千早は生まれつき、身体が弱い。姉妹喧嘩をしても、私がいつも勝っていた。私自身も、腕っ節に自信が有る訳でもない。単に千早が、同年代の女の子と比べると、些か体力的な面に問題があったからだ。それに、誰を傷つけたくないという彼女なりの優しさもあったかもしれない。
千早が、実家で大暴れした時のことは今でも覚えている。血走った目でこちらを見るなり、千早は私の顔面を思いっきり殴った。それは、今までの取っ組み合いの喧嘩の中でとびきりの痛みを持っていた。私は、後ろへ倒れた。鼻血が流れ、両目は痛みのあまりに涙が止め処なく流れている。
私は何も出来なかった。私は、Gに襲撃された時に両手を失っていたのだから。千早は私を殴った後、家宝であるムラマサを強奪した。何が起こっているのか、私は全く分からない。現に千早は「Gに襲撃され重傷を負い、首都の病院で治療を受けている」となっていたからだ。そんな彼女が、五体満足のまま私を殴りつけ家宝を奪い取った。
数年後、私は真実を知った。MAIDという存在は死んだ人間ないし、死に瀕した人間によって精製されるのだと。
それを知った時、私はMAIDが嫌いになった。だって千早は、死んだことになるから。彼女の存在そのものが、MAIDという超越的な存在に上書きされてしまうから。
だから私は、MAIDが嫌いなんだ。
一心不乱にMG42のトリガーを引き続ける、十二名の武装SS候補生たち。横一列と綺麗に陣形を組んだ彼は、MG42の照準器に重なったワモン級Gを模造したハリボテに銃弾を叩き込んでいた。その様子を、
アサガワ・シュトロハイヒは後ろから眺めている。マイスターシャーレの教官を示す、黒色のロングコートを着たアサガワは蛇のような鋭い目つきを、候補生たちに突きつけていた。
「撃ち方やめ!」
銃声に負けないぐらいの大声を、アサガワは発する。その一言を皮切りに、候補生たちはトリガーから指を離す。端の方で射撃をしていた一部の候補生はトリガーに指をかけていたが、周囲の静けさに気がつき、やがて指を離した。嵐が過ぎ去った静けさのように、射撃演習所は一時の沈黙が流れる。そして候補生たちは皆、自分たちの標的となったワモン級Gの模造品を凝視する者もいれば、アサガワを見ている者も居た。
肝心のアサガワは、じっと前を見ていた。四人規模の三班で別けられた、射撃演習。等間隔に設置されたワモン級Gの模造品はどれも、無数の弾丸によって蜂の巣にされていた。
アサガワはそれを選別するかのように凝視し、それが三分間続いた後、口を開いた。
「第一班、お前らは今日から一週間、0600時に10キロマラソンをやれ。行軍時の装備を担ぐのを忘れずにな」
腕組みしたアサガワは、まるで周順に判決を言い渡すように第一班へ「罰則」を通達した。第一班の面々は、反論することもなく「了解しました」と口を揃えて言う。
「第二班。明日から、ハーベン教官のところで面倒見てもらって、基礎からやり直せ」
第二班の面々から歯軋りが聞こえてきそうな返事が、アサガワの言葉の後に返ってくる。そして、最後に残った第三班。彼らは、戦々恐々を体言したかのような、不安な表情でアサガワの言葉を待ちわびていた。
「第三班。今後一切、私に教えを乞うな。以上だ、解散!」
アサガワはそう言うと、第三班の返事を待たずして、踵を返した。唖然とする第三班。他の班は、同情する目で彼らを見つつ、MG42の安全確認を行う。
「どういうことだ、教官!!」
唖然とする第三班の中、MG42を放り出した一人の候補生……第三班の班長を務めるハンスマンだった。彼は血走った目と、それと同じぐらいに染まった顔を前へ突き出し、アサガワの下へ駆け込んだ。
アサガワは立ち止まって、ハンスマンの顔をちらりと見る。何かおかしかったのか、彼の顔を見るなり、アサガワは鼻で笑った。そして、何事も無かったかのように歩き出す。それを見て、ハンスマンは何もせずにはいられなかった。
ハンスマンは走り出した。一方のアサガワは、姿勢を真っ直ぐにして歩いているだけだった。
「何がおかしいんだよ!!」
彼は強引にアサガワの右肩を掴んだ。その瞬間、彼の視界が灰色に染まった空に切り替わった。その視線のまま、ハンスマンは湿った地面に背中を強打する。何がなんだか分からないハンスマンは、背中に走る痛みを忘れてしまい、呆然と空を見ていた。アサガワが侮蔑するかのような目で、ハンスマンの顔を見下ろしている。その瞬間、侮蔑していた目が急に殺意に変わった。それと目が合ったハンスマンは、情けない声をあげた。
「馬鹿が」
「背負い投げ」によって一回転したハンスマンに向かって、アサガワは吐き捨てるように言うと、そのまま歩き出した。少し経ってから、第三班の面々が慌ててハンスマンの下へ駆け寄り、彼の無事を確かめる。
そんなざわめきが、アサガワの耳に届いていた。
「うわぁ。
レーニ、あれ見た?」
「見た」
バンダナを頭の横に巻いた女性、
シルヴィが隣で立っている眼鏡をかけた女性に話しかけた。レーニと呼ばれた女性は、黒色のスーツを着ており、知的で腰まで届く長髪が目を引く。彼女はレーニと正反対の存在で、活発そうな明るい表情と寒い季節なのに、スリーブレスのシャツを「一枚」だけ着ていた。
「あの技、すごいね。なんだっけ、あれ、きっとあれだよ。うん」
アサガワが、ハンスマンを投げ飛ばした技をシルヴィは思い出すのに必死だった。こめかみを指先で突きながら、犬のように唸る。そんなシルヴィに見るも耐えかねたレーニは、ぼそりと呟いた。
「背負い投げ」
「そう!それそれ。背負い投げ!」
ぽん、と両手を叩いたシルヴィは子供のようなはしゃぎ方をした。そんな彼女に、レーニは困惑した。こちらへ顔を向けているシルヴィの背後から、アサガワがこちらに向かって歩いている。恐らく、宿舎から兵舎に繋がる屋外路のど真ん中で話しているレーニたちが悪かったのか。彼女はゆっくり、そして確実にシルヴィの背後へ向かっていた。レーニはなんとかして彼女に気づかれないように、身振り手振りでシルヴィにそのことを伝える。
「レーニったら、何やってんの」
シルヴィ、後ろ。後ろを見なさいよ。とレーニは心の中で思ったが、鈍感なシルヴィは何のことか分からずに、ただ笑っているだけだった。その間に、とうとうアサガワがシルヴィの背後でぴたりと足を動かすのをやめた。その気配に気づいたシルヴィが、ちらりと彼女を見、向かい合った。
「アサガワ教官じゃないですか。ご機嫌ようです」
軽く挨拶したシルヴィの口調は堅く、彼女の表情もまたぎこちなかった。マイスターシャーレでのキャリアは、シルヴィやレーニが上だが、アサガワはそれまでの「職歴」があった。
楼蘭皇国陸軍第5歩兵連隊付き中尉。ただの名誉職であれ、それほどの素質を持った人材。MAID専攻の臨時教官に過ぎないレーニやシルヴィは、アサガワにどうこう言う立場ではなかった。
「ここで何をしている」
アサガワはシルヴィにそう尋ねると、彼女は視線を泳がせながら、急にそわそわし出した。無論、レーニもなるべくアサガワに視線を合わせないように工夫し、さらにシルヴィの背中に隠れるように動いた。
「もう一度、聞く。ここで何をしているんだ?」
「すみません。今日は非番でしたけど、暇だったんでつい」とシルヴィは本音を言いたくなるが、そんなことを言ってしまえばどうなるか、検討はついている。どうやってこの状況を切り抜ける最適な言葉が見つからず、シルヴィはただ愛想笑いを浮かべているだけだった。
「レーニ、シルヴィ。君たちを探していたよ」
そのとき、レーニたちにとって救いとなる女性の声が後ろから聞こえてきた。レーニは顔を後ろへ向けると、こちらに向かって手を振りながら歩く、ライサ少将の姿があった。マイスターシャーレを設立した者の
一人であり、MAID普通科の建設を推し進めた人物。レーニ、シルヴィにとってライサはまさに親のような存在であり、彼女もまた二人を我が娘のように可愛がっていた。
レーニ、シルヴィがライサに向かって敬礼をするより早く、アサガワが先にそれをやっていた。
「ご機嫌よう、アサガワ教官。候補生たちの訓練はどうなっているかな」
「そこそこです。それより、そこの二人がなぜ武装SS候補生の演習場に居るのか、ご説明願いたいものですが」
アサガワはさっきまで詰問していたレーニとシルヴィを見ながら、ライサに状況の説明を問いかける。
「彼女たちは、今日は非番だからね。ぶらりとここにやってきたんだろう」
ライサは両肩を竦めながら、レーニとシルヴィを見る。二人は冷や汗をかきながら、その場で硬直してしまう。ライサのことだから、もうちょっと気の使った言い訳でも考えてくれると思ったが、甘くはなかった。
「私の監督不足だし、大目に見てくれないか」
ライサはにこやかに笑みを浮かべると、アサガワは調子が狂ったのか、怪訝な表情で頷いた。
「レーニ、シルヴィ。非番の君たちに用事だ、用事」
ライサはそう言うと、名前を呼んだ二人の手首をがっしりと握り締め、そそくさとアサガワの元から立ち去った。
茶番じみた行動をするライサの背中を見ながら、アサガワはため息をついた。
今日の演習を一通り終わらせたアサガワは、帰路を辿っていた。武装SS候補生を管轄する領内から、一キロほど離れた教員宿舎への道。アサガワは徒歩で帰っていた。道中、明日に向けての課題項目の確認や、教員向けのオリエンテーションで発表すること等を考えていくうちに、陸軍士官の宿舎を通りかかる。空は夕焼け色に染まっており、本来ならもう少し早く帰宅するはずだったが、雑用で時間をとられていたのが原因だった。
「や、やめてください」
今期武装SS候補生についての評価を考えていたアサガワの耳に、女性の弱々しい声が届く。その声がする方へ思わず顔を、右に向けた。宿舎と、武器庫に挟まれた路地裏に、士官候補の軍服を着た三人の男が、「何か」に寄って集っていた。今さっきの声と、男たちの不可解な行動。アサガワは悪い予感を感じ、男たちに向かって走り出した。
「お前ら、そこで何をしている」
怒号を張り上げる、アサガワ。突然の声と、その迫力に男たちは飛び上がった。肩を寄り添うように固まっていた男たちの隙間から、訓練生らしき軍服を着た女性が見え隠れする。それを見た瞬間、アサガワは頭に血が昇り、男たちに詰め寄った。
「きょ、教官。これには深い事情が」
がっしりとした体格の、坊主頭をした男が弁明をする。男が次の言葉を言うとしたとき、アサガワの拳が彼の鼻柱に直撃していた。男は情けない声をあげ、鼻を両手で押さえながら、その場で両膝を突いて倒れる。他の士官候補生たちは足が竦んだのか、硬直してしまう。
鼻から止め処なく流れる血を両手で抑えている男の胸倉を、アサガワは掴んだ。彼女は、鬼気迫る表情をしていた。男は何もできず、ただアサガワの顔を、涙目で見るしかできなかった。
「いいか、よく聞け」
胸倉を掴みながら、アサガワは口を開いた。
「次にまたこんなことをしてみろ。今度は、『鼻』だけじゃ済まさんからな」
彼女はそういうと、突き飛ばすように男の胸倉を離した。放心状態に陥った男を、周りの連中が腕を掴んで、脱兎の如く逃げ出した。
「大丈夫か」
少し離れた宿舎へ逃げ出した男たちの背中を見、その場で尻餅を突いた女性に声をかけた。女性は、訓練生らしき軍服を着ていた。前髪を整えた髪型に、メガネをかけており、見るからに大人しそうな雰囲気だった。
「あ、ああ、ありがとうございます」
急いで立ち上がった女性は、深々と頭を下げ、アサガワに感謝した。
「君も気をつけろ。戦場に立つ者なら、自分の身は自分で守れ」
不甲斐ない女性に、アサガワは叱咤すると彼女はしゅんとなって、視線を下へ向けた。
「今度から、気をつけるように」
女性の態度にアサガワは気まずくなったのか、これ以上の説教はやめようと思い立った。それに、今さっきのいざこざで疲れがどっと押し寄せ、アサガワは早く寮に帰りたかった。女性は頭を下げ、アサガワにお礼の言葉を言う。
「最後に、ひとつ。君の所属と名前は」
頭を上げた女性は、背筋をぴんと伸ばし、アサガワに向かって敬礼をした。
「アリス・シレイド訓練生であります。所属はMAID基本科です」
そのとき、アサガワは、彼女――アリス・シレイドをじっと見た。自分が助けたのは、人間ではなく、毛嫌いしているMAIDだった。しかし、あのまま自分が見過ごしていたら。彼女がどうなっていたか、想像はつく。
アサガワは、一人の軍人として。マイスターシャーレの「教官」としてのモラルがあった。しかし、それを覆い隠す「MAID」という存在。
「二律背反」という言葉が、アサガワにのしかかった。無言のまま、アサガワはアリスから離れていく。
自分がやっていることは「正しい」ことなのに、なぜか腑に落ちなかった。