Behind 7-3 : Eternal Sore

(投稿者:怨是)


 1945年9月2日。テオドリクスの暗澹たる胸中に反して、天候はと云えば、憎悪を禁じ得ぬ程に晴れ晴れとしていた。今や仇敵とも呼べるヨハネス・フォン・ハーネルシュタイン名誉上級大将、そしてその傀儡たるMAIDアドレーゼの生誕記念日を、これでもかと云わんばかりに祝福している陽光は、テオドリクスの鎧をじりじりと容赦なく熱し続けていた。

「……空よ、曇れ。汝等の主たる太陽に、これから起きるであろう惨劇を見せるのを望まぬならば」

 呪いの言葉はしかし、虚しく兜の中に反響しただけだった。街頭のスピーカーから流れる華やかな行進曲が、更にそれを打ち消していた。ラジオの放送、司会者から述べられる祝辞……いつもなら排気ガスと汗が混じり合った灰色の臭気が闊歩するこの街道は、今日だけは道沿いに立ち並ぶ建物から一様に、旨そうな料理の香りが漂ってくる。五感を侵蝕する呪わしき祭りは、テオドリクスがこの場に身を潜めて――正確には、警備という名目で立っていた――から数時間を経て尚、収束する気配を見せなかった。
 ジークフリートの生誕記念パレードから、彼らは何を学んだというのか。手法の変更点は、主に警備の行き届いた帝都ニーベルンゲ第12会館で行なわれる事くらいだ。栄華を極める帝都の礎は、姿を見せる事すら許されない。礎となった者らがグレートウォールで、或いはザハーラで、砂塵や土煙として碌に記憶されぬまま風化を待つなど。
 ――軍神は、果たして望んだか?
 答えは否。断じて否。度し難き絢爛豪華な浪費家連中は、己の背負った業を棚に上げて笑うばかりだ。そんな事が許されて良い筈があるまい。

『テオドリクス。このザハーラは、いい場所だ。砂の中で、俺達はまた生きる事が出来る』

 脳裏でオーロックス――というのがかつての名だった友人は、今はアピスと名乗っている――の声が、そっと呟いた。テオドリクスはその追憶を、かぶりを振って追い払った。

「オーロックス……お前は殺されたのだ。お前の姿、存在を、この社会に……」

 亡霊となってこの世に再び現れたからには、未練を断ち切るべく、死に追い遣った奴に鉄槌を下さねば。オーロックスが望むか否かに拘わらず、そうする事が最善であるとテオドリクスは確信していた。オーロックスとて、裏切りを知って慟哭しなかった事など無かっただろう。いつしか彼の憎悪は消え去り、霧散したとしても、彼から抜け出た怨恨を、誰が晴らしてやるというのか。テオドリクスは、あの日から生き存えた者らの一人だ。それでいて、帝国の闇を知る者でもあった。ならば、屈辱を晴らす者としてはこの上ない資質を持っていると、誰が疑うものか。
 鼓動が暴れ狂い、呼吸が熱を帯びる。そうだ。このテオドリクス自身が遣らねば、今他に誰も、手を下せる者は居ないのだ。さもなくば、オーロックスやプロミナの様な犠牲者はこれからも増え続ける。一刻の猶予も存在しない。

「赦せ、オーロックス。俺は決着を付けねばならぬ。最早この両腕を赤く染める事に、一切の躊躇いは無い」

 エンジンの音が近付いてくる。決戦の時は間もなく訪れるのだ。路地裏で聞き耳を立て、斧を構える。力を一点に絞りきり、呼吸を置かずに一気に振り下ろした。ボンネットにめり込んだ刃から煙が、正確には刃を受け止めたボンネットの中にあるエンジンが破損し、そこから煙が立ち上った。車の息の根を止めたテオドリクスは、そのまま獲物が車中より現れるのを待った。

 ――まずは近衛が一匹か。
 赤を基調に黒と白を織り交ぜた色彩の、身体に密着した戦闘服が目を引く。MAIDだ。両手には双剣が握られていた。誰なのかはすぐに解った。アドレーゼだ。主人の危機をいち早く察し、不安要素を排除しに掛かるとは、良く出来た傀儡であるとテオドリクスは感心した。

「――何事であるか!」

 本命は直ぐに現れた。忌むべき仇敵、ヨハネス・フォン・ハーネルシュタイン名誉上級大将は、この斧の届く所に居るのだ。さぁ、失せろ。テオドリクスは斧を振り下ろす。
 が、それは届かなかった。両腕に響く硬い感触は、アドレーゼの交差させた双剣だった。視界が晴れ、ハーネルシュタインの驚愕に満ちた表情を垣間見た。

「何と、お前は!」

 驚くのも無理は無かろう。つい数日前は共に黒旗のMAIDを討伐すべく黙々と戦っていた駒が、突如として牙を剥いたとあれば。だが、それだけの事をハーネルシュタインはしてしまったのだ。全身の細胞が吠え、テオドリクスは己の肺に溜めた空気を、熱気を伴って発した。

「おのれ、逆臣め!」

 テオドリクスの喉から発せられた咆哮が、大気を揺らした。しかし、ハーネルシュタインは此方の恫喝にはぴくりとも恐怖しなかった。あの忌々しい老人は、拳銃を構え、こちらに発砲するだけの胆力を持っていたのだ。顔の直ぐそばで鋼と鉛のぶつかり合う鋭い音が、テオドリクスの鼓膜を刺す。

「テオドリクス……血迷ったか!」

「俺は武の他に道を知らぬ。ハーネルシュタイン! 貴様が奸計を企てていると知った以上、今ここで両断してくれる! 覚悟!」

 動きを止めようと迫ってきたアドレーゼを押し飛ばし、テオドリクスはハーネルシュタインへ向けて斧を振り上げた。寸での所でアドレーゼが剣を当て、その軌道を逸らす。斧は勢い良く石畳にめり込み、砕け散った破片がそこかしこへと転がった。
 稼働年数僅か一年にしては良い動きを見せるが、この戦い方はよく知っている。自身より質量の勝る相手の攻撃を咄嗟に回避するべく、横からの衝撃を与えるという方法は、かつてブリュンヒルデが見せたものと瓜二つだ。アドレーゼは只でさえ陶磁の如き白い顔をより一層青ざめさせながら、こちらを睨んでいた。

「何故にご乱心あそばれますか!」

「今申した通りだ! 退け、アドレーゼ! そやつは帝国に巣喰う寄生虫だ! 人心を弄び、私腹を肥やす豚だ!」

「なりません! 主人は、ハーネルシュタイン様は潔白にございます!」

「ならば、そやつの走狗たる貴様ごと潰すまでよ!」

 潔白な筈があるか。数多の悪行を耳にし、そしてその確固たる証拠を手に掴んだ以上、指を銜えて見て良いという道理があるか。この忠犬が邪魔だ。立ち塞がるアドレーゼと、その後方に控える護衛達に守られたハーネルシュタインは、そのまま斧の届かぬ距離へと離れていった。亡霊を叩き潰す術がまた一つ、失われる。焦心が己の魂を焦がすのを余所に、状況は刻々と悪化している。
 軍神の子――アースラウグがヴィーザルを車から取り出し、テオドリクスへと向けた。

「テオドリクスさん、それが貴方の答えだと云うのならば……!」

「……アースラウグ」

「アースラウグ様、ここはわたくしにお任せを。アースラウグ様は他に敵が居ないか、ハーネルシュタイン様の近くで警戒して下さいませ」

 アドレーゼめ、随分と舐めた事を抜かしてくれる。たった一人で立ち向かえる程、経験の差というものは甘くは無い。現場に立ち塞がる敵は今、このテオドリクスただ一人に他ならぬ。それを思えば彼らの狼狽は実に滑稽だった。実力に於いて勝るブリュンヒルデが現存していたら、或いはこの謀反も危うかっただろう。だが、彼女が居たならばそもそも斯様な喜劇など起こりようもあるまい。怨むべくは彼女を見殺しにした、我々全員だ。
 ――アドレーゼ、アースラウグ。こうして俺に刃向かう貴様等もまた、そんな馬鹿げた喜劇の被害者であり、同時に加害者でもあるのだ。

「ここからはわたくしがお相手致しましょう」

「なるほど、盲目に忠義を尽くすといった目をしている。飼い主の清濁を無視した、忠犬の目だ」

「そう云う貴方は、仮面で何もかもを隠し、諦めている様に見えますわ。余りにも、孤独な武ではありませんか」

 アドレーゼの鋼線(ワイヤー)付きの双剣が、行く手を阻む。
 ……あの時もそうだった。数年前のあの時も、ブリュンヒルデは教え子に授けた自らの教えを、自身で忠実に体現していた。攻撃を防ぐ、或いは避けるそぶりを見せながら、僅かな隙を狙って着実に反撃を打ち込んでくる。だが悲しいかな、アドレーゼの一撃からは何ら重みを感じない。鎧を打つ刃の音はひたすらに空虚だ。彼女の余りに空虚な盲信が、戦闘をただの作業にしてしまっている。

「ほざくな。たかが一年の生で、他者の感情を語れるものか」

 この仮面の意味も知らない癖に、よくも語ってくれるものだ。テオドリクスという男を包み込むこの鎧と仮面は、涙を隠し、己の誓いを守る為。兜に付けた角は、亡き友――正確には、死んだと思っていた友――に代わり、この帝国を守る為。それを知らずに、諦めたなどと。こんな者らの住まう国の為に捧げた命では無かった筈だ。何処で迷い込んでしまったというのか、この帝国に住まう全ての者らは。

「ずっと戦場に閉じ籠もっていた貴方とは違いますもの。(まつりごと)の世界にも、市民の世界にも、わたくしは接してきた。感情の機微を読み取る力は、充分に養ってきたつもりですわ」

 あくまでそれはレンフェルクという鳥篭の中で、都合の良い色眼鏡を掛けた上での話だ。
 振り下ろす斧は相変わらず空を切り、決定打に至る事は無かった。対するアドレーゼの攻撃は、ちくちくと鎧を削っている。

「ならば尚更、気に入らぬ。何故に貴様は、此処に至る迄の種々の悲劇を無視してきた! 放火事件の真相を、知らぬとは云わさんぞ!」

「真相ならば心得ておりますわ。黒旗がプロミナと手を結び、敵対者の、或いはその家族の家を焼いている。公安部隊の厳正な調査の結果でも、それは既に明らかにされています」

「そうだとすれば何故、黒旗の提携企業の者の家まで焼く! 説明は出来るか!」

「提携するに際して都合が悪くなったからに他なりません! 如何でしょう。それに、貴方の謀反も黒旗の手引きによるものではないのですか!」

「知らんな……」

 アドレーゼはそこから反論の言葉を出して来ない。両者の距離が離れ、戦場は硬直する。攻防はぴたりと止んだが、彼女が反撃に転じる隙を覗っているのをテオドリクスは見逃さなかった。

「認めて頂けましたか。真実は変えられません。まして、貴方一人の身勝手な暴力で、歪められる訳には行かないのです!」

「頭目を潰されれば、然様な事も云って居られまい!」

 再び戦場を加熱すべく疾走するテオドリクスに、アドレーゼがよじ登って来る。そのままテオドリクスの兜に、がっしりとしがみついた。

「行かせてなりますか!」

「ぬるいわ!」

 テオドリクスはアドレーゼの足を掴み、地面に叩き付けた。

「うぐ……ッ!」

 追撃の斧を下す。アドレーゼは寸での所でそれを回避し、斧を両手で押さえる。地面に斧がめり込んだ。

「こ、の……ッ!」

「俺の力は、腐敗の助長の為ではない。軍神の遺志を継ぐ為にある! 貴様の空虚な忠誠心などで、この俺を打ち破る事は出来ぬ!」

「空虚! 貴方の武こそ、信念を見失った空虚な物ではありませんか! 軍神の御遺志は、アースラウグ様に引き継がれました! 都合良くねじ曲げた過去に縋り付く貴方こそ、空虚そのものです!」

「貴様にその過去の何が解る! 提示された内容を呑み込んだだけの貴様に、何が解るのか! 貴様に知識として注ぎ込まれた“歴史”こそ、奸臣どもが都合良くねじ曲げた情報の羅列に他ならぬわ!」

 一瞬ではあったが、アドレーゼ、アースラウグ両名の眉間に皺が寄った。なるほど。教え込まれた事を否定されれば、面白くは無かろう。案の定、アドレーゼは口答えをした。

「多くの方々に語り継がれている以上、それは真実でしょうに!」

 アドレーゼはテオドリクスが次の一撃を用意するより早く斧の柄を駆け上り、自身の踵に取り付けた刃でテオドリクスの兜を蹴って来た。アドレーゼの渾身の蹴りは兜に凹みを作る事すらままならない。頭蓋に響いた衝撃はごく僅かで、何の足止めにもなりはしない。

「本質を見失うな! 語り手は都合の良い部分だけを語る! 何故それが理解出来ん!」

 テオドリクスは封じられた斧の代わりに、拳を握った。アドレーゼは剣を交差させて防ごうとしたが、全体重を乗せたテオドリクスの拳はその防御を容易く打ち破った。

「く、防ぎきれな――」

 紙切れの如く吹き飛んだアドレーゼは地面を転げ、仰向けに倒れた。そこにテオドリクスは迫り、斧を構える。

「仕舞いだ。血税を以て、己が蒙昧を恥じるがいい」

 横薙ぎに振り払おうとした斧はしかし、

「させません!」

 アースラウグに防がれていた。恐るべき瞬発力は、彼女の決意が決して生半可なものではない事を充分に物語っていた。

「アースラウグ様……!」

「アドレーゼさんは私の大切な仲間です。こんな戦いで、喪いたくありません」

「アースラウグ。お前とは戦いたくない。退け」

「退いてなるものですか。私は軍神を継ぐ者として、貴方を止めて見せます。母様ならそうした筈です!」

 火花を飛び散らせ、斧をヴィーザルから突き放す。周囲の空気がざわめいた。無垢は時として恥を生み出す。アースラウグの双眸に宿った光は正に、猜疑を知らぬ幼子にも似ていた。その様子がたまらなく滑稽で、思わず笑いが零れる。

「なるほど。聞き分けの無い所はブリュンヒルデに似たな……果たしてアドレーゼとハーネルシュタインの両名を守りきれるか? 守護女神の教えを受けたお前は」

「守り通しましょう。もう訳も解らず頭を抱えて立ち止まるのは、やめにしたんです!」

「面白い、やってみせろ!」

 直線的な動きだ。ひたすらに真っ直ぐ突進し、胸元へとヴィーザルを突き刺そうとする。そんな戦い方では、Gには太刀打ち出来ても、MAID達には敵う筈が無い。それ見た事か。ひとたび切っ先を握れば、アースラウグが如何に奮闘しようとも、びくともしなかった。

「勇ましい踏み込みは、確かに軍神の系譜を感じさせる。が、惜しいな。経験の壁か……太刀筋が鈍い」

「それでも、魂は受け継いでいます! 母様と貴方が戦場を共にした時、この槍も母様と共にあった!」

「……だがお前は、その光景を見ては居るまい」

 溜め息に諦観を滲ませ、テオドリクスはアースラウグに憐憫を抱いた。槍を手放すと、アースラウグは後ろにつんのめった。

「お前は、二代目だ。幾ら名を背負おうと、武器を継ごうとも、お前の両目は軍神ブリュンヒルデのそれと同じ物では無い。母子という絆が無ければ、お前は軍神にすら成り得なかった、赤の他人に過ぎん」

「逆に云えば、母様との絆こそが私を軍神にしてくれたのではありませんか。私はそれを誇りに思っています」

「誇りと矜持は結構だが、それに見合う力をお前は持ち合わせているのか?」

 確信めいた歩調で歩み寄ってくるアースラウグの、その返答をテオドリクスは試した。己の非力を自覚しても尚、戦おうというのなら、せめて如何程の自覚があるのかを語らせてやらねばなるまい。覚悟無き蛮勇に付き合う程、テオドリクスは暇ではない。あくまでこの戦場に於ける敵はハーネルシュタイン、ただ一人なのだ。邪魔立てする資格が、この小さな軍神にあるのか。

「絆が、魂が、母様と姉様の想いが、私に力をくれる……! それがあれば、どんなに強い相手でも、私は立ち向かえる!」

 ……笑止。テオドリクスの期待とは裏腹に、小娘の戯れ言は夢物語に彩られた空虚なものだった。失望を禁じ得ない。

「そんなもので勝敗を決せるのならば、Gなど元よりこの地上から一掃されておるわ!」

 もはや付き合いきれぬ。斧を振り下ろす。横に避けたアースラウグが懐へと潜り込んでくる。テオドリクスは再度、斧を振り上げた。何か脚に衝撃を感じたが、些末な問題だ。テオドリクスは石畳に斧を叩き付け、棒高跳びの要領で跳躍する。

「あ――ッ!」

 意味を為さない悲鳴をアースラウグが洩らす頃には、テオドリクスは着地していた。アースラウグの背を踏み抜き、彼女の内蔵を粉砕せしめる程の衝撃を与えて。鮮血が石畳を赤く彩る。

「ぶ、ぐえぇ、げッ……」

 彼女が吐き出す度に、弱々しい振動が足下から伝わってきた。アドレーゼもアースラウグも、既に足止めという役を為すには至らない。後は逆臣ハーネルシュタインの首を無残にも撥ね飛ばしてやるだけだ。

「所詮はこの程度だ。軍神を名乗る者よ、そこで見ていろ」

「う……待ちなさい!」

「まだ立ち上がる気力はあるか。だが、俺を止められるまでは行かぬだろう」

 勝利を確信したテオドリクスは斧を片手に、標的たるハーネルシュタインの元へ緩慢に歩みを進める。彼を妨げる者は誰一人として存在し得ない。必死の形相で兵士達が弾幕を張るも、それらの悉くを頑丈な鎧は弾き返した。哀れなり。効かぬと知っても尚、撃ち続けるとは。
 しかし、その歩みを止める者が現れてしまった。両足をこの場に縫い付けてしまう程の衝撃が、テオドリクスの心を釘付けにした。幼い体つきに緋色の双眸、橙色の燃える様な髪、見間違う筈も無い。プロミナだ。誰が彼女の登場を予想しただろうか。

「そこに居るのはプロミナか」

 テオドリクスの呟きに、アースラウグがぎょっとして振り向いた。そうよな、アースラウグ。貴様が断罪し、慈悲と称して地下牢に軟禁している事になっている筈のプロミナが、何故此処に現れたか、貴様自身が一番理解に苦しむだろう。

「プロミナ、どうしてここに? それに、ゼクスフォルト上等兵まで!」

「卑しい身分の連中なんて関係ないだろ? お姫様」

 暗く低い、狂気を孕んだ笑い声が路地裏から響く。アシュレイ・ゼクスフォルト上等兵の声だ。プロミナが此処へ来た理由は、彼が手引きしたものだと直ぐに理解出来た。アシュレイが斯くも上等な形でお膳立てしてくれた事に、テオドリクスは幾らかばかりの感謝の念を抱いた。
 彼らがそれ以上動かないのを見て、テオドリクスはプロミナへと手を差し出し、語り掛ける。

「お前も辛かろう。連中に利用され、架空の罪を背負わされ続ける必要はもう無い……俺と共に来い」

 アドレーゼが、テオドリクスとプロミナの間に立つ。

「……ッ! プロミナ、騙されてはなりません! わたくし達は貴女の罪を憎んでこそいますが、貴女を守りたいと思っています! わたくし達が必ず、貴女を正しき場所、然るべき役割へと導いて見せます! だから、彼の言葉に耳を貸しては――あぐッ!」

 戯言を口走ったアドレーゼの腹部に、テオドリクスは拳をめり込ませる。

「貴様は黙っていろ! さぁ、プロミナ。お前はこの瞬間の闇を、皇帝派の裏側を知っている筈だ。力を示し、見せ掛けの正義を打ち破れ! さすれば道は、お前を選ぶ!」

「彼女をこれ以上の謀反に(いざな)うおつもりですか! ……プロミナ、この男を、早く!」

「……貴様、ただ殺すだけでは足りんのか。謀反に誘うたは、貴様らであろうに」

 決めた。この愚かな従者は、徹底的に痛め付けてから殺す。手も足も出させず、骨の軋む音を耳にしながら死ぬが良い。テオドリクスは身を低く屈め、アドレーゼの足首を掴み、何度も壁に叩き付けた。彼女の身体が壁に当たる度に、彼女は短く小さい呻き声を上げた。煉瓦造りの建物が、彼女と共にヒビを広げ、乾いた音を立てる。こぼれ落ちる煉瓦の欠片は、正しく眼前で麻袋の如く振り回される彼女の、命の燃え滓だ。
 さぁ、苦しめ。テオドリクスは兜の奥でほくそ笑んだ。
 アースラウグに視線を遣ると、あの小娘は未だ消えぬ闘志を両腕に込め、ヴィーザルを握り締めていた。

「やめなさい! テオドリクス!」

「事実を知ったる者こそが、勝者となり得る。軍神のなり損ないであるお前に、俺を止める術は無い」

 奴が近付いてきたら、アドレーゼと仲良く吹き飛んで貰おう。アースラウグの小さな身体なら、さぞや綺麗に飛ばされてくれるに違いない。が、暫し待てども彼女は来なかった。それどころか……

「プロミナ、火を」

「無理です! 味方だったのに、何故こんな事に……!」

 彼女自身が陥れた筈のプロミナを、利用しようとしている!

「ここで躊躇えば、それこそ多くの仲間達の命が危ぶまれます! 彼はきっと利用されている! その呪縛から解き放てるのは、貴女しか居ません!」

「そうだ、プロミナ。同士討ちの苦しみは一過性のものに過ぎないぜ。自分がどれだけ熱くなってるかを知れば、あいつの頭も少しは冷えるんじゃないか?」

「教官、アースラウグ……私は……!」

 ――プロミナ、アシュレイ! 貴様等は、皇帝派にこそ牙を剥かねばならぬ!
 プロミナは俯いて目を閉じる。何を考えている。皇帝派に利用され、黒旗の尖兵を騙らされ、己の能力を陰惨な目的に使われた屈辱は、今こそ晴らさねばならない筈だ。

「プロミナ、火を!」

 意を決したプロミナは閉じていた両目を見開き、テオドリクスを見据えた。

「……テオドリクスさん、許して下さい!」

 その一言に、テオドリクスは何もかもを諦めた。瞬く間にプロミナはテオドリクスに辿り着き、火炎瓶を背中に叩き付けていた。全身を炎が包み込み、テオドリクスは苦悶の声を上げる。

「くそ、不覚! 熱い……!」

 堪らず、テオドリクスはアドレーゼを手放した。アドレーゼが地を転げて延焼を防ぎ、そのまま仰向けに寝転がったのが炎と煙に歪んだ視界の中で、辛うじて垣間見えた。が、そこから先は思考が空転するばかりで、目も耳も鼻も、そして手足すらも、碌に機能してくれない。鎧が熱を蓄積させ、融解した金属が肌に垂れた。毛穴が焼けて塞がり、汗が蒸発して湯気となり、皮膚が焦げて硬直する感触がする。
 このままでは死んでしまう。ハーネルシュタインにはまだ、一太刀も浴びせては居なかった。何と無様な。アドレーゼなど、ある程度痛め付けて放っておけば良かったし、アースラウグやプロミナにも気を取られすぎた。彼女らとの対話は早々に切り上げ、さっさとハーネルシュタインの下へ向かえば良かったのだ。無数の後悔が押し寄せてくる。が、どれも己の慢心が招いた結果だという事を、テオドリクスは理解していた。

「斯くなる上は……!」

 火達磨になったテオドリクスを誰も撃とうとして来なかったのは、不幸中の幸いだった。近くに水路がある事を咄嗟に思い出し、テオドリクスは記憶を頼りに身を投げた。水柱の上がる音が鎧を打つ。急激に周囲の水が沸騰し、それから湯気へと変わる。
 水路は深かった。テオドリクスは長身故に、辛うじて頭だけを水面から出せた。数秒前に飛び越えたばかりの柵の方角からは、会話が聞こえる。

「爺様、テオドリクスの処遇は如何致しましょう」

「逆賊とはいえ、歴戦を戦い抜いております。やはり斬り殺すよりも、二代目軍神たる貴女の御威光を以て説得するが、器の大きさも示せる良策であるかと」

「解りました」

 テオドリクスは静かに見上げた。アースラウグは、あれ程の傷にも拘わらず、しっかりとした歩調で柵へと歩み寄ってくる。それから、ヴィーザルを高らかに掲げ、川岸に這い上がったテオドリクスを見下ろした。

「逆賊テオドリクスに告ぎます! 兜を脱ぎ、投降しなさい! さすれば、貴方の罪は軍神の名の下に赦されましょう!」

 テオドリクスは一言も口にせず、兜に手を掛ける。兜はヒビ割れ、兜の左右に付けた角もろとも急激な温度変化で崩れた。

「ブリュン、ヒルデ……」

 涙が止まらない。己の大義たるハーネルシュタイン討伐を終ぞ成し遂げられぬまま、この戦いは幕を閉じた。これ以上、斧を振り回す余力は無い。間もなくテオドリクスは捕らえられ、枷を付けられ、虜囚の身となるのだろう。そうなれば、二度と旧友を亡き者にしたハーネルシュタインを断罪できなくなる。そして、プロミナが走狗となり続ける事も、アースラウグの歪んだ正義を正してやる事も。

「……俺は、()けたよ」

 ブリュンヒルデの泣き顔が脳裏を過ぎる。彼女は思い出の中であっても、何も答えてはくれなかった。


最終更新:2013年02月16日 15:44
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