Behind 0-3 : 視線 Betrayal

(投稿者:怨是)


 Marz 3 / 1938

 云わぬ事では無い。
 303作戦に無理があった事は明白であった。MAIDのみでの殲滅作戦など。
 あれらが如何に個体単位で優れていたとて、圧倒的物量の前に敗北するのは、目に見えて明らかであった。

 陛下は如何なる口車に乗せられ、斯様な愚行に走ったのか。
 それを知る術は私には無いが、只一つ云える事が有る。
 これでまた一つ、他国からの物笑いの種が増えるという事だ。



 1938年3月5日、国防陸軍参謀本部電信室にて。
 モニカは受け取った電信を破り捨てそうになり、片腕を押さえてそれを防いだ。その後も怒りは収まらず、幾度となく周りの機材を蹴り倒したい衝動に駆られ、深呼吸をして損害の軽減に努めた。しかし部屋を出た時に、ついに限界を超えてしまった。気が付けば、両手の拳が窓ガラスを突き破り、ガラス片と鮮血に塗れていた。音に驚いた通信兵に取り押さえられてからの記憶が曖昧で、漸く我に返ったのは医務室で包帯を巻かれていた時だった。
 目の前では、軍医が文字通り腫れ物に触れるかの如く様相でモニカの両腕を治療していた。消毒液が傷口に痺れる様な痛みを断続的に与えてくるが、モニカはそれすらも上の空だった。軍医からすれば、まだ茫然自失に陥っている様に見えたのだろう。おずおずと此方を覗き込んでくる。

「モニカ嬢、どうかお気を確かに」

「どうして……落ち着けると、お思いになられるのですか」

 モニカは掠れた声で、どうにか反論を絞り出した。どうやら此処に連れて来られるまでしきりに何かを叫んでいたらしく、喉が少しだけ痛む。

「まだ二体だけ、二体やられただけです。作り直しはまだ利くではありませんか」

「二体で、全部でした。あの労力を、理解して頂けないのですね……」

「あぁ、いや、そうではなくてですね」

 口答えをした軍医はしかし、言葉が途切れてしまっていた。モニカを納得させる為の的確な語彙を、探し倦ねているといった風だ。ならばと、モニカは口を開く。

「先生は、お子さんは?」

「居ります」

「そうですか……では、その内の二人が死んだら“二人だけ死んだ、また二人生まれればいい”などと思いますか?」

 モニカは内心、自分云っておきながら驚いた。既に人に在らざるMAIDに我が子と例えるだけの愛着を持っていたとは、片時も意識した事が無かった為だ。あれらMAIDは国民を守る為なら嬉々として命を投げ出すべきだし、同時に犬死にだけは絶対にすべきでない。自分と同じ境遇の人をこれ以上増やしたくないという目的の為にも、MAIDに対してモニカは非情に徹してきたつもりだ。それがいざ、失われた事を知った今はどうか。深い悲しみに思考を奪われ、発言の一つ一つに正確な判断が出来ない程に激怒している。

「いえ、失礼しました。そうですよね、MAIDですからね……人とは、違う……」

 たどたどしく繋げながら、モニカは首を振った。違う。怒りの理由はそうではない。混成運用を頑なに拒み続けてMAIDだけの討伐部隊を編成し、それに頼り切ったせいであれらが全滅した事に、モニカは憎悪を抱いていたのだ。これで整理できた。

「私が怒り狂っている理由は、私の望まぬ運用方法の結果、あれらが無駄死にした事です」

 先の発言で与えた印象を払拭できる程の説得力が有るとは思えないが、それでも伝えておきたい。モニカはまだ痛む両手に渇を入れて軍医の両肩を掴んだ。

「名誉ある戦死なら、私は此処までの怒りを抱かなかった。それだけは、ご理解頂きたく存じます。宜しいですね、先生」

 それまで目を見開いて固まっていた軍医は、緩慢に頷いた。
 手当てを終えて自室へと連れ戻されたモニカは懐中時計を眺めながら、回想に耽った。かなりの量を出血した為に貧血に陥っているかもしれず、気分が安定する迄は暫く安静にしている様にと先程の軍医に釘を刺されたのだ。
 先ずは電信の内容を今一度、冷静に思い返してみる。303作戦の実行者はヴォルフ・フォン・シュナイダー少佐。立案者は意図的に伏せられており、証拠物件を発見次第、追って報告するというものだ。逆鱗に触れたのは、恐らく後生に於いて世紀の大失敗と云われても過言ではない筈の303作戦の音頭を取っているシュナイダーが、いつの間にか大尉から少佐へと昇進していた事だ。普通は逆だろう。責任を取らされる為に左遷されるか、降格させられるかだ。これで人的被害までをも被っていれば、戦犯扱いとして銃殺刑に処されていたかもしれない。ところが、そうはならなかった。
 ――いいえ、やめよう。彼に関する事はもう、思い出したくもない。
 モニカはそこで打ち切り、直近の出来事でもう一つ気になった事柄について考える。医務室から自室へ向かう最中、傍らに居た監視役たる兵士二人の雑談についてだ。その雑談の中で、国防陸軍はほぼ総出でグレートウォール戦線南部にて捜索活動を行なうという話を聞いた。
 生死問わずMAIDを回収できたなら、親衛隊に恩を売る事も出来るかもしれない。1938年現在に於いてMAIDの実用化はエントリヒ帝国のみに留められているが、他国でも開発が進められている。彼らにコアを先んじて回収される様な事態が万一でも有れば、漸く築いた対G戦線に於ける優位性を崩される材料を与えているのと同義であり、帝国の保有MAID数が僅か一桁の現状では危険極まりない、というのが国防陸軍参謀本部の幹部達の出した見解だった。
 だが無駄な足掻きだ。初期実験でGはコアごと喰う事が実証されていたし、向こう数年は303作戦当時の場所へは誰も辿り着けない。戦線がそこまで到達している頃には、状況はその善し悪しに関わらず変化しているだろう。

 懐中時計は30分の時間経過を告げていた。
 モニカはどうせ動けないならばと、破滅的で非生産的な空想――303で斃れたMAID達が迎えた末路について思い描いてみる事にした。そうこうしている内に、睡魔が意識を奪い取ってしまった。



5 Mar. '38

 運命はいつも陰険だ。
 303作戦の引き金を引いたのは、ヴォルフ・フォン・シュナイダー大尉らしい。
 否……少佐か。口止め料なのかは知らないが、彼はいつの間にか昇進していた。

 「この作戦で有用性が認められれば、混成配備計画も検討する」という彼の口車に乗せられ、貴重な教え子達を失ってしまった。
 303作戦は優秀なMAIDを選抜し、MAID部隊を編成した上でGの本拠地を叩くという内容だったが、私はまんまと嵌められたわけだ。
 私の教え子だったMAID達が、揃ってGの生け贄に……

 国防陸軍は参謀本部の命を受け、部隊を救出作戦の為に出撃させるという話を兵士から聞いた。
 だが、そんな事に今更何の意味があるというのか。
 悔しさのあまり、この日の食事は全く喉を通らなかった。



 Marz 12 / 1938

 何たる茶番。
 303作戦に於けるMAID部隊の壊滅は、元より計画されていた事だったと判明した。

 私の仮説のいずれにも該当せず、またそれら以上に幼稚で、利己的な意図によるものだ。
 彼奴ら喜劇作家共はブリュンヒルデとやらを生存させて対抗馬を蹴落とす事で、彼女の優位性を証明する心積もりであろう。
 既に彼女による救出作戦の筋書きも組まれているらしいが、彼女が優秀だから何だというのか。
 それが自国の同胞を陥れてでもする事か。
 遺憾である。血迷ったとしか思えぬ。

 親衛隊には悪いが、此方で少し小細工を弄する事にした。
 最早、一刻の猶予も許さぬ状況である以上、事前報告の義務など形骸に過ぎぬ。
 私は陸軍を動員し、極秘裏に救出活動を行なった。表向きは連合軍を援護するという形でだ。
 それから、ブリュンヒルデの出撃に関する情報は注意深く探った。
 彼女の動向を上手く御するには、親衛隊内部に
 “出撃の許可は出ていない、或いは受理されていない”という、偽の情報を流してやれば良かろう。
 尤もらしい口実も付随して、配下の諜報員に流布させる。
 恐らくブリュンヒルデはこの程度では怯むまい。
 だが他にも幾つかの壁を設けてやれば、足止めと時間稼ぎには充分。
 後は、陸軍がその間に少しでも事を進め、一体でもMAIDを救出すれば良い。

 僅かでも生き残ったMAIDが居る可能性が有るのであれば、
 何処に潜んでいるかも解らぬ喜劇作家共の茶番を防ぎつつ、それらを救い出さねばなるまい。
 MAIDを救えるのはMAIDだけなどという馬鹿げた方程式を、根底から覆さねば。
 取り残された生存者達には申し訳が立たぬが、元より助かる見込みが無いと目されている。
 私の事は、どうか恨まないで欲しい。

 国家が物を考えるに当たってMAIDを一つのカードとするのならば話は別であるが、
 それ一つのみに翻弄される国家など、本来在ってはならぬのだ。



 Marz 26 / 1938

 途方に暮れる娘に何らかの道標を与えてやれはしないものかと考え、以前招致したレイ・ヘンラインの(つて)を頼ってみた。
 彼の統括していたMAID部隊に売れ残りが居り、此方で買い取る事にしたのだ。
 また彼が仕事の都合でエテルネ公国に出張していたのも功を為した。遅くとも翌月上旬には届けてくれるそうだ。
 名をカトリーナと云う。素体は楼蘭人らしく、刀を使う。用心棒というのも悪くは無かろう。
 刀の砥石やその他の消耗品一式も、楼蘭皇国から仕入れる予定だ。
 暗雲立ち込める私の娘に、一筋の光を与えてくれると良いが……



26 Mar. '38

 私が危惧していた事態が現実のものとなりつつある。
 結果として私のMAID達の有用性は認められなかったし、
 国防陸軍総出で行なわれる筈だった救出作戦もブリュンヒルデが単身にて行なっている。
 彼女が軍の反対を振り切って救出活動に乗り出したと新聞やラジオは報じていた。
 馬鹿馬鹿しい。助けるつもりなど元より無い癖に。
 そんな見え透いた茶番で国民を騙せるというのなら、愚鈍な政治屋共は頭に詰まった油の掃除でもしたらいい。

 連中の愚行はこれだけに留まらなかった。
 あろう事か、私の研究室に難癖を付け、研究資料を明け渡せなどとのたまっている。

 技師達の間では我が国のMAIDの実戦データが失われた事で、暫くMAID開発が難航するといった話がまことしやかに囁かれている。
 しかしながら、それは有り得ないのだ。残された何体かのMAIDが貴重な語り手として、彼ら技術者に貢献する。
 それでも私の所属する研究室を狙うのは、研究資料の独占によってその権威を絶対化させるという暴力的な目的に基づいている事に他ならない。

 どいつもこいつも私を目の敵にして!
 さっさと地獄に堕ちてしまえ!



 1938年4月11日、国防陸軍参謀本部地下研究室にて。
 モニカは近頃の親衛隊による資料の催促への対応に追われていた。ニコラウスも工作活動を行なう関係上、此処へは隔週で顔を出すに留めていた。MAIDの研究が途絶えてしまった今、他の技術者も元の役職へと戻り、それぞれの部署――医師、大学の教授、会計士、物理学者など――で仕事をしている。

「主任、この前の件はありがとうございました……上手く行ったみたいです」

「いやいや。いいんですよ。馬鹿共には丁度いい目くらましだ」

 先日、ニコラウスの案で“先任の技師が事故で死ん為に暗号化された研究資料を解読できなかった”という事にして、難解な暗号の塊を親衛隊技術部に送り付けてやったのだ。あれの解読には暫く時間が掛かる。そしてよしんばそれを漸く解読できたとしても、そこに記された内容は取るに足らない雑多な失敗談の羅列しか無い。対抗者潰しが成就できると息巻いていただろう彼らは、さぞや憤慨するに違いない。

「これで当分は暗号解読に時間を取られるので、時間が稼げますよ」

「果たして、上手く行くものでしょうか」

「要するに、我々が無能だと思わせておけばいいんです。後は万一に備え、資料の複製と安全な場所への移動も順調に進めています」

「……有能ですこと」

「ふはは! 光栄でござい!」

 ニコラウスは大声で笑い、大袈裟な所作で(ひざまず)いて見せた。全く、これで中々に油断ならない男だ。彼はそこから直ぐさま立ち上がり、誰も居ない部屋であるにもかかわらず声を潜めた。その表情は、いつになく神妙だった。

「……そういえば、室長。誠に勝手ながら、室長のお父上からほんのちょっとばかし、お話を伺いましてね」

「勝手だなんて、そんな。主任のお父様は父のご友人でしたもの。それで?」

 ニコラウスはモニカの耳元に顔を寄せ、囁く。

「例のあれ。“303”ですよ」

「――!」

「陸軍の皆様方が熱心に情報を集めた結果、どうにも(きな)臭い話が親衛隊連中のほうで交わされてましてね。ブリュンヒルデの救出活動で、利益を得ている連中が居るんだとか」

 自室に籠もってラジオを聴いていた時は失敗したものとばかり思っていたが、どうやら父グスタフはしっかりと仕事をさせていたらしい。モニカは改めて、己の周囲に居る人間がそれほど無能ではないと実感した。

「他にも、303当日までにも不可解な金の動きがあるんだとか。で、その摘発は出来てない。いや、寧ろさせて貰えない(・・・・・・・)らしいんですよ」

「作戦もろとも隠蔽するつもりと」

「連中の身内がその体たらくですから、我々が嗅ぎ回れば、恐らくはもっとどえらい目に遭うかもしれません。室長、どうします……?」

 そこまで云い終えて、ニコラウスは耳打ちを終えた。

「今は、やめましょう。只でさえ、今は立て込んでいますからね」

「然様ですねぇ。そっちは陸軍さんや此処の先生方に任せて、我々は資料の催促に対応しないと」

 ニコラウスはいつもの巫山戯た態度に戻り、それから資料の片付けに戻った。この前は資料を親衛隊本部営舎に赴いて提出するだけだったが、今後はがさ入れが入らないとも限らない。寧ろ今までが幸運で、今からでは遅すぎるくらいだった。故に、鍵の掛け忘れは時として致命的な損失を被る事態に陥る。

「あっ――」

 無遠慮に開け放たれたドアに、モニカは反応が遅れてしまった。慌てて拳銃を構える。ニコラウスも資料を手放し、自分の机の引き出しから拳銃を取り出していた。女の咳払いする声が、研究室の入り口から聞こえてくる。ややあって、金髪を靡かせた女性が入り込んできた。

「へーい、たのもーう! お目通り願いたい!」

 ――随分なご挨拶だこと。
 染めた様にまだらな金髪、顔面に大きな十字型の傷痕、黒の外套、両手両足の枷、腰に付けているのは細長いサーベルと、瓢箪型で陶器製の手榴弾らしき物。所属は不明だが、十中八九MAIDで間違いない。親衛隊が送り込んできたのなら、この研究室も、それどころか参謀本部そのものが終わりだ。モニカは脂汗が首筋を伝うのをそのままに、生唾を呑み込んだ。
 突如として黒いMAIDは後頭部を掻きながら、はにかんだ様な笑みを浮かべた。

「ええっと、アンタが、グスタフの旦那が云ってたモニカさん?」

 父親の名を出され、モニカは判断に迷った。グスタフから此処を聞き出した可能性もある。その場合、いよいよを以て敗色濃厚だ。頭目を失った組織に統率など有り得ず、即ち友軍からの助けは絶望的だ。それでも悪足掻きは辞めない。モニカは拳銃の照準をMAIDの右目に合わせながら、MAIDの質問に答える。

「……そうだけど」

「えっと、それ」

 MAIDはモニカ達の銃を、左右それぞれの手で指差してきた。

「グスタフの旦那からアンタの護衛を仰せつかったんだ。熱烈な歓迎をして貰った手前、悪いんだけど……」

「信用出来ないわ。確かにMAIDを仕入れたって件は聞いていたけど、それを利用したスパイの可能性だって考えられる。証拠を見せなさい」

「……参ったな。確か、旦那の部屋に内線で繋がったよね?」

「どうしてそれを!」

「えぇ、いや、な、何かあったら使ってくれって云われたんだって! 試しに掛けてみなよ。旦那はご存命だ! アンタらが想像してる様な狼藉は、一切やっちゃいない! おれは無実! むーじーつ! この通り!」

 MAIDはサーベルを床に投げ捨て、両手を挙げながらしきりに喚き立てた。モニカはその様子を一瞥すると、この研究所が作られて以来一度も使用しなかった直通内線の受話器に手を掛けた。数秒間の沈黙の後、乾いた音が響く。相手が受話器を取った証拠だ。拳銃はまだ、MAIDの方へ向けている。

「ご無沙汰しております、内務大臣」

「旦那は実の親父さんだろ。何だって、そんなよそよそし――」

「――貴女は黙ってて! もしもし、内務大臣? 研究室にMAIDが来たのですが」

《モニカ。カトリーナはもう到着したか。難物だろうが、使ってやってくれ》

「はい。ご助力、感謝致します。それでは」

《……ああ》

 短い会話だったが、これで全てが解った。参謀本部は無事であり、この珍妙なMAIDは以前から聞いていたカトリーナで、これが云った言葉も嘘偽らざる真実という事だ。警戒する必要が無くなった為、拳銃は仕舞う事にした。とはいえモニカはどうしても納得行かず、思わず頭を抱えながらも直接の質問へと踏み込んだ。

「ねぇ、貴女がカトリーナ?」

「然様! 聞いて驚けお嬢さん! 人はおれをハリケーンと呼ぶ。あっ、誰もが振り向く(かぶ)き者よぅ!」

 カトリーナと仮定されるMAIDは手を広げ、大股で一歩踏み出し、首を一度回した。何の踊りかは解せない。顔立ちを見るに東洋系の人種だ。大華京国かその辺りの舞踊だろう。

「あ、そう……」

 モニカは額を押さえた。他人を偽るだけの能が無さそうな彼女の事だ。とどのつまり正真正銘、目の前に居る珍獣は本物のカトリーナだろう。そんなカトリーナは困った様に辺りを見回し、やがては首を傾げた。

「あれ?! 大体これやるとみんなもうちょい青い顔してくれるんだけど、間違ったかな……」

「どうでもいいけど貴女、酒臭いわ。シャワー浴びてきて頂戴」

「今朝、来た時に浴びたばっかりなんだけどな」

「いいから浴びて。案内は?」

 モニカに腕を掴まれ立ち上がったカトリーナは、また後頭部を掻きながら照れ笑いを始めた。

「いやぁ御免。近頃、物忘れが激しくて。ちょいと頼むわ!」

「内線の事は覚えてて、なんでそっちは忘れるのよ……主任、三十分後に戻ります」

 ニコラウスもいつの間にか拳銃を仕舞って、資料の片付けを再開していた。

「了解しました。何だか、微笑ましいですね。友達みたいで」

「誰が友達だ……変な事云わないで下さい」

「っはっは! これは失敬、どうぞごゆっくり」

「ったく、どいつもこいつも……」

 モニカはうんざりしながらも、カトリーナの袖を引き摺った。ちなみにサーベルは床に置きっぱなしにするのもどうかと思い、しっかり拾ってきた。簡易浴室に連れて行く合間、カトリーナはまるで都会へやってきた田舎者が如く、辺りをせわしなく見回していた。

「見た目より広いんだよなぁ、この建物」

「余計な物を置くお金も無いからね。父さんは倹約家だし」

 公私問わず出費を可能な限り減らそうとするのが、父グスタフの遣り方だった。いずれは備えが活きる事もあろうなどと嘯き、質素を通り越した貧相な食事ばかりを口にしてきたグライヒヴィッツ家だが、母の死後は輪を掛けてそれが際立った。その備蓄が活用された瞬間を、モニカは一度として目にしていない。

「そうなんだ。生まれたばかりの時は、仕事の都合で帝国の領事館に行く事もあったけど、絨毯じゃないもんな、こっち。えっと、LだかRだかで始まる……」

「リノリウム、かしら」

「そうそれ。えらい響くんだもん、お陰で頭がくらっくらしてきて……」

「呑み過ぎのせいでしょ」

「仕方ないじゃんよ、風呂上がりの一杯って最高だろ?」

 酒好きではないので、カトリーナの嗜好は理解に苦しんだ。よく見ると、腰にぶら下げていたのは酒のボトルらしい。事ある毎に蓋を開け、内容物を少しずつ呑んでいた。今この瞬間もだ。お陰でアルコールの発した濃厚な臭気が鼻腔にこびり付いて、咽せそうになる。

「お生憎様。酒よりコーヒーをよく飲む性質なんで。ねぇ、もうちょっと離れてくれない?」

「仲良くしよーよぅ。おれはアンタの用心棒だろ?」

 冷たくあしらったのが良くなかったのだろう。カトリーナは意固地になって抱き付いてきた。おお、神よ。勘弁してくれ。一滴も口を付けない内に、此方まで酔っ払ってしまいそうになった。モニカはカトリーナを引き剥がす。

「ちょっと、やめなさいよ。所詮、雇用主と雇われの関係でしょうに」

「……おれさ、他に居場所が無いんだ。書類上じゃ死んでるし」

 カトリーナの先程までの酔っ払った態度は形を潜め、急に俯いた。

「ちょっと前までブラックキャップって部隊に所属してたんだけど、ほら303作戦ってこっちの国で遣ってたろ? そん時おれの担当官だったアイザック・ヘンラインって奴がアレの真似事しくさって、ものの見事に同じ結果を出してやがんの。仲間は全員くたばっちまった。こっちに来る時も、アイザックと喧嘩したよ」

「心中、察するわ。仲間が居なくなるのは辛いものね……」

 憐憫の言葉とは裏腹に、モニカは背筋の冷える思いをしていた。
 303作戦の内容が他国に漏れていた。その事実はモニカの全身から体温を奪うには充分すぎた。親衛隊の連中は隠蔽した挙げ句、それに失敗して結局は恥を晒してしまっていたのだ。しかも、晒した相手はヘンライン兄弟と来た。レイ・ヘンラインの耳にも間違いなく届いているだろう。何と云う事だ。帝国は既に将来的な大損害が確定した様なものではないか。両足から力が抜けそうになったのを、モニカは踏み留まった。カトリーナに一連の所作を悟られていなければ良いのだがと胸中にて祈りながら、モニカは問うた。

「……それで、父さんは何と云って、貴女を私に寄越したの?」

「今日からアンタの用心棒をさせて貰うって契約だよ。アイザックの兄貴の、レイって奴がこっちに寄越したって訳だ」

「そう……」

 厄介払いか何かだろう。生き残って帰ってきたのがこんな奴では、早々に処分したかったに違いない。そこへMAIDを失ったモニカの話が父グスタフより報された。手持ちのMAIDがこいつを残して軒並み死んだアイザックはともかく、レイにとっては正に渡りに船だ。考えれば考える程に忌々しい。
 憂鬱な思考と酒の臭いに目を回しそうになりながらも、目的地へと到着する。

「……案内は此処までで充分よね。浴びて頂戴。20分したら迎えに来るから」

「うぇー……一緒に浴びようよ、背中流すよ? な、な、裸の付き合いってあるだろ。楼蘭だけか? アレ」

「少なくとも、この国での入浴は一人ずつです。浴槽の大きさ見たでしょ。あれに大人が二人も入ったら、倒れて大変な事になるわよ」

「ちぇっ、おれの寂しさをちっとも解ってくれねーのな……」

「……いいからさっさと浴びる。残り18分! 着替えは此処に置いておくから」

 少し同情的な態度を見せると、これだ。直ぐに付け上がる。甘えられても困るので、モニカはカトリーナを脱衣所へと蹴り入れた。意外と抵抗はされず、すんなりと入ってくれた。存分に、傷心を癒やすが良い。

「あーい……」

 これで「脱がすの手伝って」などと云われては堪らないので、モニカは早々にこの場から立ち去った。ああいった手合いなら云いかねないし、モニカに同性愛の気は無い。苛立ち冷め止まぬ(まま)、モニカはとある目的地へと歩みを進めていた。

「馬鹿。寂しいのは私だって同じよ。他人にそれを押し付けるなっての……」

 母親には先立たれ、教え子だったMAIDは犬死にし、父親とは疎遠になって久しい。母の死から今日に至る迄、寂寥感を表立って訴えた事は一度とて無い。本気で寂しいと主張する事は、恥ずべき行為であると考えている為だ。
 さて、次の目的地たる資料室に到着した。受付と資料整理を兼任している兵士に目配せする。

「お、これはグライヒヴィッツ嬢。資料室なんぞに何の用事です?」

「ブラックキャップについて調べたいのですが、ありますか?」

 資料室は参謀本部直轄というだけはあり、様々な情報が保管されている。それは海外の事柄に関するものも例外ではない。

「暫しお待ちを……これかな。どうぞ」

「1938年……ありがとう」

 更に読み進める。ブラックキャップという部隊はG-GHQ加盟三ヶ国――クロッセル連合王国アルトメリア連邦、エントリヒ帝国であり、当時は楼蘭とザハーラは含まれていなかった――とG-GHQ傘下の研究組織EARTHが開発を進めたMAIDで編成された部隊であり、その統括がレイ・ヘンラインだった。彼の弟たるアイザック・ヘンラインはノーマ、ジェット、デスモア、そしてカトリーナの開発は直接的に携わっていたが、ブラックキャップという部隊単位に関しては教育担当官としての立場に留まっている。12体ものMAIDを開発したのではなく、あくまで教育しただけだ。噂に尾ひれ背びれが付いて広まったのを、つい鵜呑みにしてしまったらしい。
 ブラックキャップが最後に出撃したのは、この資料が正しければバストン大陸だ。理由や誰が決定を下したかまでは今後の調査を待たねばならないが、大方、303作戦と似たような経緯だったに違いない。そしてカトリーナだけが生き残ったのだろう。
 ブラックキャップ隊員の資料、特に経歴欄には殊更注意深く目を通した。あれが社会的に如何なる認識を受けているのかを知っておきたい。特にバストン大陸へ派兵されて以降について、何か書かれてはいないものか。その期待はものの見事に打ち砕かれた。戦死したと書かれており、それ以降の記述はない。
 資料を読み終えたモニカは、先程の兵士にそれを差し出した。

「ありがとうございました」

「しっかし、どうしたんです? いきなり」

「新入りの素性を調べたかっただけですよ」

 幾つか不透明な部分はあったが、ヘンライン兄弟は揃って存命らしい。であれば、少なくともカトリーナは主人を殺すタマではないという事だ。概ね満足だと判断して良い。
 モニカは懐中時計を見て、これまた計画通りに事が進んでやや上機嫌になりながら、簡易浴室へと戻った。

「時間よ」

「ああ、はいはい。丁度出ようとしてた所なんだ」

「いやに早いわね」

 カトリーナは既に着替えていた。それまで着ていた衣服は丁寧に畳まれ、篭に入っていた。先刻までのだらしない態度からは凡そ想像し難い準備の早さに、モニカは驚く他無かった。

「古巣同様、御主人の云う事はしっかり聞くのがMAIDの作法ってもんだろ。特に時間に関しちゃね」

 カトリーナへの評価を改めてやるとしよう。馴れ馴れしい言動は気に入らないが、時間に関してだけ(・・)は誠実だ。
 自室へと戻る道すがら、モニカはもう少しカトリーナとの会話をしようと思った。これの事を知っておけば、今後の対応もし易いと考えた為だ。

「……父さんは何故、私にMAIDを寄越したのかしら」

「聞いた話だと、手持ちのMAIDが居なくなって今から新しくこさえるのを大儀そうにしてたんだろ、アンタ」

「確かにそう。でもね、父さんはMAID反対派の筈なのよ。いきなりこんな……いや、気が変わったのかしらね。昔から考えをころころ変える人だったし」

「そうなのか。お袋さんはさぞや大変だろうね。そんな旦那さんを持っちまって」

「母さんは、居ないわよ」

「居ないって。まさか男の股から生まれてくるって事ぁ無いだろ」

「……だいたい想像付くでしょ。こんな時代だもの」

「すまねぇ……()な事、云わせちまった」

 またカトリーナは物憂げな面持ちになった。酔いが醒めている所為なのかは解らないが、カトリーナは躁鬱の差が激しい。ちょっとした事で直ぐに気落ちしてしまう。まるで何処かの誰か――そう、モニカ自身だ。

「流石にもう平気よ。何年も前の事だし。確かにあの時は悲しかったけど」

「けど?」

 心の奥底で、もう一人のモニカが頭を抱えた。多分、カトリーナのこういった性分や、自分と似たような境遇が引き金になってしまったのだろう。気が付けば口が動いてしまっていた。

「他の人には、出来れば同じ思いをして欲しくない。私は、私みたいな人を増やさない為にMAIDを作っていた。そして、Gが居なくなっても人と人が争わない様に、私はその仕組みも改革しようとしていた。きっと、これからもそうする。環境さえ整えばね」

 ずっと、誰かに伝えたくて仕方が無かった。ニコラウスや他の研究員仲間には一度とて話した事の無い、MAIDの研究に注ぎ続けた内なる情熱を、ついにモニカは吐き出す。

「MAIDは人と一緒に戦って、互いに支え合って生きるべきだと思う。MAIDは人に管理されるべきだし、人はMAIDの心を守って、長く生きられる様に、戦う意味を信じられる様にしてあげるべきだ。私は、そう思うのよ」

 ついつい口を滑らせてしまったが、大凡のMAID達には理解出来ない事だろう。犬ならば複雑に思考するだけの高度な頭脳を持たない為に、飼い主に従属する事に疑問を持つ個体は少ない。だがMAIDは話が別だ。あれらは葛藤し、意見し、自発的に思考するだけの頭脳がある。元が人間だから当然とも云えたが、今まで接してきたMAIDの中には――例えば今は亡きヤヌスの様に――従属を良しとしない個体が少なからず見受けられた。
 故に、カトリーナの様に自由奔放な手合いにも、この思想についての共感は得られないだろうとモニカは踏んでいた。

「……()いねえ」

「え?」

()いねえ、アンタ。好い。惚れちゃったよ。この安っぽいお命、賭けさせてちょーだい」

 まさかここまで肯定してくれるとは、夢にも思っていなかった。頬の肉が急に熱を帯びる。鏡で確かめる迄も無い。赤面している事は把握出来る。

「……賭けて得するのか、甚だ疑問だけど」

「保証する。えっと、それで何て呼べばいいかな。あ――お嬢でいいか! 改めて、よろしくね。お嬢」

 満面の笑みで手を差し出してくるカトリーナに対してどう接すべきか、モニカは判断を下せずに居た。幾つか選択肢を脳裏で並べ、それから漸くその手を握り返すに至った。

「はぁ……好きにすりゃいいんじゃないの。但し、そのサーベル」

餓鬼一死(うえきひとし)か?」

「うーえ、き……ちょっと名前が判らないけど、まさかそれだけで戦うなんて云わないわよね」

「……駄目かい? MAIDにも役割分担ってのがある。お嬢に傷を付ける輩は、こいつでバッサリって寸法だ。そんじょそこらのナマクラ刀とは訳が違う。一度ブチ込めば、お腹から背中まで一秒足らずで到着するよ」

 サーベルではなく刀と呼ぶらしい。否、問題はそこに非ず。カトリーナはこれ一本で戦うなどと訳の解らぬ戯言を抜かしている。全くもって非実用的だ。用心棒になるならば、相手はGではない事くらい知っている筈だ。モニカは迷わず首を振った。

「駄目よ。銃を持たないMAIDなんて、私の主義に反するもの」

「おれそのものが鉄砲玉って事で、どうか一つ。お嬢、アンタはいつでもおれという銃を持っていて、引き金を引けば、おれは敵に喰らい付く。お嬢に手を出そうとする一切を、おれが取っ払ってやる。それに銃だと音がでかすぎるんだ。街中で仕事するにゃあ、コイツが一番都合が好い」

 なるほど。音を理由にするなら納得が行く。残念ながら、消音器の入手は困難を極める。あれは一般的には流通して居らず、取り寄せにはそれなりの面倒が付きまとう。よしんば入手できてもその経路から足が付き、親衛隊にそれらの用途についての追求は免れられない。消音器を装着した銃器の使用に関する試験運用、とでも云っておけば引き下がってくれるだろうか。否、陰険な親衛隊連中がその程度で見逃してくれる筈は無いのだ。

「……そこまで云うなら」

「悪いね、お嬢。そん代わり、弾が飛んできたら払い落としてやっからさ」

 ――出来るの? そんな事。
 口に出して云おうものなら、試してみるかと云われてそこら中の備品を駄目にされそうだ。故にモニカは言葉を呑み込み、頷くだけに留めた。明日からは余計に忙しくなりそうだ。いざという時に備えた銃の取り扱いについても、カトリーナには教えてやらねばならない。モニカは本日で何度目になるか解らない溜め息を、これ見よがしに吐いて見せた。



11 Apr. '38

 父上がレイ・ヘンラインの伝を頼ってMAIDを仕入れた。名前はカトリーナ。
 カトリーナもまた、レイの弟アイザック・ヘンラインが開発したMAIDだ。
 聞く話に依れば、アイザックの担当していたMAID部隊“ブラックキャップ”も、
 303作戦の数日後に無謀な突撃作戦へと投入され、壊滅状態に陥ったという。
 (たとえ死体に宝石を埋め込んだ狂気の産物であろうと)己の教え子の大半を一気に失えば、その心労は想像に難くない。
 斯くしてブラックキャップの名はグリーデル王国に於いて、呪わしい響きを伴って広まった。

 ……その残り滓とも呼ぶべきカトリーナを、レイは私に寄越した。
 どうせ厄介払いついでに、私に恩を着せるつもりだ。

 とはいえ、MAIDを一から教育し直せるだけの気力が失せた今の私にとって、この上ない朗報として喜ぶべきなのかもしれなかった。
 もう一度やりなおせるというのなら、それを最大限に活用しない手は無い。


最終更新:2013年09月07日 16:12
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。