新熊野神社 - (2008/10/17 (金) 14:19:38) の最新版との変更点
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&sizex(6){&bold(){新熊野神社}}
出典:『日本歴史地名大系』27(平凡社・1979)、京都府教育庁文化財保護課編『京都府の近世社寺建築』(京都府教育委員会・1983)
&ref(imakumanojinjya.jpg) &ref(imakumanojinjya2.jpg) &ref(imakumanojinjya3.jpg)
&sizex(5){&color(red){概略}}
&bold(){新熊野神社}(いまくまのじんじゃ)は、京都市東山区今熊野椥ノ森町にある神社。祭神は伊弉册命(いざなみのみこと)。京都三熊野神社のひとつで、後白河上皇や後鳥羽上皇がたびたび参籠し、京都における熊野信仰の中心となった。ご利益は安産祈願ほか。[[観阿弥]]・[[世阿弥]]父子が将軍[[足利義満>足利氏]]の前で初めて猿楽を演じたという由緒の地でもあり、芸能の神としても崇められている。
&sizex(5){&color(red){歴史}}
熊野信仰のあつかった後白河上皇の御願により、永暦元年(1160)、後白河院御所である法住寺殿の傍に鎮守として紀州熊野本宮大社より熊野の神を勧請したことにはじまる。造営には[[天台>天台宗]]座主の最雲法親王があたり、このことが[[妙法院]]隆盛の端緒となった。後白河法皇は100余度も参籠しており、後鳥羽上皇も同様に150度にも及ぶ参籠を行っている。文明2年(1470)に兵火によって社殿を全焼し、その後再建されたものの往事の盛観には復さなかった。寛文6年(1666)には[[東福門院>徳川氏]]が修復を行っており、現在の堂舎はこの時の造営による。境内の大樟(くすのき)は高さ約19m、周囲約6mに達する巨木で、お腹を患っていた後白河上皇手植えでお腹の守り神という。
&sizex(5){&color(red){建築物}}
***本殿
寛文13年(1673)、[[聖護院]]道寛親王が再建した。入母屋造、桟瓦葺。
***大樟
新熊野神社の目印にもなっている巨木で、永暦元年(1160)の創建時に熊野から移植されたといい、後白河上皇のお手植と伝わる。熊野の神々が降り立つ「影向(ようごう)の大樟」と称され、後白河上皇のお腹の病が治まったことから「お腹の神様」として信仰されている。
***梛の木
新熊野神社の神木で、簡単には切れにくいことから縁結びの樹とされ、二つ仲良く並ぶことから夫婦円満の樹ともいわれる。梛の木には、災い、病魔、汚れをナギ祓う霊験があるとされ、神社の住所「椥ノ森町」にも名を残す。
&sizex(5){&color(red){文化財}}
***国宝
なし
***重要文化財(建造物)
なし
***重要文化財(美術工芸品)
なし
&sizex(5){&color(red){拝観情報}}
住所 京都市東山区今熊野椥ノ森町42
電話番号 075-561-4892
拝観時間 境内自由
拝観料 境内自由
アクセス 市バス「今熊野」下車徒歩2分
駐車場 無料駐車場あり
&sizex(5){&color(red){主な祭事}}
1月1日 新年祈願祭
1月成人の日 左義長神事
5月5日 神幸祭
6月30日 茅の輪神事と夏越の祓式
仲秋の名月の日 大樟祭
11月23日 お火焚祭
12月23日 つなかけ祭
12月31日 大祓式
&sizex(5){&color(red){その他}}
***京都検定出題
平成17年(2005)第2回京都検定2級出題
「後白河上皇が法住寺殿の鎮守として創建し、足利義満が観阿弥、世阿弥父子の能を初めて見たという神社はどこか。」
平成17年(2005)第2回京都検定1級出題
「世阿弥について150字以上200字以内の文章で書きなさい。大和猿楽四座の何座の出身か、現在の何流につながっているか、庇護を受けた将軍名、庇護を受けるきっかけとなった神社名、世阿弥の著書名、は必ず含むことにする。」
&sizex(5){&color(red){リンク}}
新熊野神社オフィシャル http://www.imakumanojinja.or.jp/
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&sizex(6){&bold(){新熊野神社}}
出典: 『日本歴史地名大系』27(平凡社・1979)、京都府教育庁文化財保護課編『京都府の近世社寺建築』(京都府教育委員会・1983)
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&sizex(5){&color(red){概略}}
&bold(){新熊野神社}(いまくまのじんじゃ)は、京都市東山区今熊野椥ノ森町にある神社。祭神は伊弉册命(いざなみのみこと)。京都三熊野神社のひとつで、後白河上皇や後鳥羽上皇がたびたび参籠し、京都における熊野信仰の中心となった。ご利益は安産祈願ほか。[[観阿弥]]・[[世阿弥]]父子が将軍[[足利義満>足利氏]]の前で初めて猿楽を演じたという由緒の地でもあり、芸能の神としても崇められている。
&sizex(5){&color(red){歴史}}
熊野信仰のあつかった後白河上皇の御願により、永暦元年(1160)、後白河院御所である法住寺殿の傍に鎮守として紀州熊野本宮大社より熊野の神を勧請したことにはじまる。造営には[[天台>天台宗]]座主の最雲法親王があたり、このことが[[妙法院]]隆盛の端緒となった。後白河法皇は100余度も参籠しており、後鳥羽上皇も同様に150度にも及ぶ参籠を行っている。文明2年(1470)に兵火によって社殿を全焼し、その後再建されたものの往事の盛観には復さなかった。寛文6年(1666)には[[東福門院>徳川氏]]が修復を行っており、現在の堂舎はこの時の造営による。境内の大樟(くすのき)は高さ約19m、周囲約6mに達する巨木で、お腹を患っていた後白河上皇手植えでお腹の守り神という。
&sizex(5){&color(red){建築物}}
***本殿
寛文13年(1673)、[[聖護院]]道寛親王が再建した。入母屋造、桟瓦葺。
***大樟
新熊野神社の目印にもなっている巨木で、永暦元年(1160)の創建時に熊野から移植されたといい、後白河上皇のお手植と伝わる。熊野の神々が降り立つ「影向(ようごう)の大樟」と称され、後白河上皇のお腹の病が治まったことから「お腹の神様」として信仰されている。
***梛の木
新熊野神社の神木で、簡単には切れにくいことから縁結びの樹とされ、二つ仲良く並ぶことから夫婦円満の樹ともいわれる。梛の木には、災い、病魔、汚れをナギ祓う霊験があるとされ、神社の住所「椥ノ森町」にも名を残す。
&sizex(5){&color(red){文化財}}
***国宝
なし
***重要文化財(建造物)
なし
***重要文化財(美術工芸品)
なし
&sizex(5){&color(red){拝観情報}}
住所 京都市東山区今熊野椥ノ森町42
電話番号 075-561-4892
拝観時間 境内自由
拝観料 境内自由
アクセス 市バス「今熊野」下車徒歩2分
駐車場 無料駐車場あり
&sizex(5){&color(red){主な祭事}}
1月1日 新年祈願祭
1月成人の日 左義長神事
5月5日 神幸祭
6月30日 茅の輪神事と夏越の祓式
仲秋の名月の日 大樟祭
11月23日 お火焚祭
12月23日 つなかけ祭
12月31日 大祓式
&sizex(5){&color(red){その他}}
***京都検定出題
平成17年(2005)第2回京都検定2級出題
「後白河上皇が法住寺殿の鎮守として創建し、足利義満が観阿弥、世阿弥父子の能を初めて見たという神社はどこか。」
平成17年(2005)第2回京都検定1級出題
「世阿弥について150字以上200字以内の文章で書きなさい。大和猿楽四座の何座の出身か、現在の何流につながっているか、庇護を受けた将軍名、庇護を受けるきっかけとなった神社名、世阿弥の著書名、は必ず含むことにする。」
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新熊野神社オフィシャル http://www.imakumanojinja.or.jp/
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