第6-42章.
(バガヴァッド・ギーター、第十八章)
アルジュナは言った、『強靭な腕の持ち主よ、放棄について、私は真の性質を知りたい。
アルジュナは言った、『強靭な腕の持ち主よ、放棄について、私は真の性質を知りたい。
聖なる御方は言われた、『欲望を伴う業を拒絶することは、学識ある者には離俗として知られている。すべての仕事の果実を捨てることを、分別のある者は放棄と呼ぶ。ある賢者は、仕事(そのもの)を悪として放棄すべきであると言う。
ある賢者は、労働は悪であるとして放棄すべきであると言い、またある賢者は、犠牲、贈与、懺悔の業は放棄すべきではないと言う。人の中の虎よ、放棄には3つの種類があると宣言されている。犠牲、贈り物、懺悔の行いは放棄されるべきではない。それらは確かに行われるべきである。犠牲、賜物、懺悔は賢者の浄化である。しかし、それらの行いも、執着と果実を捨てて行うべきである。プリター(クンティー)の子よ、これが私の優れた決定した意見である。聖典に)定められた行為を放棄することは適切ではない。その放棄は)妄想からくるものであり、(それゆえ)暗闇の性質であると宣言される。 (肉体的苦痛を恐れて仕事を放棄することは)悲しみの源である。(アルジュナよ、(聖典に)規定された仕事を執着と果実も捨てて行うとき、その放棄は善の質であるとみなされる。知性に富み、迷いが取り除かれ、善の資質に恵まれた捨者は、不快な行為に嫌悪を抱かず、快い行為に執着しない。 行為というものは、具現化された者が絶対に放棄することはできないので、(それゆえ)行為の果実を放棄する者は、まさに放棄者であると言われるのである。悪行、善行、混行には、捨てない者には、来世において三重の果実がある。だが、放棄者には何一つない。 強靭な腕の持ち主よ、私から、行為の消滅を扱うサンキャ派で宣言されている、すべての行為が完了するための5つの原因について聞きなさい。 (それらは)基体、代理人、様々な種類の器官、様々な努力、そしてそれらと共に第五の神々である。 身体、言葉、心、どのような仕事であれ、正であれ逆であれ、人が引き受けるものは、これら五つがその原因である。そうであるがゆえに、洗練されていない理解力のために、自分自身をもっぱら主体として見る者は、心の鈍い者である、
見ようとしない。エゴイズムの感情を持たず、心が汚れていない者は、これらの人々をすべて殺しても、殺すことはなく、(行為によって)束縛されることもない。--知識、知識の対象、そして知る者は、行為の三重の衝動を形成する。道具、行為、代理人は、行為の三重の補完を形成する。 知識、行為、代理人は、資質の列挙において、資質の差異に従って三重であると宣言されている。それらにもきちんと耳を傾けなさい。 一つの永遠なる本質が万物の中にあり、分割されたものの中に分割されていないことを見るもの、それが善の質を持つ知識であることを知れ。万物を、その分離性の結果として、異なる種類の多様な本質として見分ける知識は、その知識が情熱の質を持つことを知れ。しかし、(それぞれの)単一の対象に、あたかもそれが全体であるかのように執着するものは、理性もなく、真理もなく、意地悪なものであり、その知識は暗黒の質を持っていると言われる。聖典に)規定され、執着なく、欲望も嫌悪もなく、(その)実を切望しない者が行う行為は、善の質であると言われる。しかし、欲望の対象を求める者、エゴイズムに満たされた者が行う行為で、大きな悩みを伴うものは、情熱の質であると言われる。結果、損失、(他者への)傷害、(自分自身の)力も顧みず、妄想から行われる行為は、情熱の質であると言われる。執着から解放され、自分のことを決して語らず、不変性と活力に満ち、成功にも敗北にも動じない行為者は、善の性質を持っていると言われる。愛情に満ち、行為の果実を欲し、貪欲で、残酷で、不純で、喜びと悲しみを感じる主体は、情熱の質であると宣言される。 また、貪欲で、残酷で、不潔で、喜びと悲しみを感じない者は、情熱の質であると宣言される。 ダーナンジャヤよ、知性と不屈の精神を、その質に応じて三分することを聞きなさい。行為と不作為、なすべきこととなすべきでないこと、恐怖と無恐怖、束縛と解放を知る知性は、プリター(クンティー)の子よ、善の質である。善悪、なすべきこととなすべきでないことを不完全に見分ける知性は、プリター(クンティー)の子よ、情熱の質である。暗闇に覆われたその知性は、悪を正とし、万物を逆とみなす、
プリター(クンティー)の子よ、闇の質である。献身によって、心の機能、生命の呼吸、感覚を制御する、揺るぎない不変さ、その不変さは、プリター(クンティー)の子よ、善の質である。 しかし、アルジュナよ、人が宗教、欲望、利益に執着し、果実を欲するその不変性は、プリター(クンティー)の息子よ、情熱の質である。見識のない者が、眠り、恐れ、悲しみ、落胆、愚かさを捨てないこと、その不変は暗闇の質であるとみなされる。バーラタ族の雄牛よ、3種類の幸福について私から聞け。楽しみの)反復から喜びを見いだし、苦痛に終止符を打ち、最初は毒のようであるが、最後には甘露のようになるもの、自己を知ることから生まれる平静から生まれる幸福は、善の質であると言われる。 感覚とその対象との接触から生まれる、最初は甘露に似ているが最後には毒のようになる幸福は、情熱の質であるとされる。その幸福は、はじめは魂を惑わせ、眠り、怠惰、愚かさから生じるものであり、それは暗黒の質であるとされる。神々の間には、地上にも天にも、自然から生まれたこれら3つの性質から自由な存在はない。敵の懲らしめ主よ、ブラーフマナ、クシャトリア、ヴァイシャ、そしてスードラの務めは、(これら三つの)自然から生まれた性質によって区別される。平静、自制、禁欲、純潔、許し、誠実、知識、経験、(来世の存在を)信じること、これらは(本来の)性質から生まれたブラーフマナの義務である。勇敢さ、行動力、堅固さ、技術、戦いから逃げないこと、寛大さ、支配者としての態度、これらは(本来の)性質から生まれたクシャトリヤの義務である。農業、家畜の世話、貿易はヴァイシャの当然の義務である。スードラもまた、当然の義務は隷属である。人は皆、自らの務めに従事することで、完全を得る。自分の職務に専念することによって、人はどのように完全を得るのか、今こそ聞きなさい。すべての生きとし生けるものの動きの源である方、このすべてを支配している方、その方を自分の務めの遂行によって崇拝することで、人は完成を得る。自分の義務は、他人の義務をよく果たすよりも、自分の義務を不完全に果たす方がよい。自分の)本性に定められた務めを果たせば,罪を犯すことはない。クンテーの子よ、悪に染まったとしても、自分の自然の義務を放棄してはならない。心があらゆるところに執着せず、自己を鎮め、欲望が去った者は、離俗によって、仕事からの解放という最高の完成を得る。クンティーの子よ、私からは、(このような)完成を得た者が、どのようにして知識の至高の目的である梵天に到達するのかを、簡単にだけ学びなさい。純粋な心を持ち
純粋な心を持ち、絶え間なく自己を抑制し、音や他の感覚を捨て、愛情と嫌悪を捨て、孤独な場所に住み、少ししか食べず、言葉と肉体と心を抑制する者、 エゴイズム、暴力、プライド、欲望、怒り、そして(あらゆる)周囲のものを捨て、利己主義から解き放たれ、(心が)静かな者は、梵天と同化するのに適している。梵天と一体となり、心が静まり、(そのような者は)悲しむこともなく、欲望することもない。その帰依によって、彼は真に我を理解する。私が何であるか、私が誰であるか、そして私を真に理解することによって、彼は直ちに私の中に入る。汝、我に帰依し、常にあらゆる行いを行い、我の恩恵により、永遠不滅の座を得る。汝の心の中で、すべての行いを我に捧げ、我に献身し、精神的な抽象に身を任せ、汝の思考を常に我に執着せよ。汝の思いを我に定めることで、汝は我が恩寵によってあらゆる困難を乗り越えるであろう。しかし、もし自惚れから汝が耳を傾けようとしないならば、汝は(その時)完全に滅びるであろう。もし自惚れに頼って、汝が--私は戦わない--と考えるならば、汝のその決意は無駄であろう。妄執から、汝が望まないことを、汝は(汝自身の)本性に由来する汝自身の義務に縛られて、思わず行うであろう。アルジュナよ、主は生きとし生けるものの心の領域に住まわれ、その幻惑的な力によって、すべての生きとし生けるものを機械に乗せられたように回転させる。バーラタよ、あらゆる方法で彼に庇護を求めなさい。その恩寵によって、汝は至高の静寂、永遠の座を得るであろう。このように、どんな(他の)事柄よりも神秘的な知識が、わたくしによって汝に宣言された。それを十分に反省し、汝の好きなように行動せよ。もう一度、最も神秘的な私の超越的な言葉に耳を傾けなさい。汝は我にとって極めて親愛なる者、ゆえに我は汝のためになることを告げよう。汝の心を我に置き、我の帰依者となり、我に犠牲を捧げ、我にひれ伏しなさい。そうすれば、汝は我のもとに来るであろう。私は真にあなたに宣言する。あらゆる(宗教的な)義務を捨て、汝の唯一の避難所として我のもとに来なさい。われは汝をあらゆる罪から救い出す。悲しんではならない。このことは、汝が、苦行を行わない者、帰依者でない者、戒師を待たない者、また、われを中傷する者に告げてはならない。この至高の秘儀を、我に献身し、我に最高の帰依を捧げる者に伝授する者は、(すべての)迷いから解き放たれて我のもとに来るであろう。 人のうちで、彼ほどわれに親愛なる奉仕をなしうる者はなく、また地上のいかなる者も、彼ほどわれに親愛なる者はないであろう。そして、私たちの間のこの聖なる会話を研究する者は、彼によって、知識の犠牲が私に捧げられるであろう。これが私の意見である。信仰を持ち、臆することなく、それを聞く(読む)者は、(再誕から)解放された者であっても、敬虔な行いをする者の祝福された領域を得るであろう。
敬虔な行いをする者たちの祝福された領域に入るであろう。プリター(クンティー)の子よ、これはあなたが他のことに心を向けずに聞いたものであろうか。ダーナンジャヤよ、無知によって引き起こされた汝の妄想は破壊されたであろうか?
アルジュナは言った、「私の妄想は破壊され、(私が何であるかを)思い出すことは、あなたの恩恵によって、私が得たものです。私は今、堅固です。私の疑念は払拭されました。私はあなたの御命令に従います」。
私はヴァスデーヴァとプリター(クンティー)の息子との会話を聞いた。ヴィヤーサの恩恵により、私はこの至高の神秘、この(ヨーガの教義を)ヨーガの主クリシュナ自身から直接聞いた。王よ、ケサヴァとアルジュナのこの素晴らしい(神聖な)会話を思い出し、また思い出し、私は何度も何度も喜びます。王よ、ハリのあの素晴らしい姿もまた、何度も何度も思い起こし、私の驚きは大きく、私はますます喜びます。ヨーガの主クリシュナがいるところ、偉大な弓使い(パルタ)がいるところ、私の考えでは、繁栄と勝利と偉大さと永遠の正義がある。
バガヴァッド・ギーターの終わり