血と涙は買えばいい -人心、バイバイ。-(前編) ◆IEYD9V7.46
(まずは、あの二人からだ……!)
ヴィータは荒れ狂う激情を胸に秘め、狩り前の捕食者のように気配を押し殺す。
視認性を奪う夜のヴェールの向こうに、獲物が二人。
ここからではその姿を確認できない。いつの間にか、かなり離れてしまったようだ。
それでも、方向にあたりをつけることくらいはできる。
気を失っている紫穂は後回し、今は確実にインデックスと双葉を仕留める。
日没によって、周囲に広がる森は底の見えない闇に満ち――時間と共にその明度を更に下げるだろう。
逃げられたら、まず見つけられない。
自然と、フランヴェルジュを握る指に力が込められる。
力みと詳慎の狭間。
陰森とした湿気が鬱陶しく纏わりつき、薄っすらと滲んだ汗と溶け合う。
(シグナム。あたしは馬鹿だし、もう遅すぎるのかもしれないけど……力を貸してくれ)
手中の炎の剣をレヴァンティンと重ね、強く祈る。
するとどうだ。夜気を掃う剣の熱がそのまま流れ込んだかのように、ヴィータの身体もまた熱を帯びる。
錯覚かもしれない、しかしヴィータはそう思わない。流入する熱から疑いなき勇気を得る。
これは仲間たちが、ヴォルケンリッターが力を与えてくれているのだと。
(……分かってる)
彼らが怒り、嘆いていることを。
(当たり前だよな)
同じだ。離れていても心は一つ。願い叫ぶことも、ただ一つ――!
ヴィータは荒れ狂う激情を胸に秘め、狩り前の捕食者のように気配を押し殺す。
視認性を奪う夜のヴェールの向こうに、獲物が二人。
ここからではその姿を確認できない。いつの間にか、かなり離れてしまったようだ。
それでも、方向にあたりをつけることくらいはできる。
気を失っている紫穂は後回し、今は確実にインデックスと双葉を仕留める。
日没によって、周囲に広がる森は底の見えない闇に満ち――時間と共にその明度を更に下げるだろう。
逃げられたら、まず見つけられない。
自然と、フランヴェルジュを握る指に力が込められる。
力みと詳慎の狭間。
陰森とした湿気が鬱陶しく纏わりつき、薄っすらと滲んだ汗と溶け合う。
(シグナム。あたしは馬鹿だし、もう遅すぎるのかもしれないけど……力を貸してくれ)
手中の炎の剣をレヴァンティンと重ね、強く祈る。
するとどうだ。夜気を掃う剣の熱がそのまま流れ込んだかのように、ヴィータの身体もまた熱を帯びる。
錯覚かもしれない、しかしヴィータはそう思わない。流入する熱から疑いなき勇気を得る。
これは仲間たちが、ヴォルケンリッターが力を与えてくれているのだと。
(……分かってる)
彼らが怒り、嘆いていることを。
(当たり前だよな)
同じだ。離れていても心は一つ。願い叫ぶことも、ただ一つ――!
『主を屠った怨敵に死を! 報復の鉄槌を打ち下ろせッ!!』
体内で爆発が起こったかのような熱量。その大半が、迷いを吹き飛ばす衝動へと変化。
莫大な残火はヴィータ自身の熱となり、血液を沸騰させんばかりの力を付与する。
炎の剣と一体化したような、凄絶な熱が全身に等しく行き渡った。
ただし、ある一部分だけは違う。
燃えるような総身の中で唯一、氷のように冷たい部分が残されている。
それは冷酷な思考を促す頭脳にか? ――違う。
全て等しく殺す、機械のような心にか? ――違う。
はやて以外の過去と未来を断ち切る、記憶の蓋にか? ――違う。
では、いったいどこに?
莫大な残火はヴィータ自身の熱となり、血液を沸騰させんばかりの力を付与する。
炎の剣と一体化したような、凄絶な熱が全身に等しく行き渡った。
ただし、ある一部分だけは違う。
燃えるような総身の中で唯一、氷のように冷たい部分が残されている。
それは冷酷な思考を促す頭脳にか? ――違う。
全て等しく殺す、機械のような心にか? ――違う。
はやて以外の過去と未来を断ち切る、記憶の蓋にか? ――違う。
では、いったいどこに?
カチャリ、と金属が打ち合う。
「はい、そのまま動かないでね」
ヴィータの身体が凍りつく。氷結の始点は首筋。
そこに何か、氷点下に迫る冷ややかなものが当てられている。
振り向かなくても解かる。皮膚を伝う堅い冷気が嫌でも伝えてくる。
伝わってくるが、脳が現状の把握を拒否し続け――無駄だった。それで現状が変わるはずがない。
(銃……だと……? ウソ、だろ?)
一気に血の気が失せる。
ミッドチルダやベルカでは廃れて久しい質量兵器。
歴戦の戦士であるヴィータですら、ここに来るまで知識の上でしか知らなかったものだ。
「こっちを向くのもダメ。あ、申し開きを聞くつもりもないから、そのまま黙って私の話を聞いてね」
不甲斐なさを悔いている間もない。有無を言わさぬ声が届く。
「まずは、その物騒な剣を捨ててもらおうかしら」
くそ、とヴィータは歯噛みする。
(どこまで迂闊なんだよ、あたしはっ! まだ、何も始まってもいないってのに!
こんなんじゃ、こんなんじゃはやての仇を――ッ!!)
「聞こえなかったの?」
低く濁った声と同時。またも金属音が張り詰めた空気を震わす。
今度は銃口を当てるのではなく、押し付ける、或いは突き刺すといった強さだ。
辛苦するヴィータの手から、フランヴェルジュが力なく落下する。
「いい子ね。そのまま前に5歩、ゆっくり歩いてからこっちに振り向いて」
抵抗しようにも、背後を取られていてはどうしようもない。
言われたとおりに足を踏み出し……5歩歩いたところで身を翻す。
話すのは初めてだが、振り向いた先にいる人物が誰なのかは判りきっている。
当然だ。さっきまで自分が背負っていたのだから。
向き直った視線の先。悠然と立つのは一人の少女。
まだ薄暗いと形容できる森の闇を、一箇所に凝縮したような漆黒の総身――三宮、紫穂。
ヴィータは初対面の相手に対して、奥歯をギリギリと軋ませ、猛獣の如き剛の視線をぶつける。
相対する紫穂はそれを柔の視線でやんわりと受け止め、値踏みするように、しかし柔和に微笑む。
やがて、一頻りヴィータの形相を観察した紫穂は、桜唇から場にそぐわない蕩けそうな吐息と声を同時に漏らす。
「……いい表情だわ……。見込みどおりね……」
うっとりとした笑みが零され、ヴィータは寒気すら感じるほどの違和感を覚える。
アンバランス。身に着けている衣服までもが景色に馴染んでいるというのに、
その笑みは徹底的に世界との調和を拒んでいたのだ。
その異質さが原因か、それとも否か。「馬鹿にしてんのか」と叫ぼうとしたヴィータは面食らい、
口を軽く開いたまま何も継げなくなる。
(……見込みどおり、だと? 何だよそれ?
いったい何の話をしてんだ、コイツは? あたしをどうするつもりなんだ?)
次から次へと、疑問が浮かんでは溜まる。
そうして、紫穂へ向けていた憤りの矛先が曖昧になった瞬間。
銃を突きつけ、絶対的に有利なはずの紫穂から、ありえない提案がなされる。
そこに何か、氷点下に迫る冷ややかなものが当てられている。
振り向かなくても解かる。皮膚を伝う堅い冷気が嫌でも伝えてくる。
伝わってくるが、脳が現状の把握を拒否し続け――無駄だった。それで現状が変わるはずがない。
(銃……だと……? ウソ、だろ?)
一気に血の気が失せる。
ミッドチルダやベルカでは廃れて久しい質量兵器。
歴戦の戦士であるヴィータですら、ここに来るまで知識の上でしか知らなかったものだ。
「こっちを向くのもダメ。あ、申し開きを聞くつもりもないから、そのまま黙って私の話を聞いてね」
不甲斐なさを悔いている間もない。有無を言わさぬ声が届く。
「まずは、その物騒な剣を捨ててもらおうかしら」
くそ、とヴィータは歯噛みする。
(どこまで迂闊なんだよ、あたしはっ! まだ、何も始まってもいないってのに!
こんなんじゃ、こんなんじゃはやての仇を――ッ!!)
「聞こえなかったの?」
低く濁った声と同時。またも金属音が張り詰めた空気を震わす。
今度は銃口を当てるのではなく、押し付ける、或いは突き刺すといった強さだ。
辛苦するヴィータの手から、フランヴェルジュが力なく落下する。
「いい子ね。そのまま前に5歩、ゆっくり歩いてからこっちに振り向いて」
抵抗しようにも、背後を取られていてはどうしようもない。
言われたとおりに足を踏み出し……5歩歩いたところで身を翻す。
話すのは初めてだが、振り向いた先にいる人物が誰なのかは判りきっている。
当然だ。さっきまで自分が背負っていたのだから。
向き直った視線の先。悠然と立つのは一人の少女。
まだ薄暗いと形容できる森の闇を、一箇所に凝縮したような漆黒の総身――三宮、紫穂。
ヴィータは初対面の相手に対して、奥歯をギリギリと軋ませ、猛獣の如き剛の視線をぶつける。
相対する紫穂はそれを柔の視線でやんわりと受け止め、値踏みするように、しかし柔和に微笑む。
やがて、一頻りヴィータの形相を観察した紫穂は、桜唇から場にそぐわない蕩けそうな吐息と声を同時に漏らす。
「……いい表情だわ……。見込みどおりね……」
うっとりとした笑みが零され、ヴィータは寒気すら感じるほどの違和感を覚える。
アンバランス。身に着けている衣服までもが景色に馴染んでいるというのに、
その笑みは徹底的に世界との調和を拒んでいたのだ。
その異質さが原因か、それとも否か。「馬鹿にしてんのか」と叫ぼうとしたヴィータは面食らい、
口を軽く開いたまま何も継げなくなる。
(……見込みどおり、だと? 何だよそれ?
いったい何の話をしてんだ、コイツは? あたしをどうするつもりなんだ?)
次から次へと、疑問が浮かんでは溜まる。
そうして、紫穂へ向けていた憤りの矛先が曖昧になった瞬間。
銃を突きつけ、絶対的に有利なはずの紫穂から、ありえない提案がなされる。
「ねぇ、取り引きしてみない?」
* * *
「ふたばー、もう戻ったほうがいいかも……」
「うるせー! まだ全然探しきれてないだろ!?
だいたい、『かも』なんて弱い意志であたしを止められると思うな!」
「うるせー! まだ全然探しきれてないだろ!?
だいたい、『かも』なんて弱い意志であたしを止められると思うな!」
穏やかな嗜めは逆効果だったらしい。軽く憔悴した様子のインデックスが、溜息と共に引き下がる。
撥ねつけたのはやや暴走気味の少女、双葉だ。さながら、火を落とせない蒸気機関と言ったところか。
彼女がいつも以上に向こう見ずなのには理由がある。
一つは、高町なのはへの暴言に対する負い目。
なのは本人に謝ることができないから、せめて彼女からの依頼だけでも成功させようと奔走しているのである。
もう一つは、シャナの足を引っ張りたくないという意地。
シャナはある意味で双葉たちを信頼したからこそ、たった一人でタワーに向かったのである。
その信頼に応えたい、シャナがいなくても大丈夫だということを証明したい。
これらの想いが、元来義理に厚い双葉の心を後押しし、頑固とも言える強さとなっている。
それこそ、インデックスが手を焼くほどに。
「ふたば、本当にそろそろ限界だよ。ヴィータと合流してもど――」
インデックスが再度の説得を試みようとしたそのとき。
撥ねつけたのはやや暴走気味の少女、双葉だ。さながら、火を落とせない蒸気機関と言ったところか。
彼女がいつも以上に向こう見ずなのには理由がある。
一つは、高町なのはへの暴言に対する負い目。
なのは本人に謝ることができないから、せめて彼女からの依頼だけでも成功させようと奔走しているのである。
もう一つは、シャナの足を引っ張りたくないという意地。
シャナはある意味で双葉たちを信頼したからこそ、たった一人でタワーに向かったのである。
その信頼に応えたい、シャナがいなくても大丈夫だということを証明したい。
これらの想いが、元来義理に厚い双葉の心を後押しし、頑固とも言える強さとなっている。
それこそ、インデックスが手を焼くほどに。
「ふたば、本当にそろそろ限界だよ。ヴィータと合流してもど――」
インデックスが再度の説得を試みようとしたそのとき。
「おーい、インデックスー、双葉ー!」
遠く、後方から呼びかけが届いた。
双葉と一緒に振り返ると、傷跡のように抉られた森の跡地を背景に、二人の少女が早足で歩いている。
それを視認して、双葉は目を輝かせた。
「紫穂! 目が覚めたのか!」
何事もなかったかのように歩く紫穂の姿を確認し、嬉々として双葉が駆け寄る。
僅かに遅れてインデックスもそれに続いた。
「双葉ちゃん……ごめんなさい。私、ヒドイことたくさん言ったわよね……」
「気にするなよ、悪いのは全部あの変な剣なんだからさ……ん?」
再会の喜びも束の間、双葉の口から怪訝な声が漏れる。
というのも、紫穂が一枚のメモ用紙を何も言わずにおずおずと差し出してきたからだ。
それも、周りを警戒しながら隠すようにして、だ。
(何だ、見られちゃまずいもんなのか? でもここにいるのは――)
インデックスの注意は現在、「大事は話がある」と前置きしたヴィータのほうに向けられていて、
こちらのやり取りを気にしてはいないようだ。
耳の端でインデックスたちの話を聞き流しながら、双葉はメモを開く。
双葉と一緒に振り返ると、傷跡のように抉られた森の跡地を背景に、二人の少女が早足で歩いている。
それを視認して、双葉は目を輝かせた。
「紫穂! 目が覚めたのか!」
何事もなかったかのように歩く紫穂の姿を確認し、嬉々として双葉が駆け寄る。
僅かに遅れてインデックスもそれに続いた。
「双葉ちゃん……ごめんなさい。私、ヒドイことたくさん言ったわよね……」
「気にするなよ、悪いのは全部あの変な剣なんだからさ……ん?」
再会の喜びも束の間、双葉の口から怪訝な声が漏れる。
というのも、紫穂が一枚のメモ用紙を何も言わずにおずおずと差し出してきたからだ。
それも、周りを警戒しながら隠すようにして、だ。
(何だ、見られちゃまずいもんなのか? でもここにいるのは――)
インデックスの注意は現在、「大事は話がある」と前置きしたヴィータのほうに向けられていて、
こちらのやり取りを気にしてはいないようだ。
耳の端でインデックスたちの話を聞き流しながら、双葉はメモを開く。
『インデックスとヴィータは危険よ』
――なっ。
声をあげそうになった双葉は、紫穂の視線に制されて危ういながらも堪えた。
微かに乱れた呼吸を落ち着け、メモの続きを黙読する。
声をあげそうになった双葉は、紫穂の視線に制されて危ういながらも堪えた。
微かに乱れた呼吸を落ち着け、メモの続きを黙読する。
『理由は後で話すわ。少ししたらあの二人が揃ってここを離れるから、
それまでうまく話をあわせて。いい?』
それまでうまく話をあわせて。いい?』
メモを読み終わり、双葉は目線で肯定の意を示す。
間を置いて、恐る恐るインデックスたちのほうに目を向けると、
丁度、ヴィータの話が始まるタイミングだった。
間を置いて、恐る恐るインデックスたちのほうに目を向けると、
丁度、ヴィータの話が始まるタイミングだった。
「インデックス。……勝の死体が見つかった」
「……そう。それで、まさるはどこにいるの?」
「ここから南に行ったところだよ。それでさ、おまえに死体と現場の検証をしてもらいたいんだ。
あの死体は何かがおかしい、普通の殺し方じゃないんだ。だから、おまえの口から意見を聞きたい」
「うん、わかったんだよ。しほとふたばも一緒に着いてきて」
「……そう。それで、まさるはどこにいるの?」
「ここから南に行ったところだよ。それでさ、おまえに死体と現場の検証をしてもらいたいんだ。
あの死体は何かがおかしい、普通の殺し方じゃないんだ。だから、おまえの口から意見を聞きたい」
「うん、わかったんだよ。しほとふたばも一緒に着いてきて」
話を振られた双葉はビクリと緊張する。
が、それを見越したかのように、紫穂が流れるようなフォローを入れる。
が、それを見越したかのように、紫穂が流れるようなフォローを入れる。
「ごめんなさい。さっきの勝くんの有様を見たせいなのかな……。
ちょっと気分が悪くなってきちゃったみたい。
少し休めば大丈夫だと思うから、双葉ちゃんと一緒にここで待っててもいい?」
「え、でも……」
「インデックス、すまねえ。あたしがさっき、紫穂に無理させちまったせいなんだよ。
紫穂が死体の簡単な検分ならできるっていうから、つい……。
だから、少し休ませてやってくれないか? 頼む」
「あ……、し、心配すんなよ! あたしがちゃんと紫穂に付いていてやるからさ!」
ちょっと気分が悪くなってきちゃったみたい。
少し休めば大丈夫だと思うから、双葉ちゃんと一緒にここで待っててもいい?」
「え、でも……」
「インデックス、すまねえ。あたしがさっき、紫穂に無理させちまったせいなんだよ。
紫穂が死体の簡単な検分ならできるっていうから、つい……。
だから、少し休ませてやってくれないか? 頼む」
「あ……、し、心配すんなよ! あたしがちゃんと紫穂に付いていてやるからさ!」
ヴィータと双葉の熱意を受けて、インデックスは逡巡する。何か腑に落ちないものは感じる。
けれど、自分以外の全員が賛成しているのだからここは折れるしかないだろう。
そう結論付けて、すぐに思考を切り替える。
けれど、自分以外の全員が賛成しているのだからここは折れるしかないだろう。
そう結論付けて、すぐに思考を切り替える。
「……仕方ないね、分かったよ。少し調べてすぐ戻ってくるから。
行こう、ヴィータ。案内して」
「ああ」
行こう、ヴィータ。案内して」
「ああ」
そうしてインデックスとヴィータは懐中電灯の明かりを頼りに、荒地の向こうへ駆け出していった。
二人の後姿がみるみる小さくなり、完全に闇に埋もれたころ。
双葉は紫穂のほうへと顔を向け、静かな口調で問う。
二人の後姿がみるみる小さくなり、完全に闇に埋もれたころ。
双葉は紫穂のほうへと顔を向け、静かな口調で問う。
「なあ、紫穂。さっきのメモっていったい――」
ずぶり、
という音だった。まるで底なし沼に勢い良く足を踏み入れたような、粘着性の水気のある音。
何をされたのか、何が起こったのか。双葉には判らない。
本当は解かっているはずのに、今日一日だけで一生分味わった感覚だというのに、それでも判ろうとしない。
だって、そんなはずはない。そうされる理由が何もない。問題は全て取り除いた。救えたはずだ。
絶対にそうだ。なのはが提示し、シャナが保証していた。だから大丈夫だ。そのはず、なのに。
何をされたのか、何が起こったのか。双葉には判らない。
本当は解かっているはずのに、今日一日だけで一生分味わった感覚だというのに、それでも判ろうとしない。
だって、そんなはずはない。そうされる理由が何もない。問題は全て取り除いた。救えたはずだ。
絶対にそうだ。なのはが提示し、シャナが保証していた。だから大丈夫だ。そのはず、なのに。
(……な、んで……だよ……っ?)
茶色を焦がした地面に赤い斑点が乗る。
紫穂は肉を刺した短刀を左右に細かく揺らしながら、乱暴に双葉の脇腹から引き抜く。
数瞬後、電池を抜かれたように双葉の身体が地に臥した。
紫穂は肉を刺した短刀を左右に細かく揺らしながら、乱暴に双葉の脇腹から引き抜く。
数瞬後、電池を抜かれたように双葉の身体が地に臥した。
* * *
夜気を振りほどくように二つの人影が地を駆ける。
先導するのはヴィータ、追走するのはインデックスだ。
先導するのはヴィータ、追走するのはインデックスだ。
「あそこだインデックス!」
ヴィータの声に促され、インデックスは前方に集中する。
走りながらじっと目を凝らして……見えた。
黒一色の暗幕に包まれながらも、その存在を煌びやかに主張する、灼熱の剣。
才賀勝が持っていたフランヴェルジュが、墓標のように地面に突き刺さっていた。
視界に捉えてから数秒後。突き立つ剣の前に辿り着き、二人は息を整える。
走りながらじっと目を凝らして……見えた。
黒一色の暗幕に包まれながらも、その存在を煌びやかに主張する、灼熱の剣。
才賀勝が持っていたフランヴェルジュが、墓標のように地面に突き刺さっていた。
視界に捉えてから数秒後。突き立つ剣の前に辿り着き、二人は息を整える。
「……本当だね。まさるが持ってた剣……。それで、まさるはどこ?
正確に場所を指してくれないと暗くて見つけられないかも」
「勝の死体はその剣の向こうだよ。そこに、ひどい凸凹があるだろ? その奥だ」
正確に場所を指してくれないと暗くて見つけられないかも」
「勝の死体はその剣の向こうだよ。そこに、ひどい凸凹があるだろ? その奥だ」
えーと、どこー? とインデックスが懐中電灯をぶらぶらと左右に振り回す。
一歩、二歩。足元を確かめながら段々奥へと進んでいき――
一歩、二歩。足元を確かめながら段々奥へと進んでいき――
――ざくっという音。
何かが潰れたような、裂けたような音が響いた。
一緒に、瑞々しい果実を搾ったような音も混ざっている。
一緒に、瑞々しい果実を搾ったような音も混ざっている。
(え……?)
遅すぎる。思考も行動もアフターケアも。全てが遅すぎる。
脳がやっと反応したのは、背中の激痛が命の危険に警鐘を鳴らす段になってからだ。
荒れた地面にうつ伏せにドサッと倒れる。そこで初めて、インデックスは答えに行き着いた。
背後からランドセルごと、真一文字に切り裂かれたのだと。
ただの斬撃ではない。裂かれた痛みが生み出す熱、それだけでは説明できない異常発熱。
思い違いではない。周りを揺蕩う夜風は、肉の焦げる臭いを間違いなく撒き散らしている。
疑いようがない。灼熱を伴った炎の斬撃だ。そして、そんなことが可能なのは――
(フラン、ヴェルジュ……)
認めたくない、しかし暴れ狂う痛覚がそれを無理矢理認識させてくる。
焼け爛れた皮膚が、噴き出す血が、切り裂かれた背中の傷が、
全ての要素が致命傷だと訴えかけてくる。
だが、それだけでは終わらない。肉体の次に抉られるのは――心だ。
インデックスが今一番聴きたくない言葉が、一番聴きたくない声によって背中に突き立てられる。
脳がやっと反応したのは、背中の激痛が命の危険に警鐘を鳴らす段になってからだ。
荒れた地面にうつ伏せにドサッと倒れる。そこで初めて、インデックスは答えに行き着いた。
背後からランドセルごと、真一文字に切り裂かれたのだと。
ただの斬撃ではない。裂かれた痛みが生み出す熱、それだけでは説明できない異常発熱。
思い違いではない。周りを揺蕩う夜風は、肉の焦げる臭いを間違いなく撒き散らしている。
疑いようがない。灼熱を伴った炎の斬撃だ。そして、そんなことが可能なのは――
(フラン、ヴェルジュ……)
認めたくない、しかし暴れ狂う痛覚がそれを無理矢理認識させてくる。
焼け爛れた皮膚が、噴き出す血が、切り裂かれた背中の傷が、
全ての要素が致命傷だと訴えかけてくる。
だが、それだけでは終わらない。肉体の次に抉られるのは――心だ。
インデックスが今一番聴きたくない言葉が、一番聴きたくない声によって背中に突き立てられる。
「……悪いな、インデックス。おまえには、世話になったよ。……じゃあな」
「ま……」
「ま……」
待って、という単語は形にならない。喉が正しく震えてくれない。だから「ダメだ」とインデックスは思う。
言葉が放てないなら、せめて思考の中だけでも抗い続けようとする。
しかし、現実は残酷だ。どんなに強く思っても、それは実世界に何の影響も及ぼさない。
今、声を張り上げなければ、間違いなくヴィータは行ってしまう。
それなのに、そのことが解かっているのに、インデックスの口からは音のない呼気が漏れるだけだ。
ああ、そうだ。とっくに解かっていた。
主を、八神はやてを失ったヴィータは、張り詰めた風船が弾けるように、いつこうなってもおかしくなかったのだと。
それでも信じたくなかった。後ろから斬られたときも、それは絶対ヴィータ以外の誰かに違いないと信じていた。
けれど、それはもう叶わない。ヴィータ自身がたった今、自分の仕業だと肯定してしまった。
足音が生まれ、刻々と遠ざかっていく。音が奇妙なほどに遠くで聞こえる。
ヴィータがこの場を去っていくから、そして、インデックスの意識が現世から離れていくから。
それらの相乗効果で、音が、視界が、世界が遠のく。
(そ、んな……ヴィーた……)
首を上げても、うつ伏せに倒れこんでしまったせいでヴィータのほうを向けない。
暗くなっていく視界の中。唯一、代わりに見えたのはハラハラと舞う――
(……ゆ、き?)
違う、雪じゃない。雪はもっと細かいし、こんなに細長い形もしていない。
(ああ、そっか……)
意識が泥に沈む寸前になって、インデックスは得心する。
これは、生まれてからずっと付き合ってきた、自分の髪。
背中を斬られた際にまとめて刈り飛ばされた――宙を漂う銀髪だったのだと。
瞼が落ちる。もう、風音しか聴こえない。
言葉が放てないなら、せめて思考の中だけでも抗い続けようとする。
しかし、現実は残酷だ。どんなに強く思っても、それは実世界に何の影響も及ぼさない。
今、声を張り上げなければ、間違いなくヴィータは行ってしまう。
それなのに、そのことが解かっているのに、インデックスの口からは音のない呼気が漏れるだけだ。
ああ、そうだ。とっくに解かっていた。
主を、八神はやてを失ったヴィータは、張り詰めた風船が弾けるように、いつこうなってもおかしくなかったのだと。
それでも信じたくなかった。後ろから斬られたときも、それは絶対ヴィータ以外の誰かに違いないと信じていた。
けれど、それはもう叶わない。ヴィータ自身がたった今、自分の仕業だと肯定してしまった。
足音が生まれ、刻々と遠ざかっていく。音が奇妙なほどに遠くで聞こえる。
ヴィータがこの場を去っていくから、そして、インデックスの意識が現世から離れていくから。
それらの相乗効果で、音が、視界が、世界が遠のく。
(そ、んな……ヴィーた……)
首を上げても、うつ伏せに倒れこんでしまったせいでヴィータのほうを向けない。
暗くなっていく視界の中。唯一、代わりに見えたのはハラハラと舞う――
(……ゆ、き?)
違う、雪じゃない。雪はもっと細かいし、こんなに細長い形もしていない。
(ああ、そっか……)
意識が泥に沈む寸前になって、インデックスは得心する。
これは、生まれてからずっと付き合ってきた、自分の髪。
背中を斬られた際にまとめて刈り飛ばされた――宙を漂う銀髪だったのだと。
瞼が落ちる。もう、風音しか聴こえない。
* * *
紫穂は血濡れの七夜の短刀をてきぱきと操り、手早く双葉が背負っているランドセルの肩紐を切り裂いた。
一見冷静で沈着な様を装ってはいるが、時間を惜しんでいるように見えるのは誰の目にも明らかだ。
彼女は両手で胸の高さまでランドセルを掲げ、蓋を外して乱雑に中身をぶち撒ける。
水、食料、地図、黄金の玉、おもちゃみたいな銃……。
種々雑多な支給品が投げ出され、ランドセルの中身が空になる。
地面に落ちた支給品。その中の一つを彼女が捉えた瞬間。
清冽な川に過量な重油を流し込み、悪質な意志を以って掻き混ぜたかのように。
紫穂の目の色が、暗く濁った。
一見冷静で沈着な様を装ってはいるが、時間を惜しんでいるように見えるのは誰の目にも明らかだ。
彼女は両手で胸の高さまでランドセルを掲げ、蓋を外して乱雑に中身をぶち撒ける。
水、食料、地図、黄金の玉、おもちゃみたいな銃……。
種々雑多な支給品が投げ出され、ランドセルの中身が空になる。
地面に落ちた支給品。その中の一つを彼女が捉えた瞬間。
清冽な川に過量な重油を流し込み、悪質な意志を以って掻き混ぜたかのように。
紫穂の目の色が、暗く濁った。
「これよ……これが欲しかったの……鋭くて、硬くて、私に力をくれるこの剣が……」
先端が二又に分かれた赤い短剣を手に取り、恍惚とした声が湧き出る。
邪剣ファフニール。呪われた短剣を頭上に掲げ、紫穂は年齢にそぐわない妖艶な笑みを浮かべる。
そのまま何時間でも溺れてしまいたい、歪んだ多幸感。
紫穂はそれを渋々振り払い、双葉の支給品を自分のランドセルに入れ替えてその場を立ち去ろうとする。
だが、
邪剣ファフニール。呪われた短剣を頭上に掲げ、紫穂は年齢にそぐわない妖艶な笑みを浮かべる。
そのまま何時間でも溺れてしまいたい、歪んだ多幸感。
紫穂はそれを渋々振り払い、双葉の支給品を自分のランドセルに入れ替えてその場を立ち去ろうとする。
だが、
「……待て、よ……ッ!」
身を返した瞬間。喉から押し出したようなハリボテの声が、背中を叩く。
紫穂は珍しい生き物でも見るような眼差しで、声の発生源へとゆるりと身体を向けた。
紫穂は珍しい生き物でも見るような眼差しで、声の発生源へとゆるりと身体を向けた。
「驚いたわ。まだ動けたの?」
小馬鹿にしたような声の先。そこにいるのは一人の少女、――吉永双葉だ。
双葉は地面に打ち付けたコキリの剣を支えにして、全身を震わせながらも立ち上がろうとしていた。
その震えの原因は失血か痛みか、それとも怒りか失望か。
完全に立ち上がった双葉は、自分が生きている証を打ち立てるように大地を踏みしめ、
支えにしていた剣を紫穂へと向け、今尚鋭さを残す眼光を燃え上がらせる。
複雑な色だ。その瞳には悲哀までもが混ざっている。
双葉は地面に打ち付けたコキリの剣を支えにして、全身を震わせながらも立ち上がろうとしていた。
その震えの原因は失血か痛みか、それとも怒りか失望か。
完全に立ち上がった双葉は、自分が生きている証を打ち立てるように大地を踏みしめ、
支えにしていた剣を紫穂へと向け、今尚鋭さを残す眼光を燃え上がらせる。
複雑な色だ。その瞳には悲哀までもが混ざっている。
「……なに、かの、間違いだろ……? だって……おかしいじゃんか?
何で……いまなんだよ? おまえが、あたしを殺すつもりだったらさ……、
廃病院で二人きりのときに、やってるはずだろ……?
しかも、さっきまであの剣を持ってなかったのに……何で、あのときよりひどくなってんだよ……ッ?」
何で……いまなんだよ? おまえが、あたしを殺すつもりだったらさ……、
廃病院で二人きりのときに、やってるはずだろ……?
しかも、さっきまであの剣を持ってなかったのに……何で、あのときよりひどくなってんだよ……ッ?」
なのはとシャナの見立てが間違っていたとは思いたくない。だからこそ、双葉は疑問を投げ掛ける。
数秒の後。問いを受け取った紫穂の顔から笑みが消える。
同時に彫像のような無機質な雰囲気を纏い、彼女はおもむろに口を開いた。
数秒の後。問いを受け取った紫穂の顔から笑みが消える。
同時に彫像のような無機質な雰囲気を纏い、彼女はおもむろに口を開いた。
「……正三角形と正方形の違いって判るかしら?
正方形ってね、どこかの一角に力を加えると簡単に歪んで形を崩して菱形になってしまうの。
対して、正三角形のほうは三つの角のどこに力を加えても、一辺の長さが変わらない限り、決して歪まない。
私は、そんな正三角形が大好きだったわ……。
でもね、欠けちゃったの。いつも3つ一緒で、いつも無敵だった正三角形の一辺が。
一度壊れちゃうとダメね。辺が2つあっただけじゃ、もう二度と美しい面を描くことはできないのよ」
正方形ってね、どこかの一角に力を加えると簡単に歪んで形を崩して菱形になってしまうの。
対して、正三角形のほうは三つの角のどこに力を加えても、一辺の長さが変わらない限り、決して歪まない。
私は、そんな正三角形が大好きだったわ……。
でもね、欠けちゃったの。いつも3つ一緒で、いつも無敵だった正三角形の一辺が。
一度壊れちゃうとダメね。辺が2つあっただけじゃ、もう二度と美しい面を描くことはできないのよ」
持って回った言い方をされ、血が足りない双葉の脳に負荷がかかる。
時間をかけ、辛うじて頭の回転が追いついた瞬間。双葉は雷に打たれたようにハッとする。
時間をかけ、辛うじて頭の回転が追いついた瞬間。双葉は雷に打たれたようにハッとする。
「おまえ……知り合いはいないって……」
「嘘に決まってるじゃない。私は最初から誰も信用してないもの。
……けどね、実はほんの少しだけ期待してたんだ……。シャナちゃんや、小太郎君に。
もしかしたら、こんな世界を全部壊して、みんな揃って元の世界、元の生活に戻れるんじゃないかなって。
でも、無理だったわ。薫ちゃんは死んじゃった。ジェダに立ち向かうって言ってた小太郎くん、
その友達のネギ君も死んじゃった。やっぱり、誰も逆らえないのよ。
この島でみんな死んじゃうの。だから、もうどうでもいいのよ」
「な……! いいわけあるか! まだ……一人生きているんだろ!?
だったら、そいつのためにできることがあるはずだ!
……おまえ、やっぱその剣のせいでおかしくなってるんだよ!
本当のおまえは……そんなやつなんかじゃない!」
「嘘に決まってるじゃない。私は最初から誰も信用してないもの。
……けどね、実はほんの少しだけ期待してたんだ……。シャナちゃんや、小太郎君に。
もしかしたら、こんな世界を全部壊して、みんな揃って元の世界、元の生活に戻れるんじゃないかなって。
でも、無理だったわ。薫ちゃんは死んじゃった。ジェダに立ち向かうって言ってた小太郎くん、
その友達のネギ君も死んじゃった。やっぱり、誰も逆らえないのよ。
この島でみんな死んじゃうの。だから、もうどうでもいいのよ」
「な……! いいわけあるか! まだ……一人生きているんだろ!?
だったら、そいつのためにできることがあるはずだ!
……おまえ、やっぱその剣のせいでおかしくなってるんだよ!
本当のおまえは……そんなやつなんかじゃない!」
双葉の激昂を受けて、紫穂は心底おかしそうに、しかし空虚に笑う。
「ええ、そうね。きっと本当の私は今の私とは違っていたわ。
でも、本当の私って何? 誰が本当の私だってことを確認してくれるの?
そんなもの、誰にも判るはずないわ。
だって私はここに来てからずっと、本当の私ではいられなかったもの。
最初の剣で心に亀裂ができて、二本目の剣で頭はぐちゃぐちゃになった。
元の形なんてとっくにぼやけてしまって、もう戻れないのよ」
でも、本当の私って何? 誰が本当の私だってことを確認してくれるの?
そんなもの、誰にも判るはずないわ。
だって私はここに来てからずっと、本当の私ではいられなかったもの。
最初の剣で心に亀裂ができて、二本目の剣で頭はぐちゃぐちゃになった。
元の形なんてとっくにぼやけてしまって、もう戻れないのよ」
達観した微笑みが浮かぶ。だが、
「やってみないと、分からないだろ……ッ!」
それが気に入らないのが吉永双葉だ。
双葉は回想する。あのときの判断は間違いだったのかもしれない、と。
けれど、今ならきっと。なのはもシャナも間違いなくこうするに違いない。
だから双葉は、絶対の確信を持って意志を撃ち出す。
双葉は回想する。あのときの判断は間違いだったのかもしれない、と。
けれど、今ならきっと。なのはもシャナも間違いなくこうするに違いない。
だから双葉は、絶対の確信を持って意志を撃ち出す。
「……おまえから、その剣を取り上げてやる。
取り上げて、誰の手も届かない場所に捨てるんだ……ッ!」
取り上げて、誰の手も届かない場所に捨てるんだ……ッ!」
双葉は荒い息を吐きながら、改めて右手の剣を構える。
「笑えない冗談ね。そんな泥だらけのみすぼらしい剣で私を止める気なの?
分かっていないみたいだから教えてあげる。剣っていうのは、農作業をするものじゃないわ。
剣はね、血を吸うからこそ剣なのよ。このファフニールみたいにね」
「……うるせー、馬鹿にすんな……。これは、あたしの剣だ。
ヒーローみたいにあたしを助けてくれた……神楽がくれた、あたしの剣だ!
……そんな気味のわりぃ剣に――――負けるはずがないだろ!」
分かっていないみたいだから教えてあげる。剣っていうのは、農作業をするものじゃないわ。
剣はね、血を吸うからこそ剣なのよ。このファフニールみたいにね」
「……うるせー、馬鹿にすんな……。これは、あたしの剣だ。
ヒーローみたいにあたしを助けてくれた……神楽がくれた、あたしの剣だ!
……そんな気味のわりぃ剣に――――負けるはずがないだろ!」
双葉の抗弁を聴き、紫穂は何かが腹に落ちたような、すっきりとした表情を作る。
「そっか。今のあなたを支えているのはその剣なのね。……ねえ双葉ちゃん」
「……何だよ」
「あなたって一生懸命、何にでもぶつかっていくわね。
流れる水みたいに事象に対して無関心ではいられないし、衝撃を受け流すこともできない。
いつも全力でぶつかって、傷ついて、それでも壊れない。どこまでも堅い氷みたいに強い心……。
だからね、私知りたくなったの――――氷が、砕ける様を!!」
「ッ!?」
「……何だよ」
「あなたって一生懸命、何にでもぶつかっていくわね。
流れる水みたいに事象に対して無関心ではいられないし、衝撃を受け流すこともできない。
いつも全力でぶつかって、傷ついて、それでも壊れない。どこまでも堅い氷みたいに強い心……。
だからね、私知りたくなったの――――氷が、砕ける様を!!」
「ッ!?」
紫穂の左手で何かが閃く。ファフニールではない、銃だ。
双葉はその銃を知っている。
(さっき盗ったショックガンか!?)
把握したときには既に地面を蹴っている。
傷ついた身体に鞭打ち、いつもの半分のスピードも出せない足を回して、左右に揺動。
紫穂の射線をずらしながら接近する。
(持ってくれよ……! あの剣さえ、落とせれば――ッ!)
上下左右の振動を受け、意識が飛びそうになる。頭も朦朧としてくる。だけど、今はそれでいい。
考えることは紫穂の懐に飛び込むこと、それだけだ。
そこに至る過程は思考ではなく本能で処理する。
双葉は計算では到底読みきれない、無茶苦茶なランダム軌道で疾駆する。
いかに速度が遅くとも、これだけ撹乱されれば銃を命中させることは不可能だろう。
双葉はその銃を知っている。
(さっき盗ったショックガンか!?)
把握したときには既に地面を蹴っている。
傷ついた身体に鞭打ち、いつもの半分のスピードも出せない足を回して、左右に揺動。
紫穂の射線をずらしながら接近する。
(持ってくれよ……! あの剣さえ、落とせれば――ッ!)
上下左右の振動を受け、意識が飛びそうになる。頭も朦朧としてくる。だけど、今はそれでいい。
考えることは紫穂の懐に飛び込むこと、それだけだ。
そこに至る過程は思考ではなく本能で処理する。
双葉は計算では到底読みきれない、無茶苦茶なランダム軌道で疾駆する。
いかに速度が遅くとも、これだけ撹乱されれば銃を命中させることは不可能だろう。
――扱う者が、素人ならば。超度7の、世界最高のサイコメトラーでなければ。
双葉は、自分の戦法が正しいのだと信じていた。
紫穂が一発もショックガンを撃ってこないのは、
狙いを定められないからなのだと、最後まで思い込んでいた。
紫穂が一発もショックガンを撃ってこないのは、
狙いを定められないからなのだと、最後まで思い込んでいた。
彼我の距離数メートル。
双葉はあと一歩というところまで辿り着く。
剣の柄を握り締めた指。
そこにピンポイントで光線が当たり、感覚が失せる。
違和感。双葉は気がつかない。
剣が地面に落ちて音を立てるまで、気がつかない。
気がついた。頭が戦慄で埋め尽くされる。
神楽の剣がない。右手が動かない。動いてくれない。
脳が一瞬、機能を止める。どこを見ればいいのか分から――
双葉はあと一歩というところまで辿り着く。
剣の柄を握り締めた指。
そこにピンポイントで光線が当たり、感覚が失せる。
違和感。双葉は気がつかない。
剣が地面に落ちて音を立てるまで、気がつかない。
気がついた。頭が戦慄で埋め尽くされる。
神楽の剣がない。右手が動かない。動いてくれない。
脳が一瞬、機能を止める。どこを見ればいいのか分から――
「……これで、支えがなくなったわね」
聴覚が双葉を現実に引き戻す。遅い。
眼前に、ファフニールを振りかぶった紫穂がいる。
眼前に、ファフニールを振りかぶった紫穂がいる。
「――聴かせて。堅い氷が、砕ける音を」
告げ終えると同時。鈍い音と共に双葉の鳩尾にファフニールが叩き込まれた。
下段からの一撃に、双葉の身体が突き上げられる。
ただし、それは刃ではない。柄のほうだ。
短剣の柄が深々と双葉の腹に打ち込まれ、
下段からの一撃に、双葉の身体が突き上げられる。
ただし、それは刃ではない。柄のほうだ。
短剣の柄が深々と双葉の腹に打ち込まれ、
「が、ぁ……?」
肺の空気が強制的に搾り出される。
ついで2、3歩後ずさりして、双葉は仰向けに倒れこみ、ゴホゴホと咳き込んだ。
その様子を眺め、紫穂は優雅な足取りで双葉に近づく。
苦悶し、瞳に涙を溜めた顔を愉悦たっぷりに観察する。
そして、右足を軽く上げて――――脇腹を、思い切り踏みつけた。
ついで2、3歩後ずさりして、双葉は仰向けに倒れこみ、ゴホゴホと咳き込んだ。
その様子を眺め、紫穂は優雅な足取りで双葉に近づく。
苦悶し、瞳に涙を溜めた顔を愉悦たっぷりに観察する。
そして、右足を軽く上げて――――脇腹を、思い切り踏みつけた。
「ぐ――あああああああああああああああああああああああああああっ!!?」
傷から更に血が溢れる。上半身がのた打ち回ろうとして失敗し、両足だけを狂ったように暴れさせる。
悲鳴をBGMに、紫穂が深い息を吐きながら幸せ一杯の声を漏らす。
悲鳴をBGMに、紫穂が深い息を吐きながら幸せ一杯の声を漏らす。
「いい音色、いい反応……。期待通りだわ……。でも、こんな時間に煩くするのは良くないわね」
「ああああああああああああああぐっ!?」
「ああああああああああああああぐっ!?」
双葉の絶叫が止まる。いや、止めさせられる。
何が起こったのか双葉には分からない。
激痛を棚上げにして現状把握。声が出ない。口からは篭もった音しか出てくれない。
そもそも口が塞がらない。何かが詰められている。
噛む。舐める。布の感触がする。――――包帯だ。
未使用の丸めた包帯が、口腔に無理矢理押し込められている。
双葉の顔に恐慌の色が混ざる。紫穂が薄っすらと笑う。
何が起こったのか双葉には分からない。
激痛を棚上げにして現状把握。声が出ない。口からは篭もった音しか出てくれない。
そもそも口が塞がらない。何かが詰められている。
噛む。舐める。布の感触がする。――――包帯だ。
未使用の丸めた包帯が、口腔に無理矢理押し込められている。
双葉の顔に恐慌の色が混ざる。紫穂が薄っすらと笑う。
「名残惜しいけど、仕方ないわよね。これからはマナーモードで遊びましょ」
双葉の、涙で滲んだ視界の中。
黒い夜空と黒い枝の連なりを背景に、赤い短剣が現れる。
血を固めたような赤さに目が釘付けになり、双葉の胸の中に恐怖と諦観が広がる。
負の感情が許容量を超える。自己保護のために自分の中に冷静な第三者が生まれる。
他人事が聞こえる。
黒い夜空と黒い枝の連なりを背景に、赤い短剣が現れる。
血を固めたような赤さに目が釘付けになり、双葉の胸の中に恐怖と諦観が広がる。
負の感情が許容量を超える。自己保護のために自分の中に冷静な第三者が生まれる。
他人事が聞こえる。
……ついにあたしの視覚は狂ったか……。
短剣が動いているように見える。
生き物みたいに蠢いているように見える。
剣の先端。二又に分かれた部分が鋏みたいに左右に広がって見える。
広がって閉じて、ガチガチと歯みたいに刃を打ち鳴らしている。
打ち鳴らす? ヤバイ、幻聴まで聴こえてきた……。
でもあたしは信じねー。そんなはずない。だってそうだろ?
これじゃ、まるでライオンだかトラだかが口を開けてあたしを食おうと――
短剣が動いているように見える。
生き物みたいに蠢いているように見える。
剣の先端。二又に分かれた部分が鋏みたいに左右に広がって見える。
広がって閉じて、ガチガチと歯みたいに刃を打ち鳴らしている。
打ち鳴らす? ヤバイ、幻聴まで聴こえてきた……。
でもあたしは信じねー。そんなはずない。だってそうだろ?
これじゃ、まるでライオンだかトラだかが口を開けてあたしを食おうと――
「食事よ、ファフニール」
幻覚じゃ、なかった。
幻覚だったら、まだマシだった。
動けよ、あたしの身体。食われるぞ。
幻覚だったら、まだマシだった。
動けよ、あたしの身体。食われるぞ。
「――――いただきます」
顎が、あたしの皮膚に食らいついた。
ぶちぶちぶちぶちガリガリガリガリ。
すげー痛い。そんなにがっつくなよ。
逃げねーから。……逃げられねー……か、ら……。
ぶちぶちぶちぶちガリガリガリガリ。
すげー痛い。そんなにがっつくなよ。
逃げねーから。……逃げられねー……か、ら……。
* * *