Chapter 10-11 : 共有されなかった世界

(投稿者:怨是)




 (国防陸軍参謀本部の執務室より押収。筆者不明)

 August 14 / 1944

 人は皆、各々の心の内に世界を持つ。
 その世界を共有するのが、社会であり、社交。そしてまた、ありとあらゆる言葉の交差。

 仮にも、同じ志を軍事正常化委員会という組織の中で共有せむとしたが。
 同じ組織の中でさえ、私の世界を共有する事は叶わなかった。

 バベルの塔は崩壊した。しかし、私は思う。
 共通の言語を以ってしても、互いの心を除き見る事は不可能、と。

 彼ら皇室は我々を排斥した。
 拒み、叩き、嫌う、その強情さ……


 私が何故ジークフリートを崇めるようにしたのかも、終ぞ理解される事の無いまま終わるのか。
 数値化された力による限界を予め定めておき、そこを超えないように指し示す事。
 ジークフリートを“最強”と定めておく事により、天井と屋根を作る。いわばボーダーラインだった。
 この世界では皇帝派という都合の良い存在が居て助かった。
 ……が、問題は、彼らの中に素行不良の者があまりに多すぎた事だった。
 私の理想は終ぞ理解されなかった。

 私はただ、科学的に証明しようのない兵器を濫造する事のリスクを、知って貰いたいだけだ。
 そしてまた、ボーダーラインを超えた無益な力自慢の挙句、世界が倒壊するリスクを伝えたいだけだ。


 強すぎた力を目の当たりにした時、危機感を覚えんか……
 MAIDだけの国を作り上げようなどと離反が起きたとしたら「何を馬鹿な事を」と思わんか。

 行き過ぎた御伽噺(ファンタジー)のような珍妙な武器が現れた時、一瞬我が目を疑った事は無いか。
 専用武器を開発する零細企業――言葉に出すまでも無いが、かの白竜工業である――がMAIDを保有する現状に違和感を抱いた事は。
 二丁拳銃が跋扈する現状を、嘆かわしく思った事は。


 全てのMAIDを超越した、新世代のMAIDと銘打った存在が生まれたなら、異議を唱えたいとは思わんか。
 その果てに、国家、あるいは街をひとつ滅ぼしたというMAIDが現れたらどうするのかと考えた事は。
 天気や超常現象を操る存在が現れたら、その力の行く末を想像して身震いした事は。

 犠牲の存在しない特殊能力などと聞いて、その存在を否定したい衝動に駆られた事は無いか。
 空戦MAIDが多すぎると感じた事は。また、それを保有するベーエルデーが未だに隣国から表立って追求を受けていない事を不審に思った事は無いか。
 完全に歩兵や戦闘機の立場が失われてしまっては居ないかと、優先順位の崩壊を危惧した事は無いか。
 強力な能力について長々と語られて辟易した事とて一度や二度はあるのではないだろうか。
 己の強さや優位性を証明する為に他者を踏み台にする様子を見て、疎ましく思った事は。
 “最強”という文字を何度も目の当たりにし、吐き気を催した事は。
 自分と同じ特技を、遥かに短い時間で追い越された時に憂鬱になった事は。

 “気に入らなければ無視しろ”と云われた所で、その存在が次々と市民権を得て行く様子を見て名状し難き悔恨の念を感じた事は無いか……

 ……結局の所、彼奴ら怠慢な封建主義者共は、己の矮小なエゴを隣人に踏み込まれる事を恐れているのだ。
 これはどうだろうか、などと訊いて廻る者も居るが、それは肯定的な評価を得る為の手段であり、自己愛の延長上にある。

 故に、我々の言葉を「押し付け」だなどと中傷する。
 我々はただ、警告を行っているに過ぎんというに。

 今日に至るまで、私の世界は誰とも共有される事は無かった。
 孤独でありながら孤独を脱しようとしていた私の世界たち。
 圧倒的な自己愛の暴力によってそれらは阻まれ――




 (付近に落ちていた書き置き。筆者不明)

 ライオス・フォーゲル・シュミット少佐へ。愛娘(フィルトル)を頼む。
 頑固で短気でありつつも、真面目で聡明な側近でもある、私の愛娘を。
 私の傍らに置き今日まで私の一存で枷を外さなかった、私の愛娘を。
 多くの者は嘲い、私を罵倒するかもしれんが、彼女だけは、私の傍に置いておきたかったのだ。
 エゴかもしれんが、それはエントリヒ皇帝にとってのジークフリートもまた同じであると、ここに付け加える。

 某所にて落ち合おう。
 ――未来のエントリヒに、栄光と賞賛を。









 ――1944年、12月22日。雪の降りしきる路地にて。
 ランスロット隊の隊長であるアロイス・フュールケ大尉の最後の仕事が終わろうとしていた。
 この仕事が終われば、晴れて自由の身となり――厳密にはMAIDに関する機密の漏洩を防ぐべく監視が当てられるが――Gと顔を見合わせる事もほぼ無くなる。
 官憲達に囲まれたライオス・シュミットは、愛銃を自らのこめかみに押し当てながら、周囲に目を配る。


 突風は瞬きと共に訪れた。
 シュミットは三秒も経たずに取り押さえられ、後ろ手に手錠を嵌められる。
 鋼の大蛇と云えども、たった一人で数人の官憲に敵う筈もない。
 護送車に連れ込もうとする官憲を、肩を叩いて制する。

「待ってくれ。最後に」

「……仕方ねぇな。三分だぞ。あんたのダチ公だろうが何だろうが、こちとら明日も仕事なんだ」

「ありがとさん」


 事情聴取など、後で幾らでも行われる。
 限界まで力を込め、シュミットの顔面に右の拳を振りぬく。
 鈍い音と共に体液や血液が吹き飛び、再び顔を上げた彼は、両鼻から血を流していた。
 何とも間の抜けた光景に思わず口元が歪みそうになるが、まずは話を訊いておこう。
 何故、彼がここまでの凶行に至ったのかを。

「云いたい事なら山ほどあるんだろ。云えよ」

「……名探偵気取りの詮索屋共に教えてやってくれ。この件は、誰もが黒幕になりうる。
 黒旗などはその中で利害の一致した者たちが集まり、たまたま目立ってしまっただけのスケープゴートに過ぎんとな」

 もう一撃を叩き込む。
 皇帝派と黒旗が相互利用関係にある事くらい、百も承知だった。
 多くの情報を、退職金代わりに宛がわれた僅かばかりの金や、ありとあらゆる人脈を全て使い果たして手に入れた。


 かつて、皇帝派が戦果並列化を悪用してMAIDを葬ったという事件があった。
 あれとて本を質せば皇室親衛隊の中に居る皇帝派の軍閥貴族や上層部の人間らが結託して企てたものらしいのだ。

 国防陸軍参謀本部が黒旗として立ち上がるまでは、エメリンスキー旅団秘密警察、そして参謀本部などといった組織も、当時の皇帝派にとってみれば単なる手駒だった。
 ――後は皆の知る所となる。


 国防陸軍参謀本部は皇室に何度も警告した。
 しかし、相手にされなかった。
 そこで親衛隊の一派閥――つまり皇帝派によるMAID謀殺事件が起きていた事に着目。
 ある日、ディートリヒというMALEを所属部隊ごと排除せむと皇帝派が様々な計画を企てた時に、漸く国防陸軍参謀本部が動いた。

 つまるところ一連の事件は単なるきっかけに過ぎない。
 軍事正常化委員会はそれらの黒幕でもなく、彼らは武装蜂起の口実を作っただけという結論へと至る。
 情報さえ揃えば、これくらいはすぐに解る。そして、今後同じような組織は幾らでも現れるという事も。

「そんな事は解ってる。アンタはどうなんだ。どうせ長くはないんだ。教えてくれよ」

「私は……」


 視線を落としたシュミットは、緩慢な動作で、そしてはっきりとした声で言葉を紡ぐ。

「私はこの世界の理不尽に狂わされてしまった……それゆえに、私はあの思想に惹かれ、そして是正の使命を全うすべく戦った。
 すべからく、尖兵とは組織の掲げる理想を代理実行する者達だろう? 私にとっては、それがあの組織だったのだが……
 運命はどうしてここまで残酷なのだろうな。私は無力な己に、漸く気付いてしまった」

「理不尽だの運命だののせいにするなッてんだよ。アンタが選んだ道だろうが」

「……全く以ってその通りだ。一体、どこで道を違えてしまったのか」


 馬鹿馬鹿しい。親が違えば道は違う。
 生まれが違えば視点も変わるし、何より全く同じ育て方をしても、同じ人間が育つ訳ではない。

「生まれた時からに決まってるだろ。スタート地点も、ゴールも、途中も。
 ぶつかったり交差したりする事はあっても、完全に同じって事は無いんだよ。道が違うなら、見える世界も違う。
 どれが正しくてどれが間違っているかなんてな。んな事ァ手前で決めなきゃいけねぇんだ」


 エテルネのとある作家はかく語りき。
 馬鹿と天才の共通点は、己と同じ考えを持たぬ者は馬鹿だと思っている事である、と。

 ある一つの美術品があるとする。一人はそれを賞賛し、一人はそこから感動を見出せなかったとする。
 前者が人格的に優れていて、後者は感受性に乏しいと評価するのなら、それは誤りだ。
 後者は別の作品には感動できるかもしれないのだ。
 同じ感性を強要し、それがまかり通るのなら。そこに芸術は存在しない。
 差異の中から美を見出すのではないのか。フュールケは一人、逡巡する。

「だのに、それをアンタはもしかして……一つにまとめようとはしていなかったか? 全員に同じ道を歩かせたかったんじゃないのか?
 みんなに同じ目線で世界を見せようとしたくて、それが出来なくて八つ当たりして。考える事まで放棄していただけじゃないか?」


 ――どうだシュミット。どうなんだ。


「そうかも、しれん……いや、そうだ。本を質せば、私は……銃口を向ける相手が欲しかった。
 ところで、シュヴェルテというMAIDが……あぁ、そういえば君の部隊の所属だったな、彼女は」

「おう。あいつがどうかしたか」

「彼女に訊かれた。灰色の反対が何であるかを。私には答えられなかったよ……」


 ひどく懐かしい質問だった。いつかに、同じ質問を受けた事がある。
 昨日や一昨日の話ではなく、随分と昔になるが、フュールケはその質問の答えをよく知っていた。

「虹色だよ。あいつの素体になった奴も、同じ質問を俺にしたさ」

「虹色……! そういう答え方があったのか」

「ただ答えるだけじゃ駄目だ。虹色を選んだ理由も答えなきゃいけない。それも、あいつが納得できる答えをな」


 エミア・クラネルトの記憶が、ごく僅かながら残っていたのだろうか。
 いずれにせよ、今はもう彼女にそれを問いただす機会は無いし、別段興味も湧かない。

「“虹色はあらゆる色を抱え込んで、それでいてどれにも偏らないし、棄てようとしない”だったっけな。
 その当時は俺も意味がよく解らなかった。何せ、あん時は俺も凝り固まってたからな」


 中々欲張りなフレーズではある。が、中々に理想的ではないかと、最近はそう思っている。
 どこかに偏って、そこに似合わない色を棄ててしまう思考であるが故に、黒旗という組織やその土壌が生まれた。
 差異を認められなかった、または過剰に恐れすぎたのか。


「思えば傲慢な人生を歩んだものだよ。私と云う愚か者は……」

 彼の独白から全てを推測するのは難しい。が、昔からこういう人間だった。
 シュミットの性格に関して、フュールケはある程度の諦めを感じつつも、別にそれでも良いとも思っていた。
 無理に変えられる部分は中々存在しない。ただ、血気に逸りすぎた。それ故にどこかで道を踏み外した。それだけだ。

 既に極刑を免れられない程に罪を重ねた彼も、沈痛な面持ちで己のこめかみに拳銃を押し当てる程には反省していた。
 三十余りの歳月を重ねて育まれた精神の壁を、プライドの壁を、彼は自ら崩した。


「頼むぜオイ。昔のダチに説教するのは今日限りだ。来世はまた俺の所に来いよ」

「……ああ、ありがとう」

 意外と細々としていた肩を抱きしめ、数秒の間を置く。
 シュミットは逃げない。傲慢でありながら、自らの罪を感知した時、それを認めようとする努力が見られた。

「もういいぜ。連れて行ってくれ」

 シュミットの片を軽く叩き、事の成り行きを見守っていた憲兵へとバトンを渡す。
 除隊前日という事もあってか、彼を責め立てる者は誰一人としてこの場に居なかった。
 後に陰口でも云われるのだろうが、そんな事もまた、フュールケにとっては知った事ではない。
 陰口もまた、ガス抜きとして必要な要素である。フュールケはそう解釈している。


「ちょっぴりオーバーしちまったが……まぁ大目に見てやるよ。ご苦労さん」

「どうもどうも。辛気臭くしちまってゴメンな」

 憲兵は別段、意に介した様子は無いようだった。
 ひどくあっけらかんに、軽い口調で返答する。

「俺らの場合、いちいち辛気臭ェ感情に浸ってたらモルヒネが幾らあっても足りャしねぇさ。まァ、新生活頑張れよ」

「……ああ」

 雪がアスファルトに白い絨毯を敷いた、十二月のこの日は。
 クリスマスも明々後日に迫ろうとしているこの日は、静寂と共にフュールケの胸に刻み込まれた。
 回想は……野暮だ。捨て置こう。またの機会でいい。




最終更新:2009年05月07日 02:31
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