第10-2章.
クリパは言った、「私たちは、あなたがおっしゃったことをすべて聞きました!しかし、私の言葉を少し聞いてください!すべての人は、運命と努力という二つの力に支配されている。この二つより高いものはない。われわれの行為は、運命のみによって、あるいは努力のみによって成功するのではない!成功はこの2つの結合から生まれる。すべての目的は、高いものも低いものも、この二つの結合に依存している。全世界において、人が行動するのも、また行動を控えるのも、この二つによってである。雲が山に降り注ぐことによって、どんな結果がもたらされるだろうか?雲が耕作地に降り注ぐことによって、どのような結果がもたらされないであろうか。運命が吉祥でないところでの努力も、運命が吉祥であるところでの努力の欠如も、どちらも実を結ばない!両者の結合について)前に述べたことは真実である。よく耕された土壌を雨が適切に潤せば、種は素晴らしい結果を生む。人間の成功はこのような性質のものである。
運命は時に、出来事の成り行きを定めて、(努力を待つことなく)自ら行動する。そのためには、賢明な者は、熟練に助けられ、努力に頼るのである。人間の間の雄牛よ、人間の行為の目的はすべて、この2つの助けによって達成される。この二つに影響され、人は努力することもあれば、控えることもある。努力に頼ることもある。しかし、努力は運命によって成功する。努力に頼って働こうとする者が成功に至るのも、運命の結果である。しかし、有能な人間の努力は、たとえうまく方向づけられたとしても、運命の一致なしには、世間では実を結ばないと見なされている。それゆえ、人間の中でも怠惰で知性のない者は、努力することを嫌う。しかし、これは賢者の意見ではない。
一般に、実行された行為は、世間では実を結ばないとは見なされない。行動を起こさないことは、やはり重大な不幸を生む。何の努力もせずに何かを得る者も、努力しても何も得られない者も、見るべきものではない。行動に忙しい人は、生命を支えることができる。一方、怠惰な者は決して幸福を得ることはない。この人間の世界では、行動に熱心な者は常に善を得たいという欲求に駆られていることが一般に見て取れる。行為に専念している者が、その目的を得ることに成功しても、あるいはその行為の果実を得ることができなくても、いかなる点においても非難されることはない。もし世の中で、何の行為もせずに行為の果実を贅沢に享受している者がいれば、その者は一般に嘲笑を浴び、憎悪の対象となる。行為に関するこの規則を無視して、そうでない生き方をする者は、自分自身に損害を与えていると言われる。これは知性に恵まれた者の意見である。
努力のない運命と、運命のない努力という二つの理由から、努力は実を結ばない。努力なしには、この世のいかなる行為も成功しない。しかし、行為に専念し、技巧に長けた者は、神々にひれ伏し、目的の達成を求めるが、決して迷うことはない。成功を望み、老人を正しく待ち、自分のためになることを老人に尋ね、その有益な助言に従う者も同様である。老人に認められた人は、努力する間、常に助言を求めるべきである。このような人々は、手段の確実な根源であり、成功は手段次第である。古老の言葉に耳を傾けて努力を傾ける者は、やがてその努力から豊かな実りを得る。良い助言を与えてくれる)他者に対する尊敬と敬意を持たずに、情熱、怒り、恐れ、欲望に動かされ、自分の目的を達成しようとする者は、すぐにその繁栄を失う。
このドゥルヨーダナは、貪欲に染まり、先見の明がなく、助言も受けず、愚かにも未消化の計画を達成しようとし始めた。彼は、親しい人たちをすべて無視し、邪悪な人たちだけと相談し、思いとどまらせたにもかかわらず、すべての善良な資質において彼の先輩であるパーンダヴァと敵対関係を結んでしまった。彼は最初から非常に邪悪だった。彼は自分を抑えることができなかった。友人の言いなりになることもしなかった。そのために、彼は今、悲しみに燃え、災難の中にいる。その罪深い愚か者に従ってきた私たち自身について言えば、それゆえ、この大いなる災難が私たちを襲ったのだ!この大いなる災難は、私の理解を焦がした。反省しても、何が私たちのためになるのかわからない!
茫然自失の者は、友に助言を求めるべきである。そのような友にこそ、理解力があり、謙虚さがあり、繁栄がある。人の行いは、その根源を彼らに求めるべきである。聡明な友人たちが、その理解力によって決着をつけ、助言すべきことをなすべきである。それゆえ、ドリタラーシュトラとガーンダーリー、そして高い心を持つヴィドゥラのもとを訪れ、私たちはどうすべきか彼らに尋ねよう。私たちに尋ねられたら、彼らは、結局のところ、何が私たちのためになるかを言うだろう。私たちは彼らの言うとおりにすべきだ。これさえも、私の確かな決意である。努力の限りを尽くしても、その行為が成功しない者は、間違いなく運命に苦しめられていると見なされるべきだ」。