スィヴェールヌイ=シェラルド戦争

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スィヴェールヌイ=シェラルド戦争



出典:フリー百科事典『WANKOSOBA』

     この項目では、2019年11月9日 - 2019年11月19日にスィヴェールヌイ諸島共和国シェラルド=ローマ帝国で起きた戦争について説明しています。

System=話し合い


スィヴェールヌイ=シェラルド戦争(スィヴェールヌイ=シェラルドせんそう、:Krigen af ArktisSovietski、:Атлантическая войнаは、シェラルド=ローマ帝国のヴァイキングを用いたスィヴェールヌイ諸島共和国への侵略行為を発端に、両国間で起きた戦争である。 スィヴェールヌイ=シェラルド戦争
あああああああああああ目次[非表示]

1 背景
ああ1.1 ケープ・ダイアー海賊襲来事件
ああ1.2 シェラルド駆逐艦拿捕
ああ1.3 艦長尋問からシェラルド軍関与発覚
ああ1.4 最後通牒の拒否から開戦へ
2 経過
ああ2.1 北海海戦
ああ2.2 パリ砲撃
3 結末
4 影響
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
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北海海戦
imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。パリ講和会議
戦争:スィヴェールヌイ=シェラルド戦争
年月日:2019年11月09日 - 2019年11月19日
場所:ケープ・ダイアー、北海、パリースイィ
結果:スィヴェールヌイの勝利、威信、賠償金の獲得
交戦勢力
スィヴェールヌイ諸島共和国
シェラルド=ローマ帝国
指導者・指揮官
アンドレエヴィチ = ポトリツィン
エリック8世
イルダー = スヴィーニン
フェヌト・アデラー
参戦兵力
戦艦3
空母3
巡洋艦3
駆逐艦12
フリゲート15
他全42隻
巡洋艦1隻
駆逐艦2隻

 背景
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ケープ・ダイアー海賊襲来事件

11月7日早朝、スィヴェールヌイ諸島共和国の辺境の漁村ケープ・ダイアーより、地域司令部へ緊急の通報が届いた。ごく穏やかなこの土地に住まう労働者たちにとって、ヴァイキングの襲撃などという1000年も前の昔話が現実となって降りかかることは、まさに青天の霹靂であった。始めは海岸で出航準備をしていた漁師が。続いて沿岸の酒場や商店などが襲われると、次第にその報せは村中に知られることとなり、午前六時、村の警官から地域司令部へと応援要請が届けられた。海賊は鉄製の兜や斧で武装しており、よく訓練が積まれていたようで、短機関銃等で武装した民間人では歯が立たず、警官も既に数名が犠牲となっていた。司令部は陸軍即応部隊の派遣を決定。直ちに現地へ急行させた。

午前6時25分、部隊の到着によりケープ・ダイアーの現状が明らかとなった。複数の家屋は炎上し、別の家屋からは住民の悲鳴と聞きなれない言語の怒声が響いていた。海賊が通ったとみられる海岸へ続く小路は血塗られており、その先には数隻のロングシップが留められていた。陸軍即応部隊は直ちに鎮圧を開始した。正規の訓練を受けており、装備にも優れる陸軍即応部隊は確実に海賊勢力を鎮圧していったが、死を恐れず突撃を繰り返す海賊に時折苦戦し、戦線を突破される場面もあった。最終的には、民間人の反撃もありスィヴェールヌイ側が勝利し、海賊は慌ててロングシップで撤退していった。
imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。来襲したヴァイキングは防衛隊決死の活躍で食い止められた

シェラルド駆逐艦拿捕

午前7時50分、スィヴェールヌイ軍は撤退した海賊を追跡すべく、近隣の飛行場よりBe2哨戒機を発進させた。午前8時ごろ、ケープ・ダイアー沖上空に到着したBe2は、海賊を乗せたロングシップの収容作業を行う外国製駆逐艦を発見する。艦の特徴が司令部に伝えられると、それがシェラルド製のヘルシンゲル級ミサイル駆逐艦であることが判明。衝撃に包まれた司令部は、急遽駆逐艦を拿捕すべく、近海にいたproject142級フリゲート、k14202を現地へ急行させた。

k14202が駆逐艦に警告を発しながら接近するも、なぜか反応は無く、警戒しながら横付けし乗り込んだところ、駆逐艦の船員一同は食堂でピザを食べていた。結局その場に海賊残党も仲良くピザを食べていたことでk14202艦長は全員共犯と判断。逮捕し司令部へ連行した。

艦長尋問からシェラルド軍関与発覚

翌8日9時50分、拿捕した駆逐艦艦長への尋問が始まった。始め艦長はよそ見をして口笛を吹くなどで知らぬ存ぜぬを通そうとしたが、拳銃を突き付けられると態度を豹変させ、アッサリと関与を認めた。

この尋問によって、この駆逐艦がシェラルド軍部より極秘で北アメリカ大陸植民計画の威力偵察の任務を与えられていたことが判明。任務を面倒くさがった艦長は、アフリカ植民を成功させた民間ヴァイキングの再利用を試みたようだが、私費で雇えたヴァイキングはただの犯罪者崩れであり、結果杜撰な計画となったようだ。

この報告を受けたスィヴェールヌイ政府は、怒りを露わにする者半分、呆れてものも言えない者が半分であった。当然、外務省を通じて抗議を行ったが、この時点で、主権国家への最大の侮辱行為と断じ、開戦止む無しとする意見が大半であった。
imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。駆逐艦艦長は恐ろしくアッサリと口を割った

最後通牒の拒否から開戦へ

8日の昼間を通して両国外務省の電話交渉は続いたが、結局、シェラルド側はしらを切りとおしたため、なんら進展は得られなかった。これを受け、スィヴェールヌイ政府は対シェラルド最後通牒を作成。事件の謝罪と賠償、またシェラルドが行う反社会主義プロパガンダの禁止等を盛り込んだ10条からなる最後通牒は、午後19時にはシェラルド政府へ届けられた。

これに対してシェラルド政府は、決定権を持つ皇帝エリック8世が当日夜、公務を極秘で抜け出しサロンへ出かけていたことで審議が行えず、ようやく朝になって皇帝がアマリエンに帰還すると最後通牒が届けられた。しかし、深く酔っており、また寝不足で不機嫌であった皇帝は受け取るや否や封も切らずに暖炉に投げ込んでしまうと、「神を信じる知性もない極圏の蛮族に、字が書けたとは驚きだ」と言い捨て、居合わせた海軍卿フェヌト・アデラーに丸投げし眠りについてしまった。皇帝はサロン滞在中に既にこの事件を耳にしていたようで、同じような発言をしていたことが市井に噂として出回っていた。これは実際には多くのパリースイィ市民のスィヴェールヌイへの認識とあながち外れていたわけでもなかったが、報道を通じてスィヴェールヌイにも伝わると、そちらでは当然、更なる激怒を呼んだ。

シェラルド政府は止む無くスィヴェールヌイ政府に最後通牒を拒否と通達したが、実態は殆どの陸海主力をバスク戦争の為ザーティエラ方面に回した後であり、海軍卿アデラーは頭を抱えていた。9日夜、スィヴェールヌイ国家主席アンドレエヴィチ = ポトリツィンはシェラルドに宣戦布告した。その際の「シェラルドは最後通牒を拒否した、それどころか我が国を極圏の蛮族扱いしたのだ どうやらあのおしゃべり皇帝は我々の力を見誤っているようだな よろしい、パリを燃やしてやろう」の言から、「パリを燃やせ」は戦争スローガンとなった。

経過
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北海海戦

報復に燃える北連は自慢の海軍を動員し、シェラルドへ打撃を与えるべく、その目標を北海油田へと定めた。北海油田はシェラルド本土を支える重要拠点であるため、相応の防衛体制が予測されることから、編成された赤色艦隊の規模は戦艦3、空母3を基幹とする40隻にも及んだ。

12日、北連艦隊は北海油田の近海へと突入した。指揮官を務める旗艦たる戦艦クラースナヤ・エウロパの艦長は、各艦に最大限の警戒を支持したが、予想に反し抵抗は見られず。油田への攻撃を開始した頃にようやくシェラルド艦隊が現れたが、その数は巡洋艦及び駆逐艦が僅かに3隻であった。シェラルド皇帝エリックは、同時期に発生していたバスクを巡るザーティエラ王国との対立を重視し、また北連を徹底的に侮っていたこともあり、イギリス海峡に配していた艦隊の、さらに手すきの三隻にしか出撃を許さなかったのである。

海戦は13時より、轟くクラースナヤ・エウロパの特大の砲声により始まった。シェラルド小艦隊の駆逐艦は40隻の大艦隊から浴びせられたミサイルや砲弾の嵐をよく迎撃、回避したが、旗艦の巡洋艦艦長スタファン・エリクセン中佐は突撃を支持。やむなく両駆逐艦は突撃し、瞬く間に被弾、一隻が撃破された。エリクセンはもう一隻を盾に逃走し、戦闘は終了した。シェラルド艦隊は駆逐艦2隻を喪失したのに対し、北連艦隊は無傷の完勝であった。
imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。つよい

北海油田への攻撃

戦闘を終え、障害を排除した北連艦隊は北海油田の石油掘削プラットフォームへの攻撃を開始した。シェラルドの石油施設は甚大な被害を受け、当初の目標は達成されたが、任務を終えた艦隊に、司令部より新たな支持が届いた。

北連司令部は一連の成果に味を占めシェラルド本土に至る北海海域に、シェラルドの抵抗戦力が存在しない、ないし出撃がなされない可能性に思い至る。現場は流石に現実性がない、危険が大きいと猛反対したが、偵察に駆逐艦数隻を先行させたところ、信じられないことに、先の説がかなり現実的である可能性が大きくなった。かくして北連40隻は南下を開始した。

パリ砲撃

北連艦隊は17時頃にシェラルド本国の領海に侵入。続いてセーヌ川河口域に到達し、パリをロケットアシスト弾の射程に収めた。18時、夕飯時を知らせるノートル・ダムの鐘の音をかき消すように砲声は轟き、戦艦パリディスカヤ・コンムナ号の51cm弾は市街を直撃、瞬く間に炎上し、見事、「パリが燃える」こととなった。火災により恐慌に陥ったパリ市民は皇居アマリエンに殺到し、この騒ぎでようやく皇帝エリックはシェラルドの現状に気づいたという。

エリックは慌てて主力の大西洋艦隊をザーティエラ方面から移動させ、イギリス海峡へと急行させると、北連艦隊は迅速に撤退。帰りがけにもう一度北海油田を砲撃し、ようようと本国に帰還した。
市民は当初、首都が砲撃されているなど、夢にも思わなかったという。

結末
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パリ講和会議

皇帝エリックは、侮っていた相手に首都を砲撃されたショックで寝込んでしまい、13日夜には早くも降伏を決意した。14日には宰相ヨーデリンゲが降伏の旨を北連政府に通達し、全ての戦闘は停止された。

16日、講和会議はパリで開かれ、シェラルドは皇帝エリックと宰相ヨーデリンゲ。北連は国家主席ポトリツィン自らが出席した。講和内容は主に賠償金支払いが定められたが、その額については意見が割れた。しかし、最終的には2日後の18日にはシェラルド側が折れる形となった。講和条約は19日に締結され、スィヴェールヌイ=シェラルド戦争は終結した。

脚注
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参考文献
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本尾書男『シェラルド戦争史~蛮族国家の真実~』第3巻、どっこい書房、334年9800月

関連項目
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・スィヴェールヌイ諸島共和国
・シェラルド=ローマ帝国
カテゴリスィヴェールヌイ=シェラルド戦争軍事部の戦争2019年の戦争スィヴェールヌイ諸島共和国の戦争シェラルド=ローマ帝国の戦争シェラルド王国の戦争植民地戦争アンドレエヴィチ = ポトリツィンエリック8世
最終更新:2019年12月12日 22:34