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簾
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匿名ユーザー
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簾 03/10/06
さて、ここで度々禿に関することを書いているのは、書いている本人が禿げる事を非常に恐れているからである。だから非常なる興味がある。
従って珍しい禿げ方をしている人がいれば、観察して「この禿げ方は格好良い」「これは恥ずかしい」などの裁定を勝手に下し、禿げ方の傾向と対策を日々学習しているわけだが、本日、衝撃的なハゲを見た。普段は侮蔑語にならぬように漢字の「禿」を使っているが、これはどうにも「禿」ほどの威厳はなく、まさしく「ハゲ」と片仮名表記したくなる程の物悲しさがあった。
所謂「簾禿」というものは、中曽根氏の活躍で「悪足掻きだ」などと評判にはなったものの、その存在を認めさせたことである程度の市民権は得た。「スダレハゲ」と片仮名で書けば揶揄している雰囲気を出すことが可能であるが、その努力に対して尊敬の意を込め、誇り高く凛々しい印象を持つ漢字の「簾禿」を用いる。この簾禿というもの、成人男性の最も無難な髪型である七三分けを、まず、三・四・三に分け、その中央部の四がごっそり消失した為に生じたところへ、端の一部を薄く引き剥がして伸ばし、結果「2.9・0.1・3」という計算に合わない髪型?ノなる。俗にバーコードとも呼ばれる。これは「分ける」「撫で付ける」よりも「並べる」と表現するしかない状態であり、ひとたび突風吹かるれば忽ち阿鼻叫喚の髪踊りになるのだが、本人がそれで「誤魔化すことが出来ている」と考えているのだから、それはそれで構わないとも思う。
ところで簾禿と言うのはつまり、並べた毛が横に走っていること、これが言わば共通の認識だ。しかし本日、目の当たりにしたのは、「縦にスダレ」であった。これは実に多大なる精神破壊作用を内蔵しており、のみならず垂頬作用までも付帯していて、腹筋が鍛えられる作用まである。頭頂部を真上から見ることになってしまった状況の下、つくづく見入ってしまったのだが、どう考えても「無理し過ぎ」としか思えない。状態にあっては、M字禿から次第に切れ込みが深くなってゆき、その切れ込みが天辺で合流した際、前頭部に離れ小島の如きキューピースタイルの「ちょぼん」が残り、しかし尚も砂漠化の勢いは止まらずに頭頂部一帯全て輝いてしまい、それでも最後の抵抗を試みるべく前頭部に残った「ちょぼん」を精一杯伸ばして頭頂部に「タテに並べている」仕組みである。
この縦スダレ、極端なまでに好意的な解釈をすれば、「大変薄いオールバック」と言えなくもないのだが、単に櫛で後ろに撫で付けたわけではなく、確実に「並べる」という行為が介在していることが見て取れるのであって、やはり「縦スダレ」と呼ぶべきかと思われる。
しかしこの「ちょぼん」の扱いは難しいようで、ケーキの装飾の如き生クリーム形の物が一般的に好意を持って迎えられているようだが、ひたすら伸ばして縦に並べる方法は知らなかった。もし腰のある髪ならば簡単には禿げないだろうし、禿げるということは腰のない髪でもあるわけだから、「ちょぼん」が残ることは稀であるだろうし、残った「ちょぼん」は平野部に於ける最後の抵抗勢力として大切にされることが多い。だからこそ剃るなど以ての外であるが、酷使する勇気も大したものである。縦スダレ、突風により世にも不思議な髪踊りになることだろうが、観察していた時に突風は吹かなかった。
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