鏖戦の月塵

(投稿者:神父)



鏖殺の雄叫びを上げ、戦いの犬を野に放て。

───W.シェイクスピア「ジュリアス・シーザー」




以磨川家の屋敷には、唸るばかりの金力に物を言わせて能舞台が設えられている。
久方ぶりに自らの屋敷へ顔を出した弟子の演舞を前にして、以磨川義元は上機嫌であった。

「出来ておるの」

一通りの所作を終え、演者は般若の面を外した───その下の顔は、女人禁制であるはずの能楽とは縁のない少女そのものである。

「ありがとうございます、先生」

常に黒手袋に覆われた手で能面を捧げ持ち、彼女は深々と一礼した。
長い黒髪に透き通るような肌……言わば純和風の、一種雛人形的な風情すら見て取れる少女……もとい、MAIDの名は、凍月である。

「ん。楼蘭を離れていた間にも、鍛錬は欠かさなかったようでおじゃるな。よきかなよきかな」
「これも先生のご指導の賜物です」
「ほっほ。……して、麻呂に顔を見せに来たという事は、何じゃの、また嘉藤の鵺めが良からぬ事を企んでおると」
「先生。お言葉ですが、保憲様は良からぬ事を企んだ事などありません」
「今のは言葉のあやでおじゃる。して用件は何かの、また現金か、武器弾薬か、それとも闊徒団でも連れて行くかの」
「何もありません」
「何じゃと」

義元はぱちぱちと目をしばたいた。対する凍月は落ち着き払ったもので、静かに能面を置き、その場に正座した。

「久しく先生のお顔を拝見しておりませんでしたので、保憲様の許しを得て、この機会にと参上した次第です。
 ……さらに申し上げれば、私の拙い所作にご指導を賜れれば、と」
「う、む。これは予想外の事ぞな。あの魔人ならば隙は見逃すまいと思うておったが」
「先生……」
「冗談でおじゃる。……して指導とな。ほぼ完璧でおじゃるが───しかしこれを言うてよいものか……」
「何なりと」

義元は袴の上に揃えられた凍月の両手に目を落とした。憐憫の表情が顔に出ないように気をつける。

「やはり義肢では、いささか所作に幽玄さを欠くものよ」
「……然様、ですか」
「こればかりはやむを得まいて。しかしそなたの手足があった頃……麻呂が稽古をつけておった頃よりも、よい流れになっておる」

凍月は無言で頭を下げる。暴走した深影に手足を喰い千切られた挙句、自失の底に沈んでいた彼女を引き上げたのは他ならぬこの男である。
その理由が「自分がつけてやった稽古を無駄にするのは我慢ならない」という、ある種現金なものであったとしても、彼女は感謝してやまなかった。

「……時に凍月、先立って何か、箱のようなものを持っていたようでおじゃるが、あれは何ぞな」
「いえ、大したものではありませんが、海外から帰ってきた時には土産物を持参するのが慣わしと聞き及びましたので」
「ほうほう。先ほど八恵に外套と一緒に預けておったの。……おおい、八恵、これへ! 客人の荷物を持って参れ!」

廊下の先、それなりの距離を隔てて「はあーい」という声が届いた。
やがてぱたぱたと足音を立てて現れたのは、いつもの事ながら信じがたいほど派手な格好をしたMAID、八恵である。
……室内のため、ハイヒールまでは履いていないが。

「義元様ー、これですか?」

小さく、細長い木箱を掲げ、軽く振ってみせる。

「これ、八恵。客人の贈り物を粗末に扱ってはならぬぞよ」
「あ、ごめんなさーい。でもいっちゃんなら許してくれるよね」

凍月は無表情に八恵を眺め、抑揚なく言った。

「お構いなく。その程度で壊れるような梱包ではありませんので」
「……そういう意味で言ったんじゃないんだけどね。まいいや、それじゃあ、はい」

板張りの床をすたすたと横切り、八恵は制止する間もなく義元の手に木箱を押し付けた。

「中身、何でしょうねー。まあ開けるのは義元様のお楽しみですけど」
「……」

義元が興味津々といった風情の八恵の後ろをちらりと見ると、果たして、凍月が恨みがましい目で彼女を見ていた。
本当は彼女自身が手渡したかったのだろう……が、荷物を預けてしまったのが間違いだった。

「う、うむ、凍月は何を選んでくれたのか、楽しみじゃの」

手元に目線を落とす───木箱には何の印もないが、それなり以上に良質な木を使っており、滑らかに仕上げられている。
義元は慎重な手つきで蓋を持ち上げ、そろりと開けた。

「おお───……?」

木箱の中には、一振りのナイフが収まっていた。
およそ義元のような男には縁のなさそうな、まぎれもないナイフである。
それも日常生活で使えそうな果物ナイフなどではない。両刃のダガーだ。
虚を突かれた義元と八恵をよそに、凍月が口上を述べ始めた。

「そちらは先日私がエテルネ王国はオレームに滞在しました折、手に入れる事の叶った最高級の短剣です。
 かの名工、ジェラール・デ・ジャルダンが鍛え、アムリア象牙の握りを添えた逸品であり……」
「……それで、これを義元様に?」
「はい」

訝しげに問う八恵に、凍月は当然と言わんばかりに答えた。

「ちょっと聞きたいんだけど、これ、何に使うの」
「護身用ですが、実質的には美術品とお考え頂ければよいかと」
「……なるほど」

ここに到りようやっと義元が我に返った。
彼は装飾品や服飾には詳しいが、こういった美術的価値の高い刃物には疎い───いまひとつ適切な誉め言葉が浮かばない。
やむを得ず、無難な表現をする事とした。

「ふむ、これは良いものぞな。麻呂はかくも献身的な弟子を持って幸せでおじゃる!」

ぱちんと扇子を広げて笑顔を見せてやると、凍月は安心したように表情を緩めた。

「先生に喜んで頂けて、何よりです。……と、恐縮ですが、そろそろ時間が……」
「ん、然様か。───八恵、外套じゃ」
「はいはい。あ、そうそう、いっちゃんのコート、染み抜きしといたから」

何気ない八恵の一言に、凍月は過剰なほどに反応した───己の外套を、ほとんどひったくるようにして取り上げたのだ。
唖然とする八恵に、凍月は冷たい視線を投げつけた。
その様子に義元は眉をひそめた───彼女は異能を使うMAIDを許せないのだと言ったとて、八恵が理解するだろうか。

「余計な事を。……では、先生、私はこれにて失礼させて頂きます」
「気をつけての。時に、これからどこに行くのでおじゃるか?」

見送り無用とばかりにさっさと歩き出していた凍月は、顔の半分だけを振り向けて答えた。

「戦場へ」



楼蘭皇国にかのルフトヴァッフェの一個小隊が休暇を楽しむためにやってくるという情報が、軍事正常化委員会を動かした。
無論、少数で油断もしているだろう彼らを削除ないし捕獲するためだ。だが彼らとて愚かではない。
そのような状況では、それなりに厳重な警備体制が敷かれるであろう事は想像に難くない。必要なのは、陽動であった。

「こちら鋼鉄指輪。双眼鏡12、聞こえるか、どうぞ」
「こちら双眼鏡12、感度良好」
「よろしい。───鋼鉄指輪より双眼鏡12、状況を開始せよ」
「諒解した」

倭都の迎賓館を狙った攻撃がある───という情報をリークしておき、そちらに当局の目をそらす。
単純だが効果的な手だ。そして、実際に攻撃があるとなればなおさらの事。
彼ら黒旗の実働部隊は大小の銃器を手に、暮れなずむ空を背にした迎賓館の正門を目指し、侵出していった───

閃光。

何が起きたのか、彼らが理解するより先に、轟音と火焔、そして悲鳴が迎賓館前の車道を埋め尽くした。
気がつけば、いつからそこにいたのか、装甲された巨大な人影が正門を塞ぐように立っていた。
人影が両肩に相当する位置から火を噴いた───鈍い音が響き、突然現れた脅威を前に棒立ちになっていた兵士が火だるまになった。
言葉にならない絶叫が夜空を焼き、やがてくすぶって消えた。

「な───なんだ、あれは!」
「馬鹿な! 正規軍が公道を火の海にしやがった!」

人影───砲甲冑が摺り足で踏み出し、腰を低く落として構えを取る。
タレット式四連眼鏡を左目にかけたその主が低く呟いた声を、誰が聞き届けただろうか。

「あなた方も、私たちも、結局は間違った時代に生まれてしまっただけなのでしょう」

鋭い金属音を立てて40mm擲弾の薬莢が立て続けに排出され、照明弾と榴弾が左右に装填される。

「それでも、時代は回らなければならない」

照明弾は上空へ、榴弾は正面へと射出された。新たな断末魔が上がり、続いて燃え盛る戦場を鮮烈な明かりが無残に照らし出した。
黒旗は間違いなく壊滅状態にあった。だが、砲甲冑の主、凍月は遠慮という事を知らなかった。

「や……やめろ、やめてくれ! 投降する!」

黒旗の兵士が斗語で叫んだ───凍月は斗語を申し分なく操る事ができたが、それを無視した。

「畜生、白旗だ! これでわかるだろうが!」

凍月はその兵士が掲げた即席の白旗───誰かのシャツを小銃に巻きつけたもの───に向けて焼夷弾を撃ち込んだ。
十数秒後、兵士は異臭を放つ肉塊と化した。間違いなく死んだと確認してから、凍月は完璧な発音の斗語で答えた───

「申し訳ありませんが、私、エントリヒ語はわかりません」

それは、正規軍でなければ投降など受け付けないという意思表示であった。
両手を挙げた敵兵を撃ち殺してから、「こいつら何て言ってたんだ?」「ママ、手は洗ったよ、って言ったのさ」とやるようなものだ。
残り少ない兵士たちの間から、絶望と怨嗟の叫びが上がった。彼らは武器を捨て、回れ右をして一散に駆け出した。

「さようなら」

砲身をわずかに上向け、敗走する敵兵の眼前に着弾するよう距離を調整する。
すでに二つの砲身には、残虐を以ってその名を知られる榴散弾が装填されていた。

「……幸福を」



───この年の夏に発生した赤酒迎賓館襲撃事件は、黒旗による大々的な破壊行為がクローズアップされる形で人口に膾炙した。
迎賓館そのものへの被害は防衛に当たったMAIDが最小限に食い止めたとされているが、近辺は惨状を呈したという。
しかし幸いにして民間人への被害はなく、また迎賓館前の公道は近々補修予定であったため、予定を繰り上げて工事が行われた。
結果的に皇国政府への打撃はほぼ皆無と言ってよかった。……すべての損害を被ったのは、他ならぬ黒旗であった。

なお、その直後にやってきたルフトヴァッフェ第一級小隊、「白の部隊」は無事に休暇を終えたとの事である。
前述の事件にもかかわらず黒旗との戦闘があったとも言われているが、事実関係はいまだ公表に到ってはいない。

その本質において優れた兵士である事を要求される者にあっては、有事こそが唯一の平時そのものに他ならない───




登場人物

最終更新:2009年12月14日 00:35
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