黒という色は二面性を持つ。
紫等とあわせて格式の高い色でも知られるが、それと同時に、相手を威圧する自己防衛の
色でもある。相手を威圧し、遠ざけるという事は力の象徴でもあれば、臆病者の常套手段
でもある。また、暗色の最高峰として、身を隠すための色でもある。
戦士として物心つく前から共にあるこの全身鎧も、畏怖の対象であればまた、己の孤独の
象徴であるのだろうという事ぐらいは
タワー自身も認識していた。
「……!」
物言わぬ突進と同時に、前方に構えた大盾が迫るワモンを軽々と押しつぶしてゆく。
この重量とMAIDの強化能力を持ってすれば、盾さえも有力な兵器になる。
タワーに迷いがない、と言うことはなかった。
単純に鉄仮面の上では感情の表現のしようがないだけで、一応これでも立派に焦っている
つもりではいた。
少なくとも、自分の役目を果たすことと、敵を駆逐する事においては。
ビッグ・ベンの最大の特徴でもある先端の戦車砲も、この状況下においては撃つに撃てな
いのだ。
この数を相手にするのであれば、撃つだけ撃ってさっさと敵を殲滅する事ができれば御の
字なのだが、今回ばかりはそうもいかない。
その事が、今のタワーの焦りの原因にもなっていた。
砲撃体制をとって発射しようにも、そうしている間に「G」に押しつぶされてしまうのが
関の山である。
それに、これだけ敵が多く、周囲の確認もままならないようであれば誤射の危険性も充分
にありえるのだ。威力が馬鹿にならない以上、下手に斜線上を警戒せずに撃ってしまえば
反対にこちらの不利をさらに招く結果になってしまう。
タワーの持つ「ビッグ・ベン」の目的である「戦車砲の威力」というものは、実を言って
しまえば名ばかりのものである。
MAIDにおける戦車級の攻撃力を実現させる、というのはほんの初期の段階の構想であ
って、実際のところはただただ火力を追求した兵器であった。
またそれに即して、ビッグ・ベン自身も通常の方とは全く違った火器管制システムを持っ
ている。
そもそも、単純にMAIDに戦車砲を撃たせればそのままの砲台を担がせてしまえばいい
話であるし、そんなものを装備したところで得られる汎用性などたかが知れるというもの、
機動力が気になるならば後方で大砲でも撃たせていれば事足りるのである。
単純にMAIDという特性を最大限の生かし、且つ火力の最大化を目指すのであれば、少
なくとも当時の技術ではコアエネルギーに頼った砲撃のシステムをとらなければいけなか
った。
そして戦車砲などと言うそれ臭い基準は廃棄され、代わりにMAID最大級を目標とした
オーバースペックの携行兵器の開発がなされる事になった。
炸薬に動力としての役割を持たせる、炸薬に爆発力を持たせる、砲弾に推進力を持たせる、
運動エネルギーに加えて熱エネルギーを持たせる。殆ど全ての肯定をコアエネルギーで補
わなければ撃つ事も適わない。
加えて、そのシステムの小型化は不可能だった。そもそも燃料を使用した機関とコアエネ
ルギーのリンクなど、その当時は世界一の軍事国と呼ばれた
エントリヒ帝国でも難航して
いたものなのだ。
駆動系ではないにしても当時のクロッセル連合、もとい
グリーデル王国の技術力という条
件化でのコアエネルギーの直接の兵器転用というのは殆ど絵に描いた餅のようであり、漸
く完成した数基の試作品も全長はゆうに4mを越え、重量はt台まで跳ね上がる結果とな
ってしまった。
火器管制から砲撃を行うエネルギー出力はあってもその質量を扱いきれるだけの腕力技術
力は持てず、また一方でこの重量を制御するだけのパワーがあっても砲撃の出力を確保で
きないMAIDというのが大半だった。
当面の目標となるスペックは何とか確保できたものの、結局のところは機動力と汎用性を
殺し、使用者を肉壁か木偶の棒に変える厄介者の色が強かった。
少なくとも、今のように敵に周囲を取り囲まれている状況では、超火力の化け物というよ
りは木偶の棒のイメージの方が前面に押し出されてしまう。
現状でタワーに出来る事は、この鎧と槍一つで血路を切り開くだけなのである。少なくと
もタワー自身はそう認識しており、ひたすら「G」の群れを叩き潰す事にしか考えが及ば
なかった。
ブリュンヒルデ。
自分と同じ、黒い鎧に身を包んだ彼女は、何を思ったのか?
当然のように、彼女は気高く、強く、美しい。
そんな彼女がわざわざ自分の前に立つというのだ。
何故。
前方に迫るワモンに対して、真っ直ぐに槍身を突き出す。正面から超重量の一撃を受け止
めたそれは、背後の仲間共々、横に伸びた脚だけを残してどこかに吹き飛ばされた。
しかしタワーの目線の先は未だ「G」で黒ずみ、何かが見える様子はない。
――彼女自身の背後に敵を立たさぬためか。恐らく否。
先の一撃で少しだけ開けた前に向かい、踏み込むようにして今度は横一線に槍を払う。
扇状に放たれた衝撃が前方の「G」の群れを襲い、その形のままに敵を吹き飛ばす。
一瞬だけ曇り空が顔を出したようにも見えたがそれもつかの間、すぐに後続の「G」の群
れが目の前を埋め尽くす。
――果たして、それは彼女の役割であるか。恐らく否。
後方に移った槍先を、そこからそのまま振りかぶって前方に叩きつける。
衝撃が「G」ともども大地を抉り、岩盤ごと周囲のそれらを空高く舞い上げる。
――ならば何か。
見えた。
吹き上がった岩盤と「G」の群れのはるか先に、確かに彼女はいた。あの朝の宣言どおりに。
この状況下において、確かに彼女は自分よりはるか先、最前線で敵と戦い続けていた。
その姿を見つけられたのはほんの一瞬だったが、確かに、真っ直ぐにタワーを見つめていた。
まるで何かを伝えようとせんばかりに。
そして彼女と目があったその瞬間から、タワーの身体は半ばひとりでに動いていた。
後方に下がりつつ、体ごと槍を回転させて周囲の敵を薙ぎ払い、舞い上がった土煙も晴れ
ないうちに、ビッグベンを「槍」ではなく「砲」として使おうとしていた。
後方を守るようにして大盾を持っていた左手元に突きたて、柄の部分を背中に這わせるよ
うにして右手水平方向にビッグ・ベンを構えなおす。
構えると同時に石突とナックルガード下部に取り付けられた固定具が伸びてそのままバラ
ンサーの役割を果たし、仕上げに、先端に取り付けられた刃が折りたたまれ、いつもの砲
身が三つに割れて専用のロングバレルが顔を出す。
通常の砲撃時では取る事がない、最大出力の砲撃形態である。
そこまでやってタワーはやっと我に帰り、このとんでもない状況に気が付いた。
今こそ土煙とGの群れで射線上は埋め尽くされてはいるが、確かにその先では未だブリュ
ンヒルデが
一人で敵と戦っているはずなのだ。
たしかにあの目は何かを訴えかけるようであった。そして現状を鑑みるに、この苦境を打
破するための何か大きな力があるなら……特にタワーに限って言うならば恐らくこれの事
なのだろう。あの目は、確かに「撃て」と言ったのか?
しかし取り返しのつかないことでもある。敵を掃討すると同時にタワーは今、下手をすれ
ば味方殺しまでしようとしているのだ。
しかも相手はあのブリュンヒルデなのだ。今では殆どエントリヒ帝国の看板となっている
彼女にもしもの事が、しかも味方の砲撃によってあったならば、タワー自身の籍どころか
極端な話国交にまでも響きかねないのである。
文字通り、進むも、退くもならない状況。
躊躇のために、構えた方から何かが吐き出される事は暫らくなかった。
そうやってタワーの動きが止まった一瞬の内に、その横腹から未だ晴れていなかった土煙
を食い破って「何か」が飛び出してきた。
ウォーリアと呼ばれる、
ワモンよりも強靭な手足を有した格闘戦型の「G」である。
お粗末ではあるが一応二足歩行の形態をとっており、体重を支える分体も頑丈な作りにな
っており、その体格のおかげで、一足先に体勢を立て直し、攻勢に転じてきたらしい。
砲撃体制をとっているために回避も防御もままならず、また今攻撃を受けてしまえば、も
しかすれば逆転の芽になるかもしれない最大出力砲撃も不可能になってしまう可能性さえ
あるのだ。
何かの光が、目をくらませた。
一瞬の戸惑いが早速自分を崖縁に立たせてしまったことに兜の下で後悔をするタワーだっ
たが、しかしそのウォーリアがタワーの体に触れる事はなかった。
その代わりに、ちょうどタワーを挟んで反対側の煙の壁から、別の「何か」が飛びかかり
、ウォーリアの首を突き刺していた。
グリーデルでは比較的一般的な細身のサーベルであった。軽く湾曲した刀身は、
楼蘭皇国
で製造されるという「カタナ」によく似ているが、完成度自体は遠く及ばない。ついでに、
つい先日からタワーはこのカタナもどきの持ち主を見知っていた。
飛んできたそれがウォーリアの喉元を貫いたのに少し遅れて、今度はもう少し大きな、今
度こそタワーの見知った影が飛び込んできた。
ルルアという、確かタワーと同世代、同僚だ。
そのままルルアは突き刺さったままのサーベルに飛びつき、引き抜かないままそのまま水
平に振りぬく。
断末魔と同時に、その瞬間までかろうじて繋がっていたウォーリアの首が宙を舞った。
「タワー!」
きっと先日覚えてくれたばかりであろうその名前を呼んでくれる事が、少し後ろめたかっ
た。ここまでして今は体が動かないのだ。
こんな自分に何を期待しているのか、とんと分からなかったが、献身的にも彼女はタワー
の傍に駆け寄ったままその場を離れなかった。
「もうそろそろ他の『G』達も動き始めます、撃つなら……今しかありません」
どうやらルルアは斜線の先にいるであろうブリュンヒルデのことは知らないようだった。
知らない事はある意味タワーに罪を着せる事になってしまうのだが、それでもこうやって
背中を押してくれるのは少し心強かった。
彼女の言ったとおり、もうそろそろ土煙も晴れて来る頃だ。ここまでが一体どれほど短い
間に起こったのかはわからなかったが、一定の静寂を保っていたこの空間にもだんだんと、
ギチギチというこの手の大型甲殻類特有の、外殻の擦れる音が響き始めていた。
「安心してください」
世話焼きにも、ルルアはタワーに背を向けたまま武器を構えなおし、なだめるように言葉
を放つ。
お互い、今の空気を塗り替える何かが欲しいのだ。
「大丈夫、貴方は私が守りますから」
晴れた煙の奥から飛び込んできたワモンを、その場から一歩も動かずに切り払う。
ルルア自身にとっても背中に誰かがいるのはそれなりに心強いようで、いつもの調子が戻
ってきたのか、その剣閃は実に滑らかだった。
刀身に付着した露を払いながら、彼女はそういった。
タワー自身もビッグ・ベンを構えたまま終わるのは望むところではない。
ただ、もうほんの少しでいいからなにか決定的なものが欲しかったのだ。
ルルアが自分を頼ってくれるのが動機として不十分だからではなく、もう一つでもいい。
きっかけが、できればあの『G』の山の中の中にいるであろうブリュンヒルデが無事であ
る保障が。
確か彼女は、自分の前に立つといい、宣言どおり今自分の目の前で戦ってみせているとい
うのだ。
彼女に何かあれば、それはきっと自分の不足のなす業なのだ。
「……!」
突如、その迷いに応えるかのように、爆音と共に遠方で土煙の柱が上がった。
柱の奥からやってきたのはそれとさほど変わらないの化け物……
センチピードと呼ばれる
大型の『G』だ。
大量のワモンその他の群れに押しつぶされて分体が削られてしまっていたのか、個体自体
の大きさはそれほどでもなかったが、それでも遠目に見て30mはあるように見える。
これ以上相手の戦力が増強されるようでは、いよいよもって後戻りの出来る状況はなくな
っているようだ。
タワーらを取り囲んでいたワモンの群れも徐々にその勢いを取り戻し始め、守りに入って
いたルルアも徐々にまた疲れの色を見せ始めていた。
……せめて、後一つ、何か。
センチピードの出現に呼応するようにして、もう一度土煙が上がる。
今度の一撃は地表近くで起こったもののようで、周囲のワモンを吹き飛ばしつつ空に広が
り消えていった。
ブリュンヒルデだった。
黒く輝いていた鎧も『G』の体液に汚れて見る影もなくなってしまっていたが、彼女の放
つ気迫そのものはいずれも変わりないように、タワーには見える。
背後にセンチピードの巨体を迎えながら、その目はタワーのほうを向いていた。
「タワーッ!! 撃てぇーーーーーーッ!!」
迫るセンチピードを背に、ブリュンヒルデが吼えた。
そしてそれが、引き金になった。
流石に今度はルルアも彼女の存在に気付いたようで、タワーの砲を構えるその先に彼女が
いたことに驚いたようだったが、この瞬間のタワーにそれを気にかけることなどは出来な
かった。
「あれは――」
「……!」
タワーに覚悟をさせるには充分であった。
冑(かぶと)越しにくぐもった息と共に、改めてビッグ・ベンを構えなおし、開いていた
左手で傍に控えていたルルアを抱き寄せる。
うろたえるルルアをよそに、ビッグ・ベンのチャージが始まった。長く伸びた砲身がコア
- エネルギーの光を受けて青白く輝き始め、周囲に力の波を作り始める。
波は次第にその力を強め、タワーと標的である『G』との間に壁を作り始めた。
光は見る見るうちに大きくなり、砲身はおろか、ビッグ・ベン自身が大きな青白い光の塊
になるほどであった。
そもそもチャージと発射の衝撃で吹き飛ばされるのは見える話だったが、それ以前に『G』
も一応は生物である。
一種の危険を感知する能はあるのだろう、ワモンのような小型の『G』は既にその周りか
ら離れつつあった。
黒い波が徐々に引き始める中、やはりブリュンヒルデだけが真っ直ぐにその姿を見つめて
いた。
「タワー……」
「…………罰は受けるッ」
そして押し殺した声と共に、光の塊は巨大な光の柱へと姿を変えた。
コアの恩恵を受けて、もはや砲弾と呼ぶことすら不可能になったプラズマの塊とそれを取
り巻くコア・エネルギーの渦は狂ったように進行上とその周囲にある物質を吹き飛ばし、
焼き払っていく。
どうやら思っている以上の素材だったようだと、ブリュンヒルデは思った。
キャンプの隅で見つけた偏屈で卑屈な鉄の塊は、どうやらとんでもない力を持っているら
しい、これは少々骨が折れそうだ。
表情と槍を持つ手にこめた力はそのまま、彼女はその横倒しの光の柱を睨みつけ、槍を構
えなおす。
そのまま、それは斜線上に残っていたブリュンヒルデとセンチピード、その他諸々の『G』
達を飲み込んだ。
最終更新:2009年02月26日 22:37