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銀閣寺
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慈照寺(銀閣寺)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか
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概略
慈照寺(じしょうじ)は、京都市左京区にある臨済宗?相国寺派の寺院で相国寺の境外塔頭。通称銀閣寺、山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は、室町幕府8代将軍足利義政、開山は夢窓疎石とされている(実際には夢窓疎石は創建より100年ほど前の人物であり、このような例を勧請開山という)。慈照寺の名は足利義政の法名にちなむ。古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。
慈照寺(じしょうじ)は、京都市左京区にある臨済宗?相国寺派の寺院で相国寺の境外塔頭。通称銀閣寺、山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は、室町幕府8代将軍足利義政、開山は夢窓疎石とされている(実際には夢窓疎石は創建より100年ほど前の人物であり、このような例を勧請開山という)。慈照寺の名は足利義政の法名にちなむ。古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。
歴史
室町幕府8代将軍の足利義政が嗣子義尚(よしひさ)に将軍職を譲ったのち、文明14年(1482)に東山の月待山麓に山荘東山殿を造営した。東山殿は祖父足利義満の北山殿(金閣)にならい、義政が自らの美意識を投影して8年の歳月を費やし建立。簡素で枯淡の美を真髄としたその意匠は、後世に東山文化と呼ばれる。当時は応仁の乱が終結した直後で、京都の経済は疲弊していたが、庶民に段銭(臨時の税)や夫役を課して造営が進められた。東山殿の完成を見ることなく延徳2年(1490)2月に没した義政の菩提を弔うため、慈照寺は山荘東山殿を寺に改めて創建された。慈照寺の歴代住持に近衛家?出身者が多かったことから、戦国時代末期には前関白近衛前久?の別荘にもなったが、前久?の死後は相国寺の末寺として再興される。当時の建物で現存しているのは、わずかに銀閣と東求堂のみである。
室町幕府8代将軍の足利義政が嗣子義尚(よしひさ)に将軍職を譲ったのち、文明14年(1482)に東山の月待山麓に山荘東山殿を造営した。東山殿は祖父足利義満の北山殿(金閣)にならい、義政が自らの美意識を投影して8年の歳月を費やし建立。簡素で枯淡の美を真髄としたその意匠は、後世に東山文化と呼ばれる。当時は応仁の乱が終結した直後で、京都の経済は疲弊していたが、庶民に段銭(臨時の税)や夫役を課して造営が進められた。東山殿の完成を見ることなく延徳2年(1490)2月に没した義政の菩提を弔うため、慈照寺は山荘東山殿を寺に改めて創建された。慈照寺の歴代住持に近衛家?出身者が多かったことから、戦国時代末期には前関白近衛前久?の別荘にもなったが、前久?の死後は相国寺の末寺として再興される。当時の建物で現存しているのは、わずかに銀閣と東求堂のみである。
伽藍
銀閣
延徳元年(1489)に建立。正式名称は「東山山荘観音殿」。重層方形造こけら葺で、正面8.2m、奥行7.0mの長方形型。一層の「心空殿」は住宅風、二層の「潮音閣」は方三間の唐様(禅宗様)の仏堂である。書院造が取り込まれており、東山文化の代表的建築物。閣内は板敷きで西側に観音像を安置する。なお銀閣は金閣との対比で用いられる俗称であり、銀は使われていない。義政の隠居所として設計されたため、元々銀箔を張る計画はなく、当初から木肌を露出させた姿が義政の構想だったという(当初は銀を貼る予定だったが幕府の財政事情のためにできなかった、という説は現在はほぼ否定されている)。
東求堂
義政の持仏堂として、文明18年(1486)に建立された。銀閣(観音殿)とともに東山殿造営当時の遺構として現存する。檜皮葺、入母屋造で、初期書院造の代表的遺構。池に面して建てられ、大きさは3間半四方。正面左は方2間の仏間、右奥は義政の書斎で同仁斎と呼ばれる。書斎の北側に設けられた付書院と違い棚は現存最古の遺構であり、草庵茶室の源流ともいわれる。通常は非公開で春秋の特別公開期間のみ拝観できる。
方丈
新書院
方丈の北側に平成5年(1993)に建立。大広間には富岡鉄斎?の襖絵を飾る。また旧庫裏にあった茶室集芳軒が移築されている。通常非公開。
庭園
月待山の麓に面積約2万平方メートルを占め、西芳寺(苔寺)庭園を模したとされる。義政自ら作庭にあたり、善阿弥?が実地指導したとされる。上下2段に分かれ、下段は池泉回遊式庭園で東求堂前から銀閣(観音殿)にかけて広がる。中心部に瓢箪型の錦鏡池があり、中島へは自然石の橋が架かる。方丈前には月待山に上る月を観賞するために作られたという銀沙灘、向月台と呼ばれる砂盛りがある。これらは後世に加えられたもので、当時の庭園には存在しなかった。上段は枯山水庭園で近年「お茶の井」呼ばれる湧き水や漱蘚亭跡の石組が発掘された。国の特別名勝及び特別史跡に指定されている。
弄清亭
東求堂の北側に聞香のために設計された香座敷。内部には現代画家、奥田元宋の襖絵「湖畔秋耀」がある。
文化財
国宝
銀閣(観音殿) 東求堂
重要文化財(建造物)
なし
重要文化財(美術工芸品)
なし
特別名勝
慈照寺庭園
特別史跡
慈照寺庭園
史跡
慈照寺旧境内
拝観情報
住所 京都市左京区銀閣寺町2
電話番号 075-771-5725
拝観時間 夏季(3/15~11/30)8:30~17:00、冬季(12/1~3/14)9:00~16:30
拝観料 500円(特別公開期間中は本堂・東求堂(別途1,000円)、本堂・東求堂・弄清亭(別途2,000円)が拝観できる)
アクセス 市バス「銀閣寺道」下車徒歩10分
駐車場 徒歩圏内(約10分)に市営駐車場あり(800円)
住所 京都市左京区銀閣寺町2
電話番号 075-771-5725
拝観時間 夏季(3/15~11/30)8:30~17:00、冬季(12/1~3/14)9:00~16:30
拝観料 500円(特別公開期間中は本堂・東求堂(別途1,000円)、本堂・東求堂・弄清亭(別途2,000円)が拝観できる)
アクセス 市バス「銀閣寺道」下車徒歩10分
駐車場 徒歩圏内(約10分)に市営駐車場あり(800円)
主な行事
3月第3土曜日~5月第1日曜日 春の特別公開
5月21日 開山忌
10月第2土曜日~12月第1日曜日 秋の特別公開
3月第3土曜日~5月第1日曜日 春の特別公開
5月21日 開山忌
10月第2土曜日~12月第1日曜日 秋の特別公開
その他
京都検定出題
平成16年(2004)第1回京都検定2級出題
「銀閣寺は(中略)義政の法号から( )と称した。(中略)持仏堂の( )は付書院、違い棚を持つ書斎の同仁斎からなり、( )の初期形態として貴重である。」
「銀閣寺は(中略)義政の法号から( )と称した。(中略)持仏堂の( )は付書院、違い棚を持つ書斎の同仁斎からなり、( )の初期形態として貴重である。」
平成17年(2005)第2回京都検定3級出題
「銀閣寺について誤っているものを選びなさい。 (ア)足利義政が浄土寺跡に建てた東山山荘にはじまる (イ)相国寺の山外塔頭である (ウ)東求堂は二層の楼閣で、下層を心空殿、上層を潮音閣という (エ)本堂前には白砂を段形に盛り上げた銀沙灘や円錐型の向月台がある」
「銀閣寺について誤っているものを選びなさい。 (ア)足利義政が浄土寺跡に建てた東山山荘にはじまる (イ)相国寺の山外塔頭である (ウ)東求堂は二層の楼閣で、下層を心空殿、上層を潮音閣という (エ)本堂前には白砂を段形に盛り上げた銀沙灘や円錐型の向月台がある」
平成17年(2005)第2回京都検定2級出題
「世界遺産に「古都京都の文化財」に登録されている寺社等は、文化財保護法に基づく国宝建造物もしくは特別名勝の庭園があるものに限られているが、国宝建造物がある寺院は次のうちどこか。 (ア)西芳寺 (イ)慈照寺(銀閣寺) (ウ)天龍寺 (エ)鹿苑寺(金閣寺)」
「世界遺産に「古都京都の文化財」に登録されている寺社等は、文化財保護法に基づく国宝建造物もしくは特別名勝の庭園があるものに限られているが、国宝建造物がある寺院は次のうちどこか。 (ア)西芳寺 (イ)慈照寺(銀閣寺) (ウ)天龍寺 (エ)鹿苑寺(金閣寺)」