(投稿者:怨是)
1944年7月9日、夜。
スィルトネートは白いドレス、
メディシスは赤いドレスに身を包み、パーティの会場である皇室親衛隊の兵舎第三ホールを見渡す。
帝国所属のMAIDの面々は豪華なドレスに身を包み、テーブルには酒と食事が並べられていた。
日ごろの疲れを癒す為のパーティーという名目で、先月末に嘆願書を紙飛行機にして
ジークフリートに宛てた。
目に付きやすい部分に“皇帝陛下へ”と書いておいた事が幸いし、ジークフリート直々の手渡しによって、あの
エントリヒ皇帝へとしっかり通ったのだ。
エントリヒ皇帝は即座に「ワシもォ混ざる! 絶ェ対ィ混ざる!」などと云いつつパーティを企画。この日へと予定が組まれたのである。
流石に開催直後に皇帝がMAIDの格好をしつつ「ワシもMAIDの格好した! こォれで勝つるゥ!」と様々なポーズを決め始めたのには驚いたが、すぐさまギーレン宰相が引き摺って退場させたので事なきを得た。
ここにはMAIDしかいない。教育担当官も、技術者も、軍人もいなければ民間人も居ない。ただ、ただ、MAIDだけで占拠された空間。
傍らのメディシスが、怪訝そうに指を折る。赤いマニキュアが豪奢なシャンデリアに照らされ、いつもより艶っぽく感じさせた。
「スィルト、まさかこれで全員とは仰りませんわよね? 肝心のジークフリートも居ませんわ」
「云いませんよそんな事。あとはスルーズと亜人の二人、
レーニと
シルヴィがいません」
合計するとおよそ五人の欠員が出ている事になる。流石のメディシスも、口紅に彩られた唇を少しだけ尖らせる。
先ほどまで指折り数えていた両手は、既に下ろされていた。
「いくらなんでも欠員が多すぎません?」
「一応全員に必ず出席するようにと伝えましたし、そのうち揃うとは思うんですが……」
スィルトネートがこのようにしてMAIDを集めたのは他でもない。
ここ数ヶ月にして急激に足を速めてきたであろう、皇室親衛隊を渦巻く数々の暗闘を暴く為の、ひとつのステップである。
「とにかく、ここで一気に情報を集めませんと。先日の
ディートリヒ逃亡という謎まで増えてしまいましたものね」
「汗臭い直情馬鹿でしたが、筋を通す高潔なMALEでした」
彼女も何度か戦場を共にしていた。ディートリヒと二、三ほど会話を交わしたことがあったが、彼は常に仲間の危機に駆けつける男であった。
その思想がどことなく、スィルトネートの騎士道精神に通ずるものがあったのだ。
どちらにも“守るべき存在を守り通す”という騎士の魂が根底に存在していた事を、彼女は回想する。
彼の、兵を守るという行動はきちんと形になって実現していた。
彼が何らかの理由で離反したのは、つまるところ彼の守る力以上に、それを取り囲む暗雲は強大であったのではないか。
その事実が、今まで思い悩んできた彼女をどれだけ嫉妬と悔恨の情に駆らせた事か。
メディシスもまた、胸に怪訝の情をふつふつと沸き上がらせていた。
「……世の中、何が起こるか判りませんわ」
「スルーズが詳しく知っているかもしれません」
――まず、一つ。
スィルトネートが半年ほど前から担当していた亜人MAIDの管理計画に、不透明な動きがあったのだ。
レオ・パールに端を発し、先日から皇室親衛隊に加わったヴォルフェルト、カッツェルトの二人も含めて監視するという内容のものである。
制御に難があるとしてザハーラへの派遣が決定されたレオ・パールとは異なり、ヴォルフェルトとカッツェルトはその担当官となったスルーズに同じく“シュバルツ・フォン・ディートリッヒ少佐”による救出を経てMAIDになっている。
しかし、その二人が加わると同時に、陸軍第七機甲大隊に所属していた“MALEのディートリヒ”が、同隊の離反に伴い逃亡。
大隊は壊滅し、その隊長である
ダリウス・ヴァン・ベルン少将は死亡。逃亡したディートリヒもそのまま指名手配を受ける事となる。
更に、亜人を救出した作戦と、
ダリウス大隊が壊滅した作戦は、戦闘区域こそ近いものの別々のものとして報告されていたのだ。
スィルトネートがギーレンの後ろ盾を以って問い合わせた所、両作戦の人選は国防陸軍参謀本部によって行われていた事が判明する。
「……訊かねばならないことが山ほどありますし、ね」
人間無くしてMAIDは成り立たない。
どのMAIDにも必ず人が関わっている。それらを今日のうちに聞き出さねばならないのだ。
酒の勢いに任せ、担当官の居ない間に色々な事を吐き出してもらおう。
国防陸軍参謀本部が何故、今になって出てきたのか。今までの排除は皇室親衛隊の中でのみ行われてきた。
ジークフリートの価値を脅かす存在と見なされたMAIDは、全て身近なMAIDばかりであった。
今回は確かに陸軍所属のMALEであったが、それでも前々からダリウス大隊に対して行われてきたネガティヴ・キャンペーンは皇室親衛隊内で引き起こされたものだった筈だ。
国防陸軍参謀本部など、それまで影も形も出て来なかったではないか。
スルーズならそれを知っているのではないかという打算が、このスィルトネートにはあった。
「スルーズだけでなく、レーニとシルヴィにも」
――二つ目。
シュヴェルテ暗殺や、それ以前から行われていたMAID暗殺の首謀者も、未だに特定できずにいる。
エメリンスキー旅団による犯行とされていたが、結局の所それはただの実行犯である可能性が高い。
秘密警察もエメリンスキー旅団も、シュヴェルテ暗殺をきっかけになりをひそめている。
根本的な問題はどこかに隠れているはずなのだ。
ヴォルケン中将は、かつてシュヴェルテの担当官であった
アシュレイ・ゼクスフォルト少佐と親交が深かったという。
現在ヴォルケン中将はベルゼリアというMAIDを受け持っているが……
「ベルゼリアは、まぁ……」
要領を得た答えは、期待できないだろう。
確かに言葉は通じるが、難しい単語のやりとりや筋の通った説明などはできそうもない。
ああいうタイプにヴォルケンが当時の出来事を教えるとも思えなかった。
ならば
ライサ・バルバラ・ベルンハルトはどうだろうか。何かと彼女とヴォルケンの噂話は絶えない。
そのベルンハルトの担当するレーニとシルヴィならば、もしかすると協力者としては中々に頼りになるかもしれないのだ。
問題は、どこで機会を得るかである。
「それにレーニとシルヴィの二人にしたって、必ず来るとは限りませんわ。そちらを待つよりも、まずはジークから何とかしないと」
――三つ目。
ジークフリートは未だに、この問題に何ら触れていない。小指の一突きほども触れる気配が無いとは、いかがなものだろうか。
いかに太い幹であろうとも、枝に触れれば葉は揺れる。いかに重い扉であろうとも、それに触れれば指紋は残る。
我武者羅にGと戦うだけでは何も得られはしない。
「ジークフリートは、シュナイダー大佐が国際司令部に移籍してからずっとあの調子ですものね」
「ええ。本人はどう思っているか解りませんけど……全ての元凶であるからには、それなりの対処をしないとですね」
しかし、どのようにして動かすか。まずはそこからである。
今回のパーティの主役であるにもかかわらず、未だに現れる気配も無い。
皇帝派を名乗る者達が妨害しているのか。それとも彼らの敵対派閥による妨害か。
前者なら、彼らはこのパーティの意図を察知している可能性が極めて高い。
しかし後者の場合は他にもいくつか考えられるのだ。
敵対派閥が勝手に行動を起こしているか、皇帝派の側から敵対派閥にけしかけることで間接的な妨害を行わせているのか。
いずれにせよ、レーニとシルヴィがここに居ない以上、何らかの動きがあるとも予想できる。
スィルトネートは、噛み締めた奥歯により一層の力を込める。
もとより今日だけで全てを払拭できるとは考えていないが、近道が軒並み塞がれてしまっては両の腕を天に掲げるほか無かった。
このまま“ただのパーティ”で終わらせては、それこそ数多の陰謀屋どもの思う壺ではないか。
「――こら、スィルト」
「……え?」
「折角塗った口紅が台無しですわよ」
友人の咎める声にふと我に返れば、噛み締めた歯がいつの間にか唇へと到達していたのだ。
世の男達は「どうせ食事の時にまた剥がれるのだから」と笑うが、これからスピーチも控えている彼女に対して、それは侮辱の類となる。
普段は戦場の泥化粧に包まれる彼女らも、今は社交の場に身を置いている。野暮の泥をここに持ち込む輩が、決して許される事は無いのだ。
危うくその野暮の泥を持ち込んでしまいそうになり、スィルトネートは軽く目を廻す。
淑女の嗜みがまたしても乱れてしまうとは、これもまた彼らの思う壺になりはしないだろうか。
急いでポーチから手鏡と口紅を取り出す。普段から質素を心がけているスィルトネートにとって、こういったものにはあまり馴染みが無かった。
「うぅ……またやっちゃった……」
「まったく、はしたない。お化粧は然るべき場所でおやりなさいな。行きますわよ」
人は動揺した時、得てして失敗に失敗を重ねる。これ以上失敗を重ねてはなるまいと、思考が空回りを起こしてしまう。
耳の上まで熱が込み上げ、先ほどまでの悩み事がどこかへ飛んで行ってしまった。嗚呼、どうしよう。どうしよう。
ひとまずパーティ会場を後にし、メディシスに手を引かれて化粧室へと向かう事となった彼女は、7月の生ぬるい空気でさえ砂漠の灼熱のように感じていた。
周囲の者がこちらを目にした時、おそらくは茹蛸のように真っ赤な顔になっている様子に「もう酔ってしまったのか」と呆れるに違いなかった。
スィルトネートは、せめてメディシスの赤いドレスに隠れる事ができればと胸中で懇願する。
最終更新:2009年02月08日 19:11