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ペルソナヘイズ(下) 少女には向かない職業

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ペルソナヘイズ(下) 少女には向かない職業 ◆LxH6hCs9JU




 糸。
 零崎人識が操るような、紫木一姫が繰るような、武器としての糸ではなく、繊維としての糸。
 神器“ペルソナ”を形作る部品とも言える糸の数々が、山林を舞い、踊り、桜色の火の粉を纏いながら、変幻していく。

「ヴィルヘルミナ――!」

 シャナは、その皎然とした光景に見惚れるでもなく、警戒を持って備える。
 糸が輝く意味を、桜色の火の粉が舞い散る真意を、誰よりも理解していたからこそ。

 無数の糸はヴィルヘルミナの顔面を覆い、細い目線だけを開けた、狐似の白面を作り出す。
 さらに、仮面の縁から無数のリボンが溢れでて、獅子を思わせる巨大な鬣を作り出した。
 狐の仮面と、リボンの鬣。両方を揃えての“ペルソナ”、真なる形態――即ち、戦装束。

 “夢幻の冠帯”ティアマトーのフレイムヘイズ、『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメルの、戦意の表れだった。

「不備なし」
「完了」

 ヴィルヘルミナが臨戦態勢を取るということそれ即ち、と、アラストールは注意を払う。
 しかし周囲に気配らしき気配はなく、会議に参加しなかった三人の存在が薄ら確認できる程度だった。

 そしてアラストールは、自分が思い違いをしていたのだと知る。
 戦闘状態に移行したヴィルヘルミナは、鬣からリボンを一本、硬質化させて伸ばす。
 他でもない、他にはいない、この場に存在する自以外の他、リボンはシャナに向かっていた。

「――ッ!」

 ほとんど槍のようなリボンの一撃に対し、シャナは後ろに飛び退く。
 リボンが地面に深々と突き刺さるのを見て、アラストールは声を荒げた。

「乱心したか、『万条の仕手』!」
「乱心? 心乱れているのはそちらのほうでありましょう」

 味方が味方を攻撃するという、奇行。
 アラストールの糾弾はしかし、ヴィルヘルミナには通じない。

「自らの在り様を正しく認識して立ち、的確に対処して切り拓く。そんな姿こそが、我らフレイムヘイズとしての理想であるはず」

 仮面の奥から木霊する、恐ろしく底冷えした声。
 冷徹とも冷厳とも言い表せぬ、凍てついた声。
 少女を諭そうという腹づもりが窺える、声。

「余事に心乱し、正答への蹈鞴を見苦しく踏む……確固とした使命の剣が、よもや堕落に折れるとは」

 四方八方、鬣のリボンが左右上下、交差交錯して一方向に伸びていく。
 すべてが硬質化、すべてが矛となり、目の前の標的を襲う。
 シャナはその攻撃に――『炎髪灼眼の討ち手』として応えることにした。

「アラストール」
「致し方あるまい」

 合図し、燃ゆ。
 シャナの瞳と髪は紅蓮に煌めき、黒を失う。
 着衣を覆うように黒衣『夜笠』が顕現、少女の身を庇護下に置く。
 身の周囲には、ヴィルヘルミナの桜色の火の粉に対向するべく、紅蓮の火の粉が渦巻いた。

 “天壌の劫火”アラストールのフレイムヘイズ、『炎髪灼眼の討ち手』シャナの、抗戦の表れである。

「おまえたちらしくもない行動だ。それゆえに意図が読めん。なぜ我らに矛を差し向ける、『万条の仕手』」
「事態は切迫を通り越して、緊急を要している。今は鍛錬に時間を費やしている場合じゃない」
「緊急……そう、緊急であればこそ。私とティアマトーは考え、あなたたちと対立する結果に至ったのであります」
「最終手段」

 シャナは『夜笠』の奥から木刀を抜き、両手に持って構えた。
 『贄殿遮那』には劣るが、ヴィルヘルミナ相手に無手でいるほどの愚もない。

「……悠二のことを、言ってるの?」
「それが第一に。しかし第二として――」

 シャナが掲げる抗戦の意思を受け取り、ヴィルヘルミナもまた、リボンの連撃によって返す。
 一本一本が豪槍の勢いで、シャナを串刺しにせんと迫った。

「此度の事態は異常も異常、異例も異例。この世と“紅世”の調和を保つ我らとしては、早急に対処に当たるべきと考えるのであります」
「解決急務」

 尋常でない数の刺突、木刀程度ではこちらが破壊されてしまう。
 シャナはこれを避け、また避け、回避し、徹底的に回避し、翻弄される。

「そう、早急にだ。だからこそ、このような意味のない衝突には――」
「私が言う早急とは、此度の催しを終えた後のことなのであります」
「事後対応」

 ヴィルヘルミナの繰るリボンは万能自在。
 硬質化させての突きのみならず、柔を持って相手を制圧することも可能だ。
 不規則な軌道を描くリボンの一つが、シャナの足首に絡みついた。

「“人類最悪”に『切り離された世界』、それらに類する事例がないかどうか、まずは丹念に調べ上げる必要があるのであります」

 そのまま、少女の小柄な身を投げ飛ばす。
 一瞬、自由を失ったシャナは、木に激突しそうになって、

「くっ!」

 しかしすぐに、身体を反転。
 木の峰を足で強く蹴り、反動を殺してまた地に下りた。

「その後は世界各地の下界宿(アウトロー)を通じて同胞たちに事の詳細を伝達、警戒を呼びかけるべきでありましょう。
 いつまた同じような事件が起こるとも限らず、それらの結果がこの世と“紅世”に危険を呼ぶこととて考えられるのであります」

 休む間もなく、リボンが殺到してきた。
 肌で感じる“殺し”の気配が、シャナに警戒心と危機感、そしてなによりも、動揺を与える。
 ヴィルヘルミナは本気なんだ、という動揺を。

「水面下で、“紅世の王”や[仮装舞踏会(バル・マスケ)]が関与している可能性とて捨て切ないのであります。
 とにもかくにも、現地であるここでは情報が不足しすぎている。だからこその、早急。急を要する、ということ」

 リボンの数は増し、刺突の勢いは激しくなり、まずはと言わんばかりにシャナの余裕を殺していく。
 木刀がまるで意味を為さず、シャナは未だ反撃に移れない。
 否、反撃に移ろうなどとは思っていない――まだ、思えないのだった。

「それはすべてが終わった後だ! ヴィルヘルミナ・カルメル! おまえはいったい、『いつ』のことを言っている!?」
「無論、事後のことに他ならないのであります」

 アラストールの覇気ある質問を、一蹴するかのごとく軽く返すヴィルヘルミナ。
 変わらず繰り出されたリボンが頬を掠めたところで、シャナは訊く。

「その事後には――どうやって進むつもりなの!?」

 ヴィルヘルミナの仮面からまたリボンが溢れ、鬣が膨れ上がった。

「一人。それが勝者の定員と捉えていたのでありますが……なにか、間違いでも?」

 答えは予想通り、そして、変わらない。

「一気呵成」

 ティアマトーの声。
 膨れ上がった鬣から、今まで以上の量のリボンが差し向けられる。
 シャナはまた飛び退き――しかし今回、初めてタイミングを逸する。

「あ……っぐ!?」

 足下を執拗に狙ったリボンの怒涛。
 触れれば致命傷の豪槍は避けられたものの、その中に混ぜられた柔の一撃が、シャナの足を払った。
 落ち葉に塗れた地面を、豪快に滑る。手から木刀が飛んでいった。

「あまり――私を失望させないでほしいのであります」

 シャナの転倒を見て、ヴィルヘルミナは仮面にリボンを収納していく。
 誇示するのは、余裕。こちらの余裕のなさを、責め立てるように。

(……本気、なのか?)

 疑念を抱いたのは、アラストール。
 問答から、ヴィルヘルミナの意図は読めた。
 実直な彼女らしい、しかしシャナの存在を軽視した短慮はまったくらしくない、信じがたい決断。

 この世と“紅世”のバランスを守るため、彼女自身が『最後の一人』となって事後の対応に当たる――など。

 フレイムヘイズとしての使命感がなければ考えられない、一つの理に適った思想ではある。
 が、それをヴィルヘルミナが実行に移すかと言えばやはり、長年の縁者としては首を傾げざるをえない。

(彼女が、よもや彼女がこの子を手にかけようなど――!)

 ヴィルヘルミナ・カルメルにとっては、シャナの存在がなによりの抑止力であるはずだ。
 いかに急務とはいえ、同胞を、我が子同然に愛情を注いでいた対象を、『万条の仕手』が切り捨てるなど。
 『天道宮』でのシャナとヴィルヘルミナを見てきたアラストールには、まったく考えられなかった。

「……くっ、シャナ! ここは一旦退け。今の『万条の仕手』にはなにを言っても――」
「いや」

 アラストールが契約者として注意を促し、しかし少女は立ち上がって、

「私は、悠二に会いに行く」

 凛然たる態度で、ヴィルヘルミナに己が意思を言い放った。

「邪魔をするっていうんなら……ヴィルヘルミナを倒してでも、行く」

 仮面に隠された表情は、読めない。
 ただ次なるリボンが襲ってこないことを鑑みるに、思うところはあるようだ。
 やはり、彼女は。

「……そう、でありますか」

 ぽつりと、ヴィルヘルミナは消え入りそうな声で呟いた。
 脱力したような姿勢。弛緩してしまったような体躯。抜け殻のような『万条の仕手』。

「……?」

 アラストールが訝り、シャナは構わず一歩前に出た。
 と、そこで。

「ちょっと」

 二者にして四者の間に入り込んでくる、声。
 戦闘の音を聞きつけて寄ってきたのだろう、シャナの背後には三人の少女が立っていた。

「なに……やってんのさ」

 重く呟き、真っ先に飛び込んできたのは、逢坂大河だった。


 ◇ ◇ ◇


 尋常ではない騒音に驚き、駆けつけてみれば、そこにはヴィルヘルミナとシャナがいた。
 ヴィルヘルミナと、シャナ……で、あったとは思う。
 どうにも断言できないのは、二人の姿が変質してしまっているせいだった。
 シャナと思しき少女は、鮮やかだった黒髪を燃えるような紅蓮の赤に変え、ヴィルヘルミナと思しき女性は、狐の仮面をつけている。

 問題なのは、あれがヴィルヘルミナとシャナであったとして――どうして二人が、争っているのかということ。
 共に知り合い同士、そして使命を同じくするはずの、フレイムヘイズなる存在だ。
 口頭で聞いた限りの『物語』では、推察することもできない。

 敵意を飛ばし合う二人を前に、少女――島田美波は、傍観することしかできなかった。
 それは隣の須藤晶穂も同じで、しかし、逢坂大河だけは違うようだった。

「なに……やってんのさ」

 低く唸るような、地を這うような、酷く平板な声。
 大河は一歩前に出て、美波はその背中を眺める形になる。
 だというのに、目を合わせてすらいないのに、足が竦む。

(――あれ、どうして、身体、震えてるんだろう)

 湧いてきた疑問を、口に出したりはできない。
 口の端や、喉すらもが、逢坂大河という存在を前に萎縮していた。

「これ……」

 美波は、その小さな背中の行き先を目で追っていく。
 大河はおもむろにしゃがんだ。どうやら地面に木刀が落ちていたようで、それを拾い上げる。
 しばらく注視。この時点で、美波には大河がどんな行動を起こすか想像することができない。

 美波はまだ、逢坂大河を小さな女の子としてしか認識していない。
 美波はまだ、逢坂大河を手乗りタイガーとしては認識てていない。

「……これは、わたしんじゃ――――――――――――――――っっっっ!!」

 獰猛な獣の咆哮。
 吐き出される怒り。
 矛先は、狐に似た仮面を装着した――ヴィルヘルミナ・カルメルと思しき女性に。

「うおおおおおおおぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 木刀を握ったまま、ヴィルヘルミナ目がけて走り出す大河。
 猪突猛進を体現したかのような行動は、率直に言えば体当たり。
 零崎相手にリボンでやりあっていたヴィルヘルミナが、これを凌げぬはずもない。

「やめて、ヴィルヘルミナ!」

 端、炎髪を煌めかせながら、シャナが制止を呼びかける。
 ヴィルヘルミナはその声に反応したのか否か、伸ばしたリボンを大河の足下に繰り出し、しなやかに払った。
 目標間近にして、大河がすっ転ぶ。
 べしゃっ、と鈍い音が鳴って、しかしすぐに立ち上がろうとしていた。

「あんたが……」

 片腕では立ち上がるのも難しいのか、握った木刀を杖代わりにして、無理矢理に力を込めている。
 思わず手を貸したくなる、小さな女の子が頑張る様を前に――やはり美波は、傍観することしかできない。
 どうにかこうにか立ち上がった大河は、またしても木刀を振り、ヴィルヘルミナに向かっていく。

(なんで……なんで?)

 大河の行動は意味不明だった。
 落ちていた木刀を拾って、これは私のものだと主張した。なら、あの木刀は彼女のものなのだろう。
 だから?
 それでなぜ、ヴィルヘルミナに突っかかっていこうとするのか。

「あんたが、いたから……」

 見ているだけの美波には、わからない。
 あんなおかしな子の気持ちなんて、理解できない。
 まっすぐ進んでいって、また綺麗にころばされた。
 そしてまた起き上がろうとしている。

 バカだ――そう、バカとしか形容できない為様だった。
 バカ……?

「竜児も、北村くんも、みのりんも……みんなみんな、死んじゃったじゃんか――――っっ!!」

 バカ――違う、バカなんかじゃない。
 ううん、バカだけど、バカじゃなかった。
 バカっていうのは、もっとこう、アキみたいな――と。

 大河は、ヴィルヘルミナに敵意をむき出しにして襲いかかっている。
 食事を用意してくれたヴィルヘルミナに、義手をつけてくれると言っていたヴィルヘルミナに。
 それはきっと、彼女がつけている仮面が――事の首謀者とも言える、あの男の顔を連想させたからだろう。

(あの狐のお面の人と……間違えてる?)

 単純な見間違いか、それとも仲間かなにかとでも思っているのか。
 大河は本来、“人類最悪”に向けるべき敵意を、狐の仮面をつけているだけのヴィルヘルミナに転化している。
 つまり、八つ当たり。

(あっ……なんか……)

 問題を解いて、答えを書き出してみると、逢坂大河という少女がすごく身近な存在に思えてきた。
 共感してしまっているんだと、思う。
 友達を奪われて、好きな男の子まで失って、一人ぼっちになってしまって……泣いている。

 そう、大河はただ泣いているだけなんだ。
 その泣き方が、他の女の子よりもちょっと、不器用で激しいだけ。

「どいつもこいつも……どいつも! こいつも! みぃぃぃぃんな!」

 ヴィルヘルミナが装着する仮面より、大量のリボンが溢れ出てくる。
 わらわらと湧くリボンの大群を、大河は木刀一本で薙ぎ、払い、突き進んでいった。
 本気でかかれば捕縛など容易いだろうに、動揺でもしているのか、ヴィルヘルミナは徐々に追い詰められ、

「だいっっっっ…………きらい、だぁ――――――――っっっっ!!」

 大河に懐への接近を許し、万事休す。
 振るわれる木刀。
 受け止めたのはリボンではなく、右手。
 ヴィルヘルミナは大河の木刀に触れ、支点とし、くるりと一回転。
 瞬間、大河の天地が入れ替わった。

「っだ!?」

 ヴィルヘルミナに投げられた大河は、思い切り背中を打ちつける。
 柔術とも舞踏とも思える一瞬の妙技に、美波は驚嘆した。

「うううぅぅぅ……」

 痛みを押し殺すような唸り声は、もちろん大河のもの。
 打ちつけた背中は相当痛むのか、今度はすぐには立ち上がってこれない。
 ヴィルヘルミナはそんな大河を見下ろし、無表情。
 仮面で表情が読めないが、きっと仮面の裏も無表情なんだろうな、と美波は思った。

(あっ)

 そんな無表情な顔で、ヴィルヘルミナは大河をどんな風に見ているのだろう。
 自身に襲いかかってきた敵を、明確な敵意を放ってきた敵を、どう対処するのだろう。
 ヴィルヘルミナの思想を理解しきれていない美波には、わからなかった。

「あ――」

 わからなかったが、
 なんとなく、
 嫌な予感がして、
 つい、

「――あああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 走り出してしまった。

「……!」

 狐の仮面が、走り込んでくる美波へ。
 描かれぬ口元、瞳を隠す細い目線、どちらも畏怖として襲いかかってくる。
 それでも不思議と、足は止まらなかった。
 先程の大河の行動を模倣するように、叫んで、走って、突っかかっていく。
 つまり、八つ当たり。

「ああああああ――っあ!?」

 地面の上をリボンが滑り、足を払われた。
 当然、すっ転ぶ。
 減速しなかったので、前のめりにすっ転んだ。
 おまけで、鼻を擦りむいた。

「……い、いふぁい……」

 こんなときなんて言うんだろう。
 そうだ、自業自得だ。
 うん、今のウチ、頭良かった。

「……揃いも揃って、いったいなんだというのでありますか」
「理解不能」

 呆然とした様子のヴィルヘルミナに、美波はもはやなにも言えない。
 今の突進で、なにもかもが吹っ切れたような気がした。
 落ち込んで沈んでいたうじうじが、消えちゃった。
 そして、

「――茶番はここまでだ。『万条の仕手』、“夢幻の冠帯”」

 彼女と彼もまた、なにかを吹っ切ったのかもしれない。
 大河や美波に比べると随分スマートな流れで、三人目の少女――シャナは、ヴィルヘルミナの背に木刀を突きつけていた。
 さすがのヴィルヘルミナも、制止。リボンを操る素振りも見せない。

「ヴィルヘルミナ……もう一度、言わせてもらう」

 木刀を突きつけたまま、シャナは言った。

「私は、悠二に会いに行く」

 己の確固たる意思を、伝えるべき女性に伝える。

「それは、先程述べていた利を追求しての決断でありますか?」
「それもある。けど一番の理由は、後悔したくないから」

 せっかくの再会だというのに、間もなくして争いに発展した二人。
 美波たちがここに駆けつける以前、二人の間でどんなやり取りが交わされたのかは知れない。
 ただ、第三者として介入した美波にも、シャナの秘める想いだけは手に取るようにわかった。

「私は、悠二に会いに行く――ううん、悠二に会いたい」

 ああ、この子もウチや大河と同じなんだ。
 同じ、女の子なんだ。
 そう思うと、なんだかすっきりした。

「それが、今の私が――『シャナ』で在る私が取りうる、最善の道だと思うから」

 難しい言葉を並べているけれど、要はそれは、好きだから。
 ただそれだけのことなのに……なんだか面倒くさいの、と美波は思った。
 思って、すぐに秘め事ばかりだった自分を顧みる。
 そうだ、同じ女の子なんだ。
 そんな素直になれるはずもないか。

(……もっと、自分に素直になっておくんだったなぁ)

 悔しさを噛みしめながら、美波はシャナを見た。

「私は、自分で考えて、自分で決めて、自分で行動する。そう育ててくれたのは、アラストールとシロと、ヴィルヘルミナなんだから!」

 フッ――と。
 桜色の火の粉が散り、消えていく。
 見上げると、ヴィルヘルミナの顔を覆っていた仮面が消えていた。

「……」
「降参」
「……うるさいのであります」

 仮面の下のヴィルヘルミナはどこか疲れたような、それでいて嬉しそうな、微妙な表情をしていた。
 あまり感情豊かとも言えない彼女の表情など、知り合って間もない美波に読めるはずもない。
 けれど長年のつき合いらしいシャナには、そのあたりのことがお見通しのようで、満面の笑みを浮かべている。
 赤く燃えていた髪も元に戻り、羽織っていた黒のマントもいつの間にか消えていた。

「些か釈然としない結果ではあるものの、憂いは解消されたので良しとするのであります」
「一件落着」
「事が事ゆえ、さすがに肝を冷やしたぞ」
「そう? 言っちゃなんだけど、ヴィルヘルミナにはこういうこと、向いていないと思う」

 シャナは、ヴィルヘルミナの考えなど初めからお見通しだったと言わんばかりだった。
 この掛け合いだけで、二人の仲のほどが窺える。
 いいな、と美波は素直に思った。

(こうやって、わかり合えれば……ね。でも、木下や土屋はもういないし、アキだって……それに……)

 失ってしまった大切なものを、もう一度噛みしめて。

(それ、に……?)

 美波は、ようやく。

「……あ」

 まだ、失っていないものがあることに。

「あぁ――――っ!?」

 やっと、気づいた。

「そうだ…………瑞希!」

 シャナやヴィルヘルミナが怪訝な顔を浮かべるのにも構わず、叫ぶ。
 口にしたのは、親友の名前。
 お互いに一人の男の子を想って、それでなお親友と認め合えた、女の子。

「あの子きっと、自分のこと一人ぼっちだと思ってる……」

 姫路瑞希はまだ、この物語の中にいる。
 この物語の中で、生きている。

「ウチがいるって知ってるわけないし、その上アキがいなくなっちゃったって知ったら……ダメダメ! 絶対泣いてるって!」

 あの子は強い。だけど弱いから。
 ウチだってこんなに泣いちゃったのに。
 そう思うとなおさら、放ってはおけない。

「ああ、もう! 一人でしょげてる暇なんてないじゃん……バカばっかだし、ウチもバカだし! もうホント、ろくでもないっ!」

 頭を掻き毟って反省開始、即終了。
 瑞希を探しに行こう。
 決断したら、行動は速かった。

「あ、う……うぅ……?」

 倒れていた大河に詰めかかり、流麗な動作で左腕を取る美波。
 背中に痛みが残っているのか、大河は胡乱な様子だった。
 しかし美波は遠慮せず、

「だから、逢坂大河……アンタも……」

 大河の左腕に両脚を絡めて拘束、思い切り絞り上げた。

「シャキッと、しろぉ――――――――――――――――っっっっ!!」

 ごきっ。
 腕ひしぎ十字固め――!
 さっきのチョップのお返しと言わんばかりに、美波は大河の関節を極める。

「おおう!? お……だだだだだだだだだだだぁっ!?」
「アンタだって、八つ当たりしてる暇ないでしょーが!」
「痛い! いたっ、痛い痛い痛いぃ――――っ!」
「だから、これでチャラ! これで終わり! わかった!?」
「わっかんない! わっかんな、いだ、いたっ、いだぁーい!!」

 少しだけ、昔のことを思い出した。

 昔っていうほど昔じゃないけれど、気持ち的には遠い過去のこと。

 こうやって誰かに関節技を極めて、阿鼻叫喚の声を聞いてちょっと悦に入ったり。

 みんなでバカやって、みんなで笑い合って。

 もう叶わない夢なのかもしれないけれど、願うのをやめたくない。

 シャキッとしよう。シャッキとしなきゃ。

「……あれはスキンシップの一種、と考えて良いものでありましょうか」
「友愛表現」
「微笑ましい光景だな」
「うん」
「こ、こらー! 見てないで止め……止め……折れるぅ――――っ!!」

 そういえば、シャナとヴィルヘルミナはどうして争ってたんだろう――なんて。
 そんな細かいことはもういいや。

 この問題は終わり。
 次の問題を解かなきゃ。
 テストはまだ終わってない。

 美波は前向きに、涙はまだ目尻に残っていたけれど、それでもちゃんと、笑えていた。


 ◇ ◇ ◇


(思わぬ結末となったのであります)
(予想外)
(彼女を諭すつもりが……結果的に、島田美波と逢坂大河の再起を促すことになろうとは)
(想定外)
(まったく、あの年頃の女の子というのは……本当に、難しいものであります)
(同感)
(しかし、悪い結末ではないと、そう判断できないこともないのであります)
(結果論)
(統率が乱れ、協力体制が崩れることは好ましくないでありますからな)
(自己否定)
(確かに。それでも私は、あの子を試さざるをえなかった……もう一度)
(妥協)
(……本音を言えば、そうなのでありましょうな。もう、折れたのであります)
(意固地)
(それは彼女のことを言っているのでありますか? それとも……?)
(反省)
(……恥ずべき行動と方法であったと、今更ながらに思うのであります)
(猛省)
(怒るところがないといえば嘘になり、とはいえ、一歩取り違えれば……)
(猛省自重)
(そ、そうでありますな。今回のことは……『結果オーライ』と取るべきでありましょう)
(調子良好)

 ――結局。
 『穏便な話し合い』は滞りなく終了へと至り、神社からは二人の少女が離れることとなった。

「東、そして川沿い。手がかりらしい手がかりといえば、その程度だ」
「それだけわかっていれば十分。あとは探すだけだから」
御坂美琴キョンの両名が連絡をつけて帰って来ないとも限らないのであります。待機という手も」
「もう、決めたことだから」
「……そうでありますか」

 社務所の外にて、ヴィルヘルミナは出立しようとするシャナの身を按じた。
 決意は揺るがず、坂井悠二に会いたいという一心のみで、自分の下を離れようとしている。
 邪念が湧かないといえば嘘になるが、ヴィルヘルミナはもう幾度となく、シャナの自立心に打ち負けている。
 言っても詮なきことだ、と折れざるをえない。
 この場に愚痴を聞いてくれる酒飲み仲間がいないことを、残念に思った。

「“狩人”フリアグネ、それに『曲絃師』や、零崎人識を殺害したと思われる者についても、重々警戒のほどを」
「うん、わかってる」
「今更ではあるのだが……聞くところによればその『曲絃師』、木下秀吉の殺害者である可能性が高い」
「えっ?」

 木下秀吉の名前に反応を示したのは、鼻に絆創膏を貼った島田美波だった。
 相変わらずのジャージ姿ではあったが、腰の周りには新たにリボンを巻きつけている。
 そのリボンが繋がる先は、同じように巻きつけられた、シャナの胴体である。

「木下秀吉の遺体は、私たちが確認したの。……全身が、バラバラにされてた」
「……竜児を殺った奴と一緒ね、それ」

 怒気を込めて言ったのは、逢坂大河。
 その左手には、シャナが返還した木刀が握られている。

「安心して美波。あんたの友達の仇、私が討ってあげる……」

 洞のように暗い瞳を浮かべて、大河は大胆不敵に言い切った。
 仇の『曲絃師』、紫木一姫と一度相対したことがある美波は、ぶんぶんと首を振る。
 やめておけと言いたいのだろう、が、大河が放つ本気としか思えない殺気に怖じ気づき、口にできない。
 先程はアームロックなど極めていたというのに、豪胆なのか臆病なのかよくわからない少女だった。

(しかし島田美波嬢ならば、この子と共に送り出しても心配は無用でありましょう)
(信頼)

 シャナが坂井悠二との合流に向かうと主張した際、島田美波が同行の意を告げた。
 なんでも、この地に残っているたった一人の友達――姫路瑞希を、早急に探し出したいのだそうだ。

「……ねぇ。このリボン、本当に大丈夫よね? 千切れたり燃えたりしない?」
「簡易ながら、防火の自在式を編み込んでおいたのであります」
「心配無用」
「ヴィルヘルミナのリボンだもん。安心して」
「『アズュール』でもあれば、話は早いのだがな」

 シャナと美波に巻きついているリボンは、そのためのもの。
 ある程度の目的地が決まった旅路ならば、陸路を行くよりも空路を行ったほうが確実である。
 リボンはいわば安全ロープであり、シャナが飛翔した際、美波が落下しないための処置だった。

「……うん、わかった。ともかくがんばる。瑞希と悠二さんを見つけて、ついでに水前寺の奴も引っ張ってくるんだから」

 この時点で美波は、これから自分がどういう風に移動するのか、いや、させられるのか気づいているはずだ。
 それでなお前言を撤回しないのは、覚悟の表れか、度胸のなせる業か。

「それじゃ、そろそろ」
「……最後に一つ。これを」

 紅蓮の双翼を顕現させ、飛び立とうとするシャナを制す。
 ヴィルヘルミナは自身のデイパックを探り、一本の長物を取り出した。

「『贄殿遮那』紛失の事態を想定し、事前にインデックスから譲り受けておいた品であります。無手では不便でありましょう?」

 シャナが受け取り、確認する。
 それは、瀟洒な装飾が施された鞘つきの西洋剣。
 木刀に比べれば心強い、しかし『贄殿遮那』に比べれば、些か軽すぎる一振りだった。

「宝具ではないようだが……これは?」
「なんだか、見覚えがある気がする」

 託された西洋剣に、若干の違和感を覚えるシャナとアラストール。
 ヴィルヘルミナは事務的に、託した剣の正体を告げる。

「なぜそれがこの地に齎されたのかは不明でありますが……そのサーベルは、“虹の翼”が愛用していたものなのであります」
「……!」

 “虹の翼”。
 古き時代を生きたフレイムヘイズならば、知らぬ者はまずいない、強大なる“紅世の王”の真名である。
 フレイムヘイズとしての生が短いシャナでも、その名は知っている。
 否、知っているどころの話ではない。実際に剣を合わせたこととてあった。

「シロ……」
「ちなみに、カップラーメン一個で交渉は成立したのであります」
「なにそれ」

 クスリと笑う少女を見て、ヴィルヘルミナもまた、微笑みを浮かべた。
 再会は、嬉しい。
 離別は、切ない。
 だからまたいつか、この嬉しさを味わうために――今は、笑って送り出そう。

「再びの帰還、心待ちにしているのであります」

 シャナは『夜笠』の中にサーベルを収納し、紅蓮の双翼を羽ばたかせた。
 美波も自身に繋がるリボンをぎゅっと握り、飛翔の体勢に入る。
 大河は左手に持った木刀を勇ましく上げ、旅立っていく二人を鼓舞した。
 ヴィルヘルミナは微笑みのまま、一時の別れを告げる。
 いつかの彼女のように。

「あなたたちに、天下無敵の幸運を」



【C-2/神社/一日目・日中】


【シャナ@灼眼のシャナ】
[状態]:健康
[装備]:メリヒムのサーベル@灼眼のシャナ
[道具]:デイパック、支給品一式、不明支給品x1-2、コンビニで入手したお菓子やメロンパン
[思考・状況]
 基本:悠二やヴィルヘルミナと協力してこの事件を解決する。
 1:川沿いを辿って東へ飛翔。坂井悠二を探し、合流する。
 2:島田美波を警護しつつ、彼女に協力。姫路瑞希を捜索し、水前寺を神社に連れ戻す。
 3:東にいると思われる“狩人”フリアグネの発見及び討滅。
 4:古泉一樹にはいつか復讐する。


【島田美波@バカとテストと召喚獣】
[状態]:健康、鼻に擦り傷(絆創膏)
[装備]:第四上級学校のジャージ@リリアとトレイズ、ヴィルヘルミナのリボン@現地調達
[道具]:デイパック、支給品一式、
     フラッシュグレネード@現実、文月学園の制服@バカとテストと召喚獣(消火剤で汚れている)
[思考・状況]
 基本:みんなと協力して生き残る。
 1:シャナに同行し、姫路瑞希と坂井悠二を探す。ついでに水前寺も。
 2:川嶋亜美を探し、高須竜児の最期の様子を伝え、感謝と謝罪をする。
 3:竜児の言葉を信じ、全員を救えるかもしれない涼宮ハルヒを探す。


【メリヒムのサーベル@灼眼のシャナ】
インデックスに支給された。
[とむらいの鐘]最高幹部『九垓天秤』の『両翼』が右、“虹の翼”メリヒムが使用していたサーベル。


【ヴィルヘルミナのリボン@現地調達】
ヴィルヘルミナが作り出した特製のリボン。
防火の自在式が編み込まれており、ちょっとやそっとの力では千切れないようになっている。


 ◇ ◇ ◇


「さて、残された我らの今後でありますが」
「腕、くっつけて」
「……やはり、麻酔は不要でありますか?」
「激痛必至」
「我慢する」
「熟慮を推奨……と言っている段階ではないようでありますな」
「うん、もう決めた。決めたし覚悟もした。お願いします」
「しかし義手の装着に成功したとして、その先はどうするつもりありますか?」
「その先って?」
「あなた個人が掲げる指針、もしくは願望の話であります」
「……それは、まだわかんない。みんな死んじゃったみたいだし、ね」
「……」
「竜児殺った奴には一発お見舞いしてやりたいし、ばかちーの顔ももう一回くらいは見ておきたいし」
「……迷っているのでありますか?」
「ううん」

 逢坂大河は、迷ってなんかいない。
 端で見ていても、それだけはわかった。

「やりたいことはいっぱいあるし、けど腕くっつけてからもう一回考える。とりあえずは動けるようにならなきゃ」

 そんな姿が、羨ましく思う。
 羨望を超えて、嫉妬すら湧いてきた。

「立ち止まってなんか、いられないもん」

 あんな風に、綺麗さっぱりとした顔で言えたなら、どんなに気持ちいいことだろう――。
 須藤晶穂は木の峰を背に、遠目から大河とヴィルヘルミナのやり取りを見ていた。
 結局、終始傍観者に徹するしかなかった自分に嫌気が差す。

(立ち止まってなんかいられない、か……)

 そのまま晶穂は、二人の立つ社務所の門前から遠ざかり、山林の奥へと踏み込んでいった。
 今は、一人になって考え事がしたい気分。
 誰にも触れてほしくない、そんな中学生センチメンタル。

(あたしは、さ……大河さんに言わせれば、止まってるんだろうな)

 止まるな。
 止まっちゃったらなにも生まれない。
 あんたたちは止まったままだ。
 間違っても、それを糧に進めばいい。
 今を見据えろ。
 諦めるな。
 諦めたら終わりだから。
 だから――止まるな。

 全部、大河からもらった言葉だった。
 あのとき、晶穂はもう一度浅羽に会いたいと言った。
 なのに今は、ここにいる。
 ここで、止まってしまっている。

(部長の誘いになにも言えなくて、今だって、シャナさんたちの前に出ていこうともしなかった)

 シャナと美波は、坂井悠二と水前寺邦博が向かった方角へと飛んでいった。
 その軌跡には間違いなく、浅羽直之との遭遇の可能性が示されている。
 少なくとも、こんなところで燻っているよりは、よっぽど希望がある。
 浅羽にまた会える、という希望が。

(このまま、部長やシャナさんたちを待っているだけ?)

 自問。

(今更じゃない。二人とも、もう行っちゃったわけだし)

 そして自答。

(あたし一人で……? ないない、無謀だって)

 諦観……っていうんだろうな、これって。
 晶穂は思い、その辺に生えていた木に蹴りを入れた。
 足に鈍痛が走って、その場に蹲る。
 つま先で蹴ってしまった。

「……なにやってんだろ」

 今度は、自嘲。
 自分が一番、矮小で惨めで駄目な奴な気がした。
 大河や美波とは違って、浅羽はまだ生きているっていうのに……それなのに。

「あたしも、大河さんや島田さんみたいに叫んでみよっかなぁ……」

 八つ当たり、やってみようかな。
 と思う。思うけれど、声は出ない。

「後悔、してからじゃなきゃ……わかんないのか、あたしはっ」

 せいぜいが、そんな毒を吐くくらいで。
 涙も出てこないし、叫びも出てこないし。
 イライラだけが募るばかりだった。



【C-2/神社/一日目・日中】


【ヴィルヘルミナ・カルメル@灼眼のシャナ】
[状態]:疲労(小)
[装備]:なし
[道具]:デイパック、支給品一式、カップラーメン一箱(7/20)、缶切り@現地調達、調達物資@現地調達
[思考・状況]
 基本:この事態を解決する。しばらくは神社を拠点として活動。
 1:大河に義手を取り付ける手術を行う。
 2:神社を防衛しつつ、警察署に向かった御坂美琴とキョンの帰りを待つ。人員が揃うようなら、上条当麻の捜索も検討。
 3:六時を目処に、仮眠中のインデックスとテッサを起こす。問題ないようなら、天体観測に同行。
 4:シャナ、島田美波の帰還を待つ。


【逢坂大河@とらドラ!】
[状態]:右手欠損(止血処置済み)、右足打撲、精神疲労(小)
[装備]:逢坂大河の木刀@とらドラ!
[道具]:デイパック、支給品一式
     大河のデジタルカメラ@とらドラ!、フラッシュグレネード@現実、無桐伊織の義手(左右セット)@戯言シリーズ
[思考・状況]
 基本:馬鹿なことを考えるやつらをぶっとばす!
 1:ヴィルヘルミナに義手をつけてもらう。
 2:デジカメの中身を確認する?
 3:竜児の仇討ち? ばかちーを見つけてやる? 腕くっついてから考えよ。


【須藤晶穂@イリヤの空、UFOの夏】
[状態]:意気消沈
[装備]:園山中指定のヘルメット@イリヤの空、UFOの夏
[道具]:デイパック、支給品一式
[思考・状況]
 基本;生き残る為にみんなに協力する。
 1:あたしは……どうしたいんだろう。
 2:部長が浅羽を連れて帰ってくるのを待つ。
 3:携帯の電話番号が判明したら、部長ともう一度話す。



 ◇ ◇ ◇


【エピローグ「山の麓で・a」―Phoenix・a―】


 山の麓に、一台のスクーター(注・モトラドではない)が停っていました。
 スクーターには、一人の旅人が乗っていました。
 旅人の名前は、キノといいます。

「さて……このあたりだとは思うけど」

 キノは山中の神社に向かうため、スクーターを走らせることができる山道を探していました。
 その気になればスクーターを降りて獣道を登ることもできましたが、疲れるのでそれはやめておきました。

「……本当にいるのかな、人。できれば、ごはんをいただきたいところだけど」

 さっき食べたばかりだというのに、キノはもう、気持ちハラペコでした。
 だって仕方がありません。時刻は十二時を回っているのです。
 昼食が少し早めだったので、おなかが空くのも少し早めです。
 多くの国では、おやつは三時に取るのが定番だとも聞きます。

「それにしても、安心した。これであの人の名前が呼ばれなかったら、さすがに気が滅入っていたよ……」

 十二時の放送では、きちんと薬師寺天膳の名前が呼ばれていました。
 あの遺体処理が功を奏したのでしょうか。それともあれはやりすぎだったのかもしれません。

「日も高くなってきた。ぼちぼち、夜のことも考えなきゃな……半日動きっぱなしだったから、眠い」

 食べた後だからでしょうか。キノは目頭を擦りながら、眠気を訴えます。
 空を仰ぎながら、大あくび。相棒のエルメスがいれば、からかわれてしまいそうな顔でした。

「……ん?」

 長い長いあくびが終わって、キノはまた目を擦りました。
 あくびで出た涙を拭ったのが一つ。しかし理由はそれだけではありません。

「なんだ……あれは」

 目を、疑ったのです。
 それも仕方がありません。
 誰だって、空を『火の鳥』が飛んでいるのを見たらそうするはずです。





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