(投稿者:怨是)
白竜工業社員一同より、親愛なるエントリヒ皇帝陛下へ。
お久しぶりです。
帝都復興記念祭から早三ヶ月余りの月日が経ち、気候も段々と暖かくなりつつありますね。
このたび白竜工業は、バッホーゼルとホイゲビュストの二社の支援により兵器生産の更なる効率化を実現いたしました。
今までオーダーメード設計をさせて頂いた兵器の微調整、再設計なども承っております他、
全身義肢型機械人形『竜式』の武装も更新致しましたので、派遣が必要となりましたら是非ともご連絡下さい。
また、エントリヒの町工場の設立記念日である四月五日から二週間は、特別割引期間となっております。
この期間中にご注文頂きますと、通常の見積もり料金より二割引となりますので、是非ともご利用下さいませ。
我が白竜工業は常に、正しき心を持って武器を振るう事の出来る心身ともに強い方々の味方です。
今後とも我が社をご愛顧頂けるのでしたらば、確実なる栄光と勝利への導きを約束致しましょう。
追伸……
ギーレン宰相閣下が心労で体調を崩されたとの報を耳にしましたが、その後は息災でいらっしゃいますでしょうか。
私どものような身分ではあまり滅多なお話をお聞きする事ができぬゆえ、気になっております。
白竜工業代表取締役 白竜獅遠(びゃくりゅう しおん)
――時は1944年3月5日早朝。
雪も融けて土へと混じり、グレートウォールはさながら湿地帯の様相を醸し出す頃なのだろう。
帝都ニーベルンゲは遠からぬ日にやってくるであろう春に備え、一年間の他の時期よりも少しだけ浮き足立っているようにも見えた。
三階の窓から見下ろすこのクーベルオルフェン街道は、楼蘭ではお目にかかれない美景のひとつであり、白竜工業の社長である白竜獅遠のお気に入りのスポットだった。
巨大な鉄橋の下で、
フロレンツの運河へと続くであろう用水路は綺麗に整備され、鉄道が行き交う。
あの鉄道にはどれだけの人々が仕事場へと向かうのだろうか。
朝霧を切り裂くようにして重低音を響かせ、鉄道がまた一本、また一本と鉄橋を揺らして行く。
石畳の地面を、人々は行き交い、おそらくは仕事の内容か他愛も無い世間話でもしているようだった。
突如、その視界のはるか下のほうで聞き慣れた破裂音と液体が飛び散る音が響く。
獅遠は黄色く染まった窓ガラスとねっとりした雑巾と独特の嫌なにおいを思い浮かべてうんざりした顔を浮かべた。
「やれやれ、また嫌がらせか……」
手紙の執筆がひと段落ついたと思って一服しようと思い立つや否や、またこのような“悲惨な仕事”だ。
白竜工業は
楼蘭皇国から移住してきた、云わば外国企業である。
また、町工場を購入し、なおかつ軍事の一つ――それもMAIDという重要なものに関する――を担っているのだから、確かに
エントリヒ帝国の国民の少なからずがこの偏屈な職人の集まりを嫌っていないとは云えなかった。
この会社の方針はただ一つ。“軍の為ではなく、強き兵の為”である。
エントリヒ帝国の皇室親衛隊と提携する際に
テオバルト・ベルクマン長官を初めとする多くの親衛隊は難色を示したが、皇帝は快く受け入れを宣言した。
我らが白竜工業の技術の結晶たる、竜式が思わぬ活躍をした為である。
この竜式は全身が機械であり生身の部分が存在しないために、人間およびMAIDのカテゴリーには入らないのである。つまるところ完全に兵器としてカテゴライズされていた。
楼蘭では白竜工業も含めて受け入れを拒否されたが、ここまで移住した当時の……1940年時点での多くの対G戦線はどこもまだ激戦区だった。つまるところ宣伝のチャンスは充分にあるのだ。
その戦場の混乱に乗じて乱入させ、グレートウォールでGを駆逐。新兵だった頃の
ジークフリートの窮地を救った。獅遠は今でもそれを誇りに思っている。
当時はジークフリートもそれほど重要視されていなかったのか、竜式自体は勲章も何も貰えなかった(本人も少し気にしている)が、この事がきっかけとなり、
エントリヒ皇帝から受け入れの提案を賜ったのである。
運用資金も底を付いていたこの会社も、今ではこうして帝都の一角に町工場を建設し、様々な兵器を開発している。
ただし、軍の為ではなく、強き兵の為。それも正しき心を持つ兵の為である。
そうこうしているうちに数こそ多くは無いものの、優秀な“作品”を世に送り出すに至り、親衛隊の中でも徐々にこの白竜工業を認める者は増えてきた。
設計図を持ち込んでまで依頼してくる者まで出てきたし、この会社は決してただのはみ出し者の集まりではないという自負が、この社長にはあった。
何より銃器メーカーの
バハウザー、そして航空機メーカーの
フォイゲヴュストが『エース専用機の開発の為、部品開発に協力して欲しい』と申し出る程である。
交渉は滞りなく済ませた。もちろん成立。エースパイロットの詳細なデータを要求した所、本人の素性や性格に至るまで記された書類が提示されたのである。しかも開発費用の二割は、そのパイロットがフォイゲヴュスト社の口座に振り込んだものだった。
「俺達だって、モノを作る仕事に就いてるんだ」
雑巾と、まだ冷気の残る水に満たされた金属バケツを持ちながらドアを開ける。
足元にぶちまけられた粉々の卵の殻を、靴で注意深くどかし、窓の近くまで歩みを進める。
「春先からこれじゃあ気が滅入っちまうよ」
案の定、窓には卵の黄身と白身の交じり合ったものがへばりついていた。しかも今回はどうにも特別らしく、明らかに人体に有害そうな、黒い粘着質の液体まで壁に塗りたくられている。
いつの間にここまでやらかしてくれたのだろうか。おそらくは深夜に警備をかいくぐって悪戯したのだろう。
この帝国には、悪戯を通報する法律が存在しない。
したがって犯人を探しても発見には至らず、こうして創立以降ずっと憂鬱な窓拭きの仕事を否応無くやらされているのである。
窓拭きをする獅遠を見かけた部下が彼を咎め、療養するようにと促すが、かといってこういう事を部下にやらせたくはない。
“作品”を作る時間を、その貴重な時間を、ここで割くような事になっては絶対にいけないと獅遠は考えていた。
納期が存在するのなら納期までに精一杯、最良のものを作るべく使い切らねばならないと考えていた。
「うちの会社の製品を使ったメードもことごとくやられてるし、ゴホッ……」
いつもの発作が胸を締め付ける。両方の肺は急激に収縮したような痛みを彼の頭脳へと伝達し、ゆっくりしていろという警告を一秒に数千回は伝えているようだった。
「いち企業として出来る限界は、まだまだ先の筈だ」
「代わりますよ」
奇遇か否か。必然か。青い髪のメードの事を思い出していたところに、白竜工業の社員の
一人である真田剛至が隣に現れた。
彼はシールドや鎧などの防具関連を担当としており、
シュヴェルテというMAIDの大きな盾も、彼の作品である。
「いや、君は作業に戻るんだ。こういうのは社長である俺の仕事だよ」
「図面の書き込みもひと段落つきましたし、外の空気ぐらい吸わせて下さいよ」
「じゃあその右手の白い筒は何だ」
目の前の男は右手の指に挟んだ白い筒から煙を出している。
煙草を吸うのは構わんが程々にしておけよと、獅遠は眉をひそめつつ言外に咎めた。
「僕にとって外の空気というのは、朝霧と煙草なんです。ヒンヤリしてて美味しいのでどうにもやめられません。
暫くやらせて頂いてもよろしいでしょうか。たぶんこの惨状だとレンガの隙間も含めて三十分近くかかりそうですけど、終わるころにはバケツにポチャンとできますから」
「……わかった。じゃあ頼む。終わったらいつもの流しに捨てといてくれ」
「了解です。社長、僕らのモットーは“好きなように武器を作らせてもらう”なんですから。やりたいようにやっときましょうよ」
「真田……“自分達の認めた者達の為に”が抜けている」
「失礼しました。どうにも最近、物覚えが悪いものでして。次回から気をつけます」
「ああ。それじゃあ頼んだよ」
後ろを振り返れば、眉をひそめて壁をちらりと見て、すぐに視線を逸らす人々が次々と行き交っていた。
最初に生卵を窓に叩き付けられた時は、それはもう野次馬だらけで人だかりが出来ていたし、その中で窓を拭くのも随分と苦労した。
あれから数年。もはやこの建物に怪訝な目を向ける者達は居ない。何故なら、この建物が煙たがられているという事実が、周辺の住民に広く、そして深く浸透しているからだ。
何たる恥辱だろう。嗚呼、誹謗中傷を平然と述べる者たちよ。異なる色を望まず灰色の平穏を望む者たちよ。貴様らが望んだのはこういうことだったのか!
獅遠はふらふらした足取りで、ドアに手をかけながら真田のほうへと向き直り、表情を伺う。
「かしこまりまして、と。あれからもうすぐ半年くらいになりましたっけ」
おどけた微笑を交えつつ了解の返事をした真田は、神妙な表情へと変えて過去を回想した。
やはりお前もか。お前も傷を負っているのだな、真田。
「そうだな……あのMAIDの盾は、君の担当だった」
「……僕は悔しいですよ。MAIDが突然死んだっつって。作品までどこいったか解らないなんて。設計図は何とか残ってる。でも依頼主はばっくれちまった。どうすりゃいいんでしょうね」
彼が煙草を始めたのは確か、消されたMAIDの数が三名に上る頃だったか。
仏の顔も何とやら。普段は温厚な彼でもやはり限界はあった。しかも公安部隊を名乗る者達から、皇帝陛下の命令により設計図を焼却処分するから寄越せなどと毎日詰め寄られていたのだ。
後にその事実に関して確認した所、そういった命令は一切発令されていなかった事から、やはりこのエントリヒでは不透明な何かがうごめいているのではないか。
なら、つい何かに手を出してしまっても、無理も無いのかもしれない。
「理想郷はどこにも存在しないのが解りきっていても、風当たりがあまりに強いと気が滅入るな」
「どうにかして原因を突き止めたいってのに、竜式も昔みたく勝手に動かそうとすると公安部隊が口出ししてきやがりますし、勘弁して欲しいですよ。もしかしてこの嫌がらせも、公安部隊の子飼い連中の仕業?」
窓の部分は殆ど綺麗になっていた。真田は赤切れした拳をひねりながら雑巾を絞り、窓の最後の仕上げへと移る。
ここが終われば、今度はこの忌々しいねばねばだ。その前にバケツの水を換えねばならないのかと思うと、気が滅入る。
「どうなんだろうな。まぁ放火されないだけマシなんじゃないか」
「いつか、そのうち放火されますよ。ストーブの上のじゃがバターに賭けてやってもいいくらいです」
やれやれ。じゃがバターは安定剤の一種だ。取られては困る。
賭け事に使われてなるものか。冗談には冗談で返さねば。
「おお待て待て。そいつは困る」
「待ちませんよ。放火されちゃ困るでしょう? さぁさ。放火犯は僕が見張っておきます。社長は休んでてください。発作、ヒドそうですし」
まだ放火犯が出て来たとは決まっていないし、放火されるかどうかもわからないが、暗にもう休めと云って心配している事が伝わってきた。
流石に長年、苦楽を共にしてきた社員である。それに他の社員の喧嘩の仲裁に向かう時も、彼とはよくペアになった。
「……すまない」
折角、手にした勝機なら、ここで閉塞を生み出してはならない。
確実な勝利を約束すべく、我々武器職人は日々戦わねばならないのだ。
そして勝利の後にやってくるかもしれない悲劇を回避すべく、正しい心を持つ者達へと、正しい力を提供したい。
それがこの男、白竜獅遠の夢である。
自室に戻ると、手紙のインクはすっかり乾いているようだった。
届くまでに検閲されるのは怖い。だが今更、失うものも無い筈だ。
あのギーレン宰相でさえ、皇帝陛下に押されて我々の排斥を諦めたのだから。
最終更新:2009年01月11日 03:49