(投稿者:Cet)
それは
あかつき作戦と呼ばれていた。後退した
グレートウォール戦線を一気に巻き返す一大反攻作戦の名称である。
ブラウはその中にいた。
新機軸のメードを多数利用する作戦の中で、彼の役割は戦車とほとんど変わらない。違うのは歩兵が随伴しないことくらいだ。
彼は何かの為に生きることをやめようとしていた。
夕焼けを見ると、誰かの言葉が聞こえるようであった。
お前のことなど、誰が知るものか、と。
こっちこそ知ったことではないと、彼はいつも返した。飄々とした笑みを浮かべて、である。
そして、夜明け前の陣地は、たくさんの人間と負傷兵でごった返していた。既に第二波が攻撃を開始していて、第一波は相当数の負傷者を伴いながら、一度陣地の中にまで退却していたのだ。
苦悶の声が暗闇の中飛び交っているが、しかしその中には敗残兵には似付かない笑みを浮かべている者も伺えたりして、おのずと戦局を窺い知ることができた。
三時を回ろうとしていた時である。
彼は夜明けを待っていた。負傷兵の犇めく中で、自らの部隊に号令がかかるその瞬間をひたすら待ち続けていた。
そしてその途中、一人の少女を見つけた。
青い髪の少女であった。背が低く、給仕服を着込んでいる。一目でメードと分かるその少女には、極めつけに翼が背中から生えていた。
少女はこちらが気付く以前から、ブラウの方をを見つめていたようで、彼が視線を遣るとばったりと目が合った。
「よお」
「おはようございます」
そんな風に声を掛け合う。
少女はてくてくと彼の方へと歩み寄った。それから、彼の立つ傍らに座り込んで、同じ方角を見遣る。
「君、
ルフトバッフェ?」
「はい」
少女は逡巡無く答える。
「俺は、
空戦メードが嫌いだよ」
「それはまた突然、随分ですね」
「だって翼が生えている理由なんか、戦う為くらいのものじゃないか」
ブラウの言葉に、少女は振り向いた。
「だけど、今は戦わなくてはならないですから」
「そうかもしれないけど、俺は戦いなんて嫌いだよ」
青年の呆れたような口調に、少女は口の端を歪めた。
「私もですけど、好きと嫌いということと、それをやることとは必ずしも一致しません」
「確かにその通りだ」
「でも、私は今戦っていたいんです、何の為かなんて分からないけれど」
少女は青年から目を離さずにそう告げる。
「立派だよ、だけど、俺はこの戦いの空から引きずり降ろしたい人がいるんだ」
「ならばどうぞ、そうなさってください」
「うん」
少女は立ち上がり、その場から立ち去ろうとする。
その途中彼の方をくるりと振り返り、手を額ほどの高さに挙げた。
「御武運を」
「君も」
再び少女は彼に背を向けて、二度と振り返らなかった。
青年は夜明けを待つ。
少女は夢を見ていた。
青の中をたゆたう
鳥の夢を。
窓辺に立って月を眺めていた。
朝になったら消えていく夢だ。
眠れないままに夜は更けていく。
いつになったら現実に戻ってくるのか、彼女はその方法を探していた。
そして、兵舎の扉が開く音がして、彼女は振り向いた、青色の長い髪を短く切った、少女が佇んでいた。
「隊長、そろそろです」
「はい、
シュワルベさん」
にこり、と一つ笑って、彼女は言った。
笑みはいつも彼女を守ってきた、そしていつも、彼女から誰かを遠ざけてきた。
「起きろ!
戦闘準備!」
がたがたっ! と寝台から少女らが飛び起きてくる。
「フレイア! ただいま起床しましたっ、副隊長」
「こちらネルウァっ、ただいま起床致しました」
シュワルベは人を食ったような笑みを浮かべて、並んだ少女たちを見回していく。
「今日のお前は『ドラゴン』だ、忘れるな」
「はっ」
フレイアが敬礼をして応える。
「『アサッシネイト』、死なないように」
「了解しました」
同じく敬礼で応えるのはネルウァである。彼女らは揃って、シュワルベと同じ凄絶な笑みを浮かべて立っている。
「サフィーらと合流しましょう、隊長」
「そうですね、彼女にもしっかりと働いてもらわないと、いけないですよね」
ぱっと花が咲いたような笑みを浮かべる
トリアに対して、シュワルベを含めた三人の少女達は、少しだけ痛々しそうに視線を送るのであった。
半壊した戦車が陣地に掛け込んできて、そして腕の無くなったメードを空戦メードが抱えながら帰還してくる。
四十人程の小隊が、死人を引きずりながら帰ってくる。脚の無くなった兵隊が、笑い声を上げながら傷病者用のマットの上に投げ出された。
エンジン音を響かせて待機する戦車の隣にブラウは立って、遠くを見渡していた。
ここから世界の全てが見えるような気がしていた。
ここ、こそが世界の全てであるような気がして、そしてその中に確かにいて、消えることのない、一人の少女を思い出した。もうきっと、ずっと触れることのできないであろう少女の笑みを記憶の引き出しから取り出して、少しの間、感慨に耽っていた。
彼の世界を縛り付けていたはずの鎖が、実は世界の一部であったことには気付いていた。
それは鎖などではなく、ただのラインであり、また境界線と呼ばれる概念であり、ただの言葉であってそうではなくて、亀裂であるということに、気付いていた。
世界を縦横無尽に埋める亀裂であり、尚世界の根源のエネルギーを生み出している、それであるということに。
亀裂は世界を分断し、更なる亀裂を生み出していく。
世界はいつだって変化を続けていたが、本当は何も変わっていないのだと彼は思う。それは彼自身にしても、少女にしても結局変わらないのだと、彼は思った。
彼は地平線を染める輝きを目にした。
陣地が喊声に埋まる。
あかつき! あかつき!
叫びまわる男たちを影に染めて、空は赤になっていく。
いずれ青になるその空を眺め、地平線を染める赤を眺め、グレートウォールの稜線を眺め、そして雲霞のような陰りを見た。彼はそこに一人の少女を見出して、そして一言呟いた。
◆
朝になったら消えていくのか 分からないまま時は過ぎて
見出したのは 遠き日の折
――[雪兎]
最終更新:2010年03月18日 04:23