Chapter 9-2 : 見向きもされない景色

(投稿者:怨是)


 ――兇刃の気配はすぐそこにあった!
 シャルティは駆け抜けるより早く、鞘をテオドリクスの腕に投げ付ける。アースラウグの首を切り落とさんとしていたテオドリクスは、鞘に弾かれてとどめを刺し損ねた。一先ずは危機を乗り越えたか。

「手を止めろ! テオドリクス!」

 返り血に塗れた兜がこちらを睨む。すぐ横で、アースラウグがぐったりと倒れていた。

「シャルティ……テオドリクスは死んだ。此処に居るのは審判100号だ。俺は処刑人として、この傀儡を破壊する。邪魔はさせん!」

「酔い痴れるなよ。過去はへどろの如く張り付いて、拭いきれぬものだ。私にとってお前はテオドリクスである事に、変わりは無い。今お前がまさに殺そうとしていたアースラウグにとっても、それは同じだろう」

 テオドリクスは短く嘆息すると、ヴィーザルを投げ捨てる。乾いた金属音を立て、その槍はアースラウグの手元へと転がった。相変わらず、見掛けに依らず器用な真似をしてくれる。無論、瀕死のアースラウグがそれを拾って起き上がる事など無かったが。

「理解する気は無いか」

 そんな器用なテオドリクスだが、弁舌に長ける訳では無く、己の信念――彼の言葉からは、理論と呼べる程には整然とした物は受け取れなかった――を力押しで叩き込む程度の事しかしない。
 シャルティを慕って付いてきた歩兵部隊が、少ししてから現場に到着した。アースラウグの鎧を脱がし、応急処置をしている。シャルティはそれを一瞥してから、テオドリクスに向き直り、冷たく云い放った。

「当たり前だ。こんな暴挙を誰が許容するか」

「お前達の外側に居る、全ての敗北者達が許容する」

 彼の云う敗北者とは恐らく、レンフェルクの打ち出した政策、共同体によって経済的に追い込まれた者達の事だろう。まさかとは思っていたが、そんな嫉妬じみた、武人の風上にも置けぬ理由で裏切ったのか。八つ当たりも甚だしい。黒旗に入れば攻撃対象になるのはレンフェルクだけではない。テオドリクスにとっておよそ無関係な者にまで、彼は刃を振るわねばならないのだ。

「敗北を理由に国家を荒らして回る等、解放者を騙った匪賊共のする事だ。堕ちたな、お前」

「お前も俺の所へ堕ちてくれば解る。この悲哀、苦悩が」

「解りたくも無いな! ブリュンヒルデ様が望んだ帝国は、こんな下らぬ争いをする様な国ではない筈だ!」

「ブリュンヒルデをろくに知りもしない奴が、何を嘯く!」

 ブリュンヒルデなら知っているどころか、かつて教育を受けた事すらある。何も知らずに嘯いているのは寧ろテオドリクスの方だ。と、云い返してやろうとも思ったが、稚拙な言動で相手に合わせてやる義理も無いと判断したシャルティは、話題を少しだけすり替えようと試みた。喧々囂々と口八丁の応酬をしている間にも、シャルティはじりじりと距離を詰めた。先程投げ付けた鞘の転がっている場所へ、間もなく辿り着ける。幸い、テオドリクスはシャルティ以外に意識を向けていない。友軍の一人が鞘を投げて寄越したのを、シャルティはしっかりと掴んだ。

「どの手段を最善とするか、その思想の違いだろうな。私は徒な暴力は好かん」

「腐敗を見過ごす事が尊き行ないだとでも云うのか! 片腹痛いわ!」

「存分に嘲え。道化が。私は私の遣り方で帝国を救う」

「俺を道化で終わらせてくれるなよ。お前なら或いは、高みへ昇らせてくれると信じている」

「シャルティ殿、我々はアースラウグ様を搬送します。どうかご武運を!」

「任せろ」

 テオドリクスは背負っていた得物をこちらへ構えてきた。巨大な木造の銃身、50口径程度はある銃口……確か、座学の教材の端に記載されていた武器だ。バハウザーM1918という対戦車ライフルである。ツヴァイシュス・ゲヴェーアという通称で知られ、その名の通り右手で撃てば右肩を壊し、その次に左手で撃てば左肩を壊すという、二発しか撃てない射手殺しの怪物銃だ。身の丈程もある大斧を振り回すテオドリクスならば、何ら問題なく使ってくるのだろう。

「対戦車ライフルか……確かお前の領分は斧による近接格闘ではなかったか? 黒旗入りして宗旨替えでもしたのか」

「刃を交える価値すら無い。そう判断したまでだ」

 一発目が石畳を抉った。無数の小さな穴が散らばる。対人用に製造した散弾だろうか。以前何処かで対戦車ライフルをGに使用した場合の効力を調査するといった話が挙がっていたが、その研究の名残か。何はともあれテオドリクスの言葉は、心を閉ざし、あくまで強硬な態度を取り続けると公言した様なものだ。昔馴染みのよしみで多少は容赦してやろうと思ったのが間違いらしい。

「気に入らんな。全く以て、気に入らん。私の刃を受けろ」

 シャルティは憤慨を眼差しに込め、肉薄する。それを銃弾が阻んだ。狙いは決して正確なものでは無いが、散弾の性質上、少しでも掠ればかなりの痛手を被る。シャルティの俊敏さに勝る速度の弾丸が骨肉を穴だらけにする事を考えると、迂闊に動く訳にも行かない。まして、テオドリクスは巨体にも拘わらず、素早いのだ。決定打を与える前に防がれてしまった場合、圧倒的に不利なのはシャルティの方だ。
 シャルティの苦悩を余所に、テオドリクスは嘲笑う。装填中の隙を狙おうにも、弾を込めてボルトを引くという一連の動作の中にも、いつでも迎撃できるという覇気ばかりが伝わってくる。

「そうしてアースラウグが倒れたのだ。何も学べんか……」

「……下衆が。雛鳥を撃ち落として何が楽しい?」

「あれは雛鳥などではない。人心を迷わす怪鳥よ」

「尚更気に入らん云い草だ!」

 鞘で狙いを逸らすべく、駆け抜ける。間に合うだろうか。答えは否。銃弾をまともに受けた鞘は着弾した部位から先を吹き飛ばされ、勢い余った銃弾は石畳へと突っ込んだ。

「……黙れ」

 一瞬の沈黙の後、石畳から炎が湧き出る。
 ――これは、焼夷弾! 実用化されていたのか!

「原理の説明は、不要か」

 テオドリクスは友軍のバイクに撃ち込む。ガソリンに引火し、バイクは瞬く間に火達磨になった。飛び散った破片を防いだ隙を突かれ、壁へ投げられる。背中に受けた衝撃と、片を貫く激痛は、ほぼ同時に訪れた。傷口が焦げる程の灼熱が包み込む。

「焼け死ぬが良い」

「うぐ、お、おぉ……!」

 払っても転がっても火は消えない。両手で押さえても、火の勢いは留まるどころか燃焼範囲を拡大し、全身を焼こうとしていた。焦燥と苦痛で、久しぶりに神に祈りたくなったのも束の間、テオドリクスの怒声が思考を遮る。

「熱かろう! 俺の怒りは、その灼熱そのものだ! 王政に縋り付き、国家を食い荒らす汚物どもは、この俺が残らず消毒してやるぞ!」

 シャルティは散水栓を叩き割り、水を浴びる。漸く火が消えた。呼吸を取り戻す。

「――ッ、それは、お前の役目か?」

一人では足りぬ。二人でも足りぬ。たとえ百人であっても、まだ足りぬ。故に、俺も行軍に加わったまでよ」

 散弾が何発も放たれる。左手に予め予備弾薬を持ち、排莢から間を置かずに装填する技術は誰が教えたのか。石畳の欠片が飛び散るのを間一髪で避けつつ、反撃の機会を伺う。よく見れば、テオドリクスの横腹には留め金でくくりつけた弾薬箱がある。あれが底を突けば、彼は攻撃手段を一つ失う。持久戦は不得手だが、致し方在るまい。相手もまた、武器さえ除けば同じ条件だ。

「幾ら体裁を繕ったとて、お前のそれは怒りを発散する口実が欲しいだけだろうが!」

「俺の怒りの理由を知らぬまま、否定をするな! 元より誰かが罰せねばならぬのだ! 罪で溢れ返ったこの土地を!」

「その罪の一つになろうとしているお前が云えた言葉ではあるまい!」

 小難しい口上の掛け合いで少しでも時間が稼げれば良いのだ。テオドリクスの戦い方の根本は瞬発力を生かした突撃格闘であり、長時間の戦闘は心身共に疲労する。そうなると最初は当てずっぽうで振り回していた攻撃を、最終的には良く狙って急所に叩き込む攻撃へと変える。彼が戦場に出たばかりの頃はそういう癖があった。慣れない事は何でも、行き当たりばったりでやろうとする癖があったのだ。銃を扱う上でもその本質に変化は無い様に見える。
 そして彼は自身の癖が無意識のうちに出ている事に、気付いていない。

「何が云いたい」

「お前は断罪してなどいない。新たな罪を生み出しているに過ぎんという事さ」

 勝機は見えた。少しずつテオドリクスの射撃の間隔が開けてくる。残弾が少なくなってきている証拠だ。シャルティは敢えて立ち止まる事で狙いを定めさせた。テオドリクスが引き金を引こうとした瞬間にそこから飛び退くと、彼は狙いを外した事に些か焦りを感じている仕草を見せた。

「解せんな。戯言か、或いは詭弁か?」

「阿呆め、こういうのは正論と云うんだよ」

 バイクの破片を掴み、放たれた銃弾に投げ付けて防ぐ。

「付き合いきれんな!」

 痺れを切らしたテオドリクスは一気に駆け寄り、至近距離で撃ってくる。シャルティは前方へ転がって避け、対戦車ライフルの銃身を掴んだ。馬鹿力に振り回され、何度か爪先が石畳を擦ったが、構うものか。この手を離せば彼は撃ってくる。その前に、決着を付けねば。

「お前は逃げているだけだ! 本来ならば同じ正規軍に身を置き、内側から悪を正すべきだった。お前が悪そのものになってどうする!」

「黒旗は善悪の彼岸からこの世を変える。盤上で他の駒を動かす事など不可能だからな」

 街灯を両足で挟み、身体を固定する。もし彼が蹴りで応じてきたなら、転がって避けよう。一見すると劣勢なのはシャルティの様に見えるが、両腕の痛みに耐えながらもシャルティは策を幾重にも練っていた。

「お前のしている事は、盤上を掻き混ぜる様なものだよ。そこに規律は成立しない」

「掻き混ぜる、か……盤上にて物を見るなら、然様な結論にもなろう。一方の都合のみで論じるのは忌むべき悪徳だ。シャルティ、お前は俺より賢い女だと思っていたのだがな。所詮は生娘か!」

 蹴りが来る。シャルティは予定調和で転がり、そこへ撃ち込まれた銃弾を斬った。

「何――ッ?! 弾丸を斬ったのか?!」

 驚愕を露わにしたテオドリクスに接近し、銃身に切れ込みを入れ、肘を叩き込んで折った。これで幾ら弾が残っていようが関係あるまい。テオドリクスは、文字通り丸腰となったのだ。

「生娘などと揶揄された、昔の私ではない」

「く、二度も不覚は取るまいと思っていたが……!」

「怒りに目が眩んでは何も見えない。私の頭の中も、な。テオドリクス……徒手空拳で私に挑んだとて、勝算はあるか? アースラウグは倒せても、私は倒れんぞ」

 喉元に剣を突き付け、啖呵を切る。テオドリクスはそれを押し退け、踵を返した。

「次は殺す! 覚えて居ろ!」

「……お前は私より冷静な男だと思っていたのにな」

 月並みな捨て台詞を残して走り去るテオドリクスを見送りながら、シャルティは手頃な壁に寄り掛かった。去り行く彼を追うだけの気力は残っていない。
 思えばよく生き延びる事が出来たものだ。彼と手合わせした時の勝率はほぼ皆無だった。圧倒的な力に押し潰され、為す術も無く打ち負けた記憶ばかりが脳裏を過ぎる。だがその回想も、背後からの声で途切れた。シャルティはぎょっとして、剣を構えて振り向く。

「……事は済ませた様で」

 バルドルが何食わぬ顔でこちらを見ていた。

「その通りだ。遅いぞ」

「失敬。別働隊の相手で手こずりまして」

 悪びれた様子は無く、超然とした態度での謝罪だ。憤慨よりも先ず、脱力感が襲った。先程の焼夷弾で血液を蒸発させられた所為だろうか。兎に角、怒鳴り散らすだけの体力も残ってなどいなかった。

「はぁ……云い訳なら聞かん。それで、何の用だ」

「一つ、警告をと思いましてね」

「警告?」

「あまり、敵を潰す事に躍起になりすぎない方がいいという事です。時には泳がせないといけません。それも、相手に“泳がせている”事を悟られない様に、細心の注意を払った上で」

 夜襲こそがシャルティの本分である事を知って、そこから逸脱した戦闘による疲弊を咎めに来たのか。でなければ、立ち上がれぬ状況になっても尚、霧散しない殺気を見て宥めに来たのか。いずれにせよ、シャルティとて馬鹿では無い。わざわざ他人から云われずとも、誰より己が理解している。シャルティは溜め息を、ことさら大袈裟に吐いて見せた。

「何を云い出すかと思えば、下らない――」

「いつか本当に殺されますよ」

 バルドルの御高説を遮る様にして、戦場に横たわる影の内の一人が動いた。

「――ッ、此処は……そうか。私はまた(・・)遣られたんだな」

 驚いた。ベーエルデー連邦の赤の部隊、その隊長のシーアも黒旗にやられていたとは。名だたるエースと云えども、凶弾の雨を前にしては為す術は無いという事か。ともあれ、アースラウグ同様、危険な状態にある。一刻も早く回復させねば。

「動くな! 今、手当てする」

「いや、いい。この程度の傷なら何度か負った。貴国のイェリコ殿に比べれば、まだまだ行けるさ。それよりも、アースラウグは?」

「衛生兵が運んでいる。お前も応急処置くらいはしていった方が……」

 制止しようとしたシャルティの手を、シーアは握り返す。手の力はまだ弱々しいが、掌から伝わる熱気で、彼女がまだ諦めてなどいない事が読み取れた。

「大丈夫だ。ちょっと行ってくる」

「何処へ?」

「……私の、戦場へ。淑女を傷付ける不躾な輩は、残らず仕置きをせねばな」

 そう云ってシーアは炎の翼を広げ、目にも留まらぬ速度で飛び去って行く。はたはたと滴り落ちた赤い雫に構う事無く。改めて、シャルティは戦慄した。翼を持たぬシャルティがテオドリクスをやっとの思いで退け、それでも極度の疲労で動く事もままならないというのに、シーアは致命傷に値する程の深手を負っているにも拘わらず、次なる戦いへ挑もうとしている。決してその傷は浅くは無いというのに。

「何て奴だ……相変わらず恐い物知らずというか」

「死を恐れないのでしょう」

 感じ入っているのも束の間、バルドルの声がまたしても闖入する。実に疎ましい男だ。

「……まだ居たか」

「死闘をくぐり抜けてお疲れの所、恐縮ですが、もう少しばかり付き合って頂こうかなと」

「お前が来ると碌な事にならん、な……」

 こめかみに何かを搾り取られる様な痛みが奔り、両足の力が抜ける。視界が少しずつ暗く、狭くなる。

「ご苦労様で。暫しお休みなさいませ。続きは営舎にてお話ししましょう」

「結構だ。少しは休ませてくれ」

 右肩が何かに触れた。先程寄り掛かった壁だろうか。ひんやりした感触が、傷口を冷やすには丁度良い。敵陣の真っ只中であれば危険に満ちていたのだろう状況で、こうして目を開けられずに居るのはきっと疲労と安堵が身体からあらゆる力を抜き取ってしまったのだろう。



「姫、お目覚めですかな」

 視界に映ったのは、親衛隊の制服に身を包んだバルドルだ。シャルティが目覚めた場所はどうやら、医務室のベッドらしかった。思ったよりも重篤な状態にあったという事だろうか。傷口周りは包帯ががっしりと巻かれ、輸血パックが腕に繋がれている。

「お前の声で起こされると、寝覚めが悪い」

「そう邪険になさらないで下さいよ。運ぶのに苦労したのですから」

「それはすまなかったな。私はどれくらい眠っていた?」

「半日もしませんでしたね」

 半日か。そう思うと、途端に身体を捻りたくなった。傷口が開かない程度に、上半身を左右に動かす。

「そう、か。道理で身体が重たい訳だ。20時間は寝ないと足りんよ」

「平時に為れば嫌でも惰眠を貪る事になりますよ。仕事場でね」

「ぞっとしないな。……で、あれからどうなったんだ。私は警備部隊殲滅に参加していたが、他の連中は上手く遣ってくれていたのか」

 今回の作戦もご多分に漏れず、シャルティやアドレーゼは警備部隊殲滅、バルドルは新兵器探索、シーア達ルフトヴァッフェは制空権確保、ペルレ爆撃機小隊は防衛設備爆撃、という風に幾つかの別働隊が同時進行で戦闘していた。

「作戦は概ね成功ですよ、レンフェルクが手柄を奪った形でね。郊外にある宿舎の地下が研究所になっておりまして、そこを爆破して終わりです。ただ、彼らもアドレーゼという雑用を捕虜に取られたのは痛手でしょうけどもね」

 ――雑用。云い得て妙だ。
 少しだけ、噴き出してしまう。

「やはり彼女だけは奪還出来なかったか。ハーネルシュタインはさぞや胸を痛めている事だろう」

「作戦室では早速それで持ちきりでしてね。今まさに奪還作戦を練っている最中ですよ。親衛隊と国防陸軍からそれぞれ一個中隊ずつの導入という、実に大規模な編成で、アドレーゼが捕らえられている場所へ赴くそうです」

 作戦室からくすねてきたのか、バルドルは“廃棄”の印鑑が押された書類を広げた。エストルンブルクの47番倉庫が次の戦場らしい。鉛筆で地図のそこかしこに進行ルートが記されており、目的地とおぼしき場所に×印がされている。シャルティが頷くと、バルドルは書類のページをめくった。
 先遣部隊にはアシュレイ・ゼクスフォルトの名も記されている。レンフェルクに対して極めて反抗的な態度を取り続ける彼を、アドレーゼの救出に充てるとは考え難い。恐らくはこの機会に乗じて邪魔者も処分するのが目的だろう。本命のアドレーゼを救出するのはレンフェルクの連中か。

「互いに好き者だな、黒旗もレンフェルクも。アドレーゼはそこまで政治的に重要な位置を担っていたか?」

「私の知る限りでは、然程大々的なプロパガンダには用いられていなかった筈。ハーネルシュタインは恐らく、伴侶が居なくなるのが不安なのでしょう」

「感情で戦争をすると碌な事にならないと、歴史家が常々口酸っぱく云っていたのにな」

「老いが焦燥を生み、権力が決断を早めたのでしょうね。ちなみにアースラウグも作戦に志願しており、レンフェルクは彼女が単身でアドレーゼを救出するシナリオを組んでいる様です」

 テオドリクスに倒されたアースラウグが、怪我の回復も待たずに戦うというのか。その度胸たるや賞賛に値するが、しかし、果たして満足に戦えるか懸念が残る。シナリオと云うからには、レンフェルクはまたしても何らかの“舞台装置”を用意するのだろう。

「拠点に居る黒旗共は周りが片付けるのか」

「その通り。いえ、半分正解と云った所でしょうか」

「どういう事だ」

「正確には、ある程度疲弊させた所をアースラウグに突貫させ、手柄とさせる。英雄ごっこをさせるという事です」

 “ある程度”がどの程度なのか気になる。

「今一つ、腑に落ちんな。そこまでの宣伝効果はあるのか? 余りに代償が大きいぞ」

「では303作戦はご存じで?」

「話だけは。それがどうかしたのか」

「それについて、貴女が聞いた内容を聞かせてくれますか」

 担当官のゲルハルト・シュレーゲルから聞いた話では確か……

「MAIDの有用性を示す為、MAIDのみで編成した部隊をグレートウォールに派遣した作戦だったか。結果的に作戦は失敗。その日の内にブリュンヒルデ様が救出に向かった。奮闘虚しく既に部隊は壊滅していたが、昼夜問わず救出に赴く姿を見て、国民達はいたく感激した……というのが、私の聞く限りだ」

「多くの方々にとっての共通見解は、大方その様なものでしょうね」

「裏に何か思惑がある、とでも云いたげだな」

「あくまで噂話の範疇、ですが。もし彼女の意志ではなく、303以降の救出作戦に何者かの強制力が働いていたとしたら?」

 少し、胸の奥で何かが詰まった。担当官ゲルハルトは生まれた時からの付き合いで、信頼の置ける間柄だ。その彼ですら騙されていたと認めるのは、心苦しくて仕方が無い。しかもゲルハルトはシャルティが生まれる以前から、ブリュンヒルデとは顔見知りだ。1938年当時での地位でも、それなりの情報は入ってきても何らおかしくはない。疑念に暫し言葉を失う。

「何だ。その……つまり、ブリュンヒルデ様も無理矢理?」

「えぇ。ただ、繰り返しますがあくまで噂話ですよ」

「ふぅ、む……」

「皇帝派の皆様はその噂話すら、軍正会――つまり黒旗の仕業だと云って憚らないそうですが、はて。どのような頭の構造をしていたらその結論に行き着くのでしょうね?」

 わざとらしい仕草で首を傾げてみせるバルドルに、シャルティはほんの少しばかり閉口した。それには目もくれずに、バルドルは続ける。

「軍正会が生まれたのは1944年。それまでは国防陸軍参謀本部として、MAIDの運用に関する発言権は皆無に等しい状況で彼らは細々とやっていました。それに彼らがわざわざ親衛隊と手を組んでまでブリュンヒルデを蹴落とす意義など見出せません。戦況の安定した現在ならともかく、当時は黎明期……リスクが大きすぎます」

「そう、だな」

 あの作戦はきっと、何かの間違いだ。作為など存在しない、純然たる失敗だ。そう思わねば、短い期間ではあったが師と仰いだブリュンヒルデが何の為に戦い、倒れたのか。だが、そうした本心とは裏腹に、胸騒ぎは一向に収まらず、この悶々とした苦悩を処理しかねている。

「レンフェルクは……皇帝派は、また繰り返しますよ。しかも、今度はMAID対人間での戦闘でね」

「嘆かわしいな。私も割って入りたい所だが、どうせ上が難色を示すだろ?」

「その通りです。ハーネルシュタインがこの作戦の実権を握っていますから、まず出撃許可は下りないでしょうね。貴女も警戒されている様ですし」

「さっき云っていた、警告の続きか」

「えぇ。彼らも知恵だけは回りますから」

「私は、どうすればいい? 最早、技術を教えるだけの教育装置と化した私は、もう、大手を振って奴らの首を刎ねる事も叶わないのか? 正直に云って、レンフェルクも黒旗も、私にとっては等しく害虫そのものだ。本当は、憎くて仕方が無い」

 かと云って、何も知らぬまま“やれ仇討ちだ、首を狩るぞ”と戦闘とすら形容出来ぬ血みどろの闘争に明け暮れては、真実など見えては来ないだろう。あの老紳士ゲルハルトは、本当に騙されていたのか。それとも、真実を知った上で敢えて、皆の知る所の303を語り続けているのか。

「夜襲にあたって、貴女は何かを待つ筈です。さて、何を待ちますか?」

「夜を待つな」

「それと同じです。太陽が出ている間は、夜襲は成り立たない。時が来るのを待って、それから首を刎ねてやればいい。具体的な方法は私が教える迄も無いでしょう。さて、私は帰ります。これ以上は傷に障るでしょうから」

「是非ともそうしてくれ。寝る。明日、ゲルハルト・シュレーゲル少将と面会したい。伝えておいてはくれないか?」

「解りました」

 バルドルはその一言だけ残し、立ち去った。思えば彼のあらゆる言葉はシャルティの心の奥底を掻き乱し、疑心の粒をバラ撒いていた。哀しいが、相容れないらしい。

「……待っているだけで機会が訪れるなら、とっくにそうしているさ――日陰者。一度でも見知らぬ誰かの目に留まり、長話をしたいと云われた事が有っただろうか? 私は無いんだよ……そんな事」

 ひたすらに陰鬱な気分は、人知れず毒突いても晴れなかった。バルドルはシャルティに同じく、多くの人々にとってはあまり関心の向かない、単なる親衛隊所属MAIDの一人でしかなく、また本心をあまり表に吐露する事をしない。故に、境遇や性格の似ている彼では相談の相手にはならないのだ。何せ、共通点の多さ故に視点が近すぎる。やはり、一番付き合いの長いゲルハルトでなければ、務まらないだろう。
 明日にでも、どうなっているのかを確かめねばなるまい。シャルティは枕に頭を埋めながら、先程までの会話の中で生まれた疑念を一つ一つ整理した。


最終更新:2011年12月28日 07:17
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