Chapter 9-2 : ロジーナ・サゼット

(投稿者:怨是)




「また出鱈目書いてますね、このトンデモ新聞さんは……」

 雨音が壁越しに響く軍事正常化委員会の営舎にて、黒シャツに赤ネクタイの一般的な制服に着替えたロジーナ・サゼットは、清潔なタオルで髪を拭きながら新聞に目を通していた。
 帝都栄光新聞を秘密警察の協力者によるパイプ越しに取り寄せていたが、わざわざそのようなパイプを通して手に入れるほどの価値があるかと訊かれると、首を縦には振れない代物だった。

 ライオス・シュミットが、横合いから身を乗り出す。
 正規軍と違って新聞の数が非常に少なく、焼き増しするだけの設備も金銭的余裕も無いため、このようにして読みまわさねば情報が得られないのだ。

「どれ、何が出鱈目と」


1944年8月3日

   黒旗、依然として衰えず

 あの黒旗の武装蜂起よりおよそ三週間が経過した。依然として彼ら蛮族共の勢いは衰えていない。
 前代未聞の筆舌も憚られるような演説を、未だ多くの者が記憶にとどめているだろう。
 
 彼らは次々とMAIDを殺し、その亡骸を代わる代わるに犯して喰っているというのだ。
 先日も三名のMAIDが彼らの餌食となり、無残な姿へと変貌を遂げた。もはやGと何が違うというのか。
 
 やがてはジークフリートをも取り殺さんとしている彼らを、誰が許すものであろうか。
 我々は彼らのような集団をこれ以上のさばらせてはならない。
 Gの侵攻との二重の危機に晒されている今だからこそ、今一度団結し、彼らに立ち向かわねばならない。
 皇室親衛隊に、守護女神ジークフリートの加護あれ!


「なるほど、これは酷い」

 軍事正常化委員会は無差別にMAIDを削除しているわけではないし、特定MAIDの関係者以外を見かけた時もこちらから先制攻撃を仕掛ける事は極めて稀だった。
 ましてジークフリートに攻撃を仕掛けるなど以ての外であり、そのような行き過ぎた暴走行為に走る者は組織にとっても不都合である。

 そもそもMAIDを犯して喰らうとは、どこの化け物の事を指しているのか。
 コアを取り込んで変質したG、スポーンやプロトファスマの類とこの軍事正常化委員会を混同しているのなら尚更心外だった。
 必死さは伝わってくるが、これでは文面から狂気すら滲み出てきている。

「わざわざ秘密警察に内通してまで取り寄せる意義は、もう無いんじゃないでしょうかね」

「いや、有益な情報は少なからず散らばっている。伊達に新聞を名乗っているわけではないからな」

 新聞の名を冠している以上、帝都栄光新聞とて様々な情報が記されている。
 総合、政治、経済、その他様々な情報があり、全てがこのような三流タブロイド誌のような出鱈目に塗れているわけではないのだ。

「もういっそ、ここで新聞社を立ち上げたほうが情報量も増えるし、収入も大きい気はしますけど」

「実際それも計画中らしい。どこかで話を聞いた」

「へぇ……」

 以前から皇帝直轄の帝国広報部隊が立ち上がっており、帝都栄光新聞とは異なる様々な新聞を企画していたという。
 軍事正常化委員会の武装蜂起に伴って少数ではあるがそこから離反者が出ている為、ノウハウは完全にはゼロではない。
 とすれば正規の広報部隊の新たな新聞に便乗して、こちらも軍事正常化委員会だけの新聞を作ろうではないかというのが彼らの弁である。
 ある程度の資本は要するものの、これが上手く行けば、国民の中にも理解者が出てくる可能性もあるのだ。

「さて、ロジーナ・サゼット中尉。いや……」

 ロジーナ・サゼットは偽名である。
 かつてここが国防陸軍参謀本部だった頃にダリウス・ヴァン・ベルンへ偽の作戦内容を伝えた彼女は、エメリンスキー旅団との秘密取引によって売り渡されたMAIDだった。
 素体はグリーデル王国のものであり、彼女は拉致とMAID化を経てここにいる。

「……正しくはロナだったか。明日はいよいよ出撃だが、累計出撃回数は何度目かな」

「三度目ですが、戦々恐々ですよ。グラォシュミーデン隊の正体がバレたら、降伏させるわけにもいきませんし……」

 グラォシュミーデン隊は偽装MAID部隊だという事実は、軍事正常化委員会の中では周知のものだった。
 最高軍事機密となっていた筈の偽装MAIDがいとも簡単にこうして知れ渡るとは、シュミットも予想外だった。
 しかも、帝国を代表するとされている“武装少女隊”の面子がグラォシュミーデン隊へと組み込まれていたとは。それも機密文献のオマケ付きで。

「カンのいい連中はとっくに気づいている。私ならそれを逆手に取るが」

「具体的な手段は」

「“本物”を紛れ込ませる。原始的な手段ではあるが、効果は大きい」

「私がアレの格好をするって事ですか。あんな汗臭いヘルメット被ってられませんよ。っていうか肌の色でバレませんか」

 基本的にグラォシュミーデン隊は南方大陸、つまりザハーラなどの難民によって構成されている。
 当然ながら肌の色はエントリヒ帝国の国民のような白人種ではなく、有色人種に偏ってしまう。
 そこに“本物”を紛れ込ませればすぐに判ってしまうのではないかというのが、ロナの危惧している事態だ。

「焦るな。迫り来るGの脅威の中で、肌の色など瑣末な問題だ。
 忘れてはならんのは、軍事正常化委員会は人種差別団体ではない事。我々はあくまで“後の戦争に備えし者達”でなければならん」

「グラォシュミーデンの出自をご存知なら、とてもそんな考え方はできないと思いますがね」

「人種の垣根など、取り払ってやればいい。国を守る権利と義務は、何者にも平等でなくてはな」

 事実として、肌の色こそ違えど共に戦場を駆け抜けた者達がいるではないか。
 ダリウス・ヴァン・ベルン少将とて、その担当MALEのディートリヒとて、肌の色は浅黒い。
 どちらもいまやこの国から消し去られたが、彼らとて――軍事正常化委員会や皇帝派が理想とするところの――道さえ間違えなければ、賞賛されるべき存在だったのかもしれない。
 ロナは次の疑問でその口元を歪める。

「それは……エメリンスキー旅団に人身売買まがいでここに売られたあたしの過去を知った上での発言ですか」

「無論。また、その犠牲も無駄にはしないと約束しよう。彼奴らは敵であり、国家の生み出した歪みだ」

「あのですね。その“彼奴ら”さんが、ここと相互利用関係にあるのはご存知でしょうか」

 同年1月20日からの作戦にてエメリンスキー旅団が難民の保護に失敗した、という話を風の噂で聞いたことがある。
 グラォシュミーデン隊の構成員の中には、おそらくその難民も含まれているのではないだろうか。
 そしてまた、ロナもあのならず者部隊の犠牲者の一人なのだ。
 が、未だに相互利用関係にあったとしても、それを断ち切ってしまえば良いだけの事ではないか。
 皇室親衛隊よりも組織の規模が小さい分、シュミットにとってはやりやすかった。

「私の関知する事ではない。誰が何と云おうと、彼奴らが明日を歩む事は許さぬ。私の騎士道精神にかけて叩き潰してみせよう」

「はァ……まぁテキトーに頑張ってください」

 論破されたロナに投げやり気味に放り出された新聞を、シュミットが掴み取って読む。
 まだまだ読み足りない部分が山ほどあるのだ。たった一面だけで放り投げるほど、元公安部隊の根性は腐ってなどいない。
 手ぶらになったロナはくまの目立つ双眸をしばし泳がせていた。



 しばらくして足音の接近に気づき、シュミットは視線を新聞からそちらの方角へと移す。
 濃紺とも黒とも付かない服に身を包む、ロナと同じく――否、それ以上に目つきの悪いMAIDがそこにはいた。

 ――グライヒヴィッツは二人の側近MAIDを抱えている。
 一人が政敵の排除も仕事としているイレーネ
 そしてもう一人がこの眼前のMAID――フィルトルである。

「どきなさい、ロナ」

「はいはいどきますよ……またお尻を蹴られたらたまったもんじゃ――ぎぅッ!」

 フィルトルの蹴りが、ロナの尻へと勢い良く命中する。
 ヴァルキューレの一“軍勢の戒め”ことヘルフィヨトルをもじったものらしいが、ヴァルキューレを語るには、彼女より発せられる“気”はいささか禍々しすぎる。
 目の下にくまを作り、眉間に皺を深々と刻んでいるのだ。激務に追われて薬箱の蓋が緩んでいる事は想像に難くない。
 しかし、その見た目に反して口調はしっかりしていた。

「痛ッ……」

「憎まれ口を叩く暇があるのなら装備の点検をなさい。明日から出撃でしょう」

 金属製のブーツで強く蹴られれば、流石に痛い。
 涙目になりながらスカート越しに尻をさすり、頬を膨らませて不満を吐露する。

「たいした戦果も挙げてないクセに偉ぶっちゃってさァ――あっ! ふざけんな、泥付いたじゃん! ……さっき着替えたばっかりなのに」

「泥が付くのが嫌なら射殺にしておきましょうか。どうせこの組織に居なかったら、貴女も特定MAID扱いですからね」

「へぇ、大好きなんですね粛清。貴重な戦力をあんたの一存でホイホイ葬っちゃってもいいんですか?
 いいからフィルトルさんはテメェの靴脱いでしゃぶってろよ。おう早くしろよヒス女」

「ぶち殺すぞ小娘。何が“しゃぶってろ”だぁ? 調子こいてんじゃねぇよこのクソ売女(ばいた)! てめェがしゃぶれよ!
 おうそれともド田舎の肥溜めで窒息死させられてェか。牛のクソをそのクソむかつくツラにブチ込んでやろうか、オら早くツラ下げろや!」

「誰が売女(ばいた)ですか脳ミソ白熱灯! そんなにクソが好きなら便所戦線で野グソしてろよ! あたしの服に泥を付けるな!」

「黙れ潔癖症、この○○○○ッ!」

「張子の虎のクセに、痛ッ、この、あたしの髪を引っ張るな! 痛い痛い痛――あぁぁぁ死ね! 頭の血管ブチ切って死ね!」

「てめェが死ね! 鼻からゲロ噴いて死んでしまえ!」

 髪の毛を引っ張って互いの靴を踏み合う喧嘩が、シュミットの目の前で繰り広げられていた。
 この組織の団結力を疑うところだが、そもそもMAIDには階級が与えられていない。
 しかも実働三年から四年程度だと推定するならば、精神年齢がこの程度でもおかしくはない。
 ただ、このまま放置しても恐らくは思わしくない事態に発展してしまいかねないため、ただ手をこまねいて見る訳にも行かない。
 絡み合う二人の肩に手を乗せ、押し殺した声で割って入る。

「用件は何だ。下らん喧嘩を私に見せる事か」

「大変失礼致しました。貴殿がライオス・シュミット少佐ですね。こうしてお会いするのは初めてでしたか」

 喧嘩がようやく終わり、くしゃくしゃになったネクタイなどを正しつつ、フィルトルは憮然とした表情でロナに目配せする。
 ロナも、今にも泣きそうになりながら撤退の用意を始めていた。
 とりあえずこの場は収まったところを見、シュミットは挨拶に応じる。

「いかにも。して幹部ともあろう者が、この私に何の御用かね」

「総統閣下がお呼びです」

「呼びつける為だけにわざわざご足労とは恐れ入るな。閣下はMAIDの扱い方をよく心得ていらっしゃる」

 にわかにフィルトルの眉間の皺が深まった。元々噴火しやすいのか、よほど忠誠心が高いのか。
 シュミットとしてはMAIDと給仕の“メイド”をかけただけである。

「……貴殿がいかなる身分であろうとも、閣下に対する嫌味は許しません」

「今度云ったら?」

「この場で射殺します」

 フィルトルの右手がホルスターに伸び、安全装置を外す音が廊下に響く。
 なるほど、双眸から発せられる激烈な殺気が、その言葉が脅しでない事を雄弁に語っていた。
 何を以って彼女がここまで苛烈な人格を持つに至ったかを知る由は無いが、シュミットは先輩――フィルトルの肉体年齢と稼動年数を足しても、おそらくはシュミットのほうが年長であろう――として制止せずには居られない。
 手を伸ばしてそれを止めようとする。

「肩の力を抜きたまえ。その有様では閣下に申し訳が付くまい」

「減らず口は謹んでいただけますか。私はまだ、貴殿を認めた訳ではありません」

 はたいて手をのける仕草や、吐き棄てるような口調からは、憎悪や嫉妬などが含まれているのか。
 ただ、この程度ならまだ可愛いものである。

「……なかなかに手厳しいな」

 雨足は未だ止む気配が無い。廊下の窓をぱたぱたと叩く小さな音が、陽光の訪れが遠い事を知らせていた。
 真夜中になるまで蛍光灯も付かない為、この営舎は常に薄暗い。
 電気も有料である以上は止むを得ない処置ではあるものの、それが余計にフィルトルの背中を黒々と色付ける。

「ところで、何故あそこまでロナを目の敵に? いつもああなのか」

「先ほども申し上げたとおり、彼女はカテゴリ的には特定MAID扱いを受けてもおかしくはない存在です。
 ベーエルデー連邦で採掘されたとされる空戦MAID用のコアを用いており、翼を展開する事が可能なのですから。まぁ、彼女は飛べませんが」

「そうだったのか」

「しかし、我が組織に属している事、そして我が組織の為に力を尽くしている事から情状酌量の余地ありとして処分を免れているのです。
 毒をもって毒を制すという言葉をご存知でしたら、私の申し上げんとしている事をご理解いただけると思いますが」

「なるほど。目には目を、特殊能力には特殊能力を、か。通常の技術で特殊能力に勝つ事にこそ、この組織の意義があるとも思うが」

「それに関しては私も同感ですね……まったく、あんな奴に活躍の機会が与えられるのやら。
 羽を使わなければ良いだけとはいえ、組織の意義が危ぶまれますよ」

 そう云い終えて、ひとつの扉の前へと立つ。
 ノックをする前に、ふと何かに気づいたような表情でこちらへと顔を向けた。

「組織のトップとの面会です。くれぐれも粗相の無いように」

 フィルトルが口元を歪めて忠告する。
 常識として心得ているつもりである以前にこのMAIDにだけは云われたくなかったなと、シュミットは胸中で毒づいた。


最終更新:2009年03月23日 23:50
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