍しいケースと言うわけではない。 しかしこれが不自然でないケースがこの時代にはあり得る。 第一のケースは、縁壱のみが正妻の子であり、厳勝が妾の子であるというケースである。 この場合、生まれた年月日に関わらず正妻の子に相続権があり、妾の子には一切の財産は残されない。 江戸時代であれば厳勝はいわゆる「部屋住み」であり、運が良ければ他の家に婿養子に行ける程度でしかない身分である。 第二のケースは、彼らの名が元服後に与えられたというケースである。 この場合、明らかに出来の良い弟に「壱」の文字を託すことで、継承順位を明らかにしたという事になる。 長子相続((武家の長子相続は江戸時代に一般化する))が一般化される以前の時代には、このようなことがあったのかもしれない。 いずれもこれらは、作中で厳勝が縁壱に「骨まで焼き尽くすほどの嫉妬心」を抱かせる理由の一つとして納得できる設定である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **継国兄弟のそれぞれの誤謬(ごびゅう) 作中で厳勝は縁壱に対して「このままでは呼吸術が途絶えてしまう」という危機感を語っていた。 実際に炎柱である煉獄の先祖の足元に及ばないほどに、彼らの呼吸術は群を抜いており、しかも炭吉によると縁壱にはその技を継ぐ者がいない事が明らかになっている。 厳勝は継国家に血を残してきたと明言しており、実際に時透がその子孫であることから、その遺伝子を残す事には成功している。しかし25歳で寿命を迎えるという痣の剣士の都合上、自らが技を教えるという事も現実的ではない。 さて、ここでは彼らがどのような認識間違い(誤謬=ごびゅう)を犯したかについて考えてみよう。 まず前提として、鬼殺隊(=鬼狩り)の目的は人命救助および鬼舞辻無惨の討伐にある。 であるにも関わらず、厳勝は「技を極め後世に残すこと」にこだわり、鬼舞辻無惨に降るという本末転倒((その技は本来、鬼舞辻無惨の討伐の為にこそ存在するべきであり、鬼舞辻無惨の味方になるというのは手段と目的の逆転である))を見せた。ここに厳勝の誤謬がある。 その技は弱き者を助けるためにこそあるべきであった。 であるにもかかわらず、人命を軽んじ、自らの餌とする鬼サイドの片棒を担いだ彼は、もはや人間だったころの記憶を忘れた悪鬼以外の何物でもない。 縁壱についてはもっと酷い。彼は「道を究めた者が辿り着く場所はいつも同じだ((これはおそらく、先天的な痣を持たないはずの炭治郎が後天的に火傷という形で痣を得たことや、赫刀に至っていない炭治郎が禰豆子の血鬼術を通じて疑似的な赫刀を得た事などが該当する))」という独自の理論のもと、60年以上もの時間があったにも関わらず後進を育てる事をせず((本当に育てていないのかは明言されていないが、少なくとも熱心に教育してはいなかっただろう))、また鬼舞辻や鬼堕ちした兄を結果的に長期間放置する事となってしまった。((鬼舞辻は巧妙に身を隠し、上弦も柱とはなかなか遭遇しないという事情もあるが、鬼舞辻経由で縁壱の情報が一切入ってこなかったことから、縁壱は鬼狩りとしての活動を停止していた可能性もある)) これは誤謬を超えて、本当に度が越えた楽観論((あまりにも技の継承についての悲観論に徹する兄に反抗していたという可能性もある))としか言いようがない。 結論として継国兄弟は、 ・兄は人命を守るという目的を忘れて鬼堕ちしてしまった((その主たる原因は弟への嫉妬である)) ・弟はあまりにも非現実的な楽観論((このふわふわした考え方は胡蝶カナエに似ている))に終始した結果、400年もの期間に渡って鬼舞辻を野放しにしてしまった という悲劇的な結果を迎えてしまった。 さらに厳勝は「縁一が死んだ以上、誉れ高き死が訪れる事はない。鬼狩りの長き歴史で最も優れた剣士が死んだ今、私は負けるわけにはいかない。醜い姿になってまで勝ち続けることを自分は選んだ」という発言をしている。このことから、彼のもともとの生存目的は「全盛期の呼吸術による技の保存」であったはずなのに、「(縁一以上の剣士による)誉れ高き死」を望むようになったと思われる。 これはすなわち、彼の本来の目的が「縁一を超える剣士になる」事だったことを示していると言って良いだろう。 追記:この兄弟を例えるならば、「"誰がやっても一緒"と政治・選挙に関心を示さない弟と、政治に入れ込みすぎて政治家になるも、所属政党がとんでもない兄」と言ったところだろうか。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんは本当に姉エミュをしているのか? 作中、カナエ姉さんの存命中は怒りやすく、やや攻撃的な言動が目立ったしのぶさん((どちらかと言うとアオイの性格に近いが、いずれもガミガミとヒステリックにやかましく正論を振るう様は「口うるさい看護婦長」といった感じである))であるが、これはカナエ姉さんの死後に激変することとなる。((柱になって比較的日が浅いと思われる甘露寺に「しのぶちゃん怒っているみたい。珍しいわね。カッコイイわ」と思われている所からすると、普段から例の柔和な表情と態度を崩さなかったものと思われる)) 本作の考察・意見交流の場においてなぜかこれは「姉エミュ((エミュレート。emulate。すなわち本物を真似てその動作をトレースし、真似ること。))」と呼ばれているが、本編中にそのような描写はない。 本編中で説明があるのは、「姉の想いを継ぐ((故人の想いを継いでいく、という描写は本作の隠れたテーマである「人間の儚さ・美しさ」を補完する描写と言える))」「姉が好きだと言ってくれた笑顔を絶やすことなく」という二つのしのぶさんの発言である。 ここにカナエ姉さんを外面的にエミュレートする意思は感じられない。 特に理性で会話するしのぶさん((象徴的なのはカナヲの危うい性質をカナエ姉さんが楽観的に捉えた際の「理屈になってない!」である))と感情で物事を考えるカナエ姉さん((カナヲの危うさを「カナヲは可愛いもの!」で片づけようとするこの発言は、さすがにマズいと思われたのか、アニメ版において「まぁそうなんだけどね」と一言添えられた。))は性格的に正反対と言ってよく、単にしのぶさんの表情と態度が柔和になっただけと言ってよい。 では、なぜこれが「姉エミュ」と捉えられるようになったのか。 それは本編中で家族をエミュレートする例があったからではないだろうか。 ・時透無一郎→「記憶のない時の僕は、兄に似ていた」と有一郎をエミュレートしていたかのような発言 ・宇髄天元の弟→「親父の複写」と言われており、意思と性格は完全にエミュレートされている。 ・冨岡義勇→回想からは本来はもっと柔和な人間性であったと思われるが、最終試験後に錆兎の性格をエミュレートしたような物言いになったと思われる。((冨岡の物言いは炭治郎を鍛える錆兎の発言とよく似ていることから)) このほかにも、兄に追いつこうと必死になった結果、追いつめられて兄と同様に粗暴な行動が目立つようになった玄弥の例もあり、この「エミュレート」あるいは「兄弟姉妹が似た行動をとる」のは本編中で頻出する描写である。 このため、「しのぶさんはカナエ姉さんをエミュレートしている」という誤解が生じたものと思われる。 追記:「鬼を心のなかでは全然許せてないのに無理矢理許そうとするからあんな笑顔でサイコなことを言い出す歪なことになる」という考察が存在する。 本来のしのぶさんの天性を無視して姉の遺志を継ごうとした結果、結果的に彼女は歪んでしまった。((そもそも「復讐」という後ろ向きな行動そのものに人の心を歪めてしまう要素があると言ってもよい。そしてこれは冨岡の性格が歪んでしまった経緯とよく似ている。)) そしてこれは本来の天性とは大きくかけ離れた歪みを持つに至った冨岡の経緯とよく似ている。((いずれのケースも、故人の「残された者に幸せになってほしい」という遺志とは掛け離れてしまっている。そしていずれも「残されたものが故人の遺志を継ぐために多大な努力を重ねた」という点でも共通する。)) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **黒死牟こと継国厳勝(つぎくにみちかつ)の人生 彼について判明していることは下記の通り。 ・1916年((本編を前述の考察に乗っ取り、1916年と仮定する。))→最終決戦 ・1916年((最終決戦から一年以内))→獪岳に鬼無辻無惨の血を分け与える ・1813年((半天狗の発言))→前回の上弦招集会議 ・1616年((300年以上前との発言あり))→鬼喰いをしていた剣士の胴を割り、絶命させる ・1516年((400年ぶりとの発言あり))→縁一との最後の切り合い。縁一絶命 ・1456年((縁一絶命の60年以上前))→厳勝が鬼無辻無惨に降り、血を得て3日間の後に鬼になる ・1432年((痣者である厳勝は鬼化時点で25歳未満。戦国時代当時は数え年なので満年齢では24歳未満))→厳勝誕生。双子ならば縁一も同日誕生。 さて、上記は全体的に「~年以上前」が多いが、ここでは最も短いケースで考えるものとする。 この最短の場合でも継国兄弟の活躍時期は15世紀中盤となり、戦国時代((室町幕府の権威失墜に伴い、戦争が爆発的に増えた15世紀後半~16世紀末を表す日本の歴史区分。一般には1467年に始まる応仁の乱を戦国時代の幕開けとし、秀吉または家康による天下統一によって終了したとされる。))とは言い難い。 ただし舞台となる関東地方はそれ以前の享徳3年(1454年)から関東管領と鎌倉公方による内乱状態であったともされ、この地方の戦国時代はそれより早く始まったとする学説もある。 その学説に則るのであれば、継国兄弟は15世紀中盤の戦国時代草創期に関東地方で鬼狩りをしていたという説が成り立つ。 この時期に縁一を含む鬼狩りたちによって深手を負った鬼無辻無惨は、戦中の混乱に乗じて人を喰らい、体力を回復させていたのかもしれない。((戦地で散った腐肉を漁る鬼無辻無惨の姿は、負け犬そのものである。)) そしてその場合、全国で散発的に始まる戦に紛れた鬼無辻無惨を鬼狩り達が見つけるのは非常に困難である。((戦国時代草創期だったからこそ、鬼無辻無惨を特定できたのかもしれない。)) 戦乱がひと段落し、治安が良くなった16世紀以降に十二鬼月を組織したのは、自らの食事を警察行政に悟られないようにするための欺瞞工作だった可能性もでてくる。 上記が正しい場合、やはり珠代様の言う通り、彼の性質は「臆病者」そのものである。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **継国兄弟の最後の決戦地 継国兄弟の最後の決戦地には、赤い月とともに七重塔があった。 日本において五重塔は現存するものも含めて珍しくないが、七重塔((多くは聖武天皇によって全国各地に作られた「国分寺」とセットで建設された。神奈川県海老名市には駅前に七重塔の1/3レプリカが復元されている。))はかなり珍しい。 少なくとも近世以前に建立された七重塔は現存しないという。 では作中で、継国兄弟の最後の手合わせが行われた時期((15世紀中盤以前))においては存在したのか?について調べてみたところ、ほとんどのすべての七重塔は当時、既に焼失((特に落雷による火災が多い))したり戦乱に巻き込まれていたりという。 しかしその中の唯一の例外が、足利義満によって応永6年(1399年)に建てられた京都相国寺の七重大塔である。 この塔は二度の焼失したがその都度再建され、文明2年(1470年)に三度焼失するまでの間、存在し続けたという。 先述の考察では、継国兄弟の最後の手合わせを1516年と仮定したが、これが50年弱ほど前にズラせば、相国寺七重大塔が存在した時期と一致する。 というよりも、この時期に存在した七重大塔は相国寺七重大塔のみである。((もし15世紀前後に存在した七重塔をご存じの方がいればコメントください)) このため、継国兄弟の最後の決戦地は京都である事が確定する。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼舞辻無惨は相貌失認か ブラック上司で有名な鬼舞辻無惨だが、彼の駄目上司ぶりとしてホウレンソウ(報告を受け、連絡をする。相談については……)のできなさが上げられる。 例えば彼は浅草で炭治郎と遭遇し初めて「耳飾りの鬼狩り」の存在を認識したわけだが、それ以前にも他の鬼((鬼になって間もない禰豆子やお堂の鬼、藤襲山では手鬼を含む8人、直前には沼鬼があげられる。))の目を通して見る機会はあった。 そのため彼がいかに鬼の死に頓着していないのかがわかる。 また浅草で矢琶羽と朱紗丸を退けられた後も同様で、炭治郎と対峙した響凱や累達にも特に命令がなく、累が死ぬ((あるいは累は、禰豆子を家族にするための許可を無惨に求める等しており、其れがきっかけで様子を見ていたのかもしれない。))まで何も把握していなかったことも伺える。 ほかにも食べたもので目と髪の色が変わる上に捌倍娘である甘露時蜜璃のことを鬼にする対象((ファンブックによると、無惨が鬼にするのは初見の特殊な体質の者や、十二鬼月になったものと同じ体質の者とある。))として捕獲令を出していない((殺された鬼がその体質に気付いていない/既に同様の体質の人間を鬼にしたことがある可能性はある。))こと。 極上の稀血であり柱(下弦の壱の討伐実績あり)というどちらの意味でも上等な獲物のはずの不死川実弥の情報を黒死牟が得ていないこと。 禰豆子の存在を吉原から動かない堕姫には伝えているが半天狗には伝えていないこと。 かつて厳勝だった黒死牟に「耳飾りの鬼狩り」こと炭治郎の情報が伝わっていなさそうなことなど、枚挙に遑がない。 なお、炎柱殺害を報告しにきた猗窩座に「ほかに三人の鬼狩りがいた」と言っているため、死に際か常にか魘夢の様子は観察していたようである((猗窩座は善逸を見ていないが、列車と融合した魘夢の腹中にいた彼のことを把握しているらしいことから。))。 単に十二鬼月の死には常に気を配っているのかもしれないが。 ところで少し遡るが、この「耳飾りの鬼狩り」という認識に少し疑問がでる。 おそらく、かつて刻まれた継国縁壱への恐怖の為に「耳飾りの鬼狩り」こと炭治郎の抹殺に執着した時期のある無惨だが、実際は炭治郎と縁壱の外見的な共通点は耳飾りのほかにも「赫灼の子」「額の痣」がある。取り外しが可能な耳飾りにこだわる理由はない。 浅草の時点ではまだ炭治郎が手ぬぐいのほっかむりをしているためわからなかった可能性がある((魘夢には単に殺せと命じたが、矢琶羽と朱紗丸には首を持ってくるように命令している。これは痣の有無などを後で確認する為かもしれない。))が、魘夢に渡された累の記憶の炭治郎(アニメ参考)にはしっかりと痣が映っている。 にもかかわらず猗窩座にも魘夢にも「耳飾りの鬼狩り」と説明している。 黒死牟と最後に対峙した縁壱は既に耳飾りをつけていなかったが、それでもあくまで無惨が拘るのは「耳飾りの鬼狩り」なのである。 同様のことは堕姫に禰豆子を説明した台詞((麻の葉模様の着物に市松柄の帯の娘、と説明されている。耳飾りの鬼狩りと一緒にいることすら説明されていない。))にも見られ、無惨はあくまで人間個人を「身につけたもの」で区別していることが示唆されている。 堕姫が無惨の細胞に刻まれた記憶越しに見た、耳飾りをした縁壱らしき人物の目元口元のはっきりしない顔(ただし痣ははっきりとあるが)や、魘夢に与えたのが自らではなく累の記憶であることなど、実際のところ無惨は人間の顔の区別つかないのではないだろうか。 相手が鬼であれば直接ありとあらゆる情報を読み取れてしまうため、こういった基本的なコミニュケーション能力が退化したとも考えられる。 人間的にいえば相貌失認を患っているということになるだろうか((ただし、「産屋敷耀哉の仏のような笑みを貼付けた」表情を認識していることや、ファンブックの惡鬼新報による「麗さんの旦那の姿にもなれる」との情報はこの可能性を否定している。))。 そうなると、彼が鬼狩りの情報を部下に碌に伝達していないのはやむを得ない事情とも言える。 あるいは彼が人間に成り済ます折りに上流階級を選ぶのは、付き合うべき相手に特徴的な服装が多く、また雑多な人間の区別をしなくていい身分という視点があるのかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **このページは考察ではなく妄想なのか?についての反論 題名の内容を某サイトに指摘されたため、ここに反論を記述します。 下記は大抵の方にとっては見苦しいネットバトルでしかないため、一定期間後に削除する予定です。 また該当人物からの再反論があれば、コメント欄にご意見をよろしくお願いします。 以下、具体的な反論を行います。 ・「考察」というものは、「事実」に基づいた推論のことです。 違います。それは「帰納法による仮説」です。 考察とは字のごとく、「(今ある"材料"の中から)考えて(答えを)察する」という行為であり、 必ずしも「事実」から始まる必要はありません。 考察において必要なのは「論拠」であり、必ずしも「事実」だけが採用されるわけではないからです。 先に仮説を立てて、論拠を材料の中から探し当てる行為(=演繹法による研究)を「考察」と呼ばないのであれば、 古代生物学や史学・量子力学の論文には「考察」が存在してはいけないことになってしまいます。 また、ここでいう「事実」をどこに定義するのかは考察者のスタンスに拠ります。 ・アオイさんの名字は、「キメツ学園」では「神崎」となっていますが、本編では未登場ですので、本編のアオイさんは名字不明とするしかありませんでした。しかし、この度、公式ファンブックによって「神崎アオイ」であることが確定しました。このように、「考察」を行うにあたっては、まず「事実」認定から始めなくてはなりません。 当方では、「作中に言及された設定」を第一級資料とし、次いで「史実((例えば、「この世界において日露戦争や第一次世界大戦等の史実が起こったとは限らない」という考えは想定から外します。本編中で否定されれば別ですが、それを想定してしまうとこの世界は「大正日本」ではなくなってしまうからです。))」、「科学的事実((とはいえ、空想科学読本のような「科学的に考えてありえない」という結論は出来るだけ禁忌としています。それを言い出すと「そもそも鬼なんて非科学的」「人間があんなにジャンプできるわけがない」という元も子もない結論に至るからです。))」を論拠とし、最後に作者の言やファンブック((公式の出身地に関してのスタンスは、「隊士の出身地を非公式に妄想してみる」の追記を参照))を引用します。 第一級資料同士に齟齬があれば言及します((例「しのぶさんの毒?珠代様の毒?」))が、史実・科学的事実との矛盾は可能な限り作中設定に寄せて考察しています。((例「彼らはどうやって徴兵を回避したのか?」や「しのぶさんの毒の致死量について」や「黒死牟こと継国厳勝(つぎくにみちかつ)の人生」)) 当方は集英社の鬼滅スタッフに不信((「ほとんどの隊士が東京府出身の理由」の追記に理由を記述しています))を抱いており、ファンブックの内容は必ずしも重視しません。((人名や趣味などの、本編中の描写と競合しないものについては基本的に採用します。)) このように各人が何を重視するのかによって、「事実」という概念すら共有できないのです。 あなたの言う「事実認定」は主観性の強い概念であり、その主張は考察スタンスの多様性の否定に他なりません。 相手のスタンスを尊重することなく、自らのスタンスを押し付ける行為こそが、言論の禁忌ではないでしょうか? ・そのテクニックとして、一例を挙げるなら、「~と思われる」という書き方は要注意です。これには、二通りの意味があるからです。ひとつは、「他者はどうかわからないものの、私には、~と思われる」という意味です。もうひとつは、「多くの人が、~と思うだろうことは、確実性が高い」という意味です。 「~と思われる((「る/らる」は自発・可能・受身・尊敬の意味を持つ助動詞で、「思う」に対しては4種類ともありえる))」は考察においては「自発」を意味する論文で頻出する言い回しであり、「可能」を意味しながらその主体をボカすような意味で捉える人はいません。 この言及はあなた個人の思い込みによる「言葉狩り」に他なりません。 ・「事実」に反しておらず、破綻もない推論が、「正解」かと言えば、そうとは限りません。そのような推論が複数存在する可能性を見落としてはなりません。 ・「妄想」を「正解」と思いたい誘惑は、強いものです。 ・すべてを知ることは不可能なのです。 本考察中で、「正解」を断定することは当方の目的ではありません。 また当方は「事実以外を基にした考察はすべて妄想」とする唯物論を受け入れることはできません。 言論において、「事実が確定したことで考えを支持する人がいなくなる」事は十分にありえますが、それを「妄想」や「無意味」で片付けるのは、愚かです。 一級資料が更新されれば、その考察は「過去の考察」になるだけです。考察が無意味になるわけではないのです。 また常に他の説に配慮しろというのであれば、それは考察どころか言論とすら呼べません。 そもそもの問題として、「自分の説が間違っている可能性がある」のは大前提でしょう。 論議に対しては、「今ある材料の中で、論敵の主張を否定する」以外のことは出来ません。 論敵の考察スタンスに対する攻撃は、誹謗中傷以外の何者でもないことを理解してください。 さらに「あなたの主張には今のところ穴がないが、将来はどうなるのか分からないので評価しない」は、大抵の科学的事実にも適応できる「詭弁」です。 「間違いが確定したのに、自分の説を取り下げない」のであれば非難の対象なのでしょうが、自らの説を発表すること自体を「妄想」と断言されることには強い違和感を覚えます。 あなたの主張は当方に対する「間違っているかもしれないのに偉そうに考察するな」でしかないので、言及する価値がないと判断します。 以上から、あなたの主張は明らかに客観性と科学性を欠いており、当方としては「一個人の偏見」と判断します。 あなたと唯一意気投合できるのはこの意見です。 ・この渦に巻き込まれると、論争・批判・中傷といった攻撃性を発揮し、自他に不快な思いを味わわせることになります。注意されたし。 これについては100%同意します。どうかお互いにこれ以上係わり合いを持たずに済むことを望みます。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- //公共wikiでは視認性重視で説番号は漢数字ではなくアラビア数字を使用願います。(大正風で表現したい気持ちは分かりますがご遠慮願います) ---- *コメント 最新の20件を表示しています。 #comment_num2(noname,size=75,num=20)

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