ジュラルミンの騎兵

(投稿者:神父)


A.D.1945年。夏を迎えたグレートウォール山脈は、なおも氷冠を頂いていた。
深海にも似た紺碧の成層圏を背に、三十四機のMe110が編隊を組んで飛行している。
メルダーシュタインの誇る液冷戦闘機はいささか気難しいきらいがあり、二機がエンジン不調を理由に帰投していた。
それでもエントリヒ帝国空軍第十三戦闘航空団第四飛行隊に所属する三個中隊の稼動機はすべて投入されていた。
いや、それを言えば帝国空軍のすべての飛行隊があらん限りの稼動機を投入して戦線を維持していたのだ。

「シェンケル1より各機。接敵が近いぞ」と編隊長機の通信が入り、アデーレ・リットは物思いから覚めた。
我に返った拍子に、ゆるやかに波打つ金髪をたくし込んだ飛行帽がキャノピにぶつかった。
彼女は女性にしてはやや身長が高く、その点ではパイロットに向かないと言えた。

「リット飛曹長、どうした?」
「……シェンケル4、諒解」
「ズーム&ダイヴを徹底しろ。絶対に低空に追い込まれるな。奴ら、低速域では異常にすばしこい」
「言うまでもねえな」と、別の声が入った。
「その代わり奴らには排気タービンがない。高高度ならこっちに分があるわけだ」

そのパイロットは酸素マスクの下で、世の中、存外公平にできてるじゃねえかと呟いた。

「あの化物どもに公平だの不公平だのが通じるとは思えんよ」
「まあな、違いねえ」

その時、アデーレの視界にGの群れが映った。フライ型が……二十匹ほど見える。
彼女の目は遠くまでよく見えた。見えなくてもいいものまではっきりと。

「シェンケル4より各機。下方6500にフライ型。数、およそ二十」

フライ型の群れは高度3000mほどに展開し、さらに下方にいるワモン型の群れを援護する形となっていた。
彼らの視界は異常に広いが、視力そのものは決して高くない。レーダーと光学機器を持った人間側は常に先を取って迎撃する事ができた。

「突っ込め!」の一言で編隊機のすべてが機体をひねり、高度を速度に変えながら全速で突入していった。アデーレもそれに倣う。
照準器に捉えたGに気付かれる前にトリガを引くと、機首の13mm機銃がキチン質の甲殻を吹き飛ばした。
初撃は成功だ。低空域に踏み込む前に機首を上げ、再び上昇しなければならない。彼女は重い操縦桿を目一杯引いた。
機首を黝い空へ向け直すと、彼女は背後を振り返って友軍を確認した。ほとんどの機体はスロットルを全開にして再上昇にかかっている。
だが予想通りと言うべきか、新米の数機が高度を失ってフライの好餌になっていた。あれでは助かるまい。

「誰か、誰か助けてくれ! フライが……キャノピを……」
「低空でフライを相手にする奴は馬鹿だ! 悪いが助けに行けない、神に祈れ!」
「機体が熔け、……があ!……い…………やめ……」

フライに取り付かれたMe110は見る間に胴体をへし折られ、エンジンから火を吹いて墜ちていった。
餌食を食い尽くすために数匹のフライが下へ降りていき、残る十匹ほどが戦闘機隊に追いすがってきた。
だが速度が違う。成層圏を飛ぶために作られたMe110に、羽ばたき飛行のフライが追いつけるわけがない。
過給器なし、酸素マスクなし、電熱服なしの彼らが成層圏を克服するまでにはまだ時間がかかるだろう。
やがて実用上昇限度に達した編隊は再び反転し、必死に追ってきたフライの群れに銃弾を浴びせかけた。
そしてそのまま下方のワモンの群れに向かうと、運動性能の劣る彼らに機銃弾を猛烈に叩き込んだ。

およそ十分で、この空域は制圧された。

「シェンケル1より各機。何機食われた」
「シェンケル11と12、メルジーネ9、クレーテ7……この前補充された新兵ばかりだ」
「だから低空に入るなと言ったんだ!」隊長機からの発信に一際激しい雑音が入った。コクピットのどこかを殴りつけたのだろう。
「隊長……」
「上の連中はろくに訓練もできていない奴を前線によこしやがんのさ。無駄死にさせるだけだって、いい加減わかんねえのかな」
「そうねえ」と、アデーレは隊長機の黄色く塗られた垂直尾翼を眺めながら言った。
「理想と空論だけで息巻いて、結局現実が見えないのよ。身近な誰かが死なない限りね」
「お前さんにゃ見えてるのかい」
「私の目はよく見えるのよ。見たくないものまで、はっきりとね……」と、彼女は下方の雲に目を落とした。

黒い斑点が見えた。

「下方、フライ! 散開して!」
「なん―――」

瞬く間に四機が食われた。

「各機、上昇しろ!」
「くそったれ、奴らに伏兵なんぞを教えたのはどこのどいつだ! 殺してやる!」

もはや戦術も何もあったものではなかった。火線が乱れ飛び、運悪く引っかかったフライが爆ぜ飛んだ。
そしてそれに倍する数のMe110が主翼をへし折られ、あるいはコクピットを貪られて下界へ墜落した。
伏兵のフライはわずかに十匹。ただそれだけの数で、空域には戦闘機乗りの悪夢が現出していた。

「痛い、痛、いだああああ―――……」
「俺の、俺の腕が!」
「脱出できない、畜生、なんとかしてくれえ!」

上からの光景はまさに地獄絵図の様相を呈していた。上空に退避できたのは、真っ先に敵を見つけたアデーレだけだった。
隊長機ですら、フライに食いつかれかけていた。

「隊長!」
「シェンケル1より……各機! 離脱しろ……なんとかして振り切れ!」
「隊長、援護を!」
「リット……退避できていたのか! ちょうどいい、そのまま逃げろ!」
「味方を見捨てて逃げろと言うの!?」
「我が軍に運と腕の両方を持ち合わせたパイロットを失う余裕はない! もう一度言うぞ、離脱しろ!」
「隊―――」

その時、隊長機がとうとうフライに食いつかれた。
プレキシグラスのキャノピが砕け、フライの口吻がコクピットにねじ込まれた。


彼女の目はよく見えた。
見なくていいものまで、本当に、この上なく鮮明に見えた。



この日出撃した空軍飛行隊の中で帰還できたのは、アデーレ・リット飛曹長ただ一人だった。
数年前に新設されたSS飛行隊に所属する飛行MAIDが彼女を発見し、基地へ誘導したのだ。
SS飛行隊の特徴である真っ黒い飛行服に身を包んだ彼女はアデーレを見てただ一言、「かわいそうに」と言った。
アデーレは着陸するなり誰彼構わず殴りつけ、基地守備隊に取り押さえられて病室に送られた。
やがて彼女に下された処分は、一ヶ月の療養であった。


彼女は翼を切望した。
ジュラルミンの、まがい物の翼ではなく、生きた翼を。
たとえ悪魔に魂を売り渡してでも、翼が欲しかった。



最終更新:2008年09月14日 21:50
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