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2ch系掲示板では書き込み時にIDが公開される。書き込んだ掲示板、日付、回線が全て同じなら、IDの文字列は同じものになる。つまり板が同じなら、同じIDのレスは同一人物が書き込んだ可能性が高い。
それだけなら別に問題ないのだが…
「必死チェッカーもどき」という、入力したIDのレスを全て抽出してくれるサイトが存在している。なぜ必死と名づけられているのかは言わずもがな。
また、しばしば大量の単一IDが現れ捨て台詞を吐き去っていくという謎の現象が起こることもある。
そしてその後同一のIDによる書き込みは来ない。はて? これはどういうことだろう…?
cheat。「ズル」という意味の言葉で、その名の通りカンニング等のインチキ行為を指す英語。ゲーム的には、主に内部データを改造して無敵状態・いきなりLv99などゲーム内容をプレイヤーに極めて有利にする行為のこと。
ズルではあるので初回プレイから使うと本来のゲームの味を損なう危険性大だが、プレイし終わったプレイヤーがその時点では手に入らない最強武器を手に入れてみたり、強制負けイベントで勝ってみたりといったいわゆる「遊び」プレイにも使われている場合がある。この場合は納得する人も多い。
オフラインゲームでやる分には個人の自由であるため、あまり大声で文句を言うべきではない。
PC版のゲームではコンソールコマンドやMOD(*1)を用いてチートを行う事が可能で、これは製作側が意図しているものである。こういったチートは使用してもPCゲームにおいては通常のプレイの範疇を出ない為こちらも文句は言われないことが多い。(*2)
コンシューマ版、PC版問わず問題なのは、「製作側が意図する範囲を逸脱したチートをオンラインで」使うことである。
語源はラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』の過去の投稿コーナー「かかったかなと思ったら中二病」。
放送当時は「中二の時によくやった事(例:思いつきで、純文学作品や英字新聞に手を出してみる)・いい年なのに思春期のような気分を感じる時(例:もう30半ばなのに未だエロ本を買う時に物凄くドキドキする)」というあるあるネタの事だったが、今では「カッコつけようとして中学生レベルになってやんの」という侮蔑の意味になってしまった。
まるで中学生の妄想のように、他人と決定的に違う能力を持つ強すぎる主要キャラ、どっかの国のマイナー神話を絡めるなど設定がムダに凝っている、その割にストーリーに活かされず説明文ばかりの文章…などなど、かなりイタい設定・文章を書いてしまうことを指す(*5)。だいたいは漫画やアニメの下手な真似事のような感じになる。
そうして生み出された作品は大抵の場合、本人は書いていて楽しいが周りからは痛すぎて見れたものではないレベルになる。書いた本人も数年後にそれを見て、表面上のカッコ良さに塗り固められた底の浅さに気づき、恥ずかしさのあまり悶絶する事が殆どである。
伊集院自身は中二病という言葉について「もう僕の定義から外れて別の意味の言葉になってしまったのでどうでもいい(笑)」と発言している。
もっとも、創作のとっかかりが「若気の至り丸出しの妄想」というのはどんなメディアの物語でもよくある事で、普通はそれをうまく肉付けして作品に起伏をつけ、中二臭さを消していく。逆に中二臭さをわざと残すどころか全開にし、面白く魅せる作家も存在する。『月姫』『Fate/Stay night』等で有名なTYPE-MOONの奈須きのこ氏などはその代表例である。
中二病的な表現や設定が即座に問題点となるかどうかは、その程度と使い方による。
しかし、消しきれなかった中二病の残り香などを神経質に嗅ぎ付け、ヒステリックなまでに批判するような輩も存在する。こうした、「中二病を『ガキ臭い』ととにかく否定したがる症状」は逆に「高二病」と呼ばれる。精神構造が子供っぽいというニュアンスを含んでいるのは中二と同様である。
中二要素を積み重ねただけでオリジナリティが無い作品や設定をうまく消化できずただの電波になっている作品は、性質としての中二が云々よりも単純な作品そのものの稚拙さが問題である。『BLAZBLUE』などは、ぶるらじのゲストに来た中村悠一に突っ込まれているが、スタッフも自覚しているし、完成度向上や続編のリリースなどに尽力もしている。どんな作品であろうと安易に「中二だから」と切り捨てるのは非常にもったいない。
中二的題材として使われる元ネタは漫画やアニメにあることが多い。有名なコピペネタに使われる「邪気眼」は漫画『幽遊白書』の邪眼を元にしているとされることは有名で、ゲームからもこの手のネタ元が生まれていくことが今後出てくるだろう。
余談だが、この中二病(に似た症状)へ回帰した状態を「大二病」と呼ぶ。中・高に対し、半端に年のいった感のある趣きの言葉である。
創作物を無断コピーや翻案から守るための権利。詳細はこちらを参照。
その時点でどうやってもゲームオーバー確定、或いは先に進めなくなってしまった状況の事。特にゲームオーバーで途中復帰が出来ないものや、ゲームオーバーすらできない状況でセーブしてしまうと最悪。
そのデータを消して最初からやり直すしか手は無いため、それまでの苦労もプレイ時間も全てパーとなる。
少し逸れるが、ディスクレス起動が出来るゲームにしても条件が付くものもあり、「規定回数起動するごとにディスクを必要とする」といったものもあれば、「ディスクレスで起動は出来るがインストール時に固有のシリアルナンバーなどの入力を要求される」と言うものもある。
またオンラインでアクティベーションを要するものも最近では良く見受けられるようになったが、少し前には「オンラインゲームではないのに常時インターネット認証を行う」と言うゲームもあった。
オンラインでアクティベーションやユーザー認証を行うタイプのものの場合、そのディスクとユーザー(アカウント)がひも付けされてしまうため、ソフトを売ろうにも買い取って貰えないと言うこともままあり、ユーザーからの反発を招いている面もある。
だが、海外のサイトなどを見れば、本来は起動時にディスクを必要とするゲームをディスクレスで起動出来るようにするパッチや既にディスクレスで起動出来るようにレジストリを弄られた実行ファイルがアップロードされていたりと、正規ユーザーにとっては単純に不便を一方的に強いられてしまっているのが現状である。
常軌を逸した発言をする人々、及びその言動、そしてその原因とされるもの。古くは狐付きや生霊の仕業とされた。おそらくラジオやテレビの普及により「電波」と言う言葉が一般的になってからこう呼ばれるようになったと思われる。
一説には1981年に起きた通り魔殺人事件の犯人が取り調べや公判で発した内容に起因するともされる。具体的な出所として考えられているのはある事件の犯人の発言であり、『東方見文録』においてその人物に触れられている。
結局のところ、電波と呼ばれる人々が何を考えてその行動をしているかは不明だが、バカと天才は紙一重と言う言葉がある通り、おそらく常人には理解できない考えがあって行動しているのだろう。
実際「言動は電波だが天才」というキャラはそこそこ居る。それに伴い、『りんかねーしょん☆新撰組っ!』のように常人の理解を超えたシナリオは「電波を受信している」として「電波シナリオ」と呼ばれる。
その大抵は多くのユーザーに嫌われるが、中には『ドラッグオンドラグーン』のように一部から熱狂的な支持を受ける電波シナリオもある。
動画投稿サイトなどのゲームプレイ動画などを見ただけでKOTYや当Wikiなどに意見する人の事。大抵的を射ていない批判や擁護ばかり述べてくるので、大変迷惑がられている。
動画からでは操作性の悪さがイマイチ伝わらないため、操作性でクソゲー評価されているゲームに対して的外れな擁護をして迷惑がられることも多い。また、クソゲーレビューの動画などで、操作性が悪い為非常に難しいのに、「この人は下手くそすぎる。俺がやった方が上手い。自分が下手なのにクソゲー扱いするな」等と非難する人もこれに分類される。
昨今は操作性などとは無縁の筈のADVにも湧く傾向が見受けられる(*8)。
資金繰りが出来ず、会社がつぶれること。クソゲーを出した会社の多くがこの末路を辿る(*9)。銀行から取引停止を食らうと自力で資金を調達しなければならないが、それが出来れば銀行から資金を借りる必要も無いため、取引停止になった時点で会社自体はまだ存続しているが清算手続きを開始せざるを得ない状態を事実上の倒産という。
ただしイコール消滅ではなく、優良な事業などがあれば外部からの支援が受けられHAL研のように復活する場合もある。とはいえ、もちろんそのまま消滅する方が圧倒的で、バグだらけなのにパッチが当たりきらないなどの悲劇を生む。
また倒産した会社のソフトがただのクソゲーや凡作で片付かない何かを持っており、出荷数も少ないとプレミアソフトと化す。
広義では「同じ趣味や志を持つ人々、あるいはその集団」のこと。現在では、同人誌即売会などを拠点に活動する創作家、あるいは彼らの作品のことを一括りにして呼ぶ際に使われる。
内容や媒体は様々で(*10)、既存作品の二次創作やオリジナル作品、各種写真集や非公式攻略本などそのバリエーションはまさに星の数ほどある。
書籍やCD、グッズ以外にもオリジナルのゲームやアニメを手がける創作家・サークルも存在する。
当wiki・及び姉妹wikiでは同人ゲームを記事として取り扱うことは禁止されているので注意。
版権や公式に縛られない自由な作品が人気を博す一方で当然ながら質のばらつきもピンキリであり、一般的には公式的なものに比べてランク・質の低いものとして扱われることが多い。ただし、常に一定の成果を上げ、凡百の企業より評価の高い同人サークルも少数ながら存在する。実際商業レベルの製品と遜色ないものやそれ以上の人気を博すものなども昔から少なくはなく、遡れば『神威』(*11)や『月姫』(*12)『東方projectシリーズ』(*13)、近年では『キラークイーン』(*14)『Hellsinker.』(*15)などはその代表例と言えるだろう。
また最近では高く評価された同人ゲームがゲーム業界に目をつけられて商業化するケースも多く、サークル「SUBTLE STYLE」の『アカツキ電光戦記』や「スタジオシエスタ」の『トラブル☆ウィッチーズAC』、「黄昏フロンティア」の『ひぐらしデイブレイク』など同人から商業に移植されるゲームは増えてきている。
ゲームやアニメの業界では、視聴者やプレイヤーが作品の質を評価する際に「同人レベル」などと評価するときがある。これは蔑称やあまり好意的でない評価であり、大抵の場合遠まわしに「質が低い」と言っているようなものである。
長く表現の仕事をしている者ほど「同人=プロになれない連中の吹き溜まり」のように見下す傾向があり、漫画家やくみつる氏がかつて竹書房の新人賞で全員に「同人誌からやりなおしましょう」という評を出して問題視されたこともある。
同人の全てが完全なアマチュアだと勘違いされることもあるが商業デビューしているプロでも同人活動をしている場合もあるので注意が必要(*16)。それにアマチュアの同人作家でも誰もがプロを目指しているわけではない。
また二次創作が多い世界であるのは確かだがオリジナル作品を作っているサークルもいくらでもあるので、同人といえば二次創作であるかのように語ると嫌がられる。
先程も述べたように、同人とひとくくりに言っても業界の中ではそれこそ天と地ほどのレベルの差がある。実際蔑称として使われることを快く思わない作家も多いので、使用する場合はできればその辺りを心に留めておきたい。
「どきゅん」と読む。語源は昔放映されたテレビ番組『目撃!ドキュン』から。当番組はいわゆるお涙頂戴番組であり、非常識な元ヤンやヒモといった人間が登場し更生したりする番組構成が得意だった。これをもじり、現在ネット上では常識外れの人々をこう呼んでいる。
電波に良く似ているが、こちらは「言いたい事は理解出来なくもないが普通ならやらない事をする」人。言い換えれば、論理はまだまともなのだが倫理観のほうがおかしくなってしまっている人を指す。
例えば「お腹が空いたから精算する前にコンビニ店内で食べた」はDQN。「今朝方見かけた犬が可愛らしかったから精算する前にコンビニ店内で食べた」は電波。登場キャラクターがDQNだと感情移入が出来ず、むしろ殺意とストレスが蓄積されていく。それが主人公やヒロインだと目も当てられない。
製作者側がこれである場合も少なくない。俺持論による世界観改悪、バグを仕様と言い張る、PSイベントでSS移籍発表と様々。プレイヤーに実害がなければ何の問題も無いのだが、大抵の場合そのとばっちりは会社、ひいては市場全体に降りかかり、巡り巡ってプレイヤーに周ってくるのだからたまった物ではない。
あと、根も葉もないことで人をDQNと呼んで名誉毀損になった判例もあるらしく、使用には十分注意。というか実世界の人間には言わないようにするべきである。こちらも、言い過ぎるような人はDQN扱いされる事もあるので注意。
文章や演出などから、真意を読み解く能力。そう書くと難しそうだが、実は誰もが持っているスキルの一つ。
あまり深読みすると、却っておかしな方向にいったりするので注意。基本的に、日常会話が成立するレベルの語彙があれば十分に読解できる。
ゲームが売れなかった理由として「ユーザーの読解力が足りないから」などと言うクリエイターが稀にいるが、それは完全な勘違いである。足りないのは貴方の構成力の方だ。
まあゲームに限らず、業績不振の理由を客のスキル不足にするような者は大成しないが。
ゲーム類を含め、ディスクを軒下や田んぼに吊るすとカラスなどの害鳥避けになることから、ほとんど擁護不可能のゲームに対する最後の活用手段として揶揄する場合に使われる。
ちなみに、『人生ゲーム(Wiiware版)』はダウンロード専用でディスク媒体ではないことから、2chKOTYスレで「鳥除けにもならない」と皮肉られた。
類義語に「フリスビー(用語集の当該項目参照)」「コースター」「予備パッケージ」などがある。