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ギリシアからエジプトへ・・・ - (2009/11/19 (木) 00:09:31) のソース

[[ヘルメス]]、イオなど多くの本編の神々はギリシアからエジプトへ移動している。
これはアレキサンダー大王の「ヘレニズム」の一環である。

「ヘレニズム」とはそもそも文化の融合を目指していた大王の政策である。
これらの影響は遠く日本にも見られている。

では何故彼はヘレニズムや異民族との融合を果敢に行ったのか?
彼は結果、このような政策で反感を買っていたにも拘らずこれを行い続けている。

P3本編では多くの人たちがストレスや野心から挫折や屈折を味わっている。
大王の人生には多くそれが見られる。
マケドニア人は同じギリシア人からも差別され蔑視さえてきた。
さらに大王はオッドアイ(両目の色が違う)など人と違う外見や若すぎる王など苦悩は絶えなかったはずである。

本編では登場人物の心の成長として描かれているが、歴史の舞台でもこれらギリシアの神々がエジプトでどう変異したのか、一口には語れない。
ただ人は新天地を求めつつも変化にストレスを感じているハズだ。
しかしそれらは登場人物にも当てはまる話ではなかろうか?

本編とはかなり飛躍した解釈であるが[[主人公]]達は10年前の事件、過去との対決と未来への移行という大変動を通過したのである。

*影時間はイデア界?

イデア界とはギリシアの哲学者プラトンの唱えた永久不滅の世界である。
[[影時間]]に通じるものを感じる哲学である。
桐条の目的もこのような不確かな不安から生まれたのでは?

・意見 
哲学者だけがそのイデアを捉えることが出来る=適合者?
しかしそれを現実的に知覚が出来るのでは、一歩違うのでは?
影時間にあるもの、しかし視覚に入るものは所詮イデアを象ったもの、となってしまい、それらはイデア界とは呼べなくなるのではないかと思う。
影時間というものが精神世界となるのなら話は別だが、物質的に事が起こる(天田の母親・荒垣など)のなら、モチーフはイデア界かもしれないが生まれたのは全く違うものとなってしまったように感じる。
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